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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(52)

〔ドキュメント〕6・15国会流血事件(7)


 警官隊が学生たちを追いあげてきた時、大学・研究所グル―プは南通用門の向かい側、やや地下鉄駅寄りに三々五々と集まっていた。同グループは、19時に起こった乱闘で、多数の学生が負傷したことを知り、その救援策や、警察への抗議などのため院内におもむいた代表の報告を待っていた。

 代表は、この乱闘による次のような悲惨な学生の負傷状態の報告を受けとっていた。

 第一次衝突の負傷者が19時をだいぶ過ぎたころから官邸前の救急車に運ばれはじめた。新議員面会所ではある者は手錠をかけられていた。その負傷者を私服刑事が救急車につれて乗り込もうとして憤激したデモ隊になぐられた。

 消防庁の三井・警防二課係長はこの状況を見て、責任者らしい警部に「手錠はやめて下さい」と申し入れた。22時のことだ。

 大学関係者らの要請で国立東京第一病院、代々木診療所、順天堂などの診療班がぞくぞく着いた。東大診療班は、正門前で多数(100人前後)の学生その他を治療したが、催涙弾投下後の大部分の傷は、後頭部や背中の裂傷と、打撲傷で、ひどく裂けていた。これは、後ろから警棒が振りおろされたことを示している、とその時の医師や看護婦は異口同音に語っている。

 またある医師は学生の知らせで、0時ころ、参議院第二通用門付近に放置されたままの瀕死の重傷者を一人救助した。



 1時20分、「右翼がきたぞ、危ない、スクラムを組め」とだれかが叫んだ。皆がスクラムをくみはじめた。グループの先端には大学・研究者たることを明らかにしたチョウチンをかかげ、旗も立てていた。その時、数十人の学生が、バラバラとかけ抜けていった。その後を警官隊がカン声をあげながら、ヘルメットを光らせ、黒い一丸となって殺到した。

 グループは「大学・研究所のものです」「われわれが集会の責任者だから、警官の指揮者と話そう」と口々に叫んだ(責任者は15センチ幅の白木綿に「大学・研究者集会」とスミで書いた腕章やたすきをつけていた)。

 警官隊は一瞬たちどまったが、すぐ後ろから「やれッ」という叫びがあった。警官は警棒をふりあげて打ってきた。

 「あなた方がどけというなら私たちは去ります」と叫んだ教授もいた。ここでも警官隊は一瞬ためらったふうに見えたが、後ろから「やれッ」という声がかかって、警棒がうなった。この後は、警官隊は容赦なく打ちかかってきた。

 このころ、評論家の篠原正暎氏が、ただの通行人として、首相官邸から南通用門の方へ向かって一人で歩いていた。氏の話によると地下鉄入り口付近で前方から学生が逃げてきた。「コヮィ」という女子学生の声をきいた。そのとたん、氏は肩を警棒でなぐられた。「騒擾罪だ、全員逮捕だ」という掛け声を聞いた。着ていたジャンパーには返り血がついた。

 教授団はバラバラと逃げ散った。多くは首相官邸の前の総理府を南に折れて走った。一部は総理府のガレージに飛び込んで、木のサクを越えようとあがいた。

 そこを警官は襲ってきてなぐった。頭を守ろうと手で覆った者は、手の甲に打撲傷をうけた。倒れて四つんばいになった者を警官は蹴り、踏みつけた。ある者は警官に腕をつかまれて円陣の中に投げこまれて倒され、蹴とばされた。警官は「逮捕、逮捕」と叫び「騒擾罪だ」と号令していた。

 教授団はそのほか、警官が
「貴様たちが煽動しやがったな」
「皆ごろしにする」
「殺せ、殺せ」
「一人も逃がすな」
と口々にどなったのを聞いた。

 道路は暗い上に雨でぬれていた。官邸前に停止していた装甲車やトラックが道幅を狭くしていて、教授団は逃げながら一人が転倒し、転倒者につまずいて数人が折り重なった。警宮は蹴飛ばしたり殴ったりしてグランド・ホテルの下の特許庁まで追ってきた。

 教授グループは、特許庁の角を左に折れて虎ノ門近くに集まった。点呼すると、数は150人ぐらいだった。襲われてから5分ちょっとぐらいの間の出来事だった。

 公表された「大・研・研」の資料では6月20日現在で、18の大学・研究所から27人の重傷者、115人の軽傷者を出した。その多くは、南通用門前の警官なぐりこみで負傷している。

 1時25分、ラジオ関東の窪田アナウンサーは、FMカーを首相官邸と国会記者会館の中間に置いていた。教授団が警官隊に警棒で打たれている状況を島アナが実況放送していた時、数人の警官が襲って両アナにとびかかった。
「何してるんだッ」
「ラジオ関東だ、実況放送中だ」
と両アナは叫んだ。警官隊は学生や教授団を追い散らして間もなく、官邸前の広場で陣容を整えて去った。

 この後で、窪田アナは奇妙なことにぶつかった。二人の私服刑事が、どうしても学生とは思えぬ数人の男に追いまくられて、通用門にとりつき、内側の警官隊に「刑事だ、あけてくれ」と叫んでいた。私服はどうにかして逃げ去ったが、窪田アナはその男たちに「あんた方は学生か」と聞いた。すると男たち(中には入れズミをした者もいた)は「おれたちはオデン屋組合の被用人だ。130人できたんだ。警官なんかやっつけちまえ、弱虫の学生とはちがうんだ」というようなことをいいながら、どこかへ消え去った。

 0時10分ころ、東大理学部の伴野助教授は茅総長に電話で事情を説明、茅総長は同40分ころ国会に到着し、議面に入った。このころ、大浜早大総長もKRテレビから国会にやってきた。

 両総長をまじえた大学・研究者グループは協議の上、学生に対する警官の暴行に抗議し、これ以上ケガ人を出さぬよう、両総長が警視総監に申し入れることになり、両総長は教授グループの二人をともなって自動車で警視庁に行った。警視総監は両総長に「もうデモ隊は解散したから安心して下さい」とのべた。

 両総長は再び国会に引き返した。だがもうそのときは、これまで大学・研究所グループのいた場所には、傘や袋がちらばっているだけであった。

 逃げのびた教授グループは特許庁前で解散した。2時ころであった。

 チャペルセンター前の学生たちは、数グループに分かれて有楽町方面に向かった。

 1時40分、学生約200人が有楽町駅前交番を襲い、窓ガラスをこわした。

 三宅坂、半蔵門の交番などもガラスなどをこわされた。

 4時35分、全学連の主力は有楽町で解散した。

 15日から16日にかけての右翼や警官隊の暴行で次のような負傷者が出た。

 この日は49台の救急車で162回のピストン輸送を行ない、479人を病院へ運んだ。うち重傷は36人、現場手当110人(22日現在の消防庁資料)。

 新劇人その他一般自由参加者
2週間以上の負傷62人(19日正午現在の新劇人会議資料)。

 警官隊の側の負傷者は714人、うち2週間以上36人、入院11人(23日現在警視庁資料)。

 なお、負傷して消防庁救急車以外の車で病院へ運ばれたり、そのまま帰宅したデモ隊の人たちも多く、負傷者の数字はいまなお正確につかみがたい。

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