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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(50)

〔ドキュメント〕6・15国会流血事件(5)


19時30分~22時30分
衆議院南通用門内
抗議集会
そして二度目の警官隊の攻撃


 女子学生の死が伝わると、門外の学生は、異様に激高し、再び「構内に入れ」というアジは全員を動かした。死亡は警官側にも伝わったらしく、明らかに警官側にひるみが見えた。学生や通行中の市民が、サク内に黙然と待機中の警官に「人殺し」の罵声を浴びせていた。

 これに乗じて学生は全学連の指揮車を先頭にしてジリジリと構内に入り込み、やがてその数は4000人近くに達した。

 社会党議員数人が、警官隊に抗議し、学生もこれに加わって「殺すとは何事か」と警官隊に詰め寄った。警官隊は無言。

 20時、指揮車の上に加藤・全学連委員長代理らが乗って抗議集会を開こうと叫んだ。門内はびっしりと学生で埋まり、集会を開く。リーダーはかわるがわるアジる。

 21時、やがて「殺された学友の冥福を祈って黙祷」とリーダーが叫び、一分間の黙祷。静まりかえった構内。そのとき、山王祭りの花火が夜空にあがった。

 気温21度、湿度86。雨がひときわ強く降り出す。21時45分~23時50分まで雨。

 このころ、負傷学生たちはどのような扱いを受けていただろうか。

 重傷者は新議員面会所の地下面会所に投げ出されていた。その入口には警官隊ががん張っていて、報道陣も、国会議員も、学生の身を気づかつてかけつけた大学医学関係の看護斑もガンとして入れなかった。種々交渉の結果、やっと入ることができた大学・研究所グループの人たちが見ると、部屋は血と汗と消毒薬とほこりの異臭がたちこめ、数十人の重傷者がいた。この部屋には私服がいて、名前をきき回っていた。この部屋の重患は22時近くから救急車に収容されだしたが、大部分は16日0時まで放置されていた。

 社会党議員の多賀谷、小柳、滝井の三氏は警視庁で石岡公安部長と会い、「事態収拾のために、全学連には一時間の集会の後で構外へ退去、警官隊には実力行使を慎重にするよう現場の第五方面本部長に指示する」という斡旋をとりつけた。

 一方、学生デモ隊の」方では、某社党議員が加藤・全学連書記長代理に「22時まで待て、正面へ君らが移れるようあっせん中だ」と伝えた。しかし、学生群の後方では「殺されたんだぞ、進め進め」「警官隊はくずれた、ワッショィ」とかけ声があがった。再び雨が降りはじめ、数人の社党議員は「仕様がないな」といいながら、院内にひきあげた。

 22時、指揮車のリーダーは「ただいまより、正面玄関へ向かう、諸君、スクラムを組んで着実に進もう」と叫ぶ。

 22時5分、学生が動きはじめた時、後ろの方で「後方が危ない危ない」と声があがったと同時に、後方の第四機動隊と前方の第二機動隊が同時に警棒をふるってなぐりかかった。

 第二次乱闘はこうしてはじまった。すでに前線の警官は、指揮者の指示に従おうとしない状態になった。指揮者は「警棒を収めろ」と命令し、伝令は「慎重にという本部指示です」と叫んで回ったが、警棒はうなり、学生はなだれをうって南通用門の外へ逃げさり、そのあとには混乱を物語るおびただしいクツが散らばった。

 ラジオ東京の神岡報道部員は、この第二次攻撃の直前、東側の警官隊の前面にいた。神岡部員の話では警官の指揮者が部下に「代議士さまもご覧になってることなんだ」といって激励しているのを聞いてイヤな気持ちがしたと語っている。

 乱闘が始まると神岡部員は同僚の北村部員と、難を避けて背後に逃げようとしたが、警棒はこの二人にも降ってきた。「何をする、報道員だ」といったが「こいつもか」と数回なぐられた。「国会記者章が見えぬのか、責任者を出せ」とどなったがムダだった。

 警官隊は、指揮車の上に学生看護班まで追いあげて打った。女子看護斑の悲鳴が聞こえた(朝日テレビ・ニュース沖カメラマン談)。

 学生は逃げ、手当たり次第に石やタタミ石を砕いて警官に投げた(東大法学部自治会議長・内藤君談)。

 逃げながら学生の一人が藤ダナの近くから容器に入れた油に発火させて投げた。炎は投げ手の手にかかり、近くの学の頭や肩に点々とふりかかった。火が上をチラチラと走った。先端の警官はオッと叫んだ(朝日ソノラマ・藤巻記者)。

 この乱闘でも十数人の重傷者が出た。学生たちは道路上にころびながら逃た。学生は「チャペルセンターへ集まれ」と隊を組んで参院方向へ移動した。

 22時30分、朝日ソノラマの藤巻記者は柵の内を歩いて正門へ向かった。途中土手から見下ろすと、南通用門から引き出された警官の輸送車五台が次々と火を放たれて燃えていた。その位置は正門と南通用門の中間であった。ツメエリの服を着た男たちは、顔を手ぬぐいで隠しいた。しかし、放火をやっている者は少数(20~30人)だった。

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