2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(47)

〔ドキュメント〕6・15国会流血事件(2)


17時10分~30分
参議院第二通用門外
維新行動隊のなぐりこみ


 16時40分頃、維新行動隊というノボリをもつ右翼120人が、平河町の旧自民党本部近くにバスでのりつけていた。そこには大型トラック1台、小型宣伝カー1台があり、大型トラックの車体には「護国青年隊」と書いてあり、車台ナンバーは取りはずされていた(後ではずしたともいう)。

 丸の内警察交通係の白パトカーが1台、巡査1人が維新行動隊を監視していた。私服警官が4人、これ以上進まないよう説得した。しかし右翼は、車では行かない、歩いてゆくのならデモ隊と同じだと言って、前進して三差路のすぐ近くまで進んでいった。

 ここで、維新行動隊と法政大学の学生の間がせばまり、ヤジが応酬きれた。行動隊は「学生は帰れ」といい、学生は「右翼は通さないぞ」といった。

 警察側では、この時、学生側から石が飛んだという。が、この事件を終始目撃していた社会党の秘事たちは、学生の指導者が「右翼の挑発にのるな」と叫び、学生たちは歌をうたっていたと証書している。

 17時10分頃、右翼の2、3人がいきなり棒をふりかぶって、密集するデモ隊になぐりこんできた。数人がなぐられ、デモ隊は逃げ散った。女の人は柵を越えて国会構内に入ろうとし、有刺鉄線でケガをした。国会構内には警官が待機していたが、この警官は逃げこんだ人たちに表へ出ろといった。社会党の秘書団が救援に出ろといっても動かなかった。

 三差路には4人ほどの警官がいて、交通整理にあたつていたのだが、この騒ぎでどのような処置をとったか明らかでない。

 暴力団2人は、学生と労組員、秘書団につかまり警官へ渡された。

 この間、5、6分だった。とにかくいったん騒ぎがおさまった。デモ隊のスピ―カーは、隊列を整えてください、子どもさんは抱いて早く進んでくだきい、と放送していた。この騒ぎで、三差路には人が少なくなっていた。その時、突然、右翼の大型トラックが集結地付近からデモ隊めがけて一直線に突っこんできた。

 白帽をかぶった警官が1人トラックに飛び乗って、暴走を止めようとしたがトラックは止まらない。荷台には4、5人の右翼団がのっており、棒を振って左右のデモ隊をタタいたといわれる。

 トラックは約100メートルつっ走り、デモ隊にとめられ転覆させられた。大型トラックの後を追うように、小型宣伝カーが走った。これはジグザグに走り、ハンドルを切りそこねて、参議院常任委員会庁舎の歩道の並木にぶつかり、ひつくりかえった。

 これにつづいて、維新行動隊の10人ほどがプラカードの柄をふるつてデモ隊に襲いかかった。この時の彼らは主に婦人をねらってなぐつた。
「殺してやる」
「たたき殺せ」
と口々にさけんでいた。

 新劇人会議の女優さんたちが、血まみれになって逃げまどった。前へ逃げるとデモ隊の人波につかえ、横に逃げると歩道に店を開いていたジュース屋さんにつかえた。右往左往し、足をとられてころび、後頭部をはげしくたたかれた。頭からも胸からも血がしたたり落ちて、白いブラウスを赤くそめた。

 見物人は驚きながら見ていた。すると、その見物人を襲つてなぐつた。新劇人会議傷害対策委員会調べによると、19日現在で一週間以上の負傷者が62人いた。

 この騒ぎを取材しようとしたラジオ東京テレビのカメラマンは警官から「写すな、帰れ」とどなられ、アナウンサーはマイクを取りあげられかけた。ラジオ東京の報道員が2人負傷した。1人は5針縫うケガで、警棒でやられたものである。

 また「稲の会」の横沢章氏は右翼に左の目をなぐられて倒れ、国会の柵にはい上がって中へ落ちこみ意識を失った。

 キリスト者会議のデモに加わっていた世田谷区告白教会の渡辺信夫さん(37)はホオに裂傷を負った。

 日本キリスト教婦人矯風金平和部副部長の野宮(ののみや)初校さん(62)は、逃げまどう人波のために国会の柵に押しつけられて胃をうち、ハンドバッグは飛び、靴は片方がぬげ、時計を失っている。

 ここで学生や労組の人たちが反転し、右翼の4、5人をとりおさえたが、あとは逃げた。

 17時19分、丸の内警察署から83人の警官がトラックで現場に到着した。この83人の警官隊は、11日頃から右翼が騒ぐという情報にもとづいて丸の内署に待機していたものである。

 彼らはつかまえた行動隊員をなだめ、もとの集合位置へさげた。そして道路を横断するピケラインをつくり、デモ隊と右翼をわけ、別の警官隊は右翼の横側に立って彼らを包むように監視した。

 その中から、また2、3人が抜け出して、デモ隊に打ってかかったが、これは一分もしないうちに社党秘書たちにつかまえられた。秘書たちは暴漢を警官に渡しながら、警官は何をボンヤリしとているんだ、なぜ逮捕しないのかと非難した。

 一般市民やデモ隊からも、現行犯だから手錠をかけろとか、犯人がいるのにつかまえないとかの非難が浴びせられた。

 数人の右翼は国会図書館や自民党本部方面へ逃げた。警官がそれを追わないといって、一般の人たちは憤慨した。

 負傷者は3台の救急車によって、病院に運ばれた。いちおう事件がおさまったのは17時30分ころであった。

 ところで、この事件を引き起こした右翼の実態と、その後の処置はどうなったのだろうか。

 維新行動隊の指揮者は石井一昌(33)である。小型宣伝カーでジグザグ運転をし、デモ隊に暴走したのは彼で、宣伝カーが転覆した後、逃げて麹町署に出頭したが、重傷のため入院させられたという。

 石井は「護国塾」塾頭で団員は12人程度。護国団団員でもあり、維新行動隊を編成するに当たって団員をかり集めたようだ。

 麹町署へ連行された90人中39人は東洋大学生であった。いずれも、日の丸と星条旗をあしらったアイク歓迎のバッジを胸につけていた。

 彼らの持っていたプラカードには「天皇万歳」「アイク歓迎」などと書いてあり、柄はカタ木の太いものであった。プラカードの部分は、足で二、三度けるとはずれ、ムキ出しのクギが残る。これでたたかれると、かなりひどい傷を負う。押収されたコン棒は83本、そのほか日の丸2本、維新行動隊のノボリ1本である。

 麹町署への連行には、丸の内署の83人の他、国会内から出てきた愛宕署の25人、第4機動隊の100人が当たった。

 警視庁によると、夜11時、39人が釈放された。うち37人は学生証をもち、暴行をしなかったもの。2人はヤジ馬。残った51人中、翌朝24人を帰し、7人は現行犯として逮捕、19人は緊急逮捕とし、石井一昌とともに27人を送検した。

 なお、右翼団を徒歩で麹町署まで連行する途中、警官たちは連行途中の男に買い物を許し、公衆電話の使用を2回も許し、さらに警察電話の使用を1回許可したという。これについて、社会党議員たちは、警官の非を強く抗議している。

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