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490 ロシア革命の真相(7)
国家の死滅
2006年5月3日(水)


 古田さんはレーニンの『国家と革命』から「キリスト教が国教の地位をえたのちは、キリスト教徒が、民主主義的、革命的精神をもった原始キリスト教の『素朴な考え』を『わすれ』てしまった」という一文を引用していた。(「第481 4月23日」参照)この文を本来の文脈に戻し、次のようにもう一度引用している。


 その前文は有名な国家死滅論(プロレタリアの権力奪取後の状態)を述べ、その死滅しはじめた国家の最大の特徴として次のように描いているのです。

「この点でとくに注目すべきものは、マルクスが強調しているコンミューンのとった措置、すなわち、あらゆる交際費や官吏の金銭上の特権の廃止、すべての国家公務員の俸給の『労働者なみの賃金』の水準への引下げである。……ところが、ほかならぬこのとくに明瞭な、― 国家間題についてはおそらくもっとも重要な点で、マルクスの教訓がもっとも重要な点で、マルクスの教訓がもっともわすれられているのである! 通俗的な注釈書― それは無数にあるが― には、このことについてなにも述べていない。時代おくれの『素朴な考え』としてこのことを黙殺するのが『慣例』である、キリスト教が国教の地位をえたのちは、キリスト教徒が、民主主義的、革命的精神をもった原始キリスト教の『素朴な考え』を『わすれ』てしまったように…」



 レーニンは専門家(もちろん官僚を含む)と労働者との賃金格差の縮小に努めた。その結果、ロシア革命の前には20対1だった専門家と労働者との賃金格差は 1919年には5対1となり、レーニンの死後(1924年)も格差はちぢまって1930年ころには 4対1から3対1くらいになってた。
 ところが1931年、スターリンはこの賃金のありかたは悪平等で劃一的だと攻撃し、資本制社会と同じような極端な職階制と累進出来高払別を採用した。その結果、スターリンが死んだ頃(1953年)の賃金格差は20対1と、革命前の状態に逆行してしまった。(「レーニンから疑え」による。)
 専門家と労働者との賃金格差の縮小は「国家の死滅」のための重要なステップである。レーニンは確かに賃金格差の縮小には努めていた。しかし肝心かなめの大前提「コンミューン」思想を無視して中央集権型政府を作ってしまった。パリ=コミューンは、コミューン内部で国家を廃絶せずに代議制政府を維持したため、それに苦しめられることになったのだ。その教訓を学んでいない。レーニンは死の床でスターリンの危険性を憂慮していたというが、その危険性はレーニン自身が用意してしまっていたのだ。
 パリ=コミューンの挫折を振り返っておこう。「アナキズムFAQ」から引用する。


 パリ=コミューンは、普仏戦争でフランスがプロシャに敗北した後に作られた。フランス政府は、パリ国民軍の大砲が市民の手に落ちるのを恐れ、それを取り返すべく政府軍を派遣しようとした。コミューンに参加したルイズ=ミシェルは次のように回想する。『ヴェルサイユの政府軍兵士たちが大砲を掌握しようとしているのを知ると、モンマルトルの男女は驚くべき機動力を発揮して丘に群がった。丘に登った人々は自分が死ぬと確信していたが、犠牲になる覚悟をしていたのだった。』兵士たちは、野次を浴びせる群衆に発砲することを拒否し、銃口を上官に向けた。それは3月18日のことだった。こうしてコミューンが始まり、『人々が目覚めた。3月18日は、王党派か、外国人か、民衆か、いずれかのものになり得た。そして、民衆のものになったのだ。』

 パリ国民軍が呼びかけた自由選挙で、パリ市民はコミューン評議会を選出した。評議会ではジャコバン派と共和派が多数を占め、社会主義者(その多くはブランキスト ―権威主義的社会主義者― と、アナキストのプルードン支持者だった)は少数であった。評議会はパリの自治を宣言し、フランスをコミューン(つまり地域社会)の連邦として再生させようとした。コミューンの内部で、選出された評議員はリコール可能で、報酬は労働者の平均賃金と同じであった。その上、評議員たちには、自分を選出してくれた市民のところに戻って報告する義務があり、それを実行しない者は罷免されることになっていた。

(中略)

 しかし、パリ=コミューンは『国家の伝統・代議制政府の伝統と決別』せず、『その独立と自由連合を宣言することでコミューンが着手したはずの、簡単なものから高度なものへの組織化を、コミューン内部で到達させようとはしなかったのである。このことが、やがてコミューン評議会が『官僚的形式主義で身動きできなくなる』という惨事を引き起こし、『大衆と継続的に接触することで生じる感性』を失うことににもなった。『革命の中心勢力 ―民衆― から隔たることで無力になり、それ自体も民衆の発意を無効にしてしまったのである。』



 国家に自然死はない。国家は死滅せしめなければならない。国家に引導を渡して、文字通りの(真の)ソヴィエト連邦(コミューン連邦)を形成するために、レーニンが賃金格差の縮小以前にまっさきにやるべきはことは政府の解体であった。
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