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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(44)

《激動の1960年》条約批准をめぐる攻防


 安保闘争の最終局面を目前にして、闘争を主導してきたブントはどのような展望と方針を持っていたのだろうか。蔵田さんは次のように振り返っている。

 共産同は三月下旬、第三回大会を開催して
「安保がつぶれるか、ブントがつぶれるか……。だが、3000名の労働者武装部隊さえいれば、安保はつぶせる」(島書記長)という決意のもとに、熱っぽい討論を展開した。しかし、大会は明確な方針や展望を見出しえないままに幕を閉じた。

 問題は一点にしぼられた。当時、同盟は安保粉砕の最後のヤマ場=チャンスは、衆院での批准段階と設定した。そのためには、国会の会期末である5月20日前後を「決戦」として、全学連部隊と同盟影響下の労働者部隊を結合して、実力闘争を闘い抜く他はないと考えた。だが、それにしては、労働者部隊は余りにも微弱すぎた。

 たしかに共産同は結成以来1年3ヵ月を経過していた。だが、学生運動をテコにした既成労働運動へのゆさぶりは限界を露呈していた。学生運動が質量において飛躍を示したのにたいして、同盟の労対活動は依然として低迷を続けており、両者のあいだには格段の差があり、労対の活動は手さぐりに等しかった。

「学生同同盟員としてやる気と知恵さえあれば、労働者のいるところではいくらでも活動できる。うの目たかの目 で最良な革命的労働者を探し出し、これを決して離さず、そこから芋づる式に全ての戦闘的な労働者をつかみとることが必要だ。……どんな見ず知らずの職場でも労働者は見つけ出せる。出来ないとすれば怠慢以外の何ものでもない‥‥‥」(共産同早大細胞労対部「早稲田大学の同志諸君! 共産主義者同盟に結集した諸君は、今、何をやらなければならないか」59年8月)

 半年前の労対方針とはいえ、同盟は、このようにして獲得したわずかの労働者に旗をもたせて、全学連部隊の最後尾にくっつけて、なんとかして血路を切り拓こうとした。じつは、これが「労働者3000名武装部隊」の実体だったのである。そして、4・26闘争は、その最初の試みだった。

 その日は、学生一万名の後尾に、全逓本社支部、空港支部、牛込支部、国労、教組、全農林、合化、金属などの労働者数百名が参加し、お焼香をすませた労働者数千名も周辺にかけつけた。だが、結局はブントがめざした「労働運動における革命的潮流の形成」は、4月23日、26日の全逓東京空港支部の独自の大衆デモ、5月20日、国会デモ実行委員会の旗の下3000名の首相官邸デモを実現したにすぎず、ブントの構想はついに「幻の労働者3000名武装部隊」に終わってしまったのである。同盟政治局は、この時点でその政治指導における挫折を自認せざるをえなかった。安保粉砕の一点に同盟の存立を賭けた限り、その挫折は当然だったといえよう。

(中略)

 ところが、安保闘争は最終局面において、同盟の予想を越える展開過程をたどることになった。5・19採決を契機にして意外な高揚を示した。この高揚のなかで、全学連書記局-学生細胞を中心にした現場指導部は、大衆的憤激の高まりとそれに追随した国民会議の6・4ゼネスト宣言、大衆的反撃の開始という事態のなかで、最後の死闘を展開していった。



 では、条約批准をめぐる最後の攻防をたどってみよう。

4・27
 東大ブント、党中央の方針に反対

5・13
 全学連主流派1500人、国会正門前で決起大会

 公聴会冒頭のこの日、全学連は当初「国会構内大抗議集会」を打ち出していたが、余儀なく戦術ダウンをせざるを得なかった。それでも、全国10万名がストライキ、抗議集会、デモを展開し、東京では5000名が昼夜の国会デモを展開した。

5・14
 国民会議、5号動員6万名の「お焼香」デモ。

5・15
 社会党江田書記長「懲罰委覚悟で安 保阻止」と言明。
 総評、5・20に一斉30分スト決定。

5・19
 自民党、安保強行採決。全学運"非常事態宣言"を発し、数万人が国会包囲

 自民党は会期延長50日を発表し、午後4時、衆議院議運委、野党欠席のまま会期延長可決した。議長室前廊下に社会党議員らが坐り込む。

 午後9時半、清瀬議長警察官500人導入して社会党議員らを排除する。

 10時半、衆院安保委混乱のうちに新安保議決。

 午後11日時45分、清瀬議長本会議場に入り、開会宣言、会期延長を議決。

5・20
 0時5分、衆院本会議再開、新安保、同関連法を13分で単独採決。

 この自民党の暴挙にたいして、世論は沸騰した。
「民主主義を守れ、議会主義への挑戦、デモクラシーの危機…」
の大合唱が、連日連夜の国会周辺を理めつくした。

 この政府自民党のク―デタ―的暴挙の決定的瞬間を、30分も遅らされて聞かされた一万名の労働者・学生は夜を徹して議員面会所-首相官邸の路上に坐り込んだ。

5・20
 全国一斉スト闘争。
 全学連、国会包囲デモ

 全学連一万名は、首相官邸→自民党本部にデモをかけ、うち300名が官邸に突入した。労働者1500名も国民会議の指導をはなれて独自のデモを決行して、全学連と合流した。

 また総評も、20日以降の連日国会動員を決定した。

 以後、国会周辺、南平台首相公邸は抗議のデモに終日騒然とする。

5・26
 国民会議第16次統一行動・空前の国会包囲デモ

 労働者・学生・市民175000名が国会周辺の路上を身動きできないほど埋めつくした。

 全学連両派も、それぞれ12000名を動員して国会の周辺路上で、ジグザグデモを終日くりかえした。

6・3
 全学連、9000人の決起大会後、首相官邸突入、13人検挙される。

6・4
 国鉄労組、初めての政治スト。
全学連3000名、国労スト支援

6・10
 国民会議、ハガチー来日阻止で羽田包囲
 全学連反主流派ハガチー来日反対闘争

 ハガチー米大統領新聞係秘書が大統領訪日日程打ち合わせのため来日したが、一万名が乗用車を包囲、ハガチーは海兵隊のヘリコプターで脱出、入国した。

 ブント意志統一、6・15国民会議統一行動に全力投入を確認
 全学連、北小路全学連委員長代理を決定(唐牛委員長は逮捕拘留中)

6・11
 全学連、全国統一行動
 東京では主流派5000名が参院議員登院阻止国会デモの後、岸・ハガチ一会談阻止のため首相公邸包囲デモ
 反主流派10000名、神宮絵画館前に結集の後、国会・米大使館にデモ

 ハガチー、離日。

6・12
 米大使、岸首相を訪問、ハガチー問題に遺憾の意

6・13
 警視庁、ハガチー闘争で鋼管川鉄労組・教育大・法政大を捜査。教育大生黒羽逮捕される。

 そして遂に最終局面、6・15国会突入闘争を迎えることとなる。

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