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《「真説・古代史」拾遺編》(28)

「倭」と「日本」(11):まとめ・再び「和風諡号」


 ここで、『古事記』と『日本書紀』との史料としての性質の違いを確認しておこう。

 『古事記』は、天皇家内伝承に依拠してそれを記録したものであり、内面から近畿天皇家の正統性を語るにとどまっている。一方、『日本書紀』は、九州王朝の史書である「日本旧記」の記事、あるいは「百済記」「百済新撰」「百済本記」などの九州王朝と百済との交渉史の記事を盗用・改竄して編入し、近畿天皇家の歴史を新たに仮構し直したものである。(詳しくは 『「古事記」対「日本書紀」』 をご覧ください。)

 よって原則として、古事記と日本書紀の」記述に違いがある場合は、古事記の方を原型と考えることが妥当である。歴代の王の名前についても、『古事記』と『日本書紀』に共通なものについては、当然『古事記』の方を採らなければいけない。

 さて、今までの議論をふまえて、「倭」あるいは「日本」を含む和風諡号を読み直してみよう。

 まず、ヤマト王権が未だ奈良盆地内の一豪族に過ぎなかった頃の王の諡号。(美称や系譜あるいは官名を示すと考えられる部分と本来の名前と考えられる部分を区別して、後者を青字で表記する。)

神武
かんちくしいわれびこわかみけぬま
(神武の本来の名を付け足した。)

懿徳
おおちくしひこすきとも

孝安
やまとたらしひこくにおしひと

孝霊
おおちくしねこひこふとに

孝元
おおちくしねこひこくにくる

開化
わかちくしねこひこおおひひ

 『「倭」と「日本」(3)』で、『「古事記」の編者たちの勢力は、かれらの先祖たちを描きだすのにさいしてたかだか魏志に記された邪馬台的な段階の一国家あるいは数国家の支配王権の規模しか想定することができなかったことはたしかである。』という吉本さんの見解を紹介した。ここで言われているレベルの国家は、唯物史観による歴史的国家として、次のように規定できる。

『いまだ原生的な歴史的社会が、もっぱら共通の外敵に対する軍事的な組織という形で、同系の諸部族が大きく政治的に束ねられたとき、〈王国〉が成立し、その軍事的な指揮中枢を担う支配者とそのグループが支配共同体として、〈王権〉を構成する。』(滝村隆一「ニッポン政治の解体学」より)

 さて魏志倭人伝によれば、「ひこ」は、対海国・一大国の「大官」を示す称号である。そのころでは、「支配共同体として、〈王権〉を構成」したのが邪馬壹国(やまいちこく)であり、邪馬壹国が束ねていた諸部族国家群が「倭」と呼ばれていた。対海国や一大国はその部族国家群の一つである。

(以下は、私の素人推測です。)

 倭国から東鯷国に侵略して、奈良盆地の一角に拠点を確保することに成功したとはいえ、イワレヒコとその末裔たちには、まわりの在地の有力豪族と姻戚関係を結んで緊密な関係を造り上げるほかに、生き延びるすべはなかった。しかし、どこの馬の骨かわからぬ暴虐無頼集団では、在地の有力豪族と姻戚関係を結ぶ事はできない。実際に倭国から与えられた称号か勝手に僭称した称号かは分からないが、倭国の本流(ちくしねこ)に列なる正統な大官(ひこ)を名乗る必要があった。

 次の「倭」を含んだ諡号は、ずーっと時代が下って、雄略の跡を継いだ清寧の「しらにのおおちくしねこ」である。突然「ちくしねこ」が復活している。なぜか。

 清寧の後に王位を継いだ二人の兄弟(袁祁・意祁)の父親(市辺の忍歯王)は雄略に殺されている。残虐の限りを尽くした雄略の跡を継いだ清寧を、強いては袁祁・意祁を「ちくしねこ」として、その正当性を主張する必要があった。

 次は『日本書紀』に現れる孝徳の「日本倭根子」。『日本書紀』は『古事記』の「倭根子」を全て「日本根子」と書き換えて「ヤマトネコ」と読んでいる。ではこれはなんと読んだらよいのか。中村さんは、この孝徳の「日本倭根子」を、『日本書紀』の「作為である」として除外しているが、あえて解釈をしてみよう。

 この諡号は正式の諡号ではなく、百済からの使者への詔書のなかでのみ使われている。この頃は、まだ倭国が健在である。百済が「倭」ではなく、「ヤマト王権」に直接使者を送ったこと自体を検証する必要もあるが、今はその問題は置いて、『日本書紀』の記述通りとしよう。百済の使者は、もちろん倭国の存在を知っている。とすると、この称号は百済の使者に、「ヤマト王権」は倭国の本流にも列なる正統な王権であることを主張しているのではないだろうか。だからその意味では、「日本」と「倭」が重なっていてもおかしくない。ただし、この場合に限って「倭」を「ちくし」と読む。すなわち「やまとちくしねこ」。

 さて次は、持統の「大倭根子天之広野日女」(日本書紀)と文武の「倭根子豊祖父」(続日本紀)。

 他の諡号は全て「日本根子」なのにこの二つだけ、どうして「倭根子」なのか。「倭」を「ヤマト」と読むという天武の発明にも関わらず、この場合は「ちくし」と読むべきだと、私は考える。倭国が完全に滅亡するのは聖武の時である。天武・持統・文武のころは、衰えたりとはいえ、倭国の影響力はまだ強く残っていただろう。「壬申の乱」は「倭国」とも深く関わっていたのではないか。この二つの「倭根子」意味を考えるのには、「壬申の乱」の真相を知らなくてはならないようだ。今は結論だけの提示にととめ、その論拠は宿題としよう。(「壬申の乱」を次のテーマにする予定です。)

 後の元明から淳和までの諡号は、言うまでもなく、文字通り「日本」(近畿天皇家)の「根子」を意味している。

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