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《「真説・古代史」拾遺編》(25)

「倭」と「日本」(8):国名・地名としての「ヤマト」(2)


 『日本書紀』には改竄・剽窃・文字の置き換えなどが多々あるのに対して、『万葉集』は歌人の製作意志が尊重されたためか、用語文字の統一という作為はなく、歌そのものは作歌当時のままに伝承されている。それ故に、 『万葉集の中にも現れる九州王朝』『「万葉集巻三の第304歌」をめぐって』 で明らかにされたように、『日本書紀』が抹消したはずの九州王朝の事績が多く隠されていて、『日本書紀』の描く「正史」のほころびが、『万葉集』から見えてくる。

 よって『万葉集』は、目下のテーマである「ヤマト」問題解明にも有効である。中村さんは『万葉集』に現れる「ヤマト」の歌を全て調べ上げている。その表を見ると、「山常」と三文字表記の「八間跡」は、第2番歌に使われているだけである。まず、この二つの表記を解明しておこう。

(第2歌)
高市岡本宮に天の下知らしめしし天皇の代[息長足日廣額天皇]
天皇、香具山に登りて、望國(くにみ)したまう時の御製歌

大和には 群山あれど とりよろふ 天(あま)の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は

(原文)
高市岡本宮御宇天皇代[息長足日廣額天皇]
天皇登香具山望國之時御製歌

山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜[立心偏+可]國曽 蜻嶋 八間跡能國者

 このように、定説では「山常」も「八間跡」も「ヤマト」と読んでいる。原文を書き写しながら、私のような素人でも「はてな?」と思わざるを得なかった。同じ歌の中で同じ言葉に違う表記を用いるなど、おかしくはないか。学者は全く疑問を感じないのだろうか。

 この2番歌はこの他にもいろいろ問題がある。中村さんは深入りしていないが、古田さんが詳しく論じているので、それを紹介したい。

(以下は、古田さんの講演録「国見の歌」の要約です。)

 まず上で指摘した問題

 「山常」=「大和」か?
 「常世 とこよ」の「常 とこ」だから、上を取って「常 と」と読めないことはないが、万葉仮名では下の発音を採るのが普通なので、「山常 やまこ」と読むのが普通だ。またもう一つの読み方「常 つね」を取れば、「山常 やまね」と理解するのが普通だ。「やまこ」では歌の意味がまったく分からなくなる。古田さんは「山常 やまね」=「山嶺」と読むべきだという。

 次に「八間跡」=「大和」はもっとおかしい。この表記も他に全くない。本当に大和か。古田さんは「八間跡」は「はまと」ではないか、と言う。

 歌の内容でもおかしな事がある。この歌によると、大和盆地から海が見えている。ありえない。「海原」とは「池」のことだという詭弁で誤魔化してはいけない。どこにも「海原」=「池」なぞという例はない。

 「取與呂布(とりよろふ)」もおかしい。万葉学者の間でもいろいろの解釈があるらしい。岩波の日本古典文学大系では、「他にない言葉で意味不明」としながらも、とりあえずと言うことで、「都に近い」と訳している。しかし、どんな解釈をしても、大和盆地の中で香具山が一番目立っているという意味には違いない。しかし実際には、香具山は一番目立たない山である。しかも高さは163メートルしかなく、奈良盆地自身が海抜100メートルぐらいなので、山の麓からの高さは50メートル位である。非常に低い丘である。それが山の中でも目立つ山とは、これは明らかにおかしい。

 さて、二つの「ヤマト」が二つともダメだとすると、この歌は一体どこで詠んだ歌なのか。上の二つの疑問をも解消する場所でなければならない。「秋津島」がそのカギである。「秋津島」ついては、古田さんは既に『盗まれた神話』で分析している。おおよそ次のようである。

 これは『古事記』などに「豊秋津島」と言う形で出てくる。「豊」は豊国のことである。豊前・豊後の豊国。「秋」と言うのは、例の国東半島の所に安岐町、安岐川がある。大分空港のあるところである。そこの港が安岐港である。しかしこの「秋津」は安岐川の小さな川口の港ではなくて、関門海峡からやってくると、安岐町のところが別府湾の入口になる。そうすると「秋津」は別府湾のこととなる。別府湾を原点にして、九州島全体を指すのが「豊秋津島」。

 そうするとこの歌の「秋津島」とは九州島のこととなる。別府湾なら「海原」があって「鴎(かもめ)立ちたつ」も問題ない。のみならず「国原に煙立つ立つ」も問題がなくなる。別府は日本きっての温泉の一大団地。そうすると、まさに「煙立ちたつ」ではないか。3年ほど前に旅行で別府に行ったとき、温泉の湯煙にびっくりしたことを思い出した。

 従来は、「民のかまどの煙が立ちこめ」という意味で、「煙」は「家の煙」だとされている。しかし良く読んでみると、「海原は鴎立ちたつ」は自然現象。鴎が自然発生しているのと同じように、それと同じく「国原煙立ちたつ」も自然現象。煙が自然発生しているのと同じ書き方である。同じ自然現象だ。

 では別府に「天香具山」はあるのか。

 まず「天 あま」
 『倭名抄』では、別府一帯は「安万 あま」と呼ばる地帯だった。別府市の中にも天間(あまま)区(旧天間村)など、「あま」という地名は残っている。天間(あまま)の最後の「ま」は志摩や耶麻の「ま」であり、語幹は「あま」である。

 現在でも大分県は北海士郡・南海士郡というのが有り、南海士郡は大分県の宮崎県よりの海岸から奥地までの広い領域を占め、北海士郡は佐賀関という大分の海岸寄りの一番端だけになっている。点に近い所だけだが大分市や別府市が独立していったときに、分離されていったに間違いない。本来は北海士郡は別府湾を包んでいた。そして、そこは海部族が支配していて「天 安万 あま」と呼ばれる地帯だった。

 一方、奈良県飛鳥は「天 あま」と呼ばれる地帯ではない。岩波の日本古典文学大系は、地名とは考えず、「天から降った山だという伝説があったのでアマノカグヤマという」と注釈している。ふと思い出して、手元にある犬養孝「万葉の旅」を調べてみた。

香具山 (かぐやま)
 畝傍山、耳成山とともに大和三山の一つの香久山(高さ、148八メートル)。もと磯城郡香久山村に属していたが、現在、橿原市と桜井市に分れて、村名を失った。

 もともとは「香久山」と呼んでいたようだ。「天」については岩波とほぼ同じである。しかし「天」は「あめ」と読むと言っている。

天香具山
 古事記に「阿米能迦具夜麻」とあって、「天」は「アメ」とよむ。この山だけ「天(あめ)の」を冠らせるのは、古代、天から降って来た神聖な山として仰がれていたためである。伊予国風土記逸文にその伝説がある。

 さて、別府に香具山はあるだろうか。別府には鶴見岳がある。1350メートルの鶴見岳が正面に聳えている。そこに神社が平野と中腹とに二つある。その神社を火男小売(ほのをほのめ)神社と言い、ここの祭神がいずれも火軻具土(ほのかぐつち)命である。「土(つち)」は当て字であり、津(つ)は港、「ち」は神様を意味する言葉。あしなずち、てなずち、八叉の大蛇(おろち)、大穴持命(おおなむち)などの「ち」と同じだ。つまり、「つち」=「港の神」である。

 ついでながら、「土蜘蛛 津神奇藻(つちぐも)」というばあいも、「くも」というのは「ぐ、く」は不思議な、神聖なという意味、「も」は(海の)藻のように集まっているという意味で、「くも」は不思議な集落という意味になる。従って、「津神奇藻(つちぐも) 土雲」は「港に神様をお祭りしている不可思議な集落」という誉め言葉なのだ。それをへんな動物の字を当てて卑しめて、野蛮族をイメージをさせようとしているのが『古事記』・『日本書紀』。騙されてはいけない。本来はこれは良い意味なのだ。岡山県には津雲遺跡などがある。

 「ほ」は火山のことでなる。鶴見岳は平安時代に大爆発をしている。現在は1350メートルで、隣の由布岳より少し低い。その鶴見岳は大爆発前は高さが2000メートル近くあったのではないかといわれている。もしそうであれば鶴見岳の方が高かった。

 さて元に戻りまとめると、鶴見岳には火軻具土(ほのかぐつち)命を祭っている。「か」はやはり神様の「か」で神聖なという意味で、「ぐ く」は不可思議なという意味であり、「神聖な不可思議な山」が「香具山(かぐやま)」である。火山爆発で神聖視されていた山である。

 もう一つ、鶴見岳のうしろに神楽女(かぐらめ)湖という湖がある。非常に神秘的な湖で、その神楽女湖も、「め」は女神、「ら」は村・空などと同じ接尾語で、語幹はやはり「かぐ」である。

 並んでいる山も湖も「かぐ」。やはり本来のこの山の名前は「かぐやま」であろう。「香具山(かぐやま)」とは本来ここのことである。それで安万(あま)の中にあるので「天香具山(あまのかぐやま)」。例の「AのB」という2段地名だ。

 古田さんはさらに追い打ちをかける。

 伊予の風土記と阿波の風土記に、いずれも「天山(あまやま)」と「アマノモト山」が出来た理由が書いてある。火山爆発で吹っ飛ぶ恐い火山として瀬戸内海で有名だった山が、吹っ飛んでできた火山の片割れが、同じ「天山」であったり、「アマノモト山」であったりする。そういう話である。「天香具山(あまのかぐやま)」はいつも片割れなのだ。やはり「天香具山」=「鶴見岳」である。

 一方の奈良の飛鳥の「香具山」はまったく火山ではない。しかし、不思議な山ではある。「天乞いの山」で神が祭られている。不思議な名前で「櫛真智命(神名帳の記載例、同音異字)」と言う。雨ごいのお祭りをすると、十回に九回は雨が降るという不思議な山として伝説が伝わっている。しかし、ただの「香久山(かぐやま)」であり、言うならば「飛鳥の香具山」であり、あるいは「磐余(いわれ)の香具山」である。あそこは海部族が支配した形跡はない。

もう一つ決定打がある。
 『別府市誌』に「登り立ち 国見をすれば」の「国見(くにみ)」という字地名がある。そしてもう一つ、予想外な地名、「登り立」という字地名が二つあった。しかし、「のぼりたち」ではなく、「のぼりたて」と言う。

 一つは先ほど言った昔の天間村にある「登り立」である。この天間の「登り立」は周りの高原は良く見える。見下ろせるほど高いが、しかし海は見えない。ところがもう一つの「登り立」、別府駅の南側の浜脇区の「登り立」の方へ行くと、本当に良く見える。そこまで行かなくとも、「河内(こうち)」まで歩いて登って行くと目の下に温泉街と海が見え、国東半島の方まで良く見える。鴎(かもめ)はもちろん来る。ということで、まさに「海原は鴎立ちたつ」。

 おそらく関西弁の「どんつき」=「突き当たりとなる場所」と同じで、そこから崖に成っている所を、「登り立」と言っているようだ。今残っているのは二カ所だけだが、昔はもっと有ったようだ。そういう「登り立」の所へ行って、振り返って温泉街を望んだ歌である。

 ここで「八間跡」を「はまと」と読むべき根拠がでてくる。ここ「登り立て」が浜脇(はまわき)区であり、浜脇区と言う言葉が出来るということは、別府の中心が「浜(はま)」と呼ばれていたことを示している。そでなければ、浜脇という言葉が出来るはずがない。別府というのは官庁名で自然地名ではない。今は、北町・南町という名前が付いているが、その前は当然自然地名だった。推定だけではなくて、その先には、浜田・餅ヶ浜とか、いっぱい浜(はま)のある区名、地名がある。そうすると別府の中心を含んでこの海岸は浜と呼ばれていた。海岸だから、浜と呼ばれるのは当たり前といえば当たり前のことだ。

 さらに、さらに、意外なことに、別府湾から二キロぐらい入った所、鶴見岳寄りの別府の市街地を含めて温泉街がたくさんある。そこの字地名には「~原」がいっぱい有る。「国原は煙立ち立つ」の「国原(くにはら)」は、ただ国文学用語だと考えられてきたが、そうでなくて「~原」という地名だった。「~原」という地名の所に温泉街がある。「原 はら」という地名を背景に「国原」と言った。

 また舒明天皇が作った歌となっているが、これは筑紫万葉集から剽窃したものだ。舒明天皇の時期(7世紀後半)に作られた歌かも知れないが、それを万葉集の編者が強引に舒明天皇の歌に仕立ててしまった。第1歌が雄略天皇の歌に強引に仕立てられた(この問題も機会があったら取り上げたい)のと同じように、第2歌を舒明天皇の歌に無理矢理仕立ててしまった。そのむりやり舒明天皇の歌に仕立ててしまったところから出発して、国学はいろいろの屁理屈を付け、無理矢理説明を重ねてきた。その結果、ここでも、第一史料である歌の矛盾が露出した。

 以上より、別府の鶴見岳が万葉集第2歌の「天香具山」である。これは奈良県の歌ではない。

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