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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
487 ロシア革命の真相(4)
アナーキズム 対 ボルシェヴィキ(2)
2006年4月30日(日)


 ボルシェヴィキがどのように変節していったのか。いや変節ではない。リバータリアンの衣を脱ぎ捨てて、その本来の「犯罪的愚鈍」(大杉栄全集「クロポトキンを思う」)の姿をあらわにしていった。その「犯罪的愚鈍」の姿を追おう。

 「全ての権力をソヴィエトへ」というスローガンのソヴィエトとは、アナキストにとっては正に文字通り「任務を命じられたリコール可能な代理人を基礎とし、直接的に社会を運営する労働者階級の組織」を意味していた。
 それに対してボルシェヴィキにとってこのスローガンは、ソヴィエトの上にボルシェヴィキ政府を作り出す手段でしかなかった。

 『アナキストが宣言したように「権力」が本当にソヴィエトに属すのならば、それがボルシェヴィキ党に属すことなどあり得ず、ボルシェヴィキが想像しているようにボルシェヴィキ党に属すのであれば、ソヴィエトに属すことなどあり得ないのである。』

 1918年の春と夏のソヴィエト選挙ではボルシェビキは大敗した。しかしボルシェヴィキの軍隊が、大抵、そうした地方選挙の結果を転覆してしまった。
 たとえばペトログラードの選挙。1918年3月に終わる任期中、政府はペトログラード=ソヴィエトの総選挙を絶えず延期していた。明らかに、政府は野党が票を多く獲得することを恐れていたのだ。
 ペトログラードでの選挙の結果、ボルシェビキはそれまで掌中に収めていたソヴィエトの過半数を失った。しかしなおも最大の政党であり続けていた。選挙はほとんど無意味なものになっていた。

『ボルシェヴィキが圧倒的な強さを持っていた労組・地区ソヴィエト・工場委員会・地区労働者会議・赤軍部隊・海軍部隊にかなりの数の代表がおかれ、ボルシェヴィキの勝利が保証されていた』

 つまりボルシェヴィキは、自分たちの代理人でソヴィエトを圧倒することで、ソヴィエトが持つ民主的性質の土台を崩したのである。ソヴィエトで拒否されそうになって、ボルシェヴィキは自分たちにとって「ソヴィエト権力」は党の権力なのだということを示したのである。権力の座に留まるために、ボルシェヴィキはソヴィエトを破壊せねばならなかった。そして、破壊したのだ。ソヴィエトシステムは、名前だけの「ソヴィエト」にされた。

 「生産の労働者管理」についてもボルシェヴィキはその本来の意味を捻じ曲げていった。
 アナキストと労働者工場委員会はそれを『工場委員会の連合を通じた労働者による生産管理それ自体(つまり賃労働の廃絶)』と考えていた。
 レーニンは『労働者管理』を単に『資本家よりも優れた、普遍的で包括的な労働者管理』と見なしていた。
 レーニン(ボルシェヴィキ)の提案は徹底的に国家主義で中央集権主義だったのだ。それに対して、工場委員会の実践は本質的に現場主義で自律的だったのである。

『労働者組織が(ボスよりも)効果的な管理を行うことができるならば、労働者組織はあらゆる生産を請け負うこともできる。その場合、民間産業の撤廃を即座に漸次的に行い、それを集団的産業に置き換えることができるだろう。従って、アナキストは、「生産の管理」という曖昧で不明瞭なスローガンを拒否したのである。アナキストが支持したのは集団的生産組織による民間産業の――漸次的だが即時の――収用であった。』

『ソヴィエト権力の最初の数ヶ月間で三度、(工場)委員会の指導者たちは自分たちのモデルを現実のものにしようとした。それぞれの地点で、党指導部は彼等の発言を封じた。その結果、経営権限と管理権限の双方を、中央当局に従属し中央当局が作り出した様々な国家機関に与えることになったのである。』

 結局レーニンは、1918年4月に(国家が上から指名した経営者を使った)「独裁的」権力で身を固めた「ワンマン経営」に賛同し、それを導入したのだった。

 1918年以来、アナキストはボルシェヴィキ独裁下のロシアを「国家資本主義」の国と呼ぶようになた。個々の資本家(経済的支配者)はいなくなったが、個々の資本家が行っているのと同じ役割をソヴィエト国家官僚制が果たしているからである。(「国家資本主義」という言葉を、私は大杉栄の論文で初めて知った。大杉栄の造語かと思っていたが、もっと普遍的な用語だった。)

 さらに、軍隊組織(赤軍)の変貌。
 1918年3月、ブレスト-リトフスク講和(ドイツ・オーストリアとの講和)の後に軍事コミッショナーに任命されたトロツキーは、すぐに赤軍を再編成した。それまで廃止されていた不服従に対する死刑が復活した。さらに段階的に、将校には、特別な敬称・別個の兵舎といった特権を持つようになった。将校の選挙を含む民主的組織形態は、すぐさま撤廃された。
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