2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(30)

アメリカ属国化路線を敷いた張本人(2)


 東京新聞夕刊のコラム「大波小波」が久々に私の思いと共鳴した。
 1989年には昭和と平成と、元号が二つあるが、今や大学生の約半数は平成生まれ。大学の教室での昭和は〝同時代的現実″ではない〝歴史的事実″だ。

 昨今の若者たちの間での『蟹工船』ブームを、吉本隆明はここ数年の経済的な低迷以外に鬱屈(うっくつ)した日本の状況と重ねて〝第二の敗戦期″と指摘したが、若者たちには世界の経済戦争、いやアジアの中でさえ敗れたと言える平成の〝戦後社会″のあり方は切実だろう。

 それだけに1945年を境に昭和の戦後を跡づける試みが今ほど必要な時はあるまい。″第二の敗戦期″を乗り越え、進むべき方向性を示唆する可能性があるからだ。

 うつてつけの材料はこの国のリーダー像だ。昭和の敗戦後は自らの政治信念を貫こうとはしても、政権を途中で投げ出した首相などいなかった。二代続けてこの国にそれが現れるとは。

 第二の敗戦国から這い上がるために、若者がしらけず従順を良しとせず、怒りを爆発させる時機が到来している。

 特に、強調部分(青字)に共鳴した。この文章を私のホームページのテーマと重ねるのは我田引水に過ぎるだろうか。

 しかし、私が「うつてつけの材料」と考えたのは「この国のリーダー像」ではなく「人民の抵抗運動」である。ほとんどの「この国のリーダー」は、「政権を途中で投げ出した首相」たちと本質的に違いはない。「この国のリーダー像」には活路はない。抵抗運動を闘った人民群像にこそ、未来を開くカギがある。

閑話休題。

 日本国憲法が公布された1946年11月3日、「日本国憲法記念式典での勅語」において、天皇ヒロヒトは次のように述べている。

 本日、日本国憲法を公布せしめた。この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであって、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によって確定されたのである。即ち日本国民は、みずから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国家を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。朕は国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。



 「神聖ニシテ侵スヘカラ」ざる大元帥という大日本帝国の絶対君主から、「国政に関する権能を有しない」象徴天皇となり、天皇には「国政に関する権能を有しない」と定めた新憲法を「正しく運用」すると誓っている。しかし、この誓いはヒロヒトにとっては口先だけのおためごかしに過ぎなかったようだ。こう誓った舌の根の乾かぬうちに、元首のような憲法違反の言動をしまくっていったのだった。ヒロヒトは右翼政治家たちの憲法無視の言動が幅を利かせている現況の源流でもあったというわけだ。

 ヒロヒトの元首のような言動は占領軍の総司令官マッカーサーとの間で執り行われたもので、もちろん、当時はおおやけにされてない。しかし現在では、さまざまな新資料が発掘されていて、その会見で取り交わされた会話の内容が明らかにされている。そうした研究の中で最も信頼性のあるものとして注目をされているのは豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫)だ。この本も教科書として追加しよう。

 ヒロヒト・マッカーサー会見は11回行われている。その会見は、言ってみれば、国体護持と自らの保身を画策するヒロヒトと、日本を対共産圏の前線基地化しようと目論むマッカーサーとの駆け引きの場であった。

1945年9月27日 第1回会見

「私は、国民が戦争遂行に当たって政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する全責任者を負う者として、私自身を貴方の代表する諸国の裁決に委ねるためお尋ねしました。」

 これは、この会見でのヒロシトの発言とされている言葉である。マッカーサーがこの言葉に「大きい感動に揺さぶられた」ということとセットで、ヒロヒトが自らの身を投げ捨てて臣下の安全を願った〝美談″として流布されている。

 この言葉の出典は『マッカーサー回想録』であり、他にはその事実を示す資料は一切ないという。また、『マッカーサー回想録』には誤りが多いという事実からも、ヒロヒトのこの言葉の信憑性は疑われてきた。そして、上の言葉と次の事との矛盾は決定的である。

 この会見の二日前(9月25日)、「終戦の決定ができた天皇が、何故、開戦を止められなかったのか」という『ニューヨーク・タイムズ』特派員の辛辣な質問に、「宣戦の詔書を、東条大将が使用した如く使用する意図はなかった」と、ヒロシトは文書で回答している。責任を東条に押しつけ、自らの戦犯訴追免除を謀るようなこの回答は、明らかに「米大統領へのメッセージ」としての意味をもっていた。

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はじめまして^^
通りすがりにお邪魔させて頂きました^^ 応援ポチッ!!
宜しければ私のところにも遊びに来てくださいね♪
2008/10/05(日) 22:10 | URL | @音三昧 #-[ 編集]
『陸軍と海軍が協力しないと、戦争には勝てないと、(陸軍の杉山元、海軍の永野修身に、)常々言ってきた』と、昭和天皇は、独白録の中で言っています.
他方、戦局の悪化につれ、『杉山元は、やります、やりますと口では言うけれど、何もできはしない』とも、言っています.
1.『陸軍と海軍が協力しなくては、戦争には勝てない』、太平洋戦争の場合、これは正しいです.
2.『だから、陸軍と海軍は協力しろ』
3.『陸軍と海軍が協力できないならば、戦争には勝てないので、戦争を止めろ』
昭和天皇の言葉は、『1.2.』だけで、『3.』はありませんでした.
2009/07/11(土) 21:38 | URL | ルミちゃん #SFo5/nok[ 編集]
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