2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
《「真説・古代史」拾遺編》(19)

「倭」と「日本」(3):初期の和風諡号の形式について


 吉本隆明さんが『共同幻想論』の「起源論」の中で和風諡号の形式について論じているのを思い出した。『「倭」と「日本」』というテーマには直接関わらないが、「倭国」と「日本国」との関係を示唆する内容が含まれていると思うので、紹介したい。

 吉本さんが取り上げている諡号は次の通りである(吉本さんが下線を付してる部分を赤字で、二重線を付してる部分を青字で表した。)

カムヤマトイハレヒコ    神武
カムヌナカハミミ 綏靖
シキツヒコタマテミ 安寧
オホヤマトヒコスキトモ 懿徳
ミマツヒコカエシネ 孝昭
オホヤマトタラシヒコ 孝安
オホヤマトネコヒコフトニ 孝霊
オホヤマトネコヒコクニクル 孝元
ワカヤマトネコヒコオホヒヒ 開化
ミマキイリヒココイニエ 崇神
イクメイリヒコイサチ 垂仁
オホタラシヒコオシロワケ 景行
ワカタラシヒコ   成務
タラシナカツヒコ 仲哀
ホムタワケ(オホトモワケ) 応神

 これらについて、次のように述べている。

 たとえば神武のばあい〈カムヤマト〉が姓であり〈イハレヒコ〉が名である。そして〈カムヤマト〉などというとってつけたような姓はありえないとすれば、それは後になって〈神〉という概念と〈倭(ヤマト)〉という統一国家の呼称をつなぎあわせることにより、神統であり同時に国主であることをしめそうとして名付けられたものと考えることができる。そして〈イハレヒコ〉の〈イハレ)はおそらく地名であり、この地名は出身地を語るか支配地を語るかは不明であるとしても、〈イハレ〉という地名と関係があると擬綴定された人物であるとみることができる。

 このようにかんがえてゆくと、初期天皇の和名は〈ヒコ〉、〈ミミ〉、〈タマ〉、〈ワケ〉などを字名の中心的な呼称として、その最も前(ときには後)に姓をつけ、直前(あるいは直後)はおそらく地名を冠しているというのがきわめて一般的であるということができよう。もちろん例外をもとめることもできる。

 これらの姓名の解釈の詳細は古代史の研究家にまかせるとしても、これらの初期天皇群につけられた〈ヒコ〉、〈ミミ〉、〈タマ〉、〈ワケ〉などが、いずれも耶馬台的な段階と規模の〈国家〉群にお ける諸国家の大官の呼称であるという事実はここでとりあげるに価する。このうち〈ワケ〉は応神以後にあらわれるとしても、それ以外は魏志に記載された官名に一致している。

 たとえば〈ヒコ〉は、魏志によれば、対馬国、一支国、など邪馬台から遠隔の国家の大官の呼称であり、〈ミミ〉は投馬国、〈タマ〉は不弥国の大官の名とされている。

 もちろんこれらの初期天皇が魏志を粉本にして創作されたといおうとしているのでもなければ、これらのいずれかの国家の支配者として実在したといおうとしているのでもない。現在の段階ではこれらについて断定することはどんな意味でも不可能である。ただわたしたちは、これらの初期天皇の名称から、これらの世襲的な宗教的王権の規模が、たかだか耶馬台的な段階と規模の〈国家〉をしか想定していなかつたということを問題にしたいのだ。

(中略)

 さもあれ、『古事記』の編者たちの勢力は、かれらの先祖たちを描きだすのにさいしてたかだか魏志に記された邪馬台的な段階の一国家あるいは数国家の支配王権の規模しか想定することができなかったことはたしかである。この事実は初期天皇群のうち実在の可能性をもつ人物がきわめて乏しかつたにしろ、そうでなかったにしろ、かれらの直接の先祖たちの勢力が耶馬台的な段階の国家の規模を占めていたにすぎなかつたことを暗示しているようにおもわれる。



 古田さんと「古田史学の会」の方々による古代史研究の成果を知っている私(たち)から見ると、古代国家や「邪馬壱国」については、もう少し特定的なことを言ってもよいように思えるが、「共同幻想論」は古田史学が世に出る以前の著作であるから、やむを得ないだろう。それにしても、本質的な誤りはなく、ヤマト王権一元主義からは自由で周到な論述はさすがである。

 さて、初期大王の和風諡号の形式についてまとめると、吉本さんはおおよそ「青字部分の官位を表す名称が中心で、赤字部分が姓または名であり、黒字部分は美称である」と考えている。

 この仮説の妥当性についてはいろいろ議論があると思うが、私が注目するのは強調部分(青字)である。「〈ヒコ〉、〈ミミ〉、〈タマ〉、〈ワケ〉などが・・・諸国家の大官の呼称であるという事実」を記憶にとどめたいと思う。これからの進行過程のどこかで、この問題と交叉することがあるかもしれない。

 ところで、吉本さんは「ネコ」を姓または名前と考えているようだが、これには異論がある。「倭根子」の「根子」を、岩波古典文学大系「日本書紀」の補注で「大地に伸びる樹木を支える意から、国の中心となって国を支えるものの意」と解説している。つまり、単なる美称と解している。私はこれにも異論がある。

 「根」は「事のおこるもと。物事の元をなす部分」の意であり、「子」は「親から生まれたもの。また、それに準ずる資格の者」の意であろう(ともに広辞苑による)。つまり「正統」・「本家」・「本流」という意が込められていると解するのが妥当だと思う。これからお世話になる予定の諸論文は、このような解釈が妥当であることを示してくれるだろう。

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