2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(28)

国会突入闘争に対する諸反応


 11・27国会突入闘争という歴史的大闘争の爆発に恐怖して、「あらゆる手段を講ずる」と、自民党川島幹事長が声明を発した翌日、さっそく支配階級は「手段」を講じ始めた。自民党の「浅沼懲罰動議」、法相の「全学連と共産同への破防法適用検討」、国家公安委員長の「国会デモ規制立法」、そして警視庁公安一課長は「浅沼逮捕ありうる」と脅しを掛けてきた。

 ところが、この歴史的大闘争の爆発に恐怖したのは支配階級だけではなかった。支配階級以上に左翼既成指導部が恐怖した。

 彼らは、「安保は重い」という口実のもとに、自已の日和見主義をつねに隠薇し、正当化し、突出した闘争を圧殺してきた。いま、その捏造された口実が大衆的にふっとばされ、その日和見主義が暴露されるに及んでは、権威の座がおびやかされてしまう。しかも、大衆の巨大なエネルギーは、議会主義-平和革命路線のワクを乗り越えようとしており、放置することはできない。さらに、その先頭には歴史的登場をかちとった革命的左翼が存在しているとすれば、事態は二重の意味で戦慄であった。



 まず、社会党は浅沼書記長がその日のうちに記者会見をし、次のような表明をした。


 社会党の任務は請願を斡旋することだった。

 国会に全員が入ったことは遺憾。

 乱入を煽動し、実行したのは全学連……

 総評の対応にはいささか違う色合いがあった。「斡旋の任に当たるのが総評だった」とはいえないし、万余の組合員が突入した事実も弁解の余地はなかった。総評は労働者たちの戦闘的雰囲気に、否応なく背中を押されたていた。幹事会は翌日長文の声明を発表し、予想される支配階級の反撃にたいして、本能的に身構えた。その声明の主旨は次のようであった。


 闘争は憲法違反の安保改定と首切り反対の怒りの爆発だった。

 ベトナム賠償や戦闘機買い入れにみられる悪政をおおいかくすために、政府自民党が事前に警察と組んで、陳情団を挑発し、計画的に国会内に追い込んだ。

 請願権封殺の結果である。

 秩序ある統制がとれなかったのは遺憾である。

 政府の責任転化と弾圧にたいしては断乎として対決する……。

 労働者は勝利の感激を満喫していた。とくに、東京地評を中心にした戦闘的労働者は、国民会議を激しく突き上げて、今回の第八次統一行動における「三方面戦術」を提起して、その実現をかちとった。11月30日の東京共闘会議は、日共系八割にもかかわらず「国会突入は全く正当、全学連支持」を確認した。

 また、同日の日共都地区委員長会議は、党中央の「乱入は全学連の一部トロツキストの挑発である」という報告に反対して、全学連にたいしては「第九次統一行動の成功のため共に闘わん」の激電を送った。

 さらに、社会党青年部は、12月2日、「党中央は、労働者・学生が大挙国会前庭に入った行動に対して大衆運動に水をかけ、安保国民会議を右よりに改組しようとしている」との要求書を党中央に提出した。

 日共中央は「乱入は全学連の一部トロツキストの挑発である」という見解を『アカハタ』で執拗に繰り返した。12月2日の紙面を除いて約半月間、連日にわたって反トロキャンペーンで埋めつくしたのだった。しかし、下部組織には不満が横溢しており、学生細胞は意見書を提出した。不満の強さに音をあげた党中央は、防戦に大わらわだった。

「よく考えてみる必要がある。大会で選ばれ、多くの長い経験を経てきた幹部がどうして現段階で、このくらいのことで日和見をおこしたり、動揺したりするだろうか」(高原晋一『前衛』60年2月号)

 その日共中央は、奇妙なことにただ一点に関して全学連の"盟友"を装った。国民会議幹事会において社会党が「全学連除名動議」を出したのにたいして、日共は「団結をかためる方向で前進的に解決すべきである」と主張して、除名に反対したのである。だが、この反対は明らかに党利党略によるものだと、蔵田さんは次のように分析している。


 日共が全学連除名に賛成したとなると、全学連内部における日共系自治会の立場が決定的に不利になり、自治会ヘゲモニーの維持さえ困難になるということ。というのは、いまとはちがって、当時の「ポツダム自治会」への大衆的信頼度と権威は高く、自治会の二重権力などは想像もできなかったからである。

 全学連を排除したい気持ちは社会党以上に強い。だが、排除後の全学連は、全学連の決定を自治会の方針として持ち込むことになり、そうなると、少数派=日共系自治会が学生運動における「統一と団結の破壊者」となる。それよりも、国民会議の足カセをはめて、国民会議→民主勢力→その統一と団結……という図式で、全学連をゆさぶった方がはるかに得策である、
と考えたにすぎない。否、この図式は、日共が自己の日和見主義と反革命を演じるための唯一のよりどころであり、有力な手段であった。事実、日共派は安保闘争の全過程を通じて、この論法を最大限に活用し、全学連における右派勢力の結集をはかったのである。



 さらに蔵田さんは、革共同のとった対応にも触れている。

革共同関西派
 関西派は、国会デモにこだわる街頭カンパニア主義は、裏返しの議会主義であり、生産点と切断された街頭デモは、階級関係をかえない、と主張して、次のような「左翼的論理による右翼的」方針を提起した。

「『国会デモ事件』から正確な教訓を引き出さねばならない。すでに事態が明白である今日、再び同じ道を歩む事、単純な街頭の非武装の戦闘でもって勝利をかちとろうとする事は、次には革命勢力にとって重大な打撃を招であろう。もしこの道を辿るならば青年学生の『純真』さは最悪の冒険主義に変ずるであろう。それは全闘争を瓦解させてしまい得るのである。労働者諸君! 学生諸君! 正確な戦術をもってブルジョアジ―の弾圧を粉砕しよう。ただちにその態勢を整備しよう。敵の弾圧をはねかえすスト態勢をとろう……」(西京司「国会デモとプロレクリアートの任務」『世界革命』号外59年2月28日)

 一方、革共同全国委は、闘争の意味を高く評価しながらも、論評のレベルにとどまった。

「わが階級闘争の危機は……かかる民衆の政治的高揚が、全体的には、虚偽のプログラムによって導かれているという危機の根幹そのものに、革命的左翼の自覚が集中していなかったことにある。……かくして、われわれの任務は、スターリン主義打倒、革命的プロレタリア党のための闘いということでなくてはならない」(武井健人「民主主義の危機とプロレタリア運動」『安保闘争』60年)

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