2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(27)

11・27国会突入闘争


 11月27日の安保反対第八次統一行動は、合化労連、炭労24時間ストを中心に、全国で200万の人民が参加した。

 東京では3万名の労働者と学生が、三方面から国会を包囲した。正門前集会では、社会党浅沼書記長が宣伝カーの上からアジ演説をしていた。

「青年の血を売る安保改定に断乎反対しよう‥…。国会への請願権は大衆全員にあるはずだ。にもかかわらず、国家権力はトラックを並べてこれを阻止している。全く不当である。今日は代表団ばかりではなく、全員で請願しよう」

 しかし、このアジテーションは〝沼さんラッパ″にすぎなかった。その証拠には、国民会議と警視庁は事前協議をして、「代表団だけが請願をすませ、正門チャペルセンター前部隊だけが国会正門を左折して、人事院通りの部隊と合流し、流れ解散をする」という予定になっていたのである。この密約のために、当日の警備体制も「完全阻止線」ではなかったのだ。

 ところが、この密約を知るべくもない大衆は、この〝沼さんラッパ″をまともに受け取り、当時大衆的人気を博していたこの指導者に、万雷の拍手さえ送った。

 全学連の方針も不明確だった。前夜の書記局会議では「国会突入をめざす」という方針のもとに部隊配置は決めたが、それ以上の戦術・行動方針は検討しなかったし、いかなる見通しももちあわせていなかった。

 だが、〝沼さんラッパ″は全学連にとってこのうえない大義名分だった。身に寸鉄を帯びない学生は、ブント活動家を先頭にして、装甲車が並んでいない歩道の機動隊のカベをめがけて突撃をくりかえした。そして遂に、国会正門チャペルセンター前の都職労を中心にした部隊のうち、法政大社学同を先頭にした300名の学生部隊が、行く手を阻んでいた機動隊5000名の厚いカベを実力でうち崩し、最初に国会構内に突入した。

 しばらくして日共の志賀義雄が血相をかえてとんできた。「諸君に本当の勇気があるなら、私に従って引き揚げて欲しい」と長口舌をふるいはじめた。だが、彼のあとに従ったのは立教大生など数十名だった。神山茂夫も、デモ隊と乱闘を演じて構内警備の役割を代行した。

 その直後だった。特許庁前の部隊が東大生を先頭にして機動隊の厚いカべを粉砕して、国会構内めざして殺到してきた。また、チャペルセンター前の部隊も合流し、構内からうち振られる自治会旗に呼応して、国会構内の土手にかけ上り、ヘイを越えて、ついに万余の大衆が国会構内を赤旗の波で埋めつくした。

 首都三万余名の労働者・学生は、文字通り、国会請願と抗議を実力でかちとり、〝神聖、なる議会"という幻想のベ―ルをはぎとった。労働者・学生たちは歓喜した。指導部の必死の説得も、怒号と罵声にかき消された。浅沼書記長は「院内のことは我々がやる。諸君は目的を終えたのだから帰ってくれ。さあ安保反対の万歳をやろう」と熱弁をふりしぼった。だが、だれひとりとして唱和するものはいなかった。

 労働者・学生たちは、自衛隊出動のウワサのなかで、数時間にわたって国会占拠闘争を貫徹し、自らの意志と決意を示した。この強い決意を示したのは、たんに不特定多数の人たちばかりではなかった。たとえば、日共本部サイドのメンバーさえも、幹部会員の鈴木市蔵だけが門柱の外に踏みとどまったのを例外に、他の全員が〝請願者"になってしまったのだった。

 この人民の巨大な闘争の爆発に自民党代議士たちは「革命だ!」と叫んで院内でうちふるえていた。政府自民党はこうした不安を鎮静するためにも、強い決意を表明する必要があった。自民党川島幹事長は、構内の静寂をみはからって、5時すぎに記者団をまえに頬を紅潮させながら簡単な声明を読みあげた。

「国会の神聖を侵した暴徒と破壊勢力に対しては断乎として対決する。議会主義を擁護し、民主主義を守るため、あらゆる手段を講ずる」(「朝日新聞」59年11月28日)

 この11・27国会突入闘争を、蔵田さんは次のように評価している。

 11・27国会突入闘争は、安保全学連がうち立てた最初の金字塔であり、この日本階級闘争史上初の快挙において、革命的左翼はその真紅の旗を、人民大衆の面前にうち立てることができた。



スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1111-e9f17655
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック