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486 ロシア革命の真相(3)
10月革命
2006年4月29日(土)



 スローガン『全ての権力をソヴィエトへ』を掲げて勢力を伸ばしていたボリシェヴィキに対して、メンシェヴィキと社会革命党は臨時政府に6人の閣僚を出していた。ボリシェヴィキは臨時政府不支持を基本方針の一つとしていたので、当然、ボリシェヴィキとメンシェヴィキ・社会革命党との対立は深まっていった。(以下の日付はロシア暦)


7月3~4日 七月事件
 ペトログラードで約40万人の労働者・兵士が「全ての権力をソヴィエトへ」をスローガンに掲げて武装デモ。臨時政府はこれを鎮圧、ボリシェヴィキへの弾圧を強める。レーニン、再び亡命(フィンランド)。

7月7日
社会革命党のケレンスキーが臨時政府の首相となる。

9月5日
 モスクワ=ソヴィエトでボリシェヴィキ勝利。

9月20日
 ペトログラード=ソヴィエト、トロッキーを議長に選出。

10月7日
 レーニンがペトログラードに戻る。

10月10日
 レーニン、武装蜂起を主張。党中央委員会が採択。

10月13日
 ペトログラード=ソヴィエト内に軍事革命委員会が組織される。

10月24日 10月革命
 ボリシェヴィキ、武装蜂起。

10月25日
 全ロシア=ソヴィエト大会。メンシェヴィキ・社会革命党、武装蜂起に反対して脱退。

10月26日
 全ロシア=ソヴィエト大会、「平和に関する布告」・「土地に関する布告」を採択。人民委員会議(ソヴィエト政府)成立。議長にレーニン、外務委員にトロッキーを選出。


 2月革命が労働者大衆を主体とした下からの革命であったのに対して、10月革命はいわばボルシェヴィキによるクーデターであった。しかしアナキストは 10月革命でボルシェヴィキと共に行動した。なぜなら、ボルシェヴィキはその国家主義イデオロギーを隠してソヴィエトを支持していたからである。

『アナキストは現実に、10 月革命におけるボルシェビキの無名の同盟パートナーだった』([サミュエル=ファーバー「Before Stalinism」)

 しかし、ボルシェヴィキが権力を握ると事態は一変した。アナキストもボルシェヴィキも多くの場合同じスローガンを使っていたが、その間には重大な違いがあった。

『アナキストの口と筆から出るスローガンは誠実で具体的だった。なぜなら、アナキストの原則に一致し、そうした原則に完全に合致した行動を呼びかけていたからである。だが、ボルシェヴィキの場合、同じスローガンは、リバータリアンのスローガンとは全く異なる現実的解決策を隠しており、スローガンが表現していると思われる思想とは一致していなかったのである。』(ヴォーリン「知られざる革命」)

 10月革命は二つの意味があったということになる。
 一つは社会革命に参加した労働者大衆とアナキストの10月。労働者と農民の10月は、平等と自主管理の名において寄生階級の権力を廃止することである。
 もう一つは、社会革命を推進する労働者大衆から権力を奪い、革命の十全な発展を裏切り、革命の息の根を止めた政治政党・ボルシェヴィキの10月。ボルシェヴィキの10月は、党による権力略取であり、大衆を支配するための「国家社会主義」の導入である。

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