2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(26)

ブント全学連の成立


 第2回で掲載した年表のうち、1959年、1960年の分を、『島成郎を読む』を参考に再構成する。

1959年
3 安保改定阻止国民会議結成
4・28 全学連、安保反対第一次統一行動
5・15 全学連、第二次統一行動
6・5 全学連第14回大会。ブント指導権確立
6・9 ブント第2回大会、革共同メンバー排除決定
6・25 全学連、第三次統一行動
8・26 革共同第二次分裂。革共同全国委結成
9・26 日共都党会議。港、千代田地区委、中央攻撃
10・30 全学連、反安保全国スト
11・27 安保反対第八次統一行動。全学連全国ゼネスト、国会包囲デモ、労働者学生二万数千名国会突入。
12・10 全学連中央集会。国会デモ中止


 1959年、この年の1月にキューバでは革命が成功して、カストロ政権が成立している。地球の裏側の日本では日米安全保障条約の改定をめぐる階級闘争の攻防の幕が切って落とされた年であった。

 島成郎(しま しげお)を委員長に、1958年12月に結成された共産同(ブント)は、第14回全学連大会で主導権を握り、唐牛健太郎(かろうじ けんたろう)を委員長選出した。唐牛の委員長就任は島の強い要請に応えたものであった。島と唐牛は全学連安保闘争を牽引する車の両輪であった。『唐牛健太郎追想集』に自民党の加藤紘一が次のような追悼文を寄せている。ちなみに、加藤さんは安保闘争当時東大生であり、父が自民党代議士であったにもかかわらず、全学連のデモに「3回だけ参加した」という。

「昔なら唐牛さんは、農民運動の名指導者になっていたのではないだろうか。人間を見る目の確かさ、鋭さ、暖かさは、保守・革新の枠を超え、われら『60年安保世代の親分』と呼ぶにふさわしいものだった」

 さて、安保闘争の第一歩は、59年3月の「安保改定阻止国民会議」の結成にはじまる。結成大会には136団体、700が参加している。この国民会議が年安保闘争の統一戦線的推進母体となった。幹事団体は、社会党、総評、中立労連、全日農、原水協、護憲連、日中国交回復会議、日中友好協会、日本平和委員会、全国基地連、人権をまもる婦人協議会、東京共闘会議、それに、中央青年学生共闘会議の13団体であった。日共はオブザ―バー参加であった。

 全学連は青学共闘の一構成メンバーとして国民会議に参加した。青学共闘には、全学連の他に社会党青年部、日共青対部、総評青年部、全日農青年部、全日本青年婦人会議の5団体が加盟していた。

 国民会議の実体は、総体的には、社共傘下の組織によって構成され、両者が形式的勢力を二分し、日共が実質的へゲモニーを握っていた。

 国民会議の第一波闘争は、4・15砂川判決支持、安保体制打倒、第一次統一行動であった。全学連も、四-六月闘争で数千名を結集して、第一歩を開始した。だが、国民会議と全学連はこの初発の時点で、非和解的な対立を内在させていた。国民会議が、先のスロ―ガンにあるように安保体制一般の「打破」をめざしたのにたいして、全学連は安保そのものの「粉砕」をめざした。安保体制打破勢力と安保粉砕勢力という、この二大図式は、国民会議内部における全政治的過程を貫く尖鋭な対決点だったのである。

 全学連は四-六月闘争の過程で、急速な再編をすすめた。革共同全学連は、春闘高揚期を〝第二の決戦″と位置づけ「予算闘争と完全就職要求」「春闘支援」「炭労スト支援デモ」を学生運動のスローガンに掲げて、それを実践した。しかし、革共同は、この労働者生産点主義、経済主義、非街頭主義のために、全学連のヘゲモニーを急速に失い、その城を共産同に明け渡すことになる。また、日共学生細胞でも、党章派に代わって構改派が日共学生運動のヘゲモニーを確立した。

 全学連第14回大会は、その党派再編の舞台となった。大会はかつてのように友好団体の挨拶や傍聴もないなかで、学生1000名を結集して開催され、内外注視のなかで四日間の激論のすえ、ブント路線を採択し、共産同執行部(唐牛健太郎委員長)を選出した。また、大会では、主として革共同系自治会から主導権を奪った構改派が、勢力を急増させ、反主流派の地位を確立した。共産同はこの構改派の拾頭を次のように分析した。

「『極左反対、全学連民主化、自治会を全学生のものに』等々、学生の中にある右翼的気分にのって政治方針ぬきの形式論、技術論、戦術論で主流派を攻撃し、若干の中間層をひきつけた」(「学生運動に巣食う日和見主義諸分派を粉砕して前進せよ」『プロレタリア通信』第14号59年6月)

 共産同全学連が最初に取り組んだ闘争は6・25国民会議第三次統一行動であった。全学連は全国50ヵ所、二万名(東京一万名)を結集して本格的な始動を開始した。さらに、恒例の8月第5回原水禁世界大会では、全学連は17の分散会において圧倒的な論戦を展開し、大会運営の主導権を握る日共と激しく対立した。日共は「原水禁運動と安保闘争を同一視するのは誤りである」(志賀義雄)と主張した。これに対して、全学連は「平和共存、東風西風論」を批判しつつ、次のように反論した。

「問題はそんなところにあるのではない。大会全体が安保反対を真正面からとり上げ、現実に政府に対決して闘う姿勢を整えようとしたのかどうかということなのである」(全学連書記局「9月8日を戦闘開始の合図とし9月18日秋期第一波全国闘争に結集せよ!」59年8月19日)

 大会では、全学連は労働者代表の「巨大な賛成」をかちとった。しかし、大会執行部は「分散会は決議するところではない」という口実を急造することによって、からくもその場をしのぐことができた。

 夏休み明け10月初旬、全学連は各派拮抗していたために流会となっていた都学連大会を3ヵ月ぶりで開催し、共産同執行部を選出し、首都の闘争体制を確立した。これをステップに、10・30単独ゼネストをうち抜いて進撃の第一歩を開始した。全国90校、121自治会、35万名の圧倒的規模の闘争を展開し、東京では一万名が結集して果敢なジグザグデモを行った。この10月闘争の爆発は、来たるべき激闘の前ぶれというにふさわしかった。

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 コメント
この記事へのコメント
でも東大全学連はだれ一人大学を止めず、殆どは搾取する側になったんだよね。
若者はみんな知ってるよ。
格差の原因は高給取りサラリーマンや公務員と、その道具(労組)だって。
2011/10/06(木) 00:54 | URL | #-[ 編集]
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