2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(23)

60年「改定安保」の問題点(1)


 本道に戻る。まず、51年「日米安全保障条約」の復習をしておこう。

 安保は、サンフランシスコでの講和会議の最終日(1951(昭和26)年9月8日)、対日平和条約(「日本国との平和条約」、通称「サンフランシスコ平和条約」)と抱き合わせで締結された。講和条約は、ソ連・中国・インドなどの反対を無視して、それらの国を除く旧連合国48ヶ国と日本との間で調印された。草案はアメリカ・イギリスだけで作成し、会議も討議も一切認めない議事規則で強行されている。

 この条約の最大の特徴は、日本の個別的・集団的自衛権を承認し、日本の再軍備とアメリカ軍隊の駐留継続を許容した点にある。さらに、沖縄・小笠原諸島におけるアメリカの施政権継続も盛り込まれており、アメリカの極東戦略が色濃く反映された条約だった。

 そして、安保がその「集団的自衛権と外国軍隊駐留継続」の具現化であった。敗戦後の連合軍による占領施政は終了したが、アメリカ軍隊の駐留継続により、実質的にはアメリカによる占領が続いてきたといえる。今日に至るまで、日本政府はアメリカの属国のような従米政策を続けてきている。

 この講和条約締結時の首相は吉田茂である。吉田茂の長男・吉田健一(英文学者)によると、吉田茂は講和条約締結の一週間ほど前からひどく不機嫌になったという。これを枕に、天木さんのブログ(9月13日)が、講和条約と吉田についてのおもしろい?(「重大な」と言うべきか)エピソードを取り上げている。天木さんは、豊下楢彦著「安保条約の成立ー吉田外交と天皇外交」(岩波新書)を用いながら、およそ次のように述べている。

 講和条約は日本にとって極めて寛大な条約であり、この条約を吉田茂は高く評価していた。しかし吉田は首席全権代表を強く拒んだ。つまり「ひどく不機嫌」だったのだ。なぜか。

 吉田は講和条約に署名したくなかったのではない。その直後に控えていた日米安保条約に署名する事が嫌だったのだ。吉田は、少しでも対等な条約をと、粘り強い交渉を重ねていた。これに対して、天皇の戦争責任をせまるソ連の影響を恐れた昭和天皇が、安保条約の早期締結を命じ、出席を渋る吉田に、はやく出席し、署名するように、と迫ったという。

 やむなく吉田茂は、日本国民や国会はもとより、全権代表団にさえ安保条約の実態を知らせることなく、責任をみずから一人に負わせる形で、サンフランシスコ郊外の米軍兵舎に一人赴いて署名した。つまり、今日もなお日本の桎梏となっている日米安全保障体制は、昭和天皇と米国の利害が一致して作られたのだ。

 さて、この51年に締結された日米安保の改定に向けての布石は55年の重光外相の渡米(「重光・ダレス会談)から始まる。そして、アメリカの意向と資金を背負ってのし上がってきた岸が登場し、安保改定は急ピッチで進行していく。

57年2月 岸内閣成立
57年6月 岸渡米、日米新時代宣言
58年9月 改定交渉開始

 以後20回に及ぶ日米交渉によって、安保改定という従米支配層の悲願がいよいよ成就目前となっていった。1959年の階級闘争は、この安保改定をめぐる攻防によつて戦端を切って落としたのだった。

 それでは、改定安保とは何だったのだろうか。何が問題だったのだろうか。ここでもまた、天木さんのブログ(2007年5月3日の記事)のお世話になろう。今度は全文を引用する。

ビル・トッテンという日本人

 昨日(4月2日)のブログでベンジャミン・フルフォードというカナダ人が日本のために「米国から自立しろ」と警鐘を鳴らしていると書いた。今日はビル・トッテンという米国人を紹介する。もっとも彼は最近米国籍を捨てて日本国籍を取得したので日本人だ。彼が米国籍を捨てた理由がふるっている。2004年8月に乗った米国の航空会社で厳しい身体検査を受け、「なぜこんなに厳しく調べるのだ」とたずねたら、お前は日本で米国の悪口を言ってばかりいるので米国のブラックリストに乗っているからだ、と聞かされ立腹し、これではもはや米国には住めないと決意したというのだ。9・11以降以降米国は変わったというのだ。

 そのビル・トッテン氏が「日本は略奪国家アメリカを棄てよ」(ビジネス社)という本を最近出版した。数ある対米批判の書のなかで、これほど分かりやすい本はない。この国の首相や官僚、財界をふくめ、米国の本質が何も分かっていない大方の日本人にとって、これは一読すべき本である。

 その中で私が最も注目したのは、日米安保条約こそ不平等条約であるという事実を喝破したくだりである。周知のように日米安保条約はサンフランシスコ講和条約を締結した1951年に、米国に恫喝されて吉田茂が単独で秘密裏に締結した条約である。そしてそれが10年経って期限が来る前に、米国に命令されて岸元首相が恒久条約化させられて今日に至っている。あの安保騒動の時である。

 安保改定の最大の改善点は岸元首相が頑張って、それまでの片務協定から、「米国が日本を守る」という事を義務付けた点であるということになっている。

 ところがビル・トッテン氏は、改定後の安保条約こそ不平等条約であるというのだ。つまり改定された安保条約をよく読むと、「共通の危険に対処するよう行動する」と書かれているだけで、どこにも「日本を守る」とは書かれていない事をあらためて日本人に教えてくれている。いったいどれほどの日本人がわずかA4二枚ほどの安保条約に目を通したというのか。

 この文言については今でも関係者の議論が分かれているのである。アメリカが共通の危険を感じる相手から攻められない限り、日本を守ろうとしないという解釈ができる。つまり中国や北朝鮮が日本を攻めてきても、その時点で中国や北朝鮮が米国の友好国となって米国にとって危険を感じる国でなければ、米国は日本を守ろうとしないのだ。そしてその現実が今まさに起きようとしているのだ。その一方で日本は米国の軍隊を日本全土に受け入れることを約束させられ、そのための人的、財政的負担を支払わされている。しかもこれからは「テロとの戦い」という日本の防衛とは何の関係もない米国の戦争の為に、ほとんどすべて日本の自衛隊が使われるのだ。これは大変な不平等条約ではないか。

 実はこの指摘こそ外務省が決して口に出さない、国民に知られたくない点なのである。突き詰めて言えば、日米安保条約は完全にその機能を変えてしまったのである。日米同盟を原点から見直すべき時にきているにもかかわらず、外務省はそれをごまかしているのである。これ以上の怠慢はない。これ以上の不誠実はない。

 それにしてもフルフォードといい、トッテンといい、日本のためを思って「米国から独立せよ」と言ってくれるのがカナダ人や元アメリカ人だけであるというのが、いかにも情けない。右翼も左翼も一致団結して日米関係を見直す努力をすべき時が来ている。彼らに日本国民を思う気持ちがあるのなら、今こそ日本の国益のために、「米国から裏切られる前に、日本のほうから日米関係を見直せ」と日本政府に詰め寄るべきなのである。



 「いったいどれほどの日本人がわずかA4二枚ほどの安保条約に目を通したというのか。」という天木さんの指摘に私の耳が痛いと言っている。教科書程度の知識で分かった気になっていた。次回、学習し直すことにしよう。

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