2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(21)

島成郎さんのこと


 、またまた、ちょっとバイパスへ。

 1959年~1960年の反安保闘争の詳しい学習が、この稿の最終目的である。いよいよその問題を取り上げる段になったが、その前に共産同書記長を務められた島成郎さんのことを書いておきたい。

 これまでの私の乏しい知識の中にも、60年安保闘争を戦い抜いた青年闘士たちの名がいくつか記憶されているが、島さんはその中でも一番印象強く記憶されている人である。私に島さんを強く印象づけたものの一つとして、私は次の吉本隆明さんの文章をすぐに思い出した。

 昨年の安保闘争では、学生たちとジグザグデモで「運動」(からだを動かすこと)したり、坐り込みでごろ寝したりして、精神衛生的にじつに愉快であった。わたしの肉体がまだまんざら衰えていないことを発見したのも、ひとつの収穫であった。やつはプチブル・ブランキストだとか、トロツキストだとかいうレッテルなぞは糞くらえである。

 また、わたしは、学生運動と思想的な共同戦線をはって力をかたむけてパルタイを攻撃した文章をかいた。このほうは、あまり愉快な思い出はない。わたしがささやかな支援をした共産主義者同盟と無党派の学生新感覚派は、思想的にも組織的にも安保闘争敗北の打撃をうけ分裂し四散してしまった。そして、陰湿な政治屋たちの組織に、安保闘争事後の局面をゆだねることになった。裏切りやぺテンも体験したが、この種の体験はあとになるほど胸くそがわるくなるものである。もっとも、共産主義者同盟の書記長であった島成郎君のように、爽やかな後味をのこした人物も稀ににはいた。

 こんなことをいうと、おまえはたかが安保ぐらいで頭にきた政治の素人だ、などという政治的屑がいるかもしれないが、屑はなにをやつても屑だし、爽やかな人物は何をやつても爽やかだということは、知っておいたほうがいいと思う。
 (『擬制のの終焉』所収「現代学生論 ― 精神の闇屋の特権を」より)



 この文章を読んだとき私は、吉本さんが賞賛してやまない島成郎という人のことを詳しく知りたいと思っていながら、果たせないでいた。この稿を進めているうちに、当然のことながら島さんが登場してきた。そこで、これを機会に、果たせないでいたことを果たしたいものと、ネット検索をしていて、『ブント書記長品成郎を読む』(情況出版)を知った。さっそく、それを図書館から取り寄せて、いま読んでいる最中である。ぜひ皆さんに紹介したい文章がいくつかある。適時それらを利用したいと思っている。

 今日は上記の本に収録されている吉本さんの『「将たる器」の人』という一文を転載しておこう。島さんは2000年に亡くなられている。そのときの追悼文である。

「将たる器」の人

 初めて島成郎さんにあったのは全学連主流派が主導した60年安保闘争の初期だった。島さんたち「ブント」の幹部数人がいたと思うが、竹内好さん、鶴見俊輔さんはじめ、わたしたち文化人(!?)を招いて、島さんから自分たちの闘争に理解を持って見守って頂きたい旨の要請が語られた。竹内さんなどから二、三の質問があって、島さんが答えていたと記憶する。確か本郷東大の向かいの喫茶店だった。

わたしが鮮やかに覚えているるのは、そんなことではない。その時、島さんは戦いは自分たちが主体で、あくまでもやるから、文化人の方々は好意的に見守っていてくださればいい旨の発言をしたと記憶する。わたしは、この人は「将(指導者)たる器」があるなと感じた。

 戦いはいつも、うまく運べば、何も寄与しないが同伴していた文化人の手柄のように宣伝され、敗れれば、学生さんの乱暴な振る舞いのせいにされる。この社会の常識はそんな風にできている。わたしは島さんが、そんな常識に釘を刺しておきたかつたのだと思い、同感を禁じ得なかった。

わたしは学生さんの闘争のそばにくつっいているだけだつたが、心のなかでは「学生さんの戦いの前には出まい、でも学生さんのやることは何でもやろう」という原則を抱いて60年安保闘争に臨んだ。それでもこのわたしの原則は効力がなかったかも知れないが、わたしの方から破ったことはなかった。島さんをはじめ「ブント」の人たちの心意気に、わたしも心のなかで呼応しようと思ったのだ。文字通り現場にくっついていただけで、闘争に何の寄与もしなかった。

島さんの主導する全学連主流派の人たちは、孤立と孤独のうちに、世界に先駆けて独立左翼(ソ連派でも中共派でもない)の闘争を押し進めた。それが60年安保闘争の全学連主流派の戦いの世界史的意味だと、わたしは思っている。闘争は敗北と言ってよく、ブントをはじめ主流となった諸派は解体の危機を体験した。しかし、独立左翼の戦いが成り立ちうることを世界に先駆けて明示した。この意義の深さは、無化されることはない。

 安保闘争の敗北の後、わたしは島さんを深く知るようになった。彼の「将たる器」を深く感ずるようになったからだ。

 わたしが旧「ブント」のメンバーの誰彼を非難したり、悪たれを言ったりすると、島さんはいつも、それは誤解ですと言って、その特質と人柄を説いて聞かせた。わたしは「将たる器」とはこういうものかと感嘆した。わたしなど、言わんでもいい悪口を商売にしているようなもので、島さんの一貫した仲間擁護の言説を知るほどに、たくさんのことを学んだような気がする。

 わたしの子供達は豪放磊落な島成郎さんを「悪い島さん」と愛称して、よく遊んでもらったり、お風呂に入れてもらったりしていた。わたしとは別の意味で、幼い日を思い出すごとに、島さんの人なつこい人柄を思い出すに違いない。

 知っている範囲で、谷川雁さんと武井昭夫さんとともに島成郎さんは「将たる器」を持った優れたオルガナイザーだと思ってきた。臨床精神科医としての島さんの活動については、わたしは語る資格がない。だが、この人を失ってしまった悲しみは骨身にこたえる。きっとたくさんの人がそう思っているに違いない。

(『沖縄タイムス』2000年10月22日朝刊より)



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