2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(20)

共産同(ブント)の結成


 警職法闘争が「奇妙な勝利」をかちとり、階級闘争が新しい展開局面を迎えようとしていたなかで、学生党員グループは、12月10日、ついに、全学連新党「共産主義者同盟」(ブント)を結成した。

「全国の青年同志諸君!! 我々はすぐる一年もブルジョア階級とのきびしい闘争にあけくれた。しかし、プロレタリア大衆の偉大な戦闘的意欲にもかかわらず、また、資本主義の死の苦悶にもかかわらず、世界革命への道程は峻しく、またさびしい。何故なら、真に革命的な指導部がどこにも存在しないからだ。……全国の青年同志諸君!! 我々の意図と思想と熱情は次の文書の中に未熟な言葉でつづられている。我々と思想を同じくし、ブルジョアジーと、彼等に死を与えるべき革命運動を毒しつづけている者達に対する、火のような憎悪に燃える同志諸君に、我々は熱情をもって訴える。日本労働者階級解放の革命的前進のために我々と共に進もうではないか。万国のプロレタリアート団結せよ!! 1958・12、東京」
 (「共産主義者同盟結成大会議案」『プロレタリア通信』第6号 58年12月)

「我々は一切の革命的空文句を拒否する。たとえ我々が正しい思想、正しい理論、正しい綱領をもって武装されたとしても、またそれがいくら多量のビラ、新聞の配布によって支えられようとも革命理論を物質化する実体が存在せねば全くのナンセンスである。(武器の批判は批判の武器にとって変ることは出来ぬ)組織の前に綱領を! 行動の前に綱領を!! 全くの小ブルジョアイデオロギ―にすぎない。日々生起する階級闘争の課題にこたえつつ闘争を組織しその実践の火の試煉の中で真実の綱領を作りあげねばならぬ。……組織は真空の中では成長しない。労働者階級の闘いが生起する課題に最も労働者的に、最も階級的に応えつつ闘争の先頭にたって闘うことによって、その党は革命的方針を渇望する労働者にこたえることが出来る」(同上)

 このときの学生たちの自負心と高揚した息づかいが聞こえるようだ。

 この新党結成の快挙の意義を、蔵田さんは次のように賛辞してやまない。

 かくて、革命的左翼はついに日本革命運動史上において無謬性を誇り、一枚岩の団結を誇示してきた前衛党神話の呪縛から自己を解放し、その崩壊を告げる弔鐘を、夜明けの空にうち鳴らすことになった。

 共産同がこう主張する(上記引用文・・・管理人注)とき、そこから演繹される第二の結論は、新党結成以外にはなかった。また、この点にこそが、革共同が歩んだそのすぐれて先駆的な道程と、その党組織=建設論における決定的な相違があった。

 すなわち、既述したように日本の革命的左翼のイデオロギー的源流となったトロツキスト連盟=革共同は、日本反スタ=トロツキズムのイデオロギー的伝導者=サ―クル集団として発足した。そのために、学習会や喫茶店オルグを中心にした「真空の中の党づくり」を建党路線(党組織戦術、運動組織論)とした。この建党=運動組織論は、やがて革共同(黒田)主義として結実する。すなわち、プロレタリア的人間の論理、党主体の確立、自己変革、綱領主義、党のための闘いの最優先……となった。

 これにたいして、共産同は「たたかうための党」を対置した。共産同にとって、党とは現実の階級闘争をもっとも極限的に自己貫徹しうる実体としての組織であった。そのためには、まずスターリニズムが裏切った過去の共産主義運動の歴史を墓場から掘り起こし、現実の階級闘争における公認前衛党の裏切りを武器によって批判し、その手段として、マルクスを引用し、トロツキズムにも学び、レ―ニン主義を復権させ、世界をもう一度独力で再構成していくことだった。その結果において、40年の歴史を誇る日本の公認前衛党の神話と権威を実践的に否定し、一枚岩の団結のしがらみから自己を解放し、当時「コペルニクス的転回」といわれた「別党コース」による新たな党を創成していくことであった。そのための作業は、階級闘争という烈火の試練のなかではじめて可能であった。



 蔵田さんが解説しているように、「革共同主義」と「共産同主義」における運動組織論の違いは本質的なものであった。それが、それ以後の革命的左翼の党派結成をたえず二分することになり、両者は鋭い相克の歴史を紡いでいくことになる。

 さて、全学連は、共産同結成大会直後の12月13日に、第13回大会を開催した。この大会では、一時的ながら、革共同系執行部(塩川喜信委員長)が多数派を占めた。この最大の原因を蔵田さんは、

 共産同の組織体制の不十分さ。

 新旧指導部の交替期にあって、共産同が人材難だったこと
に求めている。

 その13回大会は、過去のブント系執行部路線を次のように批判的に総括し、新しい方針を打ち出した。

「労働者階級の闘争が後退し、学生戦線の全体的沈滞がある現局面では、体制整備が主要な課題(であり)、後退期の学生運動に一揆主義的闘争方針を適用することは誤りである」(「全学連第13回大会議案書」58年12月)

 こうして過去の「連続的波状的ストライキ」戦術に代わって、

 学生運動の大衆化への転換

 イデオロギー活動の強化
を決定した。これに対して、共産同はこれを「清算主義」と批判した。

 この革共同全学連の登場を契機にして、学生運動前線は革共同(二派)・共産同・日共(二派)による三巴の党派闘争時代に入った。

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