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486 ロシア革命の真相(2)
アナーキズム 対 ボルシェヴィキ(1)
2006年4月28日(金)


 労働者と農民の自主的な活動のプロセスには、多くの政治政党と政治組織が関わりそれぞれの役割を果たしていた。特に活動的だったのはアナキスト・ロシア社会民主労働党(メンシェヴィキとボルシェヴィキ)・社会革命党(農民を支持基盤にした大衆主義政党)だった。

 アナキストはこの運動に参加し、あらゆる自主管理の傾向に賛同し、臨時政府を転覆することを強く主張していた。革命を純粋に政治的なものから経済的・社会的なものへと変換することが必要だと主張していたのだ。レーニンが国外追放から戻ってくるまで、革命をこうした路線で考えていた政治組織はアナキストだけだった。

 1917年4月、ロシアに戻ったレーニンはただちに、いわゆる「四月テーゼ」を発表した。それは二つの柱からなる。一つは第一次世界大戦を継続している臨時政府を支持しないこと、二つ目は労働者と農民によるソヴィエト共和国の樹立であった。
 当初、「四月テーゼ」にはボルシェヴィキ内でも反対があったが、レーニンはそれを党の基本方針として採択させることに成功する。『全ての権力をソヴィエトへ』 というスローガンを掲げて、革命を前進させていくことになった。

 アナキストは、工場委員会を中心とする生産の労働者自主管理運動において特に活動的だった。アナキストは、労働者と農民が有産階級を収用し、あらゆる形態の政府を廃絶し、自分たちの階級組織――ソヴィエト・工場委員会・協同組合など――を使って社会を下から再組織するように主張していた。『全ての権力をソヴィエトへ』というスローガンはアナキストの闘争の方向とも一致していた。いや、このスローガンはむしろ、アナキストの活動の影響によるものだったといえる。

 『全ての権力をソヴィエトへ』。このスローガンは、ボルシェヴィキにとっては、それまでのロシア社会民主労働党の立場からの分岐を意味していた。この方向転換によりボルシェヴィキは、直接行動を擁護し、大衆の急進的行動を支援し、それまでにアナキストが主張してきた様々な政策を支持したのである。このことによってボルシェヴィキは大衆の支持を勝ち取っていき、ソヴィエトと工場委員会の選挙で多くの票を勝ち取るようになった。  以上のような、アナーキズムとボルシェヴィキの関係には多くの証言がある。いくつか掲載しよう。

『ボルシェヴィキは、それまでアナキストが特に繰り返し表明していたスローガンを掲げ始めた。』(「知られざる革命」)

『ボルシェヴィキが声高に述べていたアナキストのモットーは、確実に結果を出していた。大衆はボルシェヴィキの旗を信頼したのだった。』(バークマン「アナーキズムとは何か」)

『一般大衆レベルでは、特に(ペトログラードの)守備隊とクロンシュタットの海軍基地の中では、ボルシェヴィキとアナキストの区別は事実上ほとんどなかった。無政府共産主義者とボルシェヴィキは、無学で元気がなく不満を抱えた同じ人口層の人々から支持を得ようと争っていた。そして事実はといえば、1917年の夏に、無政府共産主義者は、幾つかの重要な工場と連隊で享受していた支持と共に、紛れもなく出来事の方向性に影響を与えるだけの力を持っていたのだった。実際、アナキストのアピールは、幾つかの工場と軍隊においては、ボルシェヴィキ自体の行動に影響を与えるのに充分なほど大きかったのである。

 実際、一人の主導的ボルシェヴィキ党員は、1917年6月に(アナキストの影響力の高まりに対して)次のように述べていた。「自分たちをアナキストから引き離すことは、自分たちを大衆から引き離すことになってしまいかねない。」と』(アレクサンダー・ラビノビッチ「1917年7月蜂起の研究」)
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