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394 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(46)
新たなテーマ
2005年10月19日(水)


 ヤポネシア列島の古代史に関して、これまでに興味の赴くままにいろいろな説に出会ってきた。しかしどの説も、部分的には納得できるものがあるにはあったが、全体的にはかなり恣意的な仮説で成り立っている脆弱なものとしか私には思えなかった。
特に、出世のためかどうかは知らないが、師事した教授の学説(いわゆる学閥)から一歩も出られない学者たちには落胆するほかなかった。

 しかし古田さんの解明した古代史には、その強固な論理性と考古学上の諸発見との 整合性において、私にはもっとも信頼できる論究と思える。もちろん、研究の進展につれて修正されていく事項は多々あるだろうが、大筋においては古田古代史は真実に迫っていると思う。これまでに知り得た古代史を大筋を素描してみよう。


 「<共同幻想>がどんな意味でも血縁的な共同性から独立にあらわれた」村落社会を「初源の国家」と考えたとき、その起源の年代はどこまでさかのぼれるだろうか。少なくとも、縄文時代と呼ばれていた時期には「初源の国家」は形成されていたであろう。ヤポネシア列島の各地にそれぞれ独自の国家が形成されていたであろうことは、ごく当たり前の想像力があれば容易に推測できることだが、近年目覚しい発見が続いている各地の遺跡調査の結果からもそれを裏付けることができる。



 文字で書き残された史料「記紀」からたどれる最古の国家は「オオクニ」だった。その論証は省くが、「オオクニ」は縄文国家であった。

 一方、朝鮮半島―九州間の島嶼に根拠を置いた「アマクニ」(「アマ=海人」だろう)は朝鮮半島・北九州・中国地方を結ぶ人や物や文化の往来の中継点の役割を果たしていたに違いない。朝鮮経緯で伝えられた弥生文化の先進国として発展した。

 やがて「アマクニ」が「オオクニ」を継承する形で北九州・中国地方を領有し、弥生文化を骨格とする「王朝」を形成した。「倭」である。

 以下、アナボコだらけだが、全体像をつかむため、年表風にまとめてみる。


古代史年表
(より詳細な年表を作りました。リンク方式で、それと差し替えました。(2007年6月19日))


 さて、古代史の全体像は「九州王朝」→「ヤマト王権」という覇権移動がどうして起こったか、という問題を解くことで完成するだろう。
 この問題を解く鍵は、上の表の「316年 西晋滅亡」という事件が握っているようだ。そしてそれは4~6世紀ごろの倭国と朝鮮との関係の解明が鍵であることと同義である。「肖古王」と「オキナガタラヒメ」との関係にも言及することになるかもしれない。


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