2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(11)

所感派全学連の末路


 所感派従来の日常要求主義と四全協(2月)で打ち出された軍事方針という全く背反する二つの路線をない交ぜたような所感派全学連の運動形態を、蔵田さんは「熱病的幻想」と呼んでいる。この「熱病的幻想」が演じられた時代の時代状況を見てみよう。その状況をつかみ損なったがための「幻想」であることが分かる。

 まず国際的には、1954年4月のジュネ―ブ会議(インドシナ休戦、周・ネール平和五原則)に示されているように、冷戦体制から平和共存体制への移行しつつあった。これを、平和勢力はますます強大化していると誤認した。

 国内では労働者による闘争が、1952年の労闘ストを経て、53年秋の日産争議、三鉱連闘争を最後に急速に下降局面を迎えていた。

 このような雪どけムードは、55年に入ってさらに促進された。日本独占資本は朝鮮特需からMSA不況への過程において、合理化と設備投資によって強蓄積を強行し、神武景気と呼ばれている空前の高度成長期に入った。

 また、55年2月の総選挙では民主党が第一党になり、第二次鳩山内閣が本格的にスタートし、吉田内閣に代わって階級協調と日ソ復交という欺瞞的ポーズをふりまいて、保守合同から保守安定政権への第一歩を開始し、社会党統一とあいまって、政治的安定期をつくりだした。いわゆる55年体制である。

(注)MSA
 1954年5月1日、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定」が公布された。この協定と同時に、農産物購入、経済措置、投資保証に関する日米協定も公布された。これらの協定は、アメリカの相互安全保障法(略称MSA)に根拠を置いていたので、総称してMSA協定と呼ばれている。

 アメリカの相互安全保障法は、アメリカの援助受入国に対して自国と自由世界の防衛努力を義務づけた法律である。従って、日米間のMSA協定でも、日本は「自国の防衛能力の増強に必要なすべての合理的な措置をとる義務」を負うとともに、「自由世界の防衛力の発展・維持」に寄与するものと規定されている。はやくも1954年6月に、防衛二法案(自衛隊法案、防衛庁設置法案)可決れている。


 所感派全学連の異常事態は、こうしたなかで演じられたのである。

 日共はこのような情勢変化にいち早く対応した。55年7月に六全協を開催して「極左冒険主義」を全面的に清算する。そしてさらに、50年以来の分裂に終止符をうって、新しい集団指導体制によって党の統一をはかることにした。この六全協決議は、直接的には、53年3月のスターリンの死をきっかけに始まったソ連共産党の平和共存路線に対応したものであった。

 この日共六全協によって、学生戦線も「熱病的幻想」の時代を終えることになった。だが、六全協による所感派、国際派、中間派の統一はたんなる野合でしかなかった。結果的には、この無原則的妥協の産物である六全協決議は、先進的学生党員の間に党不信の念をかきたてることになった。これがやがては、全学連が公認前衛党からの自立していく遠因となった。そのときの党員学生たちの心境を、蔵田さんは次のように記述している。

 六全協の自己批判と総括は、たんなる指導部の責任回避であり、党員の「品性と徳性」(春日正一)という精神主義を強調したにすぎなかった。そのために、「六全協ノイローゼ」が流行し、虚脱感と慰めあいが横行した。かつて、学生党員は上級機関の命令で学園から召還され、農村、工場、地域サークル、党秘密機関に派遣されて、その絶対不可侵の党に自己のすべてを捧げたのである。ところが、その彼らは過去4年間の悪夢から解放されたとはいえ、その代償として、過去の自分のドン・キホーテぶりを思い知る他なかったのである。



 六全協直前の6月に全学連第8回大会が開催されている。続いて、六全協直後の9月に全学連七中委が開催された。ここで決定された六全協全学連の「八大会―七中委イズム路線」は、第四期=所感派全学連の帰結点であった。六全協決議がいう「統一と団結」がいかに無内容なものであり、その修養主義と坊主ざんげがいかに空虚なものであったかという事実を白日の下にさらしたのだった。

「夏休みを終え、新学期がはじまろうとしている。われわれは皆『この秋こそもっと勉強しよう』という意欲と希望にもえて校門をくぐろうとしている。……学友たちの気持はただ一つ『思想その他一さいの相違をのりこえて、真理を追求する熱情においてわれわれは一つである』ということである。……たとえ現在、われわれ学生の生活がどんなに暗く苦しくとも、われわれはしっかりとひとつに団結し、助け合い、友情を深め合いながら、困難に耐えて勉強し続けよう。文化・スポーツを楽しみ、生活を少しでも明るくゆたかなものにするために、またそのために欠くことのできない平和のために力を合わせて努力し続けよう」(「全学連七中執報告」55年9月)

  全学連第8回大会で採択された運動方針は、次回の大会で、次のように要約されている。

「学生の身近な要求をとりあげ無数の行動を組織していけば、学生の統一ができる。……自治会は、学生の要求をとりあげて、それをサービスすればよいのであって、情勢分析や政治方針の提起など行うべきでない。…‥・又平和運動などとり上げるのはいいが、学生がついてこないで浮いてしまう……」(「全学連第9回大会一般報告及び一般方針」56年6月)

 この七中委イズムは「自治会サービス機関論」と呼ばれている。

スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1091-79bfffea
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック