2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(9)

反レッド・パージ闘争


 日共中央による学連解体策動により、創成期第二期の学生運動が後退を余儀なくされていた時期は、朝鮮半島の覇権をめぐって、朝鮮戦争の準備が公然と開始された時期でもあった。マッカーサーは「日本は不敗の反共防壁」と声明し、CIE大学教育顧問・イールズが、反共活動の先兵として「赤色教官とスト学生の追放」を声明して全国行脚をはじめていた。

(注)CIE
 民間情報教育局 (Civil Information and Education Section)のこと。連合国軍総司令部 (GHQ/SCAP)幕僚部の部局の一つ。


 1950年に入って、朝鮮半島をめぐる極東情勢は一挙に緊張の度合を増した。歴史的なコミンフォルム批判がなされたのはこのときである。

(注)コミンフォルム(Cominform)
 共産党・労働者党情報局(Communist Information Bureau)の略。欧州共産党情報局、共産党国際情報局とも言う。
 1947年にソビエト連邦、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、フランス、イタリアの9ヶ国の共産党または労働者党で結成された。ソ連のスターリンの死後、スターリン批判を受けて1956年に廃止された。


1950(昭和25)年
1月6日
 コミンフォルム、日本共産党野坂理論を批判
3月1日民自党、自由党に改称
6月4日
 第2回参議院選挙
6月6日
 共産党中央委員24名に公職追放指令
6月25日
 朝鮮戦争勃発
7月8日
 マッカーサー、警察予備隊創設を指令

 コミンフォルムはその機関紙『恒久平和と人民民主主義のために』に論文『日本の情勢について』を発表した。この論文の主旨は、連合軍を解放軍と規定し、占領下における平和革命論を唱えた日共政治局員・野坂参三の理論の批判であった。

 これに対して日共政治局は、1月12日に論文『"日本の情勢について"に関する所感』という反論を発表した。しかし、コミンフォルムに続いて中国も日共を批判したことから、党内は批判を受け入れるかどうかをめぐって、日共中央と党員グループによる党の内部闘争が全面化した。

 以後、コミンフォルム批判に反論したグループ(主流派)を「所感派」、コミンフォルム批判を受け入れるべきとしたグループ(反主流派)を「国際派」と呼んでいる。

 まず党中央は主要大学細胞を解散させる。
 6月6日の占領軍による中央委員追放後、所感派が臨時中央指導部を確立する。
 朝鮮戦争勃発をはさんで、8月に国際派が結成される。

 以後対立は一気に本格化して、戦術論上の対立から政治路線や組織路線上の対立へとエスカレートしていった。所感派は国際派を「極左はね上がり、スパイ、挑発分子」と攻撃し、国際派は所感派を「日常要求主義、右翼日和見主義、ブルジョア選挙党への転落」と反批判した。

 第二期全学連は国際派が主流であったが、以後学生運動にあっても国際派と所感派の主導権争いが熾烈を極めていった。

 こうしたなかで、国際派全学連は、「全面講和と全占領軍の撤退、イールズ声明反対、レッドパージ反対」をスローガンに、4-5月闘争を展開している。この闘争の火蓋を切ったのは九州学連だった。新学期明けにストライキ闘争に突入した。九大学生は250名の工作隊を組織して労農市民に決起を訴えた。続いて東北大学生はイールズ講演を粉砕し、これを撃退した。

この闘争に対してイ―ルズ自身が「極東でうけた最初の直接的反抗」と告白している。また同時にこの闘争は、「日本占領開始以来最初の公然たる反帝闘争」(中国文ワイ報 香港の新聞・・・管理人注)と評価されているように、反米闘争の突破口となるものであった。

 全学連も「全労働者諸君に訴えるアピール」を発し、全労連との共闘を実現し、反米闘争の先頭に立って次のような闘いを展開した。

「5・4記念アジア青年学生決起大会」(1000名)
「5・16自由擁護青年学生決起大会」(5000名)
「5・30記念人民決起大会」(東京民主民族戦線50000名、学生8000名)
「6・3労学ゼネスト」(全金―全学連)

 しかし、労働者階級の闘争は49年6月の国電スト敗北以来の停滞にあった。全労連もやがてGHQによって解散させられていった。

 ひとり健在を示した全学連は、闘争の成果をふまえて5月、全学連第4回大会を開催した。大会は日常要求主義、地域人民闘争論の誤りを克服し、圧倒的多数で「反戦平和擁護闘争路線」を基礎とした次のような「基本的任務と闘争方針」を採択した。


 ストックホルムアッピール百万名署名運動を中心にした平和擁護闘争

 軍事基地反対、全面講和、全占領軍撤退闘争

 イールズ声明撤回、レ・パ反対闘争

 授業料、育英資金その他の部分的要求の闘争

 学生戦線の統一、労学共闘の強化

 なお、この第4回大会に先立って全学連・大学代表者会議は「全国的に統一された行動綱領と組織をもった統一戦線組織」として「反戦学生同盟」(反戦学同)の結成を確認している。

 一方、朝鮮戦争の開始とともに、占領軍と傀儡政権による弾圧もエスカレートしていった。

 50年6月、都内では一切の集会・デモが数日間にわたって禁止され、都内はさながら戒厳令下におかれた。

 7月、報道部門からはじまったレッド・パージ攻撃は全産業部門に波及した。この攻撃の猛威を、全学連は非常事態宣言を発して対抗した。全学連による10月ゼネストは、都内拠点校において数千名の武装警官による学園制圧という空前の弾圧体制に抗してうち抜かれた。政府は、全産業二万数千人にのぼったレッド・パージ攻撃を学園にたいしても断行することを何度も公言したが、全学連はひとりの犠牲者を出すこともなく、この攻撃を完全に粉砕した。この全学連の10月反レ・パ闘争は反帝闘争の最初の輝かしい勝利であった。

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