FC2ブログ
2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の抵抗権行使運動(7)

第二期学生運動


 二・一ゼネスト敗北を契機に、人民抑圧の攻撃は急速に強化され、階級闘争情勢はきわめて困難になった。学生運動も日共中央の召還令もあって急速に下降していった。

「二・一スト以来の反動攻勢の強化は細胞員のプチブル性にイデオロギ―的動揺を与え、殊に右翼日和見主義者の埋論の貧困は二・一ストの成果を全面的に否定することに依り党の戦略戦術の正しさに疑義を抱くに至った。かかる党員はモダニズムを基調とする『主体性論争』を提起することにより党の政策からの基本的逸脱を敢てした。……これら右翼的偏向を端的に、はあくできなかった党員は次第に、組織から離脱し、革命的実践から脱落して意志と行動の統一はみだれ、基本的な細胞活動の遂行は不可能となった」(「東大細胞再建声明書」48年1月)

 しかし、戦後学生運動は約一年ちかい停滞のあと徐々に再建されていった。

1947年11月、「全国国立大学自治会連盟」(国学連)結成

 国学連は13大学30名の代表によって結成を宣言した。学生運動はこの国学連の再建によって第二期へのスタートを開始した。

1948年2月 「教育復興学生大会」

 国学連と自治連が、日教組と共催で開いたこの大会を契機に、学生運動は急速な高まりをみせた。スローガンは
国鉄運賃
授業料値上げ反対
大学地方移譲(BT案)反対
民主的教育機構確立
などであった。労働者・学生・市民の固いスクラムによって運賃値上げとBT案を阻止した。また、授業料値上げ(三倍増)は、当時の物価上昇率年間二倍とともに、学生生活の破壊を意味した。学生はこれにたいして「不払い同盟」で対抗した。

「われわれ学生は祖国の再建を考え、教育復興の前途を憂慮して、授業料値上げ撤回が学生生活の最後の防禦線であることを確認し、かかる文教政策に反対し不払い体制を拡大する」(国学連・自治連関東支部「授業料問題に関して全国民に訴う」48年5月)

 日米支配階級は「日本を共産主義の防破堤にする拠点は学校と教会である」と明言し、教育民主化の名目のもとに、六・三・三制を発足させた。また文部省は大学管理理事会案をもって、大学の反共反革命的再編強化をめざしていた。したがって、学生運動にとって、授業料闘争という生活防衛の闘いさえもが、この教育再編強化総体との対決を回避してはありえない闘争であった。上記の闘争宣言は、いわば、学生運動が新しい歴史的任務を自らに課そうとしていることを内外に向けて表明したものでもあった。

 いまや官許の民主化闘争は完全に過去のものとなっていった。学生党員グループは、これを「経済主義的偏向から、政治闘争への転換」と位置づけた。

「(この転換は)なにも国家予算や新物価体系の批判と暴露をやるだけではなくて、……芦田内閣の政策の一端たる文教政策批判、民族の文化を守れ、外資導入反対という基本線で、直言すれば「ファシズムか、民主民族戦線か」というスローガンで、授業料問題を基準としつつアジるべきである」(東大細胞委員会「戦略の転換に関して(マル秘)7-民主民族戦線の一環としての教育復興闘争」48年5月)

 この闘争転換の最初の実行が6・26教育防衛復興全国ゼネストであった。国学連と自治連は、四日間にわたって全国114大学30万ゼネストを敢行した。戦後学生運動はこの闘争によって画期的な飛躍をとげた。

 この闘争に際して、日教組を中心にした中央教育復興会議は学生ゼネスト支援体制を確立し、文相にたいして、
①文教予算増枠
②学生生活破壊反対
③教育制度改悪反対
④学問の自由と学生自治への弾圧反対
の四項目を申し入れて、闘争を支援し、勝利の動因力となった。労学共闘がこのようなかたちで豊かに結実したのは、学生運動史上、このときが最初であった。

 この闘争を、武井昭夫(てるお)「転換期に立つ学生運動」(48年2月)は次のように総括している。


 6・26教育防衛闘争はその規模において、日本学生運動史上最高なものとなり、一部学生の運動から、全学生層の運動となった。また、組織的には、国学連、高校連、自治連などの学生戦線の統一を実現し、遂に全学連結成の礎石を確立した。


 闘争は国際帝国主義勢力、買弁国家権力、学校当局との決定的対立を不可避的なものにした。この事実は、学生の社会運動、政治運動が階級闘争へと発展していかざるをえないことを示した。


 この学生運動の政治的階級的立場性こそは、学生運動が学生の立場から、勤労人民を主体とした人民の立場へと発展すべきことを示している。


 教育・文化の問題を、全青年層や全人民階級の共通の闘争課題におしあげえた事実は、学生層を民主民族戦線の有力な一翼に規定づける根拠となった。

 この総括の中に、学生運動転換期の指導理論となった武井理論=「層としての学生運動論」の骨格が形成されている。武井は、学生自体が一つの社会階層であり、米軍占領下にあって、国民各層と提携しながら自主的に平和と民主主義を実現できると主張した。この運動路線のもとに学生運動は、学生=プチブルという日共的教条主義を打破して、自らを主体とした運動体へと歴史的一大転換を果たした。

1948年9月 全日本学生自治会総連合(全学連)結成

スポンサーサイト



 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/1087-0782788b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック