2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
自由『続・大日本帝国の痼疾』(100)

自由民権運動(54)―民権運動は終わっていない。


 自由民権運動が抱えていた内部的弱点としてもう一つ、『自由党と改進党の軋轢(1)(2)(3)』でみたように、自由党と改進党の泥仕合をあげることができる。

 明治官僚政府が急速に中央集権的体制を固めつつあったときに、人民自身もみずからの経験を通して〝統一の組織を持つということ″、「党」を持つということの意味を発見していた。そして一千にあまる民権結社、国会期成同盟をへて自由党、改進党を生みだしていた。

 ところが、明治政府が本格的な総反攻にでた直後に、革新的党派が第二義的なことで敵対、抗争をくり返し、ついには自滅におちいっていった。そうした運動の型がわが国の政治風土では現在でもなお克服されていない。



 さらに、いまだに克服されていない問題がもう一つある。天皇制の問題である。

 また明治の民権家は、天皇制の独特な人民支配の差別と疎外の構造を、その枠組を破ってトータルに認識することに失敗した。このことは政治的天皇制が廃棄された現在でも、まだ克服されておらず、新たな内外人民への抑圧と差別の現構造の中にひきつがれている。



 続いて色川さんは、自由民権運動から引き継ぐべき切実な課題を、次のようにまとめている。

 憲法問題や防衛問題はもちろんのこと、人権や民主主義の原理の問題、土着的、人民的抵抗の思想化の問題、脱亜入欧の問題、天皇制の問題など、自由民権運動の敗北のあと、幾度もの歴史的な試練を経ながら未解決のままに残されたことがらはあまりにも多い。その意味でも自由民権運動はまだ終ってはいない。「歴史」として完結しておらず、現代の私たちに切実な課題としてひきつがれている。



 最後に、「民権運動の意義」について、次のように締めくくっている。

 最後にひとこと自由民権運動の意義について付言しておきたい。

 右のような多くの弱点を持ちながらも、わが国歴史上に、もしもこの運動がなかったとしたら、1890年(明治23)という早い時期に国会が開設されることはありえなかったろう。

 また仮に政治変革としての直接の効果は乏しかつたとしても、この運動がもった文化運動、思想運動としての意義を消し去ることはできない。日本人民はこの運動を通じての広義の政治学習によって、はじめて国民としての政治的開眼をとげ、近代社会建設の活力をふるい起し得たからである。

 明治の教育の奇蹟といわれる、国民の就学率の驚くべき上昇も、政府官僚の指導だけで達成できたものではなく、自由民権期の学習熱と幾百千の民権結社の活動によって補われ、押しあげられたのである。

 さらにこの運動の思想的影響が、欧米帝国主義の圧迫に苦しみながらも民族の独立と国の近代化を求めて戦っていた中国、朝鮮、ヴェトナムなどにまでおよび、それらの諸国民の民主化や民族独立運動の勃興に貢献したということの意味も、私たちは見落すことはできない。

 私たちが自由民権百年の記念行事を、ひとり日本国民だけでなく、第三世界をふくむ世界中の人民と共に盛大におこなってゆきたいと願うのは、百年前の民権家たちの〝開かれた精神″を継ぐことになると信ずるからである。



 明治政府の「世界史的な過誤」とも言うべきアジアに対する外交問題、思想的問題としては「国権」思想と「民権」思想との相克の問題、これらを課題として残しているが、これでこの稿「自由民権運動」を終わりとしたい。

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