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484 「良心の自由」とは何か(15)
ソヴェト共和国憲法における「良心の自由」
2006年4月26日(水)


1936年ソヴェト社会主義共和国同盟憲法第124条
 「市民に、良心の自由を保障するために、ソ同盟における教会は国家から、学校は教会から分離される。宗教的礼拝の自由および反宗教的宣伝の自由はすべての市民に対してみとめられる」

 「1918年ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国憲法第13条」と何が違っているのか。「真の(現実の)」という文言が消えている。「宗教的宣伝の自由」が「宗教的礼拝の自由」にすりかえられている。
 「礼拝〈worship〉の自由」はロックによって用いられて以来、ヨーロッパ・アメリカの近代立法ではもっぱら'liberty of conscience and worship'という表現で用いられてきた。(「第469回」)その良心〈conscience〉を分離して外形的な宗教行為である「宗教的礼拝の自由」だけを「反宗教的宣伝の自由」と対比している。この対句はアンバランスであり、とてもすわりが悪い。この点について古田さんは次のように論述している。


 宗教がその本性として「自信教人信」(親鸞の好んだ表現 ― 〝自ら信じ人をして信ぜしむ″)を含むことは宗教のイロバです。つまり「宗教的宣伝の自由」なしに「良心の自由」「信教の自由」は考えられないわけです(日本の封建時代の初期においてさえ、弾圧が加えられたのは専ら〝教入信″すなわち〝宗教的宣伝の自由″に対してであって、親鸞が〝宗教的礼拝の自由″にとどまって満足していたならば、流罪や迫害の運命と本源的自由の強靭さを必要としなかったに違いありません)。
 それがここでは「宗教的礼拝の自由」という形式的な表現に変えられます。この「礼拝」の意義をいかに解するにしろ、「反宗教的宣伝」との均衡が破壊されていることは疑えません。自負に満ちた「真の(現実の)」という形容詞がけずられねばならなかったのももっともです。
 ここにいかにさまざまの「現実的」理由をならべても、なおかつその奥に右の趣旨の横たわるのを見のがすことは到底できません。

 前にあげたマルクスの根本論理はくずれ去っているのです。しかも、遺憾なことにマルクスにとって「宗教の批判」は「いっさいの批判の前提」なのですから、「いっさいの批判の前提がくずれた」(甘く見ても傷ついた)こともその論理的帰結です。



 この後、スターリン体制の批判と、その拠ってきたる源泉がマルクスの宗教批判の不徹底性(キリスト教単性社会内視点から脱することができなかった)にあるとの論証が続くが、この問題は次回から項を改めて論じたい。
 その課題を済ませたら『「良心の自由」とは何か』に戻り、次は日本の近代社会における「信仰の自由」を取り上げることになる。
 なお、上記引用文で親鸞が登場しているが、古田さんのメインワークは親鸞の研究のようだ。先日久しぶりに神保町の古書店をのぞいていて、古田さんの親鸞の研究書にぶつかった。「親鸞―人と思想」「親鸞思想」「わたしひとりの親鸞」(明石書店)の三部作で合計約2000ページの大作だ。

 「第481回」で、古田さんのイエス観を紹介したが、実はあれは「親鸞の歴史的個性の比較史学的考察―対権力者観に於けるイエスとの対照―」という論文の結論部分だった。その論文が上記の「親鸞思想」に所収されている。親鸞とイエスを対照する意義を述べている冒頭部分は古田さんの親鸞観の要約として格好な資料だと思う。吉本隆明さんの親鸞観との共通点が見られるなど、興味が湧く。後々利用する機会が出てくるかもしれない。それを掲載しておく。


 この論文において叙述せられるところは、わたしが親鸞の対権力者観について追求した論文「親鸞『消息文』の解釈について-服部・赤松両説の再検討」において論証せられえたところを前提としている。今、その論点とするところを列挙すれば、

(1) 弥陀の絶対性を徹底化する事によって、皇室その他いっさいの地上の権力者の権威を相対化し・その自立的価値を否認した。

(2) したがって、権力者は、弥陀の権威と念仏者に、帰依恭敬すべしとなす国家の護法思想というべき理念を有した。

(3) しかるに、弥陀の予言せる末法説の徹底的理解によって、権力者が念仏者を迫害弾圧する事こそ、此の世の露わなる事実なりとして、当為背反の現実に何ら幻想を抱かなかった。

(4) このような末法の権力者のあさましき当為背反の迫害に対し、念仏者は、さからわず憐れみの念仏をもって、転倒錯乱せる彼ら-皇室・鎌倉幕府・領主・地頭・名主ら全系列の権力者-のために折れという要請を、弾圧さるる門弟らに与えた。

(5) 右を要するに、権力者の不法に対する仮借無き非難弾劾と共に、その弾圧迫害者に積極的に与える憐れみとが、鋭い対照をなしている。

 ここには、後世本願寺教団(蓮如をその理論的完成者とする)の対権力妥協および権力聖化と、あざやかな対照を示す原始念仏集団の推進者としての、親鸞の健康にして強靭な純粋性、本源性が貫かれていると言えよう。
 しかしながら、ここに示された親鸞の思想的態度の、必要にして充分な歴史的個性的理解、さらには、その原初的宗教思想としての意義を把握するためには、普遍的な広い視野からする比較史学的考察を与えねばならない。そのためにわたしは、宗教思想的特性において、重大な類似点及び差違点を含むと考えられるイエスの対権力者観との対比を企てた。その理由は

(1) いまだ充分な意味での教団を構成せざる、原初的純粋性を有する宗教思想としての共通性。

(2) 宗教的権威および信仰の絶対性と、地上権力者との鋭い対置による本源的な価値批判という共通性。

(3) いずれも権力者よりの弾圧迫害を蒙りつつ、それに対して示す弾力性に富む態度。

 右のごときが比較の必要性を示唆するのであるが、その比較学の学的可能性 ―特に方法論上― は如何、という点こそ重大であろう。

(1)従来のごとく、鎌倉新仏教を宗教改革となすごとき安易な類比は、もちろん方法的厳密性を有しないが、石母田氏らの言われるごとき西欧古代末期のキリスト教と比較すべし、との立言も、両者の社会的史的差違より直ちに肯定し能わぬところである。(異時代思想比較可能のゆえに)

(2) 徹底した方法論的批判をもってすれば、類似した時代が問題なのでなく、かえって、比較すべき両者の歴史的社会的個性的差違を学的に検討し分別しつつ比較するか否か、にその比較史学としての学的成立の成否がかかっているものとすべきである。

 かかる観点より、ここにあえてイエスをとりあげるのであるが、なお緊要なる問題点が存する。それは、イエス思想取り扱い上の史料的信憑性の問題である。西欧キリスト教史学史上無限に繰り返されて来たこの間題につき、わたしのとる態度は簡明である。すなわち、いわゆる史的イエスを問題とするのでなく、福音書記述のイエス思想の統一的理解という立場をとるからである。その中にいわゆる史的イエスが何パーセント含まれているかいないか、は学的厳密性において論証しえないが、少なくとも福音書記述者の意識(特に共観福音書が原始キリスト教の時代に属することは定説である)を示しているという点では、確然たる史学的意義を有することは争えないであろう。なお共観福音書中特にマタイ伝を中心に論証を進めていったのは、該書において特にわたしの目指すごとき原初的対権力者態度が緩和されている、となす説が存するゆえ、その書においてさえあざやかにわたしの論点が論証せられうることを示し、かかる理解が共観福音書に共有せられるべきものなるを明らかにせんとする用意に出たものにほかならない。

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