2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『続・大日本帝国の痼疾』(88)

自由民権運動(42)―抵抗権行使事件を担った人たち


(今回より、断りがない限り、すべて教科書Aによる。)

 いわゆる「激化事件」と呼ばれている 諸事件は下の図のようである。しかしその裾野には、ほとんど全国的に発生した困民党騒擾や小作党事件があり、その数は百件を越えるという。

激化事件

 事件は1882(明治15)年から85年にかけて集中している。その最も大きな原因は、福島事件や高田事件でみたように、民権家に激しい弾圧をくわえ、これを分断支配しようとして威圧・挑発を行なった明治政府の謀略であることは明らかである。

 もう一つ、困窮士族や農民の蜂起をまねいた政治的な原因がある。この4年間は松方財政による大増税とデフレ政策が深刻な不景気をもたらし、そのうえに国際的不況も重なって農民や都市細民などを破滅の淵に追いつめていた。なかでも東山養蚕(とうざんようさん)地帯といわれる生糸生産地帯の打撃は悲惨なもので、ほとんどの農民が負債に苦しみ、経営破綻におちいっていた。農民を主体とする事件が福島、群馬、秩父、武相、静岡を結ぶ東山養蚕地帯の線上に起こっているのはその故である。

 これらの抵抗権行使を担った急進派を色川さんは次の三つに分類している。

(a)没落豪農や没落士族などの志士的急進派
(b)革命化した中農・貧農・半プロレタリアなどの農民的急進派
(c)都市下層民、都市細民(その多くは都市に流れこんだ貧農や貧窮士族の遊民層や職人群)などの都市急進派

 それぞれの流派は、それぞれの階層の存在形態や思想伝統に根強く規定されているが、共通の要素として自由民権論的な人権思想や権利意識があり、その二つが相乗した形でその行動意識が形成されている。色川さんは次の様に分析している。

 たとえば(a)と(c)には、志士的な抵抗精神とアナーキーな行動主義が色濃く流れている。また(b)には、農民一揆や打ちこわしの伝統的な意識が基調をなしており、それに民権論的な平等主義や政体構想へのロマンチシズムがからみあっている。

 この急進化の構造と、急進派の主体と、意識の三要素のさまざまな組合せによって各事件の特質が作りあげられているものと私には思われる。これらを一律に「自由民権の激化事件」とはいえないが、少なくとも自由民権期の抵抗権の行使事件とはよぶことができよう。武相困民党や駿豆(すんず)の貧民党の騒擾事件は、政体変革の目標こそかかげなかったが、その指導者の中には抵抗権を自覚したものもおり、じつさいに大集団で金融会社を襲撃したり警察署などをとりかこんでおり、激化諸事件と紙一重という所に迫っている。



 ところで、上の図で一つ変わった名称の事件が目につく。丸山教み組事件。私は初めて目にする。この事件については教科書Aには解説はない。民権運動とは毛色が違うのでパスしようかと思ったが、ネット検索で一件もヒットしなかったので取り上げることにした。以下は教科書Cによる。

 教科書Cは丸山教の教義についても詳しく論じているが、事件そのものについてはまだ詳しくわかっていないらしい。ここでは自由民権運動との関わりについての考察に絞って紹介する。

 丸山教の信徒数は、1880(明治13)年以降急激に増加している。
1880年 約10万人
1886年 数十万人
1889年 約220万人
 その信者は「元の父母」(丸山教の唯一)誕生の聖地富士山を中心とする諸県に濃密に分布していた。その中で最大の支部が静岡県の「み組」であった。その「み組」が、松方デフレ下、終末論的世直し観念に導かれて、明治政府の支配を否定し貧富平均を唱えて蜂起したのが、当時「み組騒動」と呼ばれた事件である。

 秩父事件関係者に禊教徒がいたことはすでに知られているが、丸山教徒にも民権運動家がいたという(丸山教代表役員伊藤陸男氏談)。その一人に清水長右衛門がいた。彼の名を「自由党員名簿」に見出すことはできないが、横浜市港南区笹下町に現存する同家の言い伝えによれば、長右衛門は北海道までの布教の途次、自由民権の演説をしたという。

 丸山教には民権運動と結びつくような論理構造があるのだろうか。国会にふれた教義手控の一つである「御教法」(1884年)に、
「天を願って居ても骨が折れるものを丸山でハ国会を治める事にして居る あゝいふるいは皆上から出て服するものだ丸山の修行は下から大勢のからだを下を天から助けるから下から助け上るのだ……おれは下から救い上る上から見ると下等人民だ抔(など)といって居るが其下等人民がおれハ大事だ」
という筆録部分がある。

 この意味は、国会で治めるという方法は上からのもので、大事な「下等人民」を救うには丸山教の教えが必要だといっているのであろう。「天明海天極意のつめ」でふれたように、丸山教には西欧文明を丸山教の優位性のもとに従属的に包摂しようとする論理があるから、国会はまったく否定されるものではなかった。

 丸山教が強盛を誇った静岡県において、自由党系の『東海暁鐘新報』、改進党系の『静岡大務新聞』はどのような態度をとっているであろうか。両紙には「み組事件」に関連して「丸山講」の記事が多く出てくるが、丸山教は「愚民」をまどわしている「妄説」という見方で一貫してとり扱われている。

 農村の底辺にいる農民数十万を組織した丸山教(同じような天理教・金光教)にたいし、信仰の自由で共闘するような意識を民権派はまったく持てなかった。それは、民権派が信仰の自由の問題をきわめて観念的にしか理解できていなかったことを意味していた。



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