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480 「良心の自由」とは何か(11)
戦闘的反神論(3)マルクスから古田さんへ
2006年4月21日(金)


(マルクスを引用しながらの古田さんの論述を抄出する。以下は全て古田さんの文章です。)

「ドイツにとって宗教の批判は本質的におわっている。そして宗教の批判こそいっさいの批判の前提なのである」

 これはマルクスの「ヘーゲル法哲学批判」の冒頭の句です。宗教批判が「いっさいの批判」の前提だという言葉は、日本のマルクシストにとって十分の重昧をもって把握せられ得ない言葉なのではないでしょうか。むしろ彼等にとっては「宗教」など真面目にあつかう気もしないくらい、その無意味さが当然のことで、「いっさいの批判」の中の最もたやすい部分であり、「いっさいの批判」の後には当然けしとんでしまうもののように感ぜられるのではないでしょうか。

 しかし、マルクスにとっては、宗教批判の前提に「いっさいの批判」があるのではなく、「いっさいの批判」の前提に宗教批判があったのです(無論「前提」とは単に時間的に論理的先行するという意味にとどまらず、後者の基盤をなしているという認識を含んでいます)。

 しかし今までのこの論究の考察を経て来た私たちにはヨーロッパがいかに執拗にキリスト教単性社会であったか、そして今もありつづけているかという認識、そしてそういう単性社会の内面(神の支配する良心)がいかに苛酷な宗教執拗な粛清で明瞭(クリアー)に純粋(ピユアー)にされて来たかという認識からして、このマルクスの表現は十分の重みで受けとられることができるでしょう。

 つまり、ここで言う「宗教」は、中世ローマ・カトリックの宗教であり、また宗教改革後の分裂が「信教の自由」という名の宗派の妥協によって縫合されて来た、ヨーロッパ近世-近代キリスト教単性社会の宗教なのです。

「宗教上の不幸は、一つには実際の不幸のあらわれであり、一つには実際の不幸にたいする抗議である。宗教はなやんでいる者のため息であり、また心ない世界の心情であるとともに精神のない状態の精神である。それは、民衆のアへンである。……だから宗教の批判はいずれは、宗教を後光にいただく苦しいこの世の批判にならずにはいられないものである。……だから、天上への批判は地上への批判にかわり、宗教への批判は法律への批判に、神学への批判は政治への批判に、かわるのである。」

 この格調高い文章が冒頭の句の後にあらわれるのですが、この有名な宗教阿片説 - 天上批判の根本をなすのは、「反宗教的批判の根本は、人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない、ということである。」とされるように、「人間」という概念です。この文章は一段と華麗なイメージを展開させます。

「批判は、鎖についていた空想的な花をむしりとったが、それは、人間が幻想もない鎖を背負うようにというためでなく、むしろ、人間が鎖をふりすて、いきいきとした花をつみとるようにというためである。」

 この表現はあきらかにギリシャのプロメテウス神話から来ています。天上のゼウスへの批判によって鎖にしぱられたプロメテウスです。事実マルクスはこの文章のあとの方にも、「ギリシャの神々は、アイスキュロスの『しばられたプロメテウス』の中で傷ついてすでに悲劇的に死んだ」として引用しているのです。

(次に古田さんは、ニーチェと同様に、ゲーテの『プロメートイスの歌』の再修練を引用している。ただし、ご自身で訳しておられる。第477回(4月18日)で西尾幹ニ訳と大山定一訳のそれを掲載したが、それらと比べるのも一興かも。)

ここにおれはしっかりと坐(すわ)って
人間どもを形づくる、
おれの面(つら)がまえに似せて。
おれと同じように、
苦悩し、泣き叫び、
生命(いのち)を享楽し、歓喜にむせび、
決してお前を尊敬せぬ――
そんな種族(やつら)に形づくる。
この、
おれのような、
人間どもに。

情熱的で明確な構成の中にこそ若きゲーテのシュトウルム・ウント・ドゥランクの精神が脈打っているのですが、この荒々しい生命に満ちた詩の思想的背景は、強力に支配する神々の存在を前提にして、その神々に対する「戦闘的反神諭」とも言うべきものです。

 マルクスがヘーゲル批判の論文(「ヘーゲルの弁証法と哲学一般の批判」)で人間を「受苦的」であり、「情熱的」なものと規定するのを見る時、彼の人間観がいかにシュトウルム・ウント・ドゥランク的、ゲーテ的なものであったかがはっきりと示されています。しかも、これがヘーゲル批判の根拠となっているのです。ヘーゲルの壮大な体系の中では、生きた人間が絶対精神の重荷の下で青ざめていること、それをヘーゲル学徒マルクスに見ぬかせたのは、実にゲーテ的な、みずみずしい人間観の泉だったのです。
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