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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『続・大日本帝国の痼疾』(58)

自由民権運動(12)―都市民権派の潮流(2)


 都市民権家たちは共通の理念によって結ばれた都市型の民権結社を拠点に活動していた。数ある結社の中で最も大きな役割を演じた嚶鳴社(おうめいしゃ)についての記述をまとめておこう。

 嚶鳴社は1879(明治12)年に結成された。『東京横浜毎日新聞』と『嚶鳴雑誌』という反政府系の新聞雑誌をもつ言論団体である。社長の沼間守一(ぬまもりかず)を先頭に、肥塚竜(こいづかしげみ)、堀口昇、青木匡(ただす)、末広重恭(しげやす)、草間時福(じふく)、狩野元吉、島田三郎、丸山名政(なまさ)、波多野伝三郎、野村本之助(もとのすけ)、赤羽万二郎など、一流の演説家をそろえていた。

 1879年、東京本社と、石川、前橋、横浜の三支社しかなかったが、その後次々と勢力をのばし、沼津、上田、八王子、五日市、大宮、浦和、草加、木更津、勝浦、鳩ヶ谷、遊馬(ゆま)、杉戸、館林、島村、新町、足利、白河、鶴岡、大垣、甲府、須賀川、仙台にまで支社を設立していった。現在確認されているものだけで27社あり、うち18社が関東に集中している。

 つまり、嚶鳴社は東日本全体で旺盛な活動を展開していた。1881(明治14)年、82年の二年間に嚶鳴社が関東6県で行なった遊説は259回に及んでいるという。1880年10月の板垣退助歓迎会の席上で、嚶鳴社員の肥塚竜が東京の各団体有志をまえに誇らかに次のように語ったという。

「関ノ東、政談ヲ以テ鳴ル者ハ誰ゾヤ、嚶鳴社コレナリ。関ノ西、政談ヲ以テ鳴ル者ハ誰ゾヤ、立志社コレナリ」。

 色川さんは野村本之助の活動ぶりを取り上げている。

 愛国社系の言論の雄・植木枝盛(えもり)のはなやかな遊説紀行は有名だが、嚶鳴社系の地味な演説家たちの文字通り献身的な活動の報告も深い味わいを持っている。

 田中正造は自分の経営する『栃木新聞』の社長兼主筆に23歳の若き東京嚶鳴社員野村本之助を迎えるが、この人の人柄の謙虚で清廉で、勤勉なさまに敬服し、
「野村氏の言行は真に神の如し、これ予の師とする処、実に人民あつてより以来、未だ此(かく)の如く言行の正しきものを見ず」 と讃嘆している。

 1881年、当時40歳の田中正造をして、そのように畏敬せしめた野村本之助はどのような紀行文を残しているのであろうか。彼はその年の一月中旬から二月中旬にかけてほとんど連日、栃木、茨城両県下の村から村へ、演説をして歩いているが、どの村でも百名から二百、三百という聴衆を集めている。これは豪農、富農層の枠をこえていることは明らかである。たとえば

 2月9日、栃木県下都賀郡梁(やな)村では集まるもの三百余人、
「第二ノ演説ヲ為スノ頃ハ場中寸地ヲ余サザルヲ以テ戸外二立チテ之ヲ聴クモノ亦少カラザリキ」。

 2月11日、延島村では
「此会ヲ開クヤ直チニ例月続テ之ヲ開カンコトヲ欲シ同盟中二加盟ヲ乞フ者陸続絶へズ」。

 2月12日、真壁郡田間(たま)村では「散会後同盟中へ加ランコトヲ望ム者四、五十名ノ多キニ 及ビ」、

 2月13日、結城(ゆうき)町では、会衆実に六百人に近く、
「三、四里ノ所ヨリ来り臨(のぞ)ムモノ亦尠(すく)ナカラズ」と。
 しかも、会が終った後も
「近村各校ノ教師数十名、余ノ旅寓(りょぐう)ヲ訪(と)ハル、余話ニ応ジテ二題ヲ演説ス」
という。

 こうした若き民権家の奮闘ぶりと人民の熱烈な反応とは、案内役の田中正造らをも感激させたようである。しかも延べ数百人の都市民権家が東日本各地に飛んで、東奔西走、数百回の演説会をくりひろげ、同時に地方結社の組織を支援していたのであるから、愛国社系結社が東日本に進出しようとするとき無視できない存在であったことは確かである。



 嚶鳴社以外の都市型民権結社について、色川さんは次のように書き留めている。

 嚶鳴社にやや遅れて運動を開始した国友会もほぼ同様である。ここには馬場辰猪(たつい)や末広鉄腸(てっちょう 重恭)や大石正巳(まさみ)、高橋基一や堀口昇など第一級の都市知識人がおり、その盛んな地方人民との交流ぶりは、とくに『朝野新聞』に数十編の演説紀行として掲載されている。

 その他、『郵便報知新聞』を背景ににして奔走した藤田茂吉、犬養毅(つよし)、尾崎行雄、矢野文雄、吉田憙六(きろく)ら東洋議政会や交詢(こうじゅん)社員の名も落すことはできない。後に「憲政神様」といわれる犬養・尾崎などは、まだ二十代の青年だったが、東海、関東、東北の各地に、まさに南船北馬の遊説行をつづけていた。

 こうした者市民権家の役割を、自由党の結成にあたって、愛国社系の指導者たちがことさらに過小評価し、無視あるいは排除しよとしたことは、その見識と度量の狭さを責められてもしかたがない。



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