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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

宇佐見斉さんの啄木論


 前回の続きになる。

 現代詩文庫「石川啄木詩集」(思潮社)に宇佐見 斉さんの啄木論『研究 ことばと生のあいだ-啄 木の変貌』という論攷が所収されている。この 機会に、初めて読んでみた。啄木理解の上でとて も有用だった。『呼子と口笛』を論じた最後の部分を紹 介したい。



 時代は、ちょうど日本の近代の大きな転回点にあ たっており、巨大な歴史の車輪がすでに音をたて て回転し始めていた。

 明治44年1月18日、大逆事件特別裁判宣告の日に は、歴史そのものと一個人の歴史意識との深い乖 離の感覚が、「日本はダメだ」という絶望的な嗟 嘆となって日記に記されている。これを契機とし て啄木の思想は、更に一層イデオロギーとしての 「社会主義」に傾いて行ったとみることができる。

 しかも、啄木は、「ことばと行ひとを分ちがた き」人として行動しようと決意しており、2月6日 附の大島経男宛の書簡では、早くも、『樹木と果 実』という短歌雑誌発刊の計画について述べてい るのである。

「二年か三年の後には政治雑誌にして、一方何 等かの実行運動 ― 普通選挙、婦人解放、ロー マ字普及、労働組合 ― も初めたいものと思っ てゐます」。

 しかしこの時、すでに啄木の肉体は病魔によ って深く蝕まれてしまっていた。二月初旬に慢性 腹膜炎のために東大病院に入院して以来、その死 に到るまで遂に彼は病いの床を離れることがなか った。40日の病院生活の後に、病魔は肋膜から胸 を冒していたのである。

 かくして啄木の思想の中に芽生えた可能態とし ての実際行動は、その芽のうちにつみ取られてし まった。私たちの掌には、『呼子と口笛』の絶唱が 残されているのみである。

 私たちは、啄木の思想的変貌を、かけ足ではあ るが、『あこがれ』のロマンチスムから自然主義 へ、そして最後に社会主義へと移りゆく過程に従 って追ってきた。だが、これらの三段階を通じて なお啄木の思想を一本串ざしにしているものがあ る。それは、最後の芸術的結晶といわれる『呼子 と口笛』をすら鋭く貫いている、真の意味での 「ロマンチスム」である。まことに啄木は、山本 健吉の指摘するように、
「星董派は卒業したが、零落したロマンティシス ムとしての自然主義に対して二重の反抗の姿勢を 取ることによって、真のロマンティシスムを対置 した」
のである。

 われらの且つ読み、且つ議論を闘はすこと、
 しかしてわれらの眼の輝けること、
 五十年前の露西亜の青年に劣らず。
 われらは何を為すべきかを議論す。
 されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
 'V NAROD'!と叫び出づるものなし。
        (「はてしなき議論の後」)

 ここには、自己の権力にめざめ、「何を為すべ きか」を知りながら、直ちにそれに見あった行動 の様式をあみ出すことのできない、孤立した青年 の激しい焦燥感が、ありありとうかがえる。

 当時、『樹木と果実』発刊の計画は資金と健康 上の問題のためすでに挫折していた。しかし彼は クロボトキンを耽読し幸徳事件関係書類の整理 に没頭したり、「ヴ・ナロード・シリーズ」を編 んだりしているのである。「われらの遂に勝つべ きを知る」と叫んだこの詩人は、文字通り「明日」 への考察に魂を焦がして打込んでいたのである。

 だが、全てが理想と情熱とに満ちているわけで はない。詩稿ノートから外された「はてしなき議 論の後」の八(呼子の笛)に到って、私たちは啄 木の精神に大きな挫折の影がしのび寄ったことを 感知せざるを得ない。

 はてしなき議論の後の疲れたる心を抱き、
 同志の中の誰彼の心弱さを憎みつつ、
 ただひとり、雨の夜の町を帰り来れば、
 ゆくりなく、かの呼子の笛が思ひ出されたり。
  - ひよろろろと、
 また、ひよろろろと -

  我は、ふと、涙ぐまれぬ。
  げに、げに、わが心の餓ゑて空しきこと、
  今も猶昔のごとし。

 すでにこれは、短歌的世界への逆行を意味する ものではないだろうか。歴史を意識した対象志向 の姿勢は崩れ去り、再び追憶と自愛へと傾斜して ゆくのではないか。啄木は短歌的原罪から永久に 逃れることができなかったのであろうか。

 友も、妻も、かなしと思ふらし、-
 病みても猶、
 革命のこと口に絶たねば。
 やや遠きものに思ひし
 テロリストの悲しき心も -
 近づく日のあり。

 もしこれらの「悲しき玩具」にうたわれたもの が、社会変革を志向する、ロマンチックな自我の 片隅に澱んでいる根づよい悲哀感であったとした ら、『呼子と口笛』の一群の詩も、遂にこの暗い 心情の影から逃れ切ることができなかったのでは ないだろうか。

 『呼子と口笛』の諸詩篇を書かれた順に追って みると、「はてしなき議論の後」の激しさが、次 第に沈潜し遂には自愛と追憶の短歌的世界に運行 してゆくのを見るのである。最初の「はてしなき 議論の後」が書かれたのは6月15日のことである。 最後の「飛行機」の書かれた6月27日までには、 二週間しかない。

 このことは、当時の啄木がすでに肉体的に最悪 の事態に近づいており、精神的にもきわめて不安 定な状態にいた事を物語っている。だが、それ以 上に注意しなければならない事は、その移りゆき が『あこがれ』から『一握の砂』への沈潜とは異 って、極めて短期間にギリギリの極限状況で起っ ている、ということである。

 たとえば例の「ココアのひと匙」が、「テロリ スト」という著しく激情的な行動者を引きあいに出 しながらも、実は「かなしき心」という抒情的心 情を根底にしているのは、この上昇と沈潜とが別 々に行われたのではなく、同時に矛盾しあったま まアマルガムとして定着されていることを暗示す るのである。

 事の本質を見窮めようとするとき、私たちは、 すでに近代日本の歴史的総体に目を向けなければ ならない段階に来ているようである。

 啄木の自我の目ざめは、日清・日露の両帝国主 義戦争の勝利を契機とする、国家主義と富国強兵 の強権の上昇期に始まり、その自我の分裂は幸徳 事件をその象徴とするオーソリティの完成期に起 っているのである。啄木の死は、強権の象徴的な 源泉である明治天皇の死と、そしてその強権の真 只中に生きた乃木大将の殉死と、殆んど時を同じ くしてはいるが、それらとはうらはらに、じめじ めした忍従と屈辱の中の死であった。

 近代日本のいくつかのすぐれた自我の群像をさ し貫いているものは、この伸張するオーソリティ の外にはじき出され、激しい呪いと自己主張の願 いを秘めていた者の、理想と現実との、「ことば」 と「行い」との深い断絶の裂け目に他ならない。 啄木こそは、この歴史と歴史意識との亀裂を最 初に目撃し、その亀裂の中で最後まで誠実に、 そして必死に生き抜いた人であった。

 啄木のロマンチスムは『あこがれ』の憧憬から 始まる。だが、その死に到るまでなお彼をロマン チストと呼ぶ所以のものは、この熾烈な日常的現 実との、己れの時代と状況とを一身に引き受けよ うとする誠実な争闘に他ならない。

 今日、私たちのうちにあるものは、啄木の短歌 のもつ通俗性を軽蔑しながら、そのくせそれのも つ抒情性と甘い自愛の心情とをつき離し得ないで いる。この事は逆に、啄木が身をもって開示した 近代日本の矛盾と限界がまだ止揚されず、乗り越 えられていない事を意味するのではないだろうか。

 大江健三郎は、安保闘争敗北の直後、啄木の 『時代閉塞の現状』に触れて、その主張の現 在においてなおかつ有効である事を示さなければ ならなかった。この事は、啄木の批評のほこ先で あった50年前の日本の現実の停滞と混迷が、今な お繰り返されていることを意味するのではないだ ろうか。

「我々日本の青年は、末だ嘗て彼の強権に対して 何等の確執をも醸した事がない」。

 私たちの時代が生んだ、ひとりの鋭敏な頭脳 が1960年に想起しなければならなかったのは、 およそ半世紀もいぜんの啄木のこの言葉であった のである。

 啄木はまことに逆説的な存在である。彼のすぐ れた作品は彼の生涯を通じてその停滞と行づまり の時期に書かれた。彼の歌を愛するものは、彼の あくなき自己変革の姿勢と根強いロマンチスムと を見落すことになり易いのである。逆に啄木の行 く手をさえぎった壁を乗り越えようとするものは、 啄木の歌を愛することができない、というより愛 してはならないのである。この二つながらが、同 時に啄木の真の読者なのである。



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