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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『続・大日本帝国の痼疾』(55)

自由民権運動(9)―愛国社的潮流(2)


愛国社再興→国会期成同盟

(以下、引用文は教科書Bより。事件の年月日や 人名漢字に誤りがあるが、訂正せずそのまま転載 する。)

1878(明治11)年
 5月 大久保利通暗殺
 9月 愛国社再興大会



 大久保は已に西郷を殺せり。木戸を悩殺せり。 江藤前原を刑殺せり。已に琉球を併せたり。その 負うたる所の国民統一の業は已に為されたり。

 ここに於てか五月その参朝の途に於て暴徒のた めに襲撃せられて死し、空しく紀尾井坂に墓碑を 止め、その一半の生涯を後人の推測に打ち任せり。 刺客は石川県の士族、島田一郎、長連豪、杉本乙 菊、杉村文一、脇田新一、島根県士浅井寿篤らに して、多くは西郷を慕望して、かつてその左右に 侍せしことありしものなり。

 この時に方(あた)って、大久保の死は実に天下 少壮の徒が、手を打って相賀せし所にして、彼は 少年民権家の脳中には、殆んど襖国のメッテルニッヒ を以て比せられ、全く国民改進の敵手を以て 目せられたり。



(注)
メッテルニヒ(1773~1859)
 オーストリア帝国の政治家。ウィーン反動体制 の立役者。ウィーン会議の議長。ナポレオン失脚 後、1848年の二月革命まで神聖同盟(1815締結)を 中枢として、アンシャン・レジーム(フランス革 命前の絶対君主政)の復活に努める。対内的には 極端な専制的反動政策をおこない、対外的には自 由主義、民族統一運動を弾圧した。1848年ウィー ンに暴動が起こり、イギリスに亡命。

 大久保暗殺後、刺客たちはは大久保利通の「罪五 事」を挙げた斬奸状をもって自首した。7月27日 6名ともに斬罪に処せられる。「罪五事」の第一を 次のように記している。

「公議を杜絶し、民権を抑圧し、以て政事を 私する。其罪一なり。」

 自由民権の説は已に八、九年より発したり。 大久保の統一政略によりて圧伏せられたり。今や 大久保已に死し、内閣の大権揺ぎて帰着する所な きを見るや、民権家はこの機に乗ぜんと、各地相 唱和して起てり。

 而して明治十二年は、地方官会議にて定めたる 府県会を各地に起せるより人民が政事に注目する の念大に勃興せる時なりしかば、民権家の運動は 大に民心を啓発し、板垣退助を初として、土佐の 民権家先ず主となりて大坂に愛国社の会議を開け り。これに応じたるものは東北、南越、五畿の人 々なりしが、その合議書なるもの左のごとし。

我輩此社を結ぶの主意は愛国の至情自ら止む能は ざるを以てなり。夫れ国を愛するものは須(すべ か)らく先づ其身を愛すべし。人々各其身を愛す るの通義を推せば、互に相交際親愛せざるべから ず。其相交際親愛するには必ず先づ同志集合し、 会議を開かざるを得ず。依て今此会議を開き、互 に相研究協議し、以て各共自主の権利を伸張し、 人間本分の義務を尽し、小にしては一身一家を保全 し、大にしては天下国家を維持するの道より、終 (つひ)に於て天皇陛下の尊栄福祉を増し、我帝国を して欧米諸国と対時屹立せしめんと欲するに在り。 今此主意を述べ、左の条件を約定せり。

第一条 此の社を名づけて愛国社と称し、大坂に 開場を設くべし。
第二条 愛国社は各県各社より其社員両三名を大 坂に出し、毎月数次期日を定めて相会し、大政の 由て出る所と天下の形勢事情を協議討論し、及何 事に因らず各社に報知することを務むべし。
〔以下略〕



1880(明治13)年
 4月 愛国社大会、国会期成同盟と改称


 愛国社の会議は痛く人心を刺激し、尋(つい)で 岡山の地に民権家の同志連合会議を起し、次で福岡 の地に有志民権家の会合を開けり。かくのごとく 民権家は関西の地を席巻して行くと共に、関東に 於ては新聞雑誌に、講談演説に、日夜国会開設、 自由民権の論を主張せしかば、東西相呼応して天 下殆んど震動するの勢なりしが、千葉県の桜井静 先ず起って国会開設の請願を為せり。この一挙は 実に民権家が為さんと欲するの端を開きしものな れば、風雷のごとく、響音のごとく、各地の民権 家相立ってこれに応じ、続々として元老院の門前 に詰めかけたり。

(中略)

民権家は一挙して国会を開設せしめ、以て正々堂 々、政府の政策を論ずるの地を得る乎、然らずん ば一撃して明治政府を倒さんとの意気込を以て、 明治十三年三月国会期成同盟会なるものを大坂に 開き、左の合議書によりて大運動を初め、更らに 会員遭難を救助するの法を定め、有志家をして後 を顧みずして激進せしめんとせり。

国会期成同盟合議書

第一条 国会開設の為め、今茲に合同する者を国 会期成同盟と為し、国会を開設して其美果を見る に臻(いた)る迄、幾年月日を経るも敢て此同盟を 解かざるべし。

第二条 明治十四年十月一日より東京に会議を開 くべし

第三条 来会迄には其府県国郡の戸数過半数の同 意を待て出会するを目的とす

 第四条 来会には各組憲法見込案を持参研究す べし

第五条 来会の会員は百人以上の結合ある者に限 るべし(但当会に列する単身の者及百人未満の者 は次会迄に百人以上の結合を為すべし)

第六条 東京を中央本部と定め常務委員弐名を置 くべし(但常務委員は当会員中より公選す)

第七条 全国を八区に区画し、其区内の誘導は区 内各組責任を定め分担すべし。区画如左

 第一区 奥羽七州、北海道。
 第二区 甲斐、信濃、関東八州。
 第三区 近江、美濃、飛騨、伊賀、
     伊勢、志摩、尾張、三河、
     遠江、駿河、伊豆。
 第四区 北陸道。
 第五区 畿内五国、丹波、丹後、
     但馬、播磨、淡路。
 第六区 長門、周防、石見、安芸、
     出雲、備前、備中、備後、
     伯耆、美作、隠岐、因幡。
 第七区 四国、紀伊。
 第八区 九州、対馬、壱岐、琉球

第八条 来会迄に各区に於て区本部を設置すべし

 会するもの九十余名、九万人を代表すと称す。 その郷関を出るや皆な殆んど死を決して出でたり しが、その議決を以て福島県人河野広中、高知県 人片岡健吉を委員とし、国会開設を上願するの書 を政府に呈せしむ。

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