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《「真説・古代史」拾遺編》(16)

「万葉集巻三の第304歌」をめぐって(4)


 さらに古田さんは、万葉集そのものの真相に迫 っていく。( 『万葉集の中にも現れる九州王朝(1)』 と重複する部分を除いて紹介しますので、合わせてお読みください。)

 まず第一に、万葉集には「奥書」がない。 万葉集はだれがいつ編纂したのか。万葉集には 奥書がなく、不明である。続日本紀・日本書紀にも 万葉集編纂の記事がない。あれだけの大歌集なのに に載っていない。なぜなのか。かって万葉集の研究論文・ 解説はごまんとあるが、この問題を解明したものは 皆無だ。

 日本書紀が大和王朝公認の「正史」であり、日本 書紀とはたくさんの矛盾記事を記載している古事記 は在ってはならぬ検定不合格史書だった。 事実、「正史」である日本書紀・続日本紀に古事 記についての記載がない。天武天皇の業績として、 「古事記の稗田阿礼からの誦習を太安万呂に命じた」 というのは重要な文化的業績だ。だから、続日本 紀に「古事記を和銅5年に作った」という記事が 在ってしかるべきなのに、ない。

(詳しくは 「古事記」対「日本書紀」 をお読みください。)

 「正史」である日本書紀の要は大和王朝こそ古 来からの万世一系・唯一正統の王朝であるという偽装 にある。出雲王朝も九州王朝も関東王朝も、その他 ヤマト王朝以外のどんな王朝もあってはならぬも の。日本書紀はヤマト王朝以外の全ての王朝を 抹消することによって成り立っている。

 ローマ帝国はカルタゴを滅ぼした後、カルタゴの 都市を徹底的に破壊して全くの更地にして、その 痕跡を完全に抹消してしまったという。

 日本書紀は九州王朝の完全な抹消に成功していない。 古田さんの論究によって、九州王朝の史書からの 盗用部分でゾロゾロとほころびが出てきている。

 万葉集も古事記と同様、大和朝廷にとっては、 在ってはならないものだった。万葉集にも 日本書紀と矛盾する事柄がたくさん出てくる。 前回の「朝臣」以外にも、例えば、元号問題がある。 日本書紀は九州年号から大化、白雉、朱鳥の三つ の元号を盗用しているが、そのうちの朱鳥は元年 だけで終わったことになっている。ところが 万葉集の詞書には、巻一だけで朱鳥四年(31番)、朱鳥六年(44番)、 朱鳥七・八年(50番)などがある。
 さらに万葉集には、葬ったはずの「古事記」も 顔を出している。巻一の90番の詞書は次のようだ。
「古事記に曰はく、軽太子、軽太郎女に 姧(たは)けぬ。…」


 奈良時代の万葉って、断片し かないんじゃないですか。みんな平安時代じゃな いですか、万葉の古い筆跡のは。これは岩波の日 本古典文学大系なんかの解説を見れば出てきます が、宮中の女の人達が大事にして書き写していた ような物がね、万葉の一番古いもので出てくるよ うです。つまりこの場合は古事記と違う、古事記 はまったく宮中にはなかったみたいで、わずかに 何らかの関係で真福寺からひょっと姿を現わした んですが、万葉の方は、女の人とか宮中の裏側で 中味を愛する人達が歌ってきておった。それが平 安時代になったらだんだん表に出てきはじめた。 表ったって公式の場に出たんじゃないでしょうけ どね。

 ところが、あれ読めなかった。それを仙覚・契 沖・賀茂真淵・本居宣長、とみんな民間ですね。 彼等が読みはじめた。あれがはじめてオフィシャ ルになったのは明治になってからです。明治11年、 明治天皇がポケットマネーといっていいのか、 ご自分のお金を出して鹿持雅澄、土佐の高知の万 葉学者ですが、彼の万葉古義を印刷して公布させ た。12年たって明治23年世に現われた。そ こではじめてオフィシャルな天皇家公認という感 じになったんです。それまでは宮中の女の人とか 民間をもぐってきていた。ま、大雑把に言います とね。

 だから、あれを表に出してくると日本書紀・続 日本紀と矛盾するわけです。どっちがほんとうか というと、基本的には万葉集がほんとうですよ。 日本書紀は天皇家中心の正史という形で取り繕わ れたものですから、今の問題に関していえば人麿 が詠んでいるのがほんとうです。七世紀の終わり ごろには筑紫に天子がおり、朝廷は筑紫にあった と、そして有力な大王がわが持統天皇である、人 麿はそう詠んでいるわけです。あとを継ぐ人達も、 人麿の言葉を受けついで詠んでいる人が5人ばか りいた。しかしあんなものが公になったら困るわ けです。日本書紀と違う。日本書紀は大和しか朝 廷がないことになっている、それを筑紫まで朝廷 があってもらっちゃ困るわけですよ。だから万葉 集は日の目を見てもらっちゃ困る物だった。



 最後に、古田さんは万葉仮名について言及 されている。

 この筑紫万葉はいわゆる万葉仮名で書かれてい るんですよね。当たり前です万葉集ですから。で、 万葉仮名という言葉、じつは具合悪いんだと中小 路さんからさんざん聞かされましたが、まあ理屈 を言えば、というか学問的にはそうなんですね。 古事記・日本書紀だって万葉仮名で書いてあるん だし、たんなる表音でないものもあるし、それか らまた、元をなす漢字を表音に使うというのは中 国にもあったと、別に日本で発明されたものじゃ ないとかね、いろいろあるんですよ。そういう問 題は当然学問的にありますけど、今大雑把な、 もっと大事な基本問題を言いますよ。

 今かりに万葉仮名と言わしてもらいますよね、 万葉集の大部分を占めている表音のやり方をね。 あれは大和で独創されたものじゃない。この 「古集」、つまり筑紫万葉がすでに万葉仮名で 書かれている。その万葉仮名を大和は真似して 使ったんだ。そうなりません?

 これ言語学の大問題じゃないですか。そう言語 学者今までみなさんに語ってきました? 言って ないでしょう。はじめから、万葉と言ったら、大 和中心と決まっている、っていう顔してなかった ですか。私も高校の国語教師をしていた時、そう いう受け売りでしゃべった覚え、ありますけどね、 とんでもないことですね。

 で、この点は、今日も来ていらっしゃると思い ますが、渋谷さんという方がいらっしゃいまして、 新宿の朝日カルチャーで月に二回、火曜日一時か らやっているんですが、そこで出てきていらっし ゃる渋谷さんがすごい発言をされたんです。済ん だ後の喫茶店でね。どういうことかと言うと、 「万葉仮名は九州王朝で作られて使われていたも のだと思います」いきなりおっしゃったのでびっ くりしたわけです。「なぜかと言えば、あれはむ ずかしい字を一杯使っているから庶民の使ったも のではなくてインテリの使い慣れたものだと思い ます」なるほどそうですね。しかも一つの音に対 していろんな、めんどくさい漢字が当てられてい ますよね。「だから一人じゃなくて複数多数のイン テリ学者が使ってたものだと思います」と、 「そうするとその複数多数の者が使うとなれば、 当然そこには権力者が中心にそれをリードしたっ ていうか命じたとかいうような話になると思いま す」。実際は命じたんではなくてもね、何天皇の 思し召しによってこういう仮名が作られた、と正史 には書くじゃないですか。「そういうことになる と思いますが、日本書紀・続日本紀を見てもまっ たく書いてありません」とね。だれ天皇の時に 万葉仮名を作らしたとか使わせたとかいう記事な いですよね。「ということは、近畿天皇家で最初 に作られたり使われたりしたものではないとこう 考えざるを得ません。そうすると近畿天皇家より 前にすでにそういうことがおこなわれていたとな れば、古田さんのいう九州王朝でおこなわれてい たと考える他ないでしょう、中国・朝鮮と近い し」。これだけの簡単なことをおっしゃった。 ちょっと、ドキッとしてうなりましたね。

実証的に「古集」筑紫万葉は、すでに万葉仮名で 書かれている。こちらが本家ですよ。 われわれが知っ ている「新集」大和万葉は、これを模倣したにす ぎない、すぎないって言っちゃ悪いですが、模倣 者であると。

 万葉集は日本書紀と矛盾する。倶に天を戴くこ とができない、そういう性格をだれも指摘しな かったですね。国学が指摘しないのは当然としま しても、明治以後の学者も指摘しないままで、 みなさんに提供してきていた。私もそれで万葉集 をみておった。こわいですね。ということで、 万葉集に関しておもしろい問題がいろいろ出て きて今夢中なんですけども、時間がきましたの でこれで一応終わらせていただきます。



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