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《「真説・古代史」拾遺編》(15)

「万葉集巻三の第304歌」をめぐって(3)


 従来の解釈ではなんとも間の抜けたような歌が、 古田さんの解読によって、見事は傑作に変貌した。 古田さんは「人麿の歌の中でも最高級のレベル の歌ではないか。堂々たる歌ではないか。」と評価 している。そして古田さんはさらに、人麿がこの歌 に秘めたメッセージの深層にまで掘り進んでいく。

 人麿は「大王の遠の朝廷」の地の光栄を想い、 いにしえの神代のことを偲んでいる、これがこの 歌の表面から読み取れるテーマだが、実はほんと うの第二のテーマがあると言う。

 この歌が詠まれた頃、筑紫はどのような 状況にあったか。倭国は662年(日本書紀では663年) 白村江の戦いで唐・新羅軍に決定的な敗北を喫して いる。その敗戦の後、 筑紫には占領軍が駐屯していた。唐の部将・ 郭務悰が繰り返しやって来ている。そういう 状況にあった。(次の記事を参照してください。)

「白村江の戦(1)」
「白村江の戦(2)」
「白村江の戦(3)」
「白村江の戦(4)」
「ヤマト王朝の成立」

を参照してください。


 人麿が今入ろうとしている筑紫は、そういう筑 紫であるということを人麿はよく知っているわけ です。その輝やかかりし神代よ、と歌ってるわけ なのです。その歌を聞いた筑紫の人は10人が10人、 100人が100人みんな現在の筑紫、汚辱にまみれた、 敗戦と占領の中で屈辱にまみれた筑紫のことを思 ったに相違ない。またそれを思うことを予想した 歌である。つまり、真のメッセージはその第二の 点にあるであろう、というのが私の理解なのです。

 考えてみると、こういう理解ができるというのは、私達というのは非常に“恵ま れた”世代なんですね。なぜかというと、私の青 年時代が正にそうだったのです。マッカーサーが 降り立って、かつての大日本帝国の天皇はマッカ ーサーの所にお伺いを立てに向かわなきゃいけな いなんてね、もう驚天動地の光景でしたけど。東 京には浮浪児とか春を売る女性とかが満ちあふれ ていたんですね。その中を青年時代の私はうろつ いたんですけどね。それは原体験みたいなもんで す、青春の。そういう私だから、今の情景という のは、説明されなくても、非常によくわかる。そ ういう歌です。



 次に古田さんは柿本朝臣人麿の「朝臣」を取り 上げる。

 人麿を「朝臣」に任命したのは誰だろうか。日 本書紀には柿本人麿という人物はまったく登場し ない。だからもちろん、人麿が朝臣に任命された 記事もない。  この問題は人麿だけではない。万葉集巻一 の「近江大津宮御宇天皇代」の最初の歌(16番 )の詞書は「天皇内大臣藤原朝臣に詔して……」と 始まる。そして、藤原朝臣は鎌足だと注釈してい る。ところが日本書には、藤原鎌足が朝臣に任命 されたという記事もまったくない。

 人麿ぐらいなら省略された とかまた罪人にしたから書かなかったで済ませら れるけど、鎌足を省略したなんて、罪人にもなっ てませんしね、そんなことは考えられないでしょ う。だから人麿朝臣問題だけを取り出したらだめ なんで、万葉集という全体の史料の中の一部分で すからね、いくらたくさん何回も出てきても、鎌 足朝臣と同じレベルで考えなければいけないわけ です。そうすると、鎌足は朝臣に任命されなかっ たのか、されたのか。されたのならなぜ日本書紀 はそれを書かないのか、鎌足まで省略を及ぼすこと はおかしいじゃないか、とこういうことになりま すね。

 もう一つの考え方、八世紀になって朝臣という 名前を鎌足につけてあげた、つまり朝臣という名 前は、鎌足当時の名前じゃなくて八世紀以後の名 前でしょう、とこういう解釈もあるんですね。と ころがその場合、朝臣という官職名はご存知でも ありましょうが、天武天皇13年「八色の姓」制 定の記事がある。これのナンバー・ツウが朝臣な んです。ナンバー・ワンは真人なんです。そうす るとおかしなことが出てくるんですよ。人麿の朝 臣は天武13年以後の朝臣と考えてまあ何とかい けそうです。朝臣は同じ朝臣で扱わなければいけ ないということになってくると、鎌足朝臣も同じ 朝臣。鎌足というのは天武13年より前に死んで います。天智8年に死んでいます。だから天武朝 は墓の下にいるわけです。それだのになんで八色 の姓の第二位の朝臣をもらうことができるか、こ れは無理ですね。だから人麿朝臣も鎌足朝臣と 同じレベルで問題になってくる。人麿は八色の姓 の朝臣でしょうという形じゃすまされない。

 それからもっとおかしなことがあるんですよ、 天武天皇というのは、あの天皇、真人ですよ。 「天渟中原瀛真人(あまのぬなはらおきのまひと) 天皇」と、「真人」がちゃんとついている。これ じゃ「真人」が真人を任命するって、これ、何か わけわかります?

 私には意味不明ですがね。これ従来、意味不明 といわないのがおかしいんです。  ということで、とにかく八幡の藪知らずという か、矛盾続出です。



ちなみに、八色の姓は上位から書くと
真人(まひと)
朝臣(あそみ・あそん)
宿禰(すくね)
忌寸(いみき)
道師(みちのし) 臣(おみ)
連(むらじ) 稲置(いなぎ)
である。時代は下るが、允恭天皇の和風諡 は「雄朝津間稚子宿禰(おあさづまわくこ のすくね)」である。

ヤマト一元主義では上記の不審は説明でき ない。かってこの不審を解いたものはいなかった。

 その不審を人麿の歌が説いている。人麿が詠っ ているとおり、七世紀の終わ りごろには朝廷は筑紫にあり、天子は筑紫にいた。 そして、ヤマト王権の王は近畿地方の有力な大王 でしかなかった。古今東西、人臣の位は天子が授 けるものである。

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