2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題

五木の子守唄(1)


 今日、投票が行われている熊本県知事選と相良村 村長選の争点の一つとして「川辺川ダム計画」問題 がある。五木村頭地地区がこのダムの水没予定地に なっている。相良村・五木村といえは 『続・大日本帝国の痼疾』(23)~(27)で取り上げた「毛坊主」の 舞台だった。東京新聞『こちら特報部』(3月16日) がこの問題を取り上げていたのを、少なからぬ関心を 持って読んだ。利権が絡む大規模工事の 御多分に洩れず、静かに地道な人生を紡ぎ、この 社会を根底で支え生きている人たちが翻弄され 蹂躙されていく。(以下、記事の要約)

 五木村の水没予定地に一軒だけ残り農業を続ける 老夫婦がおられる。尾方茂さん80歳、妻チユキさん 75歳。

「子どもがないし、ここで出ても 農地はなく、生活のメドがたたんです。できれば、こ こで一生を終えたい。」

「ダムはないほうがいいけど、それよりも、造るか 造らないかを早く決めてほしかです。」

 代替地に移住して高級木造住宅に住むようになっ た人もいる。ダム関連工事で生計を立てる村民もいる。 水没地の対象から外れ、何の恩恵も受けることなく、 苦しい生活を続ける人もいる。ダム計画は村民の間に 深い亀裂を生んでいる。ダム問題はタブーになってい く。

 頭地地区から代替地に移った主婦は「生活が 良くなり、村民から白い目で見られている気が する。早くダムができて、『自分の選択が役に 立った』と思いたい」と静かに語る。

 黒木さん(取材記者を案内した土地の人)もあから さまには「ダム反対」とは言わないが、その思いを 次のように語っている。

「ダム計画で人は減り、村は寂れた。森林を整備し たほうが、治水や観光にも役立つ。川辺川にたくさん 砂防ダムはできたけど、水質は悪くなるばかり。 ダムはお金の使い方を間違っている気がするのよね」

 国交省に試算によるとダム建設の総工費は 3,300億円。代替地への移転や付け替え道路整備な ど、計画の9割以上が終わっていて、すでに国と県 合わせてすでに2,040億円が支出されているという。 今後必要となる事業費の大半は本体のダム建設費。 もし工事を続行すれば県の支出も250億円以上増え る見通し。熊本県は現在1兆2,000億円の借金を抱 えている。それでも、「すでに投じた巨費がムダ になる」として、本体着工を求める声も依然とし てある。

 ダムの地元に住む黒木さん。
「五木村の有権者は全体のほんのわずか。だから、 ダムが争点と言われても距離があるように感じる のよね。」

 「こちら特報部」は次のように記事を結んでいる。

 夜の五木村。闇夜を静寂が支配する。
「おどま盆ぎり盆ぎり盆からさきゃおらんと」
 黒木さんが「五木の子守唄」を歌っていた。 哀愁に満ちた旋律が胸に迫る。ダムについて多く を語らない黒木さん。子守唄は、ダム湖に沈む五 木村を思い描いたレクイエムなのか、五木の里を 今に残したい叫びにも似た願いなのか。それは、 本人しか分からない。


 ずいぶん長い枕になってしまった。選挙 の結果とダム建設の帰趨には、もちろん強い関 心を持っているが、実は私にはもう一つの関心事 がある。「五木の子守歌」である。

 独身時代に、ギターを弾きながら(といっても、 メロディーをかなでるだけ)よくひとり口ずさんだ歌だ。 その時に私が使っていた本を調べたら、楽譜の下に 音符に合わせて歌詞が書かれていて、1番と2番だけ だった。いつおぼえたのか、あと2,3知っている が、とりあえず、その2編を取り上げる。

(1)
おどまぼんぎりぼんぎり ぼんからさきゃおらんと  ぼんがはよくりゃはよもどる

(2)
おどまかんじんかんじん あんひとたちゃよかし  よかしゃよかおび よかきもん

 「ぼん」が「盆」であり、「おび」は「帯」、 「きもん」は「着物」であるとは推測できるが、 いまいち意味が良くわからなかった。 「かんじん」の意味がかんじんかなめなのだが、 この「かんじん」の意味がわからない。 たいだい、これは果たして子守歌なのか、はなは だ疑問だった。

 最近知ったのだが、「守り子唄」という分類があり、 「子守唄」と区別されている。「子守唄」は幼児 を寝かしつけるための歌であり、「守り子唄」は子守 娘の労働歌である。

 「五木の子守歌」の代表的な解釈を二つ取り出して みた。一つは五木村のホームページから。ここでは 「子守歌」と位置づけている。もう一つは「ひろげ よう人権」というサイトから。こちらでははっきりと 「守り子唄」と言う言葉を使っている。

《五木村ホームページ》の場合
 その昔、山深い五木の里の暮らしは厳しく、娘たち は幼いころから家を助ける為子守奉公に出されました。 娘たちは奉公の辛さや父母を思う気持ちを口ずさみ、 それがいつしか哀調を帯びた「五木の子守唄」になっ たのです。全国に名高い「五木の子守唄」には、この ようなエピソードが秘められています。

おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よ くりゃ早よもどる
(子守奉公も盆で年季が明け 恋しい父母がいる 古里に帰れる日が待ち遠しい。)


 歌詞の解釈は、上の外に6編の解釈が掲示されてい るが、(2)は取り上げていない。最も広く流布されている 歌詞の一つのはずだが、どうしたことだろう。 たぶん、解釈できず、困っているのだと思う。 「五木の子守歌」の本来の意味は時間の底に埋もれてしまい、 今に伝承されていない。本来の意味を知って歌っている人は はたしているのだろうか。

《ひろげよう人権》の場合
 日本の民謡の中には、被差別者の境遇や生活を 唄ったものがあります。皆さん良くご存知の熊本 県の有名な民謡で「五木の子守歌」というのがあ りますが、この民謡は「子守唄」とはなっていま すが、赤ちゃんをあやす唄ではなく、子守娘の気 持ちを唄った「守り子唄」と言われています。

(中略)

 五木は、熊本県人吉市から西北へ25キロ入った 山間の村、五木村のことです。

 昔、源平の戦いに敗れた平家の一族が五木村の 隣の五家荘村に定着したので、源氏は梶原・土肥 の武者を送って五木村に住まわせ、平家の動向を 監視させたと伝えられています。

 その後、これらの源氏の子孫を主として、三十 三人衆と呼ばれる地主(よか衆とよばれる檀那階 級)ができました。この他は「勧進(かんじん)」 といわれる、いわゆる小作人で、この小作人は田 畑は勿論のこと、家・屋敷から農機具に至るまで を「よか衆」から借り受け、「農奴」として最低 の生活に甘んじ、被差別者としての苦しみを続け ていました。

 娘たちも10歳位になると、よか衆の家や他の村 へわずかの賃金で子守奉公に出されていました。 その悲しい子守娘の諦めの気持ちと、よか衆に対 する小さな抵抗を唄ったものがこの子守唄です。

“おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ヤおらんど  盆が早よ来りヤ 早よもどる”
『私は、盆までの約束で、この家へ奉公に来てい るのです。盆が来りや、家に戻れれるのです。 早く盆よ、来てくれ』と家へ帰れる日を待つ気 持ちを言ったもの。

“おどまかんじんかんじん  あん人達アよか衆 よか衆よか帯 よか着物”
『自分は、身分の低い勧進生まれで貧乏な娘です。 それに比べてあの人達はよか衆の家に生まれたも んだから、よい着物を着て立派な帯を締めて、幸 せだなあ』と羨む気持ちを言ったもの。

*「かんじん」とは、「勧進」であり、社寺・仏像 の建立・修繕などのために人に勧めてお金や品物 を募ること。またその人。(後に転じて「物乞い」 と同意に使われるようになった。)


 上記の外に3編の歌詞を取り上げている。いかにも人権擁護を掲げるサイトの解釈だが、 いささか牽強付会に過ぎよう。五家荘村が平家の 落人の部落だというのは聞いたことがあるが、 「よか衆」が「檀那階級」で、「勧進」が「小作 人」というのは無茶だ。

 実は、米村さんが『殉教と民衆』で「五木の子 守歌」を取り上げていて、次のように「子守歌」 に対する対し方の基本姿勢を述べている。

 子守歌の類は近代の知識人好みにこねまわして、 貧困から生まれた唄などという擬似福祉的擬態は ひけらかさない方がいい。子守唄はあくまでも文 句に忠実に咀嚼していくべきである。



 論証抜きの推測や都合による付会、勝手な原文改竄 はしない、あくまでも表記のルールに従って解読す る、という古田さんの『記紀』に対する基本姿勢と 同じスタンスである。それでは米村さんは 「五木の子守歌」をどう解釈しているだろうか。

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