2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
『続・大日本帝国の痼疾』(46)

中江兆民と透谷(2)


 『三酔人』のうち、洋学紳士、豪傑君がそれぞれ 透谷が言う「交通の勢力」、「過去の勢力」である ことは言うまでもないが、それでは南海先生を「創 造的勢力」に比定するのは妥当だろうか。

 蘇峰が、日本の将来が平民主義の政体となるのは 「天下ノ大勢」であると、未来を楽観したのと全 く同様に、洋学紳士は民権は「進化神」の望むと ころ、つまり歴史の必然であると未来を楽観して いる。これに対して 南海先生は次のように洋学紳士の楽天をたしなめ ている。

 紳士君の論は全国人民が同心協力するに非れば 施す可らずして、皆恐くは架空の言たるを免れず。

 且つ紳士君は力を極て進化神の霊威を唱説する も、夫の神の行路は迂曲羊腸にして、或は登り或 は降り或は左し或は右し或は舟し或は車し或は往 くが如くにして反り或は反るが如くにして往き、 紳士君の言の如く決(けつし)て吾儕人類の幾何学 に定めたる直線に循(したが)ふ者に非ず。

(中略)

 是に知る、凡そ古今既に行ふことを得たる事業 は皆進化神の好む所なることを。然ば則ち進化神 の悪む所は何ぞや。其時と其地とに於て必ず行ふ ことを得可らざる所を行はんと欲すること即ち是 れのみ。紳士君、君の言ふ所は今の時に於て斯 地(このち)に於て必ず行ふことを得可き所と為さ ん乎、将(は)た必ず行ふことを得可らざる所と為 さん乎。


 これはまさに透谷の「国民の元気は一朝一夕に 於て轉移すべきものにあらず」という言葉と符合 する。透谷は兆民の中に「創造的勢力」の根幹を 垣間見て、ひそかに近親の情を持ったに違いない。 だからこそ、国会に「無血 虫」の弾劾状を叩きつけたあと、あらぬ方へと曲 折していった兆民に対して、透谷は『兆民居士安 くにかある』と嘆かずにはいられなかった。

 多くの仏学者中に於てルーソー、ボルテールの 深刻なる思想を咀嚼し、之を我が邦人に伝へたる もの兆民居士を以て最とす。「民約篇」の飜訳は 彼の手に因りて完成せられ、而して仏国の狂暴に して欝怏(うつおう)たる精神も亦た、彼に因りて 明治の思想の巨籠中に投げられたり。彼は思想界 の一漁師として漁獲多からざるにあらず、社会は 彼を以て一部の思想の代表者と指目せしに、何事 ぞ、北海に遊商して、遠く世外に超脱するとは。

 世、兆民居士を棄てたるか、兆民居士、世を棄 てたるか、抑(そもそ)も亦た仏国思想は遂に其の 根基を我邦土の上に打建つるに及ばざるか。居士 が議会を捨てたるは宜(むべ)なり、居士が自由党 を捨てたるも亦た宜なり、居士は政治家にあらず、 居士は政党員たるべき人にあらず、然れども何が 故に、居士は一個の哲学者たるを得ざるか。何が 故に、此の溷濁(こんだく)なる社会を憤り、此の 紛擾(ふんじょう)たる小人島騒動に激し、以て痛 切なる声を思想界の一方に放つことを得ざるか。

 吾人居士を識らず、然れども竊(ひそ)かに居士の 高風を遠羨(ゑんせん)せしことあるものなり、而 して今や居士在らず、徒(いたづ)らに半仙半商の 中江篤介、怯懦(きょうだ)にして世を避けたる、 驕慢にして世を擲(な)げたる中江篤介あるを聞く のみ。バイロンの所謂(いはゆる)暴野なるルーソ ー、理想美の夢想家遂に我邦に縁なくして、英国 想の代表者、健全なる共和思想の先達なる民友子 をして、仏学者安(いづ)くにあると嘲らしむ、時 勢の変遷、豈に鑑(かんが)みざるべけんや。


 この激しい非難の言葉にもかかわらず、自分(透谷) と同じく欠如の国民を凝視していたであろう兆民へ の深い哀惜の念と無念を、私は感じ取る。

 「徒らに半仙半商の中江篤介、怯懦にして世を 避けたる、驕慢にして世を擲げたる中江篤介」を、 色川さんも「最高級の、正真正銘の思想家」と賞 賛を惜しまない。


 この後、兆民のたどった道は、「余も亦(外交 上の)神経病者の一人なり」(兆民)という、大 井憲太郎らの陥っていった国権の道への傾斜であ り、反面、あくまでも民権に執着し、「理義」に 就くための、小政治からの逃避の試行であった。

 彼の演じた多くの奇行や、彼にふさわしからぬ 「虚業」「実業」での多くの失敗、逸脱は、透谷 が「兆民居士安くにかある」で、蘇峰に遠慮し、 幾分酷に批評しているが、この兆民の挫折感の、 深い内的モチーフを考慮にいれないでは理解でき ない。私はこの人もまた、思想の独創的な閃めき とその展開の方向を示しながら、世に容れられず、 時代の限界に挑戦して孤立した悲劇の人であった とみなしている。

 中江兆民こそ近代日本における最高級の、正真 正銘の「思想家」であった。「吾人居士を識らず、 然れども窺かに居士の高風を遠羨せしことあるも のなり」と透谷が讃えたように。


 ちなみに、兆民は1901(明治34)年に亡くなって いる。享年54歳。蘇峰は、三叉竹越と同じように、 大日本帝国の滅亡を目の当たりにしている。1957 (昭和32)年没で、94歳いう長寿であった。50台か ら書き始めた『近世日本国民史』は全百巻という 途方もないもの。また敗戦後も達者で、私は未見 だが、憲法九条や朝鮮戦争なども論じていると いう。

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