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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題3

続「安倍政権6年間の悪行・愚行」(78)

《「日米安全保障条約」締結60周年》(3)

   今回は「日米安全保障条約締結60周年」を題材にした記事の総集編に当たる社説(1月19日付)を転載します。

日米安保改定60年 「盾と矛」関係の変質

   現行の日米安全保障条約の署名からきょう十九日で六十年。自衛隊は専守防衛に徹し、打撃力を米軍に委ねてきた「盾と矛」の関係は、冷戦終結後、自衛隊の役割拡大に伴って変質しつつある。
 ◇
 「日米同盟は、日米両国の平和と安全を確保するに際して不可欠な役割を果たしてきており、今後もその役割を果たし続ける」
   日米両国の外務防衛担当閣僚は条約署名六十年に当たって発表した共同声明で、日米安保体制が果たしてきた役割を強調した。

◆旧条約で米軍駐留継続

    現行安保条約は一九六〇年、旧安保条約を改定したものだ。
    五一年、サンフランシスコ対日講和条約と同時に締結された旧条約は日本の独立回復後も米軍の駐留を認めることが主眼だった。
    占領軍さながらに日本国内の内乱に米軍が対応する記述がある一方、米軍の日本防衛義務は明記されておらず、独立国としてふさわしくない条約と見られていた。


    旧条約を結んだ吉田茂首相の退陣後、五四年に発足した鳩山一郎内閣から条約改定に向けた動きが始まる。その狙いは米軍撤退に備えて日本の自衛力を増強し、相互防衛的な条約にすることだった。
    しかし、基地使用の制限を恐れた米国側は、日本の自衛力不足を理由に否定的だった。
<
   再び条約改定に臨んだのが安倍晋三首相の祖父、岸信介首相だ。
   五七年、就任四カ月後に訪米し、アイゼンハワー大統領との間で旧条約が「暫定的なものである」ことを確認し、翌五八年から安保改定交渉が始まった。
  そして六〇年一月十九日、日米両政府は現行の安保条約に署名。条約案は五月二十日、混乱の中、衆院を通過、三十日後の六月十九日に自動承認され、岸首相は条約発効を見届けて退陣を表明する。


◆基地提供の義務は重いく/B>

   現行の安保条約は戦争放棄と戦力不保持の憲法九条の制約が前提だ。自衛隊は「盾」として専守防衛に徹し、「矛」としての米軍が打撃力を受け持つ関係である。

   日本は米軍への施設提供義務、米国は日本防衛義務をそれぞれ負う。非対称ではあるが、ともに義務を負う「双務条約」である。
   しかし、米国だけが軍事的負担を強いられ、日本はただ乗りしているという「安保ただ乗り論」が米国内では時折、頭をもたげる。
  米軍への施設提供は日本にとって重い負担であり、ただ乗り論は妥当性を欠くが、米政権は自国の経済財政状況が厳しくなるたびに一層の負担や役割の拡大を求め、日本側が応じてきたのが現実だ。

   日本は条約上の義務のない人件費や光熱水費などを「思いやり予算」として負担し続け、自衛隊は装備を増強し、海外派遣も常態化した。
   極め付きは歴代内閣が憲法上許されないとしてきた「集団的自衛権の行使」を、安倍内閣の判断で容認したことだろう。
 自衛隊は長距離巡航ミサイル導入や事実上の空母保有など、憲法上許される「必要最小限度」を超えかねない装備を持ち、憲法解釈の変更で限定的ながら海外で米国とともに戦えるようになった。

  長く「盾」だった自衛隊は条約改定から六十年を経て、米英同盟のようにともに戦う「軍隊」へと変質し、米国の紛争に巻き込まれる危険性は確実に高まっている。
  日米安保は戦後日本の平和と繁栄の基礎となり、ソ連を仮想敵とした冷戦終結後も、アジア太平洋の安全保障という新たな役割を与えられ、続いてきた。

   ただ、安保条約は日米だけでなく日本と近隣諸国との関係、日本の政治や防衛政策、さらには憲法の在り方にも影響を与えてきた。無批判に継続するのではなく、常に検証する必要があるだろう。
   在日米軍は適正規模なのか、一地域に過重な負担を押しつけていないか。在日米軍専用施設の70%が集中する沖縄の現状を放置して日米安保の円滑な運用は難しい。

     思いやり予算は、五年ごとの改定が二〇二〇年度に行われるが、米側は四倍増を求めているとされる。米軍駐留に伴う日本側の総経費は年間八千億円近くに上り、これ以上の負担増は妥当なのか。安倍内閣が高額な米国製武器の購入を増やしていることも問題だ。

◆たゆまぬ見直しが必要く/B>

   東アジアの安全保障環境は、中国の軍事力増強や北朝鮮による核・ミサイル開発など依然厳しい。日米安保体制が、警察力としての米軍の存在を支え、地域の安定に一定の役割を果たしてきた。
   かと言って、日米安保が軍拡競争の誘因となり「安全保障のジレンマ」に陥っては本末転倒だ。

  「同盟」関係はよくガーデニング(庭造り)に例えられる。手入れを怠れば荒れるという意味だ。日米安保体制は今のままでいいのか、新しい時代に対応し、平和憲法の理念を実現するためにも、たゆまぬ見直しが必要である。



  以上で 《「日米安全保障条約」締結60周年》問題は終わりとします。
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今日の話題3

続「安倍政権6年間の悪行・愚行」(77)

《「日米安全保障条約」締結60周年》(2)

   今回は「日米安全保障条約締結60周年」を題材にした記事の内から【核心】欄に掲載された記事(1月19日付)を転載します。

進む米軍との一体化 自衛隊の運用・予算歯止め失う


日米安保の主な経緯と拡大する自衛隊の活動

1951年 日米安全保障条約締結
 54年 自衛隊発足
 60年 日米安保条約改定、現在の条約に
 91年 湾岸戦争、ペルシャ湾の機雷除去
    のため自衛隊を海外に初派遣①)
 92年 PKO協力法成立、自衛隊カンボジア派遣②
 99年 周辺事態法成立③
2001年 米中枢同時テロ、テ口特措法成立し自衛隊がインド洋で米軍を後方支醇④
  3年 イラク戦争、イラク特措法成立し04年に自衛隊イラク派遣⑤
 14年 集団的自衛権行使を容認する閣議決定
 15年 安全保障関連法成立⑥
 17年 安保法に毒づき米艦防護を初実施
 18年 防衛大網で防衛政策転換を兵器面で裏付け
 19年 安保法に基づきシナイ半島MFOに自衛官派遣
 20年 日本関係船舶の安全確保のため自衛隊中東派遣⑦

  現行の日米安全保障条約は十九日で署名から六十年が経過した。
  冷戦終結後、日本は米国の「不沈空母」の役割にとどまらず、米国の世界戦略に関与するようになった。
  米国の外交、戦争まで支援することで、安保条約が定める米国の対日防衛を確実にするためだ。
  米国が自国第一主義を掲げて同盟のコストを嫌う傾向を強める中、日本の対米追随は自衛隊の運用、予算負担の双方で歯止めを失いつつある。 (上野実輝彦、ワシントン・金杉貴雄)

駐溜経費交渉は難航必至

  ▼ 覇権争い

    米国防総省のヘルベイ国防次官補代行(インド太平洋安全保障担当)は、日米安保六十年を記念したワシントンでの会合で「中国との戦略的競争がわれわれの最も決定的な課題だ」と強調。日米同盟を「中国との戦略的競争で成功するように変革する」と語った。
   米国が軍事、経済の両面で中国との覇権争いを制するため、在日米軍も自衛隊も活用するという意味だ。この六十年間、時々の米国の世界戦略や関心事に応じて日本や自衛隊は貢献を求められてきた。
   冷戦終結後は、早いペースで自衛隊の海外任務を増やした。
   さらにアクセルを踏み込んだのが安倍普三首相だ。日本政府は集団的自衛権を行使できないとの立場を長年堅持してきたが、首相は二〇一四年、憲法解釈を変更する閣議決定で集団的自衛権の行使を容認。
   翌一五年には安保関連法を成立させ、平時から自衛隊が米軍を防護できるようにし、自衛隊と米軍の一体化を進めた。

不公平

       こうした政策変更を実地に掲げる首相は「日米同盟はかつてないほど強国だ」と胸を張る。
   これに対しトランプ米大統領は安保条約を「不公平」と繰り過し表明。
   「米国は日本の防衛に大金を払っている」と首相に不満をぶつける。
   日本はステルス戦闘機F35をはじめ巨額の米国製兵器の購入をトランプ氏にアピールする。
   それでも米側は在日米軍の駐留経費負担(思いやり予算)を大幅に増やすよう迫る。
   日本の負担を定めた現行協定が二一年三月末で期限が切れ、更新交渉は今年から本格化するが、難航は確実だ。

   首相は年頭の記者会見で、祖父の故岸信介氏が六十年前に首相として手掛けた安保条約改定に触れ「日米同盟はその後の時代を切り開き、わが国の外交安保政策の基盤となっている」と意義を訴えた。
   岸氏が米国の日本防衛義務を明確化したのに対し、第二次安倍政権では日本側の負担だけが膨らんでいる。


「沖縄の負担増」を生んだ

    沖郷国際大の野添文彬准敬授(日本外交史)の話
>
>    日米安保体制が日本の安全を保障し、民主主義や自由主義を根付かせたのは事実だ。半面、近隣諸国との関係が希薄になり、戦後処理に禍根を残した。沖縄に強いられる米軍基地負担の上に日本の安全保障が成り立つといういびつな構造も生み出した。  反米軍基地運動が起きた本土の基地が縮小し、沖縄の負担が相対的に増えた。日米安保に依存した政府は、米国に見捨てられるのを恐れ、沖縄に基地負担を押しつける形になった。  日米同盟を強化する現政権の方針でこ日本の人的、金銭的負担が増え続けている。米国の国力が低下する今後は、インド太平洋の友好国との多角的な安保協力を進めつつ、沖縄の負担軽減を目指していくべきだ。


今日の話題3

続「安倍政権6年間の悪行・愚行」(76)

《「日米安全保障条約」締結60周年》(1)

   現行の日米安全保障条約は一月十九日で、署名から六十年を迎えました。
   この事についての記事が東京新聞(19日付と20日付の朝刊)に掲載されていました。

   まずは19日と20日の【政治】欄に掲載された記事を転載します。

日米安保条約60年 対米追従、強める首相

  現行の日米安全保障条約は十九日、署名から六十年を迎えた。米軍に基地を提供して防衛を依存する日本はこの間、米国の求めに応じて自衛隊の役割を拡大。安倍晋三首相は自衛隊と米軍の一体化や米国製武器の購入を推進し、対米追従姿勢を鮮明にしている。

  首相は第二次政権発足以降、集団的自衛権の行使を解禁し、安全保障関連法を成立させて防衛政策を変質させた。防衛力整備の方針である「防衛計画の大綱」も見直し、防衛費を増額させている。

  茂木敏充外相と河野太郎防衛相は安保条約六十年に当たり、ポンペオ米国務長官・エスパー国防長官との連名で共同声明を発表。安保法による自衛隊の米軍支援の拡大を念頭に「日米同盟はいまだかつてないほど強固で、幅広く、不可欠となっている」と強調した。

  日米両国は一九六〇年一月十九日、改定された日米安保条約に署名。日本は米軍に基地を提供し、米国は日本を防衛するという双方の義務が明文化された。 (上野実輝彦)


首相「日米安保は不滅」 条約60年 都内で式典

   現行の日米安全保障条約の署名から丸六十年を迎えた十九日、日本政府が主催した記念式典が東京都内の飯倉公館で開かれた。安倍晋三首相はあいさつに立ち「今や日米安保条約は、いつの時代にも増して不滅の柱。世界の平和を守り、繁栄を保証する不動の柱だ」と表明した。宇宙やサイバーの新たな領域で日米同盟を強化する意向も強調した。

   式典には麻生太郎副総理や茂木敏充外相、河野太郎防衛相、米国のヤング駐日臨時代理大使らが出席。署名時のアイゼンハワー米大統領の孫メアリーさんも招待された。

   あいさつで首相は米軍による東日本大震災での支援活動「トモダチ作戦」などに触れ、自衛隊員や米軍兵士に謝意を表明。
  「六十年、百年先まで世界を支える柱として同盟を強くしていこう」と訴えた。
  二〇一五年の米議会演説で用いた「希望の同盟」に言及し「私たちが歩むべき道は、希望の光をもっと輝かせることだ」とも語った。

   飯倉公館のロビーには安倍首相の祖父の岸信介元首相とアイゼンハワー氏がゴルフをする写真などが展示され、首相とメアリーさんらは言葉を交わしながら見学した。
   現行条約は一九六〇年一月十九日、岸氏とハーター米国務長官らがアイゼンハワー氏の立ち会いの下、ワシントンで署名した。


トランプ氏声明

「日本の貢献増大を確信」
 【ワシントン=共同】
   トランプ米大統領は十八日、現行の日米安全保障条約署名六十年を祝福する声明を発表し
    「今後、日本の貢献が増え続け、同盟が発展し続けることを確信している」と表明した。
   トランプ氏は安倍晋三首相、茂木敏充外相、河野太郎防衛相に敬意を表した上で, 
    「両国の盤石な同盟は過去六十年にわたり、米国と日本、インド太平洋地域、全世界の平和と安全、繁栄に不可欠だった」と評価。
   その上で「安保環境が変化し続け、新たな挑戦が起こる中、同盟をさらに強化し深化することが必要だ」と指摘した。


(次回に続きます。)
今日の話題3

続「安倍政権6年間の悪行・愚行」(75)

   【凡庸な悪】をしばらくお休みして、【続「安倍政権6年間の悪行・愚行】に戻ることにしまうます。

  今日(1月25日)の東京新聞(朝刊)の【政治】欄に、衆参両院での代表質問におけるアベコベ軽薄姑息うそつきカルト首相の姑息な答弁を詳しく記載した記事が掲載されていました。それを転載することにします。
  記事の本文の他に『主なテーマのやりとり』が表記式で添付されていますので、まずそれを紹介してから、本文を転記することにします。

【衆参両院での代表質問】
 

    (テーマごとに、各質問と、その下にそれに対する答弁を《》内に記述することにします。)

主なテーマのやり取り


  テーマ「桜を見る会」/B>

●昨年の招待客名簿が残っている可能性が高い。再調査の指示を(立民・枝野幸男代表)
  《再調査は考えていない。廃棄履歴(ログ)の開示もセキュリティー上の問題がある》

●招待客名簿の廃棄は法律や規則を無視しており、組織的な隠蔽(いんペい)だ(共産・志位和夫委員姦)
  《公文書管理に関するガイドラインにのっとった対応で、組織的隠蔽を図ったとの指摘は当たらない》

●廃棄は国民の知る権利を侵害した。公文書管理と情報公開の徹底を(維新・片山虎之助共同代表表)
  《チェック強化など、政府をあげて公文書管理のさらなる徹底方策を検討する》


テーマ「IR汚職事件」

●事業推進は凍結すべきだ(国民・玉木雄一郎代表)
  《lRは観光先進国の実現を後押しするものだ》

●事業者との接触ルールを厳格化すべきだ(堆新・馬場伸幸幹事長)
  《接触ルールは整備法に基づく基本方針に盛り込むことを検討》


テーマ「公選法違反」

●疑惑で河井、菅原両氏が閣僚を辞任。どう責任を取るのか(枝野氏)
  《行政を前に進めることに全力を尽くし、国民への責任を果たす》


テーマ「海上自衛隊の中東派遣」

●必要性や目的などが十分に理解されていない(公明・斉藤鉄夫幹事長)
  《日本関係船舶のの安全確保のため情報収集体制を強化》

●中東の緊張が高まっている(志位氏)
  《武力紛争に巻き込まれる危険があるとは考えていない》


【本文を転載します】
  『衆参代表質問終了 「桜」かわし続けた首相、IR推進も変えず』

   安倍晋三首相の施政方針に対する衆参両院の各党代表質問が二十四日、終わった。
 (前文)
   首相は三日間の質疑で、自身が主催した「桜を見る会」に関し、野党の質問に正面から答えず、追及をかわし続けた。首相の姿勢に変化があったのは、カジノを含む統合型リゾート(IR)整備で、事業者との癒着を防止する新たな対策の検討を余儀なくされたことくらいだ。安倍政権が抱える疑惑の解明は、週明けの衆参予算委員会の論戦に持ち越された。(中根政人、横山大輔)

   首相は二十四日の参院代表質問で、桜を見る会の招待客が年々増え、開催費用が膨らんだことに関し「結果的には望ましいものではなかった」と釈明。「これまでの運用を大いに反省すべきだ」と見直しに取り組む方針を示した。
   だが、言葉に行動は伴わない。

   会前夜の地元後援会との懇親会を巡っては、明細書は会場のホテルが公開を前提としていないとして提示を拒んだ。
   招待客名簿に関し「残っている可能性が濃厚」(立憲民主党の枝野幸男代表)との指摘を受けても再調査しないと言明。名簿の電子データ廃棄の証拠となる履歴(ログ)も「セキュリティー上の問題」を理由に公開を拒否した。
  IR整備に関しても、国民民主党の玉木雄一郎代表の凍結要求を突っぱね、推進の方針を変えなかった。
  ただ、汚職事件への批判を踏まえ、不正防止策として政府側と事業者の接触を制限するルールを検討すると説明。
  大臣規範や現行法の規定で対処するとした当初の政府方針を修正した。

  公選法違反疑惑による河井克行前法相、菅原一秀前経済産業相の辞任に関しては「任命した者として責任を痛感している」と繰り返した。
  説明責任のあり方については「(河井、菅原両氏が)可能な限り説明を尽くしていくと考えている」と本人に対応を委ねた。

  海上自衛隊の中東派遣を巡っては「自衛隊が何らかの武力紛争に巻き込まれる危険があるとは考えていない」と断言。
   米国とイランが一触即発になったばかりなのに、そう言い切れる根拠は明らかにしなかった。


【凡庸な悪】

《「凡庸な悪」という恐怖》(3)

【2007年2月14日の記事】

「凡庸な悪」について(3)

   いま東京都の教員たちが直面させられている問題にしぼって、「凡庸な悪」ということを考えてみようと思います。私は一部外者にすぎませんが、わが身に引き寄せて考えて見ます。

   瀬古浩爾著『生きていくのに大切な言葉-吉本隆明74語』(二見書房)の次のくだりに、私のような凡庸な者が「凡庸な悪」をまぬがれるための必要不可欠な倫理を見い出します。



組合は今回の要求を克ちとる為、いよいよ困難な交渉段階に入って参ります。我々は各位の代弁者としての責任に於いて、堂々たる態度を持してゆきます。各位も又、自らを辱かしめざらんことを。
      東洋インキ青戸労働組合組合長 吉本隆明
    「堂々」とした声明である。

   吉本氏は昭和27年に東洋インキ製造株式会社に入社し、青戸工場に配属された。翌28年、28歳の若さで青戸労働組合の組合長に就任する。思考の強靭さや徹底した闘争意志が秀でていたと推測されるが、それもさることながら、仲間たちのあいだで余程人間的信頼を得たのだろうと思われる。

   掲載文に「各位も又、自らを辱かしめざらんことを」とある。われわれは絶対に「自らを辱かしめ」るような交渉はしない、「堂々たる態度」で交渉に臨む、という決意に自信があるからいえる言葉だ。じつに頼もしい。

   だが、会社側の「悪質な切くずし」によって脱落する組合員がでてくる。脱落の理由は大きく三つある。
(1) 「この際忠勤ぶりを示して自分だけはよくなろうという乞食根性」
(2) 「本当に生活が苦しくて、自分や家族のことを考えて(会社側の……引用者注)脅迫に心ならずも動かされた者」
(3) 「組合幹部の運動方針に反感をもっていて、一石二鳥をねらった者」

  これについて吉本氏はこのように書いている。
 「第一の連中とだけは、今後とも激しい闘いをつづけなければならない」が、「第二、第三の人たちは、今後とも組合員全部で守ってやらなければならない。」

 吉本氏の組織論の要諦だ。組織への入り口はだれにも開かれている。そして、組織からの出口もまた薄汚い利己主義者を例外として、だれにもきちんと開かれている。その出口を開いているのはなにか。自分の体質にまでなった、吉本氏の人間観である。卑怯者は許されてはならないが、人間の弱さや自分と異なる思考は最大限に理解され尊重されなければならない、というような。そして、自分の思考に絶対的な正当性はない、というような……無類の優しさであり、無比の柔軟さである。

 部外者には決して見えないことがあり、ことはそう単純ではないことを承知の上で、「日の丸・君が代の強制」が都立高校の教員集団にもたらした分断状況を推測してみます。
(1) もともと都教委・校長と同じ考えをもっていたような顔をして都教委・校長に擦り寄っていく奴隷根性の者たち。
(2) 自分や家族の生活や将来を案じて心ならずも日の丸に向かい君が代を歌っている振りをしているが、日常の教育実践では決して都教委・校長に迎合はしていない人たち。
(3) 「思想・良心の自由」を蹂躪するような教育行政にはどうしても膝を屈するわけにはいかず最前線に立たざるを得なかった人たち。

 冒頭の吉本組合長の闘争宣言を、いま私は(3)の人たちからのメッセージとして読んでいます。私が当事者だったとして、(1)のような者には決してならないことははっきりと断言できます。そして、それ以外のどのような生き方を選ぶとしても、「自らを辱かしめざらんこと」を常に反芻しながら一つ一つの行動を選択していこうと思います。「自らを辱かしめざらんこと」の核心は、私(たち)が生徒に対して「凡庸な悪」を行使してはならないということです。これが(1)のような者たちとのぎりぎりの境界線です。

 さて、組合は何をやっているのでしょうか。もしも都高教執行部にまだ強靭な思考力や徹底した闘争意志が残っているのなら、(2)の人たちをも守りつつ、(3)の人たちとともに闘いの最前線に立つ以外に、「凡庸な悪」におちいらない道があるのでしょうか。

 しかし翌年、吉本氏は、かれじしんの言葉によると「壊滅的な徹底闘争」に敗れ組合長を辞任する。組織に楯突いた者に対する仕打ちのつねとして、吉本氏は職場をたらい回しにされる。かつての同士たちは吉本氏にどのように対応したのだろうか。よそよそしい者がいたとしても、吉本氏はかれらを決して恨まなかったはずである。その二年後、吉本氏は飼い殺し的な本社職務への転勤を不服として退職をする。31歳だった。

 このような矜持と覚悟がないのなら、組合の執行委員になるべきではない。

【凡庸な悪】

《「凡庸な悪」という恐怖》(1)


《「凡庸な悪」という恐怖》(1) は1月18日に掲載したのですが、私が誤って消去してしまったようです。順序が逆になってしまいますが、 1月22日付で再掲載することにしました。面倒なことになり、ごめんなさい。

  前回の「前書き」で
     『今、私の念頭に長い連載になりそうなテーマが一つ巣食っているのですが、それは次回から取り上げることにして、』
  と書きましたが、私の念頭に巣食っていたテーマは「凡庸な悪」でした。今回からこのテーマを新たな表題とした連載を始めることにしました。

  「凡庸な悪」という問題はこのブログを始めた当初から関心を持っていた問題で、既に度々その問題を取り上げています。まず、最初にこの問題を取り上げたのは2007年でしたが、その当初の記事を2016年1月1日に纏めて掲載ましたが、ここでは、再度「凡庸な悪」をテーマにするので、そのテーマの問題点を明らかにしておくことを目的として、2007年に書いた「凡庸な悪」の記事をいくらか書き換えながら転載することから始めることにします。

【2007年2月7日の記事】

「凡庸な悪」について(1)

    大澤真幸(社会学者)さんの論壇時評(1月31日付東京新聞夕刊)に、日ごろ考えていたことと共鳴する一節がありました。まず、その書き出しの一文を転載します。



   現在の国際政治における困難を、あえて宗教的な語を用いて要約するならば、「最後の審判の視点の不在」となろう。

    「私の今の言動が正しいかどうかはわからない。しかし、歴史の最後の日の神の裁きが、それが正義にかなっていたか否かを教えてくれるに違いない」。これが、最後の審判という想定である。
  だが、われわれが今日失っているのは、この感覚つまり仮に目下のところははっきりしていなくても、われわれの行為の規範的な価値を正しく評価してくれる公正な視点がどこかにあるはずだという感覚である。「正義」を呼ぶ声が論壇の世界に響くのは、「最後の審判」を失ったことへの不安の表現にも思える。

 この問いかけは、もちろん、「現在の国際政治における困難」にとどまらない。一般的な倫理の問題として今日的問題であり、私はそのように読んだ。そのように読んできて、次の最後の結語に強く共鳴した。

義務の履行

    「私の今の言動が正しいかどうかはわからない。しかし、歴史の最後の日の神の裁きが、それが正義にかなっていたか否かを教えてくれるに違いない」。これが、最後の審判という想定である。
  だが、われわれが今日失っているのは、この感覚つまり仮に目下のところははっきりしていなくても、われわれの行為の規範的な価値を正しく評価してくれる公正な視点がどこかにあるはずだという感覚である。「正義」を呼ぶ声が論壇の世界に響くのは、「最後の審判」を失ったことへの不安の表現にも思える。 現在の国際政治における困難を、あえて宗教的な語を用いて要約するならば、「最後の審判の視点の不在」となろう。

    「私の今の言動が正しいかどうかはわからない。しかし、歴史の最後の日の神の裁きが、それが正義にかなっていたか否かを教えてくれるに違いない」。これが、最後の審判という想定である。
  だが、われわれが今日失っているのは、この感覚つまり仮に目下のところははっきりしていなくても、われわれの行為の規範的な価値を正しく評価してくれる公正な視点がどこかにあるはずだという感覚である。「正義」を呼ぶ声が論壇の世界に響くのは、「最後の審判」を失ったことへの不安の表現にも思える。

   現在の国際政治における困難を、あえて宗教的な語を用いて要約するならば、「最後の審判の視点の不在」となろう。     「私の今の言動が正しいかどうかはわからない。しかし、歴史の最後の日の神の裁きが、それが正義にかなっていたか否かを教えてくれるに違いない」。これが、最後の審判という想定である。   だが、われわれが今日失っているのは、この感覚つまり仮に目下のところははっきりしていなくても、われわれの行為の規範的な価値を正しく評価してくれる公正な視点がどこかにあるはずだという感覚である。「正義」を呼ぶ声が論壇の世界に響くのは、「最後の審判」を失ったことへの不安の表現にも思える。

   普通、人は、義務を遂行できないときに言い訳をするが、逆に、義務の遂行そのものが言い訳になる場合もある。
   ここで私の頭に浮かんだのがアーレントが「凡庸な悪」と呼んだアイヒマンのケースだ。
   アイヒマンは、職位上の義務だったから、つまり命令があったからユダヤ人虐殺を指揮しただけだ、と主張した。世界大戦中の多くの日本兵も、同じ理由で虐殺を行ったことだろう。

    このように、「正義」や「義務」を与える超越的な他者(神、指導者等)がいるとき、人は、責任をその他者に転嫁できる。  だが、もしそのような他者がいなければ、人は、自らの行為の責任を自らで全面的に引き受けなくてはならない。そうだとすれば、「最後の審判の視点」を失ったわれわれの時代は、倫理を根底から復活させるためのチャンスを有するのではないか。

   「凡庸な悪」は戦時のような極限でだけ生まれるわけではない。
   (その例として、悪辣な都の教育行政に圧迫されている教育現場の現状を取り上げていますが、ここでは割愛します。)

   「職位上の義務」だけでなく「一般的な義務」にまで「義務」を敷衍したとき、義務の履行を「言い訳」とする「凡庸な悪」は私(たち)も日常的に共有している「悪」ではないか。私は自らの人生を省みて内心忸怩たる思いを禁じえない。

    (次回に続きます。)
【凡庸な悪】

《「凡庸な悪」という恐怖》(2)

【 2007年2月8日の記事】
「凡庸な悪」について(2)

   『澤藤統一郎の憲法日記』から二つの記事を転載させていただきます。

   一つは1月31日に行われた「君が代不起立ゆえに嘱託再雇用を不合格となった原告の損害賠償請求事件」の証人尋問の報告記事「課長も校長もロボットだ。」です。証人は都教育庁の人事部選考課長と都立高校の校長です・。

 この報告記事の中で澤藤さんは次のように感想を述べておられます。
   課長も校長も実に情けない。信念に基づいてやっているわけはないのだから。上に迎合する証言を、あたかも自分の意思のごとくにしゃべらせられる気の毒な人たち。
   とは言え、教職員や生徒の犠牲で保身をはかる人々でもある。遠慮してはおられない。

 そして、それに先立って、1月7日の記事「都教委幹部の個人責任追及を」で、『まだ個人的な見解』と断っていますが、次のような提言をしています。
 都教委は、「控訴によって9・21判決は確定を阻まれている。だから、これまでの方針を変更する必要はない。「10・23通達」は変更しないし、校長の職務命令もこれまでと同様に出してもらう」と言っている。

 しかし、そんな形式論で片づく事態ではない。
 行政裁量を幅広く認めて、望ましからぬ行政行為にも目をつぶっているのが今の裁判所である。その裁判所が、「10・23通達」とその指導には憲法上到底看過できないとした。起立・斉唱を命じる校長の職務命令に対しては、「重大かつ明白な瑕疵あり」と断じた。この重みを受けとめていただきたい。

 上級審の判断を仰ぎたいということでの控訴あっても、少なくとも、「重大かつ明白な瑕疵あり」とされた職務命令を強要したり、違憲違法とされた処分を強行するような乱暴なことは控えなければならない。それが行政のあるべき姿勢だし、道義であり社会常識でもある。

 9・21判決が上級審でも支持される確率は限りなく高い。控訴棄却となり、あるいは上告棄却となって確定したとき、誰がどう責任をとるのか。

  9・21判決の前後で決定的に異なるのは、担当者の個人責任である。この判決の以前には、客観的なには違憲・違法な公権力行使であっても、「主観的には違憲違法とは考えなかった」という弁解が通る余地はありえた。「教職員側の弁護団の指摘はあったが、横山教育長や都教委の法務関係者の意見を信用した。違憲違法なことをしているとの認識はなかった」と言って通るかも知れない。

 しかし、9・21判決が、あれだけ明確に違憲違法を言ったあとには、その弁明はもはや通らない。国賠法上、公務員は故意または重過失ない限り、個人としての責任は問われないが、逆に故意または重過失あれば個人として責任を問われることになる。東京地裁が判決という形で明確にした警告を無視して、敢えて処分を重ねた者の個人責任は、厳重に問われなければならない。

 石原慎太郎知事・木村孟教育委員長・中島正彦教育長・米長邦雄等教育委員、人事局長・職員課長までの個人責任は当然である。この点は、校長も同じことである。東京都教育委員会・東京都教育庁は、「個人責任を覚悟のうえで職務命令を出せ」と校長に言えるのか。

 権力を持つ者が、違法に権力を行使すれば影響は大きい。当然に責任も大きいのだ。自己保身のためにも、判決を尊重して、上級審判決あるまでは、乱暴なことは差し控えるべきだという警告に耳を傾けなければならない。

 われわれは、「10・23通達」とその強制によって生じた被害についての公務員の個人責任を徹底して追及する。そのことが無責任な知事や都教委幹部・校長らの行為によって違憲違法な教育行政がまかり通ることを予防する監督機能を果たすであろうから。具体的には、国家賠償請求に公務員個人も被告として加えることを検討する。確定判決後には東京都が支払った損害賠償ならびに、「10・23通達」関連で支出された諸経費について、東京都が知事・教育委員会委員長・教育長外の責任ある公務員個人への求償をなすべく、監査請求をし、住民訴訟を提起することを検討する。

 このことを事前に警告し、本気で追求しようではないか。

 9・21難波判決は都職員や校長にとって、その「凡庸の罪」を反省し、その罪過を重ねぬために自立した言動をなすための格好の根拠であり機会だと思うのですが、彼らにはそのような発想はないようです。「凡庸」の「凡庸」たる所以です。

 かれらの「個人責任をも追及する」という澤藤さんの提言に賛成します。これは法的措置としてばかりではなく、教育現場で苦闘している教員にとって、さまざまな不条理な攻撃をはねかえすための理論的根拠としても有効ではないでしょうか。

(追記 2016年12月9日)
 この画期的な難波判決は都教委が控訴し、東京高裁ではオソマツ判決で原告側敗訴。原告側が控訴し、最高裁でも原告側敗訴となる。『予防訴訟の記録』から「最高裁判決のまとめ」を転載しておこう。
 最高裁は、訴え自体を門前払いにした高裁の判断は間違っているとして、差止訴訟及び当事者訴訟としての義務不存在確認訴訟を適法としました。しかし、違憲・違法の主張は認められず、懲戒処分の差止や義務不存在の確認を求める訴えは認められませんでした。



《「凡庸な悪」という恐怖》(1) は1月18日に掲載したのですが、私が誤って消去してしまったようです。順序が逆になってしまいますが、 1月22日付で再掲載することにしました。面倒なことになり、ごめんなさい。
今日の話題3

続「安倍政権6年間の悪行・愚行」(75)

「暴言の正体 見極めろ」(2)

   顔写真なしで、次のような首脳の達の暴言か追記されています。

【タイ プラユット首相】
《過激》  「すべてのメディアを監視し、必要なら処刑する」
閣僚との不仲や内閣改造の可能性を尋ねた記者団に対して(15年3月)
【イスラエル ネタニヤフ首相】
《フェイク》   「ホロコーストはパレスチナ人がヒトラーに進言したものだ」
         ユダヤ人団体の会議で発言。専門家からは「歴史の歪曲」と批判が集まった(15年10月)
【オランダ ルッテ首相】
《差別》   「普通に振る舞え。さもなければ出ていけ」
       新聞各紙に意見広告を掲載。反移民、反イスラムなどの国民感情に呼応するためか(17年1月)
【タンザニア マグフリ大統領】
《過激》    「受刑者は無料の労働力だ。昼も夜もれんがを作らせ、怠けたら蹴とばせ」
        汚職撲滅に取り組み、「ブルドーザー」の異名も(18年7月)

    最後に【トルコ エルドアン大統領】と【イスラエル ネタニヤフ首相】が、イスラエル軍がパレスチナ自治区でデモ隊を銃撃したことを発端に、ツイッター上で行った応酬(けんか)(18年5月)が掲載されているので、それも転載しておきます。

   『エルドアン大統領』
         イスラエルはテロをまき散らしている。
   『ネタニヤフ首相』
          エルドアンはテロと虐殺をよく理解している。私たちに道徳を説教しない方がいい。
    『エルドアン大統領』
          ネタニヤフはアパルトヘイト(人種隔離)国家の首相だ。人間らしさを学びたいか? 十戒を読め

  さて、以上のような首脳たちの暴言についての纏めとして、担当の記者が青山学院大の米山明日香准教授(英語音声学)の意見を伺って、以下のような米山准教授の論説を掲載しています。

民主主義の崩壊招く危険

 (なぜ首脳の暴言は繰り返され、、そして一部で支持を得ているのか。青山学院大の米山明日香准教授(英語音声学)は「過激で下品な言葉は、一部の一般人も使う。民衆の言葉を使うことで、『この人は仲間だ』と共感を呼ぶ効果がある」と分析する。)
   それを実証したのがトランプ大統領だ。経済的困窮などで世の中に不満を感じる層からは、「自分たちの本音を代弁してくれている」と熱狂的な支持を得ているという。米山准教授は「本音を包み隠さず話すことが一般人に受け、支持に結びつく。それに気付いた政治家らが、民衆を取り込む手段として、あえて過激な言葉を使っている部分はある」と、世界に広がる「トランプ効果」を指摘する。
   また、ツイッターなど会員制交流サイト(SNS)の普及も、首脳の暴言や真偽不明の情報の拡散を助長している。米山准教授は「ツイッターは文字数も限られており、単純化された情報には偏りある。発言の背景が分からず、フェイク(偽)かどうか判断できない」と話す。
  首脳の暴言に慣れ、情報をうのみにすることは、国の独裁にもつながる。
  米山准教授は
    「暴言へのまひは.広い意味で民主主義の崩壊につながる。なぜその発言をしたのか、それは真実なのか。一人一人が情報を見極める目を持つことが重要」
    と警鐘を鳴らす。


  最後にこの厖大な記事を担当した記者さんの氏名が掲載あれているので紹介しておきます。『 紙面構成・山田千尋/デザイン・佐藤圭美』   
今日の話題3

続「安倍政権6年間の悪行・愚行」(74)

「暴言の正体 見極めろ」(1)

   当然の事ながら、国家の首脳の悪行愚行は日本だけの問題ではありません。
 1月9日付の東京新聞の【本音のコラム】欄に弁護士の三木義一(みきよしかず)氏が『神童たちの政治』と題した論説が掲載されていました。それを転載させていただきます。

神童たちの政治

  昨年末は除夜の鐘の「ゴーン」が一段と大きくく世界中に鳴り響き、日本が島国の一つに過ぎないことを思い知らされ た。さらに、翌元旦の本紙9面「暴言の正体 見極めろ」では、国際社会が普通の大人ではなく、「神童」たちに支配され ていることを改めて実感させられた。

  「地球温暖化は中国のでっちあげだ」などの発言どころか、イランの司令官を殺害し、アメリカの一般市民まで危険にさ らしてしまったトランプ米大統領。「人権ばかめ、地獄へ落ちろ」というフィリピンのドゥテルテ大統領。「ホロコーストはパレスチナ人がヒトラーに進言したものだ」と言い、選挙前になるとパレスチナに空爆を行い、民意を煽(あお)ってきたイスラエルのネタニヤフ首 相。

  しかも彼らだけではなく、イギリスやブラジルをはじめ多くの国の指導者が似たような発言をし始めている。普通の大人ならしないはずの言動を各国の指導者が行っているのである。ジョークの世界では彼らのことを「神童」と呼ぶ。十歳にして現在と同じだけの知性と理解力を有していたからだ。

  我が国の安倍首相も同様に神童なのだろうか。子供じみた手法が目につくが、祖父の願いの憲法改正のためだとすると、この課題は十歳では気づくまい。だから、やはり神童ではなく、.ただの晋三のようだ。

   普通の大人ならしないはずの言動を躊躇も恥じらいもなく行っている政治家たちを「神童」と笑い飛ばしている。私は私のブログを始めた頃から頻繁に使ってきた「凡庸な悪」を思い出した。ここで言われている「神童」=「凡庸な悪」人と言ってよいであろう。

   私は前回で「今、私の念頭に長い連載になりそうなテーマが一つ巣食っているのですが、それは次回から取り上げることにして、」と書きましたが、そのテーマとは実は「凡庸な悪」なのでした。元旦の9面の記事の表題「暴言の正体 見極めろ」は「凡庸な悪人たちの正体を見極めろ」と言ってもよいのではないかと思っています。
   その9面の記事は政治家たちの顔写真も掲載し9面全体を使った複雑な記事ですが「凡庸な悪人たちの正体を見極め」たいので、かなり時間が掛かる大変な作業になりますが、挑戦することにします。


暴言の正体 見極めろ

(前書き)

(標題)

 大国のトップらしからぬ奔放な発言が、世界的に注目を集めるトランプ米大統領。ツイッターなどで発信される過激で真偽不明な「暴言」は、メディアなどで問題視される一方で、一定の支持も得ている。他国でも暴言をはばからない首脳が現れ、「××のトランプ」と揶揄され人気を集めるケースさえある。過激な発言が飛び交う中、暴言に対するハ一ドルは確実に下がってきている。首脳の暴言が許容される背景には、「本音を代弁してくれた」と歓迎する民衆の姿も見え隠れする。

【米国 トランプ大統領】
《フェイク》  「地球温暖化は中国のでっち上げだ
        大統領選の選挙期間中、オバマ政権の温暖化対策を批判する際、繰り返し発言(16年)
《過激》   「尻の穴みたいな国から、なんであんなに米国に来るんだ
        ハイチやアメリカなどからの移民に対して、共和・民主両党の議員たちが、
        移民政策提案のためにホワイトハウスを訪れた時の発言(18年1月)
《差別》  「完全に壊れていて犯罪がはびこる自分の国に、なぜ彼女らは帰らないのか
          急進的で知られる民主党の非白人女性議員4人に向けて、ツイッターで発言。3人は米国生まれのため事実誤認(19年7月)

 【英国 ジョンソン首相】
《差別》  「郵便ポストのような格好で出歩くのはばかげている。銀行強盗のようだ。
          保守系新聞に寄稿。イスラム教の女性が全身を覆う衣装「ブルカ」を着た姿を揶揄した(18年8月)

 【イラン ハメネイ師】
《フェイク》  「敵国は多額の資金をつぎ込んで陰謀を企てたが、イランは制圧した
        ガソリン値上げを実施した政府への抗議デモだが、米国やイスラエルの陰謀で起きたと主張(19年11月)

 【ブラジル ボルソナロ大統領】
《差別》  「体重が100㌔もあり、何もせずにダラダラしている。体を売るにしても使えない
          アフリカ系逃亡奴隷コミュニティーの住民に対して。その後、裁判所に罰金約170万円の支払いを命じられた(17年4月)

 【フイリピン ドゥテルテ大統領】
《過激》  「人権ばかめ、地獄に落ちろ。国際刑事裁判所(JCC)の権威などくそ食らえだ
          証拠や司法手続きなしの容疑者殺害は罪だとする告発を受け、ICCがドゥテルテ大統領らの予備調査を始めたことに対して(19年2月)

(大きな顔写真つきで取り上げられていた暴言は以上で終わりました。その他の暴言は 次回で取り上げます。)       
今日の話題3

続「安倍政権6年間の悪行・愚行」(73)

   本日(1月7日)は『「人日(じんじつ)の節句」の日』と呼ばれています。(その由来を詳しく知りたい方には『気になる話題アラカルト(https://usefultopic.com/archives/1087.html#i-4)』をご紹介しておきましょう。)

   私にとっては「1月7日」はとっても単純で『新年を殊更に寿ぐ日(1月1日から6日)』が終わった日です。つまり「ごく普通の日常に戻る日」です。ということで、今日からブログも再開することにしました。
   今、私の念頭に長い連載になりそうなテーマが一つ巣食っているのですが、それは次回から取り上げることにして、今回は、昨年の最後のブログ記事となった「辺野古問題」の記事が二つ本日の東京新聞に掲載されていましたので、それを転載しておくことにしました。一つは【政治】面の<こうなる2020>(3)で、もう一つは「辺野古・高江リポート」です。新年を迎えても、相変わらず「安倍政権の悪行・愚行」が続いています。

【政治】面…<こうなる2020>(3)

沖縄・米軍基地 県民反発 国と対立続く

   政府は、沖縄県民が反対の民意を示しているにもかかわらず、米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移転に伴う名護市辺野古(へのこ)への新基地建設を強行する。
   難航する工事は大幅に遅れて建設費も増大する中、県は「基地負担のたらい回し」として、あらゆる手段で阻止する構え。政府は建設推進の立場を変えず、今年も激しい攻防が続く。

   防衛省は昨年十二月、埋め立て予定地である辺野古北部の海底に存在する軟弱地盤について、地盤改良の工事が可能と省内の有識者会議で結論付けた。住宅街に密接して「世界一危険」とされる普天間の返還のためには「辺野古が唯一の選択肢」と繰り返す。

   日米両政府は二〇一三年当時、新基地の提供まで九年半との工程表を提示し、普天間飛行場を「二二年度またはその後に返還可能」としていた。だが、政府が昨年十二月にまとめた新たな工程表では運用開始まで最短で十二年かかり、早くても三〇年代へずれ込む。

   軟弱地盤の対応で工法を変更せざるを得ないため、防衛省は近く県に設計変更を申請し、承認を得る必要がある。新基地阻止を掲げる玉城(たまき)デニー知事は認めない方針で、受理から一カ月程度で不承認とする方向。この場合、政府は行政不服審査法に基づく審査請求や代執行訴訟などの対抗措置を講じ、県との訴訟合戦に発展する見込みだ。

   政府は総事業費について三千五百億円以上とみていたが、軟弱地盤の工事などで膨らみ、約九千三百億円に変更。一方、県は二兆五千五百億円もの巨額な費用がかかると独自試算して建設断念を迫る。

   国土の面積の0・6%しかない沖縄県に、日本の米軍専用施設の約七割が集中する。玉城氏は全国各地で「米軍に起因する騒音や事件、事故で多大な基地負担を強いられている」と訴え、基地負担軽減の機運を盛り上げたい考えだ。
   夏には県議選が予定されている。玉城氏を支える県政与党のオール沖縄勢力が過半数を維持するかどうかが、大きな焦点になる。

   政府は在日米軍に関し、「思いやり予算」として駐留経費を税金で負担している。基地従業員の給与や光熱水費などに、二〇年度予算案では十三年ぶりに二千億円台を計上した。
   思いやり予算は日米両政府の特別協定に定められ、二一年三月末が期限。来年の通常国会での協定更新の承認を見据え、日米当局が近く協議を開始する。
   米国防総省の〇四年の報告書では、米軍が駐留する各国の負担割合は韓国が40%、ドイツは32・6%。日本は74・5%と突出しているが、トランプ米大統領は大幅増を強く要求。米国追従の目立つ安倍政権がどこまで押し返せるか見通せない状況だ。
    (山口哲人)

「辺野古・高江リポート」

初日の出に沖縄の末来誓う

 【1日】
   米軍普天間飛行場の移設に伴う新基地建設が進められている沖縄県名護市辺野古の浜に早朝、初日の出を見ようと県内外から約三百人が訪れた。
    ヘリ基地反対協議会が主催する初興しも開かれ、安次富(あじとみ)浩共同代表は「未来ある沖縄を私たちの手でつくっていこう」とあいさつし、参加者と共に新基地建設阻止に向けて決意を新たにした。
    日の出時刻は厚い雲に覆われ、地平線から昇る朝日は見られなかったが、午前七時半すぎに雲の隙間から日が差し込んだ。訪れた人々は手を合わせたり、写真を撮ったりして思い思いの時間を過ごした。
 初興しでは、琉球舞踊や古武道が披露され、最後は参加者全員でカチャーシーを踊った。谷茶前節を踊った宜保紅桜(さくら)さん(一一)、歩花(ほのか)さん(七つ)姉妹は「緊張したけれど、楽しかった」と話した。鳩間節を披盛した島袋由妃さん(一四)は「平和な社会になるよう思いを込めて踊った」と笑顔を輝かせた。

【3日】
    世界的音楽家の坂本龍一さん(六七)が午後、名護市辺野古沖の新基地建設海域を視察し「「この美しい自然を壊してまで(新基地を}造る意義はない。多くの人もそう思うのではないか。埋め立て土砂投入は1%にとどまっており、まだ引き返せる」と語り、埋め立て工事を中止すべきだとの認識を示した。
 坂本さんは、名護市議の東恩納(ひがしおんな)琢磨さんがかじを取るグラスボートで埋め立て現場などを巡った。
    沖縄の民意無視する形で工事が進む状況に対し、坂本さんは「この島にこれだけの基地があることが異常。本土と沖塵の間に差別があるように思えてならない」と述べ、新基地建設を押し進める国を批判した。
    吉永小百合さんと共演するチャリティーコンサート(五日開催)に先立ち、坂本さんは辺野古を視察した。

             (琉球新報の記事を転載しています)