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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。

今日の話題3

米国の属国・日本(21)

 ご無沙汰しました。溜まっていた資料を整理しているうちに一週間が過ぎていました。「米国の属国・日本」を続けます。

 東京新聞の企画記事『税を追う』が「辺野古埋め立て強行」と題する記事を〈上中下:2月22日~2月24日〉と三回に亘って掲載しました。読んでいるとアベコベ軽薄姑息うそつきカルト首相にこびへつらった官僚たちの嘘と誤魔化しの論法を恥じない破廉恥な姿勢にうんざりしてきます。
 その記事の「上・中」の転載から始めます。


    【辺野古埋め立て強行(上)】

軟弱地盤伏せ土砂投入

《住民憤り「国 いつも門外後出し」》
  エメラルドグリーンの美(ちゅ)ら海に、赤茶けた土砂の投入が始まって一カ月以上がたっていた。
  一月三十日、衆院本会議。安倍晋三首相はこう力説した。
   「地盤改良工事は必要であるものの、一般的で施工実績が豊富な工法で工事は可能だと確認された」

  沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設で、埋め立て海域にある軟弱地盤の存在を政府が初めて認めた瞬間だった。
   「何を今更。政府のやっていることは偽装だらけに見える。故郷がズタズタにされるようで悲しい」。
  名護市出身で、今は那覇市で暮らす横田真利子さん(六六)は吐き捨てるように言った。
   「辺野古の海に厚さ四十㍍の軟弱地盤が広がっている」… 一年前に地元紙が報じていた。

  暴いたのは、基地建設に反対する沖縄平和市民連絡会の北上田毅(きたうえだ つよし)さん(七三)。
  昨年三月、防衛省沖縄防衛局から開示された文書を見て目を疑った。埋め立て予定地の複数の地点で、海底の地盤の固さを  示す「N値」がゼロとなっていた。
  勝手に杭が地中に沈んでしまうほど軟らかい地盤。長年、役所で公共事業に関わってきた土木技術者だったからこそ見抜けた  欠陥だった。
    「豆腐のような地盤の上に基地を造るなんてありえない」。 慌てて県やマスコミに伝えた。

  防衛局は当初、軟弱地盤の存在を想定していなかった。基地を造るには地盤改良が必要で、大幅な設計変更は避けられない。工費も工期も莫大にかかる。
 県が昨年八月に埋め立ての承認撤回の理由に挙げたほど、軟弱地盤は基地建設の帰趨を握る重大な問題だった。それでも防衛省は県に伝えていなかった。
 驚くのは、北上田さんが情報開示請求する二年前の二〇一六年三月、地盤を調べた業者から防衛局に調査結果が出ていたことだ。防衛局は一四年度から海底ポーリング調査をしており、県によると、以前から防衛局に調査結果を求めていたという。
   「隠していたわけではない。調査結果は行政文書なので、行政手続きに則って対応するだけ」
     と平然と答える防衛省。昨年六月になって調査結果を県に示したのは、県の開示請求を受けてのことだった。
   建設が危ぶまれるほどのリスクを抱えながら防衛省の態度は頑なだった。

   「N値0」が公然の事実となっても、
    「総合的に判断しないと分からない」「土によって強度を持つ可能性がある」
     と、軟弱地盤の存在を認めようとしない。工事をいったん中断して計画を再検討するどころか、昨年十二月に埋め立て区域への土砂投入を強行した。
  しかし、その裏で防衛省は、軟弱地盤を改良するための大掛かりな工事をひそかに検討していた。

  本紙は防衛省の委託業者が今年一月にまとめた「地盤に係る設計・施工の検討結果」という百七十四㌻の内部報告書を入手した。 そこには軟弱地盤は最深部で海面から九十㍍の深さまで達しているとあった。世界でも地盤改良の実績がない深さで、七万本以上の砂の杭を地中に打ち込む強化策を想定しているが、杭は最大で深さ七十㍍程度で完全には改良できない。
  「実績が豊富」という首相答弁を覆すような内容。報告書に関する記事が出ると、岩屋毅防衛相は「報道は臆測の域を出ない」と否定。防衛省も沈黙を貫く。
  首長や県議として辺野古問題に二十年以上かかわり、現在は県政策調整監の吉田勝廣氏(74)には、政府の狙いが透けて見える。
  「都合の悪いことは、後戻りできなくなってから明らかにする。国のやり方は、いつも後出しなわけさ」

        ◇

  二十四日に辺野古埋め立ての賛否を問う沖縄県民投票が行われる。政府は「沖縄の気持ちに寄り添う」と言いながら、昨秋の知事選で示された民意を置き去りに工事を強行する。論点をずらし、不都合な事実を隠そうとする権力の暴走を追う。                                                   (中沢誠、望月衣塑子が担当します)


   【辺野古埋め立て強行(中)】

赤土疑惑 論点ずらす

《「法的根拠示せ」 立ち入り拒む政府》
  モニターに映る土砂は、確かに赤茶けていた。
   「埋め立てに使う岩ズリは本来もっと黒っぽい。明らかに違いますよ」。隣でドローンを操作していた土木技術者の奥間政則さん(五二)はつぶやく。
  二月始め、沖縄県名護市の安和桟橋では、辺野古の埋め立て用土砂の積み出しが行われていた。ドローンの映像からは、ベルトコンべヤーで運搬船に土砂が積み込まれていく様子がくっきりと見える。船内の土砂は、二カ月前、辺野古の海に投入された土砂の色そのものだった。 大量の「赤土」が混じっている疑いがあるとして、県はこれまで再三にわたり、防衛省沖縄防衛局に立ち入り検査を求めてきた。赤土は粘土性で、水に溶けるとヘドロ状になり、サンゴなどの自然環境に悪影響を及ぼすからだ。

  県によると、そもそも埋め立て土砂の検査は、防衛局が「まだ購入先が決まっていない」と言うので、購入時に確認する」という約束で、六年前に埋めl止てを承認した経緯があった。
  しかし、その約束は反故にされた。

  昨年十二月十四日朝、防衛局は県庁に、土砂投入を電話で通知てきた。県の担当者は電話口で防衛局職員に問いただした。
    「埋め立てに使う土砂の性状検査はしたのか」。検査結果がメールで届いたのは、その日の午後五時のことだった。
  県の担当者はあぜんとした。一年半~二年半も前の検査だったからだ。しかも届いた検査結果では、赤土を示す粘土分がほとんど計測されておらず、テレビに映っていた赤茶けた土砂とは似つかないものだった。
    「投入した土砂と検査した土砂が違うのでは」。現場への立ち入り調査を求めた県に防衛局は
    「(立ち入りの)法的根拠を示せ」と居直った。

  年が明け、防衛局は「投入している土砂のデータ」を県に提出した。だが、検査は土砂の粒度と有害物質の有無を調べたもの。どのくらい赤土を含むのか、県は土砂の品質を尋ねているのに、防衛局は赤土には一切触れず、「問題となるような汚濁はない」と切り返す。まるで「ご飯論法」だ。

   (管理人注:「ごはん論法」…初めて出会った言葉なのでネット検索で調べました。
     〈言い逃れ答弁の論法で、「朝ごはんを食べましたか?」という質問に「(朝、パンは食べたけど、ごはん=米飯は)食べていない」と答えるようなやり方。安倍政権に共通する感覚であると漫画評・書評サイト「紙屋研究所」管理人の紙屋高雪は指摘している。〉


  揚げ句の果てには土砂の検査とは異なる目的で、県が埋め立て現場に立ち入った事実を持ち出し、あたかも県の要求に応じたかのように取り繕う。県海岸防災課の永山正課長は
   「県には埋め立て承認権者としての監督権限がある。やましくなければ検査させればいい。」
  と不満を漏らす。

  今月二十一日の野党議員懇談会では、はぐらかすような回筈を繰り返す防衛省の相当者に、本多平直衆院議員が怒りをあらわにした。
    「県は、防衛局の監査が疑わしいから立ち入りを求めている。それが理由じゃだめなんですか」
  埋め立て土砂に使う「岩ズリ」の規格を巡っても、防衛省は論点をずらす。
  当初、県には粘土など細粒分の割合を「10%程度」と説明していたのが、工事を発注するときになって無断で「40%以下」に変更していた。この事実を本紙が報じると,岩屋毅防衛相は
   「護岸で囲まれた閉鎖的な水域なので問題ない」 と開き直った。
 「埋め立て土砂に赤土が混っているように見えませんか」。ある夜、辺野古工事に土砂を納入している琉球セメントの社員に疑問をぶつけた。
  「どちらかと言えば、見えなくもないてすけど…」
 奥歯にものが挟まったような口ぶりが印象的だった。

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今日の話題3

米国の属国・日本(20)

  『米国の属国・日本(15) 』で アベコベ軽薄姑息うそつきカルト政権が「馬毛島(まげしま)をアメリカ様に貢ごうとしている」ことを取り上げましたが、今回はその続編とも言うべき記事です。

  まず、東京新聞(2月18日付)のコラム【私説・論説室から】に掲載された記事『増殖を続ける米軍』を転載します。

増殖を続ける米軍

  防衛省は米空母艦載機の離着陸訓練(FCLP)施設として、鹿児島県西之表市の馬毛島を取得することを決めた。米軍基地はとめどなく広がるのだろうか。

  実例がある。昨年三月、米空母艦載機が神奈川県の厚木基地から山口県の岩国基地へ移駐した。だが、日本政府が求めていないことから厚木基地は一平方メートルも返還されていない。岩国基地には日本政府のカネで移駐に伴う各種施設が造られており、米軍は労せずして艦載機が利用できる厚木、岩国という二つの基地を手に入れたことになる。

    馬毛島にFCLP施設ができれば、岩国から遠い硫黄島のFCLP施設は使われなくなるだろうが、米軍は手放さない。厚木同様、おそらく日本側が返還を求めないからだ。

  沖縄の普天間飛行場だって変わりない。 二〇一七年六月、稲田朋美防衛相(当時)は普天間飛行場の返還をめぐり、参院外交防衛委で「(緊急時の民間施設の利用について)米側と協議、調整が整わない限り、返還がなされないことになる」と明言した。
  条件が整わなければ、普天間返還が実現しないのだとすれば、安倍晋三政権がやるべきは辺野古新基地の建設強行ではない。米政府に沖縄の民意を伝え、どうすれば普天間返還が実現するか誠実に協議することである。米政府の圧力を地元につけ回すだけの政府でいいはずがない。 (半田滋)

  さて次は、政府はやるべきではない辺野古新基地の建設強行に際限なく膨大な税金を注ぎ込んでいるのですが、その最新情報です。
  東京新聞(2月19日付の連載特集<税を追う>の記事『辺野古埋め立て見積もり 土砂単価、護岸用の3倍』の前書きを転載しておきます。
 

同素材、45億円過大に

   沖縄県名護市辺野古(へのこ)の米軍新基地建設で、防衛省沖縄防衛局が埋め立て用土砂の単価について、同じ素材を使う護岸建設用の土砂に比べ、三倍も割高に見積もっていたことが分かった。発注時期は異なるものの、同じ現場で同じ資材の単価に大きな開きが生じるのは異例。埋め立て土砂の購入費は発注分だけでも、護岸用の単価で計算するより四十五億円も過大になる。 (中沢誠)
 

   では最後に最新の「辺野古・高江リポート」を転載しておきます。 
 

投票告示日も土砂投入

 【12日】
   米軍普天間飛行場の移設に伴う沖縄県名護市辺野古への新基地建設で、沖縄防衛局は埋め立て作業を継続した。大浦湾のK9護岸で台船からダンプカーに土砂を積み込み、辺野古崎付近の埋め立て区域「2-1」へ次々と土砂を投入した。

 【13日】
   沖縄防衛局は埋め立て作業とN4護岸の工事を進めた。名護市安和から運搬船で運んだ土砂を降ろす作業をする大浦湾側のK9護岸付近では、雨がやんだ午後から作業を始め、埋め立て区域への土砂投入を続けた。海上では建設に反対する市民がカヌー九艇と抗議船二隻で抗議。安和では埋め立てに使う土砂を積み込んだトラックが次々とゲート内に入っていく中、市民らが抗議した。

 【14日】
   新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票が告示されたこの日も、埋め立てとN4謹岸の工事が進められた。大浦湾側のK9護岸では午前九時前から、運搬船で運んだ土砂を陸上へ移し替える作業が行われた。埋め立て区域にはトラックが行き来し、土砂の投入を続けた。辺野古崎周辺のN4護岸では、砕石が海中へ投入される様子が見られた。海上では、市民が抗議船とカヌーに乗り抗議した。

  【15日】
    埋め立ての賛否を直接県民全体に問う県民投票が実施されるさなかにあっても続けられる工事に対し、建設に反対する市民が海上からカヌー七艇で抗議の声を上げた。大浦湾側のK9護岸でも名護市安和から運搬船で運んだ土砂をダンプカーに積み込み、埋め立て区域まで輸送する作業が確認された。

 【16日】
   この日は市民八十人以上が米軍キャンプ・シュワブ沿岸でカヌーと船に乗って工事に抗議する海上大行動を展開した。「美ら海を守れ」「海を埋め立てるな」と声を上げて基地建設の中止を訴えた。  市民はカヌー四十二艇と船七隻で海上に出た。沖縄防衛局が大浦湾側のN4護岸の造成や辺野古側の土砂投入の工事を進める中、市民は工事が進む地点に向かって抗議行動を展開した。

                 (琉球新報の記事を転載しています)

天皇制問題(9)

天皇報道と記者たち(4)

  山口さんの論考の最終節の標題は「記者に残された課題」です。これを転載します。

記者に残された課題

  今回のⅩデー報道が日本のジャーナリズムに残した負の遺産はあまりにも大きい。私たち記者は、このⅩデー報道全体について、一人ひとりの体験に基づき、深く掘り下げて反省を重ねていかなければならない。本稿をしめくくるにあたって、今、記者につきつけられた課題を整理しておきたい。

 第一点は、
    天皇に対する無条件の敬語報道の問題である。天皇報道においてマスメディアは、戦前も戦後も.一貫して敬語を使っている。この敬語使用は、天皇を無条件に「尊敬すべき存在」とする前提に立ったもので、これに縛られている限り、記者はけっして客観的、批判的な報道をすることはできない。あの「崩御」報道は、日常的な敬語使用の延長線上で行なわれたものであり、「崩御」使用を阻止するためには、敬語報道そのものを問い直すしかなかった。

 第二点は、
    権威、権力に頼った〝客観報道″の弱点である。日本のマスメディアは〝日常の報道″で常に「客観、公正、中立」を標榜しながら、実際には、「○○によると」という形で、権威あるもの、すなわち警察や行政機関によりかかった報道に終始している。
    その悪しき典型が、無罪推定の法理を踏みにじる犯罪報道だが、天皇報道においてもそのパターンが適用され、結局、政府、警察などの見解が無批判に紙面の中心を占めてしまった。犯罪報道などにおいて権威に頼り権力に思考を内面化してしまう習慣を身につけてしまうと、記者が記事を書く際の拠り所は、市民の立場から権力の立場に知らずしらずのうちに移行してしまう。逮捕された者に対する一方的な犯人扱いの呼び捨てと、天皇への敬語使用は表裏一体である。
    天皇という日本社会でもっとも権威づけられている存在を対象とする報道であれば、なおさら権威に頼らず、市民の立場に立った記者自らの責任に基づく取材報道スタイルの確立は不可欠である。

 第三点は、
    ものごとの核心を見抜く洞察力と批判精神の衰退である。天皇の死を「歴史の転換」などという皮相かつ歪曲した視点からとらえるマスメディア幹部の論理に、数多くの記者が無批判に動かされ、断片的な情報をただ伝えるだけの「歯車の一部」にされたことを、ジャーナリストの原点に返って反省しなければならない。また、そうならないためには、記者はもっと視野を広げ、歴史に学ぶ姿勢を強めなければならない。

 第四点は、
    マスメディア内部の言論の自由の問題である。マスメディアは宮内庁を〝菊のカーテン″と呼ぶが、それ以前にメディア内部にもっと厚い菊のカーテンがある。天皇批判タブーである。そして、このタブーに挑む言動に対しては、メディア内部で厳しい統制が行なわれる。社内論議抜きのⅩデー予定稿とそれに基づく取材、報道の指示に、なぜもっと大きな議論が起きなかったのか。それは、異を唱えること自体に大きな勇気が求められるほどの社内における言論の自由の閉塞が大きな原因である。

 私たち記者は、今、目の前にこのような大きな課題を突きつけられている。今回の天皇Ⅹデー報道でマスメディアが「やってしまったこと」の意味を考えれば考えるほど、気分は重く、前途は暗く見える。もう一度、『マスコミ市民』特集号から、引用しよう。

〈仲のいい他社の記者とは「もう天ちゃん(天皇)が死んだらオレたちお互いに新聞記者っていうのはよそうな。戦前から戦中にかけ大本営発表で読者をだまくらかして戦場へ送り、戦後の憲法下で死んでいく天皇に、崩御などという戦前に逆行するような紙面づくりに加担したんじゃ、もう本来の記者とはいえないよ」と。こんな内容の会話を交わして別れたが、それがとうとう実現してしまった〉(「新元号を抜け」=内山健)。

 そのとおりだと思う。けれども、私たちは、そこに立ちどまっていてはならない。重い課題を真正面に見すえて、新聞記者として生きていく可能性を探っていきたい。

  さて、ここまでは山口さんの論考を転載させていただきました。この論考の末尾に次のように、その出典が付記されています。

 【「検証・天皇報道」(総合特集シリーズ44、法学セミナー増刊。日本評論社。1989年10月20日発行)より紙幅の都合上、約半分を掲載。数字表記などは原文通り。写真は新規。全文は小社サイトに掲載します。】

  つまり、この論考はほゞ30年前に書かれたものです。ここで問題にされていた皇室関係記事での敬語の使用状況は現在ではどうなっているでしょうか。

  『天皇報道と記者たち(1)』で私は「皇室関係の記事を読んでいて敬語だらけの文章に出会って辟易とすることが結構度々あります。」と書きましたが、このような事態が引き起こされた発端を、私は天皇明仁の生前退位の意向表明(2016年8月8日)だったと考えています。

  特集「天皇制」の中の宮下さんによる論考【敬語・敬称を抑制し、客観的な皇室報道に(副題『「開かれた皇室」へ そろそろ決断を』】はこの天皇の代替わり巡ってのジャーナリズムの動向をテーマにしています。以下、この論考を紹介することにします。


敬語・敬称を抑制し、客観的な皇室報道に
(まず、副題『「開かれた皇室」へ そろそろ決断を』について、次のように解説しています。)
   天皇の代替わりを控え、天皇や皇族に関する報道が増えている。
   皇室報道には敬語や敬称が付いて回る。
   それが記者たちの客観報道への姿勢を削ぎ、社会には皇室へのタブーを与える。
    「開かれた皇室」へ。記者たちはそろそろ決断が必要だ。

(本文の前書きは次の通りです)
   日本メディアはイギリス王室をよく取り上げる。ウィリアム王子夫妻に子どもが生まれたことを報じる記者やレポーターは楽だろう。外国王室に敬語を付ける必要はないからだ。
   一方日本の天皇・皇族を報じるとなると、それぞれの社の内規に従って敬語や敬称を使わないといけない。総理大臣にも使わない。来日した外国のトップにも使わないのに、だ。
   気が抜けない。その空気は社会に波及する。

  (以下、本文)
なぜ5月l日なのか

 現天皇が生前退位の意向を表明し、憲法問題(4条の国政関与禁止)を挟みながらも、政府が受け入れた。元号法で代替わりには新しい元号が付いてくる以上、新年に合わせて1月l日にすればよかったはずだった。しかし、宮内庁が「年末年始は宮中行事が多い」と反対の意向を示し、年度替わりの4月l日案は官邸側から「統一地方選とかぶる」と異論が出たという。結局、代替わり・新元号は5月1日からとなった。
 この間マスコミの報道は、というと、『朝日新開』が社説(2017年11月25日付)で「国民不在の議論」と批評した程度。中途半端な日付になることに批判的な報道は目に付かなかった。国民生活の不都合さに目を向けず、いったいどこを見ていたのだろうか。
 日本の天皇・皇族だけに付いて回る敬語も誰のために使っているのか、という疑問がわく。

-部に留まる敬語省略

 「天皇が日本を統治する」大日本帝国憲法下、軍部が専横し戦火を拡げて敗戦を迎えてまもない1947年、宮内庁と報道関係者は新憲法下「日本の象徴となった」皇室の報道について協議したようだ。
  「普通のことばの範囲内で最上級の敬語を使う」ことで合意し、天皇や皇族の述語には「れる・られる」などを活用することにした。
 しかし「れる・られる」を使っていては客観的な報道はできない。93年4月、現天皇が天皇として初めて沖縄を訪れたのを機に、地元紙『沖縄タイムズ(沖タイ)』は、述語の敬語を省くことを決めた。
 『朝日』も同年6月の皇太子と雅子さん結婚の報道から述語の敬語を省いた。翌94年4月からは『北海道新聞』も続いた。
 『毎日新聞』も『朝日』と同じ93年の9月ごろから敬語を基本省いた。ただ同紙の場合、「敬語を使うが、過剰にならないようにする」という内規のままだったようだ。例外記事も散見され、大阪本社は「参入」せず、西部本社も2012年ごろから敬語が復活。東京本社も14年ごろから基本、敬語1回は使うようになっている。

    全国の地方紙が加盟する共通通信も記事の最初の1回だけ敬語を入れる形だ。関連記事などでは敬語を一切使わないこともある。未成年の皇族には敬語を付けない。
 「沖タイ』『北海道』は、その共同配信記事に手を入れて、敬語を抜いている。
  雑誌では講談社の『フライデー』『週刊現代』がライターにもよるが、敬語を一切使わない記事を多く掲載している。読んでいてすっきりする。

  一方、『読売新聞』と『産経新聞』は一つの文章に1回、敬語を入れる。記事によってはたくさんの「れる・られる」が登場することになる。『産経』は体言止めにも「ご訪問」などと敬語が付く。
  NHKを含むテレビ各局は両紙と同じ対応をとっている。一方、女性週刊誌などは敬語のオンパレード。民放の情報番組でも時々、同じような状態だ。
  テレビが発する「れる・られる」の影響は大きい。ふだん皇室に関心がない若者でも、皇族のことを話すとなると「れる・られる」が口に出る。
  敬語は平成を最後に、とまでは言わない。せめて『毎日』や共同のように最初の1回だけで済ますという英断は望めないだろうか。

注目時に出る敬語

  述語の敬語を省いてる『朝日』『沖タイ』も、皇族の死亡時は「亡くなられた」と敬語にしている。人の死は注目される。そういうときこそ、客観報道に徹するべきなのだが、やはり、皇室敬語の空気の壁は厚い。「逝去」という敬語も使われる。
  「逝去された」「ご逝去」など、各社が戒めている二重敬語も散見される。
  現天皇が生前退位の意向を示し、注目を浴びた16年7月、共同通信は敬語を複数回使う記事も配信。『毎日』も敬語を多用した。

  天皇、皇族はよく地方を訪れる。地元にとっては注目事案。『朝日』でさえも、支局によっては敬語のオンパレードの記事を県版に出している。地元のテレビや地方紙、地域紙ではもっと顕著なこともある。

  これから迎える代替わりは、さらに注目事案だ。またぞろ敬語のオンパレードの新聞、テレビが増えるのではないか。記者たちの「内なる天皇制」意識が顔を出すかもしれない。注目時こそ、客観報道に徹する覚悟が必要だ。

「陛下」は必要か

  述語の敬語を省いている『朝日』を含め多くのメディアが「陛下」という敬称を多用している。意識してあまり使わないようにしているのは沖縄の『琉球新報』と『沖タイ』ぐらいか。

  『広辞苑』によると、「陛」は宮殿にのぼる階段。階段の下にいる近臣の取り次ぎを経て上聞に達するという意味らしい。
  「陛下の意味を知ったら、報道では使えないと思いました」と語るのは、元KBC九州朝日放送のアナウンサー、森部聰子(としこ)さん(80歳、福岡市)だ。
  昭和天皇が亡くなってまもない1989年4月、ラジオのニュース編成もしていた森部さんは、『朝日』から送られてきたラジオニュース用原稿に「天皇皇后両陛下」とあったのを「天皇と皇后」、「両陛下」を「お二人」と換えて、読んだらしい。放送直後、上司から詰問され、結局、定年まで閑職に追いやられる。
 今も市民活動に積極的な森部さんは機関誌「女たちの21世紀』で述べている。
   「敬語や敬称が必要というのは、社の上の人たちだけの考えですよ」ときっぱり。
   「天皇制を支えているのは、他ならぬマス・メディアではないでしょうか」とも、

        代替わりを控えて、報道の質と量が変わりつつある。
  昨年10月、「行幸啓」という言葉を「平成最後」として使う社が複数出た。従来、新聞・テレビの多くは、皇室独自用語として使用を控え、「旅行」「訪問」などと言い換えていたはずだった。
  同じ昨年10月の皇后84歳の誕生日では、『朝日』『毎日』『読売』各紙とも特集面を組んだ。
  12月の雅子妃55歳でも『毎日』『読売』は特集面をつくり、手記全文を載せた。

  「平成最後の」とか、新しい元号「最初の」という冠を付けた皇室報道があふれる結果、「開かれた皇室」が変容してしまわないか。マスコミ各社の自省と自制が求められる。


今日の話題3

米国の属国・日本(19)

  東京新聞の連載記事<税を追う>が「防衛省が辺野古埋め立て計画で軟弱地盤の海域に6万本の杭を打ち込んで地盤を強化する工事を検討している」ことを2月2日付の朝刊一面で報じていました。
『軟弱地盤に杭6万本 工事費の高騰必至』
  この記事の終末のまとめの部分を転載しておきます。

◆海面下70メートル 難易度高く

 <羽田空港の拡張工事で地盤改良の検討に関わった田中洋行・北海道大学名誉教授の話>
  工法自体は標準的だが、問題は深さ。同じように軟弱地盤があり、難工事だった羽田空港D滑走路建設の改良工事でも改良の深さは(海面から)四十メートル前後だった。深さ七十メートルまで杭を打つ改良工事は私は聞いたことがなく、難易度は高いと考えられる。深くなるほど工費はかかるし、工期も延びる。

  こうした工事について全く何も知らない私でもとても荒唐無稽な計画だと思っていますが、日刊ゲンダイがこのような工事は不可能であると論じています。(サイト"阿修羅"さんが日刊ゲンダイから転載している記事をお借りしています。)
『辺野古計画は破綻 軟弱地盤に杭6万本打てる船は日本にない』
  この記事についても最終部分を転載しておきます。

■もはやただの環境破壊

  「安倍政権は地盤改良が解決できないことを知りながら、県民の反対の声を無視して埋め立ての既成事実を先に作った。実に悪辣です。軟弱地盤の改良ができない以上、工事計画は破綻している。このまま進めれば、工期も工費も見通せず、税金をドブに捨てるようなことになりかねません。それに、砂杭を6万本も打ち込めば、貴重なサンゴ群は死滅してしまう。もちろん、玉城デニー知事は設計変更の申請を承認しない方針ですが、米国にモノを言えない安倍政権は、何としても工事を強行しようとするでしょう」(横田一氏)

  完成するか分からない基地建設計画を見直そうともしないのは、もはや嫌がらせとしか思えない。税金で環境破壊を進めているだけだ。

  では最後に最新の『辺野古・高江リポート』を転載しておきます。


若者が模擬投票

 【4日】
   沖縄県名護市辺野古の新基地建設に反対する市民約二十人は、埋め立てに使用する土砂を船で搬出する同市安和の琉球セメント桟橋前で抗議した。桟橋ではトラック五百四十五台分の土砂が運搬船三隻に積み込まれた。
   本部町からほとんど毎日足を運ぶ原田みき子さん(六九)は
  「国のやり方は選挙で新基地反対の民意を示している沖縄を無視している。だまっていられない。安和での集中大行動の水曜以外にも、もっと多くの市民に来てほしい」
と語った。

 【5日】
   辺野古の米軍キャンプ・シュワプゲートからは、車両二百三十九台が基地内に資材などを搬入した。初めて辺野古へ足を運んだ矢野琴江さん(六九)=大阪府=は
  「これまで辺野古や高江のことを学んできたが、現場を見て涙が出た。アメリカの基地として日本の土地が奪われることに怒りを覚える」 と話した。

 【6日】
   新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票の告示まで約一過間。県民投票に対する若者の意識を高めようと名桜大学生の有志らは、同市の県立名護高校前でシール貼りによる模擬投票を実施した。投票を呼び掛けた名桜大四年生の我那覇綾音さん(二三)は「賛成、反対に関係なく、みんなで考えることが大切だ」と意義を強調した。
   参加した高校生は五十四人。「反対」が76%(四十一人)で、「賛成」の11%(六人)を大きく上回った。「どちらともいえない」は13%(七人)だった。「反対」を選んだ三年生の男子生徒(一八)は
   「米軍の事件事故は後を絶たない。経済的な豊かさよりも基地問題と向き合うべきだ」
   と訴えた。
 「賛成」の男子高校生(一八)=金武町=は
   「基地は身近な存在。あまり危険と思っていない」
  と語った。

 【8日】
   新基地建設で、沖縄防衛局が立ち入り禁止区域を分ける浮具(フロート)に棒を取り付けているのが、八日までに確認された。五十㍍にわたり、棒同士がロープでつながれている。市民らによると「カヌーがフロートを越すことを妨げるため」の設置とみられる。
                      (琉球新潮の記事を転載しています)

天皇制問題(8)

天皇報道と記者たち(3)

   前回では、マスメディアの記者たちは編集幹部の指示に基づいて機械の歯車の一つとして動かされていて、すべての記事は無条件に絶対的な敬語を使って書くことを余儀なくされていた、と指摘されていました。
   しかし、記者たちの受けた理不尽な処遇はそれだけではなかったのでした。
   天皇重体の第一報が報じられた9月19日以降、天皇死去に備えてマスメディア各社は24時間の総動員体制を敷いていたのです。 それを実施した論理的背景を山口さんは次のように論説しています。


記者総動員体制のの論理

   10月4日付新聞協会報によると、
    〈陛下の熱が39度を超え、ご容体が心配された24日(9月)、宮内庁で取材活動に当たった報道関係者は、延べ1260人にのぼった。 (中略) 宮内庁幹部や皇族が出入りする皇居の各門には、24時間態勢で記者約250人が車の往来をチェックした。〉

   JICC出版局「天皇の門番……皇居周辺に張りついた新聞記者69人の111日」(読売新聞『張り番の会』編)によると、読売で張り番に投入された記者の総数は88人、カメラマンが57人。
   また民放連の機関誌『民間放送』(10月3日付)によると、9月24、25の二日間、テレビ各社が報道、中継に動員したスタッフは、TBS450人、日本テレビ500人、テレビ朝日500人、フジテレビ400人、テレビ東京180人にのぼった。

   一人の人間の重体、死亡報道としてはもちろん、 あらゆる事件、事故の報道を通じて、これほど大がかりな取材体制がとられたのは空前でおそらく絶後と思われるが、なぜこうした総動員体制が必要だったのか、という点については、当然のようでいて実は大きな疑問が残されている。それはニュース報道の根幹にあるニュース価値判断にもかかわる問題である。

   天皇の死はたしかに最大級のニュースであろう。しかし、それはいかなる意味においてニュースたり得るのか。
   もしこれが明治憲法下の天皇の死ならば、その絶対的な統制下にあった報道機関が「万世一系の現人神、国政の総攬者にして軍の統帥者」の死が、ただちに国政、外交、軍事全般から国民に与える大きな影讐を考え、無条件に最大ニュースとして報ずるのは、その是非はともかく理解できることである。
   実際、大正天皇の死は、そのように報道された。

   だが、主権在民の現憲法下においては、日米支配層が〝統治の道具″として残した「国民統合の象徴」という憲法の規定を認めたとしても、天皇の死それ自体にそれほどの大きなニュース価値があるとは思えない。ましてや重体段階からマスメディアが記者を総動員するほどの〝大事件″ではない。

   裕仁天皇の死が大ニュースであるのは、彼が〝象徴″なのだからではなく、まず、
 第一に彼がアジア人2000万人以上の生命を奪った侵略戦争の最大の責任者であり、ヒトラー、ムッソリーニと並ぶ第二次大戦の世界三大戦犯の唯一人の生き残りだったからである。天皇の軍隊に踏みにじられたアジアの人々にとってヒロヒトの名は、けっして忘れることのできない惨禍の象徴であった。
 第二には、この戦争で死んでいった200万人以上の日本人、加害者でもあり被害者でもあった日本の民衆、とりわけ、沖縄、広島、長崎の人々にとって、裕仁天皇の死は、やはり特別な意味をもつものであったこと。
 第三には、その天皇がアジア人に対して戦争責任をとらず、沖縄、広島、長崎に対しても「やむをえなかったこと」として戦後を生き延びたこと、
 そして第四には、戦後日本が、こうした無責任な人間を〝象徴〟として受け入れ、侵略、差別、抑圧の構造を温存させながら現在の〝繁栄″を築いてきたこと。
  つまり天皇の死は、私たち日本人が、その過去と現在をトータルに問い直す機会として大きなニュース価値をもっていたのである。

   しかし、すでにみたように天皇を「慈悲深い平和主義者」に描き上げるという基本姿努で予定稿を作っていたマスメディアは、最大のニュース価値である戦争責任を不問に付した。
   そして、戦争の問題を「激動の昭和」というあいまいな時代規定の中に封じ込め、天皇の死を「一つの時代の終わり」「昭和から平成への転換」という非科学的な位置づけでニュースとして価値づけ、記者たちもその空疎な論理で動員するしかなかった。

 〈「歴史的な瞬間を取材できるなんて、記者冥利に尽きる」というのが幹部が記者に激励する合言葉であり、寝食を忘れ、休み返上で張り番する若い記者も歴史の瞬間に立ち会えると、まったくの錯覚に陥って走り回った。悲しい記者のサガである。〉

 〈天皇が死んで、何で昭和が変わるのか。歴史は昭和を生きている国民一人ひとりが形成するのであり、天皇の死によって世の中が変わるのではない〉。
  「マスコミ市民』特集号「天皇病患者としての新聞」で山田喜作氏はこう書いている。

   しかし、「歴史的な瞬間の取材」という幹部たちの合言葉は、あまりにも皮相なものであり、とても彼らの本音だったとは思いにくい。
   あの悲喜劇的な張り番や24時間体制を記者たちに要求したマスメディア幹部の本音は、多分、別のところにあったように思われる。
   それは、天皇の死の瞬間をどれだけ間髪をおかずにキャッチし、ただちに号外を出すとともに他社に負けない量の原稿、映像を流せるか、である。そのためにこそ、大量の記者を皇居各門などに張り付けて24時間、病状変化の参考になる人びとの出入りをチェックさせたのであり、社内でも整理記者を常時待機させたのである。

   こうして迎えた〝その日″が、
     〈Ⅹデーを通過してみての感想をひとことでいえば「1日で終わっちゃった」である。十年余も準備してきたわりには、じつにあっけなかった。〉 (『マスコミ市民』=特集号の「〝その時″の編集局と紙面づくり」石井晴朗)、
    〈慌ただしい取り組みだつたが、それが二日間、実質的にはⅩデーのその日だけで終わってしまった奇妙な不思議を感じた。昨年9月の天皇危篤以降の報道ぶりと社会の萎縮状況から推測して、Ⅹデーとその後はちょっととてつもない事態になるのではあるまいかと身構えたものだったが、何ともあっけなく終わってしまったというのが実感である〉 (前掲『マスコミ市民」特集「揺れたのはマスコミ」=我謝南夫)
   ということになった理由は、もう明らかだろう。

   天皇の死のキャッチで、記者たちの仕事の大半はすでに終わっていたのであり、あとは既定の路線に沿って大量に準備してあった予定稿を多少手直しして紙面・映像化するだけだった。
   天皇死去が本来的にもつニュース価値からすれば、アジアを中心とした世界の人びと、そして沖縄、広島、長崎が、「最後の戦犯の死」をどう受けとめたか、また多くの日本人たちが何を思い、どう行動するか、政府や警察の動きをどう批判的に伝えていくか、などの取材が記者たちを待ち受けていたはずだが、それらは、メディアの基本路線からは、すでにメーンの取材活動ではなくなっていた。

   〈どれだけ熱心に天皇を讃美したか、どれほど多く時間や紙面を割いたか、どれほど天皇をよく知る人物を集め得たか、これらをマスコミ同士が競い合うことで、天皇への近接意識、つまりは報道の正当性を競ったのではないか。その過程で、弱者に対して錦の御旗として掲げられる「報道の自由」は吹き飛んでいた。〉 のである。 (『マスコミ市民』特集「無力感に打ちのめされ」=四方末男)

天皇制問題(7)

天皇報道と記者たち(2)


 記者たちの意識

  京都新聞労組が昨年(1988年)10月24日から31日にかけて行った「天皇報道についての緊急アンケート」の結果を紹介する同労組の「新研ニュース」によると、Ⅹデー紙面で「崩御」の語を使うことについては、次のような答えだった。

① 敬語を使うにしても「ご死去」または「ご逝去」で十分=45.0%
② 天皇神格化につながるので反対すべき=22.8%
③ 出来れば使用しないにこしたことはないが、使わない訳にはいかないだろう=13.3%
④ 天皇報道は例外なので、使用回数を限定するなどの条件を付けるならやむを得ない=8.3%
⑤ 日本の伝統、国民感情を考えれば妥当=3.3%
⑥ 「皇室典範」に準じているので構わない=1.7%

    また、「マスコミの天皇報道は天皇の戦争責任をあいまいにし、覆い隠している」という批判に対する意見としては

① その通りだと思う=51.7%
② そういう面も少しある=21.8%
③ 戦争責任は微妙な問題なので一方的な判断はできない=14.3%
④ 批判は当たらない=2.7%

  このデータを見る限り、記者たちの天皇制に関する意識はほぼ現在の市民の意識と変わりはないかむしろ、より批判的でであるようにみえる。

  別の側面からみてみよう。「マスコミ市民」の「特集・『天皇』とマスコミ」は 《その時、報道現場の記者たちは……》と題して多くの記者たちの手記を掲載しているが、その中の
 「デスクの片隅から聞こえた拍手」(三浦道人)は、
   〈こんなに解放的な気分になったのは、ついぞなかった __ 私が、天皇逝去の報を聞いた直後に思った率直な感想だ〉
  と書くとともに、
   〈デスクの片隅で、誰かが“拍手”をしているのが聞こえた〉
   〈他社から聞いた話だが、「天皇逝去」の一報が入った乾門など皇居各門の“張り番記者”たちの間からは、歓声のような声が揚がったという〉
     と、他の記者たちの反応を記録している。
  これらの文章から伝わってくるのは、天皇の死を「解放感」、あるいは「歓声」「拍手」で迎えた記者たちの生身の姿である。少なくとも、1月7日夕刊の
   〈われわれはいま、深い悲しみと無量の感慨をもって天皇陛下の崩御を悼み、「昭和」の去りゆくのを見送る〉(朝日社説)
    などの記事は、こうした記者たちの率直な反応を覆い隠した〝作文〟にすぎないことは疑いえない。

決まっていた基本姿勢

  記者の天皇に対する意識がこのようなものであったにもかかわらず、実際の紙面、放送が、そこから大きくかけ離れたものになった第一の理由は、天皇死去の際のⅩデー紙面が、あらかじめメディアの少数の幹部の方針によって予定稿として作られていたこと、重体以降の一連の「自粛報道」「過剰容体報道」は、その予定稿の基本線に沿って展開されたこと、そしてそれらの報道に記者たちは問答無用の形で動員されていったことである。
  新聞社のⅩデー予定稿は各社ともに、遅くとも十年以上前から準備されていたと思われる。私の所属する社の場合は、1971年に社会部と整理部に数人の担当者が置かれ毎年一、二回、編集局幹部と基本方針を打合せながら、用語や紙面製作の原則などを確認していた。その中で、たとえば用語の選定も「ご死去」「ご逝去」「崩御」と「社会の変化を鏡として」というあいまいな判断基準で修正されていったという。

  このようにして準備されていたⅩデー予定稿の基本的なトーンは、「崩御」使用を前提に
   ① 天皇への深い哀悼
   ② 天皇の人柄の賛美
   ③ 「激動の昭和」回顧
    と、その中での天皇の苦労の紹介(立憲君主として不可能だった開戦防止と、その制約を超えて決断した終戦の〝御聖断″など)
   ④ 戦後の平和繁栄への象徴としての貢献
   ⑤ 新天皇への期待とそのもとでの国民統合
     __で各紙ともほぼ共通していた。
  さらに、死去から新天皇即位、葬儀に至る諸儀式の用語、扱いについては、大正天皇死去当時の紙面が参考にされたという(ここにも憲法の主権在民が忘れ去られる要因があった)。

  問題は、これらの予定稿が編集幹部と少数の担当者の〝密室の作業″として作られていたことだ。先に紹介した京都新聞労組のアンケートでは、
   「病状報道やⅩデーの紙面製作の過程で、報道のあり方について十分な議論が職場でなされたと思いますか」
   との問いに対し、
  ① ほとんどなかった=65.3%
  ② 少し話しあった=21.8%
  ③ わからない・その他=12.9%
  ④ 議論を十分尽くした=0%
   の答えが返っている。だれ一人として、Ⅹデー紙面が議論を尽くしたものとは考えていない。
     これはテレビも同じで、『マスコミ市民』特集の「流されていった〝総力取材″」(北智揮)は
  〈何年もかけて、一般の報道局員には見えないかたちで作りあげられていった二日分の構成は全体として変えようがなく、手直しは小幅にとどまった。私も含め、多くの報道局員は番組構成こ不満をもっていたが、全体としての強い意思表示という形はとれないまま、流されていった〉
  と述べている。

  Ⅹデー予定稿の〝本体″にタッチできないまま、編集幹部から予定稿のトーンに沿って出される取材・紙面作りの指示に基づいて機械の歯車の一つとして動かされる記者。しかも、そのすべての記事は無条件に絶対的な敬語を使って書くことを余儀なくされているとすれば、報道の全体が.一色に染まっていくのは当然の帰結だったといえよう。


  (次回に続きます。)
 
天皇制問題(6)

天皇報道と記者たち(1)

  前々回の「岡留安則さんを悼む 」で取り上げられていた右翼テロ事件を改めて列挙すると次のようでした
1960年 浅沼稲次郎暗殺事件
1961年 嶋中事件
1987年~1990年 赤報隊事件
1990年 長崎市長銃撃事件
2006年 加藤紘一宅放火事件

  この後は右翼による大きなテロ事件はなかったようです。
  岡留さんが皇太子徳仁の妃雅子に敬語を使わなかったことで右翼団体から威嚇的な抗議行動を受けたのは2000年のことでした。

  現在では敬語問題でジャーナリストが右翼から威嚇されるようなことはなくなったようです。
  しかし、私は皇室関係の記事を読んでいて敬語だらけの文章に出会って辟易とすることが結構度々あります。
  実際にこの問題はどうなっているのでしょうか。
  この問題に対しては『週刊金曜日』の特集「天皇制」では山口正紀(新聞記者)さんと宮下正昭(鹿児島大学法文学部准教授)さんの論考が掲載されていましす。
  少し長いのですが山口さんの論考を使わせてもらいます。
  論考の標題は
   【天皇報道と記者たち「メディアの自殺状況」から抜け出すために】です。

      まず『30年前の代替わりを振り返る』という表題で前書きが置かれていますが、その趣旨と方法を次の様に述べています

   30年前、裕仁天皇の死去により日本国憲法下で最初の代替わりがあった。
     当時の雑誌記事(「法学セミナー」増刊)を再掲。今回の譲位報道記事に必要な視点を探る。


     それでは本文を読んでいくことにします。


30年前の代替わりを振り返る

  1998年9月19日の重体第一報に始まり、翌年1月7日の死去でピークを迎えた天皇Xデー報道、量的な過剰性、質的な無批判性、翼賛性によって市民から大きな批判を浴びた。一連の報道の結果、明らかになったことの一つは、現在のマスメディアが、どれほど市民感から乖離し、支配権力の広報に成り下がっているか、であり、庶民の目からはほとんど「こんなものいらない」の対象になったようにに思われる。

  とりわけ、ごく少数の地方紙を除くマスメディアが、天皇の死を「崩御」という反憲法的絶対敬語で表現し、読者に強要したことは、時計の針を一気に40数年前に巻き戻し、天皇を現人神(あらひとがみ)として復活させたもので、ジャーナリズムとしてメディアも、天皇とともに死んだ、といわれてもしかたのない行為だった。法的にも倫理的にも、アジア侵略戦争の最大の戦犯であり、名実ともに軍国日本の象徴であった天皇を「聖断神話」などの歴史の偽造によって「慈悲深い平和主義者」に仕立て上げた一月七日の新聞、テレビ。この報道を見れば、日本のマスメディアは、ことごとく天皇主義右翼に占拠されたかのようであった。

  それでは、メディアの記者たちは、すべて天皇主義者だったのか。答えは、明らかに否である。むしろ逆に、大半の記者たちは、天皇に対して尊敬の念を抱く どころか、“迷惑な存在”と受けとめていたように思われる。  「メディアの自殺」ともいえる一連の天皇報道の中で、記者たちは何を考え、どのように行動したのか。

(次回の続きます。)

今日の話題3

米国の属国・日本(19)

 東京新聞に「辺野古・高江リポート」の続編が掲載されました。 アベコベ軽薄姑息うそつきカルト政権の暴虐無人な属国政策がますますひどくなっています。その記事を転載します。


誰のための国家なのか」

 【1月28日】
  沖縄防衛局が、新基地建設で新たな護岸「N4護岸」の造成に着手したことについて、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で抗議する市民から怒りの声が上がった。 この日、市民約九十人は新基地建設反対を訴え、ゲート前に座り込んだが、機動隊に排除され、工事車両が資材を次々と搬入した。那覇市から座り込みに参加した大城博子さん(六七)はN4護岸着工に
 「国は県民投票を前に工事が進んだことを強調し、県民に新基地建設反対を諦めさせるつもりだ。しかし、政府が工事を進めるほど県民の怒りを買うだけだ」
と強調した。
 「政府のやり方は本当にひどい」と憤るのは沖本富貴子さん(六八)=八重瀬町。
 「憲法学者が政府の新基地建設を自治侵害と指摘し、大浦湾に軟弱地盤があることが分かっても、国は工事を止めない。全然県民に寄り添っていない。誰のための国家なのか分からない」
と政府を批判。
 福島咬裕(こうゆう)さん(六八)=大宜味村=は
 「県民が本気になって怒らないと政府は工事を止めない。県民投票で民意を示すべきだ。私たちの命を育む海を壊し、戦争につながる基地を造っていいのか」
と訴えた。

 【1月29日】
   沖縄防衛局は、埋め立て区域への土砂投入作業や、大浦湾側の護岸「N4」の造成を続けた。午後は抗議船一隻、カヌー六艇が海上に繰り出して抗議した。

 【1月31日】
   沖縄防衛局は、埋め立て区域への土砂投入を続けた。海上には抗議船一隻とカヌー六艇が繰り出して抗議。米軍キヤンプ・シュワブゲート前では座り込みが続けられた。

 【2月1日】
   沖縄防衛局は、「埋め立て区域2-1」への土砂投入を続けた。大浦湾側の護岸「N4」のの造成作業も確認された。
   大学の講義の一環で辺野古を訪れた早稲田大二年の姫野聖来(せいら)さん(二〇)は、初めて見る新基地の建設現場に
  「土砂投人の現場を見て、沖縄の抱える問題が複雑なんだと強く実感している」
   と話した。

                  (琉球新報の記事を転載しています)

天皇制問題(5)

岡留安則さんを悼む
   本日(2月3日)の東京新聞に岡留安則さんの訃報記事が掲載されていました。

「噂の真相」元編集長

   岡留安則さん(おかどめ・やすのり=雑誌「噂の真相」元編集長)1月31日、肺がんのため死去、71歳。
  鹿児島県曽於市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を開く。
  79年に反権力、反権威を掲げた雑誌「噂の真相」を創刊。虚偽の記事で推理作家和久峻三さんらの名誉を傷つけたとして、名誉毀損(きそん)の罪で95年に在宅起訴され、後に有罪が確定した。
  99年には当時の東京高検検事長の女性スキャンダルをスクープし、辞任のきっかけをつくった。
  04年3月に「噂の真相」を休刊し、那覇市に移住していた。


  岡留さんを稀にみる真のジャーリストとして尊敬している私にとって、何とも薄っぺらな情けない訃報記事です。
  2006年に「今日の話題」の一つとして岡留さんの紹介記事を書いていたことを思い出しました。それを再掲載します。
  念のため書き添えますが、そこでの政治・社会状況は13年前のものですす。


 右翼によるテロでは「浅沼稲次郎刺殺事件」「『風流夢譚』事件」「本島長崎市長銃撃事件」「朝日新聞阪神支局記者殺傷事件」最近では「加藤紘一議員宅放火事件」をすぐ思い出す。国家権力は右翼の暴力を本気になって取り締まろうとしない。まるで天皇制護持のためにそれを利用しているようだ。警察は外国からのテロ対策よりまず自国内のテロ対策をしっかりとせい! これでは日本は見せかけだけの法治国家じゃないか。北朝鮮をわらう資格はない。

 岡留さんは権力や権威のタブーに挑むジャーナリストという道を選んだとき、結婚して家族を持つことを断念している。(以下、引用文は『噂の討論外伝』より。)



マスゴミの中にて光る真のマスコミ(1)

 天皇制のタブーに触れるのであれば、そうしたテロの可能性がある‥ことを想定しなければならない。そのため、筆者自身も雑誌の編集長としての責任を全うするために、配偶者を持つという選択肢は最初から捨てる覚悟をした。家族を危険な目に遭わせてはいけないとの思いは、誰しも同じだ。筆者とて人の子、その危険性を察知すれば、 天皇制のタブーに触れること自体をやめようという日和見主義になりかねないからだ。ならば、その危険性をあらかじめ排除しておくほうが、これから言論戦を願うという自分の決意が揺らがなくていいだろうとの判断である。

 「噂の真相」でも、筆者が危惧した通り、創刊2年目(80年)には防共挺身隊を筆頭にした在京右翼の大手7団体から総攻撃を受け、印刷会社、広告主ともに取引全面中止の事態に追い込まれた。

 前述した「風流夢譚』事件の余波で、天皇制に対する批判的言説やパロディ表現がメディアから消えて、70年代に入って代わりに登場したのが奥月宴に代表されるアングラ出版による皇室風刺小説だった。そうしたアングラ出版のひとつだった小冊子の内容を紹介する形で、その小説に挿入されていた皇室ポルノ写真をカットとして「噂の真相」誌上に転載したことが右翼団体の逆鱗に触れたのである。「噂の真相」が書店で広く一般に売られている雑誌であることを思えば、当然、右翼団体の目にもとまるだろうし、実際に抗議を受けたことで、カットを掲載した筆者の最終判断に配慮不足があったことを認めざるを得なかった。結局、完全屈服とも傑作パロディとも言われた謝罪文を、天皇家と日本国民に宛てる形で「噂の真相」に載せることで和解した。

 その謝罪により、右翼団体による抗議行動はヤマ場を越えて、筆者の命まで狙われるような深刻な事態は収まったが、関係者に多大な迷惑をかけただけではなく、雑誌自体も潰れる寸前にまで追い込まれた。

 この事件により、筆者自身も天皇制タブーに触れることの重みをハッキリと実感さ せられることになった。戦後の民主主義下といえども、右翼の暴力に対しては、言論機関も警察権カもなす術がなかったのである。筆者が32歳の時だった。

 「結婚はすべきでない」という思いは、この事件により、覚悟するというレベルから一段と強い確信に変わった。

 『噂の真相』への右翼テロはさらに続きます。


マスゴミの中にて光る真のマスコミ(2)

 事件から再起した後も、雑誌的には皇室ものを扱わざるを得ない編集方針だったため、右翼団体による抗議は断続的に続いた。しかし、それらの抗議に関しては、事件の教訓とこちらの学習能力により、大事に至らずに話し合いでなんとか事を収めてきた。

 ところがこの事件から20年後の00年6月、「雅子妃を呼び捨てにした」という理由で広域暴力団住吉会系の右翼団体で全国一の組織力を誇る日本青年社の右翼構成員2人が編集室に乗り込み、突然大暴れするという事件に遭遇した。全治40日の大怪我を負った筆者の血で編集室は血だらけになり、止めに入った男性スタッフ4人も負傷した。構成員2人は現行犯逮捕され、共に懲役1年4ヵ月の実刑判決を受けた。

 この事件には、裁判の過程でも解明されなかった不透明部分もあったが、「雅子妃」とすべきところを「雅子」と記述したというこちらのミスが、右翼2人に大暴れする理由を与えてしまったということだけは認めざるを得なかった。普通ならば、謝罪することで笑って許されるというレベルのケアレスミスだが、それにすらイチャモンをつけて「休刊しろ!」と迫ってくるのだから、いくら出自が任侠系の右翼団体とはいえ、何事も話し合いをすれば打開の糸口が見つかるという筆者の信念が吹っ飛ぶ、あまりにも理不尽すぎる抗議だった。

 こうした右翼団体による威嚇的な抗議行動は、筆者のような一匹狼タイプであっても、スタッフ4人に被害が及ぶような事態になれば、動揺せざるを得ない。最初から筆者ひとりに危害が及ぶ分にはやむを得ないという覚悟はあったが、スタッフにまで危害が及ぶのは本意ではなかったし、予想外の出来事だったからだ。これが、大手メディアの場合には、より組織的な対応が迫られるために、事前に自主規制してしまうことが圧倒的に多くなる。『風流夢譚」事件以降、右翼団体のターゲットにされたのが、大手メディアではない、少部数のマイナー系雑誌ばかりだったということが、そのことを雄弁に物語っているのではないか。

 大手メディアの場合には、右翼だけでなく、宮内庁への〝配慮″もある。たとえば、かつて大手の女性週刊誌が、皇族の女性を表紙に起用した際、写真が裏焼き(左右反転の状態)になっていたことで、自主的に全部数を刷り直したことがあった。一般読者は気がつかないはずの裏焼きぐらいで、全面刷り直しというのは大げさだが、そもそも写真自体がお貸し下げ写真(宮内庁から借り受けた写真)という事情もあって、皇室や右翼団体に対する神経の使いようは尋常ではないのだ。これじゃ、メジャー誌においては宮内庁や右翼に配慮し て、皇室がタブーになるのは必然だろう。

 このような理不尽が大手を振ってまかり通る国家なのだ、日本は。天皇家がさかんに平和で慈しみにあふれた家族を装っていても、この理不尽が「天皇制」の正体だ。<デスポット>とそれに隷属する<奴隷>という<アジア的>構図。

 このような理不尽な暴行者に対する刑が懲役1年4ヵ月とは甘い。出てくればハクがついたとさらに顔を醜悪にしてのさばることは目に見えている。言論封じを目的とした暴力に対してはもっと厳しく対処すべきだ。

 岡留さんは「任侠系」と言っているが、住吉会は「任侠」とは全く無縁だろう。国家権力に寄生して暴力を飯のタネにしている単なる暴力団だ。暴力団が右翼を偽装するのは、その集団がやはり<デスポット>とそれに隷属する<奴隷>とから成り立っているからだ。もちろん、住吉会は狆ゾウにも寄生している。いや、持ちつ持たれつなのだろう。インターネットで検索すると「安倍晋三―工藤会―住吉会―救う会―統一協会―創価学会……」という金魚のウンコ的連鎖がわんさか出でくる。


今日の話題3

米国の属国・日本(18)

現在、主従国共に似た者同士が権力を握っている

  1月30日の記事「米国の属国・日本(17)」で、是非多くの人に知ってほしいと思って日刊ゲンダイDIGITAL版で出会った論説を二つ紹介しましたが、そのうちの一つ『トランプに驚くほど似ている 安倍首相の危ない精神構造』
は登録会員にしか閲覧できないものでした。そのことを付記するのを忘れていました。まだ登録会員ではない方、ごめんなさい。
 遅ればせながら、今回はその論説(ちょっと長いです)を全文転載させて頂くことにしました。


トランプに驚くほど似ている 安倍首相の危ない精神構造

   やっぱり、病的な人格異常者なのか――。
   アメリカ、カナダ、ドイツなどの著名な精神医学の専門家70人超が、トランプ大統領(71)の担当医に対して、精神面の検査を要請する書簡を送っていたことが分かり、アメリカ国内で話題となっている。

   CNNによると、書簡は1月11日に送付されたという。70人を超える専門家は、トランプの言動について、
    発言にまとまりがない、
    衝動を抑制する能力が疑わしい、
    同じ内容の発言をくり返す、
    読んだり聞いたり理解したりするのが困難
   ――といった所見を挙げているそうだ。

   たしかに、素人から見てもトランプの言動は常軌を逸している。マトモじゃない。
   動かぬ証拠があっても平然と嘘をつき通し、批判されると逆ギレ、ツイッターで個人を執拗に攻撃するという異常ぶりである。
   発言も一貫性がない。金正恩を「ロケットマン」とバカにしたかと思ったら、「仲良くやれる」と、言うことをコロコロ変えている。
   とうとう最近は、自分のことを「極めて情緒が安定した天才だ」と称賛しはじめる始末だ。
   これでは世界各国の専門家が危惧し、精神面の検査を要請するのも当然というものだ。

   精神科医の和田秀樹氏は、日刊ゲンダイの取材に対して
   「専門家が初期の認知症を疑わざるを得なくなったと考えます。検査を求めたのは当然の行為です」
    とコメントしている。

 ■専門家27人による驚きの精神分析

     精神医学の専門家が、トランプの精神構造に警告を発したのは、実は、今回が初めてではない。
     2017年10月、アメリカの専門家27人が、「ドナルド・トランプの危険な症例」という共著を出版し、トランプの精神構造について詳細に分析している。
   本を紹介した「ニューズウィーク」によると、自己愛が専門のハーバード大教授のクレイグ・マルキンは、トランプの行動パターンについて<自己愛性パーソナリティー障害とサイコパシーが混ざりあった時の「悪性の自己愛」>だとしている。
   さらに、ハーバード大のランス・ドーデス元准教授は、トランプのことを、他人への共感が欠けている「ソシオパス(社会病質者)」と断じている。

   やはり、トランプは人格障害なのか。明大講師の関修氏(心理学)はこう言う。
    「トランプ大統領は自己愛性パーソナリティー障害だと思います。自分のことを選ばれた特別な人間だと妄想してしまう。メディアをフェイクニュースと攻撃するなど、自分を否定する相手を激しく攻撃するのは典型的な症状です。事実かどうかは関係なく、自分が正しいと思ったことが正しい。本人は、発言に一貫性があるかどうかなど、気にもしていないでしょう。金正恩を“ロケットマン”とバカにしたのも、“仲良くやれる”と発言したのも、本人は正しいと思っているはずです」

   トランプは、「使わない核兵器を持っていることにどんな意味があるのか」などと信じがたい発言をくり返している。こんな危ない男が核のボタンを握っているのだ。専門家が警告する通り、一刻も早く精神鑑定を行うべきだ。

■トランプも安倍首相も疑惑まみれ

   しかし、トランプに精神鑑定が求められるなら、安倍首相にも精神科医の診断が必要なのではないか。
 安倍とトランプは、精神構造が驚くほど似ているからだ。
   場当たり、逆ギレ、反知性主義。さらに、オレ様は正しいという独善と幼児性……。
   国民を敵と味方に分断させる政治手法や、多様性の否定、自分を批判するメディアを敵視する姿勢もまったく同じだ。
   ついでに、2人とも疑惑まみれである。

「安倍首相はトランプ大統領とよく似ています。一番の共通点は、自分を否定する者に対して権力者とは思えないほど、怒り狂うことです。抑制が利かないのでしょう。
 都議選の時、市民がヤジを飛ばしただけで、頭から湯気を立てて『こんな人たちに負けるわけにはいかない!』とブチ切れている。
 トランプ大統領も、演説会場でヤジを飛ばした聴衆に『あいつをつまみ出せ!』と激怒しています。
 最高権力者なのに、SNSを使って個人攻撃をするところも同じです。外務省OBの田中均氏に外交を批判されたら、逆ギレして『彼に外交を語る資格はありません』とフェイスブックに書き込んでいる。

 <事実>に関心がないところも一緒。事実よりも、自分に都合のよい情報を信じ込む。安倍首相は、ネトウヨが書き込んだフェイクニュースをもとに国会でヤジを飛ばして大問題になったこともあります」(政治評論家・本澤二郎氏)

■自己愛性パーソナリティー

   もし、トランプが「自己愛性パーソナリティー障害」だとしたら、安倍も同じなのではないか。
   「自己愛性パーソナリティー障害」は、<自分は特別な存在>で<自分を称賛してくれる取り巻きを求め><自分のやり方に注文をつけられると相手かまわず激しく反撃に出る>といった特徴があるそうだ。
   安倍そのものだ。「自己愛性パーソナリティー障害」だと考えれば、安倍の行動はすべて納得がいく。

   「さすがに『自己愛性パーソナリティー障害』だとは思えませんが、安倍首相が『自己愛性パーソナリティー』なのは間違いないでしょう。
   安倍首相とトランプ大統領は同じ気質です。ただ、トランプ大統領と違うのは、安倍首相には強いコンプレックスがあることです。父も祖父も優秀で東大卒なのに、自分は勉強がまったくできなかった。
   <自分は特別な家柄に生まれた選ばれた特別な人間だ>という気持ちと、<本当は能力が低い>という気持ちが同居しているのだと思います。
   だから、弱いところを突かれると、パニックになり、ヒステリーを起こし、早口で相手を攻撃してしまうのでしょう」(関修氏=前出)

   アベノミクスを進める安倍は、二言目には「この道しかない」と国民に訴えている。
   「この道しかない」と口にする人は、モノ事を多面的に考えることが苦手で、鬱になりやすいそうだ。

ファイティングポーズを取らない日本のマスコミ

        それにしたって、日、米のトップ2人が<事実>に関心がなく、すぐにブチ切れるのだから恐ろしい話だ。本当に戦争が起きかねない。
   しかも、2人とも、どうせ全肯定か全否定されるのだから、支持してくれる味方のためだけに政治をすればいいと決め込んでいるから最悪である。
   社会から多様性がなくなり、国民はどんどん分断されてしまう。

   アメリカと比べて情けないのが、日本の大マスコミだ。アメリカのメディアは、トランプから「フェイクニュース」と攻撃されても、「OK、かかってこい」とファイティングポーズを取り、記者を増員してトランプ発言の“ファクトチェック”を続けている。

   なのに、日本の大マスコミは、安倍と酒を酌みかわしただけでうれしそうにしているのだから、どうしようもない。

  「アメリカのジャーナリストで大統領と夜な夜な杯を重ねるなんて聞いたことがない。権力に気に入られるのではなく、権力を監視するのがジャーナリズムの役割だと分かっているからです。
  ところが、牙を抜かれた日本の大マスコミの記者は、厳しい質問さえしない。安倍首相は平然と嘘をつき続けているのに追及もしない。
  もし、日本の大マスコミが“ファクトチェック”を含めて、安倍首相の実態を正確に伝えていれば、トランプ大統領と同じように、とっくに歴代最低の支持率をつけているはずです」(本澤二郎氏=前出)

  このまま、イカれた2人を放置していたら、いずれ取り返しのつかないことになる。

天皇制問題(4)

  前回に続けて、宇都宮さんの論説の次の項「戦後の天皇制」を読みます。

  敗戦国日本は主権を失い 「連合国軍総司令部」(GHQ:実質的にはアメリカ軍)の占領下におかれますが、連合国軍(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中華民国など)の間では、天皇の戦争責任か取りざたされ、天皇制廃止の声もあがっていたということです。しかしGHQは、軍部の反乱を抑えて、日本の統治をうまくやるためには天皇制を残して利用した方が良いと考えました。 この方針は天皇制をなんとか残したいという日本の支配層の思惑と一致し、天皇制は残ることになりましたが、ご存知のように新しい憲法では天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とされ、天皇は絶対的権力者から「象徴」に変わったのでした。
  そして、天皇が絶対的権力者から「象徴」に変わったことにあわせて、皇室典範の改正がGHQのもとで行なわれました。

   皇室典範どのように改正されたのでしょうか。
   それまでは皇室典範は明治憲法と並ぶ最高法規と位置づけられていましたが、新憲法のもとでは他の法律と同じ位置づけとされました。
   明治の皇室典範では、元号は天皇一代に一つの元号と定めていましたが、天皇の権威と深く結びついたものだったので元号制度はGHQの指示により規定が削除されました。    しかしその後、戦前の天皇制と深く結びついた制度が復活してきました。
   1966年 紀元節(神武天皇の即位日とされた日)の復活
        「国民の祝日に関する法律」(祝日法)の改悪で2月11日が「建国記念日」とされた。
   1979年 「元号法」制定
   1999年 「国旗国歌法」(「日の丸」「君が代」を国旗・国歌とする法律)制定。

   なぜこのような反動的な動きが可能になってしまったのか。それは根本的には「天皇の戦争責任」を曖昧にしてしまった点に求められます。
   ここからは宇都宮さんの論説を直接転載することにします。


天皇の戦争責任

  戦前における日本の値民地支配や侵略戦争の責任を追及していくと、軍の統帥権を持ち、統治権を総攬し、立法・行政・司法三権の主権者である天皇の責任に行き着かざるをえない。
 しかしなから、アメリカは戦後の日本の統治をうまくやるために天皇制を残したほうがよいと判断し、天皇の貢任を追及しなかった。
  最高責任者の追及があいまいになり、結局「東京裁判」で戦犯として裁かれた人たちだけの責任になってしまった。
  戦後、国民か象徴天皇制を受け入れたことは、天皇の責任をあいまいにすることにつながり、結局は軍部や政府関係者など責任追及をあいまいにしてLまった面がある。

  この点、徹底して過去に向きあい、現在もナチスの戦犯の責任を追及し続けているドイツと大きな差が出てきている。
  岸信介は戦争中、東条内閣の閣僚の一人で、当初は戦犯として追及されたが、その後復活して内閣総理大臣になっている。
  ドイツでは、ナチスの閣僚だった人間が戦後首相や大統領になることは考えられないことである。


民主主義から考える

  日本国憲法は「基本的人権の享有」(第11条)「法の下の平等」(第14条1項)を保障している。
  しかしながら、天皇を含む皇室と、それ以外の国民とを区別する制度であり、悪法で定めた法の下の平等と矛盾する「差別」という問題を含んでいる。
  また一方で、天皇や皇族の基本的人権が保障されていないという問題もある。現状では天皇や皇族には参政権はないし、集会・結社・表現の自由、居住・移転・職業選択の自由など人権も侵害されている。
  国民主権の民主主義国家においては、憲法第1章には国民主権について規定するの当然のことと考えられる。ところが、日本は国民主権の民主主義国家であるにもかかわらず、現憲法では「天皇」が第1章となっている。
先般、秋篠宮が宮中祭祀の大嘗祭については、国費で賄うことに疑問を呈し、皇室の私的費用である内廷費で対応すべきではないかと発言し、話題を呼んだが、このような問題提起は国会や国民のほうから先に提起をして全国民的議論が行われるべきなのである。

  私は、今年5月韓国の光州・ソウルを、また6月にはスウェーデンを視察に行ってきた。
  韓国とスウェーデンに共通していたのは、市民・国民の側の強烈な主権者意識、主人公意識であった。両国では民主主義とは単なる多数決の制度ではなく「民」すなわち市民・国民が主人公になることだと、とらえられている。
  わか国の市民・国民の中で主権者意識、主人公意識が希薄であるのは、明治時代につくられた天皇制イデオロギーを戦後も十分に克服できていないことと関係があると思われる。