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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
天皇制問題(3)

  「天皇問題(1)」で杉田謙一(以後、Sさんと呼ぶことにします)という方が中嶋啓明さんの論説を批判しているブログ記事を紹介しました。
   その記事の終わりで、私は「さて、どのような感想をお持ちになられましたか。」と書きましたが、これはSさんの批評文に対する私の感想文を公表する前書きの意図も込めたものでした。
   今回はそれを取り上げることにします。

       Sさんの批評文を読んでいる時、私の頭にすぐに浮かんできたのは大東亜戦争当時に、欽定憲法(明治憲法)の下で「教育勅語」や「軍人勅諭」によってほとんどの国民が天皇を至上の存在とする天皇制を崇める思想を受け入れていたことです。
 『週刊金曜日』の特集「天皇制」の中に宇都宮健児さんが書かれた「明治時代につくられた天皇制イデオロギーの克服を」という論説がありますが、しばらくこれを利用させていただきます。その論説から今問題にしていることについて書かれている「明治の天皇制」を転載します。


明治の天皇制

   日本の天皇制には長い歴史があるが、直接的に現在につながる天皇制が形づくられたのは明治維新後である。
   江戸時代の末期の欧米諸国の力に対抗するため、明治維新では天皇を中心とする中央集権的な国家づくりが行なわれた。その際、天皇が権力を持っていた古代日本がモデルとされた。
   江戸時代は、天皇は京都の御所から出ることがなかったため、一般の庶民は天皇の存在をよく知らなかった。そこで一般の庶民に天皇の存在を知らせるキャンペ-ンが行なわれた。そのひとつが、「巡幸」と呼ばれる明治天皇一行の全国各地への訪問である。巡幸は、北海道から 九州まで97回にのぼった。

   さらに、天皇制を知らせ徹底させるものとして「軍人勅諭」と「教育勅語」があった。
   1882年(明治15年)に「軍人勅諭」が出される。明治政府は徴兵制による新しい軍隊をつくったが、兵士のほとんどは農民だった。「軍人勅諭」は、はじめの3分の1は国の歴史が書いてある。歴史教育でもあったのである。また.「軍人勅諭」では、上官の命令は天皇の命令だということが強調されている。すべての兵士が、「軍人勅諭」を暗誦させられた。
 1890年(明治23年)に出された「教育勅語」も、「軍人勅諭」と同じような役割を果たしている。「教育勅語」は小学校の教育から、天皇への忠誠心を植えつけることが大きな目的であった。「教育勅語」も小学校4年で暗誦させられた。

   Sさんが披歴している思想はまさにそのようにして天皇制に絡めとられた戦前の一般国民の思想そのものです。Sさんはもちろん戦前の教育を受けたほどのお年の方ではありませんが、その時代錯誤の思想は今でも根強く生き残っていて、多くの人をその思想に取り込む活動をしている組織があります。その代表的な組織が「日本会議」です。そして日本会議の核になって事務局を掌握しているのは、日本青年協議会(日青協)という小さな団体です。(日本会議につてはこのブログの『歴史隠蔽偽造主義者たち』で取り上げています。詳しく知りたい方はこれをお読みください。)
   日本会議や日青協から派生した会はいろいろあるようですが、Sさんはたぶんそのどれかに所属しているのではないでしょうか。

  以上のような明治憲法下の天皇制を規定しているものに「皇室典範」があります。現在の天皇制との違いを知るためにはこの「皇室典範」についても知って置いた方がよいでしょう。


明治憲法と天皇制

  1889年2月11日に大日本帝国憲法(明治憲法)が公布され、1890年11月29日から施行された。
  明治憲法の特徴は、国を治める権利は神が天皇家に与えたもので、祖先から受け継いでいるという「神権主義」によって天皇主権を謳っていることである。
  天皇は軍の統帥権があるだけでなく立法・行政・司法の三権についても基本的には、天皇が行なう形となっている。
  また、基本的人権は、天皇が恩恵として臣民に与える権利であり、法律の範囲内などの留保がついている。つまり新しく法律をつくれば基本的人権の制限が可能という立場をとっている。
  明治憲法のもう一つの特徴は天皇と皇室について定めた「皇室典範」は、憲法とは別の法体系と位置づけられ、憲法と同等の最高法規とされていたことである。

  明冶憲法の第74条には、皇室典範の改正は帝国議会の議決を経る必要はない(第1項)、皇室典範をもってこの憲法の条規を変更することはできない(第2項)、と定めている。「国法二元性」「国法二元主義」がとられていたわけである。この皇室典範では、元号を天皇一代にひとつと定めている。

  次回は戦後の天皇制とその成立までの経緯を追って、その問題点を再考することにします。
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