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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
恥を忍んで、自作品の公開

<論説編(4)>

 今回の二編の論説は『磯枕 第九号』に投稿したものです。その論説の表題は「言葉の死」と「夜間中学」です。それぞれの執筆時は1973年(35才)の10月・12月と記録されています。

  ではまず「言葉の死」を転載します。


言葉の死

 言葉が剽窃される。いやというほどこき使われる。手垢にまみ れ、すり切れる。やがて死ぬ。
 <愛>という言葉は歌謡曲や週刊紙にもてあそばれてすでに死 語に類する。<自由>。これは瀕死の状態。極右から極左にいたる あらゆる政治党派がこの言葉をいじめている。

 <愛>と<自由>が死語であることを強いられているいじめられ 方の一例。
 先の都議選の折、日本武道館で「自由社会を守る一万人大集会」 という茶番劇が行なわれたそうな。第一部「自由への序曲」。第二 部「自由日本への雄叫び」。テーマソングが「自由の旗のもとに」。 その歌詞の一節「愛ゆえの戦いの覚悟を示せ」だって。さらにシャ シャリ出ました実行委員長山岡荘八が「自由社会か、独裁か。じっ くり考えてわれらの歩む道を見極めてほしい」と言ったとか。相当 のハレンチカンだな、このお人は。加勢を受けている政治党派でさ え赤面するだろうなと思ったら、どうしてどうして。これを受けて田中角栄
「国家の利益を基調として個人の自由を束縛するか、それとも個人の自由を基調に国家・社会の利益をはかっていくか。これ が社会主義と自由主義の違いだ。」
  もうこれは噴飯ものである。真面目につきあっちゃいられない。
 -方共産党も敗けてはいない。同じ頃「自由を守る共産党」というパンフを各家庭に配ったとか。
まさか田中角栄の<自由>を守るというわけではないでしょうから、一体どんな<自由>を守るので しょぅか。
 きっと共産党の諸氏には守るべき自由があってそれを満喫しているのでしょうね。守るべき自由などまったく持たない人が たくさんいるんだがなあ。

 共産党が守ると言えば、ひらがな書きの「いのち」と「くらし」。
 これ、テレビコマーシャルでもいろんな大企業がこき使っているな。おかげさんで、ぼくは「いのち」と「くらし」が嫌いになった。
 <国民>という言葉もさかんに剽窃される可哀そうなやつ。国民不在の文脈でもっとも多く使われるというパラドックスを強いられている。
  クイズを一つ。次の文中の( )の中に適当を語を入れよ。
  「もとより教育問題は国民一人一人の問題である。しかし、最近の( )を見ると、教育界は国民不在のまま憂慮すべき方向に向いつつあるようだ。」

  「自民党政府の教育政策」とか「文部省」とかを入れた人は残念でした。正解は「教科書裁判、日教組の動向」でした。
 ちなみにこの引用文は「浪蔓」という憂国の士たちが初めた雑誌の新聞広告から。

 少しワルノリしすぎた。真面目になろう。
<差別><選別>という言葉を最近よく目にする。特に教育開係の本には必ずといってよいほど使われている。ぼくもよく使う。 殺さぬようにしなければならない。
 差別・選別を基調としている社会で、その構造を支えさらに強固なものとする役を担っているのは、以外にも各階層における被差別者である。まず自らを解き放つべき者が何によって自らを縛る役を担い通すのか。スケープ・ゴーツを作ることによつてである。
 この国でスケープ・ゴーツとは何か。ほとんど絶滅に追いこまれているアイヌ人たち、ヤマトンチューに収奪され続けている沖縄人たち、強制的に連行され日本に住むことを余儀なくされた朝鮮人たち、不当な差別に今なお苦しめられている被差別部落の人々、水俣病を初めとする高度成長の犠牲者たち、山谷・釜ケ崎などの最下層の労働者たち……。

 ぼくらがよって立つ原点というものがありえるとすれば、それをこれらの人々と共有できる限りにおいてである。これらの人々を欠 落したところで<差別>という言葉を発するとき、その言葉は死ぬ。このとき言葉を剽窃しているのは他ならぬぼくら自身である。ぼくらは小さな特権者としてふるまっている。これらの人々の生存の重さを自らの内部に不断に繰り込み続けながら、自らの生存の根拠を掘り続けることによってのみ言葉は蘇生する。政治党派のご託宣や御用学者の衒学的言説はいらない。あらゆる権威から言葉を奪還せよ。

  ずいぶんと気負ったことを言ってしまったが、ことは簡単ではない。
 「患者の言葉を聞く耳が私たちにはない。どうしたらいま鼓膜をおおっているなにかをひっぱげるのか。」
  「苦海浄土」の著者石牟礼道子さんをしてかく言わしめる「なにか」とは何か。
  死んだ言葉が人をうつはずがない。ぼくの拙い言葉が誰にも屈かないとすれば、それは拙いからではなく死んでいるからであろう。何よりもその言葉の死はぼくの耳の「鼓膜をおおっているなにか」の為せる結果である。この負い目は自ら進んで担うほかない。


夜間中学

一、平均的教師

     環境が人間によって変更されなければならず、
   教育者みずからが教育されなければならない。
               ――マルクス「ドイツ・イデオロギー」

  教育という仕事に対する深い理解もなく、学校教育がはらんでいるラジカルな問題に対してもまったく無知のまま、抱負らしい抱負を持たずに教師になったという点で、ぼくはデモシカ教師として出発した。しかし、教えられる者から教える者へと立場を入れかえたとき、初めて見えてきた教育現場の内実はデモシカ教師をも徹底的に滅入らせた。

 落第や単位不認定の問題に対する教師たちの冷酷な言動、生活指導という名の生徒処分、いつも悪くてバカなのは生徒で教師のくだらなさは自覚されようもない。一人の生徒の一生にかかわるような問題を何の痛みもともなわず「よろしくご指導」してしまう。知識の仲介者にすぎぬくせにいい気なものだと思った。すでに自己変革のエネルギーを失なって微温な日常に埋没し居直っている教師たちより、悩み苦しみ苛立ちもがいて、なお生きるすべを得られない「間題児」たちの方が人間として数等上であると思った。

 教師になって間もなく、日本数学教育会の研究大会の下働きにかり出されたが、そこで見聞した研究発表に対しても、教科書を焼き直しているだけで研究だなんて大げさな、という感想を持った。あんなつまらぬ研究をしなくとも教師はつとまるとうそぶいた。どうつくろっても教育はマイナーな仕事であると思えた。

 ところが、最近民間の教育研究団体には研究の名に値するすばらしい実践がたくさんあることを知った。今はそれらに多くを学んでいる。ぼくは数学の勉強を続けて、いずれささやかでも何かオリジナルを研究をすることを一生の仕事にしたいと考えた。

 また,儀式の折に「君が代」や「日の丸」に心から敬虔の意を表している教師たちの滑稽さもさることながら、日頃の言動とは裏腹 に何の抵抗感もなくそうした場に立ち会い、しかも生徒にそれを強要すらするような教師たちの思想的無節操の方に一層の憤りを覚えた。内部をくぐらせることによって苦闘して得た思想の片鱗すらなく、知識の量が多少多いだけでえらそうな顔をして生徒に対しているのが気にくわなかった。
 ではかく言うぼくはどうだったのか。軽蔑していた先輩教師たちと何ほどの違いもなかった。無知故の思い上がりは必ずシッぺガエシを受ける。誰に打たれるのか。むろん生徒にである。感覚的・心情的にしか間題に関わり合えぬかぎり、現状をただ補完するだけである。例えば「問題児」に心情的に組しても彼等にとってぼくは「同じ穴のムジナ」でしかない。

 最初の赴任校の校長に、酒の席で唐突にポツンと言われたことがある。
 「君、学問と教育とは違うものだよ。」
 校長が何を意図して言ったのかは知らないが、この何の変哲もない言葉が妙に耳にこびりついていて今だにはっきりとおぼえているのは、その頃ようやくぼくの内部で教育に対する認識がゆらぎ初めていたためだろう。

 見え初めた諸問題はいまだ断片にすぎず、対象化、論理化できるほどには見えてない。ぼくは苛立ち、さまざまのイエスとノ一を相手かまわずぶっつけた。
 大きなノーがぼくの中で反響する。ぼくはうちのめされる。苛立ちは自らへの告発となって凝縮した。
 「一体おれは何をしてきたのか。否、何をしてこなかったのか。」
 何をしたかより、何をしなかったか、という詰問がぼくをまいらせた。卒業生や生徒の顔が、とりわけいわゆる「問題児」の顔が文字どうり寝ても醒めても脳裏に浮かんで病的に苦しんだ時期があった。あの校長の言葉がさまざまに変奏した。
 「君、君の授業は教育とは違うよ。」
 「君、君のクラス運営は教育とは違うよ。」
 「君、君の生活指導は教育とは違うよ。」
 「君、君の進路指導は教育とは違うよ。」
 「君、君のクラブ指導は教育とは違うよ。」
 「君、君のやっていることはすべて教育とは違うよ。」

  一体ぼくは何のために教師を続けているのか、何故続けられるのか。「生徒のため」?… ウソつけ。
  「君、君のやっていることは教育ではなく飼育だ!」

  ぼくは何故このような長々とした私的繰り言から初めなければならなかったのか。
  「教育の荒廃」ということが言われて久しいが、ぼくは何よりもまず、教師の「荒廃」を、ぼく自身の「荒廃」を見定めたかった。
  恐らくぼくは最も平均的な教師の一人であろう。この「平均」の中に「荒廃」の根が胚胎している。
  今ぼくが行なっている日々の営みは十年前とさしたる違いがなく、教育現場の内実はますます悪化している。前述の自己告発は今なおぼく自身への告発である。
   「おれは一体何をしていないのか。」
  変わろうにも変われない状況を列挙して居直ることも、しようと思えばできる。しかしぼくにはそうした図太い神経がない。たてまえと優等生の論理が圧倒的な力を得て進行する職員会議で、失語状態になり苦いものを呑みこむしかない自らの卑小さを思う。ぼくは自らを告発し続けることによるほか、教師を続けることに堪えられない。絶えざる自己否定を通して徐々にでも望ましい営みを模索しつづけなければならない。

  だが「望ましい」とは何か。それが感覚的心情的なものである限り、ぼくは相変わらず「同じ穴のムジナ」だろう。自己告発を倫理的な問題として済ますわけにはいかない。「教育の荒廃」の根源を摘出しておく必要がある。常にその根源に意識的に関わり続けなければ、「望ましい」営みなどあり得ない。「何をしていないか。」という詰問に対峙する第一歩である。


二、なぜ夜間中学か

         時はなにがしかの魔力で人間からその思想を
         ひきはがし固定する。その時はじめて人は
         一瞬の己が影に責任をもたねばならなくなる。
         誰に向って?
                       谷川 雁「原点が存在する」

  『特殊学級に、息子をむかえに行く。息子たちに、一般の子供たちとの交流カリキュラムはないが、
  それでも、息子たちと同じ小学校の児童たちはかれらに優しい。通学途中の私鉄経営の学園に通う
  幼いエりートたちのみが、バスでいやがらせをすることがあった。ウツルゾ、と騒ぐ。
    障害によって足弱な子供に、なお足ばらいをかけたりもした。』 (大江健三郎「日記から」)

 この障害のある子供への幼いエリートたちの仕打ちは、子供の単なる悪ふざけではないし、特殊な事例でもない。ぼくは、社会全体を律するほどにあまねくはびこっている「教育の荒廃」の原型を見せられたように思う。

 今日教育問題の要は高校であると言われている。高校への進学率が約97%(東京都)と、ほとんど全入である今日、幼権園以来 の選別、分断の積み重ねによって傷つき発達を疎外されつくした子供たちが選別、分断の完成の場として振り分けられてくるのが高校である。高校が、国立、私立有名校-公立有名校-それ以外の公立普通科校-私立普通科校-公立職業科校(専門科目によってさらに細分される)-その他の私立校、というようにはっきりと序列つけされていることは周知のことである。
 この選別、分断によって「荒廃」させられているのは「できない子」だけではない。あらゆるランクの生徒が「荒廃」にさらされている。

 「私は、高校生活を、こう送ろうと思う。まず受験の科目以外は、テストの時以外、絶対に勉強しない。クラブも、生徒会も参加しな い。H・Rの時は、絶対発言しない。指名されても『どうでもいい』という。………どうでもいいから、三年間を無事に送って、希望の 大学へ行けたらそれでいい。(都立目黒高校生)」 (白鳥元雄 「十代との対話」)

 この他者や集団への無関心・無責任・無気力は次のような恐ろしいエゴイズムと五十歩百歩である。

 「……ぼく個人のもつ教育の理想ですが、それは、ぼく以外の人間が、ぼくより劣った環境で、ぼくより能力が高くならないように 教育されること、つまりぼくだけが甘い汁を吸えることが理想です。(日比谷高校生)」 (村田栄一 「闇への越境」)

 これが「足弱な子供に、なお足ばらいをかける」幼ないエリートの成長した姿である。こうした例は枚挙にいとまない。決して例外 ではないのだ。高校入試制度(小尾構想)に対する高校生の反応をまとめた記事で、「日比谷高校新聞」(1966年9月1日付)は 次のように結論しているという。

 「そこで提案する。普通科高校を減らせと。普通科が減ったぶんだけ、職業高校や専門高校をつくる。大学へ行っても意味のない人はそちらへまわすだけだ。」

 これがエリート高校生たちの平均的感性である。中教審答申が出されたのは1966年10月31日であるから、「日比谷高校新聞」はそれより2ヵ月も前に、「荒廃」の根をさらに強化する「後期中等教育の多様化プラン」を先取りしているわけである。やがてこのようなエりートたちが高級官吏、企業の首脳、政治の中枢をしめる。そして今の自民党政府、財界と同様に彼等も自分自身の「荒廃」を認める能力を持たないだろう。国家権力の保身のための「期待される人間像」のような徳目主義的、前近化的な道徳の注入がその教育対策となろう。相変らず人民を支配ないしは管理・操作の対象としてしか見られない。
 先に引用した文章の続きで、大江健三郎氏も指摘している。

 「かれらには、身ぢかて特殊児童たちを理解する機会がない。かれらには特殊児童への思いやり、すなわち弱い他人の立場になってものを考える想像力が育つことはむづかしい。受験競争をこえてかれらが入って行く社会が、またおよそそのような想像力に欠けた者たちのリードする社会である。」

 教育が社会機能の一つである以上当然のことであるが、教育はその時代の社会体制、祉会構造のくびきから自由ではあり得ない。教育の問題とまともに向き合うとき、ぼくらは政治や社会体制の問題からも目をそらすわけにはいかなくなる。
 現在のこの国の教育体制はその社会体制と見事なほどパラレルである。粗雑にすぎることを承知でその構造を図式化すると、下の図のようになる。
社会体制
  円柱は時代の状況が強いる本質的問題で、それは最下層から最上層までまっすぐ縦に貫いている。切り抜かれた円錐体は各層における特権性であり、上層にいくほどその特権性によって本質的問題が相殺され、間題の本質(各断面の斜線部分)は隠されている。例えば、最近「自由」とか「福祉」とかが自民党のキャンぺーンになっているが、「自由」 とか「福祉」とかは円錐部分であり、それは底辺にはとどかない。教師たちはBあたりであろうか。教師たちの多くは「自由」のおこぼれにあずかって、現状に埋没する。
  逆に「石油危機」のようなものは円柱であり、もろにいためつけられるのは最下層である。上の方はいたくもかゆくもない。儲ける奴は普段より以上に儲けている。「石油危機」が作られた「危機」と言われるゆえんである。

 現体制を擁護しながらの「自由」とか「福祉」とかはまやかしである。
 時代の情況が強いる本質的問題を、もっとも広い意味で「疎外」と言いかえてみる。先の図は「疎外」と「特権性」との相関関係を 示すことになる。



 「疎外は、私の生活手段が他人のものであるということにも、
 私の欲求するものが私の手に入らない他人の占有物であるということにも、
 またあらゆる事物そのものがそれ自体とは別のものであるということにも、
 また私の活動が他人のものであるということにも、
 最後に――そしてこれは資本家にもあてはまることだが――
  一般に非人間的な力が支配しているということにも現れる。」
                     (マルクス「経済学・哲学草稿」)


  上の引用文で「生活手段」を「教育手段」と、「資本家」を「教師」あるいは「エリート」といいかえて読むと、教育問題についてもすべてが言いつくされていると思える。

 先の図においてAが国立・有名私立高校あるいは東大である。問題の本質が最も鮮明に見えるあらゆる疎外の集中する極・C。それをぼくは原点と呼ぶ。現教育体制で原点Cは夜間中学であろう。自らの立つ場を掘り下げれば問題の所在にいきあたるはずであるが、夜間中学の実態を見ることによって問題の本質をより鮮明にしてみたい。

三、夜間中学

        特権性を拒むかどうかは、個人にとってはたかだか
        自己倫理の問題にすぎないが、特権性にたいして自覚的
        であるか否かは、感性的な変革の政治的課題でありえる。
                                   (吉本隆明 「情況」)

 恥ずかしいことだが、ぼくが夜間中学の存在を知ったのは教師になって8年目わずか4年前のことである。たいへんな衝激だった。

 夜間中学の存在が衝激とは、思えばうかつな話しである。ぼくは30近くになるまで、政治・経済・社会の問題についてほとんど無関心であった。自然成長的に身につけた程度の認識しか持っていなかった。
 敗戦後20年ほどのぼくの家庭はたいへん貧乏でぼくはあの頃のぼくの家庭ほど貧しい家庭はないと思っていた。そんな中でかなり恵まれた教育階梯をはせのぼってきたのは、兄や姉たちのおかげであるが、それ以上の内省はなく、しごく当り前のことのように見過してきた。だから、どんな家庭の子でも義務教育は必らず受けているはずだと思っていた。その義務教育を受けられない子がいるという事実がまず衝激的だった。さらにそうした子に普通の子と同じように義務教育を受けられる充分な手だてをせずに、 夜間中学を思いつく教育行政の無体さを改めて知って、今さらながら怒りを覚えた。

  「義務教育」というときの「義務」とは子どもが負うべきものではなく、子どもにはただ教育を受ける「権利」があるばかりだ。子 どもの側からは「権利教育」というのが正しい。
 小学校を終えたばかりの子どもが暖い団欒を望み得べくもない環境のもとで、苛酷な労働に従事しながら夜間中学に通っている。経済大国という虚像の裏側で最小限の権利さえ蹂躙されている人がたくさんいる。
 今ぼくが勤めている高校には地域の中学校卒業生のほとんど全員が入学している。中には漢字の読み書きが小学校二、三年程度だったり、くり上り、くり下りのある加減のできないような生徒もいる。
 夜間中学の存在は四年前に朝日新聞にのった中岡哲郎氏の文章によって初めて知ったのだが、今それを読み返してみると、一層のリアリティがあり多くの刺激と示唆を受ける。

 中岡氏はまずある夜間中学の国語の教師の実践を紹介している。
 漢字は勿論、ひらがなもろくに読めない生徒に一時間に五つという目標をきめて新しい漢字を教える。時間の終りに生徒に漢字カードを作らせる。生徒は職場で作業の合間や昼休みにそれをくりながら次の時間までにその五つの漢字を頭にたたきこもうとする。一年間で五百以上、二年かければ当用漢字は全部覚えられるはずだと、その教師は言う。

 「途方もなく気の長いその作業をとおして、彼はしかし、生徒の中に少しずつ確実に自信を育てていった。彼のクラスのダイナミズムの中に組みこんでいった。」と中岡氏は報告している。

 ぼくが現在の高佼に転勤して二年になる。この二年間、小中学をほとんど空白として過ごしたと言っても過言ではないような生徒と初めてぶつかって、ただ暗中模索するばかりであった。ぼくは彼等の中にどれほどの自信を育て得ただろうか。クラスのダイナミ ズムの中に組むことができただろうか。赤面するばかりである。日々ただ徒労感ばかりが残る。
 「このような根気よい努力をとおして、一体何ほどのことが教えられるか。何ほども教えられはしをい。」

 だがあの国語の教師は言う。
  「彼等が生きてゆくために最小限ぎりぎり必要ことが教えられれば成功であり満足だ。」と。
 この言葉は重い。ぼくは目からウロコが落ちる思いがした。過去十年間、ぼくは高校教師として
 「よりよい生活のための最大限」を求め、あるいは求められる教育の場しか知らなかった。そこで身につけた学校に対する認識がなかなか払拭しきれなかった。
 「僕たちのまわりですべての親と教師たちが熱中している『よりよい生活のための最大限』とでも言うべき教育の全体系を、その彼の言葉が告発している。」

  続けて中岡氏は、
  「よりよい生活のための最大限」の追求の下に足げにされてうめいているのは「人間として最小限」である、という。
  足げにされ続けてきた「人間として最小限」はぼくの高校でさらに足げにされる。大多数の教師や親や生徒はことあるごとに言う。
  「できない者のためできる者が犠牲になる、できない者自身が苦しむだけで本人にとってもマイナスである」と。こうした優等生論理が臆面もなくまかり通る中で、「低学力」の生徒たちは「学業不振」それ故の「度重なる問題行動」を理由に退学させられていく。
  こうした状況を打破できない自分の実践や力量の弱さに滅入ってしまう。教育とは何か、と改めて自らに問う。指導要領をなぞる教育観からは決して見えてこない視座がある。中岡氏は先の夜間中学生の履歴を紹介し言う。
  「『生きてゆくための最小限』の教育は何よりもまず子どもの背後にあるものとの格闘である。」
  「読めない漢字をとおして、教師はそのすべて(子どもの全生活史)と向き合うのだ。そのすべてとたたかうことが、彼にとって教育である。」
  この視座に立てば、文部省が決めた「学力」を基準に「できる子」「できない子」と振り分ける教育の犯罪性は明らかだ。だがこの視座はおそらく通りが悪い。この視座を肯んじない主要な論理を二つ考えることができる。

  一つは自称進歩派教師たちの考えである。
   勤評闘争の敗退期に論争された問題で、教師は「教室で勝負」すればよいとする。子どもたちの内部に好ましい資質・傾向をつくりあげれば、やがてその子どもたちが政治や経済にはたらきかけ社会の進歩に寄与すると言う。つまり教育をまっとうすることによって政治を超えるというわけである。
   この論理を俗に「二十坪の論理」という。なんというオポチュニズム!足げにされている「最小限」への目くばりがすっぽり落ちている。

  これに対して中岡氏は「二十坪」の外を切り離してはまともな教育はあり得ないと主張している。勿論ぼくは中岡氏に共鳴する。「二十坪」の外との対決を孕んだ緊張関係を欠落さすとき、教育は政治を切り離した一つのイデオロギーとしての機能を現実的に果すほかない。現状を補完するだけである。

  二つは現体制に埋没している教師たちの論理である。「最大限」の教育が「最小限」を足げにすることによって成り立っているということそのものを肯んじない。この国ではすべての国民がその能力と勤勉さに応じて、より豊かで文化的な生活を保障されており、貧困であったり文化の享受と無縁なのは当人の資質的欠陥や怠惰な生活態度の当然の結果であるという。この論理はこの国が民主的な自由国家であるということを先験的に前提とすることで成り立っている。
  はたしてそうであろうか。現在のこの国の体制は貧困が貧困を生み、無教育がさらに無教育を強いられる仕組になっている。  「低学力」の生徒たちの全生活史がそのことを雄弁に物語っている。

  1961年の日教組教研大会で20才の夜間中学生古江美江子さんが行なった鋭く正当な告発がある。
 「生活に追われ、四才頃から子守り、コンブ拾い、農家、パチンコ屋、飯場の飯炊き、バーのホステスなど手取り早く金になり、学歴を必要としない仕事だから学について考えた事がなかった。学とはなんだろう? ――空、山、川など簡単な字以外は新開も読めないし、九九もわからない。足し算引き算の計算は、指や足でやればできるが、34+12=式になると、前からやるのか後からやるのか全然見当がつかなかった。
 時計の見方や電話の掛け方など日常生活に必要な知識がなんにもわからず毎日苦しんだ。こんな私でも九年間の義務教育を受けたことになっているのです。」

 古部さんは夜間中学ではなく普通の中学校を卒業したことになっている。  「臭い、バカ、貧乏たかれ――などとののしられながら、学校に行きたくとも行けず、夢中に働き必死に生きてきた。今ようやく――勉強したい――と思ったら法律が目の前に立ちふさがり私の道をじゃまする。」
 古部さんは義務教育を終えたことになっていたので夜間中学への人学の資格がなかった。古部さんは一人でがんばって、とうとう夜間中学入学を果す。
 今、夜間中学は古部さんのような人たちが勉強をするための大事な場となって、新たな存在意義を持っている。この夜間中学を教育行政は、今度は、夜間中学誕生当初の存在理由はなくなったとしてつぶしにかかっているという。

  「学とはなんだろう?」という古部さんの問いかけは無視できない。ぼくの問題で言えば「高校とは何だろう?」「高校の水準」を 守るという観点に一体どれほどの正当性と意味があるのだろうか。
 ぼくの高校の「古部さん」を切り捨てることによって維持する「高校の水準」とは何だろう。

  古部さんは全員が何らかの疾病に苦しみながらもがくように生きている家族を紹介し、次のように続ける。
 「私自身も小さい頃の肺炎がもとで両耳があまり聞こえない。――我が家には健康で満足なのは一人もいない!もし、お金があったら、病院に行っていたら、学校に行っていたらこんなことにならなかったのだ!私や私の家族をこんなめにしたヤツを殺してやりたい!私たちが何をしたと言うのだ。われわれ形式卒業者を作ったヤツは責任をとれ!(中略)そして、私のようなかけ算の九九も時計の見方もわからないような形式卒業者をこれ以上一人もつくらないでほしい!そのために私や私の家族が食うものも食わないで働いた税をつかうべきだ!」

  古部さんがこう告発してから十年以上たった。今なお形式卒業者はあとをたたない。そして、教科書=文部省の手本を金科玉条のごとく忠実になぞることで、自らが「できない生徒」を作っていることに思い及ばない教師にかぎって、「きびしく落第させろ!」と 臆面もない。
  古部さんに、ぼくら高校教師もうたれている。いや現教育体制総体がうたれている。
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