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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
恥を忍んで、自作品の公開

<>詩文編(21)

 今回は「磯枕10号」の「初期詩編」からの転載の続きですが、これでカテゴリ『自作品の公開』の「詩文編」は終了となります。 


蟹の行列

横一列の億万の
活字のような小さな蟹が
振り子のようにはさみをふりあげ
カッチ カッ カッチ カッ
流れるように進んでくるわ

ねころんで節穴だらけの天井を
ぼんやりながめる俺の目に
それが見えるわけではないが
俺を目がけて進んでくるのが
よく分る 音も聞える

俺にぶつかって蟹どもは
俺のからだをもぞもぞと
やわい鋏で腑分けして
からだの中を這い進む
空(から)の心が蟹でみつるよ



私・影 (その一)

 ここ数日の私の心はたしかに僥倖であった。
私はあれもこれもしなければならなく思えて、
精一杯の生活を楽しんだ。

………ふと今宵、私の心を襲ったのは………

 私は夕なぎの海のように疲れていたので、
肉体は心地よく眠っていたが、意識は夜通し半睡のままであった。
昔、ある女に背向かれた、あの幾夜さのように。

 一夜のうちに意識は過去をひとめぐりして、
今日の生活を続けることに堪えられぬほど、
明日のわずらわしさに私は滅入ってしまった。

 あとかたもなくなってしまった充溢をとまどいながら回想しつつ、
私は自嘲するのであった。

………私は、数々の小さな断片をつなぐだけの生涯に、時々非 常に近眼だ………



私・影 (その二)

写真があるから昔はいたのだろう。
位牌があるから今はいないのだろう。
  <位牌や写真が何の証拠になる!>
父や母があたたかく生きていたのは
もうずいぶん昔のことか。
かつていたということは
今もこれからもいてはいけないことか。
不思議なことだ。
  〈私はこうしてちぢこまってねている。〉
父よ 母よ あなたたちは
死ぬのはつらかったか。
今いることと昔いたことと
これからもいることと
所詮同じことだ。
私は常に影でしかあり得ない。

私は常に影だ。



夕べのうた

  淡いオレンジの空に ひとはけ
透いた紫が溶けるように流れきて
上の方から しみるように濃くなって
やがて山ぎわまで灰色が迫る ひととき

おれはたしかに見た 幻ではなく
おまえの軽ろやかな駆りを
おまえのつばさが音もなく地を覆うのを
たそがれの空に ひととき……

だが北風がかなでる絃(いと)の
かすかなひびきに和して ひっそりと
野や山のうすやみの影は うたっていた
……たそがれはほろびのいろ……と



雲 の 歌

  深い空の青さの中に
冷たい空気と
暖かい朝日
が織りなす秋の気配が
憂鬱な私の心を
はずまそうとするのを
私は頑なにこばめない。
透明な秋のさざめきに
閉ざされた私のまぶたが
すけるほどうすくなると
私は新鮮な光明をかいまみた。
私の務めの時刻には
遅れるかも知れないが
わずか数分ばかりを惜しんで
その新しいものをのがすまい。
.................
――すべてが失なわれれば
――人は雲になるだろう。



あたたかきものよ

ひょうびょうと北風(かぜ)の吹くなり
心にあたたかきもの かすかにあれど
このみちに北風(かぜ)の吹くなり

この暗く単調のみちにありて
この冷たく平担のみちにありて
あゝ 汝が心よ
何故にそうも頑なに黙すか
何故にそうも忍び堪えんとはするか
汝が心のままに
何故にかくは叫ばざるか
    あなた あたたかきものよ
    我とともに歩きてたもれ と

ひょうびょうと北風の吹くなり
心にあたたかきもの かすかにあれど
このみちに北風の吹くなり

あゝ 我が心の叫び得ぬは
我が稚拙のみちに
我が安逸のみちに
あなた あたたかきものの
いかにもふさわしからねばなり
我がみちのあまりに稚拙なれば
我がみちのあまりに安逸なれば
我が心 恥じ人り
いよいよ頑なに
いよいよ苦々しく
かくも忍びかくも黙すなり
しかしてむしろ
我が心はかく畏怖(おそれ)をつぶやく
    あなた あたたかきものよ
    我を蔑まざること能うか と

ひょうびようと北風の吹くなり
心にあたたかきもの かすかにあれど
このみちに北風の吹くなり

あゝ 汝が心よ
汝が単調のみちにありて
汝が平担のみちにありて
汝は自らをいよいよ低くうし
自らをいよいよ空虚にする
何故にそのこごえたる手をふるい
その冷たくこうばりしほゝをほてらせ
汝がみちを掘り起こさんとはせざるや
何故に汝がみちを
高く盛り上げんとはせざるや
しかして
何故にかくは叫ばざるや
    あなた あたたかきものよ
    我とともに鋤をとりてたもれ と

なおも北風の吹くなり
心にあたたかきもの かすかにあれど
ひようびょうと北風の吹くなり



【戯歌九首】

病臥新年

まなこ クシャクシャ 喜ぶことを
まなこ キリキり   怒れることを
まなこ ショボショボ 哀しいことを
まなこ キラキラ   楽しいことを
心ある友よ
才豊かなる友よ
暇ありあまる友よ
金のない友よ
願わくば、我にせめて音信せよ。
今、我、人に飢えたれば。


暑中見舞 一

  暑き夜は
中空高く星縫いつ
御手も嫋(たお)やに涼風(かぜ)撒ける
見よや天女の
舞い姿
   涼風(すずかぜ)よ 君が窓辺の 風鈴(すず)鳴らせ


暑中見舞 二

暑い あつい アツイ 夏をぼやくな
暑い あつい アツイ 夏なればこそ
ビールも数倍うまいのだ
むしろ
暑い あつい アツイ 夏の長からむことを!


飲酒のすゝめ

  ひとりで飲めばしず心なく
ふたりで飲めば寂しさ深まり
みたりで飲めば喜びいやまし
飲み過ぎればへドを吐く
酒はよきかを


飲酒のすゝめ

酔いさめて
暁のプラットホームは
ねぼけた灯(あかり)を消すのも忘れて
二日酔の哀感に額にしわ寄せ
ひっそりとラッシュを待つ

   反歌
   酔いさめて帰る道の佗しけり。


あめんぼ

あめんぼもくずとおしくらまんじゅ
あめんほもくずにおしながされた
あめんぼながれにさからうなかれ


ありんこ

ありんこうんこらいもむしはこぶ
ありんこぐんにゃりふみつぶされた
なみだぐましきはかなさよ


我が道化

深く静かな暗黒の
宏大無辺の大宇宙(コスモス)を
豆つぶほどの地球めが
光を求めてふらふら漂い
地球の上でこの俺様は
暗中模索を真似ている


外は雨風(あめかぜ)

外は雨風 さむいんたぞ
どいつもこいつも さむいんだぞ
おへその中まで さむいんだぞ

外は雨風 さむいんたぞ
涙がてるほど さむいんたぞ
ほんとに涙が でるんだぞ

外は雨風さむいんだぞ
ほっぺに雨風 あたるんだぞ
涙とまじって しょっぱいぞ

外は雨風 さむいんだぞ
満足だらけでも さむいんだぞ
何かが一つ さむいんだぞ

(この最後の戯歌には曲を付けました。興味がありましたら『作詞作曲編(2)』をご覧ください。)

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恥を忍んで、自作品の公開

<>詩文編(20)

「磯枕10号」の「初期詩編」からの転載を続けます。


貝細工(むぎわらぎく)の歌


          貝細工:キク科、筒状の黄色い花
               花言葉……忘れられない思い出。


虻の涙は真珠です
真珠は無限の嘆きです
野路に仄めく貝細上の
痛みに宿る銀の涙

緑雨に溶けよ虹の嘆きよ
時には遍く愛となれ
真珠は流れよ人の心に
香華と野に置け貝細工



湖  底

水の面はさざなみと笑み
止むことなくさんさんと映え
ここ野の原の湖の静明
しかあれど誰知ろう
まさしくその静明の深みに
際涯きわまるなく
累々とうねる苦悩の波激しきを



ディオニソス賛歌


      ゼウスの御子この神は
      宴を好み
      寵愛の女神の名は「平和(エイレナ)」
          (エウリビデス「バツカイ」より)


瑞々しき力満つる若き生命を
慈しみ守る神なれば
爛々たる金色の水の
理智は何人にも分かち与えども
世の楽しみを生きんことを厭い
愁いの心健やかにせんことを怠るものは
直下にこの神の憎しみ買うべし



結婚頌歌 -K・Fに-

  今君たちに人生を問うとしたら
君たちはためらうことなく答えるだろう
人生はかくの如きか
いざ幾度でも、と
  君たちのその幸せに祝福を送ろう

今君たちの胸一杯に溢れている
その幸せは君たち二人の愛が
人知れぬ苦悩と艱難とに
打ち克って得たもの
  君たちのその愛のさらに高まらんことを

しかし君たちはその幸せに溺れることなく
その愛を自惚れることもなく
君たちの今日あることの礎となった
君たちの同胞(はらから)の慈愛(いつくしみ)を回想(おも)う
  君たちのその謙虚さに敬意を表そう

今君たちは互によき伴侶を得て
力強くしかも軽ろやかに歩みを進める
自ら選んだ滞ることの許されぬ
常に高めゆくべき道なき道に
  君たちのその勇気を贅えよう



春は弥生の二十五日 -T・Mに-

ときには夫婦げんかもあるだろう
よからう スカッと派手にやっちまおう
それでも心ひそかに想い出そう
今日の誓を
春は弥生の二五日の

やがてむすこやむすめを持つだろう
きっと君達よりも立派だろう
今日君達の真摯な心の
結び目だもの
春は弥生の二十五日の

「おじいさんや」「おばあさんや」と呼び合う
昔を忘れがちな年になっても
忘れちゃいけない今日このよき日は
その感激は
春は弥生の二十五日の



指のない手

  君
指のない手を
自分の手に指がないことに
耐えられるか
如何にして耐えようとか
むしろ………

 ・・・・・

 突然全身を激しい衝撃がつきぬけた。とっさに身を退き、手 を引いた。しかし手が抜けない。俺は目を閉じ歯をくいしばる。 機械はその運行を黙々と続ける。機械は指を飲みこみ、なおも 動く。俺の顔は激痛のためみにくく歪む。

 手を、俺の手を見たい。頭を起そうとしたが、誰かが俺を押 えて叫んだ。見るな! 見てはいけない。

 それは痛みなどというものではなかった。むしろ何も感じな い。腕が異様に重かった。頭の中で事の各瞬間が幻灯写真のよ うに繰り返し現れては消えていく。心の中でただ叫ぶ。しまっ た! しまった! 涙がやたらと流れでる。急救車の遠いサイ レンを開いて、俺は気を失った。

 ベッドの中で俺は手をみつめる。時折ズキンズキンと痛む両 手をさしのばす。包帯をぐるぐるまかれた白い手。それは俺の 手ではないような気がする。いや、もう手ではない。この手に は指がないんた。信じられぬ。何をするにも必要だった指。俺 の手に指がないなんて、悪夢だ。そのうち夢からさめて、そう だ、俺の手に指がないなんて夢に違いない。いやいや、事実だ。 真実、俺は指を失ったんだ。この手には指がないんだ。……だ がやはり信じられない。包帯をとってみたい。指がそろってい るのを確かめたい。しかし……ああ、包帯、永久にとらない でくれ、指のない手なんか見たくない!

 包帯がとられた。俺は指を失なった。俺の手には指がない。 俺は不自然に醜く縮んでいる肉塊をいつまでも凝視して、涙を 流していた。

 夢をみた。日中にさえ夢をみた。少しでも微睡ろめば夢をみた。 現実と夢との区別がまるでつかなくなってしまう。

 分けの分からぬ者たちがよってたかって俺の指をもぎ取ろう としていた。俺は恐怖に声をひきつらせて助けを呼んだが、誰 も助けに来てくれない。黒い影がますます多く俺を取り囲む。 俺を嘲笑する。俺を襲う。俺は必死に手をかばうのだが、アッ !ウワー!……‥自分の声で目が覚めた。

 俺の手の指だけがとりわけきれいに輝いていた。手だけがや けに目につく。俺は自分の手がこのうえなくいとほしいものに 思えて、そっと胸に抱いてみた。しかしそれは異様な肌ざわり を感じさせた。俺は指のない手を抱いて眠ていた。

 俺は石のテーブルの上に指を拡げて手を置いている。冷い石 ばかりのその室はしんと静まり返り、不安な気配が漂っていた。 何かしらぬが不安でならない。俺は逃げ出そうと思い、手をあ げようとしたが、テーブルから手が離れない。手に力が人らな い。指を曲げようともしたが、俺の指でないようにまるで動か ない。俺は焦った。足をふんばって全身に力をこめて努めたが、 冷汗が流れるだけだ。と突然頭上に冷い光。それが間髪を入れ ず、指の上に落下してきた。ギロチンだ!………目が覚めた。

 俺は何かを期待しながら日向にじっと座っていた。指のない 手を日に向けてさしのばしていた。するともぞもぞと指の付け 根がかゆくなり、そこから指がのびたしてきた。もとのままの 指だ。おゝ、俺は指をとりもどした。指があるんた。さっと身 体を起こして両手を互にまさぐり求めた。……やはり、手には 指がなかった。

 いつか指の夢をみなくなった。長い時間に哀しみはくさり。

 いつか指のない手が気にならなくなったり哀しみのすきまに 塵がつもって。

 それでも時々、指があるつもりで物をつかもうとし、空をつ かんで、改めて指のないことを思い出して苦笑する。指のない 手がいとほしくなり、胸に両手を抱いて泣いたりもする。

  ・ ・ ・ ・ ・


指のない手を
自分の手に指かないことに
耐えられるか
如何に耐えようとか
むしろ………



夜の歌 一

ほそい月だ
えぐられた地はだをしみでて
したたる滴はつららになった
冷たい月だ
日の中はたしかに流れていたのだが
このどぶ川も 今は白く動かない
真夜中だ

   こたつの中で酒をのみ
   テレビでも見ていれば
   それはもう
   暖かで豊かそうだけど
   わけの分らぬ衝動が
   おれをここまでかりたてた

白い月だ
蝋のようなうすあかりが
おれの心を苛立たせる
うすい月だ
求めるものはあれでもないこれでもない
めしいだ手につかむべき闇さえない
今は真夜中だ



夜の歌 二

大晦日の夜だとて
なんということもないのだが
こうして ひとり
酒をのんでいると

ゆく年のうすく鋭い
刃物のような悔いが
おれの心をさっとかすめて
ひりりと痛い一筋の疵をのこした

そのほそい疵を割って 透明の
赤いけむりがむんむんふきだし
心になまぬるい紅色が充満し
疵の痛みがすっぱくなった

その紅色は 来る年への
希望でもない 希望のような
力でもない 力のような
あゝなまじっかの若さだよ

恥を忍んで、自作品の公開

<>詩文編(19)

 前回で二番目の自費出版詩集『影』の紹介が終わりました。今回からは最後の自費出版詩集『日ごとの葬送』の紹介を始めます。私が28歳~29歳の時の作品を収録したものです。

 ところで、『日ごとの葬送』には収録作品が17編あるのですが、その内14編が最終詩集に転載されていて、すでに紹介済みでした。残った3編だけでは寂しいな、と思いを巡らしながら、長いこと手を付けていなかった書棚をぼんやり見ていたら、「磯枕」という同人誌が目に止まりました。
 すっかり忘れていました。「磯枕」は私が勤務していた高校で最終詩集の装幀をしてくださった方が同人のお一人として活躍していた同人会の同人誌だったのです。その同人会は高校卒業後も続いていて、私が所有している一番新しい「磯枕9号」はその同人会が発足した12年後の1975年にに刊行されています。そして、なんと、その「磯枕9号」にわたくしは第2詩集『影』を全編投稿しているのでした。
 そしてさらに「磯枕10号」に「初期詩編」と題して詩文41篇(その内9編は戯歌としてまとめ別扱いしている)を投稿していました。1961年~1965年(23歳~27歳)の時の作品です。その中にこれまで紹介したきたどの詩集にも掲載されていない詩文が30編(内9編は戯歌)ありました。

 今回から(何回になるか不明ですが)『日ごとの葬送』の4編と「初期詩編」の30編を公開して、カテゴリ「自作品の公開」を終わることにします。

 では『日ごとの葬送』の4編から始めます。



<『日ごとの葬送』より>

吹 雪

遠く近く
怪しく咆哮する蒼剛たる朔風
すべて自足するものを
ところかまわず襲え 白い悪魔(ディーモン)
おまえ激しい自然の躍動を避けて
この小さな暖かい囲いの中で
どうして安逸な平安など求めよう
私の心は
白い嵐の中に乱れ舞うのに
いささかもやぶさかではない
眠られぬ苦悩のこの夜
むしろおまえ狂おしい自然の楽劇に
苦しきままに陶酔こそすれ

私の心よ
白い悪魔(ディーモン)にまぎれてはばたけ
弓形に疾走せよ
砕けよ 散れよ
涯はるかないとおしい天地(あめつち)の中で
私は熱望する
私たち人のさかしさの
ただふたたび空しからむことを


春の曇天


    博物館には何もない


くさりかけた脳漿ばかりの
黄色い曇天の天蓋に
生えたばかりの藻草が枯れ

  (藻草の蘇生にはホルマリンが一番だ)

見えない光がほたるのようで
藻草はもどかしくそれを追い
藻草はためらいそれを逃れ

  (星の驕りがちらちらするのだ)

枯れた藻草はからからと鳴き
生えたばかりでからからと鳴き
脳漿ばかりが黄色く匂う

  (星も藻草もホルマリンに漬けよう)


エデンのりんご


アダムとイブが盗んだのは
「ことば」ではなかったか

その罪を贖おうとして
なんという歴史であるか
人間の
盗品をもって贖おうとして

ことば ことば
馴れ合わなければ生きられない人間

ことば ことば
記憶を積み重さねて行く人間
親から親へ
子から子へ

  ぼくは町でなければ生きられない
  ぼくをさいなむには一片の
  いとしいひとの記憶で充分だ

初めに「ことば」あり
「ことば」が醸す錯覚
盗品で積み上げてきた
われらが栄えある二十世紀
エデンの園にこっそり返すには
それはもはや重すぎる

贖罪に神の恵みは無益になった
盗人たけだけしくも
自ら死刑執行人であるための
今は道具は揃っている

   それにしてもぼくがあずかった分け前は不当だ
   こんなにさえない「ことば」とは
   相棒よ ぼくは強く抗議する


黙示録


なぜいつも終りなのか
始まりが始まったためしがなく
始まりと見えて
なぜいつも終りなのか

教千年の歴史についにあずからぬ
陽気で惨劇にみちた群れの
黙契のはこは掠取され続けて
空(から)のはこは舁き継ぐほかなく
舁き継ぐままに自らの砂漠を縮め
見る影もなく改竄された黙契のしがらみに到れ
無辜の群れ
饒舌の槌に斃れるものは影ばかりだから
ここより最も遠く
ここより最も深い
海溝の生みの苦しみの涙の記憶を
七度つぶやき
七度城壁をめぐれ
そのとき無量の血を吸い続けた黒い砂漠は
一柱の巨大な旋風となって
疎々しい虚飾の都市を襲うであろう

幾度始めて
なぜいつも終りなのか
空(から)のはこのための一行の
ただ一行のリフレンが欲しい
ぎりぎりの沈黙から湧きあがる
炎え立ち
疾走する
太陽!


 ここからは「磯枕10号」の「初期詩編」からの転載です。二十代初期にふさわしい簡素で清々しい詩が多いです。



春の嵐


ウォーン ウォーン ルルルルル
疾風・春の阿修羅
木の間を駆り 梢へし折り 石壁くずし
尾根へしまくり ガラス戸破り 街巡る
ウォーン ウォーン ルルルルル
疾風・春の阿修羅
雲は飛び行き 光は飛び行き 花びら飛び行き
女は風に逆って すそを押えて街を行く
ウォーン ウォーン ルルルルル


夏 の 嵐


  最初の紫電が雨を呼んだか
最初の一滴が電光を誘ったか
稲妻は鋭く空をさき
雨は激しく大地をうがつ
人々は右往左往し
軒に逃れビルに隠れる
太い樫は枝を逆立て
幹を二つにくねらせながらも
根は大地に探ぶかと
動くものかと力みおる
嵐はそんなことにはおかまいもなく
我もの顔に暴れに暴れ
街をきれいに総なめし
やがて威風堂々と
海の彼方に飛んで去る





四階の高みから見る街は
一際抜きんでたビルディングあでり
思うままにオゾンを穢す煙突であり
ゴミゴミかたまった煤けた屋根屋根であり
せわしく動きまわる車のブラウン運動であり
エーテルをかき散らす挨であり
音ならぬ音が
四方八方から湧きいでて
重なり、ぶつかり、もつれつつ
耳を重々しく押しつける世界である
そこにはもう人間の心情の
入りこむ余地とてなく
それだけにそこを
それぞれの生活を背負って
理由ありげに小さく歩いて行く人間を見るにつけ
俺は心地よい非人情を
冷たい街に感ずるのだ。


雑草


  ふみにじられ虐げられながらも
生命の残骸さえないところに
彼らは執拗に
きわめて原初的な強靭さで
士を割りいで
なお生きてあることを宣言する。

去年(こぞ)の秋
枯々の野に
野火が放たれ
チチ チチ と炎にむせび泣き
低迷する煙にのって
大空に消えていったもの
それが新たな生命の懐胎とは知らず
俺はただ亡び行くものの悲しさのみを見た。

時には雪が降り 雨が流れ
夜には凍てつき
こちこちに踏み固められ
さらには木枯Lが吹き
乾ききった砂塵が
もうもうと舞い立った荒野に
生命が息吹こうとは
一体誰に想像しえただろう。

今、三月
春の日は
彼等の成長のために
とうとうとふりそそぐ
彼等には
繁茂の夏が約束されている。
過ぎた日の如く
やがて秋には枯れるものであっても
次の年もまた次の年も
彼らに滅亡の時はない。


生命(いのち)


冷い眠りを覚めて 突如
一気に屹立する巨大な岩々
それらは はたまた
嚇怒として崩れ落ち陥没し
そこここに激しく
ますぐなる黒煙 湧出し
山をえぐり 爆発し
迸り流れる灼熱の溶岩(ラバ) 赤い爆風
それに呼応して天は
雲を重ね 稲妻は張り裂くはがねの豪雨
あゝ 暗黒の大宇宙に
陣痛に身悶える一つの点
大いなる一つの点 地球

     乾坤開闢のその力をひめて
     いかなる人智も及びつかぬ
     神秘なるものは誕生した

天地創造の成就よりこのかた
幾億年 また幾億年か
この岩壁は粛畳と聳え
衰え知らぬ力は止むことなく
憤然として押し寄せ続けた 波 波 波
その隆々たる怒濤は大きく岩壁に砕け
無限の飛沫となって飛び散れば
太陽(ひかり)にきらめき 生命(いのち)を孕み
太陽にきらめき 嬉戯(きぎ)として海原に沈み
あゝ 大海原は
あたたかき生命を孕み
大いなる無限の生命を孕み


山を登る


私はうつむき
ひと足ごとに移ろい行く
足もとのみを見つめながら
ひとり山を登ります。

山の頂きに何があるかを知らず
そこで何が得られるかを知らず
ましてや何のためかを知らず
ただ山を登ります。
時折こうべをあげて
頂きを仰ぐのですが
そこは雲が厚く何も見えません。
ふと山には
頂きがないのかも知れぬと
あるいは私は一所をぐるぐる回っているだけなのではないかと、
あるいは私が頂き目指して進めば進むほど、頂きは高くなり、
結局私は頂きとの距離をただ広げるためにのみ登っているのではないかと、
いずれにしても私は山に愚弄されているだけのように思えるのですが、
それでもなお、私はうつむき、足もとのみを見つめながら山を登ります。
しかし私はうつむき山を登りながら
不安にまさって私を恍惚とさせる充溢感を
身体一杯に感ずることがあります。
つまり私自身が山であり、山そのものが私であり、私と山とは
互に欠かせないものであり、私の個々の拳動が山にとって重要なのであり、
山の挙動に私の宿命は定められているのであり、
たとえ私が今すぐ山の怒りにふれて斃れたとしても、
それは意味ある必然であり、私の足跡はすぐ消えさり、
後から来るものには知られもしないだろうが、
その時こそ私は山と本当に一体となったのであり、
人々がそれとも知らず私の上をふみこえて、
私より上手に、私よりより快活に、私よりより高く、
山を登っていくための礎となり得たのであり、つまり私は……
その……うまく言えないのですが、ともかく瞬時ですが、
非常な満足を感ずることがあるのです。
そんなとき、私の歩みはことさらはかどります。
私は今朝も誰もがするように
あいも変らず登りつづけています。
遅いあゆみで
あいも変らず
うつむき
足もとのみを
みつめながら

恥を忍んで、自作品の公開

<『影』より(2)>

<>詩文編(18)

 『影』の第一部「二二歳― 私の買いものは早すぎた」の残りの四作品と、第二部「二七歳― 私の買いものは遅すぎた」の〈「流れ星」「墨田川異影」「私のための賛歌」「雨の墨田川」「秋 空気のような歌」「冬 波の歌」は最終詩集に掲載しましたので、ここでは残りの〉八作品を転載します。

<二二歳― 私の買いものは早すぎた>


通過すべからざる隧道

誰もが入ることを拒むところだ
しかし そこを通過しなければ
ぼくは存在し得ないのだ

一歩足を踏み入れれば
もはや四囲は真の闇
自分の手さえ見えないのだ

見えないながらも目をみはり
音のない時空に耳すまし
ぶつかリつまずき遅々と進む

天井からは水が滴り
闇はじめじめと押し迫り
心がぶよぶよむくむのだ

もうどの位来ただろうか
疲れた しかし進まねば
ここには光は少しもないのだ

やがてはるかの彼方に
どの位の向こうかわからぬが
光が 絹糸のような光が

だが心せよ 先はまだ長いのだ
ぼくがやってきた行程は
もう入口も見えぬほど深いのだが

それでもいつかは絹糸も滝となり
鋭い光を一杯身にあびて
ぼくは目の痛さをこらえているだろう


蜃 気 楼

その時 俺の肉体は病み疲れていた
その時 俺は荒涼とした砂漠にいた
その時 俺は水に渇いていた
その時 俺はあえぎあえぎ、一かき一かき
     はいすすむことしかできなかった
その時 俺は血迷っていた
その時 俺の精神は乾きしなびていた
だからこそ俺の理性は
しなびた精神の命令に従って
すべての歯車を敢えて停止した
そしてしなびた精神は
無様な感情の支配下にあった
こんな時 俺は蜃気楼を見た
  (当然のことではなかったか)
こんな時に見た幻は
それが幻であることが判っていても
幻を真実と思い込んで
否 そう思わずにはいられず
あえぎあえぎ 幻つかもうと
一生一代の力振りしぼって追いすがり
ふと幻であることを思ってためらいもするが
俺は完全に止まることができず
すぐ忘れ
再び這いすすみ 追いすがり
やっと幻をつかもうとした時
幻は消えた
残る荒涼とした砂漠
裏切られたとか
  (当然のことではなかったか)
さて
俺は砂漠に蜃気楼を見てから
もはやオアシスのあることを信じなくなった
真のオアシスをも幻であることを恐れ
目を閉じて通過するであろう
俺は砂漠に行き倒れようとも
そこにオアシスを信じない!


恋の時空について

今初めての恋に身も心も浸り切れる若者達よ
心せよ!
恋の時空は歪んでいる。

          さて それから一歩を踏み出す前に
          まず変分法を学ぶべし
          そこでは性急であってはならないのだ
          直線が最短距離とは限らない
          君と彼女の 彼と君の
          測地線を焦らず確かに積分よ

     若者達よ
     もうひとつ この時空での
     命題証明の原理を教えておこう
     まず否定的事実を探すこと
     たとえ些細なものであっても
     それがふと思う疑惑であっても構わない
     否定的気配が瞬時でもあったなら
     まずその命題は真ならずと言えるのだ
     真理の肯定的証明法はありはせぬ
     肯定的証明は永遠になされない
     永遠に謎なのだ。

今初めての恋に身も心も浸り切れる若者達よ
心せよ!
恋の時空は歪んでいる。


豪 雨 の 夜

真に暗い夜であった
雨が激しく降り
ぼくらはずぶ濡れの肩を寄せあい
安らかな心の通いを感じながら
僕らの黎明を求めて歩いた

と 突然君は走り出し
ぼくから遁れて行くように
一寸先の闇に消えた
ぼくは呼び叫び
君の後を追ったのだが……

君は何処へ消えたのか
闇に溶けたのか
窪みに足を取られたのか
或は水に流されたのか
どこかで氾濫を告げる鐘

いつかぼくのまわりを
師と友と君の身よりが取り囲み
ぼくの腑甲斐なをなじり
ぼくに多大の責任を果せようとした
雨はあがった

ぼくは疼く胸に君をえがき
泣きながら街中をかけた
うっすらと明けていく
東の空を雲が走っていた
道を雨が轟々と流れていた



                 <二七歳― 私の買いものは遅すぎた>


私の悲喜劇

私の暦は
いつでもくるっている
それが私の喜劇だった

私の暦は
遅過ぎたり早すぎたりした
それが私の悲劇だった

たとば
草の芽がふくらみ初める頃の野に
真夏の太陽を持ちこんだり
未練もなく去ろうとする病葉のかげに
春の花を咲かせようとしたり

その度に 私は
苦い想いにうちひしがれた
私の暦を正そうと焦った

その度に 私は
正された暦に 安息を覚えた
私はその時私ではなくなっていたのに

昨夜
酒を酌みつつ華やかに笑ったものは
気がつくと一年前の花であった

一年前
私の心に咲き続けるものと思って
私の心が摘んだ花だった

今朝
自らの迂闊さに腹が立ち
後もどりした暦をちぎっていったら
一年先まで進んでしまった
私の暦はまだくるっている


秋の蛾

脳髄の振動には
歪められた波形しかない
と思っていると
胃も腸もうなだれてしまう
のがよく分かる。
生々しい創造の
ない心が堪えられないのだ
偉大でないのは屈辱だ
心は存在しなければ
一等よかったと思うのだ。
秋の日暮れがせまると
ヘパイストスのように
滅入ってしまう。
酒は
終結定理の先を考えて飲んでいると
にがい。

眠れない時に
夜空を眺めていると
歴史の教科書が
からから笑うのだ。
「自由」はすべて「必然」と
結婚してしまえばよい
確かによいのだ。
おれはふと気狂いに
郷愁を覚える
「あじさいの紫で
 髪をかざってくれ」
といって人は自殺するのだ。
「死ぬのはむずかしいので
 人は生きようと意欲するのだ」
と昨日弟に言ってやった。

さっぱりわけのわからな
自分の心に
脳髄の歪んだ波動を
正させるのはむずかしい。
おれはあと十年以上は
結局生きのびるのだ
と思っていると
電燈にぶつかって落ちた蛾
のもだえが
おれの眉毛にひびいた。
静かな人生もたくさんあるが
溌剌とした創造の
ない心が堪えられない
強くないのは屈辱だ。
女の心よりは
教員室の方が
中世の教会に近いと思うのだ。


秋の夜の哀歌

生成の貧しさはつらく
友らの無視のまなざしのようにつらく
そのつらさを耐え忍ぶため
 (何故堪えようとするのか)
かえって極限のつらさにまで追いつめようと
生活のあらゆる習慣にさからって
心はあてどもなくさすらおうとするのだ

ごみ箱を鼻のあたまであさる
野良犬の期待のないどん欲さで
雨戸をかたくとざしたまま
一日中床にくるまって本をむさぼり読んだり
出来るだけ人並みに着かざって
人ごみの中にうずもれようとしたり
お金をばからしい仕方で使いきるため
真夜中まで酒を飲み歩き
バァの女とたわむれたり

結局自分の貧しさに圧倒されて
もうそれ以上にはなり得ぬほどのつらさに
真夜中の車道を
一文ももたず
友情と孤独の本を宝物のように胸にだいて
鼻をすすりながら
涙をくしゃくしゃにしながら
同じ歌をくり返しくり返しうたい

――赤イクツハイテタ女ノ子――

足が枯れ草のようになって倒れたのだ

晩秋の夜の冷たさが
内臓の機能を狂わせ
道をよろめきながら
ふるえて
激しく嘔吐し
ふと凍死の誘惑を聞いた

無能のものには無能の悩み
出来損ないには出来損ないの死
未熟児のように哀れにちぢかんで
眠れ眠れ
朝は小春日のまぶしさに
見えない目をまばたかせ
お前を取りまく無縁の人たちにこそ恥よ
無能のものには無能の思想
出来損ないには出来損ないの忘却

正常な時間の動きを
再び迎えることがどんなにつらくとも
死のみを思っていられるわけではない
極限のみじめさをおどおどふりかえれば
涙のかれた歌がくすぶるようにうたわれていた

――赤イクツハイテタ女ノ子――

貧しいものには貧しいものを
何をもってしてもうめるすべがないのだ
この理不尽な宇宙の掟に
生命(いのち)はいたしかたなく従おうとする


北 風 に

北風よ
もっと強くもっと冷たく
吹きなさい
暗うつな雲は散って
夜空は深く澄み
星たちは賢くきらめく
あれはあなたの業(わざ)ですか

北風よ
もっと強くもっと冷たく
吹きなさい
私の心の燃えたつ炎を
吹き消しなさい
私の心のくもりをぬぐいなさい
 (この苦しみより
  むしろ
  私はこごえて死のうか)

あゝ 北風よ
あなたの力が衰えぬうちに
せめて
もとの私を戻してはくれまいか


人よ

人よ
ひとりさかずきを傾けてつつ
身にしみて感覚せよ
あてどもなく
質量のない汝の孤独を
胸つまるほどに感覚せよ

人よ
透明なさかずきの底に
映るものを冷やかに見つめよ
汝が生の光のいとわしき漂い
影となり得ぬものの刹那の影を
涙にじむほど見つめよ

あゝ人よ
たまさかのその影が
さかずきの底に消え入りつつ冷やかに
語ることばに耳傾けよ
 「汝よりもより光たるもの
  汝に行きずりの一瞥を投げかけるのみ。」




空の青さと雪の白さの
秒速三十万キロメートルの
絶え間のない光の乱反射の往復は
天と地に
さだかならぬ
漠々たる曲面をまばゆかせ
冷下二十度の青と白の
ここ広大な希薄の天地で
私たち 人の
激深の孤独さえ何であろう。
いかに生々しく激しく
溢れ溢れても
それは冷ややかに吸収され
拡散し
漲る風さえ吸収され
宵時の激風は拡散し
海抜三千メートルの
ここ非常の
光の天地に
もはや形はない。
ただ
稜線を疾走する氷風巻きくれば
青と白との入り乱れ
青と白との雪乱舞。


春 タンポポの歌

ふとわたる風にも
こそばゆい息吹き
あらゆるものの生命(いのち)の
幸福のさざめき



たんぽぽ たんぽぽ
春の妖精よ
おまえの幸福は
それではなかったのか
白くやわらかくふくらんで
高くたんたんと風にのり
遠くにかすむ山より高く舞い
たんぽぽ たんぽぽ
純白の踊り子よ おまえは何処へ流れるのか
何処へ流れる

私がかつて憧れた
重みのないかろやかな
第二の幸福の妖精よ
それはまだあるか
私にそれを教えよ


夏 夕焼けの歌

山岳の夕べ色は透明だ。
一日の行程を終えた山の男に
悔いない疲労の影ばかりが黒い。
尾根道に頭(こうべ)をたれてくっきりと黒い。

入り日に向かうあの敬虔な影が
街ではどんな愛憎に悩むのだろうか。
憧れた死のような静かな夕映えに
愛憎を溶かしこめよ、黒い影。
山は無言の母のかいなだ。

男がまもってきた一つの矜持。
は 町ではあまりにもろくはないか。
女の心のうちには通らない。
街でためらった涙を今流せ、黒い影。
街には顔をうずめるふくよかな胸がない。

山岳の夕べの色がうすやみにとければ
一日の行程を終えた山の男の
悔いのない疲労の影は一層静かだ。
明日(あす)愛憎の町に帰るにはあまりに静かだ。


恥を忍んで、自作品の公開

<『影』より(1)>

<>詩文編(17)

  前回で自費出版詩集『蜥蜴』の紹介が終わりました。今回から次の自費出版詩集『影』の紹介をすることにします。この詩集についてはいろいろと付記したいことがあります。すこし長くなるかもしれませんが、そこから始めます。

 『影』は三色の孔版印刷の詩集です。最初の勤務校の同僚で私の詩を大変高く評価してくれた方がいました。その方が多大な労力と時間を掛けて編纂してくださいました。もう52年前(1966年、私28歳)の事です。
 その方はその後どのように活躍しておられたのか、調べてみましたら、なんと今はある大学の名誉教授になっていました。
 連絡が取れれば『影』を一般公開することを告げたいと思ったのですが、連絡をする術がありません。私の独断で公開に踏み切ることにしました。前書きや後書きも転載することにしましたが、その方名前は匿名でM・Kさんと記すことにします。

 青春時代の大きなひとこまとして、M・Kさんとの出会いと関りは私の心の奥にひそかに生きいます。これもやはり記録しておきたいと思いました。まず『影』の「前書き」と「後書き」を転載しておきましょう。

 詩集はカラーのガリ版刷りなのでソフト「読んで?ここ」が使えません。かなり時間がかかりそうですが、のんびりと転載していくことにします。

  次の文は、私が書いた前書きです。

 五年ほど前 胸を病んで約八ヵ月ほど入院生活を送ったことがあります。その折のつれづれに詩の何たるかを知らぬまま、詩のようなものを書き始めました。前半の九編はその頃のものです。
 一年ほど前より、もとより詩の何たるかを知らぬまま、再び詩を書くようになりました。しかし、今度は生活のつれづれを慰めるためではなく、偉大な詩人たちのことばの魔術に魅せられ、詩の何たるかを知りたく、でき得れば、自分にも詩心があるならば、それを表現してみたいと、おおそれた考えを起こしてのことです。後半は前詩集『蜥蜴』につづく、ごく最近のものです。
 五年前と今と、さしたる進歩もなく、未だに児戯に等しいことを痛感しながら、『蜥蜴』の時の悔恨にもかかわらず、親しい人だけなら恥にもなるまい、再び詩集を編む誘惑に屈しました。

 ぼくの拙い詩を見限ることなく、始終助言・批評を惜しまず、ぼくを激励しつづけてくれたばかりか、今度は貴重な時間と労力をさいて、詩集をこんなにも美しく楽しいものにしてくれたM・K兄に心からの感謝の意を表します。
 Kちゃん、ありがとう。
           一九六六年 二月          仁平忠彦
    

 次はM・Kさんがしたためてくれた後書きです。

 おとなの絵本のような詩集を創りたい。これが仁平さんとの最初の夢でした。素人で あるわたくしの孔版印刷の技術を駆使して、多色刷りの楽しい詩集にしたかったのです。 作品の雰囲気を伝えるカットをたくさん添えて――

 ところが、鉄筆をにぎって製販をはじめますと、これらの愛すべき作品は、文字以外のものは 一本の線すら、その紙面に存在することを許さないのです。わたしは絵を添えることを諦めました。 また同じページにいくつもの色を使うことも諦めたのです。そうすることが、この詩集を手にする方への、 ほんとうの親切だと信じて――

 わたしは仁平さんが好きです。虚無の深淵をのぞき込んでいながら、救いを求めず、錯覚もせず、 しかも悲愴にもならず、あたたかく人間を生きようとしている仁平さんが。そしてまた、そんな仁平さん の裸で表現されている作品が好きです。売文業者はいても詩人のいなくなった今日、わたしは心から 兄の作品を愛読したいと思っています。

タッちゃん、がんばれ!
            一九六六年 二月          M・K

 さて、本文(詩文)の方は二部に分かれていてそれぞれ「二二歳ー 私の買いものは早すぎた」・「二七歳ー 私の買いものは遅すぎた」という表題がついて、それぞれに掲載されている詩文の数はそれぞれ九編・十四編(うち六編は最終詩集に転載)です。第一部の九編と第二部の残りの八編を転載していくことにします。今回は第一部の初めの五編を転載しておきます。

<二二歳ー 私の買いものは早すぎた>


ささぶね

   ささぶねさらさらかぜうけて
   ささぶねゆらゆらゆれていく
   ささぶねおうこのせがあかい
   さらさらゆうやけみずにさす


りんご

   今まさに我に食われんとする
   汝 りんごよ
   汝 生きることの悲しみ知るや
   汝 如何なれば
   かくも赤く熟れたるぞ


柿の木

   柿の実落ちて
   柿の木哀れ
   枝もたわわな秋の日は
   通る人ごと見上げてた
   はなたれ小僧もねらってた
   枯野に一本
   柿の木一本
   木枯し吹いて
   柿の木哀れ
   せめて冬の日やわらかく
   柿の木つつんで慰めよ
   また来る秋にも実れよと


春 花 去 来

  春も去る はや夏ぞ

  病室のベランダの片隅に
  胸病む我はうずくまり
  千々に乱れて想いに耽ける

   目の下の平たい屋根は
   窓の開かない手術室
   今日も誰かの胸が割かれる

   屋根の上 子すずめ三羽
   見よう見まねで羽ばたくが
   一尺飛んではかわらを滑る

   ズタズタに想いは飛び散り
   サクサクメス振る音もする
   あわれ 子すずめ早く飛び立て

   春も去る はや夏ぞ


墓 標 に

   私が何もなし得ず
   この世に何も残さずに滅びた時
   私のはかなく小さな墓標が
   私の師や友や恋人や同胞(はらから)の心に
   細やかながら立てられたとしたら
   すぐにも朽ち果てるべき私の墓標よ
   彼等にこう伝えてくれ

 私は気の弱い非常な照れやだったので
 私があなたたちに対して示した
 尊敬や友情や愛や感謝が
 あなたたちが私に与えてくれた
 この世の生の歓喜に比べて
 実に微々たるたるものであったとしても
 私の心の中では
 あなたたちに対するそれらの情念が
 上手に現れいずることのできぬ焦燥で
 熱く燃え立っていたのです。

 私が何もなし得ず
 この世に何も残さずに滅びた時
 私の小さな墓標を
 私の師や友や恋人や同胞の心に
 細やかながら立ち得たなら
 せめて
 私のこの心残りを
 彼らに伝えてくれ
恥を忍んで、自作品の公開

<『蜥蜴』より(3)>

<>詩文編(16)

『蜥蜴』より残りの九編を転載します。


みちを掘り起こす力はあるか

ひょうびょうと北風の吹くなり
心にあたたかきもの かすかにあれど
このみちに北風の吹くなり
この暗く単調のみちにありて
この冷たく平坦のみちにありて
あゝ 汝が心よ
何故(なにゆえ)にそうも頑なに黙(もだ)すか
何故にそうも忍び堪えんとはするか
汝が心のままに
何故にかくは叫ばざるか
     あなた あたたかきものよ
     我とともに歩きてたもれ と

ひょうびょうと北風の吹くなり
心にあたたかきもの かすかにあれど
このみちに北風の吹くなり

あゝ 我が心の叫び得ぬは
我が稚屈のみちに
我が安逸のみちに
あなた あたたかきものの
いかにもふさわしからねばなり
我がみちのあまりに稚屈なれば
我がみちのあまりに安逸なれば
我が心 恥じ入り
いよいよ頑なに
いよいよ苦々しく
かくも忍び かくも黙すなり
しかしてむしろ
我が心はかく畏怖(おそれ)をつぶやく
   あなた あたたかきものよ
   我を蔑まざること能うか と

ひょうひょうと北風の吹くなり
心にあたたかきもの かすかにあれど
このみちに北風の吹くなり
あゝ 汝が心よ
汝が単調のみちにありて
汝が平坦のみちにありて
汝は自らをいよいよ低うし
自らをいよいよ空虚(うつろ)にする
何故にそのこごえたる手をふるい
その冷たくこうばしりしほゝをほてらせ
汝がみちを堀り起こさんとはぜざるや
何故に汝がみちを
高く盛り上げんとはぜざるや
しかして
何故にかくは叫ばざるか
     あなた あたたかきものよ
     我とともに鋤をとりてたもれ と

なおも北風の吹くなり
心にあたたかさもの かすかにあれど
ひょうびょうと北風の吹くなり





桜木の陰の
白いうなじの
                                                         はじらいまぶし 春の河原


古都

しっとりとあまだるい
朝明けである
うす青い東山の峰々の
底に沈む
かみさびた都の
古へ人の
憂愁の
あゝ 一千年のかなたより
ぼくのさまよう生命(いのち)を
しめつける
朝明けである



宿命(さだめ)

ここが寂しい岬の突端です
さあ あなた
このレースのような草の上にすわりなさい
そして私たちは
こうして肩をよせあって
お互の体温を感じながら
このものかなしい海の景色をながめていよう

海の色は 灰色ににぶく
波の音は 遠い愁いの彼方から
霧のように
汐風に運ばれてくるようです
こんな 雪でも降りそうな曇りの空では
沖には 帆影一つなく
遠く視界の消えいるあたりは
空と海の区別さえつきません

このものかなしい景色の中で
あゝ あなた
あなたは明日(あす)を語ってはいけない
あなたの明白へのためいきが
私の嘆きを幾倍にもひろげます
私たちは
ただこうして 静かに座っていて
時のそとでためらいながら
私たちのみはてぬ夢を夢みていよう



生命(いのち)

冷い眠りを覚めて 突如
一気に凛立(りんりつ)する巨大な岩々
それらは はたまた
嚇怒(かくど)として崩れ落ち 陥没し
そこここに激しく
まっすぐなる黒煙 湧出し
山をえぐり 爆発し
迸ばしり流れる灼熱の熔岩 赤い爆風
それに呼応して天は
雲を重ね 稲妻は張り裂くはがねの豪雨
あゝ 暗黒の大宇宙に
陣痛に身悶える一つの点
大いなる一つの点 地球

      乾坤開闢のその力をひめて
      いかなる人智も及びつかぬ
      神秘なるものは誕生した

天地創造の成就よりこのかた
幾億年 また幾億年か
この岩壁は粛畳(しゅくじょう)と聳え
衰え知らぬ力は止むことなく
憤然として押し寄せ続けた 波 波 波
その隆々たる怒濤は大きく岩壁に砕け
無限の飛沫となって飛び散れば
太陽(ひかり)にきらめき 生命(いのち)を孕み
太陽にきらめき 嬉戯(きぎ)として海原に沈み
あゝ 大海原は
あたたかき生命を孕み
大いなる無限の生命を孕み





 真新たらしく塗装されたオモチャのような白い漁船の並ぶ浜に、春
はかすかにけむり、その景色の中でぼくの幼い心がかげろうのように
萌えた。ぼくは一つの記憶をまさぐり求めた。むなしく………

 そのさだかならぬ記憶は、あるいは、ぼくのではなく、母のそのまた
母の秘めていた記憶だったかもしれない。
 ぼくは、そのけむる想い出の中を、あてどもなくさまよい時を忘れた

 旅は続けなければならないと思いをがら…………




テニスコートはひかりあふれ
テニスコートはエーテルの踊り

乙女らの白い姿はまぶしくひかり
乙女らの息ずく肢体は軽やかにはね

テニスコートに春の息吹き
テニスコートにかがやく笑い



断層

おれの目は充血して
おれは朝日の中を歩む

昨夜からの雨は降りきった
街はからっぽの青い陶器だ

もはや「昨日(きのう)」は門を固く閉ざした
すべての過去をおれから奪って

すでにかび臭くなった 「昨日」の中へ
おれは帰りたいと思っているか

視点の遠い 充血したおれの目を
行き交うた人が嘲笑(わら)った



降雹

遠く低く
這いつくばう太い雷鳴
今までの底も知れぬ紺碧の空に
どこから湧いたか
泥くさい雲がぎしぎし詰めこまれ
真昼というのになんという暗さだ
なんという不気味さだ

泥くさい雲に吐気は漲り
漲り切った激しい吐気は
無数の氷塊と変り
不安と苛立たしさとにもう耐えられぬとばかり
どっと迸り出て
狭隘(きょうあい)な灰色の空間に
時をらぬ矢襖を張りつめる

絶えまなく落下する鋭い矢
その矢先は屋根に硝子戸に砕け散り
とび散った氷塊は妖しい霧となり
もうもうと立ちのぼり
矢に押し戻されてさらに妖しく
縺れ渦巻きつつ
再び地上に覆いかぶさる
 あゝ!蛟龍が昇天する。

やがて電光一閃
時を移さず耳をつんざく激しい雷鳴
..................
自然の嘔吐は終った
世は紺碧の空のもと
湿潤と静寂とを取り戻す。
 (シカシ、生命(イノチ)ヘノ苛立タシサハ吐キ切レヌ。)

恥を忍んで、自作品の公開

<『蜥蜴』より(2)>

詩文編(15)

 『蜥蜴』より前回の続きの六編を転載します。


背中あわせの無骨な男

その連中ときたからは
背中あわせを思っただけで
とたんににがいへドがでる
そいつらも 存在してると考えると
無性に腹が立ってくる
そんな連中がいるけれど
相手も同じ思いだろうから
いっそう徹底的に冷淡に
底の底から戦って
おれがそいつを打ちのめし
あるいは
そいつがおれを打ちのめす
そんなことも思うけど
それはとってもできないよ

   良いも悪いも何んにもできない
   本心からの善人たちも
   地獄の底に落ちるというが
   それはきっとほんとだろう

虫の好かないお前たち
いやおうなしの
虫ずのはしる仲間たち
お前たちは知らぬだろう
人間の背中のおくの
おくのおくを知らぬだろう
背中のおくのおくのおくには
数万年もの昔からの
祖々代々の昔ながらの
しぶとく強い筋(すじ)があり
背中のおくから背中のおくへと
どいつもこいつも一緒くたの
三十億人をじゅずつなぎの
まことに長い筋があり
りんと一本通っていて
おまえのきたないあかだらけの
無骨の背中とおれの背中も
どうしようもない血縁だ

   今この岩壁にくだけて散った
   その波は つい近頃までは
   はるばる遠い地中海の
   底の闇で滞っていた
   こんなこともあるだろうか

人類の栄光とかの現代では
みみずのようなその筋は
あんまり背中にめりこんたので
誰にもそれが見えないよ
だけど実際 みみずの奴は
砂漠の白い熱さでも
地のはての 言葉もこごえる寒さでも
そんなものはへいちゃらで
しかめっつらの身動きならぬ
数千年の文化の中も
それはしぶとく生きのびて
とてもまともじゃ死なないよ
今でもぐにゃぐにゃくねていて
太平洋九千カイリを漂って
ヒマラヤ九千メートルのぎざぎざに
ごろごろねちねちへばりつき
立派に一本通っている

   昔のことだ
   神々の月夜の宴で 一人の神が
   他の神々を指さしながら泣きだした
   身悶え 雲の上をころがって
   雲に溶けて
   うす紫の夕べの雲になったという

いまいましい血縁の仲間たち
お前たちを 忘れて思い出すまいと
お前たちへは背を向けて
まったく見事に無視すること
これが せめて 残された
いまわしいみみずへの
悲しいけれど反抗だ
我ながら
まったくなさけない仕方だと
いやになるけど あゝあゝあゝ
おれが欲しいは力だが
なんとも力がないんだよ
おれも泣いて身悶えて
雲の上をころがれば
うす紫の
夕べの雲になれるかな



死ぬのはまだ早いか

大晦日の夜だとて
なんということもないのだが
こうして ひとり
酒をのんでいると

ゆく年のうすく鋭い
刃物のような悔いが
おれの心をさっとかすめて
ひりりと痛い一筋の疵をのこした

そのほそい疵を割って 透明の
赤いけむりがむんむんふきだし
心になまぬるい紅色が充満し
疵の痛みがすっぱくなった

その紅色は 来る年への
希望でもない希望のような
力でもない力のような
あゝなまじっかの若さだよ



泣 き た い 夜

一年前に 父が死んで
母よ
今あなたが死んで
おれの心はくちゃくちゃだ

手をにぎったのに
固く冷たく応えないから
おれは窓辺に寄って
夜の街に目を凝らし
涙をこらえた

街のあかりは明るいし
車も電車も動いている
この小さな白い部屋の出来事は
あなただけの嘆きだから
残ったおれには泣くなというのか

人の気配にふりむくと
戸口に弟が
茫然として立っていた
母よ
あなたに一番あまえた奴だ

こらえた涙が このとき
あふれて落ちた
母よ
どうにもこらえようがない

無言のあなたに
いかなる涙で語りかけても
これはもうどうしようもない現実だけど
誰も他人(ひと)がいなければ
大声たてて泣いてもみたい

一年前に 父が死んで
母よ
今あなたが死んで
おれの心はくちゃくちゃだ



夜 の 歌

ほそい月だ
えぐられた地はだをしみでて
したたる滴はつららになった
冷い月だ
日の中はたしかに流れていたんだが
このどぶ川も 今は白く動かない
真夜中だ

    こたつの中で酒をのみ
    テレビでも見ていれば
    それはもう
    暖かで豊かそうだけど
    わけの分らぬ衝動が
    おれをここまでかりたてた

白い月だ
蝋のようなうすあかりが
おれの心を苛立たせる
うすい月だ
求めるものはあれでもないこれでもない
めしいた手につかむべき闇さえない
今は真夜中だ



早 春

朝の野の
若いみどりの
清楚をしめりに
雲は切れ
澄んだ青さの
春のひかりの
惜しみなき賛歌(ほめうた)に
露はゆらゆら昇天する

かける乙女の
流れる髪の
うねりをなでて
そよぐ風の
伝える香りの
思いのほかに
女らしく
後追う我は
とまどい 立ち止まる

澄んだ青さに
春のひかりに
そよぐ風の
我に伝えるさざめきは
なおもかける
白い姿の
はずむ胸の
無垢のひびきの
ふともらしたためいきか



内臓をひきずって歩く人

花粉のようななまぬるいもの
腋臭のようににおうもの
それがむせかえる
ここは都会です

うすっぺらな顔をして
まばたき一つするでなく
倦怠にとろけたような
これらは都会の人たちです

それらの人がこの街に
歩まするのは生命(いにち)でなく
皮膚の中はからっぽで
あゝ 着かざった影なのです

それらの影はひょうひょうと
長いひもをひきずって
重たそうにひきずって
ふらふら酔っぱらっているようです

ひもの先のあかちゃけた
みにくい内臓は重たいから
臓が小石にぶつかれば
黄色い液さえふきでます

ひきずられる内臓の
むくんだようを青い筋が
ときにはひくひく動くから
生命(いのち)があるのは内臓です

臓はたしかに生きてます
苦悩し 呻吟し
恋をすれば
あゝ 臓はあんなにも悶えます

だが ほこりだらけの内臓は
ひきずられて すりきれて
そこらじゅうくびれていて
だらだら黄色い液を流します

花粉のようななまぬるいもの
腋臭のように臭うもの
それに長くさらされて
内臓はもう半分くさっています

無表情の影たちも
ときには すえた臭いの内臓に
わけも分らずむせかえり
乾いた涙を流します
恥を忍んで、自作品の公開

<『蜥蜴』より(1)>

詩文編(14)

 前回の『詩文編13』で、「自作品の公開」を終わりとするつもりでしたが、次のような理由でなお続けることにしました。

  『詩文編1』
で最終詩集『母の沈黙 あるいは ふるさとのありか』(書肆山田出版)以前に自費出版してきた『蜥蜴』『影』『日ごとの葬送』という詩集があることを告げながら
「読み直してみると自費出版の詩集は大半が自ら駄作だと思ってしまう詩が多く、これを直接取り上げることは止めることにしました。」
と述べています。恥ずかしながら、本当に読み直していないくせにこのような断定をしていました。
 ところが、最終詩集の公開を終えて、改めて自費出版詩集を読み直してみましたら、結構楽しく読める詩が多く、このまま反故にしてしまうのが惜しくなりました。
 実はその自費出版詩集の中から最終詩集の転載した詩文がいくつかあります。そこで、〈興味ないよ〉という方が多いかもしれませんが、それらを除いた残りの詩文を全て公開することにしました。まだ青臭く未熟な青年の作品ですが、お付き合いくだされば幸いです。

では『蜥蜴』(27歳の時に纏めたものです。)から始めます。
 まず、表紙裏に次の序詞が記されています。

おれには三つの顔がある。
いまだに混沌としている。
なんとか一つの顔を 持ちたいと思う。


 以下、作品が17編ありますが、まず、最初の5編を転載します。



蜥蜴

いぼだらけの大きな蜥蜴が
青い蜥蜴が
ざくろのような目をむいて
ふるえをこらえて
長い尾のふるえをこらえて
 (あゝ この尾はいくら切っても はえてくるのだ)
ときには 涎のように涙を流す

うしろは絡みあった山なみで
はるかにつづく山なみで
ここに小さな岩があり
眼下は浪の
大海原の気まぐれの浪の
 (あゝ 山や海はあまりにも とりすましている)
岩の蜥蜴の 青いふるえを揶揄する

だから蜥蜴は動けず
もう三十年も動けず
ざくろのような目をむいて
それでも死んで いるでもなく
どうにも 死ねるわけでもなく
 (あゝ 今日の入り日も 美しい)
ときには かすかに笑おうとする



あ こ が れ

地のはての
あかねの
雲の向うの
はてのはてへ

馬を駆ける
我は
草の原の
はるかに

求めるものを
知らずに
とこしえに
はるかに

日は沈む
いざ我も
地のはての
雲の向うへ

   やがて日は
   再びめぐって
   我が背に
   せまるだろう

   日が沈むは
   再びのぼる
   ためであった
   一つの軌道を

限りなく
酷く
寂しき
永遠よ

ただ徒労ばかりの
永遠?
馬を駆けるは
酷き陶酔?

地のはての
はてのはてへ
いたしかたなく
ふるえつつ



夜 の 港

闇の中に黒い船がつながれて
海の水は動かなかった
透いたうでが岩壁をすがって
ぬれた頭をもたげ
あざやかに 女が現れた
夜には一人で 泳ぐのか
今宵は月夜。



水 溜 り

例えば

 太陽がまったく顔を出さない陰うつな日々を過ごしながら、ぼくは
太陽はもう永久に現れないのではないかと心配する。再び太陽を見る
ことを半ば断念している。雨空ををがめては、この世の終りを想像して、
小さを心を痛めるのだった。
 何日も降り続いた雨が、ある日いきなり止んで、青空一杯に太陽の
光があふれる。ぼくにとってはまったくの奇跡だった。落ち着いた大気と
暢気な光が織りなす太古からの旋律が街中を覆い、大地はぬくまり、
かげろうがゆらゆら踊りだす。

 ぼくはそうした雨上りの一時が小さい頃から好きだった。幼い頃には、
大きな長靴をはき、胸をはり、手を大きくふり、足を思いっきり高くあげ、
心をはずませ、暢気に快活に近隣の道を歩き回って、雨上りの一時を過ごした。
とりわけ水溜まりが好きだった。水溜りを見つけては、泥水を頭の上まではねあげて、
ジャボジャボと突進していった。
              (ぼくのそうした冒険を、母は深くとがめはしなかった。)

 ある雨上りの日、ぼくは例によって近隣の道を歩き回っているうちに、
いつになく大きな水溜りに出くわした。雨上りの彩やかな青空を写して静かに
澄んだ水溜まりだった。どこかとりすましているようで、 あるいはとてつもない
深みがあるようで、すばらしく美しい水溜りだった。ぼくは目を光らせ、
胸を異様に高鳴らせ、そのすばらし相手に突進しょうとした。しかし、
目前に相手を見をがら、ぼくは突進をやめてしまった。水端に佇み、水溜まりを
凝視していた。ある種の高揚感と、不安と、希望と緊張と、期待と恐れと、幼い心に
そうした感情が激しい波となって目まぐるしく起伏し、世界がその水溜りに収縮していった。
………どのくらたっただろうか。結局ぼくは、その水溜りを迂回して、再び勝気に快活に
歩き初めていた。

 ーーあの水溜りのように、今、君はぼくの前に現われた。



夕 べ の う た

淡いオレンジの空に ひとはけ
透いた紫が溶けるように流れきて
上の方から しみるように濃くなって
やがて山ぎわまで灰色が迫る ひととき

おれはたしかに見た 幻ではなく
おまえの軽ろやかな翔りを
おまえのつばさが音もなく地を覆うのを
たそがれの空に ひととき ………

だが北風がかなでる絃の
かすかなひびきに和して ひっそりと
野や山のうすやみの影は うたっていた
……たそがれはほろびのいろ……と

恥を忍んで、自作品の公開

詩文編(13)

 今回が「自作品の公開」の最後の回になります。詩文は全て三宅島に移住した以後(30歳前半~40歳頃)の作品です。


<わたし>の中の<あなた>を幻視するための呪文

あらっ! たまの
たましずめうた
うみのむた やまのむた
おどろそろしく たまふりおきよ
ののたみ うみのたみ
たまうたず たまふり
おとすより だま
とし よりだま
しよりだま
だま
まっ
ひたぶるに あらぶり
ふたつの たまふり
にほんの くにさき
やまとしうらめし やっきさき
すめらぎひっ きさき
うみのぬた やまのぬた
たみこそ みききこしめせば
よっ とよの
あけて さて
ぼくたま (あ)げないさ
あらっ! たまの
たましずめうた
だもの




<あなた>の中の<わたし>の蘇生のための祈り

<あなた>は夜あけとともに頑強な大地の屹立者
<わたし>は見せ金市場でさかさに吊され去勢されるやせた豚
<あなた>は大地の正午の豊饒を耕作する太陽の嫡嗣
<わたし>は吊されたまま贅肉を切り売りするふとった知識の頭陀袋
<あなた>は夕やけに優しくそまって海から七色の塩を得る
<わたし>は鼻さきにはられる売約済の札をこばめない
<あなた>は妻子にかこまれて満ち足りた一日をからだに刻みながら闇に安らう
<わたし>はとってもさみしいので闇がこわく猫の死体ほどの結構な悦楽をむさぼる
<あなた>はたしかな手ざわりの死を抱いて静かに眠る
<わたし>は等身大の不透明なアメーバとなり死がらみの時代にうなされる
<あなた>はやがて海と大地の奥に自らを埋葬する子供たちのために
<わたし>は死まで買いとられて吊されたままさまよう死がない人生を
<あなた>は<わたし>の存在証明として<わたし>を夜毎に殺す
<わたし>は<あなた>の不存証明として<あなた>を日毎に生かす


<あなた>の中の<わたし>の永劫にわたる祈り
分断されることによって辛うじて存在するシャム双生児
<あなた-わたし>が再びいだき合って生き得るために
<あなた>の中の<わたし>の蘇生のための
<あなた-わたし>の唯一の絆
互に激しく憎悪し合うほどの愛
地に
満ちてあれ!



教師論

陰湿な王族の歴史の中でまどろむ君の
支配者もどきの虚偽意識が
したり顔にうなづくたびに
流れない時間のよどみからはみでる君の生徒
の肢体が切断され
流れない時間のよどみの中で生きる君
の平穏無事な日常が保障される
他者の生の一回性を代償に
保障される君の日常とは何か
出生届と交換に与えられた
御墨つきのライフサイクル
それで君にどんな生きがいが残った?
ペラペラの人生予定書を海に捨てれば
難破船の破片のように
海底に堆積する切断された肢体の山
と山の間に宙づりになった平和の深部から
あぶり出される君
のライフサイクルの最後の一行
 <君は暖く緩慢な大量殺戮(ジエノサイド)の員数>
君の日常はおだやかな生かされ死

狂いうるものがいるかぎり
この世は生きるに値する
日常化された集団狂気の中で
狂うとは正常に醒めきること
君になお狂いうる孤立があるか
ライフサイクルの最後の一行を
<固有の死>に書き換えるために
まず狂うこと
他者を切断する快楽の共有を拒み
自ら切断される側に立て
君の肢体が切断されるとき
君は得心する
切断の痛苦は叛逆の支点 と
虚偽意識にもたれた君の胃に
痛苦の悲鳴を千回のみくだした後
君の支配者もどきは解体する
すると君の日常はいきなり
春から冬へと変貌する
君がのみくだした千回の苦しい沈黙は
入念に教え込まれた規範のことばを破って
正当にくるいざく
君の沈黙は凍ったことばの花ふぶき
流れない時間のよどみに
君の狂気が垂直につきささる
とおもむろに流れだす君の固有の時間
固有の死への君の道行が始まる
君の生徒
と 君と
同行
二人



渇魚

湿った風の方向へ傾ぐ
かの列島の傾度を測るすべを
M島の古老に尋ねる


  おもり三号・針十号・ハリス七号
  列島より最も遠い磯
  ハハノカタにて糸をたれよ
  大きな夕日が水平線にふれ
  やがて没するまでのわずかの間に
  釣りあげるウオは
  親指大・サナギ状のカワキ
  という寄生虫を吐いて悶死する
  だが寄生していたのはカワキではなく
  悶死するウオと知れ
  渇くことに渇いていたウオを逃れ
  カワキはまことに渇き初める
  その変位を測れ


毎夕列島に背を向けて
ハハノカタに坐り込み
カワキの採集に余念のないぼくを
なぜか古老は冷然と笑う



西風

それはいつも西からやってきた
出口のない島の頑な幻想をゆるがし
島中を激しくほえめぐった
波頭を荒々しく岩壁にたたきつけ
海がその到来に呼応した
それは初まりの告知であった
たしかにそれが初まりのはずであった


  <意味多い仕事にうんざりした大人たちにも
  <あきもせずたあいない遊びにふける子供たちにも
  <すでに温い日常は過不足なく
  <いまさら何の初まりか


が 何かが初まったことはかつてなく
告知は告知のまま
いつも終りの予感であった
変らぬことこそかのカミに呪縛されたものの願い
過不足ない凄惨な日常に身を隠して
人々はそれの通過を
ただひっそりと待つのであった


風の季節は
今年もまためぐってこなければならぬ



不惑

                      念此懐悲憤
                      終暁不
                               ――陶 淵明

首が落ちるように散るから
椿の花はきらい
と病床の姉はぼくを叱って
まもなく死んだぼく十歳


椿の花を拾いながら林道を
白髪の姉が来る
直角に曲った腰は
背負っているからの籠のせいか
杖はついていた かどうか
からの籠から………はは
の娘時代の夢がこぼれているのは
たしかに見た
ぼくの家を素通りして
母は海の方へ消えていった


1978年 三宅島 不惑の誕辰
ぼくは真夜中の書斎で
不惑の齢にしてなおやまぬ惑い
の明確な理由を
散り損ねている椿の花
とともに淵明の詩の行間に
溶かし
あぐねていた



 この最後の作品は前書きに陶淵明の詩を用いていますが、その頃の私が陶淵明にどれほど心酔していたのかどうか、もう40年程も前の事なので分かりませんし、私の詩が陶淵明の該当の詩とどのくらいの関りがあるのかどうかも分かりません。しかし、その陶淵明の詩がどのような詩なのか、知りたいと思い調べました。手元にある『中国名詩選』(岩波文庫、中)の陶淵明の作品を調べましたが、ありませんでした。そこで、インターネト検索をしてみました。すごい人がいますね。『かんさんのブログ』に出会いました。殆んど全ての漢詩を掲載しているのではないでしょうか。陶淵明の詩集もありました。私が前書きに使っていた陶淵明の詩は「雑詩其二:日月人を擲てて去る」でした。私が前書きに使っていたのはその最後の二行でした。以下に『かんさんのブログ』の全文を転載して置きましょう。

雜詩其二

  白日淪西阿  白日 西阿に淪み
  素月出東嶺  素月 東嶺に出づ
  遙遙萬里輝  遙遙として萬里に輝き
  蕩蕩空中景  蕩蕩たり空中の景
  風來入房戸  風來って房戸に入り
  夜中枕席冷  夜中 枕席冷ゆ
  氣變悟時易  氣變じて時の易れるを悟り
  不眠知夕永  眠らずして夕の永きを知る
  欲言無予和  言はんと欲するも予に和するもの無く
  揮杯勸孤影  杯を揮って孤影に勸む
  日月擲人去  日月 人を擲てて去り
  有志不獲騁  志有るも騁するを獲ず
  念此懷悲悽  此を念ひて悲悽を懷き
  終曉不能靜  曉を終ふるまで靜まる能はず


 この落陽と季節の交代をみて、己の人生の暮れ行くことを感じ、半生を振りかえって、その不如意だったことを詠嘆した詩である。
  日本語訳。

日は西の山の端に沈み、月が東の峯から出てきた。月光ははるか万里の彼方まで輝き、夜空一面を照らしている。風が吹き来って室内にも入り、夜具が冷たい。季節が変わり寒くなったことを悟り、寝ることもできぬまま夜の長くなったことを感ずる。月日は人を置き去りにして過ぎ行く。この年までとうとう志を立てることが出来なかった。このことを思うと、悲しい気持ちになり、悶々として朝を迎えるのだ。

恥を忍んで、自作品の公開

詩文編(12)

(次の表題は「妣」に「はは」というルビを振りましたが、正確には「なきはは」と読みます。)

妣(はは)の国

こころは
世界の始源よりやってきた無のかけら
常に空を翔り行くことを願うことにより
うつし身にうがたれた疵
こころという疵のうづきは
なずみゆく足ゆえにではなく
帰り行く処を名附け得ぬ故の
たぎたぎしさ

こころ という痕の色は白
こころ という疵がとるひとときの形は鳥
海処(うみが)行き海処(うみが)いさよい
海と空の溶けあうあたりを
沈み行く日に向って
飛び立つ白い大きな鳥を
ぼくらの祖達(おやたち)は確かに見た
やしろしろちどり
の描く軌跡は
無の深みへのいざない



西行

光の欠如を闇と呼びならわすが
光の過剰のなかでなお
息づきふくらむ闇を
何と呼ぼう

醒めてしまった孤独な心だけに届く
遠く遥かな声に促されて
ただひたすら西へ行く漂泊者の
遍歴の果ての歓喜は無限である
それは西へ行く道の終りではなく
ありあまる光と闇がまんじとなって
激しく渦巻く大いなる魂が
光と闇をふたつながらに
莞爾としてうべなったときの
人間にして
人間をはるかに超えた別の生の誕生
朝霧が晴れて
落葉とともに木もれ日がふりそそぐ山道に
杖にもたれて佇み
白い眉をあげる老翁は
そのときつややかなひとりの童子
魂の奥底から湧きあがる歓喜の震えは
山間いっぱいにひびきわたる自然の
深い自賛の語調とひとつになって
今は自らひとつの
遠く遥かな声である

いのち なりけり!


(念のため、上の詩は次の西行の和歌に依拠して作ったものです。)
   <あづまのかたにまかりけるに、よみ侍ける
             年たけて又こゆべしと思きや命なりけりさやの中山>





お前の熾んな息吹きに濡れて
けものみちをけもののように走ることが
おれたちの聖なるくらしだった
お前を確かなみちしるべに
二本の足で足りたから
 <あれを石器時代と呼ぶのか
 <あるいは黄金時代?



お前の空への届き方がほしいばかりに
お前の頂の上方ばかりを見ながら
お前の枝の曲り方が読みとれず
けものみちを踏みはずして
ただひたすらまっしぐらに
ずいぶんおかしな所まで走ってきてしまったおれたち
足が足りなくなればその分だけ
お前を伐り倒し道をひろげて
その度にみちしるべをひとつずつなくして
だから今では
コンクリートの道こそ聖なるひとの道
そこを踏みはずせば罪深いけものみち
そこはひとの気に入らぬ道
木に入ることは
死ぬことだ!



お前の確かな立ち方を得るために
足は
どの深みにまで届けばいいのか
恥を忍んで、自作品の公開

詩文編(11)

 今回から最終詩集の第二部に収録した詩文を転載します。
 第二部は最終詩集の書名「母の沈黙 あるいは ふるさとのありか」と同じ表題が付けられています。そして第二部の最後の詩文が「母の沈黙 あるいは ふるさとのありか」です。この詩文は『詩文編(2)』で公開しました。

 さて、第二部に収録されている詩文は20歳代後半から40歳ぐらいまでに書いたものですが、その前半と後半は全く異なる質の詩文になっています。
 前半はギリシャ神話など古代の世界にのめり込んでいた時期で、ギリシャ神話に依拠した作品ばかりが取り上げられていますが、それが後半ではがらりと変わります。まるで急に現実の世界に戻ってきたようです。実は結婚をして子供も授かったり、生活環境の変化を求めて三宅島に移住したりしたことが、私の精神状況に大きな変化を齎したのでしょう。 ということで、第二部の前半はギリシャ神話に依拠した詩文であり、後半は現実の世界に依拠した詩文となっています。

 ということで、今回はギリシャ神話に依拠した詩文を、次回にはその後の詩文を二回に分けて公開して、カテゴリー「自作品の公開」を終わることにします。



振り返ったオルフェウス

死の国のユウリデケ
お前にあげたいものが
ぼくの両の手にあふれるばかりだ
だが与えるときを失ってしまったままに
ぼくが堪えている重さは
気がついてみれば
とりかえしのつかない欠落のそれだ
だからといってそれを
ぼくの未来を捨てるようにあっさりと
捨ててしまうことはできない
それが心の形をしているので
できることはお前を捜し続けることだけ


  地上に生きるオルフェウス
  死者を捜すのに光はいらない
  タイナロンの岬に立てば
  そこがタルタロスへの洞穴
  永劫の沈黙と暗闇がいるばかり
  でもそのとき明るい大地と
  紺碧の海や空がうたう詩(うた)が
  あなたの心を苦しくさせたはず
  詩(うた)は希求ではない予感ではない
  詩(うた)は存在
  なのに何故あなたは久しくうたわない?


愛(いと)おしいユウリデケ
ぼくらの大好きな地上ではあったが
そこではひとりでいるかぎり
ぼくの両の手はいつでもふさがっている
ぼくの生をつなぎとめる親しい人たちが
ぼくにくれる暖かいものを
ぼくは受けられない
そのときの困惑を繕うことがむずかしいから
冷たい素振りが
ぼくの習慣になってしまう
それは勢一杯の返礼なのに
あのひとたちを傷つけるだけなのだ
その罪を惧れて
ぼくはゆくりなくもひとりになる


  やさしいオルフェウス
  太陽の恵みは残酷なもの
  夏の豊饒は神々の嫉妬
  一つの夏が終ったとき
  神々の報復の饗宴のために
  実ったものは返さなければならない
  私たちが美しく豊かであるほどに
  神々の嫉妬はいよいよ深い
  だから豊饒だったその分だけ
  あなたの心は大きくえぐられる
  それが生きるということ


よみがえるユウリデケ
しかしあの過ぎ去った夏を
ぼくらはもう一度やり直すことができる
ぼくらは人の形をした痛み
問い続ける問い
しかも世界をみたす存在
常に新らしい充溢
それを証すためには
ぼくらの絆こそすべてのカだ
古い物語にいつわりがなければ
今でもぼくらにそれは豊かだ
ぼくの欠落を
神々の嫉妬でうめるわけにはいかない
ぼくの豊饒はお前のためのものだから
すぐ後にいるユウリ………


  振り返ったオルフェウス
  あなたの心にひろがる詩(うた)で
  私の心もいっぱいになる
  あなたのなつかしい視線に
  私の心は喜びふるえる
  なのにその視線を代償に
  私は死の国へもどらなければならない
  ハデスの禁制を超えてしまったあなたの力
  でもそれは私ゆえのものだから
  振り返ったあなたを
  私は責めない
  もう声も届かないほど
  離れてしまったけれど
  さようなら またひとりになるオルフェウス



下痢するシシュホス

地球の皮膚の病の群れへの
愛惜深ければ下痢する
若やる胸 白玉の嬰児
それらを限りなく孕む黄金の精気を
惜しみなく排泄しながら
傷悴しきってなお
水平線から水平線へ
繰り返し浮上し落下し
Du,der gross Himmelskörper(天体)!
地に君臨する病は
お前の慈悲を受けるに値せず
お前の孤独の深みに気づかぬまま
今 地球は瀕死
お前の激しい下痢で
終末の世界もかろうじて明るいが
お前はシシュホスだ


だがひとつの病・俺は
群れからはぐれて快癒を志向する
すると我が骨も砕けよと
相も変らぬ群れの譏り
 <汝の祖国はいずこにありや>
祖国とは何か
収奪と殺戮の盟約
シシュホス
お前の孤独な下痢にひたる俺の骨に
閉ざされた血縁の悪血はめぐらない
腹満ち過ぎてなお垂涎し
地をあさり匍(はらば)うものに
空と海の呼応は聞こえない
お前の下痢の悩ましさを
かの群れに
俺はどう歌おう
シシュホス
俺のお前への愛慕は断てぬから
俺が持ち得る最後の希望は
お前と対略しつつ持続する群れとの別れ
群れの真近かな破滅のためでなく
奪還すべきただひとりの死のための挽歌こそ
ひとり立つために
今は俺にふさわしい
春の頌め歌だ



 上に出てきた「Du,der gross Himmelskörper!」はギリシャ語だろうか。私はドイツ語として読んでその意味を考えましたが、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」の序説の中の一文を思い出しました。うろ覚えですが、参考までに記載しておきます。次のような文です。
「汝大なる星よ、汝によりて照らさるる物なかりせば、いかなる幸福なることか汝にあらん」



盲目のホメロス

時が過去から未来へと連なる直線ではなく
円環または球体の形態をとる
完結した総体として存在するものであると
従ってまた人間を
拒絶する途方もない深淵であると
何の変哲もなく迎えたある朝
そんな想いがホメロスを襲う
いくばくか彼は
日に向って立つ石の彫像
やがて大きく崩れる


  あれは哄笑であったか号泣であったか
  「過ぎ去りしことども
   過ぎ去りしことどもゆえ
   捨ておけ」
  とうたうこころねの
  なんという悩ましさよ


すでに何度目の春か
世界と人間を隔てる深淵に懸って
知悉の
ときには盲目の炎で
なおもぼくを魅了する
太陽!



エリコ

なぜいつも終りなのか
始まりが始まったためしがなく
始まりと見えて
なぜいつも終りなのか


数千年の歴史についにあずからぬ
陽気で惨劇にみちた群れの
黙契の櫃は掠取され続けて
空の櫃は舁き継ぐほかなく
舁き継ぐままに自らの砂漠を縮め
見る影もなく改竄された黙契の柵(しがらみ)に到れ
無辜の群れ
饒舌の槌に斃れるものは影ばかりだから
ここより最も遠く
ここより最も深い
海溝の生みの苦しみの涙の記憶を
七度つぶやき
七度城壁をめぐれ
そのとき無量の血を吸い続けた黒い砂漠は
一柱の巨大な旋風となって
疎々しい虚飾の都市を襲うであろう


幾度始めて
なぜいつも終りなのか
空の櫃のための一行の
ただ一行のリフレンが欲しい
ぎりぎりの沈黙から湧きあがる
炎え立ち
疾走する
太陽!