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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
恥を忍んで、自作品の公開

詩文編(10)

 最終詩集の第一部の最後の詩文「もう一つの死」は『詩文編(3)』で公開しました。
 前回公開しました詩文の終わりの作品は「二つのモノローグによるフーガ」ですが、第一部にはこれと「もう一つの死」の間にあと五編の詩文があります。今回はこの五編を一気に公開して、第一部の作品公開を終わることにします。


夜汽車のバラード

急行列車の暗闇に沈む
一つの座席がある
ぼくのための
乗客ぼくひとり
ぼくの手には片道切符

どこからの列車?
どこへ行く列車?
知らない ただ
うしろへ うしろへ
湧き上がる時間の紛々
惜しみなく捨てて行く
窓外の幻影みつめていれば
うしろへ うしろへ
疾走する奈落の広がり
ぼくの手には片道切符

急行列車はなぜ走る
あかりもつけずに
ぼくの座席は沈む闇なのに
なぜ明るい窓外のぼくと景色
ぼくの手には片道切符

車内にいるのか?
車外にいるのか?
それともどこにもいるのかぼく
うしろへ うしろへ
変転する知られざるもの
精緻な綱をすきなくめぐらし
うまくもなく片づければ
うしろへ うしろへ
硬直する思慮の賢さまた深さ
ぼくの手には片道切符

急行列車は走っているのか
止まっているのか
ともすると一瞬が
どこまでもどこまでも追ってくる
ぼくの手には片道切符

ならこれが終着駅であるべきか
うかせた腰はまだ重く
再び沈む夜汽車の囚人
うしろへ うしろへ
淋しく無謀な企みの
襤褸無残な永遠の残像
自由でもあるし不自由でもあるし
うしろへ うしろへ
胸をかきなぶる列車の振動
ぼくの手には片道切符


旅のセレナーデ

積乱雲が散ってしまえば
際だつうなざかの一文字
ぼくは抵抗する
水平線の静観は
あまりに当り前顔だ
垂直への苛立たしい志向
ぼくは断崖をのめる
おかしなぼくの旅の初まり

兄たちが死んで
美しい姉が死んで
父が死んで母が死んで
ぼくがぼくの世界を生んだとき
ぼくはひとをひとり愛していた
くずれそうなぼくの旅の初まり

胸つき八丁あえいでいれば
ぼくの心が安らぐので
巾のないぼくの世界は
さいはてのなりわいや
時の沈黙に重い仏に
かりそめの出会いを
出会う余裕しか持たない
ぼくの旅はひどくおかしい

ぼくが行き日(け)長くなりて
行方も定めず遠く離れて
すさびごとにすさびきって
心荒廃にほくそ笑んだが
やはりひとをひとり愛していた
ぼくの旅は自虐にすぎない

非情な自然のありようは
たとえば海亀の産卵の涙
無口な漁師の皺は深く
彼の苫屋は時を超えた
ぼくの心はこんなにもやさしく
家にてもたゆとう命
再びのめって断崖に立つ
ぼくはおかしな旅を続ける

生はただ生きればよいもの
じゃなく死のありようは大事だ
理智の冷たは嫌いだし
ことさらむなしさは言わなくて
改めてひとをひとり愛していた
ぼくはくずれそうな旅を続ける


レクイエム

わがものにして
わがものにあらざるもの
あらがいがたく
身内を蠢く
せつなげなもの
はるかな母たちの気息

煩瑣な日々の営みの
陥穽の奥処(おくが)に
なぜ想いを遣れぬ
いとしいひとよ
ぽくらはひとりではなく
ましてやふたりでもないものを

わがものにして
わがものにあらざるもの
地に立ち
地に繋がり
地に帰り行くもの
はるかな母たちの気息

時が残した形骸の中で
存在することに
なぜ媚びる
いとしいひとよ
ぼくらは定まらぬ呼応の中で
生き死ぬものなるを

わがものにして
わがものにあらざるもの
永遠ほどにはかなく
漂泊ほどに確かな
扮飾の彼方のもの
はるかな母たちの気息

かく茫漠とした大地の
記憶の深海に
なぜ入ってはいけぬ
いとしいひとよ
ぼくらは濡れそぼち
命(いのち)なり果てんものを


日ごとの葬送

ぼくは倦むことなく
時々刻々遺体である
映画のフィルムのひとこまのような
時々刻々硬直していく遺体を
長々と引きずっていかねばならぬ
痛々しさよ
どこかでフィルムを切る
てだてはないか

長々とこんがらがった遺体を
いたずらにたぐりながら
夜ごとの酒は通夜の酒

半生をたぐりながら
いたずらに長い哀悼は
蘇生への幻想か
祈りか呪いか
ぼくのうたは
夜ごとの通夜の
調子っぱずれな不覚の読経

朝けには黙然と送る
連なる遺体だけの葬列
――踊れ だびの炎
――昇れ だびの煙

燃えるものはあったかなかったか
燃えたものは何であったか
ぼくの日ごとの葬送よ
葬列はどこかで
切らねばならぬのに

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