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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
恥を忍んで、自作品の公開

詩文編(10)

 最終詩集の第一部の最後の詩文「もう一つの死」は『詩文編(3)』で公開しました。
 前回公開しました詩文の終わりの作品は「二つのモノローグによるフーガ」ですが、第一部にはこれと「もう一つの死」の間にあと五編の詩文があります。今回はこの五編を一気に公開して、第一部の作品公開を終わることにします。


夜汽車のバラード

急行列車の暗闇に沈む
一つの座席がある
ぼくのための
乗客ぼくひとり
ぼくの手には片道切符

どこからの列車?
どこへ行く列車?
知らない ただ
うしろへ うしろへ
湧き上がる時間の紛々
惜しみなく捨てて行く
窓外の幻影みつめていれば
うしろへ うしろへ
疾走する奈落の広がり
ぼくの手には片道切符

急行列車はなぜ走る
あかりもつけずに
ぼくの座席は沈む闇なのに
なぜ明るい窓外のぼくと景色
ぼくの手には片道切符

車内にいるのか?
車外にいるのか?
それともどこにもいるのかぼく
うしろへ うしろへ
変転する知られざるもの
精緻な綱をすきなくめぐらし
うまくもなく片づければ
うしろへ うしろへ
硬直する思慮の賢さまた深さ
ぼくの手には片道切符

急行列車は走っているのか
止まっているのか
ともすると一瞬が
どこまでもどこまでも追ってくる
ぼくの手には片道切符

ならこれが終着駅であるべきか
うかせた腰はまだ重く
再び沈む夜汽車の囚人
うしろへ うしろへ
淋しく無謀な企みの
襤褸無残な永遠の残像
自由でもあるし不自由でもあるし
うしろへ うしろへ
胸をかきなぶる列車の振動
ぼくの手には片道切符


旅のセレナーデ

積乱雲が散ってしまえば
際だつうなざかの一文字
ぼくは抵抗する
水平線の静観は
あまりに当り前顔だ
垂直への苛立たしい志向
ぼくは断崖をのめる
おかしなぼくの旅の初まり

兄たちが死んで
美しい姉が死んで
父が死んで母が死んで
ぼくがぼくの世界を生んだとき
ぼくはひとをひとり愛していた
くずれそうなぼくの旅の初まり

胸つき八丁あえいでいれば
ぼくの心が安らぐので
巾のないぼくの世界は
さいはてのなりわいや
時の沈黙に重い仏に
かりそめの出会いを
出会う余裕しか持たない
ぼくの旅はひどくおかしい

ぼくが行き日(け)長くなりて
行方も定めず遠く離れて
すさびごとにすさびきって
心荒廃にほくそ笑んだが
やはりひとをひとり愛していた
ぼくの旅は自虐にすぎない

非情な自然のありようは
たとえば海亀の産卵の涙
無口な漁師の皺は深く
彼の苫屋は時を超えた
ぼくの心はこんなにもやさしく
家にてもたゆとう命
再びのめって断崖に立つ
ぼくはおかしな旅を続ける

生はただ生きればよいもの
じゃなく死のありようは大事だ
理智の冷たは嫌いだし
ことさらむなしさは言わなくて
改めてひとをひとり愛していた
ぼくはくずれそうな旅を続ける


レクイエム

わがものにして
わがものにあらざるもの
あらがいがたく
身内を蠢く
せつなげなもの
はるかな母たちの気息

煩瑣な日々の営みの
陥穽の奥処(おくが)に
なぜ想いを遣れぬ
いとしいひとよ
ぽくらはひとりではなく
ましてやふたりでもないものを

わがものにして
わがものにあらざるもの
地に立ち
地に繋がり
地に帰り行くもの
はるかな母たちの気息

時が残した形骸の中で
存在することに
なぜ媚びる
いとしいひとよ
ぼくらは定まらぬ呼応の中で
生き死ぬものなるを

わがものにして
わがものにあらざるもの
永遠ほどにはかなく
漂泊ほどに確かな
扮飾の彼方のもの
はるかな母たちの気息

かく茫漠とした大地の
記憶の深海に
なぜ入ってはいけぬ
いとしいひとよ
ぼくらは濡れそぼち
命(いのち)なり果てんものを


日ごとの葬送

ぼくは倦むことなく
時々刻々遺体である
映画のフィルムのひとこまのような
時々刻々硬直していく遺体を
長々と引きずっていかねばならぬ
痛々しさよ
どこかでフィルムを切る
てだてはないか

長々とこんがらがった遺体を
いたずらにたぐりながら
夜ごとの酒は通夜の酒

半生をたぐりながら
いたずらに長い哀悼は
蘇生への幻想か
祈りか呪いか
ぼくのうたは
夜ごとの通夜の
調子っぱずれな不覚の読経

朝けには黙然と送る
連なる遺体だけの葬列
――踊れ だびの炎
――昇れ だびの煙

燃えるものはあったかなかったか
燃えたものは何であったか
ぼくの日ごとの葬送よ
葬列はどこかで
切らねばならぬのに

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恥を忍んで、自作品の公開

詩文編(9)

 前回の詩に続く二編を見て驚きました。この二編は大変な長詩文なのです。50年程前の私にこんな長詩を書く気力があったのかと、我ながら(?)びっくりしています。
 大変長い詩文ですが、二編とも一緒に転載することにしました。


明日の続きのラプソディー
             愛しとさ寝しさ寝てば
                  刈薦の乱れば乱れさ寝しさ寝てば



湖水に沈んだ夢のように
町は青くかすみ
ゆらいでは直り流れては戻る
ひとびとの胸にひそむ無数の吐息は
安息の眠りを求めて
積み木のように同型となり
貪婪な休止符だけの
終楽章をつぶやく
――われらの律動に合わぬもの
――禍なるかな眠られぬもの
だが眠られぬものの眼に
夜はすいこまれて消える

恐らくぼくらは生き方を間違えている
生れた時ぼくらは与えられすぎていた
なのに幼い時から教えこまれたのは
限りなく獲得すること
以来ぼくらは勤勉だったから
かき集めたがらくたで
押しつぶされそうでありながら
はたしてぽくらは傲慢になる
が、ますます鮮明なうつろはどうする
ぼくらはますます不確かなのに
まるで今日は明日の続き
ぼくらはさかさに生きている

黒い山脈
がなつかしいほど近くに見える
その向うの白い富士
こんな新しい冬の朝空も
厚ぼったい視界と騒音のうらに
やがて記憶のようにうずもれよう

ぼくらの町のしたり顔なただずまい
そこに内蔵された
おびただしい数の消耗品
のような模範的人生
過不足ない幸せをこととする
モダァンなひとびとの
それは逃亡不能の牢獄
――ええ、そりゃ幸せです 子供が生れるんです
牢獄の上は今日も天気

ないものをあらわにする
輝ける正午の太陽
の ひそやかな誇り
ひとびとの表現されないうつろは
完成した真昼の間隙にあった
見えるもののすきまのうつろ
親しいひとのために
ぼくは見えないものに圧倒され
憑かれてしまう

だれもがうつろを持っている
一メートル七十センチのぼくは
一つのうつろさえ満たせない
その大きさといったら
ぼくはまるで情ない塵だ
ぼくの真剣な言葉は空しくなり
変なふうにこだまする
どんなに熱心に語ろうとも
同じこだまの同じうた
――私のうつろは埋らない
――私のうつろは埋らない
――埋らない埋らない
――らないらない
ぼくのうつろに入ってくるひとよ
あなたも情ない塵だろうか
同じこだまがひびくだろうか
――らないらないらない
木末(こぬれ)の風のそよぎのように
ぼくらのうつろは
合わさりすりぬけ
惑う惑う

大層な装飾の中の
一片の生を求めて
生れたとき与えられたものを
一生懸命かき集めたものを
明日が今日の続きであるようにと
ぼくは捨て続けてきた
見えるものがなければうつろはない
ぼくの陥ちこんだ夜の罠
父のいまわの際(きわ)
ひからびた手が求めてきた握手を
ぼくは頑なに拒んでしまった
あの時の

黒い山脈
も白い富士も
ぼくの憧れではない
もっともっとなつかしいもの
そんなものはもうないか
厚ぼったい視界と騒音は
ぼくの理由にはならないのだ
ぼくらの町を
どこまでぼくの敵としようか
沈みゆく感情がすっかり
夜の大地にしみこまぬうちに
ぼくは山から山へと
……… 飛べないのだ
まるで今日は明日の続き


二つのモノローグによるフーガ
                    ああおまえはまだ牢獄につながれているつもりか
                          この呪われた陰気な石壁の穴の中に
                                           ――「ファースト」より


眠りに入る前の日の朝 ほんの千年の別れと
知るも 名残りおしく 目 しばたたいて
俺 慈しみにあふれ 世界を見巡り愛でた
大地 気息の露爽けく 死ぬるものたち 死
ぬるもの故 溌剌溌剌と生きる喜びに濡れ 眩く
輝くもの 盛んに地に降り注いだ 千年の眠
りを今朝覚めれば その第一日から 俺 ひ
どく不幸だ 大地 至るところ穢されている
いらざる潔癖ぶり その裏知れてかえって卑
しく 光さえ穢されつくし 澱む 俺の大好
きな人間たち変わってしまった 千年ごとの
眠りと目覚め もう何度目か 俺 知らない
ついに死ねない俺の宿命 こんなに悲しいこ
となかった とてつもなく遠い 想い出に誘
われ 山に行く 俺 悪魔

     俺たち人間の舞踏が 壮麗な黎明
     のリズムにのれず ぶざまなさま
     であるのは 有能な奴隷を 無能
     な主にしてしまったあの時からだ
     それ以来仲間がきらいだ 仏頂づ
     らの自称神さまが 決して哄笑し
     ない空虚なその気位 眉間によせ
     あつめたむずかしい皺の数々

残雪の上 流れた夜来の雨 冷たい朝凍った
山は 俺に人間の思いを思わせる 滑りなが
ら体中傷だらけにして 傷ついた心支え 悪
魔にだって心はあるさ 気狂いのように 頂
きへと喘いだ 頂き 無限の中の一点 俺
風の中に立つ 遥かな景観に安らえない 人
間 俺の命の糧でなくなった 確かに人間は
堕落したさ 人間が忘れてしまった珠玉の重
さ 言葉に託し 人間の方向に叫んだ が重
み するりと落ちて 言葉 なんと軽々しく
風に流され消えた 俺の心に拡がる一つの言
葉 それは死んでしまうから 人間の中で語
ることはできない そう思ったことだ 俺に
近しくなった人間 もはや俺の楽しき餌食た
り得ず 脳髄は緩慢な汚水の流れ 澱む放漫
な思惟 人間が誇りおるもの そこから涌き
生れる 不具だらけの虫の類

     ときに思いがけず 抹殺したはず
     の純血が たぎり悶えると 顔を
     隠し恥じ入り あわてて陰湿な牢
     獄にねじりこむ 誰にも気付かれ
     なかったから そのように神さま
     よ 胸をはって歩くがいい だが
     たった一滴の血がふるう圧倒的な
     力に たたきつけられた羨望と畏
     怖の疼きは おびえる奴隷の無力
     なまばたきは 隠しようもあるま
     い

白い頂きでひとり りんごを食った 血の苦
しみ 血の悩み 血の欲望 血の笑い 血の
賑わい 血の 血の溢れた人間はどこだ 俺
の心に適うもの 血の滴る人の心を食いたい
のだ 昨日 町で食ったもの 全て俺の心を
冒した 下痢した心 支えがたく なおも貪
欲な腐爛する空腹 支えきれず 山を辷り落
ち町に帰る 人間が悪魔より悪魔的で 悪魔
が人間より人間的で あゝ おかしくてなら
ない 阿呆のような落下を巡って 高さを錯
覚する人間の 賢い独善がきらいだ 向かい
合っても 寒い背中の向うばかりしか 見え
ない こわれてしまった惑星のように 淋し
く浮んで どうしようもなく遠く隔たる 俺
と人間

     卑しいのはまばたきだけではない
     賢くも軽い頭蓋骨をかざるには 
     その帽子 重いのではないか 心
     の軸をはずれて 前へのめった頭
     の位置に引きずられ 神さまはぎ
     くしゃく歩く そのおかしな姿を
     見定め得ぬ神さまの なんと素敵
     な舞踏だろう ひとが二本の足で
     確かに立ったときの 生々しく力
     強い感動を求める苛立ちが一滴 
     の血に呼び覚まされたのなら そ
     の虚しい首を切り落とす 今は決
     定的な時なのに

俺 死ねないから 人間慕い続けなければな
らない 眠りに入るとき 心ときめかせて 
千年後の目覚めの楽しさ 人間との闘争と戯
れ思えば そこはかと高まりゆく 充溢の心
あった 俺の安らかな寝顔 目覚めを夢みつ
つ ほほえんでいたはずだ 目覚めが今は忌
わしく 早く千年経て 眠りに入りたい 今
度は目覚めない眠りを 眠りたい

     舞踏はぶざまでもまだしも やが
     て足を 足という言葉さえを失っ
     てしまうのではないか そんな不
     安を一片も持たない 萎縮してし
     まった愚鈍さを 俺たちに君臨す
     る無能な奴隷の安直さを おれは
     逆立ちさせたいのだ それは有能
     であるために奴隷に戻れ 悪魔と
     舞える舞踏を 悪魔と歌える賛歌
     を 準備せよ 銀河の希有な星の
     上の 希有なものの こんなにも
     哀しい生き死にを 粗雑に数えて
     やりすごす卑しさを葬れ 見据え
     る目 しかもなおめくらめかない
     哄笑の河 溢れよ 流れよ 悪魔
     のための一つの良心

雪の頂き 吹雪荒れ狂えば 心 冷える 白
い大きな鳥 白い影落として 渦巻く疾風つ
き失踪した 夢か 確かに見たのだ 血に染
まった鋭い嘴 紅の一点 白い風ににじみ 
見る見る消えた あゝ 冬になったら山に探
そう 千年前の血の喪失を 長い眠りの中で
せめて 人間食らう夢 見続けるための記憶
を 滴る血の快感 迸り散る血の鮮やかさ
悪魔の赤い口 人間の未来のための 一つ 
の準備

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詩文編(8)

 次の二編の題名に「ロンド」「ソネット」というという用語が使われていますが、作詞した当時のことは全く記憶にありません。改めて調べてみましたら、二編とも「ロンド」「ソネット」の様式を踏まえて創られています。我ながら(?)感心しています。

地球と踊るロンド

どこかに地球が
地球儀ほどに見える
位置はないか
時の流れの河床にあるか
あるいはひときれの肉の中
それともあかとき闇のすきま

どこかに地球が
地球儀ほどに見える
位置はないか
永遠が暗黒のことなら
永遠とぼくの
そこは和解の位置

どこかに地球が
地球儀ほどに見える
位置はないか
暗黒の統御の中で
眺めは徹底的に冷酷たれ
あらゆる涙への沈黙たれ

どこかに地球が
地球儀ほどに見える
位置はないか
暗黒と光の境から
眺める世界の深部は
醒めている華麗な夢


愛のためのソネット

心もつ生きものの
生きる寂しさの
痛ましき痕の影
の地平に顛うふるえの

心ゆえ貴さと死と
二つながらの幻影の
朝な夕なに迷う乱れの
うたかたの涙の悶えの

虚しさの無窮の際に
たかぶる人の知の浅ましさの
砕けてのまれる一点の渦

あゝそれは邪気なき欲望の
なんとくるおしく暴虐な湧出
生命(いのち)のシノニム、愛

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詩文編(7)

 青年中期から後期に入る頃、人間関係の多様化と共に読書の領域も広がり、その人生観は多様化の容認と深化を得て、その詩文も大きく変化していきます。以後、どのように変わっていくのか、人生と同様、予測できません。変化の理由の詮索は無用でしょう。最終詩集の第一部の残りの詩文を、余分な解説は省いて、最後まで転載していくことにします。


けむりについて

昨夜ぼくは夜学生だった
物性哲学の先生はけむりのようだ
ぼくらはどこにも存在していて
だからどこにも存在しない
ぼくらの形は密度のせいで
稀薄な部分は見えなくて
どこまでも拡がっていて
君とぼくとの区別はない
見えるぼくらは偶然なのだ
偶然はとてもさみしいから
ぼくらは一様になりたくて
寄せ集っては隣をまねて
いつでも無形を夢みている
そう教えて下さった

うすぐらい教室で
なるほど先生はけむりのようで
ぼくも高々けむりに思えた
けむりばかりでけむたくなって
目が覚めるとぼくが先生だ
講義を終えておじぎをすると
ぼくのからだに死が臭った
おふくろの死体だって
そんな臭いはしなかったものだ
おふくろはけむりをやめて
干上った粘土のようでありました
―― その罪で燃されてしまったおふくろよ

なのにぼくに甘え寄る
たった十七才の女生徒に
毛髪のような死がけむる
ぼくは一つくしゃみして
かなしいので目を閉じた
おふくろには死がなくて
ぼくには多少死があって
ぼくの生徒は死に満ちている
ああけむたくて目が開かない

  ―― 先生が泣いていらっしゃる
大勢のささやきが乱れたとき
それがあんまりやさしいので
ぼくの耳から哄笑があふれて
ぼくはけむりにはつんぼになった
なるほどぼくはけむりのようで
生徒も高々けむりのようだ
けむりはけむりでけむいのだけど
ぼくらは懸命に凝縮して
けむりの秩序にそむけばいい
めくらでつんぼの切ない先生が
突然生徒に叫んだものだ
 ―― ぼくの夢はけむりの夢への叛乱だ




赤い光が窓から射して
ぼくの部屋の闇をこわしてしまう
ぼくはねむれない。
闇から生まれて
闇をやわらかくいたわるはずの
月光の神秘はネオンにただれ
もう奇蹟を行なえない。

幼い日疎開先の畠中を
恐怖にふるえながら
手さぐりつつ道を探した漆黒の闇。
心傷を酷く洗うため
苦しく飲んだ
太平洋の塩くさい球形の闇。
存在の冷たい闇をひそめて
ぼくを無心のままに硬直せしめた
山岳の清澄な闇。
すべてあるがままの原形の世界で
白昼を疾駆し、戦い、雄叫び
素っぱだかのさびしい生を
投げうち、護り、育んだぼくらの祖先は
闇の中でこそ祈り得たであろう。
―― 恐怖を戦懐を
―― 希望を安息を
―― 太陽を神を
―― そして生の歓びと悲しみを

そうなのだ、ぼくらの町では
ほんとうの闇はないばかりか
つくろうにもつくれない。
ぼくの血の一パーセントの原始が
郷愁のように闇を焦れても
転倒したさかしらな知に
あわれにうすよごれてしまった
なんと中途半端な闇ばかりだろう。
よれよれにくさりそうな闇をだいて
ぼくはふくろうのように強請(ねだ)れない。
ぼくひとりの今は異端の
心のおくのかがり火をめぐり
鳴るはずもない奇蹟のリズムで
ぼくは狂おしい太鼓を打とう。
無垢の 闇の 甦り
―― むくの やみの よみがえり


往還

ついに言葉にならぬものに憑かれ
急登を喘ぎ登るとき
もはやぼくは一つの個ではない
時がまだ流れ出していなかった劫初
の世界さながらあらゆる去来と
ぼくは光のように睦び合う
だが そのときぼくがなお
一つの問であるのは何故だ

世界の真っ只中にいるような
こんな大きな景観の中で
光の清冽さを
世界の果てしなさを
初めて思い知らされたように
唖然としてぼくが立つ
この山頂さえ一つの点だ
だがそのときぼくがなお
一つの充溢であるのは何故だ

下山路から返り見るそれは
すでに在ることの後姿にすぎない
と知るぼくをなおも後へと促すのは
確かに頂きに立ち続けている
数刻前のぼくへの名残りではなく
新たな泉のようなカだ
だが そのときぼくがなお
一つの痛みであるのは何故だ


迎春

女神がとざした瞼のうらに
忘れられた水晶の軌跡が
まだみつかるかも知れぬ
しじまが朝日のようにこぼれ
女神が透き通り舞うので

疾駆する天球
まわるまわる

女神の胸にしずく永劫の重さは
みどりごのようにやわらかい
譲り葉のはるかな哄笑に
物語の知恵はむなしい
春の回帰はうらら

静止する想念
まわれまわれ
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詩文編(6)

 気ままな情けない生活を続ける青年前期のなんとも切ない片思いの嘆き節は、やがて青年中期に入ると、いくらかは洗練された人生の一こまとして反芻されることになります。


言葉を知らないお前

私を見つめるお前の目の輝きは何であったか
私への愛の投影ではなく
お前が他に求めた
私を必要としない幸せを
私に伝えるだけのよろこびだったのなら
私は愛を
まだ芽のうちに摘みとることもできたであろう
お前のためによろこびをともにするだけで


私に見せたお前の涙は何であったか
お前の希望がこなごなに砕けて
お前の心を血だらけにした絶望を
私の力では癒すすべもない痛みを
悲しく訴えるだけの嘆きだったのなら
私は愛を
まだ若木のうちに枯らすこともできたであろう
お前の涙をたなごころに勢一杯受けとるだけで


そして私の愛がより豊かに育って
溢れるばかりのカをもはや堰くことができず
お前をそっくり包もうとしたとき
お前の心のふるえは何であったか
お前の心が私の心と無縁であったのなら
私は愛を
私だけの闇の故郷に植え移すこともできたであろう
私ひとりの静かな黒い祝祭を用意して


この出会いが言葉を知らないお前の
まだ害われずにあった美しい感情が
とまどいつつ織りなした偶然だったとしても
言葉を知る私にはあまりにも重い
私ひとり残った最後の幕で
永遠に終らない独白を私は続けなければならぬ
なのにお前は昨日の沈黙の中でただ待っているのだ
おののきながらもすべてが静まり過ぎ去ることを


風と光

五月の風はみどりの楽師
麦の穂は私の追憶ほどに生い

畠中の道を行く園児らの
小さな赤い帽子は見えかくれ

風が渡ればゆるやかな穂の流れ
私の心にたゆたう失われた日の施律

五月の光はみどりの絵師
麦の穂は密やかな痛みをさぐり

私の追憶のひとひらの影絵に
なんとあの園児らの似ていることか

どれほどの予感に触れ得ただろう
さみどりの道より知らずまっすぐ歩いた少年の日

今日この時の音の乱れに 道の紆曲に
軽ろく強く舞える日は私に来るか

みどりの楽師 五月の風よ
園児らの耳には入れるな和音の乱れ

みどりの絵師 五月の光よ
園児らの目には入れるな道の紆曲


昼と夜のあわい


光の中へ
ひばりは急上昇しつつ
せわしく激しく
血の歌をうたう。
徒労の叫喚は止むすべもなく
羽をうち振る力は
悲劇へのベクトルだ。
麦畑からの愛の法線。

麦は熾んにのびて
早くも黄色くなった。
蓄積された生命の
ふとしたある日の
鋭角的な衰退が
実りだ。
一つの回帰の
寂しさの孕み。



星空の深さは
記号で埋められた寂寞。
知の自惚れ。
ついには自足の鋳型にすぎず
それと知れば
誤謬の尾をひいて
彗星がよぎる。
沈黙の淵へ。

夜の思考には
闇の無返際が膨張する。
そのとき沈黙の底で
輝くのを止めた
一つの星が実にいい。
何故なら
熟知された迷妄の
焦点は美しい。



昼と夜のあわいに
大海に漂うくらげの
懸念なさがあるとすれば
それは誤謬の中での誤謬。
徒労の中での徒労。
寂しさの寂しさ。
二重の迷妄。
水が水に溶ける無の劇。

水分ばかりのくらげは
水の中で
一つの存在であるか。
私のけなげな盲目の希望よ。
確かに亡ぶものを焦れて
お前は今日も生きた。
明日のために。
明後日が疑わしいから。

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詩文編(5)

 気ままな情けない生活を続ける青年にも人並みに人を恋い慕う時がやってきます。時にはなんとも切ない片思いの嘆き節を口ずさみます。青年前期の詩作品にはそのような詩が時々混じってくるのはいたし方ないことでしょう。


秋の歌

かすみのような秋の中に
私はたたずんだ。
いまにもこわれてしまいそうな
こわれれば私もこわれてしまいそうな
かたみの愛のような
にがいものを手のひらにそっとつつんで。
そのもののぬくもりが私の心にあふれた時
私は考えた。

  「これはこのままのみこんでしまう
  のがよいのだ。
  紅い秋の日ざしがぷっつり消えて
  胃や腸までが滅入ってしまうまえに
  のみこんでしまおう。
  しばらくは私の胃に
  にがいものが重たいだろうが
  私は旅にでよう。
  胃の重み以外に
  私の記憶がよみがえることのない
  童話のような森の地方へ。
  そしてその時には
  私の偏屈な自尊の心の糧として
  私の青春もまたのみこんでしまおう。」

それでもそのものは
虫の音のようにせつなかったので
私はそれを手のひらにつつんだまま
なおもたたずんでいる
と 秋の風が静かに渡って
私のたなごころに
憧れた死のような白い花が咲いた。
涙ではない白い花が咲いた。


波の歌

冬の浜辺は刃物のように静かで
渚にうずくまる若ものの背を
まっすぐな哀感が貫く。 もの思うわけでなく
若ものは砂を重ねる。
もうそれ以上はただくずれるばかりなのに
繰り返し繰り返し砂を盛る。
この瞳のきれいな青年を
町の人は狂人とよぶ。
こんなにもきれいな瞳に
映るものといえば砂の中の夢だけだった。
だから若ものは
繰り返し繰り返し砂を盛る。
もの思うわけでもなく
ただくずれるばかりの砂を盛る。
寄せるともない満ち潮が
音もなく
盛られた砂を不意にのんだ。
手にした砂の落とし場をとられて
我に返った若ものの瞳を
冬の夜がさえぎっていた。
いつしか冬の夜の白波は
猛々しくほえていた。
砂を握ったままの若ものは
闇の波のほえ声に聞きいった。
衷しそうでもなくうれしそうでもなく
ましてや悲壮そうな風もなく
瞳ばかりがただきれいで
ふかぶかと闇を分け
波の音に聞きいりながら
もの思うわけでもなく
若ものは静かに海に入った。

さざんか

ひとには死のほか
たしかなものはない
というけど
ぼくがそこへ到る道の
さざんか
さざんかの白さは
信じてよくはないか
T ―― おばかさん

惨めな一日のしめくくりに
別れを麻酔しても
朝にはむなしい
いまでなくここでなく
あるものであるのではなく
さざんか
黒いさざんかを
おもうのは卑しくないか
T ―― おばかさん

かなしいひとでなく
若くきれいなひとを
想えと
言われるのはかなしいことだ
ひとはひとを贖えるのか
さざんか
さざんかの白さが
おまえの胸をささないか
T ―― おばかさん

たしかにあることを
いつでもたしかめないと
不安だから
たしかなものはたしかにある
のかないのか
さざんか
さざんかの白さのために
ぼくは自ら死のうか
T ―― おばかさん

恥を忍んで、自作品の公開

詩文編(4)

 詩文編は最終詩集の第一部の最初の三作品を転載することから始めました。そこに戻って、その次の作品の紹介をしていきます。

 大學卒業後、私の最初の勤務校は隅田川の近くにありました。勤務校に歩いて通える所ということで、白髭橋の近くのアパートの一室を借りました。勤務校からアパートまでの道筋の丁度中央辺りに居心地の良い酒場があり、そこを夜食の店として利用することにしました。

 なんとも気ままな情けない生活ですが、その中で墨田川の川沿いの道を言問橋まで、のんびりと往復するのがとても楽しい一時となりました。その頃、二十代前半の青年が創った妄想のような詩が三篇あります。それを紹介します。


隅田川異影

夏の夕べはレモン水
下弦の月は二日酔
川面のネオンは友禅流し

   突然衣(ぬの)をちぎって疾走するふんぞり返ったモーターボート。
   ひげのはえた源五郎です。
   その後をちぎれた衣をつむぐようにすべるエイト。
   女性ばかりのあめんぼうです。

二目酔の半月が
ふっと一息ためいきつくと
あめんぼうも源五郎も
風のように闇に溶けた

   流れにゆらめく友禅をからませて、
   そのときぼくの死骸が浮びます。
   水にふくれたぼくの死骸は、
   ぼっくりと、流れるようで流れません。

夏の夕べはレモン水
下弦の月は二日酔
川面のネオンは友禅流し


雨の隅田川

雨は冷たく
私の身体をぬらしても
私は冷たさを感じない。
雨はしんしんと降るのである。
川岸にたたずむ私の
うるおいのない瞳にも
雨はしんしんと降るのである。
この夕べの風景がこんなにも明るいのは
向岸のネオンのせいではない。
この音のない風景がこんなにもリズミカルなのは
川面におどる波紋のせいではない。
私は知っている。
この風景を覆っているのは
ただに
存在への
くったくのない
もの静かな抗議らしいもの。
虚飾のない
心からの無言の愛慕。
希求の叫喚。
なのに川は泣かない。
涙はない。
雨がしんしんと降るのである。


私のための賛歌

よどんだ川面をみつめ
川岸を行き来しながら
私の想いは
まだ誰もたどったことのない
深淵をくだっていった
夜のような汚濁の川底をぬけると
ほの青い広々とした海底であった
そのはるか彼方には
もう一人の私がいるのであった
私は私を待っているようでもなく
つつましく漂っていた
私も私を求めているようでもなく
軽ろやかに泳いでいた
いずれ私たちの出会いは……いや私の
と 川岸を歩いている私がつぶやいた
私のその遊泳と無為とが
すでに生への意欲だったのか と

隅田川はだんだんきれいになるようだ
恥を忍んで、自作品の公開

詩文編(3)

 最終詩集の第1部の最後の詩文は教え子への追悼文で54年ほど前に書いたものです。その生徒と深く関わった級友たちの名前が出てきますが、私にとっても懐かしい名前だしそれを迷惑に思う級友は皆無だと思います。当時の文をそのまま全文転載します。

「もう一つの死――U・Rに――」

 彼女は9月に九州の高校から転入学してきた。入学して間もなくのこと、学校になれたかいと声をかけると、にこにこ微笑みながらこっくりとうなづいた。素直な明るいほほえみといくぶん子供っぽいしぐさ。弟二人・妹一人をもつ長女であったが、家庭ではおそらく一番の甘えっ子だったのだろう。級友にもすぐ好かれるようになった。リキちゃんと呼ばれ、皆に親しまれた。

 彼女は9月の末頃から足の痛みを訴えていた。「発育のアンバランスから起こる青少年にはよくみられることでたいしたことはない、しばらく患部を湿布していれば直るだろう。」と医者は言っていた。
 彼女はいつも左足の脛に包帯をまいていた。しかし足の痛みは一向にとれず、むしろ悪くなっていくようであった。2学期の末頃には通院のため時折学校を休まなければならなかった。期末試験をすませてからはずうっと休んでいた。

 二学期の終業式の前日、彼女はお母さんと一緒に学校へやってきた。私が応接室に入って行った時、彼女はいかにも甘えっ子らしくお母さんにもたれかかるようによりそって坐っていた。私が二学期の成績をほめると、はずかしそうに体をくねらせていた。成績表を手渡すと、うれしそうに見入っていた。
 足の痛みはその後、レントゲン検査によって、そのつもりで見なければ見落してしまいそうなほど小さいものであったが脛骨に腫瘍が見いだされ、骨腫瘍のためのものであることが判明した。その治療のため2ケ月ほど学校を休まなくてはならないとのことだった。長く休むため2年に進級できなくなってしまうのではないかと彼女は心配していた。早くよくなって3学期の期末試験だけでも受けに来たいと言っていた。
 彼女は墨東病院に入院した。

 私はさっそく彼女のことをクラスに報告した。級友たちはみな彼女のためによくやってくれた。特に石田・宮本・村上・山崎・栗林 ・仁野・山口などが最後まで献身的につくしてくれた。彼らは見舞に行ってくる毎に、私に様子を伝えてくれた。

 2月の初め、お母さんが学校へ訪ねてこられた。私たちの知らぬうちに、彼女の宿命は思わぬ方向へと転回していた。その後の経過は思わしくなく、もはや左足を切断しなければならないことになってしまっていた。
 初めは簡単な手術ですむとのことで、実際に患部をけずる手術が行なわれたが治癒しなかった。そのうち詳しい検査によって悪質な腫瘍であることが分ってきたので、大事をとって病院を東大の整形外科に変えた。しかし東大の教授たちの間では彼女の病気に対する見解が一致せず、その治療の方法もなかなか決定しなかった。それでも股(もも)のつけ根を切り開いて、そこの大静脈から強力なクスリを流しこむことが行なわれた。これが直接の原因かどうかは分らないが、まもなく腫瘍が左足全体に拡がってしまった。こうなってはもぅ猶予はならない。左足を切断する外はなかった。しかし度々の手術で彼女は衰弱していた。食事も進まない。その彼女が足を切断する大手術に耐えられるだろうか。だが腫瘍をからだの他の部分へ拡げぬためには体力の回復を待つ余裕はなかった。

 私はやりばのない憤懣で一杯だった。医学のことは分らないが、早く適切な処置が取られればこんな大事にはいたらなかったのではないか。私の怒りはおそらく医学の限界をたてに良心の疾しさをこれっぽちも感じていないであろう医師たちに向う。現在の医学の限界として簡単にかたづけられないものを強く感じた。彼女は病院では実験動物にすぎなかったのだ。医師たちにそのつもりがなくとも私には彼女がそう扱われていたとしか思えない。結果は同じであったにせよ、せめて彼女を一個の病気としてではなく一人の人間として扱ってくれたらと思う。私が見舞ったとき、彼女は言っていた。 
<私はモルモットよ。>

 2月5日朝、宮本と石田が職員室へやってきた。今日手術が行なわれる、手術の前に会いたいから行かせてくれとのことだった。彼女らは泣きながら学校を出て行った。彼女の左足は股の下10糎ほどを残して切断された。

 その日私は授業をしながらも3日前に見舞った時の彼女を思い出ださずにいられなかった。身体は衰弱していたが、あいかわらず明るい様子だった。いや、不安と悲しみを秘めてつとめて明るくつくろっていたのだろう。無残にいためつけられた心に、それでもけなげな決心をしていた。
<私はこれからは、うんと勉強をして、それで立っていかなければならないんだわ。>
 私が何かほしいものがあったら言ってごらんと言うと、いたずらっぽく笑いながら答えた。
<欲しいものあるんだけど、変なものなので笑われちゃう。……犬のぬいぐるみがほしいの。>
 私と前後して見舞いに来た原田と小堺にたせた細った腕を見せておどけた調子で言った。
<スマートになっちゃった。うらやましいでしょ。>
 そうしたうちにも彼女は学校のことを心配していた。試験を受けなくとも2年に進級できるから心配しないようにと私は伝えた。彼女は松葉杖をついてでも学校へ通いたいと言った。また学校の話をさかんにに聞きたがっていた。クラスの男子のいたずらぶりを話すところころと笑っていた。

 誰かの発案でホ-ムルームの時間に全員で千羽鶴をを折った。彼女が欲しがっていた犬のぬいぐるみも級友たちのカンパによって買った。それらを持って大勢の級友が見舞いに行った。にぎやかな見舞いだった。後で彼女はこう言っていたそうだ。
 <こんなに楽しく笑ったのはほんとに久しぶりだわ。>
 お母さんも大変感謝されていた。
 私たちに出来ることといえば、これぐらいのことしかなかったのだ。彼女やお母さんの感謝がかえって私の胸を苦しく刺す。

 手術後の経過は思わしくなかった。切口のガーゼを取り換える度に、その痛さのため押さえているお母さんや看護婦をはねのけるほど泣きもがいていた彼女が、ある日から突然苦痛を示さなくなった。下半身が麻痺してしまったのだ。
 からだが衰弱しているままに無理をして行なった手術であったのに、その手術はすでに遅すぎたのだ。腫瘍の病源はすでに上半身に移っていた。胸に、そして致命的なことには脊髄にも腫瘍ができてしまった。このための麻痺であった。もはや手の施しようはない。彼女の希望もあって、病床は自宅へ移された。
 家へ戻ってからいくらか元気を取り戻したようであった。彼女は自分の病気の本当の状態を知らないままでいた。だんだん良くなってきていると聞かされていた。しかし腫瘍は彼女のからだをますます深く蝕んでいった。なんとなく気づいていたのであろうか、死ぬのはいやだ、死ぬのは怖いというようなことを特に親しくしていた級友には言っていたとのことだ。

 4月の初め、私が石田・宮本・山崎らと一緒に見舞ったときには彼女のほほえみにはあの子供っぽさが消えていた。長い間生死の境を生きてきた彼女はすっかり大人になってしまったのだろうか。またたいへん疲れている様子だった。それでも私たちとの話しを楽しんでいるようだった。2年の新しいクラスの話しをすると、せっかくいい先生のクラスに入ったのに学校へ行けないと残念がっていた。早く学校へ行きたいと心から言っていた。また2学年を休学しようかすまいかということまで心配していた。まもなく学校へ通えるようになるという希望をまだ持っていたのだ。
 私が帰り際に、元気を出しなさい、と声をかけると、明るくほほえんで、しかし力なくこっくりとうなずいた。それが私の見た最後のリキちゃんだった。

 1964年4月11日12時25分、リキちゃんは死んだ。17回目の誕生日を迎えてから4日後のことであった。
 私たちが彼女と出会ってから、わずか8ケ月間ほどのことであった。

告 別

君の前には大勢の友らが集っています。
皆 君のことで胸が一杯です。
やがて友らの悲しみは忍び泣きとなり
その悲しみの波が君の柩をつつみます。
君のお父さんは静かに合掌しています。
君のお母さんや
弟や妹はただうつむいています。
静かなそれらの姿に
やりばのない悲しみがいっぱい溢れています。
今にも崩れいでそうな慟哭を
身をかたくしてこらえています。
こぼれる涙をぬぐおうともしません。
君の同胞(はらから)の嘆きより
君の友らの悲しみより
さらに深く大きい君自身の
嘆きや悲しみが
君の前に坐っている私の心に
はっきりと響いてきます。

柩の上の君は微笑んでいますが
柩の中の君のまぶたの底には
誰にも伝えられず
君一人で秘めていた
苦しみや悩みや不安が
心残りや嘆きや悲しみが
いまわの際(きわ)に涙となって
流れいでようとしても
流れいづることのできぬままに
冷たく滞っているのです。

やがて出棺の時となれば
君の友や同胞(はらから)は
最後の別れを告げようとして
柩の中のもの言わぬ君を見て
さらに激しく悲しみます。
しかし私は
柩の中の君を見まい。
柩の中の君を私は堪えられない。
私の見た最後の君は
明るくほころんだ笑顔なのだ。
柩の中の君を見まいとしてのがれた私の目に
畠中に群れ遊ぶ白鷺が映ります。
恥を忍んで、自作品の公開

詩文編(2)

 前回から最終詩集の詩の紹介を詩集の順序通りに始めたのですが、詩の本意を知っていただくためには詩の底流を流れている私の死生観(あるいは人生観)を直接知っていただくのがよいのではないかと思い至りました。
 そこで今回は順序を変えて、私の死生観(人生観)を直接語っている最終詩集の第1部と第2部の最後の詩文を転載することにしました

 そこでまず最初に、詩集の表題として用いている「母の沈黙 あるいはふるさとのありか」(第2部の最終詩文)を紹介することにします(少し長いですが、一気に転載します)。

「母の沈黙 あるいはふるさとのありか」
地の中に眼がある
拒むこと以外に 死を
死に続けるすべをもたない夥しい屍体の。
腐蝕し土と化した肢体の痛みを
一点に凝縮して腐触を拒み
あらゆるモニュメントを拒み
歴史へのいかなる記載をも拒み
数であることを拒み
大きく見ひらかれたまま
閉じることを拒み
無駄死を強い続ける卑小な生者のための
奈落への心やさしい道づくり。
数千年の眼孔の堆積は巨大な穴となり
ふるさとの墳墓
あるいは忿怒は増殖する。

<ふるさともとめて 花一匁>

o    o    o    o    o    o

戦闘宣言

 みなさま、今度はおらの地所と家がかかるで、おらは一生けん命がんばります。公団や政府の犬らが来たら、おらは墓所とともにブルドーザの下になってでも、クソぶくろと亡夫が残して行った刀で戦います。
 この前、北富士の人たちは、たった二十人でタイマツとガソリンぶっかけて戦っただから、ここで三里塚反対同盟ががん張れねえってことはない。ここでがん張らにゃ、飛行機が飛んじゃってしまうだから。

 おら七つのとき、子守りにだされて、なにやるたって、ひとりでやるには、ムガムチューだった。おもしろいこと、ほがらかに暮したってことなかったね。だから闘争が一番楽しかっただ。
 もう、おらの身はおらの身であって、おらの身でねえだから、おら反対同盟さ身預けてあるだから、六年間も同盟や支援の人達と反対闘争やってきただから、だれが何といっても、こぎつけるまでがん張ります。みなさんも一緒に最後まで戦いましょう。
一九七一年。小泉よね。六十三歳。
 よねさんは最下層の貧農に生れて、七つの時に年貢代りに地主の家へ子守りに出され、年ごろになると料亭づとめに出た。だからほとんど字が読めない。
 敗戦直後、夫を病で失う。子供はいない。二アールほどの田を耕し、近所の農家の手伝いをしてほそぼそと暮してきた。おかずがなく、ご飯に塩をかけて食べたこともあったという。

 成田空港反対闘争を通して、よねさんは得がたいものを得た。「貧者」へのあわれみと軽蔑でしか接してくれなかったこれまでの 周囲の者にくらべ、新しい仲間はまともにつき合ってくれた。六十余年の人生でそれはおそらく初めての経験だった。九月初め、よねさんの 「戦闘宣言」が垣根の上に立てられた。
 人民の虐殺と共同幻想の操作とをセットにした巧みな戦術が国家権力がその延命をはかるための常套手段である。成田の第二強制執行は警察官二名死亡、学生一名瀕死の重傷という犠牲を強いて完遂された。日常を覆っている平和という幻想のベールがひととき破れて、日常的なジェノサイドの進行が露呈する。昭和の十五年戦争を中心とする<自らのものでない死>の列は今なお連綿と続いている。

 第二強制執行で残されたよねさんの家は、流血をさけるためという名目で、予定を繰り上げて抜き打ち的にとりこわされた。よねさんの家は土間と六畳一間、押入れだけの掘立小屋のような母屋であった。借地に住んでいたよねさんの補償金は八十万円たらずだという。これはかけがえのない一人の全生涯の掠奪である。欺瞞にみちた言葉しか持たない支配者らの口もとに卑しいうすら笑いがうかんでいるのを、そのときぼくは確かに見た。

o    o    o    o    o    o

 ぼくは母の出自についてほとんど何も知らない。母がどんな娘時代を過ごしたのかは勿論のこと、いくつの時に結婚したのかすら知らない。戦災で焼け残った写真の中に母の若い頃のものが一葉あった。丸髭を結い、地味な着物を着て正座し、お針仕事をしている。結婚後に写したものであろう。初々しく美しい写真であった。しかしその写真の母はぼくがなつかしく想い出す母とは遠い。

 敗戦のときぼくは七歳であった。何ごとにも奥手であったぼくのそれまでの記憶は貧しい。その記憶の中では母はほとんど影のようであり、確かな像を結ばない。ぼくは十人兄弟の下から二番目で、長姉とは十五歳ほど年が違う。その姉がぼくをたいへん可愛がってくれて、母親代りをしてくれたようだが、そんなことも敗戦前の母の記憶が薄い原因かもしれない。ともかくぼくの記憶の中で母の像が鮮明になるのは敗戦後のものである。

 母はあけっぴろげな下町風の気質で、厳しいところもあったがたいへんやさしく冗談などもよく言う明るい人だった。1899年生 まれで、ごたぶんにもれず充分な教育を受けていなかった。新聞をどうにか読めるぐらいの文字は知っていたが、数字などはいくら注意をしても十五を105と書いてしまうほどだった。そんな母がぼくは大好きで、母にあからさまに甘えるのを気恥ずかしく思う年頃になっても、弟が何の屈託もなく母に甘えまとまわりついてふざけ合っているのを一種の嫉妬をまじえてうらやましく眺めていたものだった。

 敗戦前の家庭生活についての記憶は、疎開先でのものを除けば概して明るいものが多い。しかし九人もの子供(十人のうち三男は幼い頃に死んだ)をかかえての暗い時代の生活であるから、実際には母にとってはたいへん苦しいものだったに違いない。母は泣きごと一つ言わず、黙々と子を育て家庭を守ってきた。この母が丹精をこめて築いたものが戦争によりあとかたもなくなってしまった。家を焼かれ、家財道具もほとんど残らなかった。敗戦とともに父は今までの安定した職を失い、以後転々とする。家もそれまでの大きな家から八坪ほどの長屋の一棟に変わる。11人もの家族が住むにはあまりにも小さい。劣悪な環境の中で、家計を担えるほどに大きくなっていた長男と長女と四男が、敗戦後わずか数年の間に、次々に病で死亡した。(この兄姉の死は勿論のこと父母の死も国家権力による殺され死だとぼくは思っている。) 家庭は悲しみと貧しさの極みにいたり、瓦解寸前の状態が長く続く。だがやはりぼくは母の泣きごとを聞いたことがない。
 母は家計のやりくりが下手だった。というより金銭に対してたいへん大様で、毎日あしたの衣食をどうするかを考えねばならず借金に借金を重ねるような状態であったのに、幼い子供には情ない思いをさせたことがなかった。少なくともぼくにはそうした経験がない。やりくり下手は、これも母の子供への慈しみだったのだろう。

 ぼくが家庭の貧乏のほどをはっきりと自覚したのは、実際にはもっとずっとあとのことで、中学校を卒業する頃だろうか。父が老年のため働けなくなり、兄や姉の収入だけで家計がまかなわれるようになり、次姉が家計をあずかることになって絶望的な経済状態が明らかになった。それとともにそれまでに積み重なってきたさまざまな問題が一気に噴出し、家族の間にいさかいが絶えなかった。姉が母を激しくなじりとがめることもしばしばあった。ぼくは母が可哀そうでならなかった。結婚をほとんどあきらめて一家を立て直そうとしている姉を非難することもぼくには勿論できない。ぼくは自分の家の貧乏のほどを知らされた。(そんな状況のなかで、ぼくを大学へまで行かせてくれたのは姉である。) ぼくの半生の中で最もやりきれなくつらい日々であった。母の頭が目に見えて白くなってきたのはその頃のことだ。母は相変らず黙々と家事をつづけた。

 敗戦後20年、ぼくの家庭もいくらか余裕がでてきて、兄(二男)と姉(二女)は遅くはあったがそれぞれ結婚した。次の兄と姉が家計を担い、貧乏の中にも拘らず大学まで行かせてもらったぼくも職についた。父も母も年以上にすっかり老いていた。その年父が死んだ。徐々に疲労と心労を重ねてきた母は、それを追うように、持病のぜんそくを悪化させ結核を併発して翌年入院した。髪はもう真白で、生活の苦労を深く刻んだ顔も家事と育児ばかりで忙しかった身体もずいぶん小さくなったようだった。
 最後に母に会ったのはぼくだった。勤めの帰りに見舞に寄った。母は数日前から酸素吸入をしていて会話は大儀そうだったので進んで話しかけることはしなかった。ひどく衰弱していたが、今日明日ということはないだろうと思った。母は「兄弟仲よくね」と言っただけで、あとは天井の一点を見つめるばかりで無言だった。それに答えることもできず、ぼくも黙ってただ側に坐っているほかなかった。
 翌日の夕刻、十人の子を生み、四人の子と夫に先立たれ、泣きごと一つ言わずに黙々と家庭を守り子を育ててきた母、愚直でいちずな生涯を送った典型的な庶民の母、ぼくの母は小さな白い病室でだれにも見とられずひとり淋しく死んだ。子供たちの間にのこしたわだかまりに最後まで心を痛めて。ぼくらは親不孝な子だったようだ。

 天下国家のことにたずさわることと、一人の子を育てることとどちらが重いか、断じて同じである、といったのは小林秀雄だったか。この断定をぼくは諾う。否、母の事業の方が重いと言おう。母の死により、雑多な観念でごちゃごちゃなぼくの内部で何かが始まった。自らの生存の根拠が見え初めた。
 あの時母は病室の天井に何を凝視していたのだろうか。あの長い沈黙はどんなことばでいっぱいだったのだろうか。ぼくは母が凝視したものを見なければならない。ぼくは母の沈黙を聞かねばならない。

o    o    o    o    o    o

 白髪がばらりと顔面にたれ、凄惨な表情で機動隊員につれだされるよねさん。新聞に報道されたよねさんの写真、その十糎四方ほどの写真一杯にあふれているよねさんの全生涯をぼくははっきりと見た。ぼくはその生涯を畏怖し、胸が熱くなり戦慄した。
 『代執行がはじまると、よねさんは脱穀機のエンジンをかけ、稲こきをはじめた。報道陣のカメラの放列にとり囲まれ、始終無言だ った。機動隊員に連れ出されそうになり、地べたに寝ころんだ。寝ころんでも無言だった。手足をかかえられ、自宅から遠ざけられる間も一言もしゃべらず、ただ機動隊員をカッとにらみつけていた。』(朝日新聞より)
 これはもうほとんどぼくの母である。

o    o    o    o    o    o

<ふるさともとめて花一匁>

数千年の眼孔の堆積は巨大な穴となり
穴の上に塔は立つ バベルの。
生れおちた土地で生れおちた時から
ぼくはその世界の異邦人だったと気づいた。
今は少女たちの遊戯のように
手をつなぎ声を合せてうたうことを望んではならぬ。
ひとり立つためにひくくつぶやけ。
死者たちの見ひらかれた眼孔が
静かに閉じられるために
死者たちが真の死を再び死んで
ぼくのふるさとへの愛の
肥沃な土壌となりうるために
虚構の世界はまず
ぼくの中で廃墟であらねばならぬ。
廃墟の世界を掘りおこし
ふるさともとめて醒め続けるために
ぼくの言葉は自らのこころに苦しく刺す
ついに咲かぬかも知れぬ茨の花一匁。
恥を忍んで、自作品の公開

詩文編(1)

 前回で「作詞作曲編」が終わりました。今回からは詩文の公開をすることにします。

 「赤ん坊のやつめ」を作詞作曲したことが切っ掛けとなり詩を書く楽しみを覚えて、書き継いだ詩は百篇ほどになるでしょうか。その書き溜めた詩文を詩集として纏めてみようと思い至り、「蜥蜴(とかげ)」と題した初めての詩集を作ったのは1965年6月の事でした。

 勿論ささやかな自費出版であり、近所の印刷屋さんに相談して、印刷と製本をしていただきました。40ページほどの小冊子で、部数はごく親しい方たちへの報告ということだったので20部くらいだったと思います。

 その翌年(1966年)に同様の趣旨で、「影」と題した詩集を自費出版しました。今度はそのころ付き合っていた親友が全体の装丁をして下さり、詩文もすべてカラーのガリ版刷りの見事な筆跡でまとめて下さいました。

 そしてその翌年(1967年)、「日ごとの葬送」と題した詩集を自費出版しました。今度は親しく付き合っていた青年が装丁をしてくださいました。

 そしてその11年後(1978年)に 最終の詩集「母の沈黙 あるいはふるさとのありか」が、なんと書肆山田から出版されました。どうしてそういうことになったのか、詳しい経緯は全く覚えていません。詩集のあとがきを読むと、どうやら書肆山田の出版担当の方が強く仲介してくださった御蔭だったようです。
 どのくらい売れたのか知る由もありませんが、書肆山田のホームページで調べたところ、当然のことながらとうの昔に絶版になっているようです。その検索のときたまたま《古書・古本通販 『古書サーチ』》というホームページの記事に出会ったのですが、そこの在庫一覧の中に「母の沈黙 あるいはふるさとのありか」がありました。「あゝ、全く売れなかった訳ではないんだな」と、ホットしました。

 さて、読み直してみると自費出版の詩集は大半が自ら駄作だと思ってしまう詩が多く、これを直接取り上げることは止めることにしました。最後の書肆山田から出版された詩集は全体が二部構成になっていますが、その第一部は上の自費出版の三詩集からの抜粋詩で構成されています。第二部は全く新たに作成された詩で成り立っています。ということで、最後の詩集を用いて私の詩文の公開をすることにしました。

 まずは次のような「序詩」を掲げています。

序詩
こころを病むこころのことは捨てはてつ
とうそぶくわが安逸
の辺境へとなおも牽引されるこのこころの
業の風は止むすべもなく
想実の相剋いんいんと甦えれば
ついに捨て得ぬ生命(いのち)の
片言隻語

 (では第一部(1964~1967)の詩作品を転載します。)

Ⅰ 日ごとの葬送(1)

  病気の母

    病人は くるしいと つぶやいた
   おれは 外の遠い景色を ながめていた
  病人は ふたたびくるしいと つぶやいた
  おれは
  幼いおれが小さなシャベルをあやつるのを
  ぽろぽろ砂がこぼれるのを ながめていた
  病人は ひとすじ 涙を流した
  おれは
  時空のひろがりを 美しく酷いと思った

流れ星

  子供よ、しっかりした足どりで歩きなさい。星はもうあんなにたくさん見えるけど、まだ勢揃いしてはいないのです。

   とうさん、ぼくはくたびれた。星がたくさん見えるのに、まだ夜ではないのですか。野山がこんなにもとっぷりとしているのに、まだ 夜ではないのですか。

  子供よ、夜はもう大空を、野山を、海を、地の中をさえ夜の色でいろどっています。しかし、星はまだ勢揃いしてはいないのです。さあ全部揃うまでもう少しだ。がんばりなさい。

  でもでもとうさん、星が揃うことはあるの。一つが現れれば、一つが消えるのでしょう。

  あゝ子供よ、お前は正しい。しかし待たなければいけない。全部が揃うまで、私たちは眠ってはいけないのです。今はまだ、一層心をとぎすます時なのです。

  とうさん、ぼくの足はもうこんなに血だらけなのに、どうして星は
   ……あっ! とうさん、いま流れた星はなに?

  あ……あれは……子供よ (マタ一ツ落チテシマッタ。)

私の悲喜劇

  私の暦は
  いつでもくるっていた
  それが私の喜劇だった

  私の暦は
  遅すぎたり早すぎたりした
  それが私の悲劇だった

  たとえば
  草の芽がふくらみ初める頃の野に
  真夏の太陽を持ちこんだり
  未練もなく去ろうとする病葉のかげに
  春の花を咲かせようとしたり

  その度に 私は
  苦い想いにうちひしがれた
  私の暦を正そうと焦った

  その度に 私は
  正された暦に 安息を覚えた
  私はその時私ではなくなっていたのに

  昨夜
  酒を酌みつつ華やかに笑ったものは
  気がつくと一年前の花であった
  一年前
  私の心に咲きつづけるものと思って
  私の心が摘んだ花だった

  今朝
  自らのうかつさに腹立ち
  後もどりした暦をちぎっていったら
  一年先まで進んでしまった
  私の暦はまだくるっている

   
恥を忍んで、自作品の公開

作詞作曲編(5:最後の一編)

 前回、「残りの三編を一度に公開して作詞作曲編を終わることにします」と書きましたが、もう一編大事な作品がありました。

 「赤ん坊のやつめ」から初めて「俺はお山の一人息子」で終わった作詞作曲のお遊びは、私が16歳ころから20歳ころまでの事でしたが、その四年ほど後に、これはお遊びではなく、真面目に作った「君しあわせか」と題する一遍があったのでした。この一遍をご覧いただいた高校音楽の先生がとても褒めて下さいました。多分この方が混声四部合唱に編曲して推挙なさったのだと思いますが、なんと十年ほど後に「君しあわせか」が高校の音楽教科書に載り、NHKの高校音楽講座で取り上げられたのでした。NHKから著作料が送られてきてびっくりしました。

 姿形も変えて、一度は広く公開された作品ですから、今さら私の手で公開することを躊躇しましたが、このまま埋もれたままにしておくのも勿体ない気が高じてきて、これを私の手で公開してしまおうと決めました。次の作品です。

君しあわせか




1
 夜のしじまを打ち砕くよな
 汽笛がひとつまたひとつ
 ぼくの心を君は知らずに
 ふるさと恋しと帰って行った

2
 重い夜空にきらめく光
 星屑ひとつまたひとつ
 君の住んでる雪の町まで
 せめて幸せ届けておくれ

3
 深い闇から天使のような
 粉雪ひとつまたひとつ
 君の便りか雪国からの
 母となりしか君しあわせか


(次の楽譜は教科書からの転載です。)

君しあわせか12 君しあわせか22
恥を忍んで、自作品の公開

作詞作曲編(4)

 今回は残りの三編を一度に公開して、「作詞作曲編」を終わることにします。
 最後の二編「友情の歌」と「俺はお山の一人息子」は、私にとっては、高校時代の親友達との高校卒業後にまで続いた交友の思い出が一杯詰まったとても大事な作品です。出不精で消極的な私に登山(ハイキング)の楽しみを教えてくれたのもその親友達です。

春風




いつの日か 空ろの園に 春風の 忍び渡れり

春風の 優し心に 桜木は 色めき匂えり

麗らかな 桜の園を 乙女子の 終日(シネモス)流離(サスラ)う

乙女子は 薄紅の 光陰(ヒカリ)浴び 物や想える

乙女子よ 愁い麗し そが瞳に 何秘め給う

乙女子よ 黒髪解ければ ほろほろと ほろと花散る

ほろほろと 薄紅の 花舞いつ 嘆きつ日暮る

育みし 同じ心に 花散らす 哀れ春風

春風2>

友情の歌




1
 ああ友情よ
 清き女神よ そのまなざしに
 光たたえて 近づきたまえ

2
 ああ友情よ
 友らのまなこ さし向くところ
 満ちてあふるる 友情のさち

3
 ああ友情よ
 青春の日の 永遠に終わらぬ
 尊き証し いとしき女神

4
 ああ友情よ
 あてどなき夜の もの憂い生も
 おんみの光に 望みを戻す

5
 ああ友情よ
 我らが生の 朝のかがやき
 今こそ歌おう 友情の歌

友情の歌2>

俺はお山の一人息子




1
俺はお山の一人息子
お山に愛でられお山に叱られ
お山の中で育つのさ

2
俺はお山の一人息子
お山で笑いお山で泣いて
お山に悩みを語るのさ

3
俺はお山の一人息子
お山は冷たくお山は寂しい
お山は俺を試すのさ

4
俺はお山の一人息子
お山に甘えてお山を畏れて
お山に抱かれて眠るのさ

5
俺はお山の一人息子
お山はおふくろお山はおやじ
お山は俺のふるさとさ


俺はお山の一人息子2
恥を忍んで、自作品の公開

作詞作曲編(3)

 今回も二編を公開します。
 ところで今、学校の音楽の授業で出来の悪い生徒が学んだ中途半端な知識だけで作曲をするなど、どだい無茶な作業だったのだと思っています。今回の2編はその最たるものだったのでしょう。歌詞と曲がうまく合っていなかったのでしょうか、曲に歌詞の割り振りがしてありませんでした。うまく割り振りできなかったのでしょうか。今手元にある子供用の小さなおもちゃのピアノで弾いてみました。そのピアノを弾く力量もいい加減なものだからでしょうか、歌詞と曲がうまくつながりません。もしかしたら知識も力量の確かな人が弾けば曲に歌詞がピッタリ合うのかもしれないと、勝手な予測をして、そのまま公開することにしました。恥ずかしながら、ますますいい加減なことになってきました。この後、一体どうなるのでしょうか。

柿の木



1
柿の実落ちて
柿の木あわれ
枝もたわわな秋の日は
通る人ごと見上げてた
いたずら小僧もねらってた

2
木枯し吹いて
柿の木あわれ
せめて冬の日やわらかく
柿の木つつんで慰めよ
また来る秋にも実れよと

柿の木

落ち葉



1
はらはらと涙落ち葉の悲しさよ
木枯し吹いて吹き落とせ
未練心を吹き飛ばせ
去りゆき心は
明日(アス)の俺にはいらぬもの

2
かさかさと落ち葉ころがる侘(ワビシサ)しさよ
木枯し吹いて吹き散らせ
儚(ハカナ)い夢を吹き散らせ
去りゆく心は
明日の俺にはいらぬもの

3
ぱらぱらと時雨(シグレ)落葉の寂しさよ
雨よ今宵は強く降れ
淡(アワ)い面影(オモカゲ)降り流せ
去りゆく心は
明日の俺にはいらぬもの

落ち葉
恥を忍んで、自作品の公開

作詞作曲編(2)

 なんだか童謡の範疇には入らないような作品になっていきそうですが、この点にはあまり拘らずに続けることにします。今回は二編を公開します。

つきのしずく




1
つきがな
つきが くもまをな
もれてこころに しずくじゃないか

2
あれはな
あれは かあさんのな
とうのむかしに わすれたいつくしみ

3
つきがな
とおい きおくのな
かすむきれまを するりとすべるよ

月のしずく

外は雨風




1
外は雨風 さむいんだぞ
どいつもこいつも さむいんだぞ
おへそのなかまで さむいんだぞ

2
外は雨風 さむいんだぞ
涙が出るほど さむいんだぞ
ほんとに涙が でるんだぞ

3
外は雨風 さむいんだぞ
ほっぺに雨風 あたるんだぞ
涙とまじって しょっぱいぞ

4
外は雨風 さむいんだぞ
満足だらけでも さむいんだぞ
何かが一つ さむいんだぞ

外は雨風
恥を忍んで、自作品の公開

作詞作曲編(1)

赤ん坊のやつめ



 3月以来約5か月間「明治150年、何がめでたい」を続けて更新してきました。これまでも「詩をどうぞ」など時々気安い話題を盛り込んで気分を変える機会を作ってきていますが、そろそろ気分転換をしたいという思いが強くなってきました。
 60年ほども前になるでしょうか、初の甥っ子が生まれました。その赤ちゃんを乳母車に乗せて弟と二人で近くの公園によく出かけました。その頃手慰みに、「赤ん坊のやつめ」という詩を書いて、それに曲をつけてみました。それがきっかけで童謡(?)のようなものをいくつか創りました。また、童謡と限らず詩を創る楽しみを覚えて詩(?)のようなものを書き始めました。

 そのようにして始めた詩ですが、かつて思い切ってその愚作の内2編を 『 詩をどうぞ(19)』で」公開しましたが、今、それらの童謡や詩を全部公開しちゃおうと思い至ったのでした。私の勝手な遊びに気安く付き合ってくださる方がお一人でもおいでになればという気持ちで、思い切って連載をすることにしました。

 ではまず童謡のようなものから始めます。詩を作るようになった切っ掛けの「赤ん坊のやつめ」です。


1
赤ん坊のやつめ
小さいやつめ
花びらみたいな爪はえている
生まれたばかりの生意気なやつめ

2
赤ん坊のやつめ
心もあるのか
ほっぺをつくと顔じゆうで笑う
そんなにうれしいか生意気なやつめ

3
赤ん坊のやつめ
あったかいやつめ
だっこをするとかがやく瞳
見えないくせに生意気なやつめ

4
赤ん坊のやつめ
大事なやつめ
母さんの胸にだかれて眠れ
なんだかこわれそうな生意気なやつめ

(下の楽譜は当時書き留めて置いたものを縮小してアップしてみたのですが、こんなに見にくいものになってしまいました。いずれ新たに書き直してアップし直そう考えています。どうぞご容赦ください。)

akanbou(3).jpg