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昭和の15年戦争史(47)
1945年(13)~(16)
沖縄を本土防衛のための捨て石にした日本政府は「本土決戦」を推進するため、「一億玉砕」法とも言うべきばかげた法律を制定した。
(13)6月23日
国民義勇兵役法の議会通過
降伏以外には選択の余地は皆無の状況でなおも、後世から観ると「喜劇としか言いようがない」悪あがきを続ける日本であったが、国連は太平洋戦争終了後の国際社会の構築を議論していた。
(14)6月26日
国連憲章が調印さる
「国連憲章」をネット検索すると実に沢山のサイトがヒットする。「国連憲章」以外にも重要な史料が沢山観られるので『核絶対否定のHP』さんの紹介を兼ねて、そのサイトの「資料一覧」中の「国際連合憲章 全文」を紹介しておこう。
『国際連合憲章 全文』
(15)7月16日
史上第一回の原爆実験
戦争にのめり込んだ人間が冷酷無殘になる例は枚挙にいとまが無い。日本での最も冷酷無残な例としては731部隊がよく取り上げられるが、私が全く知らなかった事例を東京新聞(2018年1月21日)の「こちら特報部」が取り上げていた。「九大生体解剖事件」と呼ばれている。その事件のあらましを特報部は次のように解説している。
記事のリードは次のように述べている。
記事全文を読み取って紹介しようと思っていたが、念のためネット検索をしてみたら、沢山の記事に出会った。知らなかったのは私だけかしら、と思った。 2015年12月13日にNHKの「ETV特集」でも取り上げられていた。その番組のことを知った。「テレビのまとめ」というサイトのその番組の概略をまとめている記事を紹介しておこう。
『九州大学生体解剖事件 ~医師の罪を背負いて~ |ETV特集』
横道が思いがけず長くなってしまったが、『残日録』に戻ろう。
(16)7月26日
ポツダム宣言の発表
ポツダム宣言を読んでみて、これも読んでおくに値すると思った。紹介しよう。(以下は『史料集』を用いている)
ポツダム宣言は13条から成るが、1~4条は、
「米英中三国は、日本に戦争終結の機会を与えること、 日本に最終的打撃を加える態勢をととのえること、軍事力の最高度の使用は日本軍と国土の完全破壊を意味すること、日本帝国の滅亡か「理性ノ経路」かを決定すべき時がきたこと」を述べている。5条以下を転載する。
無条件降伏後の国家再建の方針をも示しているが、その通り国家再建がなされていれば、世界で最もすばらし国家になっていたはずである。残念ながら現在の日本国の状況は、それとはほど遠いまるで戦争直前の国家になっていると、私は思っている。その思いが「昭和の15年戦争史」を始めた動機であった。
最後に、『史料集』の解説を転載しておく。
1945年(13)~(16)
沖縄を本土防衛のための捨て石にした日本政府は「本土決戦」を推進するため、「一億玉砕」法とも言うべきばかげた法律を制定した。
(13)6月23日
国民義勇兵役法の議会通過
「秦の始皇の政治に似たり」
1945年6月、沖縄失陥ののち本土決戦を指向した軍部の強い意思のもとに、鈴木貫太郎内閣は戦時緊急措置法と国民義勇兵役法を議会に提出した。この法案は法律なんていうものではなく、一億国民の生命財産をあげて生殺与奪の権を政治に一任するという白紙委任状そのものであった。「秦の始皇の政治に似たり」と悪評さくさくであり、鈴木首相は議員の質問がしつこく、うるさくなると、
「どうも耳が遠くてよく聞こえません。こんど耳鼻科にいって診てもらいましょう」
と、とぼけた。が、政府は強引に23日に通過させた。
これによって、女子も含めて、15歳から40歳までの日本人は必要によって義勇召集を受け、国民義勇戦闘隊を編成せねばならなくなった。こうして一億が「兵隊」になった。
お陰で全国の村々では村民総出の竹ヤリ訓練がはじまる。「気をつけいッ」の号令に、顔を真っ赤に身体をもじもじさせたおばさんが
「オファ、子ども産んでからおかしいの、こらえると小便でちまってよゥ。こんなこんで勝つずらかァ」
とぼやく。
いまになると喜劇としか言いようがないが、本当の話である。
降伏以外には選択の余地は皆無の状況でなおも、後世から観ると「喜劇としか言いようがない」悪あがきを続ける日本であったが、国連は太平洋戦争終了後の国際社会の構築を議論していた。
(14)6月26日
国連憲章が調印さる
「戦争の災害から新しい世代を……」
この日はいま国連デーにもなっている。1945年6月26日、サンフランシスコのオペラ・ハウスで、国際連合憲章の調印が行われた。参加国家は50である。
このころ日本帝国は、連合艦隊は全滅、沖縄も陥落し、全世界を敵としてアップアップしながら最後の抵抗をつづけていた。
そのときに、戦争の災害から新しい世代を救い、基本的人権を再確認し、条約や国際法を尊重し、社会的進歩をはかり生活水準を向上させることなどを目的とする国連憲章を、世界50の国がこれからの世界の理想のあり方として、喜んで受け入れていた。一億玉砕で戦う日本が、関知しないことであったが……。
戦後日本は、6年後に同じオペラ・ハウスで、対日講和条約の調印をする。そしてやがては許されて、すでに出来上がっている国連に加盟する。
なんとなくトントンと加盟できたために、日本人はほとんど国連憲章に無知である。この日を記念して目を通してみるのもいいかもしれない。111条もあってとても読めないよ、などといわずに。
「国連憲章」をネット検索すると実に沢山のサイトがヒットする。「国連憲章」以外にも重要な史料が沢山観られるので『核絶対否定のHP』さんの紹介を兼ねて、そのサイトの「資料一覧」中の「国際連合憲章 全文」を紹介しておこう。
(15)7月16日
史上第一回の原爆実験
「日本に二発の原爆を落としたら」
1945年7月16日、午前5時30分、それは秒読みの三、二、一、ゼロとともに起こった。巨大な火球が爆発しキノコ雲となって10キロ以上の高さに沸騰し、5トンの爆弾をのせた34メートルの鋼鉄の塔は完全に蒸発した。
火の雲が消えたとき、特別装備の戦車が動き出す。その1台には物理学者フェルミ博士が乗っている。かれらが実験場でみたものは想像を超えた死の谷そのもの、アメリカの"ヒロシマ"である。誰もが息をのむばかりで、しばし声もでなかった。爆弾の破壊力はTNT火薬2万トンに相当すると観測された。
実験の指揮をとったファーレル准将が、物理学者のオッペンハイマー博士に言った。
「戦争はこれで終わりだ」
彼らを迎えた原爆製造計画の総指揮官グローブス少将が、ニッコリ笑ってあっさりそれに答えた。
「イエス、われわれが、日本に2発の原爆を落としたらな……」
米本土ニューメキシコ州アラモゴードで、人類初の原爆実験の行われた日の、冷酷無殘ともいえる会話である。
戦争にのめり込んだ人間が冷酷無殘になる例は枚挙にいとまが無い。日本での最も冷酷無残な例としては731部隊がよく取り上げられるが、私が全く知らなかった事例を東京新聞(2018年1月21日)の「こちら特報部」が取り上げていた。「九大生体解剖事件」と呼ばれている。その事件のあらましを特報部は次のように解説している。
記事のリードは次のように述べている。
記事全文を読み取って紹介しようと思っていたが、念のためネット検索をしてみたら、沢山の記事に出会った。知らなかったのは私だけかしら、と思った。 2015年12月13日にNHKの「ETV特集」でも取り上げられていた。その番組のことを知った。「テレビのまとめ」というサイトのその番組の概略をまとめている記事を紹介しておこう。
横道が思いがけず長くなってしまったが、『残日録』に戻ろう。
(16)7月26日
ポツダム宣言の発表
「迅速かつ完全なる壊滅あるのみ」
数年前にベルリン南西郊外にあるポツダムの、ツエツィリエンホフ城を訪れたことがある。1945年7月17日から8月2日まで、スターリン、トルーマン、チャーチル(後半はアトリー)がここで会議をひらき……左様、世にいうポツダム宣言(日本への降伏勧告)は、会期中の7月26日にここから発せられた。
宣言は、日本軍隊の無条件降伏、日本軍国主義の永久追放、戦争犯罪人の処罰など降伏8条件をあげて、
「右以外の日本国の選択は迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす」
と、原爆投下を予告していた。しかし、日本政府と軍部は……。
いずれにせよ歴史の現場に立つつもりで赴いたのに、世は無情、三巨頭の歴史的会談の行われた接見室は、放火により炎上、真っ黒焦げのままで、観光客は立ち入り禁止というお粗末。
聞けば、放火は7月26日から27日にかけての夜という。「お前がやったな」と帰国後にその話をすると疑われたが、ゼッタイにわたくしではない。でも、犯人は昭和史にくわしいヤツかもしれぬと思った。
ポツダム宣言を読んでみて、これも読んでおくに値すると思った。紹介しよう。(以下は『史料集』を用いている)
ポツダム宣言は13条から成るが、1~4条は、
「米英中三国は、日本に戦争終結の機会を与えること、 日本に最終的打撃を加える態勢をととのえること、軍事力の最高度の使用は日本軍と国土の完全破壊を意味すること、日本帝国の滅亡か「理性ノ経路」かを決定すべき時がきたこと」を述べている。5条以下を転載する。
無条件降伏後の国家再建の方針をも示しているが、その通り国家再建がなされていれば、世界で最もすばらし国家になっていたはずである。残念ながら現在の日本国の状況は、それとはほど遠いまるで戦争直前の国家になっていると、私は思っている。その思いが「昭和の15年戦争史」を始めた動機であった。
最後に、『史料集』の解説を転載しておく。
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