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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の15年戦争史(3)

1929年(1)~(3)

 前回、戦争への道を突き進む転換点となった1928年の悪政を振り返ったが、なんと、今日(10月18日)の東京新聞朝刊の「こちら特報部」が「現代と似通う昭和3年 戦争へ向かった分水嶺」という見出しでその問題を取り上げていた。そして前半の記事は、前回紹介した内田博文(神戸学院大学教授)さんへのインタビュー記事で構成されている。その広報部記事の前文を転載しておこう。
『歴史にif(もしも)はない。とは分かってはいても、やり直せるなら戻りたい分水嶺(ぶんすいれい)はある。日本にとって戦争に向かう昭和初期はその筆頭だろう。刑法学者の内田博文氏は、今の日本の状況は「昭和3年」に似ていると指摘する。治安維持法が改正され、戦時体制の下準備が進んだ年だ。加えて、政治不信を加速させた意外な共通点も。今このときを「やり直したい過去」にしないために、90年前の「失敗」を振り返った。 (加藤裕治、皆川剛)』

 さて、今回は『残日録』から1929年の悪化していく世相を描いている記事を3項目選んた。

(1)3月5日
山本宣治代議士の暗殺


 「脳みその重さ日本一」
 最高刑10年であったものを死刑にまでひき上げた治安維持法の改正案が、衆議院を通過した日、すなわち1929年3月5日の夜、京都宇治出身の代議士、山宣こと山本宣治が、止宿先の神田神保町の旅館で刺殺された。

 犯人は元巡査で「七生義団」の東京支部長となのる黒田保久二という男。山本がただひとりこの改正案に反対しているゆえに、それが暗殺の理由である。昭和初期に続出する右翼による最初のテロであった。

 いらい左翼の会合があると、開会に当たってまず山宣の霊に一分間の黙とうをする、それがおきまりとなった。これが日本人の黙とう好きのそもそもである、という話を聞いたことがある。本当かどうか、保証しないが。

 それと山宣の脳みその重さが当時は話題になった。東大で解剖をした医者がびっくりした。「1716グラム、日本一である」と。それまで脳みその重さで有名であったのは、桂太郎の1600グラム、夏目漱石の1425グラム。これらがトップクラスに位置していたのである。山宣はその上をいった。
 ただし、脳みその重さにどんな意味があるのか、残念ながら知らない。

 この事件についてもう少し詳しく知りたいと思い、ネット検索で「弁護士会の読書」というサイトの『テロルの時代』という記事に出会った。これは本庄豊著『テロルの時代』(群青社刊)の紹介記事であるが私が知りたいと思っていた事柄が簡潔に記載されていたので紹介することにした
 この事件には実行犯(黒田)に指示を出していた大久保という黒幕がいた、最後の段の驚くべき事実が書かれている。その部分を転載しておく。
『事件の黒幕であった大久保は、千葉県知事、東京市長の要職を歴任し、戦後は代議士に当選して、国家公安委員長にまでなった。これに対して、テロリスト黒田は、1955年、北九州の遠賀療養所で、脳梅毒のため死去した。62歳だった。』

(2)3月31日
大量失業時代が生んだもの


 「大学は出たけれど……」

 企業の倒産、操業短縮が相次ぎ、「昭和恐慌」は農村の疲弊を加えて、年をおうごとに苦難さをますばかりとなった。このシワ寄せをうけたのが大学卒業生である。いまの日本と同じように、就職難は深刻度をました。

 3月末を基準にすると、率のいい理工科は1923(大正12年)に100人中88人が就職した。これが昭和に入ると1927年には76人、1928年73人、1929年66人とさがっていく。文科系はもっと惨たるもので1923年に72人であったのが、1928年46人、1929年には38人。

 そしてこの年の3月末の採用状況は、内務省調べで、大企業325社のうち、新卒者をまったく採らない社は53パーセントと、半分以上に達した。

 まさに小津安二郎監督の映画「大学は出たけれど」(1929和4年封切り)そのもののひどさであった。この大量の失業者の出現が社会不安を高め、政治不信となり、国家の前途に憂慮をうみ、多くのテロ事件、自殺や身売りの続出となり、やがて満洲事変をひき起こす因となった。

 さて、いまの日本も「大学は出たけれど」で……どこへ行くのかな。

(3)10月24日
ニューヨーク株式市場暴落


「窓を利用なさるのか」

 ギリシャ神話の中の牧神パンは葦笛(あしぶえ)を吹き、たえず美少女を追いかけている。気まぐれである。そして突如怒りだし、牛馬や羊たちを走らせたりする。パニックという語はそこからくる。

 1929年10月24日、木曜日のニューヨークーウォール街の株式取引所は朝の寄りつきから大量の売りものが殺到。1日で1300万株の売り、株の暴落がはじまった。証券市場はパニックにおちいった。

 この日破産して自殺した株屋は12名で、高層ホテルで部屋を求めると「お休みになるのか、窓を利用なさるのか」と聞かれる大騒ぎとなった。

 そしてつづいてきた大恐慌は史上最大のもの。世界中の経済を崩壊させ、ひん死の大不況がはじまる。

 この世界的大恐慌からの脱出を求めて、資本主義列強は分裂と抗争を深めていく。やがてそれは第二次世界大戦への道につながる。

 日本またしかり。生き残りを模索する。太平洋戦争への道は、大きくいえばこの日に発したのである。

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