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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
歴史隠蔽偽造主義者たち(7)

「南京大虐殺」捏造論(3)
 前回の記事「歴史隠蔽偽造主義者たち(6) 「南京大虐殺」捏造論(2)」の続きです。

 今回の記事の中の、特に秦郁彦の言動を見ると、歴史隠蔽偽造主義者たちが全く恥じることがなく合理性のないウソを突きつづけている心底にある目的を垣間見ることができる。

 これは山田支隊が実行した虐殺ではないのですが、秦氏は草鞋峡で起きたことはすべて山田支隊のやったことにしたいようです。でないと、彼の言っている「軍民合わせて4万人」という虐殺数 のつじつまが合わなくなってくる。だから秦氏は『南京事件』増補版で、魯甦証言の虐殺日を「18日」から「17日」に移動させることまでやってのけています。しかも、捕虜虐殺の責任を参謀に押しつけ、上海派遣軍司令官だった朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこおう)中将(注6)の命令を巧妙に隠そうとしているようにも見えます。

(注6)朝香宮鳩彦王中将は皇族の軍人。1937年12月当時は南京攻略を担った上海派遣軍司令官を務めたが、戦争責任は問われず、戦後、皇族を離れた。

能川
 フジの番組でも言っています。「松井司令官(注7)は釈放しろと言った」。けれども、参謀の長勇(ちょういさむ)が従わなかったのだと。

(注7)中支那方面軍司令官だった松井石根は南京虐殺の責任を問われ、東京裁判で死刑判決を受け、処刑された。

小野
 そんな一参謀の判断で勝手に何万人もの捕虜虐殺ができるわけがないですよ。この大虐殺の翌年、1938年1月24日付の『磐城時報』という地域紙に、敗戦後、参院議員や衆院議員を経て福島県知事になった木村守江がこう書いています。
〈捕虜二萬余の始末に困った〉〈捕虜をどうしたかと言ふことは軍司令官の令に由った〉
と。木村は第65連隊第一大隊の軍医でした。軍司令官というのは皇族の朝香宮。秦氏はその責任を覆い隠そうとする。

能川
 番組に出演された山田朗氏も言及していましたが、日本は満州事変(1931年)以降、「臨陣格殺(りんじんかくさつ)」といって、捕虜をその場で殺してよい方針が「暫行懲治盗匪法」に規定されました。否定論者は兵士の捕虜を殺したのは戦争だから仕方がない、問題は民間人の殺害だなどと言っていますが、日本も批准していた戦時国際法では民間人はもとより、降伏した捕虜を保護しなければなりません。

ネット内での反響

――NNNドキュメンタリーの話に戻りますが、番組の反響などについて能川さんはどう見ていますか。

能川
 ネット内ではちょっと異例と思えるほど、右派からのネガティブな反応が見られませんね。「今のご時世でこれを放映するのはエライ」などという反応が多い。否定派からは意味のある反応はほとんどなく、「捏造だ」などという定番の拒否反応だけです。「(中国側の主張する虐殺数)30万人はありえないと思っていたが、これを見たらあり得ると思った」という反応もありましたよ。
 私は08年のドキュメンタリーも観ましたが、それに比べると今回は非常に気を遣っているなと思いました。好評の理由として、「きちんと裏をとっている」というのが多かったのですが、今回は日本兵の日記さえも裏をとるところを見せていました。08年のときとは違って「元兵士の日記」ですら目に見える裏づけがなければ受け容れられないという風潮をスタッフが感じたのか、と思いました。

――なぜこの番組が好評を博したのかと思われますか。

小野
 南京大虐殺を詳しく知っている人から見れば、不満の残る内容であったかもしれませんね。しかし、きちんと裏をとる、現場を踏むという清水潔さん(NNNドキュメンタリーのチーフディレクター)のスタイルが徹底していて、これなら確実というところだけを表に出していますね。

能川
 ただ、確実なところ、異論の出にくいところだけにすると、逆に全体像が見えにくくなることもあります。否定派は南京大虐殺の証言について「伝聞ばかりだ」などと批判しますが、大量虐殺というのは元々、証拠自体を消す「二重の殺戮」です。目撃者も殺してしまうから直接証言が出にくい。証拠がなければ事実ではないというなら、あらゆる大量虐殺が否定されてしまいます。

小野
 被害証言の声だけを集めても説得力がない。加害側の記録や裏づけをしつこいほどにとることが大事だと思います。

――小野さんが約20年で収集した「陣中日記」は31冊にのぼるとか。

小野
 はい。最後の一冊は非常にユニークな形で人手しました。何度も訪ねていた家なんですが、「3・11」の地震で蔵がつぶれて、「日記がありました」と遺族の方から電話が入ったのです。原発事故もあり悶々としていた時期でしたので一瞬、気分爽快というか……。しかし残念ながら、78年もの歳月が経ってしまった南京問題は今後、資料を収集するのも困難です。

能川
 ますますテレビも取り上げなくなり、新聞も新しい証言などがないと扱いにくい。一方で、右派は新味がなかろうが同じことを何度も繰り返す。知らない人はそれを見ると、まるでとても重要な ことのように思ってしまいます。

歴史とどう向き会うか

――南京大虐殺の犠牲者数は東京裁判では20万人以上、中国側は30万人、日本では数万人とかもっと少ないとの主張もあります。80年近く経つのに加害国として自分たちのやったことの歴史検証ができず、大虐殺の事実を矮小化したり、あわよくばなかったことにしようという自称・歴史家やメディアがいるのは恥ずべきことです。今後、どう歴史に向き合ったらよいのでしょうか。

小野
 侵略=加害の認識をどう広めてゆくかが課題でしょう。マスコミの問題は大いにありますが、それとともに一つひとつの部隊が南京でどう行動し、何をやったのかを明らかにしていくことが我々に課せられた大きな課題。この点の解明が一番遅れているのです。

能川
 否定派は兵士であれば捕虜でも殺していいなどと言うが、広島原爆の被害者から軍人を除こうとは言わない。日本の被害についてはその論法を使わないんです。あくまで南京での違法な虐殺だけを犠牲者とし、しかもその数を恣意的に減らそうとする。かりに新しい資料が出なくても、これまでの証拠や資料をどう受け止めるのかも大事で、こうした否定派のやり方を認めてはいけません。

小野
 数の問題ではないのです。俺が調査した元兵士はこう言いました。「南京で歩兵第65連隊が大量の捕虜を虐殺をしたことは事実だ。誰が否定しようとも否定できない。しかし、毎日、夢の中に出てきてうなされる捕虜の顔は上海で虐殺した一人の捕虜の顔だ。虐殺したとき、こちらに迫ってくる顔がどうしても忘れられない」。南京の大虐殺は一人ひとりの兵士にとって捕虜の顔の見えない大虐殺だったのですね。

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