2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
歴史隠蔽偽造主義者たち(6)

「南京大虐殺」捏造論(2)

日本会議(2)で特集「日本会議とは何か」の第三論考を書いた能川元一さんの論考を取り上げたが、特集『「南京」と「慰安婦」』の第二記事はその能川さんと小野賢二という方の対談である。小野さんは次のように紹介されている。
おの けんじ・福島県いわき市出身。南京事件調査研究会会員。1988年から南京攻略戦に加わった第13師団山田支隊の元兵士への聞き取り調査と資料収集を実施。小野賢二他編『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店)など。

 つまり、小野さんは「南京大虐殺」捏造論者たちの論拠を徹底的に否定できる研究者である。いつ頃どんな本で読んだのか思い出せないが、南京で日本軍が捕虜を虐殺してその死体を揚子江に流して処理したという記事を読んだことがある。この対談にもそのことが語られている。

 さて、お二人の対談の表題は『南京大虐殺とどう向き合うか~話題になったNNNドキュメンタリー~』で、その進行とまとめは「週間金曜日」編集部の片岡伸行さんが担当している。これまでの記事と重複する部分もあるが、全文掲載しようと思うが、長いので2回に分けて掲載する。まず枕の文から。
ユネスコ(国連教育科学文化機関)が南京大虐殺公文書11点を「世界記憶遺産」に登録(日本時間10月10日発表)した前後、日本テレビが深夜枠で放映したドキュメンタリー「南京事件/兵士たちの遺言」(10月4日、11日再放送)が話題に。番組に出演し、資料を提供した小野賢二さんと歴史修正主義を批判し続ける能川元-さんが南京大虐殺をめぐる情勢を語った。

 対談者の写真と紹介文にお二人の一言が付されているがそれも紹介しておこう。
『「右派は日本の被害には「虐殺否定」の論法を使わない―能川』
『侵略=加害の認識をどう広めていくかが課題―小野』

 では本文に入ろう。(全体の文末に「注」がまとめて掲載されているが、該当文の直後に付すことにした。)

――タイムリーな放映で話題になったNNNドキュメンタリーの中で重要な資料を提供した小野さんは2008年にも南京大虐殺を扱った同局のドキュメンタリーに出演されています。2008年と2015年、7年間の経過の中で南京大虐殺に関する日本国内の論議や意識の変化をどう感じておられますか。

小野
 20年ぐらい前には南京大虐殺を「なかった」と語った大臣は辞任せざるを得なかった状況だったと記憶します。この7年、大きな論戦はないですね。ただ、マスメディアは「南京大虐殺否定論」を一方的に垂れ流し、加えてインターネット内でも否定する言説が増えました。これが徐々に民衆に浸透し、そのような考えの持ち主が現在の権力を握ったというのが現状ではないでしょうか。
 南京攻略戦に加わった第13師団山田支隊の基幹部隊だった歩兵第65連隊の兵士のほとんどは、俺の地元である福島県出身者でした。収集した「陣中日記」や証言などで、山田支隊は2万人近い中国人捕虜を全員虐殺し、揚子江(長江)に流したことは間違いないと結論づけました(注1)。

(注I)山田支隊の虐殺は1937年12月16日と翌17日に、揚子江(長江)岸に建てられた魚雷営と、大湾子にそれぞれ捕虜を連行し、計1万7000~8000人を虐殺したことを、元兵士の証言と一次資料によって結論づけた。

これに対し、南京大虐殺否定論者からの表立った反論はないですね。

否定派の自滅

小野
 なぜなら、自衛発砲説(注2)に添ってもっとも多く語り続けた板倉由明氏(99年没)は、自らの見解を「決め手になる資料はない」として敗北宣言します。やはり、東中野修道氏も軍(師団としているが)の命令による虐殺を認めてしまい、さらに裁判所から「被告東中野の原資料の解釈は…(略)学問研究の成果というに値しない」と断定されてしまいました(注3)。

(注2)非戦闘員の解放さらに捕虜収容所の火事で半数が逃亡。捕虜を解放するために揚子江岸に連行したところ暴動を起こしたのでやむなぐ銃殺した、とする説。
(注3)南京事件を証言した夏淑琴氏に対し、東中野修道氏が『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)で「偽証言」などとしたため、夏氏が提訴。07年11月、東京地裁の三代川三千代裁判長は「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」などとし400万円の賠償を命じた。東中野氏は控訴・上告したが、09年2月に最高裁は棄却。敗訴が確定した。


 それぞれ自滅した格好なんですが、問題は秦郁彦氏ですね。この人は、11月12日に放映されたBSフジの番組(注4)で、山田支隊の虐殺を認めているような言い方をしながら虐殺数を少なくする。捕虜を虐殺した当事者が書いた陣中日記の記述に「戦闘中の行為」だの「優しい日本兵が書いたのでしょう」などと訳のわからないコメントを繰り返す藤岡信勝氏よりも巧妙ですね。

(注4)BS「フジプライムニュース『南京事件』とは何か 3論客の見方相互検証」のゲストとして秦郁彦、藤岡信勝、山田朗の3氏が出演。

能川
 私もその番組を観ましたが、秦氏は虐殺数について「軍民合わせて4万人。自分の著書に書いたこの数字をここ20年余り変えていません」などと話していますね。中公新書の『南京事件』の増補版(07年)では小野さんの調査に触れていますが、犠牲者数推定は替えていない。「過半が仮名にしてあるのは惜しまれる」などと書いていますが、それなら問い合わせをして自分で現物を確かめればいいのにそれもしない。

小野
 前述したとおり、山田支隊は12月16日だけではなく翌17日にも揚子江岸の別の場所で捕虜を射殺し、計1万7000~8000大虐殺しています。その死体の山を揚子江に流す作業を18、19日の2日間かけてやっている。また、俺が人手した2人の兵士の日記の中に「12月18日の捕虜大量虐殺」の記述があります。そこには「二万三千人」と「一万」という虐殺数が書かれている。この3日間を合わせると、計三万数千人になる。この地点の日本側の資料では山田支隊の捕虜虐殺しか明らかになっていませんが、東京裁判での魯甦(ろそ)証言があり、彼は草鞋峡(そうあいきょう)での大量虐殺を目撃し、その虐殺数を五万七千人人余としています(注5)。

(注5)南京の警察官だった魯甦は城壁近くの四所村、五所村に収容されていた軍民5万7418人が下関・草鞋峡で1937年12月18日に虐殺されたと証言した。

(次回に続く)
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歴史隠蔽偽造主義者たち(5)

「南京大虐殺」捏造論(1)

 歴史隠蔽偽造主義者たちが躍起になって否定しているのが「南京大虐殺」と「慰安婦」である。現在その先頭に立っていきりたっているのが日本会議にべったりの自民党極右政治家である。

 ところで、『週間金曜日1069号』(2105年12月11日刊)の特集記事が『「南京」と「慰安婦」』だった。ということで、今回からこの特集記事を教科書とする。

 この特集の第一記事は「週間金曜日」の取材班がまとめたもので、その表題と枕は次のようである。
ユネスコ騒動に見る安倍自民党の極右体質 歴史修正主義は日本の外交政策か
中国の「南京大虐殺」関連資料のユネスコ世界記憶遺産登録にケチを付け、一方で「特攻隊の遺書」を登録させようと動いた安倍首相と自民党。今や世界に向かって、「『南京』も『慰安婦』も握造だ」と言いたげだ。このような歴史修正主義者たちが外交を乗っ取ったら、日本は世界の孤児になる。

 では自民党極右派はどのようなケチを付けたのか。

 この10月(2015年)から11月にかけて、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)による南京大虐殺関連資料の世界記憶遺産登録に対し、政府・外務省や自民党、右派メディアから猛烈な抗議が起きた。  菅義偉官房長官は10月12日のBSフジ番組で、登録に対し、拠出金停止もほのめかして「事実をめぐり意見が分かれているのに、一方的に中国側の意向に基づいてユネスコが指定するのはおかしい」と批判。翌13日の記者会見では、「(南京で)非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない」としながら、中国側が主張する30万人の犠牲者数について「政府として具体的な数の断定は困難だ」
と発言した。

 こうした言い分の何が問題なのか。取材班は次のように論じている。

 だが、日中両国政府の協定に基づいた公的研究事業である「日中歴史共同研究」の報告書では、「日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20万人以上……、1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計がなされている」とある。  すると「虐殺行為」があったのは日中の共通理解である以上、「意見が分かれている」点は中国側の30万人と、日本側の「20万人を上限」とする数字上の違いだろう。差し引き10万人の差が、「拠出金停止」といきり立つまでの日中間の対立問題になるのか。しかもこの南京戦犯裁判軍事法廷は、ポツダム宣言に沿って、連合国の米英やオランダ、オーストラリア等7ヵ国に設置された「通例の戦争犯罪」と「人道に対する罪」を裁くBC級戦犯裁判の一つだ。今になって「30万人」という数を問題にしても、国際的な支持は得られまい。

 続いて取材班は『自民党の本音は「捏造」論』だと指摘している。この「捏造論」加担者には政治家だけなく、高級官僚や学者の風上にも置けない御用学者が次々と登場する。1%(支配階級)の知的レベルの低さには全くただただ呆れるほかない。

 一方、菅官房長官に呼応するように自民党からも抗議が上がったが、同党の外交・経済連携本部国際情報検討委員会や外交部会等が連名で10月14日に決議した文章は、中国が「一方的な主張に基づいて登録申請」したのは「容認できない」というもの。だが本当に問題視しているのは、犠牲者数ではないらしい。同委員会の原田義昭委員長は11月19日に開かれた自民党の会合で、南京大虐殺について「もう一回歴史的な事実を総合的に検討すべきだ」と発言。また、「出席議員からは『南京事件がなかったという意見もある』……などの意見が出た」(「毎日新聞」11月20日朝刊)からだ。

 つまり政府・自民党の抗議の背景には、疑いなく南京大虐殺が「なかった」という本音がある。事実、原田委員長は10月22日に放送されたTBSラジオのインタビュー番組で、南京大虐殺が「間違いなく捏造だと思っています」という趣旨の発言を何度も繰り返している。だが、インタビュアーから外務省も「殺害行為があったことは事実だと認めている」と質問されると、「そりゃなかったとはいいませんよ」としどろもどろになった挙げ句、「捏造」だとする根拠を一切示すことができなかった。

 安倍晋三首相も、2012年2月に名古屋市の河村たかし市長が「南京虐殺はなかった」と発言して大きな問題になった際、「南京の真実国民運動」なる団体が同年の『産経新聞』8月3日付に掲載した市長の「『南京』発言を支持します!」という意見広告で、「呼びかけ人」の筆頭に名を連ねている。

 しかも原田委員長は、自民党の「勉強会」に「『南京大虐殺』の歴史捏造を正す国民会議」(議長、渡部昇一上智大学名誉教授)の「呼びかけ人」の一人・高橋史朗明星大学教授を招いた事実を認めている。この「捏造」論者の高橋教授は、何と外務省のオブザーバーとして、10月初めにアラブ首長国連邦で開催されたユネスコ記憶遺産国際諮問委員会に同行している。

世界に何を「発信」?

 高橋教授自身は日本史の研究者ではないが、『毎日新聞』11月6日付朝刊によると、同諮問委員会に日本政府が提出した中国の登録申請資料に対する「意見書」を作成。内容は、「南京市にいた中国人女性の日記についても『伝聞情報に依拠した記述ばかり』と記述。さらに、事件自体を否定する主張で知られる亜細亜大の東中野修道教授の著書を引用して、中国が提出した写真の撮影時期に疑問を呈し」たという。

 東中野教授といえば、自著で南京大虐殺の生き残り女性の証言を「ニセモノ」と決めけてこの女性から名誉毀損で訴られ、最高裁で敗訴が確定。一審の東京地裁判決では、自著につて「学問研究の成果というに値ない」と断じられ、現在では事実上言論活動の引退に追い込まれた人物だ。その「著書を引用して」中国側に対抗を試みるような人物を登用し、外務省は何を主張したいのだろう。中国が提出した資料には、南京戦犯裁判軍事法廷に関連するものが3点含まれているが、これも否定されるのか。

 前述の自民党外交・経済連携本部国際情報検討委員会は昨年6月、「中国、韓国などの反日宣伝とも思える情報が溢れている(例、慰安婦像、日本海呼称、靖国問題、安重根記念館など)」とし、「国として主権や国益を守り抜く」ため、「積極的に『攻める情報発信』」が必要との「中間とりまとめ」を菅官房長官らに提出している。

 外務省も昨年8月公表の2015年度予算概算要求の重点項目で、筆頭に「日本の『正しい姿』の発信(領土保全、歴史認識を含む)」という「戦略的対外発信」を掲げた。だがこうした「発信」とは、「捏造」論者や名誉毀損敗訴教授を登場させることなのか。

 南京大虐殺が「捏造」なら安倍首相の持論である極東国際軍事裁判の「見直し」につながり、日本軍「慰安婦」が単なる「反日宣伝」なら、この問題で国家責任を認めた1993年の河野談話の撤回に発展する。いくら自民党や外務省でも、世界にそんな「発信」ができるはずもない。だからこそ今回、「一方的」などと中国側に難癖を付け、それを『産経新聞』あたりが「中国や韓国が仕掛ける『歴史戦』をにらみ」(11月20日付)などと煽っているだけなのだ。

 自国の歴史を直視できずにこうした動きを「国益」と自称するのは、米国だけには卑屈を極めてへつらう自民党の体質の産物だ。

歴史隠蔽偽造主義者たち(4)

日本会議(3)

 特集「日本会議とは何か」の第四論考を紹介する前に予備知識として、最終記事の「日本会議を生んだ右派宗教潮流」という図解記事を転載しておこう。(「生長の家」の右下の欠けている部分の団体名は「生長の家政治連合」です)
右派宗派
 このページの右下に次のような解説があり、日本会議に役員を送っている主な宗教系団体の一覧表がある。これも転載しておこう。

  東京都目黒区内の日本会議の事務所があるマンションの同じフロアに、元生長の家信者が中心になって結成した日本青年協議会(日青協)の事務所がある。
 日本会議のルーツの一つである日本を守る会の事務所は明治神宮内にあり、日青協幹部と生長の家職員、及び神社関係者が運営していた。もう一つのルーツである日本を守る国民会議の前身の、元号法制化実現国民会議も同様だった。
 日青協の椛島有三会長は、日本を守る国民会議の事務局長で、日本会議の事務総長。日本会議の系列組織で、現在改憲運動の前面に立っている美しい日本の憲法をつくる国民の会の事務局長だ。日青協の幹部が、日本会議及びその前身の団体の事務局を担当。日本会議や系列団体の動員は、宗教団体の信者に負っている。
・神社本庁・伊勢神宮・新生佛教教団・念法員教・崇教真光・解脱会・熱田神宮・黒住教・佛所護念会教団・天台宗・比叡山延暦寺・神道政治連盟・靖国神社・オイスカ・インターナショナル・モラロジー研究所・大和教・東京都神社庁・倫理研究所・明治神宮(日本会議のHPの役員名簿より)

 さて、第四論考は成澤宗男さんによるインタビューをまとめた記事である。そのインタビューのお相手は三輪隆裕さんで次のような肩書きの方。
「みわ たかひろ 1948年、愛知県、清州山王宮日吉神社宮司。神職三輪家56代。名古屋大学文学部卒業。至学館大学研究員。」

 この論考の中でも取り上げられているが、昨年の正月にほとんどの神社に「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の改憲署名用紙が置かれていたことを知り、私は「神道って何なのだ」と強い違和感を持った。この問題については第四論考の2ページ目に「信念で改憲運動をやている神道人は一握り」という大きな表題が付されている。三輪さんのこの論考によって現在のほとんどの宮司が神社本庁の言いなりである理由が良く分かったし、三輪さんのような事実に即したしっかりとした論考をしている宮司がいることに安堵の念を強く持った。

 では第四論考を紹介しよう。表題は次のようになっている。 「本当の神道の姿を説く三輪隆裕宮司インタビュー
明治時代の天皇崇拝は神道の長い歴史では特殊

 そして次のような枕記事が置かれている。
『日本会議は、「伝統」こそがあらゆる価値の中心と見なす。改憲も、「現行憲法は日本の伝統に合わない」からと言う。だがその「伝統」とは、神道では異端である明治時代の国家神道なのだ。』

 では本文を読んでみよう(「――」の後の太字部分が成澤さんによる問いかけ)

――日本会議は、「皇室と国民の強い絆」は「千古の昔から変わることはありません」と主張し、これが「伝統」だとしています。日本会議と密接な宗教法人の神社本庁もそうですが、天皇の価値を強調し、「国民統合の中心」に置こうとするのは、「伝統」だから、という論理なのですが。

 いや、それは「伝統」ではありません。江戸時代にはごく一部の知識階級を除き、「京都に天皇様がおられる」ということを庶民が知っていたか、はなはだ疑問です。本来神仕とは地域の平和と繁栄を祈るためのもので、この日吉神社でいえば、江戸時代は氏子の地域と尾張国の繁栄を神様に祈願していました。明治になって、日本という統一国家ができたので、その象徴として「天皇」を据えたのです。

――「天皇のために死んだ」とされる人々だけを祀る靖国神社は、「伝統」でしょうか。

 西欧的な一神教では「神と悪魔」がいて、敵と味方を峻別します。しかし多神教の神道は、もともとそうしたことをしません。特に古代から日本では御霊会が行なわれており、非業の死を遂げた人々の霊を手厚く弔う習慣がありました。しかし、西欧文明を受容し、富国強兵を目指した当時の日本国のために死んだ人びとを神々として祀り、戦死を美徳とする必要があったのです。特に戊辰戦争で戦った幕府方の人々は靖国に祀られていませんが、彼らだって一国のために戦った」と思っていますよ。

――なぜ神道にとって伝統でないものが、「伝統」とされたのですか。

 そのポイントは、明治という時代にあります。江戸時代からの神官たちは、明治になって、社領を政府に取り上げられ、一部を除き、廃業してしまいました。そして神社は、土地も建物も国有化され、宗教から外されたのです。新しく神官となった人々にとっては、明治が最初の時代で、彼らは準国家公務員ですから、明治は栄光の時代でした。だから、明治が出発点となったのです。ところで、薩摩藩と長州藩は幕末に最初「尊王」「攘夷」を唱えましたが、実際に外国と一戦を交えて、とてもかなわないことがわかった。そこで新政府を作り、開国して海外から技術やシステムを取り入れ、国が強大になったらいつか「攘夷」をやろうと思ったのです。そして欧米列強と肩を並べようとしたのが、「大東亜戦争」であったとも言えます。

国家神道は伝統に非ず

――しかし明治時代に強くなったのだから、日本会議のような右派は「栄光の明治」と呼んでいます。

 たまたま日清・日露戦争で勝てただけです。私に言わせれば、明治政府は文化と宗教の破壊者です。彼らは開国した以上、それまで禁教だったキリスト教の布教を認めざるを得ませんでした。一方で、日本がキリスト教国家になると困るので、防波堤になるものを考えた。そこで、神道を宗教から外して、国民の精神を昂揚させるための手段とし、神社から宗教色を抜くために、仏教的な色彩を取り除こうとしたのです。これが文化破壊です。

――明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)ですね。

 明治政府が考えた対応策が、「神社は宗教ではない。国家の儀式をつかさどる機関である」という、「国家の宗祀」理論です。宗教ではなく国家の儀礼だから国民に強制でき、同時にキリスト教に対抗できる西欧の「市民宗教」的な機能を神道に持たせようと考えた。そこでは神社は国営化され、建物も敷地も国家のものになりました。神社を管理するのは内務省、宗教を管理するのは文部省と区分された。そして「宗教ではない」からと、神社の宗教行為まで禁止したのです。儀式だけやれと。布教したらダメで、それに代わって国家が国民の教化のために作ったのが、「教育勅語」だったのです。しかしこのように一つの価値観と規律で国民をしばる、などという発想は、多神教の神道にはありません。

――そうすると、国家神道は、神道の歴史ではきわめて特殊だと。

 それが、今の神社本庁には理解できないのですね。戦後、占領軍の「神道指令」で国家神道は解体されました。その後、神社は生き残るために宗教法人・神社本庁として再出発しますが、当時の神道界のリーダーは、ほとんど明治時代に神主になった人だったため、それ以前の本来の神道ではなく、明治政府が作った神道が「伝統」だと思ってしまった。その感覚が、戦後70年経ってもまだ残っているのです。

――だから今日も、過度に「天皇の価値」を強調するのでしょうか。

 天皇は国民を思い、国民は天皇を敬愛し、大切にするという、天皇を頂点とした一種の家族主義的国家観、「国体」観が明治以降、国民の意識に植え付けられましたからね。しかし、家族主義というのは、せいぜい通用するのは家庭内とか友人関係、つまり「顔」の見える範囲の社会です。それを国家のような巨大な社会まで拡大したら、危険ですよ。なぜなら近代の民主主義の前提は、「人間を信用しない」ということです。だから人々が契約を結び、違反したら法で裁かれる。法治社会です。どんなに素晴らしい政治家でも、常に人々にチェックされます。しかし、親子関係は、契約で結ばれていますか。違うでしょう。家族主義を国家まで拡大すると、権威主義や全体主義となります。「良いリーダーの元に素直な人々が結集して良い社会を作る」。これが一番危険です。戦前のファシズム、あるいは共産主義もそうです。カルト宗教なんかも同じです。今のイスラム原理主義もそうです。民族派の人たちが主張するような社会になったら、また昔の全体主義に逆戻りしますよ。

神社の改憲署名に違和感

――そうした「国体」観を破壊した占領軍が作ったのだから、現行憲法は改憲しろ、というのが日本会議と神社本庁です。今年の正月には多くの神社で、日本会議系の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の改憲署名用紙が置かれていました。

 人々は神社にお参りに来たのであって、改憲署名には違和感を覚えたのではないですか。しかし、ほとんどの神社の宮司は、本庁から書類が来ているのでそのようにしているだけです。

――まったく、意外ですね。

 それが、全体主義の怖さなのです。個々人が自分の頭で考えず、「組織から言われたから」と引きずられる。主体性がない。

――改憲をどう考えていますか。

 時代に合わせて改憲をするのはよいことです。しかし、方向性が問題です。現在の世界で、人類社会の基本的価値として認められている、民主主義、基本的人権、自由で平等な社会、経済の市場システムといったものをより強く育んでいけるような憲法なら変えてもよい。しかし、日本の独自性とか、妙な伝統とかいったものを振りかざして、現代の人類社会が到達した価値を捨ててしまう可能性があるような憲法なら、変えないほうがよい。日本会議の改憲案は世界の共通価値と離れ、時代錯誤の原理主義と権威主義に満ちている。私は、自身のブログで詳細に論じています。

――三輪さんのような考えは、神社界では異端なのですか。

 私自身、右でも左でもないリベラリストだと思っていて、似たような考えの人は他にもいますよ。

 三輪さんのブログを覗いてみた。なかなか良い記事が沢山ある。毎日訪問ブログに加えた。紹介しておこう。 『宮司のブログ』
歴史隠蔽偽造主義者たち(3)

日本会議(2)

 特集「日本会議とは何か」の第三論考は能川元一(のがわ もとかず 大学非常勤講師)さんによる「幼稚な陰謀論と歴史修正主義」という表題の論考で、「生長の家元信者で、政府の諮問機関委員にもなっている」という高橋史朗の歴史隠蔽偽造主義を厳しく批判している。その論考の前書きで次のように書いている。

「反米」か?
「東京裁判史観」批判の荒唐無稽


 日本会議の代表的な論客の一人、高橋史朗氏。戦後になって戦争を反省したのは、「占領軍の洗脳」のためだという。こんな「理論家」が幅を利かせているのが日本会議なのだ。

 私は『右翼イデオローグの理論レヴェル』
で八木秀次という右翼学者の論考批判を書いている。その中で八木を次のように紹介した。
『この右翼イデオローグは「新しい歴史教科書をつくる会」の会長を務めていたことがあり、いまは「日本教育再生機構」理事長だそうだ。政府の諮問機関「教育再生会議」と紛らわしいが、「日本教育再生機構」は右翼巨大団体「日本会議」傘下の民間組織である。つまりヤギは「日本会議」の教育部門のトップ・イデオローグということになる。』
 つまり、能川さんが取り上げている高橋史朗と同類なのだ。八木秀次の論考は「憲法」についてなのだが、その底流に流れているイデオロギーは高橋史朗と全くと言っていいほど同じなのだ。

 では能川さんの論考を転載しよう。

 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(以下、WGIPと表記)という用語を、ご存知だろうか。評論家の故・江藤淳氏によって保守・右派論壇に導入されたもので、「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(江藤『閉された言語空間』文春文庫)を意味するという。

 具体的には、占領期にGHQ(連合国総司令部)が行なった検閲や、NHKラジオ番組「真相はかうだ」に代表される、一連のプロパガンダ事業を指している。現在もこのWGIPについて熱心に語っている右派論壇人の一人が、明星大学の高橋史朗特別教授だ。日本会議の代表的なイデオローグの一人であり、育鵬社の右翼的な中学校用公民・歴史教科書を実質的に支えている一般財団法人「日本教育再生機構」の理事でもある。

 2014年に高橋氏が刊行した『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』(致知出版社)の第3章によれば、WGIP政策を遂行した民間情報教育局(CIE)の主要任務は、日本人の「内部からの自己崩壊」「精神的武装解除」であったとされる。今日の日本が「自虐的にすべて日本が悪かったのだと謝罪をくり返すようになって」いるのは、このWGIPの「成果」だ、というのである。

 東京裁判やその報道、検閲などを通じ、GHQが日本の侵略戦争や戦争犯罪についての認識を当時の日本人に持たせようとしたことは、事実である。有名なところでは、1945年12月15日に出された「神道指令」により、国家と神道が分離され、「大東亜戦争」など国家神道、軍国主義と密接に結びついた用語の公文書での使用が禁じられた。

 また、同時期にCIEは全国紙のすべてに「太平洋戦争史―真実なき軍国日本の崩壊」という記事を掲載させ、同趣旨の内容のラジオ番組「真相はかうだ」をNHKで放送させた。満州事変以降の日本の戦争を侵略戦争とするとともに、責任をもっぱら軍部に負わせるという、東京裁判とも共通する歴史認識を日本国民に提示し、検閲制度とあわせ「太平洋戦争」という用語の定着を図ったのである。

 高橋氏らのWGIP論が史実にそぐわない陰謀論となっているのは、第一に「洗脳」の効果を極度に過大評価し、GHQの占領の終了以降も日本人を呪縛し続けたという、心理学的に無理のある主張をしているからである。

すべてはWGIPのせいか

 前述の『閉された言語空間』に対する一橋大学の吉田裕教授の「アメリカ側の提示した価値観をうけいれるだけの歴史的土壌が日本側にもあったことが、完全に無視されている」(『日本人の戦争観』岩波現代文庫)との批判は、高橋氏の議論にもそのままあてはまる。加害責任の認識より「戦争はもうこりごり」という意識が支配的だったにせよ、アジア・太平洋戦争を批判的に捉える自発的な契機は、日本の庶民の間にもあった。

 WGIP論を陰謀論とする第二の理由は、高橋氏らがWGIPの目的を日本人に「自虐意識を植え付け」ることだと理解している点にある。アメリカ側から見れば「侵略戦争」や「戦争犯罪」は事実に即した認識なのであるから、日本人がそうした認識を持つことが「自虐」であるはずがない。高橋氏らがアジア・太平洋戦争の侵略性を否認し、南京大虐殺に代表される日本軍の戦争犯罪を否認しているからこそ、「侵略戦争だった」「南京大虐殺は事実だった」という認識は、一方的に「自虐意識」だと写るのである。

 この意味でWGIP論は、日本会議や右派の南京大虐殺否定論や日本軍「慰安婦」問題否認論といった個々の歴史修正主義的主張を包括する、メタ理論(注=一理論の、さらに上位の理論)の役割を果たしている。歴史認識に関する右派の攻勢に日本社会がまだ完全に屈するに至っていないことも、また国際社会において日本の右派の歴史認識がほとんど受けいれられないことも、すべてWGIPが原因だとされる。

 高橋氏の最新著『「日本を解体する」戦争プロパガンダの現在』(宝島社)は冒頭、「戦後70年の節目が過ぎた今日も、いまだ戦後の占領政策が日本を支配している」とし、「そこに付け入り、中韓が露骨な反日プロパガンダを仕掛けてきている」とする。つまり、WGIPを起点とする「歴史戦争」が70年間続いている、というのが高橋氏の戦後史認識なのだ。

 何しろ日本の戦争責任を追及する動きをすべてWGIPに根ざした「反日キャンペーン」のせいにしてしまうのだから、高橋氏の歴史認識は主観的には無敵となる。自らの主張が国際社会から(あるいは「左翼」から)否定されればされるほど、WGIPの「呪縛」という決まり文句が、効果を発揮するのである。

対米追随だからできる「反米」

 高橋氏のWGIP論の特徴は、それがアジア・太平洋戦争についての歴史認識のみならず、占領下での改革全般、特に「個人の尊厳」に立脚した家族政策の否定に結びつけられていることだ。「日本国憲法を神聖視し、批判をタブー視する傾向のルーツ」がやはりWGIPにある、というのである(前掲の最新書第5章)。

 日本会議の出版物や公式サイトなどにおいて披瀝されている戦争理解、戦後史認識は、WGIPについての高橋氏の主張こそ前面に出ていないが、その大筋は高橋氏のそれと一致している。アジア・太平洋戦争を侵略戦争だとする戦争理解を「東京裁判史観」と呼び、そこからの脱却を主張したり、教育勅語の否定や「押し付け憲法」が戦後の「教育荒廃=家族破壊」の元凶である――とする点などに、そのことはよく現れている。

 WGIP論に依拠した戦後史理解は、強い「反米」色を帯びている。日本の占領統治を主導したのが米国である以上、必然的なことだ。親米/反米の対立は戦後の保守・右派論壇においてくすぶり続けている火種で、2000年代のはじめに小林よしのり氏らが、親米派を「ポチ・保守」と批判したことで顕在化したこともある。

 だが論壇内でのいさかいならともかく、現実の政治においては、対米追随によって米国の「同盟国」としての地位を確保することが、保守派にとって動かしがたい既定路線となっているのが実情だ。そもそも、大日本帝国の戦争を美化し、その戦争犯罪を否認するような政治団体が公然と存在しているのは、戦後、戦争責任追及が中途半端に終わり、日本が冷戦下で米国の忠実な同盟国として対米追随を選択したから可能だった。日本会議や高橋氏が、米国の許容を逸脱した「反米」路線を追求したら、現在のような影響力はなかっただろう。

 イデオロギー面で日本会議ときわめて近い安倍首相が「侵略の定義は定まっていない」という趣旨の発言をする一方で、正面からアジア・太平洋戦争を「侵略戦争ではなかった」と公言できなかったことも、右派の歴史認識に関する主張の限界を如実に示している。「反米」的歴史認識は、対米従属が可能にしている。右派は、米国が日本の反動的動きを制止するつもりはないのもそのためだと、心得ておかねばならないだろう。

歴史隠蔽偽造主義者たち(2)

日本会議(1)

 前回の最後に予告したように、今日は前回の続きです。さっそく『週間金曜日1089号』(2106年5月27日刊)の特集記事「日本会議とは何か」の第一論考の本文を掲載する。

 日本会議とは、一口で言えば「右派の統一戦線」です。日本の右翼の伝統は少数精鋭主義で、統一戦線は左派のお家芸だった。その統一戦線戦術を実行したのが、日本会議だというわけです。

 この団体には神社本庁のみならず、仏教系の佛所護念会などさまざまな宗教団体、文化人、財界人などが加わっています。①そういう意昧での「統一戦線」なのですが、核になって事務局を掌握しているのは、日本青年協議(日青協)という小さな団体です。日青協は、かつて活発に政治活助をやっていた右派教団である生長の家の創始者・谷口雅春氏の教えを受け継いだ集団です。

 生長の家がすでに政治から手を引き、日青協は教団と組織的つなかりはありませんが、創始者の教えが生きている。その点では他の新興宗教とは合わない部分も大きいはずなのですが、それを巧みにオブラートで包み、本来自分たが持っているものを隠すのがうまい。実際には極右ですが、表面的にはソフト。だから他の宗教団体なども、日本会議に入ってくる。

 知名度は低いですが、日本会義を動かしているのは日青協の彼らだといっていいと思います。

 彼らが影響を受けた谷口創始者の持論は、「明治憲法の復元」でした。改憲ではありません。改憲というと、現行憲法を認めることになる。現行憲法は制定続きに瑕疵があり、正統性があるのは明治憲法だ。そこに戻らねばならない――という理屈なんですね。

 また、敗戦もなかったと。太平洋戦争に敗れたのは、迷いと島国根性に凝り固まった「偽りの日本」だ。「神洲日本国」は破れたのではない――という理屈です。歴史修正主義の、極端なところまでいっている。そうした「教え」を受け継いでいる集団が、今や権力の近くにいるんです。②


安倍政権を支える有力者

 日青協関係者で存在が大きいのは、会長の椛島有三(かばしま ゆうぞう)、日本政策研究センター代表の伊藤哲夫、そして安倍晋三首相に近い参議院議員の衛藤晟一(えとう せいいち)の各氏です。みな生長の家系の民族派学生運動の関係者でした。

 椛島氏は現在、日本会議の事務総長。伊藤氏は、自民党の右派に影響力を持つ人物です。「戦後50年」の1995年、当時自民党と社会党、新党さきがけの連立与党が「侵略戦争への反省」を盛り込んだ国会決議を採択しようとした動きに対して、自民党を中心とした右派議員が猛烈に反発しました。そうした議員は97年2月、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(2004年に『日本の前途と歴史教育を考える議員の会』と改名)を結成します。

 そのナンバー1が、故・中川昭一、ナンバー2が事務局長の安倍晋三の各議員でした。他に下村博文、萩生田光一、高市早苗ら後に安倍政権を支える極右的な議員が育ちましたが、彼らは現在、「日本会議国会議員懇談会」の有力メンバーとなっています。

 当時、若手と呼ばれた彼らを日青協の方向に組織したのは、伊藤氏でした。高市議員が、「私たちの会にお力添えいただいた」と回顧談を書いています。また衛藤参議院議員は、日青協と国会議員をつなぐ、重要なパイプ役でした。

 そして安倍政権の一番大きな問題が歴史修正主義ですが、日青協の歴史観とオーバーラップしているのです。日本が西欧の列強と伍して帝国主義戦争に参加した時代の「栄光の日本」に戻りたいというのが、日青協ら日本会議の中核メンバーの心理ですが、それに安倍首相や側近の下村、萩生田、高市といった議員の歴史観が近い。

 そのため、日本会議の実態は小さなクループの寄り集まりで、実際に地域で動いている活動家はごくわずかでも、このように現在の極右的な政権と非常に密接なので、巨大な勢力のように見えてしまう。しかも小選挙区制では、少しの票が移動しただけでも勝敗が左右されますから、新興宗教団体を中心にさまざまな団体が加わっている「統一戦線」としての日本会議は、議員心理として頼もしく映ります。それで、「日本会議国会議員懇談会」に加盟した方が有利に思われ、多くの議員が参加する。

軍事大国路線との符合

 このように日本会議は戦術が巧みで、実態以上に自分たちを大きく見せるやり方が非常にうまい。その結果、彼らがあたかも現在の日本を覆い、政治を動かしているかのような誇大イメージが現在、あちらこちらに広まっている。

 問題は、日青協=日本会議的な心理が単なる復古主義ではなく、現実的な基盤があるということ。未来志向というか、「これからの日本がどう生き延びていくのか」という、現実的な必要性の議論と関係しているという点です。

 たとえば第二次安倍政権になって武器輸出を解禁しましたが、武器をより効率的にかつ規模を大きくして生産できるようにし、日本の産業の核として確立する。その技術はあるし、軍需産業は裾野も広い。これが日本の産業力を高める方策としてベストだ――という考え方が生まれています。

 それは、今の国際情勢は戦前と同様に資源や市場をめぐる国家間の争いの時代であり、日本が他の諸国に対抗して列強として生きていくにはやはり自衛隊を強大に仕立て上げなくてはいけない。そのためにはこれまでの専守防衛体制を変え、敵地先制攻撃も辞さない「軍隊」を確立すべきだ――という、軍事大国路線とつながる。しかも、経済大国復活路線でもあるのです。

 当然、日本会議のような戦前を肯定する歴史観は、そうした軍事的な路線と合致する。必ずしも、復古主義と片付けられない現実性があるのです。そこが怖い。

 しかし、安倍首相や日本会議の路線がそう簡単に実現するとも思えません。戦後の70年間、憲法の平和主義は国民の大多数の無意識の深いところに根づいています。一方で、隣国を罵って溜飲を下げ、「日本は素晴らしい」みたいな単純美化の傾向も強まっている。戦前を反省するような歴史観も、じわじわと後退している。今や、両者のせめぎ合いが正念場にさしかかっているといってよいでしょう。

 その意味で今回の参議院選挙は、自公に3分の2以上の議席を与えるのか否かという以上に、このせめぎ合いがどうなるかを占う重要な機会となるでしょう。(談)

 赤字部分①②については特集記事「日本会議とは何か」の第四論考と第三論考がそれぞれその関連論考となっている。次回から第三論考・第四論考の順で取り上げることにする。
歴史隠蔽偽造主義者たち(1)

極右政治家たちが関与している極右組織

 歴史を直視できない者たちを捉えている主義主張を「歴史修正主義」を呼ぶことが定着しているが、私はこの呼び方は間違っていると思っている。彼らがやっていることは「修正」ではく「偽造」である。わたくしは「歴史隠蔽偽造主義」と呼ぶことにする。

 歴史隠蔽偽造主義を推し進めている中心にふんぞり返っているのが日本会議である。日本会議についてこれまでに随分いろいろな記事で取り上げてきた。その最初の記事は『天本英世さんの「日本人への遺言」』
の中の三番目の記事『君が代問題について(1)』であった。そこで私は
『「国民・・・」や「日本・・・」という団体は、支配階級の肝いりの団体か、揉み手をしながら支配階級にすり寄る団体と見てまず間違いがない。とても分かりやすくて見まがうことがない。』
と書いていたが、もちろん現在極右政治家を捉えている団体は日本会議だけではない。俵義文さんがホームページに『第3次安倍晋三第3次改造内閣:相変わらずの極右内閣』という分析結果をアップしている。その表を見ていると、いつの間にこんな多数の極右政治家が議員になっていることにビックリした。その表に出てくる極右政治家たちが関与している極右組織を列挙しておこう。

*自民党歴史・検討委員会
*日本会議国会議員懇談会(「日本会議議連」)、 衆参290人(2016.12現在)
*日本の前途と歴史教育を考える議員の会(「教科 書議連」
*神道政治連盟国会議員懇談会(「神道議連」)、 衆参326人(2016.5.30現在)
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会(「靖国議連」)、衆参362人(2016.5.30現在)
*平和を願い真の国益を考え靖国神社参拝を支持する若手国会議員の会
*創生「日本」、安倍が会長の「戦後レジーム」からの脱却、改憲をめざす超党派議員連盟(大部分は自民党)で事実上の「安倍議連」。2010年2月5日の発足時は75人、安倍政権誕生10か月後の13年10月29日の総会時に190人に。15年11月28日に2年ぶりに開催した研修会で190人の国会議員が加入と発表。
*憲法調査推進議員連盟(超党派の「改憲議連」)
*新憲法制定議員同盟(超党派の「改憲同盟」)
*教育基本法改正促進委員会(自民・民主による超党派議連)
*北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(「拉致議連」)
*正しい日本を創る会
*中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会
*映画「南京の真実」賛同者
*米「ワシントンポスト」への「慰安婦」否定の 意見広告に賛同した議員
*アメリカ下院の「慰安婦」決議への抗議文に署名した議員
*米・ニュージャージー州「スターレッジャー」 に「慰安婦」否定の意見広告に賛同した議員
*日教組問題を究明し、教育正常化実現に向け教育現場の実態を把握する議員の会
*親学推進議員連盟。高橋史郎が理事長の親学推進協会と連携して2012年4月に設立
*人格教養教育推進議員連盟。14年6月10日設立の超党派議連。道徳の教科化などを推進。70人。
*文化芸術懇話会。自民党の若手タカ派議員によって15年6月25日の初会合で正式発足。作家の百 田尚樹を講師に招いた同日の会合で、マスコミ をこらしめるには広告料収入をなくせばいい。 文化人が経団連に働き掛けてほしい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを 列挙すればいい」などの意見が出て、大きな問題になった。

 さて、今回から歴史隠蔽偽造主義者たちを取り上げることにしたが、まずはじめに「日本会議」を本格的に取り上げることにする。これからいろいろな本のお世話になるが、まずは『週間金曜日1089号』(2106年5月27日刊)の特集記事「日本会議とは何か」を教科書とする。

 この特集記事の冒頭論説は魚住昭さんによる「右派の統一前線としての日本会議」で、これは魚住さんの談話を成澤宗男さんが聞き手としてまとめた論説である。副題として「復古主義だけではない 現実の怖さとは」が付されている。そして論旨を「事務局を牛耳る極右が正体をカムフラージュしている」と題して次のように述べている。

 近年、国内外で日本最大の右派運動団体とされる日本会議が注目されている。「安倍政権の黒幕」、「日本を支配」といった評価も目立つ。だが、誰がその内部を動かしているのか、どのような経過で生まれてきたのかといった点についてはあまり知られてはいない。その実像を追う。

 相当長くなるので、その本文は次回に紹介しよう。
永遠の不服従のために(64)

思想や芸術は、国家や君主を言祝ぐのを本来拒むものだ

 上の今回の表題は辺見さんの本文の中に出てくる一文です。

 2003年10月23日に「でたらめ都知事」が学校の儀式での国歌・国旗の強制通達を出したが、これが私がブログを始めたきっかけだった。はじめの数ヶ月ほどはこの問題に関連した記事ばかりを書いていたと思う。その後も折に触れて国歌・国旗問題の記事をずいぶん書いてきた。ここでは、まだ読んでいない方に是非勧めたい記事を二つだけ紹介しておこう。
『「日の丸・君が代」強制賛成論批判』(ちょっと長いです)
『世界の国々での学校における国旗・国家の扱い』
 では「オペラ」を読んでみよう。

オペラ
深い思想や芸術というものは、人々をけっして直立不動や敬礼に導かないはずだと思うのです。それに、オペラと「君が代」の組み合わせはいかにも無粋です。
           (翻訳家Mの私へのEメールから)

 友人の翻訳家Mが女友だちとワシントン・オペラの「オテロ」を鑑賞しにNHKホールに行った。7月10日、水曜日、あの台風の夕に。オテロ役のプラシド・ドミンゴの「最上質の天鵞絨(ビロード)のような」テノールを聴くのを昨秋からずっと楽しみにしていたから、おりからの激しい雨も風も気にならなかった。それに、やっとのことで手に入れたS席六万五千円のチケットである、台風だろうが地震だろうがむだにするわけにはいかなかったという。ところが、六時半の開演直前、まったく予想もしないことが出来した。二階席から時ならぬざわめきと拍手が聞こえてきたのだ。はてなにかと見上げれば、首相コイズミ堂々の入場であった。ああ、興がそがれるじやないか、と内心舌打ちしたそのとき、指揮者のワレリー・ゲルギェフとオーケストラがMをさらに驚愕せしめる挙にでた。なんと、コイズミ入場に合わせるように「君が代」の演奏をはじめたのである。いうまでもなく、これは演目にはない。Mは大いに困惑したのだが、満員の客はそうせよというアナウンスもないのに一斉に起立し、声にだしてうたう者も少なからずいて、これまたMをたじろがせた。オーケストラは「君が代」終了後、米国国歌も演奏し、「オテロ」開演はそのあとになったのだそうだ。とんだ災難ではある。

 さて、Mとその女友だちの身体は、「君が代」プラス「ザ・スター・スパングルドー・バナー」(米国国歌)のダブルパンチにどう反応したのか。Eメールによると、「ずっと座っていました。いや、その長かったこと。隣を見ると、彼女も涼しげな顔で着席していました。そうするようにべつに二人で打ち合わせたわけではありませんが……」。眼をこらすと、右前方にもぼつんと一人だけ座ったままの男がいたけれども、ホールは見わたすかぎり直立者の群れであったから、着席したままのまつろわぬ者たちは、目立ちたくなくても目立ってしまう結果になったという。その風景に私は興味を抱いた。Mは起立しなかったわけについて冒頭のような文を書き送ってきたのだが、「無粋」だから立たなかったのだ、というごくあっさりしたものいいに私は感心した。オペラ鑑賞に行ったのに、なにゆえ予告もなく「君が代」を聴かされなければならないのか。まして、なぜに起立しなくてはならないのか。一万歩譲歩しても、コイズミに対するに「君が代」とはこれいかに、ではないか。そのように反発する少数者の気分と権利と身体動作もまた、嫌煙者の権利同様に護られなければならない――などと、私ならやや肩肘張っていいつのったかもしれない。

 だが、どう語りどう書こうが、この種のことは、いうは易く行うは難しなのである。同一方向を向いた数千人の直立者の樹林が現にここにある。樹林の多数の者たちが同じ歌をうたっている。その樹林に和するか和さないか。無心に起立し素直にうたうということのできない個体にとっては、まさに思案のしどころである。起立したところで、自分以外のだれも責めてくるわけではない。逆に、起立しなければ、周囲から譴責(けんせき)の視線を浴びる可能性がある。一方では、和して同ぜずといった、インチキ政治家ふうのいいわけだってないわけではない。つまり、しぶしぶ起立はするが、うたうまではしないといった中間的選択肢もありではないか。「君が代」に心の底から同調しているわけではないこの国の自称革新政治家や新聞記者や作家やテレビキャスターやオペラ評論家らの大方も、苦笑いするかしないかのごまかしの差こそあれ、起立くらいはしているのである。なに、ほんのちょっとの我慢じやないか。さあ、どうするか。

 私はやはり、Mたちの選択にくみする。すなわち、暗い樹林の底に身も心も沈めて、ああいやだ、ああいやだとあの憂鬱な歌の終わるのを首をすくめて待つほかないのである。かたくなにその姿勢をとるのは、だれのためでもない、自分のためだ。自分の内心の贅沢のためである。思想や芸術は、国家や君主を言祝ぐのを本来拒むものだ。Mのいうとおり、直立不動や敬礼を求めてくるとしたら、それは芸術でも思想でもありえない。あれは特別の歌だ。この国の歴史への反省というものをまったく欠いた歌である。あの歌の詞を私は好まない。あの歌が引きずっている途方もない暴力の歴史と、濡れた荒縄でじわじわ心を締めつけてくるような音律を私は好かない。まつろわぬ者への暴力をほのめかすような、あのドスのきいた音階が不気味だ。そのことを、おそらくゲルギェフは知らなかったにちがいない。ゲルギェフ・ファンの私としては、正直、少しばかり失望もしたのだけれど、彼にはなんの罪もないのである。あの歌をどう考え、どう対応するかは、もっぱらこちら側の問題なのだから。ゲルギェフの振るムソルグスキーやチャイコフスキーのすばらしさは、このたびの一件によっても減じられることはないだろう。ただ、私が聴きに行くコンサートでは、後生だから、あの歌だけはやめてほしいものだ。

 あの日、公務も台風被害もものかは、オペラ鑑賞を敢行した首相を当然ながら野党が批判した。それへのコメントを記者団に求められて、彼は「文化を理解しない人はそういうね」と一蹴したのだそうだ。差別的用語をこの際承知で用いるならば、この田舎センスまるだしのコイズミの得意満面ぶりを記者諸氏はもう少し深く解析してみたほうがいい。神風特攻隊や「海行かば」に涙し、靖国を愛し、かつジョージ・W・ブッシュの忠犬でもある御仁が、同時に、世人より文化を解するのだそうである。臍(へそ)で茶をわかすとはこのことだ。オペラに行くのは結構である。だが、人に迷惑をかけずに、もっと粋にひっそりとやれないものか。だれが演出したのか、「オテロ」開演前の「君が代」と「ザ・スター・スパングルド・バナー」ですっかり悦に入り、終幕後にはドミンゴらと握手して大はしゃぎ。このミーハー独裁者につける薬はどうやらなさそうである。

 心優しいわが友Mは、むろん、私のように口汚くコイズミをなじりはしない。六万五千円を返せともいいはしない。コイズミ登場に鼻じろみ、あの歌には座して耐えて、ずぶ濡れになって帰宅したのだそうだ。さんざんみたいなものだが、それでも行ってよかったという。ドミンゴの声にはやはり聴き惚れた、生きていてよかった、と興奮していうのであった。

永遠の不服従のために(64)

横浜市議会での日の丸掲揚問題(2002年5月)

 辺見さんは『不服従』第1章②節で「わあがあよおは―」という表題で国歌「君が代」問題を取り上げている。私はこの論説を用いて《永遠の不服従のために(4)・(5)》で『「君が代」問題(1)』『「君が代」問題(2)』を書いている。

 ところで、『不服従』第6章の①「抵抗」と③「オペラ」はそれぞれ国旗問題と国歌問題を取り上げている。この2節を今回と次回に取り上げてカテゴリ『永遠の不服従のために』を終わることにする。


抵抗

さもなければ
この闇の誘惑から
逃れられるものとてなく 眼は
見出すだろう われわれが
われわれ以下になり下がったのは
ただわれわれのせいだと。何も言わい。こう言う――
われわれの生はまさしく
そこにかかるのだと。
  (ポール・オースター詩集『消失』の「信条」から 飯野友幸訳)

 たぶん高度の試薬だったのである、これは。民主主義の外皮をまとった抑圧的な政治と「民主主義的専制」の愚昧を検知するための。はたして、なにかが鮮やかに析出された。それは、民主主義は民主主義を破壊するというパラドクスであった。つまりこういえるだろう。形骸化した民主主義は本質的な民主主義を圧殺する、と。あるいはこうもいえよう。ファシズムはいま民主主義的にコーティングされつつある、と。

 横浜市議会の議会運営委員会が2002年5月末の議会から議場に日の丸を掲揚することを決めた。「市民の党」の議員だった井上さくらさんと与那原寛子さんはかねがね掲揚に反対していたが、少数会派ということで議運に出席できないため、本会議で議論するよう主張した。思想・良心の自由にかかわる重大な問題なのだから、少数会派もふくめたみんなで掲揚が妥当か十分に討議すべきではないかという理由からだった。ところが、意見は受け容れられず、同月29日、日の丸は掲揚された。彼女たちはこれに抗議、議長に発言を許可するよう求めたが無視されたため、掲揚をやめさせようと井上さんが日の丸のポールに手をかけた。それを咎めた議会事務局職員が井上さんにつかみかかり、議場外に強制排除。井上さんは手に負傷した。このことを理不尽とする二人は6月5日、約6時間にわたり議長席と議会事務局長席に座りこみ、再び職員らにより実力で排除された。市議会は同25日、自民、公明、民主各党などの賛成多数で、二人を懲罰のなかでももっとも重い議員除名処分とした。除名賛成の多数派によれば、彼女たちの行動は「議会制民主主義の否定」なのだそうである。

 時まさにW杯サッカーで国中がさんざめき、日の丸や「君が代」の風景が、第二次大戦以来もっとも事々しく、大々的に、またある意味ではかつてなく無邪気に演出されていたころだ。日の丸も「君が代」も、おのずと不可思議な"市民権"のようなものをえようとしていたともいえる。それだけに、白地に赤いあの旗の掲揚に異議を唱えるのには二人にとってそれなりの気合いが要っただろうし、逆に、彼女らの行動を誹(そし)る多数者側としては、時の勢いにでも乗ったつもりであっだろう。私個人はといえば、あの時期、数万の群衆が一斉に起立したり、声をそろえてひとつの歌をうたうというかおめくというか、おびただしい人間たちのそうした身体的同調が、おそらくその種のことをのべつやっていたかつての中国を知っているせいもあろう、正直、鬱陶しくてしかたがなかった。サッカーは嫌いじやないけれど、まつろわぬ者を許さない勢いの、あのさかりにさかった空気がなにより苫手である。だから、すこしもまつろわぬ女性二人の点景は、なんだか眼にとても心地よかった。

 井上さんたちの立ち居ふるまいをどう見るか、これはけっこう難易度の高いドリルである。期待される模範解答は、
「もとより二人の行為が穏当だとはいえない。だが、選挙で選ばれた議員の資格を失わせてしまうことの重さを、他の議員はどこまで真剣に考えたのだろうか」
「意見表明の場がなかったからといって、こうした行為が許されるはずはない。懲罰の対象にされるのもやむをえまい。しかし、いきなり除名とは何とも乱暴である」(朝日新聞社説)
あたりか。例によって、みずからは毫も傷つかない絶対安全圏からのご託宣である。けれども、極私的見解によるならば、これはかぎりなく屁に近い理屈である。だって、いつもながらひどく臭いもの。第一、社説は風景の中心を「処分問題」にすりかえてしまっている。処分が軽ければよろしい、とでもいうように。風景の中心には、しかし、あくまでもあの旗があるのだ。かりに100人のうち80人が日の丸掲揚に賛成したからといって、残り20人まで日の丸に恭順の意を表さなければならないいわれはない。100人のうち99人が「君が代」斉唱に賛成したからといって、反対する残り1人がともにうたうことを強いられるいわれもない。なぜか。旗の問題も歌のそれも、すぐれて大事な人間の内心の自由の領域に属するからである。それを侵すのは、一見民主的な手つづきをへたにせよ、暴力とすこしも変わらない。

 なにも議長席に座りこむことはないじやないか、6時間もがんばるとはやりすぎた、という議論は彼女たちを心情的に支持する側にもあるし、井上さん、与那原さんともに、それが最善の選択肢だったなどといってはいない。こうした身体的抵抗の程度の問題もまた、処分の軽重のみを論じるのと同様に、事態の本質を解析することにはつながらないだろう。どだい、ほどよい抵抗、歩どまりのいい表現など、どこの世界にもありはしないのだから。この国にはいま、多数意見による少数意見の切りすてが民主主義だとするまことに野蛮かつ原始的な思いこみが、国会から教育現場まで遍在している。こちらの倒錯のほうがよほど深刻である。今後、有事関連法案がまたぞろ態勢をよりいっそう整えて登場したらどうするのか。国会の手つづきをへて多数で可決されたのだから、みんなでこれを受容せよというのか。戦争構造を黙って支えろというのか。これに反対する政党が政権をとるまで100年ほど、ありとあらゆるでたらめを我慢しろというのか。戦争狂ブッシュが国会でさも偉そうに演説するのを、野次一つ飛ばさず、植民地国の怪しげな議員よろしく与野党ともに謹んで聴きたてまつる、ああしたやりかたが、議会制民主主義の「品位」というものなのか。女性二人の抵抗は、貴重な触媒となって、これら解答のけっして容易でない設問をも導きだしたと私は思う。

 米国は民主的な議会手つづきをへてブッシュに非道きわまる戦争発動権限をあたえた。全体主義的社会は福祉国家と戦争国家の特徴を生産的に統一する、とH・マルクーゼは指摘したことがある。ほぼ40年も前に。議会制民主主義と戦争国家の構築もまた、かならずしも矛盾しないのだ。今日ではとくにそうである。こうした時代にあっては、多数者を怖れて沈黙し服従することが、少数者としてどこまでも抵抗することより、何万倍ものひどい害悪を後代にもたらす。

 赤字部分はまさにアベコベ軽薄姑息うそつきカルト政権が作り出し続けている現在の「でたらめ状況」を予見した論調となっている。
永遠の不服従のために(63)

イスラエルの戦争犯罪

 ブッシュが行なったアフガニスタンへの戦争犯罪については『国家テロリズム(1)』『国家テロリズム(14)』で取り上げたし、ブッシュの二度目の戦争犯罪(イラク侵略)については『ポチ・コイズミの悪政(1)』『ポチ・コイズミの悪政(2)』などで取り上げた。(ただし『不服従』はイラク戦争以前に出版されているのでイラク戦争関連の記事はないので『いま、抗暴のときに』を用いた。)

 『不服従』第8章の④「一トン爆弾」は、ブッシュが全面的に支えていたというイスラエルによるパレスチナへの戦争犯罪を取り上げている。今回はこれを紹介しよう。

一トン爆弾

喉(のど)をからして叫べ、黙(もく)すな
声をあげよ、角笛(つのぶえ)のように。
私の民に、その背(そむ)き ヤコブの家に、その罪を告げよ。
           (イザヤ書第58章「神に従う道」から)

 一トン爆弾というしろものがこの世にいつごろ登場したのかは知らないが、太平洋戦争中の日本本土空襲ではすでに数多く投下されている。その爆風だけで大阪城の北東側天守閣のあの大きな石垣が乱杭歯(らんぐいば)みたいにずれてしまったのだから、とてつもない威力だ。

 1998年に豊中市で一トン爆弾の不発弾を処理したときのもようを調べていて驚いた。半径500メートル以内は立入禁止で、14,000人が避難し、阪急電車も運休したというのである。処理にあたった自衛隊が、それほどの破壊力を想定したということだ。ベトナムで着弾現場を見たことがあるが、クレーターに雨水がたまり、深く大きな池になっていた。米軍はベトナム戦争中に一トン爆弾でダムを破壊し洪水を起こそうとしたともいわれる。そのころから、あの爆弾にはさらに手が加えられ、いまでは電子誘導装置がつき、破壊力もいちだんと増した。

 イスラエル軍のF16戦闘機がその一トン爆弾をパレスチナ・ガザ地区の民家に投下、爆発させた。コンクリート造りの建物5棟が一瞬にして瓦礫になった。現地時間2002年7月22日深夜のことだ。これにより15人が殺され、250人が負傷した。死亡者のうち9人は子どもである。これはいわゆる誤爆ではない。イスラム原理主義組織ハマス幹部のシャハダ氏の爆殺が目的であったとイスラエル政府が公言している。だが、人を一人殺すのになぜ一トン爆弾なのか。爆破空間を広げて、ターゲットが逃亡できなくするためだったという。この作戦にあたり、軍幹部はアリエル・シャロン首相に対し、民間人多数に被害がおよぶことになると具体的に説明したのだが、シャロンはそれでも作戦実行を指示したとされる。これは明々白々たる虐殺行為である。

 イスラエル軍はこれまで、パレスチナ指導者殺害作戦に際しては、通例、破壊力のかぎられた小型誘導ミサイルをヘリから発射したり、特殊部隊に狙撃させたり、小型特殊爆弾をしかけたりしてきた。たとえば、ハマス軍事部門のアヤシュ司令官は96年1月、イスラエル秘密工作員のしかけた携帯電話爆弾で暗殺されている。これにしても残虐は残虐なのだが、あからさまな無差別殺戮(さつりく)については、82年の西ベイルートにおける大量虐殺が国際世論の非難を浴びてから、少なくとも表面は抑制するそぶりくらいは見せていなくもなかった。だが、このところのイスラエルによる殺戮行為はとても正気の沙汰ではない。干し草のなかの針一本をさがすのに、干し草全体を焼き払ってしまう米国方式(=日本軍も中国で同じことをした)を真似しているかのようである。いや、ここまでくると、イスラエルにはパレスチナ人とその居住空間、文化、社会を物理的になきものにしてしまおうという底意があるのではないかとさえ思えてくる。

 なぜだか、『ショアー』というドキュメンタリー映画を思い出した。ナチ収容所の生き残りユダヤ人ら38人の証言で構成した凄まじい大殺戮の記録であり、記憶の風景を映像化しえた奇跡的作品であった。これはまちがいなく20世紀ドキュメンタリー映像の最高傑作の一つであろう。ここには、被害者ユダヤ人たちの呻吟(しんぎん)と怨みのすべてがこめられていた。ショアー(SHOAH)とは、絶滅、破壊、破局を意味するヘブライ語である。しかしながら、これはいったいなんということであろうか。歴史の皮肉というさえ空恐ろしくなる。旧被害者ユダヤ人たちはいま、みずからがなされたショアーを、新被害者パレスチナ人に対し行いつつあるのだから。『ショアー』の監督クロード・ランズマンもまた、イスラエル政府のやり方をおおむね支持しているといわれている。なにをかいわんや、だ。ランズマンは映画でたしか「私は彼らに、決して滅びることのないとこしえの名を与えよう」(イザヤ書)を引用していたはずだ。「彼ら」とはユダヤ人だけなのか。冗談ではない。  人間は歴史に学ばないものなのだろうか。被害の歴史に学び、その途方もない痛みと嘆きの記憶から、金輪際、加害の側にはまわらないという決心ができなかったものか。想像するに、シャロン政権においてはどうやら被害の記憶が変形して、かつてみずからがなされたことを他者になさずにはいられない、逆転の妄執が支配しているかのようである。コンクリート塀をめぐらせてパレスチナ人を閉じこめる「防壁」作戦のイメージは、かつての絶滅収容所の冷たい壁やゲットーの記憶が変形して無意識に浮かびでてきたものではないか。人間はどこまで非人間的になることができるのか。前世紀から引きずっているこの根源のテーマが、ほかでもない歴史的にもっとも非人間的仕打ちを受けてきた者たちの非人間的行動の継承と繰り返しにより、いままたわれわれの眼前に立ちあがってきたことをどう考えればよいのか。

 シャロン政権にはもはやナチス・ドイツを非難する資格はない。それを全面的に支えているブッシュ政権にこれ以上、正義や人道や文明を語らせてはならない。理非曲直を明らかにするのはわれわれなのであり、まずもってブッシュやシヤロンたちを戦争犯罪人として告発すべきであると私は思う。米英両軍によるアフガン空爆についても同様だが、イスラエル軍によるパレスチナヘの一トン爆弾の投下に無関心でいられるとしたら、世界にはもういかなる見通しも出口も光明もない。慣れっこになっているというのなら、われわれは二度と人間の価値を口にすべきではない。これを座視できるのだとしたら、思想も芸術も学問もジャーナリズムもない。だがしかし、そう息まけば息まくほど、日本という国では赤錆のような疲労感だけが浮いてくる仕掛けになっているのはなぜなのだろう。ブッシュやシャロンの狂気をさして異様とも感じさせない別種の視えない狂気と無知が日本を覆っているからだろうか。

 と、ここまで書いたところで、ヨルダンにいる友人からEメールが届いた。アンマンのインターネット・カフエからだ。先日、死海のあの油のような水にぷかぷか躰を浮かせていたら、対岸の灯がおぼろに揺れて見えたのだという。死海の西側のその灯はとても悲しげで、とてもとても遠く思えた、とメールにはあった。ガザはさらに遠く、地中海沿岸だけれども、メールの向こうに私は一トン爆弾の野太く赤い火柱が立つ風景を思い描いた。

永遠の不服従のために(63)

有事法制(7)

 カテゴリ「有事法制」の最終記事として『不服従』の最終記事「仮構」を取り上げることにした。「仮構」はこれまで紹介してきた「有事法制」関連記事を集大成したものと考えられるが、さらに進んで「有事法制」関連法の中身を具体的に分析している。もちろん「有事法制」関連法の成立に加担しているようなマスゴミへの批判もさらに鋭くなっている。枕は次の通りである。
しかし、月と名づけられたきみを
あいかわらず月とよんでいるのは、もしかしたらぼくが
怠慢なのかもしれない。(フランツ・カフカ「ある戦いの記録」『カフカ全集2』から前田敬作訳)

 本文の冒頭に「クリシェ」という私の知らない言葉だでてくるが、どういう意味なのか。パソコンにインストールして利用している『英辞郎』は次のように説明している。
『cliche 【変化】《複》cliches、
【名】《フランス語》(陳腐な)決まり文句、月並みな考え、陳腐な表現』

 本文は次のように始まっている。

 例えば、月はもはや月ではないのかもしれない。ずっとそう訝ってきた。でも、みんながあれを平然と月だというものだから、月を月ではないと怪しむ自分をも同じくらい訝ってきた。引用したカフカの文は「ぼくがきみを〈奇妙な色をした、置き忘れられた提灯〉とよんだら、きみは、なぜしょんぼりしてしまうのだ」とつづく。そうだ、これが怠慢のわけである。失意や反感をおそれるあまり、すでにその名に値しなくなったものをその名で呼んでしまうことはしばしばある。そうするうちにも、仮構の風景は日々、無意識に、着実に、誠実に、勤勉に、鈍感に、露ほどの悪意もなくつくられている。その作業に言葉が動員される。言葉の芯に鬆(す)の立った言葉と、何日も野ざらしになった犬の糞みたいなクリシェが、大量に。それは風景の捏造(ねつぞう)というものだ、と何度声張りあげたことか。疲れる。まともにつきあっていると、こちらの言葉にも躰にも鬆が立ってくる。言葉が犬の糞になる。なじった相手から染るのだ。だから疲れる。黙すこと。黙しがたきを黙すこと。引きこもること。ほんとうはそれがいちばんだといつも腹の底では思っている。けれども、人間ができていないものだから、ついまた口にしてしまう。

 国会が有事法制関連三法案を継続審議とすることを与党の賛成多数で決めた。反対派の力で不成立となっだのではない。いわば「敵失」(与党にとってみればオウンゴール)でこうなっただけのことだ。早稲田大学で戦術核保有は違憲ではないというでたらめ発言をした安倍晋三官房副長官らは、なに羞じることなく、秋の臨時国会では有事法案をかならず成立させると力説している。その安倍がしきる内閣官房は、法成立後二年以内に整備するとして先延ばしした五つの追加法制案ごとに、関係省庁を横断した作業チームを設置するのだという。すなわち、

 国民の保護

 自衛隊の行動の円滑化

 米軍の行動の円滑化

 捕虜の取り扱い
⑤ 
武力紛争時における非人道的行為の処罰
――の五チームを編成、案文の検討などをはじめると新聞はごく地味に伝えているけれども、仮構の風景はこうして何気なくつくられていく。五チームの設置は「武力攻撃事態法案」第23条に基づくものだが、今後の追加法整備がどう推移し、この国にどれほど巨大な戦争法制システムができるかについては、専門記者だって正確なイメージをもっていないにちがいない。どだい、「国民の保護」だとか「国民保護法制」だとか、おぼっちゃま記者たちが官報よろしく役人からいわれたとおりに書いているようでは話にならない。有事の際の「警報発令」「避難指示、避難地確保」「被災者救助」「社会秩序の維持」……これが「国民保護法制」の中身なのだと、さも当然とばかりに若い記者たちは報じる。戦争も戦場も知らないのだ。いや、知ろうともしていない。言葉を巧みにすり替えた政府案が、そのじつ、灯火管制、夜間外出禁止令、立ち退き命令、疎開命令などの国民に対する命令・強制の法規であることに気づいていない。

 「社会秩序の維持」にしても、実際には、労働・社会運動の抑圧、思想・言論統制、スト禁止につながることに思い至らない。

 「国民保護法制」なるものの中核の一つには、民間防衛組織の確立があり、これが住民相互監視、告げ口、軍事教育、防衛訓練を導くことになることに思いをはせていない。

 要するに記者たちは、この面であきれるほど素人であり、ナイーブ(ばか)なのであり、不勉強であり、事態をなめてかかっているのである。なにが「国民保護」なものか。完全なる「国民強制法」ではないか。官製の言葉で風景を捏造するために記者になったわけではないだろう。この国で見る月はもはや月ではないかもしれないのだ。だとしたら、あの一見まるいものを以前と同じように「月」と呼ぶのは怠惰というものだ。以下の問題も、ただいわれたとおりに伝えるのなら、風景の仮構にすぎない。

 福田康夫官房長官が、衆院有事法制特別委員会の質疑で、有事における国民の私権制限についての政府見解を示し、
「国および国民の安全を保つという高度の公共の福祉のため、合理的な範囲と判断される限りにおいては、その制限は憲法第13条(個人の尊重)などに反するものではない」
と述べた。第19条(思想および良心の自由)と第20条(信教の自由)についても
「内心の自由という場面にとどまるかぎり絶対的な保障である」
という一方で、
「外部的な行為がなされた場合には、それらの行為もそれ自体としては自由であるものの、公共の福祉による制約を受けることはあり得る」
と語ったという。なにやら遵法(じゅんぽう)を衒(てら)っているようで、これほど憲法を虚仮にした話はない。小泉内閣においては、憲法に違反し戦争を構えるということが、「国および国民の安全を保つという高度の公共の福祉」だというのだから驚き、桃の木、山椒の木である。「それ自体としては自由であるものの、公共の福祉による制約を受ける」にいたっては、まるで判じ物であり、憲法だけではない、言語そのものの否定である。これを言葉として理解しろというのか。人を愚弄するのもたいがいにしたほうがいい。もっともらしい言葉の芯に、醜い鬆が立っている。新聞はその鬆入りの言葉にみずから同化し、それが広く伝播するにまかせているのだから罪深い。「外部的な行為」とは、どうやら、自衛隊法改正案第125条などが定める有事の際の物資の保管命令のことのようだ。思想、良心、信仰がどうあれ、拒否したら懲役刑だというのである。これは人の実存の根源にかかわるテーマにほかならない。

 有事法案とはすぐれて人の内面にかかわる問題である。いま構築されつつある巨大な有事法体系はこの国の骨格だけではなく人々の心性の質をもひどく変えてしまうことはまちがいない。奉仕活動促進や愛国教育を求める中教審の答申も有事法体系と無縁ではない。憲法9条だけではない、13条も19条も殺されようとしている。民主党は、自民党の思惑どおり、早晩有事関連法案修正協議に応じるだろう。日米新防衛協力指針(ガイドライン)、周辺事態法、テロ対策特措法成立の流れにマスメディアは無抵抗だった。それどころか、平和の風景を捏造してこれら戦争関連諸法案を過小評価してみせた。しかし、いまどんなに宣伝し操作しても、月は月ではない。なのに、まだあれを月だといいはる者が反対運動のなかにまでいる。これでは秋口以降、有事法案がとおりかねない。疲れる。沈黙したい。だが、やはり黙すことができない。月はほら、どう見ても月ではないのだから。まるい形をした狂気なのだから。

永遠の不服従のために(62)

有事法制(6)

 前回、自由民主党の実態は「不自由民非党」だと書いたが,俵義文さんがサイト「ピースフィロソフィー」でその詳しい分析をしていた。紹介しておこう。
『第3次安倍晋三第3次改造内閣:相変わらずの極右内閣』

 さて、「でたらめ C」は「意識的にマスメディア化する権力と無意識的に権力化するマスメディアの融合一体化」がテーマだが、その論述は早稲田大学の「大隈塾」発足時(2002年4月15日)に来賓として招かれたポチ・コイズミに対応した田原総一朗と筑紫哲也に対する厳しい批判を軸に進められている。なお、その論述のキーワードとして「メディオロジー」という学術用語が使われている。私はこの学術用語にも初めて出会った。この学術用語については辺見さんの解説で充分だと思うが、より詳しく知りたい方のために私が読んだPDFファイルを紹介しておこう(どなたが書かれたのか、作者名が明記されていませんでした)
『メディオロジー概要』

 では、本文を読んでいこう。



 「メディオロジー」という聞き慣れない学域を拓いたのは、フランスの思想家・作家レジス・ドブレであった。じつにカラフルな生き方をする人で、かつては中南米でカストロやゲバラとともにゲリラ戦を戦った。かと思えば、ひとしきりミッテラン政権の中枢で働き、案の定というべきか、ミッテランとも結局、袂(たもと)をわかった。この過剰なる経験と才気の主は、しかし、権力内部での省察をとおし、「権力のマスメディア化」というきわめて重要な発見をしている。それに教えられたこともあって、「意識的にマスメディア化する権力と無意識的に権力化するマスメディアの融合一体化」が、いまの時代のファシズムを特徴づけている、と私は主張してきた。ファシズムとはきょうび、メディア・ファシズムでもある、と。要するに、権力とマスメディアはいま、戦前・戦中期とはことなる新しい位相のなかで、ハネムーン期というか、およそ慎みのない"交尾期”に入っている。メディアはときに権力との対立を装い、情報消費者の多くも、まるで猫の交尾の声を喧嘩と聞きちがえるように、手もなくだまされてしまっている。でも、仔細に見るならば、両者は、ほら、いつ果てるともしれないほど淫らにまぐわっているではないか。

 ドブレのいうメディオロジーは、単純なメディア論ではない。人間集団の象徴活動を、それを支える伝達・輸送・流通などの技術的角度からもとらえ直そうという知の新しい領域であり、かぎりなく多義的である。こうした観点からすれば、「大学」という名の象徴空間もまた、メディオロジーの好個の観察対象であるべきであろう。

 前置きがえらく長くなってしまったが、安倍晋三という人物が核兵器や憲法にかんしてでたらめな発言をくりかえした場となった早稲田大学の「大隈塾」なる装置についても、メディオロジー的方法によって考察されていいのではないかと私は考えた。まず、この「塾」がアカデミズムとはおよそ対蹠的なテレビ文化人を「塾頭」として立ち上げられ、テレビの討論番組と見まがうような演出で"講義"がなされていたことに注意しなくてはならない。そのこと自体、メディオロジー的にいえばなにも悪いことではない。2002年4月15日の塾発足にあたり、小泉首相が来賓として大隈講堂に招かれてあいさつし、田原総一朗塾頭や筑紫哲也さんが首相にいろいろ質問したこともまた、メディオロジー的考察からすれば、善悪判断の基準足りえない。「なぜ伝達するか」は人類学、「なにを伝達するか」は倫理学、「それをどう伝達するか」が「歴史学的メディオロジー」の問題だ、とドブレはいうのだから (『メディオロジー宣言』)

 メディアと権力にいかなる境界線もなくなりつつあるように、大学資本もまた早稲田にかぎらず、「学の独立」など今は昔、無意識にマスメディア化したがっているように見える。誠実で学識深く訥弁(とつべん)の学者よりも能弁なテレビタレント(ないし、タレント兼学者)を、よしや彼が香具師(やし)のような者であれ、ばか学生たちは喜ぶのである。ま、人間からなにを学ぶかという観点からするならば、これとてかならずしも排除すべきことがらではないけれども。資本としての大学当局も、少子化対策など難しい経営の先行きを考えれば、学生受けするけばけばしい目玉商品(授業、学内イベント)がほしいのである。大隈塾というものを、私はそうしたメディオロジー的視座でいったんは考えたのだった。つまり、今日的な大学経営がほぼ法則的におちいる滑稽な堕落であり、いかにもテレビ的な茶番でもある、と。

 だがここにきて理外の理みたいなものいいにわれながら飽きてきた。このたびの風景には、メディオロジーを超えて、やはり素朴に首をかしげざるをえないのである。取材記者や学生らのメモによると、4月15日、小泉首相をもちあげる田原氏の冒頭発言に対し、首相は「さすが田原塾頭の話は聞かせますね」「日本の政治家の質をサンプロ(辺見さんによる注:「サンデープロジェクト」のことか)が変えた」「田原さんの質問に答えられないと合格点じゃない」などと応じたのだという。田原氏はまた首相に対し、執政二年目を迎える「抱負と覚悟」について問うている。筑紫哲也さんもこれに関連し、一年間の仕事の「自己採点」を求めると同時に、「指導者にとっていちばん大切なものはなにか」と質問し、首相は「マックス・ウェーバーの言葉を借りれば、情熱、使命感、先見性、これだと思う」などと答えたのだという。

 読者は田原氏や筑紫さんのなにが問題なのだと反論するかもしれない。なにも問題ないではないか、と。そう、問題ないといえば問題ない。けれども、4月15日のやりとりの大要を読んでいて、私はなぜだか少しずつ顔が赤らむのを抑えることができなかった。メディオロジーの乾いた理屈を忘れて赤面したのである。怒りのためではない。なんだかわがことのように恥ずかしかったのである。二人の大先輩を前に、いまさらジャーナリズム論など語る気もない。ただ、この風景をこの時期、恥ずかしいと感じるか感じないか――それが、お二人と私を遠く遠く分かつ人間的な分水界なのだとは思う。

 察しのいい向きはもうお気づきかもしれない。4月15日とは、時あたかも4月16日すなわち有事法制関連三法案を閣議決定した夜の前日であり、小泉はいわずもがな法案推進の急先鋒である。歴史的メルクマールとなる日を翌日にひかえ、このブッシュの子分のような男に、抱負だの覚悟だの指導者にとって大切なことだの、あたかもデキレースみたいなことどもを、私ならとても訊けはしない。右とか左とかの話ではない。これはジャーナリズムの最低限の衿持(きょうじ)と、ごくごく初歩的な「恥」にかかわる問題ではないか。

 筑紫さんは安倍官房副長官の問題発言の後も、それが大きく報道されたことについて「授業内容をこういう形でリークされる、伝えられるというのは、私はなんというか、ルール違反だとは思うんですね」(6月5目、「NEWS23」)とコメントしている。そうであろうか。核兵器、憲法、先制攻撃……どれをとっても安倍発言は、聴いていて怒らないほうがむしろおかしい。学生運動の活動家だろうがノンポリ学生だろうが、これを聴いてなにも感じないようなら学生をやめたほうがいい。いわんやジャーナリストにおいてをや、である。安倍のでたらめ発言は当然、満天下に知らしめて正解だったのである。

 筑紫さんはいったいだれの側に立ってルール違反といっているのであろうか。ルール違反を批判するなら、安倍副長官らの超弩級の憲法違反についていいつのるべきではないのか。筑紫さんたちが小泉とともに大隈塾発足を言祝(ことほ)いだ翌日に閣議決定された有事法制関連三法案――これこそが、この国最大かつ最悪のルール違反ではないか。

永遠の不服従のために(61)

有事法制(5)

 ③「でたらめ B」は有事法制に先だって有事法制制定の道筋を作った「三矢研究」(1963年2月)を取り上げている。私は「三矢研究」という言葉を何度か目にした記憶があるが、詳しいことは知らなかった。今回、「でたらめ B」を読んでその内容にびっくり仰天した。私は今、密室で行なわれたその研究と同じ事が現在でも密かに継続されてているのだろうという懸念を払拭できない。でたらめな連中が作り上げているこのおぞましい国家の支配体制を覆す方策は一つしかない。その「でたらめ」の中心を担っている自由民主党を支持している人たちがその党の正体(不自由民非党)を知って目覚めることである。(情けないけど、まあ、無理だろう。このグーミンたちに目覚めるときは来ないだろう。)

 「でたらめ B」には「でたらめ男」が続々と出てきて実におぞましい内容であるが、しっかりと読んでおこう。


 密室を想像する。ときには紗(しゃ紗)の、またときには緞帳のようにぶ厚いカーテンに閉ざされた、淡く薫(た)き物の香りのする密室。そこには独特の言語圏がある。外からは計り知れない不可思議な符帳が語られる。遮光のあんばいで声音が変わる。出席者の貌が影で毒々しく隈取られる。外光がさえぎられるかげんに応じて、声がくぐもっていく。そして、戸外の光が完全に遮断されたとき、人の死ないしそれにむすびつく話、すなわち〈戦争〉が話し合われる。そこに、この国独特の言語圏がある。そこで彼らの特殊言語が培われる。ある種の者たちにとって、密室ほど蠱惑(こわく)的な空間はない。人の死を、しかもおびただしい死を手中にしている幻想に浸ることができるからだ。しかし、カーテンが開かれるとき、隠微なその言語圏はたちまち闇とともに姿を消し、出席者らは一、二回わざとらしい咳ばらいをしたのちに、眩(まばゆ)い陽光のもと、にわかに常人を仮装しはじめるのである。

 1963年2月、東京・市ヶ谷の統幕講堂は右のような意味での「密室」であった。陸海空自衛隊の制服幹部ら84人が極秘裏に、朝鮮半島を中心とする戦争の図上演習を行うとともに、それにさいしての国家の全面管理について話し合っていた。いわゆる「三矢研究」(昭和38年度統合防衛図上研究実施計画)であり、戦後日本でははじめての本格的な有事研究だった。演習は第一動から第七動までの想定に基づき、
 第一動では、韓国情勢が悪化、韓国軍が反乱を起こしたとする。
 第二動は、韓国反乱軍に対し北朝鮮軍の支援が行われ、米軍がこれに反撃。
 第三動は、北朝鮮軍が38度線を突破して新たな朝鮮戦争に発展、自衛隊が出動を準備するとともに、日本国内の総動員体制が樹立される。
 第四動は、自衛隊と米軍の共同作戦。
 第五動では、西日本が攻撃を受け、朝鮮半島では戦術核兵器が使用される。
 第六動では、ソ連軍が介入。
 第七動では、日本全土にソ連軍の攻撃がなされ、全戦場で核兵器が使用される。しかし北朝鮮、中国に反攻作戦が展開され、核の報復攻撃も実施して最後的に米側か勝利する。

 白昼夢か妄想か倒錯か。だが、これは一部の単純な狂信者による戦争ごっこではない。統合幕僚会議事務局長であった田中義男陸将の主導で行われ、制服からは「集めうる最高のスタッフ」が参加し、防衛庁内局、在日米軍司令部からも少人数が出席した。「密室」周辺ではものものしい警備がなされ、出席者全員が腕章をつけ、部外者の立ち入りは一切禁止されたという。図上演習は戦闘のシミュレーションにとどまるものではなく、第三動にさいしては、87件にもおよぶ非常時(有事)立法を成立させて政治、経済、社会を全面管理する国家総動員体制を確立するという、憲法など歯牙にもかけない研究が本気でなされたのであった。

 この三矢研究の「国家総動員対策の確立」のなかでとくに鳥肌が立つのは、「人的動員」の項目で、「一般労務の徴用」「業務従事の強制」「防衛物資生産工場におけるストライキの制限」「官民の研究所・研究員を防衛目的に利用」「防衛徴集制度の確立」(兵籍名簿の準備・機関の設置)「国民世論の善導」などを、制服組が当然のごとくに論じていることだ。さらに、「国民生活の確保」の項目では、「国民生活衣食住の統制」「生活必需品自給体制の確立」「強制疎開」「非常時民・刑事特別法」「国家公安維持」などが語られている。まさに「軍政」そのものである。

 なにかに似ている。そう、文言こそ故意にソフトかつ曖昧にされているが、現在の有事関連三法案に相通じるなにかがある。いや、三法案には三矢研究と地つづきのなにかがあるというべきか。三矢研究はもうひとつ、核戦争の可能性についてもシミュレーションしたという事実を伝えている。「密室」の言語圏では「核」は少しもタブーではなかったのだ。安倍晋三官房副長官が早稲田大学で「戦術核を使うということは昭和35年の岸総理答弁で、違憲ではない、という答弁がされています。ですからそれは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです」と発言した心性と論理も、そうした密室言語圏となんらかのかかわりがあるのではないかと私は想像している。安倍発言の弁明にまわった福田官房長官による非核三原則見直しに通じる発言もまた、福田や安倍らがカーテンで閉ざされた彼らだけの密室にあっては、憲法だけでなく非核三原則も邪魔もの扱いにする話をごく普通にしているであろうことを示唆するものである。

 さて、1965年2月になって社会党の岡田春夫議員により衆院予算委員会で暴露され、「軍事クーデターの研究」と騒がれたこの三矢研究で、野党の総攻撃の矢面に立ったのが小泉首相の父、小泉純也防衛庁長官であった。いっときは「作戦として仮想敵国を考えるのは当然」といった趣旨の反論をするなど突っ張りもしたが、メディアや野党の猛攻の前に結局、辞任に追いこまれている。息子の純一郎は当時、慶応の学生であり、父親が連日野党の攻撃にさらされるのを間近に見た。これがルサンチマンとなりまたトラウマともあいなって、現在の夕力派ぶりが形成されたのではないかという、うがった見方が一部にあるのは周知のとおり。これに加えて、有事法制研究を首相みずから指示したのは77年、福田赳夫(たけを)首相、安倍晋太郎官房長官の時代であったことも忘れえない史実だ。福田首相は、民間防衛体制確立にも熱心な夕力派中の夕力派であり、その体質が「安倍派をへて森派へと受け継がれ、現在の小泉首相・安倍晋三宮房副長官の代まで有事法制の血脈を伝えたのだとも考えられる」(前田哲男氏)という。福田首相のせがれが福田康夫官房長官、安倍官房長官の息子が安倍晋三官房副長官とくれば、三バカジュニアを結ぶひとすじの"黒い糸"が、おぼろおぼろに見えてこようというものだ。

 彼らにさらに加えるに、「私か総理だったら、北朝鮮と戦争してでも(拉致被害者を)取り戻す」と吠えた石原慎太郎、「私と小泉君、石原君の三人のDNAは一致するところがかなりある」と託宣したという中曽根康弘元首相、防衛庁個人情報リスト問題で報告書内容を隠蔽するよう指示したとみられている山崎拓自民党幹事長ら……。老いたる夕力派の情念と親の七光り組の屁理屈、自衛隊制服幹部らの増長が渾然として重なり、日々に発生せしめている悪気流――それがこの国の今日的ファシズムではないか。彼らには「密室」がある。そこでのみ通じるジャーゴン(<管理人注>仲間うちにだけ通じる特殊用語)がある。彼らは密室の言葉と外向けの言葉の二層言語を巧みに使い分ける。神妙なふりして少しく謝ってみせても、密室に戻るや、べろりと汚い舌をだし呵々大笑している。ファシズムはいま、W杯サッカーに打ち興じるマスコミと民衆にも支えられて、意気軒昂である。

 「べろりと汚い舌をだし呵々大笑している」でたらめ男たちの醜い映像をブログ「営業せきやんの憂鬱」から転載しよう。(8・15日。ブルジョア支配階級の元締め一人笹川の別荘に招待されご馳走にありついたときの映像だそうだ)
でたらめ男たち
永遠の不服従のために(60)

有事法制(4)

 これまでテーマにしてきた以外の節は飛ばして、第7章の③「でたらめ」を読むことにする。枕には『大辞林』の「でたらめ」の項を引用している。
でたらめ【出鱈目】(名・形動)
〔「出鱈目」は当て字。「め」はさいころの「目」で、「出たら出たその目」の意〕
筋の通らないことやいい加減なことを言ったりしたりする・こと(さま)。また、そのような言葉。「-な話」「-を言う」「-な男」
                (三省堂『大辞林』第二版から)

 さて、「でたらめ」はA・B・Cの三節で構成されていて、「でたらめな男」達が次々と登場するが、まずAに登場するのは当時(2001年)ポチ・コイズミの下で官房副長官をやっていたアベコベ晋三である。現在、アベコベ軽薄姑息うそつきカルト政権がしゃにむに「でたらめな悪政」を行なっているが、それらがポチ・コイズミの腰巾着のときからの念願の事項だったことが「でたらめA」を読むと良く分かる。(ちなみに、その悪政の数々を『マスゴミが報じる世論調査は信用できるか』で列挙しておいた。)

 では「でたらめA」を読んでみよう。


 まだ日中の暑熱のこもる逢魔(おうま)が時に散歩から戻り、汗を拭き拭きテレビをつけたら、若い女性のキャスターだかアナウンサーだかが、「防衛庁による情報公開請求者リスト作成が、カイジョウマクリョウカンブだけでなく……」と涼しい顔してニュースを伝えており、はて、マクリョウカンブとはなんだろうと思案することしばし、ああ、そうか「海上幕僚監部」のことかと、からくも了解、彼女としては「幕の内弁当」の幕だからマクと読んだまでで、あれをバクと読んだら、お弁当はバクノウチになってしまうじゃないの、といった至当の判断がはたらいたのかもしれないと私は想像し、にしても、「マクリョウ」とはそぞろに気の抜けた、とてもではないが戦うに戦えない、かえってほれぼれするほどいい響きだなあと感じ入ったことではあった。そばにいた男のキャスターが眼をつり上げて「バクリョウ」といいかえていたけれども、なにも色をなすことはない、有事法制論議かまびすしいおりから、幕僚を読みちがえた彼女の言語センスは、テレビ業界における識字率の途方もない低さをものがたるものとはいう定、どこかしら健全といえば健全なのだから。かかる言語状況にかんがみ、防衛庁もいっそ幕僚の読みを統一してマクリョウとしてはどうか。統合幕僚会議は、すなわち、統合マクリョウ会議である。シビリアンーコントロールなどどこ吹く風、あろうことか情報公開請求者の個人情報を調べ上げ、そのリストまで作成して、シビリアンを監視しコントロールしようとたくらむ反国民的幕僚たちなど、マクリョウと呼ぶさえもったいないのだけれども。

 このところのうつせみのでたらめのほどを論じるとするならば、右の彼女の誤読など、むしろほめてあげたいくらいのものだ。比するに、『サンデー毎日』がスクープした安倍晋三官房副長官の早稲田大学における発言はでたらめの極みといっても過言ではない。ここになぞるだけでも吐き気をもよおすが、この現職の政府高官は学生たちに対しこれだけのことをいってのけたのである。
「有事法制を整えたとしてもですね、ミサイル基地を攻撃することはできます……」
「先制攻撃はしませんよ、しかし、先制攻撃を完全に否定はしていないのです……」
「(日本に対するミサイル攻撃に着手した)基地をたたくことはできるんです、憲法上ですね」
「大陸間弾道弾はですね、憲法上はですね、憲法上は問題ではない」
「日本は非核三原則がありますからやりませんけども、戦術核を使うということは昭和35年の岸総理答弁で、違憲ではない、という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです」
「憲法自体を変えるというのは……ちやんとやらなければいけないと思うのですが、安全保障の問題というのはいつ突然起こるかわかりませんから、解釈を変えておかないとですね、もう詭弁に詭弁を弄していますから、限界なんですよね」
「アメリカがイラク攻撃するということになったら、きわめて日本は悩ましい選択になるだろうと思うのですが、昨年つくったテロ特措法では協力できない。……イラクは周辺事態ともいえませんから、周辺事態法でもいけません。新たな法律をつくらないと私は難しいと思います」(同誌2002年6月9日号)

 おぞましさをこらえて引用しつつ、二つの言葉を思い出した。一つは、いわば畑ちがいだが、チャールズ・ブコウスキーのエッセイ「政治ほどくだらないことはない」にでてくる嘆息。
「そのような状況にあって、われわれは突然、自分たちの命が愚かな連中の手中にあることに気づくのである」(青野聡訳『町でいちばんの美女』所収)。

 そうなのだ、平生ならこのような低級政治家の内心の風景など関心もなければ覗きたくもない。だが、余儀なくかいま見るとき、狂気、錯乱、妄想が、放置され、もっともらしい顔をしたまま、こうまで肥大していることに慄然とするのである。それは、予想をはるかに超えるサイズにまで増殖していたわれわれ自身の癌(がん)組織を見せつけられたときの悪寒に似ているかもしれない。とても正視に堪えない。できるならば気づかずにいたかった。だがしかし、憲法解釈では「詭弁に詭弁を弄しています」とみずから認めて羞じない、思想も理想もないこの手の好戦派に政治の実権が握られていることはまぎれもない事実なのである。ICBMや戦術核の保持・使用が憲法上問題ないと学生を前に平気でいいはなつ心性はまさに沙汰の外(ほか)だが、この手合いのためにわれわれが税金を支払い、まことに結構な生活をさせてやっていることもまた否定のできない事実なのだ。あまりの低劣さに心は萎えるけれども、これに怒らずして他に怒ることなどいったいなにがあるだろうか。

 2001年夏ブッシュ大統領と会談した小泉首相が、冒頭、父純也氏が日米安保条約改定時の外務委員長だったことや、同席していた安倍官房副長官が安保改定に踏み切ったあの岸信介元首相の孫にあたることを大統領に紹介、日本の対米追従のために小泉と安倍の両家がいかに一族あげて長く貢献してきたかを強調し、親分ブッシュの歓心を買ったことは記憶に新しい。つまり、この二人のバイコク的品性は天分というより相伝のものといえるかもしれない。安倍は、おそらくこうした品性から、米国がイラク攻撃をしても即座には協力したくてもできないので「悩ましい」旨の発言をしたのである。換言すれば、安倍の考える有事法制とは、本土防衛というより米国の意を体して集団的自衛権の行使をできるようにするためのステップなのであり、さしあたりは米国のイラク攻撃のためにも有事法制成立を急ぎたかったのだ。

 安倍発言をなぞりながら思い出したことの二つ目は、先年物故した宇都宮徳馬さんの怒りの声である。「核兵器で殺されるよりも、核兵器に反対して殺されるほうを私は選ぶ」が信条だった。中国政府に対してはいささか甘い政治家だったが、反核軍縮の意思はこけおどしではなく、国会内の夕力派議員に常に睨みをきかせていた。宇都宮さんのような人物がほんとうにいなくなってしまった。いま彼が生きてあり、小泉・福田・安倍らのでたらめな立ち居振る舞いを知ったならばなにをいうか、私には容易に想像がつく。「チンピラ・ファシストどもが!」と語気を荒げたことであろう。

永遠の不服従のために(59)

有事法制(3)

 『不服従』第6章の④「Kよ」は、この表題の通り、「Kよ」という呼びかけで始まっていて、Kさんへ語りかけている文章である。Kさんとはどういう人なのだろうか。文中の文を用いて推測すると、どこまでも権力に迎合しまくっているマスゴミの中で、ひどく悩みながらもまともな仕事を心掛けている辺見さんの著作の編集者あるいは新聞記者のようだ。

 辺見さんは枕として、『創』2002年6月号所載の「檜森孝雄の遺書」を転載している。次の通りである
まだ子どもが遊んでる。
もう潮風も少し冷たくなってきた。
遠い昔、能代の浜で遊んだあの小さな
やさしい波がここにもある。
この海がハイファにもシドンにもつながっている。
そしてピジョン・ロックにも。
もうちょっとしたらこどもはいなくなるだろう。

 カタカナの地名が三つ記載されているが、恥ずかしながら、それぞれどこの国の地名なのか、私は知らなかった。調べてみたら「ハイファ=イスラエルの都市」「シドン=レバノンの都市」で、いずれも地中海に面している都市と分かったが、ピジョン・ロックは全く分からなかった。もしかしたら都市名ではないのかも(どなたかご存じの方、教えてくれませんか)。

 また、私は檜森孝雄(ひもりたかお)という方を全く知らなかった。ネット検索すると多くの人が取り上げていた。その中に大道寺将司さんが檜森孝雄さんについて書いた文章をアップしているサイトがあったので紹介しておこう。『大道寺将司くんの今日このごろ』

 辺見さんは「Kよ」の冒頭で檜森孝雄さんについて詳しく書いているので、改めてネットからの転載はしない。ともかく本文を読み始めよう。

 Kよ。檜森孝雄というパレスチナ支援の活動家が焼身自殺をしたことを知っているか。2002年3月末の土曜の暮れ方、彼は日比谷公園・かもめの広場で、ひとしきり派手な焔(ほむら)のダンスを踊った。智慧の火で煩悩の身体を焚くように。あるいは、老いた魔術師の最期の芸のように、ぼうぼうと燃え、くるくると舞ったのだ。やがて、真っ黒の襤褸(ぼろ)か消し炭のようになって、うち倒れた。享年54歳。

 いや、知らなくたっていいんだ。知ったって憂鬱になるだけだし。ただ、もしもいま、君と会えて酒でも飲めたならば、ぼくはこのことをかなり熱心に話しただろう。檜森の自裁を聞いたとき、檜森と同じく、ぼくにも紅蓮(ぐれん)の焔の内側から、束の間だけれども、くねり踊る焔を通して、赤く揺らめく世界が見えたのだ。その奇跡を、なんとか君に伝えようとしただろう。檜森孝雄はぼくの淡い知り合いの親友だった。たとえようもなく心優しい男だったと聞いた。そのことはさして重要ではない。ハイファもシドンもピジョン・ロックも知らなくていい。自死をぼくは美化しない。大事なのは、火焔の外側ではなく、自身の肉を焼け焦がす火焔の内側から、(ぼくの場合はただの錯視かもしれないのだけれども)ぼくらの世界をかいま見たということだ。そのとき、ぼくは炎のなかで憎しみの沸点を見失い、すぐに引き替わって、世界に対する澄明で安らかな殺意が身内に満ちるのを感じた。それで、とても静かになれた。

 君は信じないかもしれないが、かつてなく虚心になった。檜森の自死にいかなるメッセージがあったか、なかったか、つまびらかではない。イスラエル軍によるパレスチナ民衆虐殺への抗議、米国の暴虐への怒り、日本のファッショ化への絶望。そうした気分はないわけがないし、むろん、それらだけでもなかっただろう。怒りを買うのを承知でいえば、ぼく個人としては、委細は知らぬが、うん、ころあいだな、とは思った。時宜にかなっている、と。わが身に引きつけるなら、なんのかんばせあって、平気で笑って生きていられるのだ。まっとうなら、とうに死んでいる。ないしは、すでに死んだ生をそれと知って生きている。そう思いなすほかない。

 Kよ。若い君にとって、檜森の死は、たぶん、遠い遠い芥子粒(けしつぶ)のような風景であるにちがいない。それはいたしかたのないことだ。世界とは、少なくとも初歩的には、それぞれの人間の個人的事実(事情)からしか眺めることのできない、やっかいななにものかなのだから。多くの人の死や多くの人の死の可能性をよそに、日常を何気なく生きてしまうことで、君がいちいち咎められるいわれはない。ぼくは咎めない。庇(かば)う。ただ、ぼくはぼく自身とぼくの世代およびそれ以前から生きながらえてきたこの国の人間の大半を、いま、とても庇う気になれない。いや、世代で断じてはならない。いいかえよう。ぼくはぼく自身およびぼくとともに世界の病に気づき、それを語ってきたのに、いますっかり忘れたふりをしている者たちに寛容ではいられない。彼らのなかにはマスコミ企業の中枢にいる者が少なくない。その者たちは、Kよ、君らが知ろうとしてもなかなかつかめない言葉の、独特の語感を知っている。あるいは追体験的に知っているはずだ。知らないとはいわせない。新聞、通信社、放送局、出版社の社長どもは、もっとよく知っている。翼賛、治安維持法、レッドパージ、転向、裏切り、日和見、反動……。現在の有事法制も、これらの忌(い)むべき語感系列にある。それらを忌み、拒み、軽蔑し、抵抗すること。それは、全部ではないがかなり多数のまともな記者やディレクターや職員にとって、かつては常識であった。どうか信じてほしい、最低限の作法でさえあったのだ。逆に、抵抗もしないことは恥とされた。それをいま、年寄りどもは知らぬふりをきめこみ、尻の孔のように薄汚い眼つきをし、臭い息を吐き吐き、経営効率、コストダウン、人員削減、独立採算、販路・部数拡大、視聴率アップのみを呼号し、裏では組合のダラ幹ども(ああ、これも君の知らない語感だね)と下卑た笑いを浮かべて談合をつづけている。有事法制など、どこ吹く風なのだ。

 Kよ、なぜかわかるか。ジャーナリズムの理想(ぼくは信じてはいないけど)が本気で称揚されたら、たちまち彼らの居場所がなくなるからだ。ジャーナリズムの理念を裏切りつづけてきた彼らには、本能的にそれがわかっている。だから、理念を嗤(わら)い、抑えつけ、どこまでも権力に迎合する。ファシズムの悪水は、政府権力からだけではない、戦前、戦中同様に、マスメディアの体内からも、どくどくと盛んに分泌されているのだ。そのことと檜森の自殺がどう関係するのか、君はいぶかっているにちがいない。

 Kよ、見えたのだよ。彼の死によって喚起された焔(ほむら)立つ幻視の向こうで、高笑いしている連中の顔が。それはゴヤの1800年代の版画「妄」シリーズによく似た、鋳(い)つぶしたような人間の顔だった。おぞましい妄の顔、顔、顔。そのなかにぼくのもあったかどうか。あったような気もするし、なかったような気もする。ただ、ぼくは坦懐になった。憎悪の沸点が消え、これ以上ないほど静謐(せいひつ)な殺意がぼくを落ち着かせてくれた。檜森の死の風景はあまりにも寂しい。惨めだ。その対極に、底の底まで腐敗した妄の顔の持ち主たちの、下品な高笑いがある。両者はなんの関係もない。ぼくが無理に付会しているだけだ。でも、どちらに狂気があるのか、ぼくは考える。どちらが人として真剣に悩んだか。どちらが弱い者の味方をしたのか。どちらが戦争の時代に抗ったか。答えは見えている。

 Kよ。君よりだいぶ年長の、"気づいている者"には、いま重大な、きわめて重大な責任がある。Kよ。ぼくは君の個人的事情は大いに認めるけれど、"気づいている"はずの君の上司たちの個人的事情など認めはしない。彼らの嘘臭い憂い顔も、むろん。Kよ。賢い君がいまひどく悩んでいることをぼくは知っている。つらいから、ときに眼を閉じ、耳をふさいで仕事していることも知っている。ぼくはもう君に対し過剰な批判はしないだろう。静まったのだよ。火焔の錯視で、かえって平静になった。悩むかぎり、ぼくはずっと君の味方だ。君はぼくの味方でなくていい。冒頭の遺書の語感を、君ならばきっと好いてくれるだろう。それが嬉しい。信じられる。

永遠の不服従のために(58)

有事法制(2)

 辺見さんは『不服従』第6章の③「クーデター」では有事法制三法を通読して、この三法は「クーデターの計画書」だと断じている。「クーデター」の語意を論じている文から辺見さんの国家観が読み取れる(特に赤字部分)が、そこから私は「民主主義国家など皆無である、あるのはブルジョア民主主事国家である」という私の国家観との共通性を読み取った。私のその国家観は次の記事で論じている。
『国家とは何か』
『民主主義とは何か』

 さて、「クーデター」は枕として『ユリイカ』(1999年年2月号)から、次の高橋睦郎さんの詩「朝」を引用している。

朝 玄関の戸をあけると
世界は終わっている
きみはさしずめ用のなくなった身
さて これからどうすればいい?
(中略)
きみもすでに終わっているか
終わっているというなら
きみはあらかじめ終わり
世界はあらかじめ終わっていた
戸はあらかじめ消去されていた
朝もなく ゆうべもなかった


クーデター

 日本でクーデターがはじまりつつある。比喩的にも象徴的にも、そしてある意味で、実質的にも。事態はさし追っている。

 ハナミズキの咲き競う卯月のよく晴れた某日のこと。私としたことが相当に無粋なことをした。有事法制三法案すなわち自衛隊法改正案、武力攻撃事態法案、安保会議設置法改正案を改めて通読してみたのである。いやはや、聞きしにまさる悪文であった。新聞読者いや新聞記者の0.1パーセントだって全文は読んでいないであろう、この目の玉も腐るほどの悪文が、じつは曲者である。文章がいかなる風景も立ち上げないものだから、危機が日本語ならぬ国家語のなかに沈みこんで、よくよく注意しないとなにも見えてこない仕掛けなのである。熟読されないことがおそらく計画的に前提とされているこの法案は、そうであるがゆえに、ムネオの不正やヤマサキの愛人話で世間の劣情が大いに刺激されるなか、さして激しい抵抗も受けずにこの国の命運を大きく変えていくはずである。つかえつかえ読み進むうち、どこからか風に乗って淡いラベンダーの香りが部屋にしのびこんだようだ。そのとき、ふと思った。これは法案というより、クーデター計画書ではないか。

 そんなばかな、と笑う人は大いに笑えばいい。クーデターとは、もともと「国家への一撃」という意味のフランス語で、支配階級の一部が自己権力をさらに強化するため、ないしは他の部分がもつ権力を奪取するためになされる支配層内部における権力の移動のことである。一般的には、軍隊、警察などの武力による政権の転覆という形をとり、権力奪取後は、戒厳令施行、議会停止、言論統制、反対派弾圧などの抑圧政策をとることが多い。有事法制は国会審議にふされているのであるから、クーデターであるわけがないといわれそうだ。しかし、無血クーデターということもある。それに、三法案は平和憲法をいただく国家への大いなる一撃であることも疑いない。夕力派の支配階級が有事法制により自己権力を強化しようとしている面もあるし、言論統制や私権の制限、地方自治権の否定も案文段階でつとに明白である。なによりも、有事法制は憲法第98条に違反どころか、これを軍靴で踏みにじろうとしている点が、まさにクーデター的なのである。

 「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と、98条は明記しており、有事法制はいかなる審議過程を経ようが、最高法規の条規に真っ向から反対している以上、国会で可決されたとしても「効力を有しない」はずである。また、最高法規である憲法が「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ぶ」(第99条)という以上、有事法制の国会提出自体が、理の当然、憲法擁護義務違反ということとなる。ところが、コイズミらは憲法違反など屁とも思ってはいないのだ。下位法である有事法制を最高法規である憲法に優先させ、憲法改定のはるか手前で、事実上の「無憲法状態」をつくろうとしているのだから。これすなわち、クーデターでなくてなんであろうか。

 3法案のなかでもっとも大部の自衛隊法改正案は、現行法制度の徹底的な破壊といってもいいほどの恐ろしいしろものである。これは、有事には一切の平時の法制が効力を失うといっているに等しく、よく読むと、改正案の全編にわたって大規模戦闘や多くの死者が想定されていることがわかる。たとえば、「墓地、埋葬等に関する法律の適用除外」という項目がある。なにかと思えば、有事で出動した自衛隊員が死亡した場合、その死体の埋葬、火葬については同法律を適用しない、というのだ。墓地、埋葬等に関する法律は、墓地以外の区域での埋葬、火葬場以外の施設での火葬を禁じているが、有事には戦死者の処分を自衛隊が独自でやりますというわけだ。この伝で改正案は有事における自衛隊に対する現行法の適用除外と特例を仔細に定めている。これには港湾法、土地収用法、森林法、道路法、自然公園法、都市緑地保全法など数多くの法律がふくまれ、有事に出動した自衛隊の部隊が移動・展開したり「防衛施設の構築」などをしたりする場合にはすべて適用されないとしている。

 武力攻撃事態法案の注目点は、国民には戦争に協力する努力義務があるとうたっていることであり、さらに、「国民の自由と権利」に「制限が加えられる場合」を想定していることである。制限は必要最小限ともいうけれども、歯止めの基準などはなにもない。そして、事実上、戦争協力が義務づけられる機関としてNHKなどの名前が具体的に明記され、運輸、通信、金融、エネルギー各部門も「必要な措置を実施する責務を有する」とされている。文言はソフトだが、本質は、日中戦争に際し人的および物的資源を統制し運用する一切の権限を政府にあたえた国家総動員法(1938年公布)とどこか似ているのである。

 38年ではなく、平和憲法下のいま、これだけの有事法制を整備するというのだから、「備えあれば憂いなし」どころでなく、静かなるクーデターと見ておいたほうがいいだろう。首謀者は、むろん、コイズミである。この男のいう構造改革とは、政治、経済のそれではなくして、平和構造の戦争構造への「改革」であることがいまはっきりしたといえるのではないか。コイズミ政権がなしとげた唯一の「貢献」とは、国民に対するものではなく、米国の戦争政策への全身全霊をささげた"売国"的協力でしかなかった。ウンベルト・エーコはかつて語った。ムッソリーニにはいかなる哲学もなかった。あったのは修辞だけだ、と。コイズミにあるのも、安手のレトリックのみ。さて、沈黙してクーデターを受け容れるか、声を上げて抵抗するか。すぐそこで、終わりの朝が待っている。