2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(48)

アフガニスタンにおけるアメリカの戦争犯罪(4)

 前回、飢餓に苦しむアフガニスタンに対して行なったアメリカによる残酷な飢餓戦略による攻撃の全貌を知ったが、実はこのアフガニスタンの飢餓を作り出したのもアメリカだったという。[3]は「アフガニスタンの飢餓は、未曾有の干ばつを利用してアメリカが作り出したと言っても過言ではない。」と書き始めている。
[3] 一般市民もろとも、タリバンを飢餓地獄に陥れる ―― 一貫した米の政策

 ここで改めてアフガニスタンの飢餓を深刻化させた米の「国連制裁」の意味を問題にしなければならない。

 アフガニスタンの飢餓は、9・11テロ事件以前も以後も、そしてタリバン政権後の現在も依然深刻なものとして存在している。しかし、その政治的意味は変化している。共通しているのは、アメリカ帝国主義が飢餓を生み出してきたという事実である。タリバン政権に対する兵糧責め、飢餓戦略、すなわち、タリバン政権を、一般市民もろとも飢餓地獄に陥れる追いつめるという戦略はアメリカの対タリバン政策として一貫していた。

 制裁がもたらした影響については、報復戦争当初では推測にすぎなかった事柄が、アフガニスタンに詳しい人たちのレポート、証言によって明らかにされている。それを紹介しよう。


 1998年8月のトマホーク爆撃、あるいは1999年11月国連制裁発動から、2001年1月まで。米が国連に恫喝をかけて、未曾有の干ばつのもとでアフガニスタンへの「人道援助」を縮小、停止させ、タリバン政権を崩壊させるために、飢餓を作り出した。その経緯を詳しく追ってみる。

 98年8月、アフガンへのトマホーク撃ち込み。その直前に、国連職員の退避勧告と8ヶ月間に及ぶ待避。「オサマビンラディンを引き渡すなら、人道援助する」との米によるアフガンへの恫喝。米の政治的「人道援助」に反発して多数の国連職員の辞職。
 さらに翌1999年年3月、米は国連への「事前通告なしの軍事行動をとる可能性がある」と国連に警告。すなわち、アフガンに人道援助を続けているならば、突然米の爆撃に曝される危険性があると恫喝。さらに99年11月に国連第一次制裁。米が執拗に国連の「人道援助」を妨害。国連職員さえ、米による「報復」の危険を犯すことなく人道援助を進めることは困難になった(以上、山本芳幸著(2001.11.)『カブール・ノート 戦争しか知らない子供たち』より)。


 2001年1月の国連追加制裁から、2001年9月11日まで、①の継続、強化として、歴史的な干ばつの被害が飢餓、餓死、凍死の拡大として顕在化していた厳冬時期に国連制裁を発動する。詳しくは次の通りである。

 2001年1月国連制裁が発動されるやいなや、アフガン市民、アフガン避難民支援を進めていた国連や国連系NGOなどが一斉にアフガン国内を脱出し、国外難民支援に移った。アフガンに残る人々は放置され、国連は「さあ出てこい、さあ出てこい」と難民を待ち受ける側に変わった。その政治的意義は計り知れない。同時にマスメディアから、「タリバン圧制で難民流出」の記事がながれはじめた(中村哲著(2001.10)『医者 井戸を掘る』より)。


 9・11から10/7までの、米の報復戦争準備によるパニックの引き起こし、及び10/7以降11/14迄の徹底した空爆と破壊による一般市民を巻き込んだ、飢餓、兵糧責め。


 撤退したタリバン支配地域への兵糧責めの拡大と、食料略奪、強奪。群雄割拠、無政府状態の出現による食糧供給の不能。

 もちろんわれわれは、国連援助が持っている限界や、政治的意義も確認しなければならない。また飢餓や難民を自己の組織の存続、メシの種にするという体質は、マフマルバフの映画『カンダハル』撮影をめぐるエピソードによく現れている。すなわち、彼が世界から見放されたアフガンの飢餓の危機を撮るために、「早ければ早いほどいい」と国連オフィスに相談したところ、「今はあまり餓死者はいませんから。来月、もっと寒くなればずっとたくさんの死者がでます。2月にいくことをお薦めしますよ。あなたの映画がもっと興味深くなるでしょう。」(モフセン・マフマルバフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』 現代企画室)

親米でない国の政府と国民は存在する権利がないのか

 アフガニスタンの干ばつが、先進工業諸国による産業活動に起因した地球温暖化がもたらしたものであるという点は置くとすれば、アフガニスタンの飢餓は、自然災害である。しかし、自然災害としての干ばつによっては、数十万、あるいは100万人もの人々が餓死し、また、数百万の人々が難民になるということはなかったであろう。中村哲氏とペシャワール会が繰り返した「一人も餓死者、凍死者をだすな」というよびかけは、単なる希望ではなく、援助によってそれが可能であるという確信に裏打ちされたものである。

 もちろん、タリバン政権でなければ、アメリカと「国際社会」の制裁はなかったとすれば飢餓はなかったし、タリバン政権によって死ぬはずのない大勢の人々が犠牲になったと言うことは可能である。しかしそのような形でタリバンを非難するのであれば、世界の国々の国家は、アメリカが許容する親米政権でなければ、国家としても、その国民も生きながらえる権利はないということになる。国と国民が餓死の危機に瀕しているとき、親米でないという理由だけで、援助の手をさしのべないどころか、逆に制裁を加えられ、爆撃が加えられるのだろうか。

 本人さえも半ばアフガニスタン人化していると認める中村哲氏のような人だけではなく、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のカブール事務所長の肩書きの人が、米の締め付けを批判し、飢餓回避のために「タリバンはよくやった」と賞賛するような、アフガニスタンで生じた事態をもっとリアルにとらえていきたい。彼はまた、ダボスの反グローバル運動への弾圧を「特権クラブが奴隷の反乱を鎮圧する」と比喩し、「テロに戦争が挑んでも勝ち目はない。なぜならテロにはルールがなく、戦争にはルールがあるからだ。戦争が勝つとしたら、それがテロに変質する時だ」と書いている。まさにアメリカのアフガニスタン戦争はテロに変質したのだった。

コントロールの効かない飢餓状態を作り出したアメリカの責任

 次回に詳述するが、次のことを指摘しておこう。
 冬を越すのに必要な2億ドル・6億ドル・10億ドルとアメリカが爆撃のために使った20億ドルを考えるとき、アフガニスタンの飢餓は政治的につくられたものであり、タリバン政権の徹底した配給体制のもとであれば援助によって餓死者を一人も出さないことは可能であったと言わざるを得ない。

 アメリカはおそらく、タリバンの崩壊と同時に食糧供給を加速し、米の人道援助と飢餓の緩和を宣伝しようと考えたに違いない。しかし、意に反して、内戦の危機が日程に上っている現在、本当のどうしようもない、コントロールのしようのない飢餓、餓死が迫っているのではないだろうか。そのような状態をアメリカの空爆は作り出してしまった。このアメリカの責任を徹底して追及しなければならない。

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