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永遠の不服従のために(44)

年若い死刑囚A君(7)

 前回の記事によりA君が起こした事件のことが少し詳しく分かった。まとめてみよう。
 コバーンが自殺をしたのは1994年4月5日だから、A君が事件を起こしたのは1992年ということになる。また、『年若い死刑囚A君(2)』では一緒に食事をした少女の母と祖母が殺されたとなっていたが、実際には数人が殺されていたと書かれている。そして、相変わらず不可解なことに、その時その少女がA君の車に同乗していたようだ。辺見さんは「事件の鍵をにぎる少女」と書いているが裁判記録には全く登場しないという。(これまでに分かった事から「死刑確定囚リスト」の中に該当者らしい人が見つかったが、確定はできないのでこれ以上は深入りするのはよそう。)

 さて、③「夢の通い路」は日本の拘置所の非人道的しきたりを論じている。そして、その非人道的閉空間の中でも読書に打ち込むA君の心に、辺見さんは自分の心を寄せていく。
 ではこれを読んで「年若い死刑囚A君」を終わることにする。

咎人(とがにん)の首を打つ役人が、大刀を振りかざしつつなにを口にするものか、ずっと気になっていた。観念せよ、か。ちがうのだ。「まだ間があるぞ、まだ間があるぞ」というのだそうだ。まだ間があるぞと、咎人を油断させておいて、一気に首を斬り落とす。間なんかじつはないのだ。 (拙著『独航記』「刑場跡にて」から)

 運動不足ゆえに肥えに肥えてしまった私の年若い友人Aが医務官から痩せるようにいわれた、という話を以前書いたことがある(『いま、抗暴のときに』22頁)。いわゆる確定死刑囚のAはさぞやその指示に反発しているだろうと私は想像したのだった。時いたれば縊(くび)り殺すというのに、痩せろも太れもないだろう、と。まったくお上のやることときたら気が知れないが、拙文を読んだらしいAがごく最近、手紙で反応してきた。彼らはなぜ痩せろと命じるか。Aはいう。「それは(絞首刑執行後)重い私の死体を運ぶのが大変だからでしょう」。この期におよんでまだ恰好をつけて笑うに笑えないジョークを飛ばしてみせるAの性格を私は好んでいる。この手紙は直接私のもとに届いたのではない。彼が母堂にあてた手紙のなかで記していたのである。死刑が「確定」すると通常一定の親族としか手紙のやりとりも面会も許されなくなる。軍事独裁国家顔負けの非人道的制度である。母親に手紙をしたためるのも一通につき便せん七枚以下と決められている。私はしたがってもう一年半もAに会えず、手紙も交わしていない。その間に拘置所は四百億円以上かけて建て替えられ、彼は新しい監房に移された。建て替えられたそれは遠くから見るとホテルみたいに立派だが、なかは地獄という話がもっぱらだ。古い監房の窓からは外の植物や高速道路などがわずかに見えたが、いまは窓と居房の間に巡視路が故意に設けられ、草木一本眼にすることも移ろう四季を感じることもできなくなった。「なかから覗かれたくないとの要望が周辺住民からあったため」と役人は説明するが、外界との完全な遮断による心身の障害は増える一方だと聞く。運動場も変わった。いまはコンクリートの床と壁に囲まれて、見えるのは虚空のみ。国連の被拘禁者最低規準では「毎日少なくも一時間の戸外運動」が保障されているはずなのに、Aのいる拘置所ではコンクリートの狭い閉鎖空間で週に2、3回、たった30分の「運動」が許されているだけだ。Aは面会室で待つ母に会うのに施錠された4つの鉄のドアを通らなくてはならないのだという。監獄や拘置所といった公的閉域のありようは国家の貌をなにがしか象徴するものだ。Aのいるそこも見てくれは上等だが内実はとても非人間的という点で、この国の娑婆と相似形をなす。ともあれ、私はAから遠ざけられた。そう思っていたのだが、彼のほうはめげずに私との交信を求めているようだ。母堂あて(というより事実上私あて)の手紙によると、Aはこの連載も、これを単行本化した『永遠の不服従のために』も、ノーム・チョムスキーと私のやりとりも、端から端まで、(はっきりいって担当の編集者以上の集中力で)まるで舐めるようにして読んでいたのだった。私はなによりそのことを光栄に思う。このたびの手紙では、米英のイラク侵略以前に行った私のインタビューでチョムスキーが当時からどれほど的確に不当な軍事攻撃の実態と背景を見抜いていたかを、Aは現在のイラクの風景に照らし、いちいち発言個所を引用して証明しようと試みていた。それらのなかには、「ああ、そうだったか」とわれ知らず感嘆の声をあげてしまうほど見事な論証もあった。拘置所の入り口から数えればおそらく七つ前後の鉄の扉に隔てられているであろうこの世の最奥の絶対的閉域で、かつて複数の人間を酷い死にいたらしめた男により、こんなにまで深く静かな思念がなされているという事実に私は撃たれる。「意外」ということでは、それはないのだ。むしろ腑に落ちるのである。そして、いま書くということ、表現するということ、伝えるということ。じつのところ、それは、のっぴきならないことだ、抜き差しならないことなのだ、ぞっとするほど怖いことなのだ、と躯中の肝(きも)で感じたことだ。

 さて、そのAは以前の手紙で私の夢を見たとほのめかしてきたことがある。いい換えれば、私は彼の夢に入りこんだことがある。つまり、私の魂は私の躯からでて最奥の閉域を難なく侵し、そこで眠っていた彼の夢のなかでひとしきり遊んだのである。めったには明かしたことがないが、私にはそうした特技というか癖というか病気がある。六条御息所(ろくじょうのみやすどころ源氏物語に登場する女性)のような特定の対象への憑依(ひょうい)めいた話ではない。夜半に私の魂が、じゃ旦那、ちょいとばかり行ってきますねとかなんとかいって躯から抜けでて、まことに無遠慮なことには不特定の他人の夢に入りこんではさんざ遊びまくったすえ、朝まだきに私の躯に帰ってくる、離魂病に似た煩(わずら)い。魂は他人の夢のなかでどんな悪戯をしてきたのかいちいち私の躯に報告しはしない。ただ、薄汚く老いた獣の剥製のように寝床にじっと横たわり魂の帰還を待つ私には大体の察しがついている。私の躯に戻ってくるときの魂のあの襤褸綿(ぼろわた)のようになった疲れぐあい。あれは、他人様の夢のなかで、夢の主に対し、醒めては口にするのが憚られるようなひどく下卑た言葉を浴びせて糾弾しつづけた証拠である。逆に歯が浮くような気障(きざ)で偽善的な言葉で夢の主をほめそやしたりもしているようだ。あるいは、老若の別なく異性の夢に入りこんでは、人外(にんがい)ここにきわまるといった名状もできないほど淫らな行為におよんだこともあったようである。私の魂は夢の主とともにおおかたは「悪夢」をこしらえているようだ。その被害者はたぶんA一人にとどまるまい。たまにわけありげな面差しの人間に会うとき〈この人は羞ずかしくて口にこそしないが、俺をたっぷり夢のなかに入れてしまったことがあるな〉と私は確信に近く感じとることもある。というわけで、"夢侵犯"の被害は拙稿の読者たちにも広くおよんでいるとみるのが自然かもしれない。連載の最後にあたり、加害者としてこの点を一応お詫びしておきたい。でも、今後二度とこれを繰り返さないかといえば、なにしろ気侭(きまま)な魂の所業ゆえ、獄中のAにも獄外の読者たちにもまったく保障のかぎりではない。一方で私には読者と私をつなぐ夢の回廊を、それがどんなにふしだらで淫らで危うくていわゆる「反社会的」であるにせよ、スパッと断つのではなく、やめようとしてやめられない毒薬のように秘やかに保持していたいという思いもある。なにしろ、この夢の通い路をひとり行くならば、世界最奥の薄明で浅い眠りを眠るAにも会える。眼には視えない日常という監房にいらだち、ときに世界へのろくでもない破壊衝迫や殺意を感じて、よせばいいのに夜半にひとりうち震えたりしているあなたとも会えるのだから。夢の回廊は、より深く病み、微熱を帯びてぼうっと緑青色の光を闇に浮かべている魂の根っこと繋がっている。いつかまた、私の魂は蹌踉(そうろう)とそこに通うことになるだろう。あなた、待っててくださいね、すぐに着きますからね。猫なで声でそう呟き呟き私の魂は悪い夢へと赴く。金輪際、合唱しない、唱和しない、シュプレヒコールしない、朗読しない、読経しない。そう誓いたがっているあなたの夢に、いつかするりと入っていく。「まだ間があるぞ」なんていったって、もう間なんかないことを、私は首筋のあたりで感じている。ああ、駆け足になる。

 余分事ながら、六条御息所について知りたい方に次の記事をお薦めします。
『源氏物語と女性(四)憑依の女性 六条御息所』
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