2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(54)

糞バエ(5)

 前回の小原紘さんの論考に「去年だけで北朝鮮は2回も核実験を行い、35発のミサイルを発射していた」という指摘があったが、これに対して日本政府はどのような反応をしたのだろうか。この事について「週間金曜日1146号(2017年7月28日刊)に軍事問題に詳しい田岡俊次(たおか しゅんじ ジャーナリスト)さんが『またもや登場した「敵基地攻撃能力 技術上できないことを言う「平和ボケタカ派」』という表題で論考を掲載している。このような科学的根拠を踏まえた詳細な論考は他には見られないのではないか。これを転載しよう。

 北朝鮮の弾道ミサイルの発射実験が活発化し、その性能が顕著に高まるのに対し、自民党の安全保障調査会は次の中期防衛力整備計画(2019年~23年度)に「敵基地攻撃能力」の保有を入れるため、政府に迅速な検討を求めている。次期中期防は来年末に正式に決定するが、その約1年前から計 画が練られるから、今年中には方向が決まりそうだ。

 攻撃兵器としては護衛艦、潜水艦から発射する巡航ミサイル「トマホーク」(射程距離1650キロ)や、ステルス戦闘機F35が登載するノルウェー・米国開発の空対地ミサイル「JSM」(同300キロ)のほか、空自の戦闘攻撃機F2用に、国内開発中の超音波の空対地ミサイルも考えられている。

 日本政府は国民福祉の予算を削る一方で、北朝鮮のグアム攻撃の脅しに踊らされて、またしても軍産複合体に巨額の税金を貢ぐことを決めた。東京新聞の記事の冒頭部分の文とその購入武器の写真を転載する。「日本政府は17日に米・ワシントンで開かれた外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、北朝鮮による弾道ミサイル発射への対応策として、米国から新たな高額武器を購入する方針を米側に伝えた。」
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(追記)
 今日(8月23日)の東京新聞第一面のトップ記事を紹介しておこう。『<増額傾向止らず> 防衛省5.2兆円要求へ 来年度予算 北に対応、過去最大』

 田岡さんの論考に戻ろう。
 
 だが相手の弾道ミサイルを破壊するためには、事前に目標の詳しい位置を知る必要がある。米軍の偵察衛星で北朝鮮を常時監視し、弾道ミサイルの位置がわかるように思う人も少なくないが、実際にはこれは不可能だ。偵察衛星は地球をほぼ南北方向に、1周約90分で周回し、地球は東西方向に自転するから、各地の上空を1日約1回、時速約2万7000キロで通過する。北朝鮮の上空を通るのは1日に1分間程だ。米国が運用中の画像偵察衛星は5基、レーダー偵察衛星(夜間用)は2基と見られ、日本の画像衛星とレーダー衛星各2基を合わせても11基だから、1日に計10分ないし20分程しか見張れない。

 偵察衛星は飛行場や原子力発電所など固定目標は撮影できるが、移動目標の位置を常時つかむのは無理だ。弾道ミサイルは自走発射機やトレーラーで移動し、山間部のトンネルなどに隠れ、新型はそこから出てミサイルを発射するのに約10分、とされる。

 日本独自の早期警戒衛星の保有も、自民党の安全保障調査会は求めている。これは赤道上空約3万6000キロを周回し、その高度で回ると地球の自転の速度と釣り合うから、地上からは静止しているように見える。だがこの距離は偵察衛星の約100倍だから、弾道ミサイルは見えず、発射の際に出る赤外線を感知できるだけで、攻撃目標を探す役には立たない。

ミサイルの発見は至難

 ジェットエンジン付きの大型グライダーにカメラ、レーダーなどを付けた無人偵察機「グローバルホーク」(航空自衛隊が地上機材を含み約1300億円で3機発注)は最高約2万メートルの高度を時速600キロで、約30時間飛行できる。北朝鮮とその周囲の公海上で常に3、4機を旋回させておけば弾道ミサイルも見えそうに思えるが、そのためには相当多数の偵察機が必要だし、谷間の目標は斜めからでは撮影できない。北朝鮮の真上を飛べば、旧式のソ連製対空ミサイルでも射高は3万メートルはあるから簡単に撃墜される。

 1991年の湾岸戦争では、完全な制空権を握った米空軍はイラクの弾道ミサイルを発射前に破壊するため、同国東西の発射地域2ヵ所の上空に常に8機を空中待機させ、1日平均64機を「スカッド・ハント」に出撃させた。だが、「発射された」と聞いて駆けつけ、発射機やカラのミサイルのコンテナを叩くのがせいぜいで、これを「攻撃成功」と報告していた。発射前に壊せたのはただ1回。特殊部隊を潜入させるため夜間に低空飛行していたヘリコプターが、偶然弾道ミサイル発射の炎を目撃そちらに向かったところ、付近でもう1機のミサイルが発射準備中だったのを発見。機関銃で処理したと米国で報じられた。

 敵の位置を知ることは、すべての戦闘の第一歩である。北朝鮮の弾道ミサイルの緯度、経度を常にリアルタイムで確実に把握できる手段がなければ、攻撃能力を備えても何の役にも立たない。自民党の安全保障調査会も戦争を現実的、具体的に考える能力を欠いた「平和ボケタカ派」の集団であることを「敵基地攻撃能力」保有論は示しているように思われる。

 日本政府は、北朝鮮のグアムへのミサイル攻撃にうろたえて、グアムに向かうミサイルを迎撃するために中国・四国地方に対空ミサイルPAC-3とイージス艦を配置した。これも「平和ボケタカ」的な戦略のようだ。これについては高野孟(ジャーナリスト)さんが日刊ゲンダイに『米本土に向かうミサイルを日本が打ち落とすという錯誤』という記事を掲載している。最後の一文で糞バエの権力への忖度ぶりを指摘している。これも全文転載しよう。

 北朝鮮のミサイルの問題を論じている時に、準レギュラーのコメンテーターである外交評論家の岡本行夫氏が「北のミサイルが日本の上空を飛び越えて米本土に向かうというのに、日本が(何もしないで)行ってらっしゃいと手を振って見送るわけにはいきませんから」と、同盟国としての日本がそれをはたき落とすよう努めるのは当然という趣旨のことを語っていた。

 ところが残念なことに、北朝鮮から米本土に向かう大陸間弾道弾は、日本列島はもちろん日本海の上空すら通らない。ミサイルは最短距離を飛ぶので、北朝鮮からほぼ真北に向かって中国ハルビンの東、露ウラジオストクの西の辺りを通り、北極海、カナダ・ハドソン湾の上空を通ってワシントンに到達する。これを日本海に浮かべたイージス艦で横から撃ち落とすというのは全く不可能なのである。グアムに向かうというのであれば、日本の中国・四国地方の上空を通るし、またハワイに向かうというのであれば東北地方の上空を通る。しかし今の日本の感知システムでは、発射から数分後に通過したことを後になって分かるのが精いっぱいで、せいぜいが誤って部品の一部が落ちてきた場合にそれを空中粉砕できるかどうかである。

 私は岡本さんとは3分の1世紀ほど前、彼が外務省北米局安全保障課長の時からの知り合いで、今もあちこちでご一緒することが多いので、こんなことを言うのはイヤなのだが、北朝鮮や中国の“脅威”を強調する安倍政権の立場に寄り添おうとすると、こんな初歩的な間違いを犯すことになるのだろう。

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永遠の不服従のために(53)

糞バエ(4)

 このところ北朝鮮がグアム島周辺に向けた弾道ミサイルの発射計画が北朝鮮脅威を煽る材料としてマスゴミが騒いでいるが、この北朝鮮の弾道ミサイルの発射計画は米・日による北朝鮮へのさまざまな威嚇に対抗する反応であって、私ははなから北朝鮮にはそれを実行出来るわけがないと考えていた。アメリカのネオコンにとって9・11テロが「新たな真珠湾のような好機だった」(『オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史』による)ように、北朝鮮のグアム攻撃はアメリカによる北朝鮮侵略戦争の恰好の理由を与えることになるのは自明なことだ。その結果はアフガンやイラクのように北朝鮮は壊滅に至る。金正恩がトランプ・安倍ほどのバカかどうかは知らないが、これくらいのことは承知していると思う。

 北朝鮮の弾道ミサイルの発射計画はどうなったか。直近のニュースをまとめると、
・中国が北朝鮮からの輸入禁止の圧力を打ち出す。これを受けて、北朝鮮はミサイル発射を見送った。
・この金正恩の判断をトランプがTwitterで褒めている。
・米報道官が米朝の話し合いに言及。

 にもかかわらず、糞バエ(主としてNHK)はまだ北朝鮮危機を煽って、安倍政権の対北朝鮮政策を支持している。最近出会った糞バエ批判記事を二つ紹介しよう。


 「リベラル21」に投稿された小原紘(個人新聞「韓国通信」発行人)さんの『2017.08.17 2017年 夏:韓国通信NO532』。全文転載する。
<認知症と記憶喪失と「たわけとうつけ」>

 認知症はかつて痴呆症といわれた。老齢化社会を迎えて国内の推定患者数は今や500万人、予備軍を含めるとざっと1000万人という。自分とは無縁なものと高を括っていたが、最近自信がなくなってきた。とにかく思いだせないことが多すぎる。毎日、暗澹たる気持ちだ。免許証の更新のため認知症のテストを受ける羽目になった。前日の夕食メニューを聞かれるという有力情報を得て、久しぶりにカレーライスを作った。ヤマは見事にはずれたが、テストは合格。
 私たちの認知症への不安をよそに、この夏、「記憶にない」を平然と語る人たちを発見した。抜群の記憶喪失を演じた財務省の佐川理財局長は首相の覚えめでたく国税庁長官に昇格した。憲法違反の「安保法制(戦争法)」を強行して以来、政治家や官僚たちには憲法も国民も見えなくなったようだ。不遜な態度を父親からとがめられ、「たわけもの!」と怒鳴られたことを思いだす。認知症でも痴呆でもない彼らは、意図して記憶を消し去ろうとする「たわけもの」で「うつけもの」だ。

<あなたはどこの国の総理か>

 8月9日、長崎を訪れた安倍首相に被爆者代表が抗議した。「どこの国の総理か」と問われた首相は世界の歴史に名を残すに違いない。言いたくても私は同じことが言えただろうか。

<トランプ・金正恩の場外乱闘>

 核兵器をオモチャ扱いにするふたりの姿はプロレスラーが試合前、場外で口汚なく「ののしりあう」のに似ている。北朝鮮が「アメリカが射程距離に入った」と自慢すれば、トランプ大統領は「核をお見舞いする」と応じ、北も負けずに「グアム攻撃」を言いだす始末だ。子供じみた言い争いに小野寺防衛大臣が加わり、「グアムが攻撃されたら集団的自衛権を行使できる『存立危機事態』だ」と言いだした。核戦争の当事者として名乗りを挙げるなんて、空気が読めない正真正銘の「たわけ」である。これでは自ら「存立の危機」を招くようなものだ。
 北朝鮮はいつも挑発者として悪者扱いされるが、その挑発に乗るのはあまりにも愚かだ。戦争に理屈(大義)をつけるのは過去のこと。核戦争は無条件にやめさせるのが21世紀の大人の振る舞いだ。 グアムに向かうミサイルを迎撃するために中国・四国地方に対空ミサイルPAC-3とイージス艦が配置される。そのさなか、墓参りで山口県入りした安倍首相は「国民の生命と財産を守るため、最善を尽くす」と語った。核弾頭付きのミサイルが日本の上空で撃ち落とされたらどうなるのか。正気の沙汰ではない。それより戦争をさせない努力をすべきだ。今からでも遅くはない。安倍首相は夏休みを返上してトランプ大統領と金正恩委員長と会って争い事は「ツマラナイカラヤメロ」(宮沢賢治)と説得すべきだ。それができないなら、本当に「どこの国の総理か」。「クジラの争いでエビの背が裂ける」(韓国の諺)ように、核保有国の巻き添えで被害を受けるエビになるなんてごめんだ。安倍首相は自分の信条に背くことになるかも知れないが、世界に誇る平和憲法を持つ、また唯一の戦争被爆国の首相として戦争の愚かさを彼らに説いてほしい。

<作られた「戦争前夜」>

 テレビや新聞、特にNHKは「戦争前夜」のような報道ぶりがめだつ。「本当かな」。ほとんどの人たちは疑い、冷静に受けとめている。不安感を抱きながらも、戦争を非現実的だと思っているからだろう。彼らを「平和ボケ」と非難すべきではない。政府も万全の備えをしているとはとても思えないのだ。
 PAC-3とイージス艦配備で「自衛」は可能だろうか。避難訓練も全国で行われている。内閣府の全国瞬時警報システム(Jアラート)は地下道や堅固な建物に避難を呼びかけるだけ。原発が狙われたらひとたまりもないはず。国を守るにはお粗末過ぎはしないか。絶対ではないとしても政府も戦争は起りえないという前提である。にもかかわらずこの騒ぎは何だ。
 2002年の平壌宣言で日本と北朝鮮は国交正常化を約束したが、拉致問題で年を追うごとに日朝関係は悪化を続けた。安倍首相がいつも胸に付けている青いリボンが象徴するように、彼は拉致被害者救出を前面に掲げて北朝鮮批判の旗振りを続けてきた。
 教育基本法の改悪、特定秘密保護法制定、安保法制定、「共謀罪」法の制定までこぎつけた安倍首相にとって究極のゴールは平和憲法の廃止である。支持率が落ちたとはいえ最後のチャンスは目前にある。わが国の存在を脅かす北朝鮮の存在は彼の野望の実現に欠かせない。北朝鮮に対する日本国民の恐怖と憎悪がこのまま続くなら安倍首相の夢は夢でなくなる。北朝鮮情勢を国内の問題としてとらえる冷静な目も必要だ。

<安倍首相の国政の「私物化」とウソ>

 「共謀罪」法制定までの安倍首相の独断専行ぶりは目に余るものがあった。多くの人が非を鳴らしたが政権は揺るがなかった。ところが森友学園、加計学園で国政の「私物化」が明らかになると安部政治に対する批判に火がついた。朴槿恵政権が退陣に追い込まれたのも「私物化」だった。
 加計学園の獣医学部新設を安倍首相が知ったのは今年の1月20日だったと発言したのに驚いた。素晴らしい記憶力だ。前年の3月以降、首相にそんな暇があるのかと思うくらいに加計氏との7回のゴルフと会食が明らかになっている。「頼むよ 晋チャン」と加計氏に云われたかどうか不明だが、「腹心の友」である。「頼まれた記憶はない」と釈明しても通るはずはない。安倍首相は記憶を都合よく使い分けてウソをついた「たわけもの」である。
 首相は支持率低下にあわてて「反省」を口にしたが、何を反省したか具体的に言わない。それを追及しないのは「甘い」という他ないが、この問題に関連してもっと興味深いのは去年だけで北朝鮮は2回も核実験を行い、35発のミサイルを発射していたことだ。安倍首相は国民に向い「断固抗議」「制裁措置」を語り、国民から頼もしがられたが、同じ時期に「腹心の友」とゴルフやフランス料理を楽しんでいた。国民に北朝鮮の恐怖を語り、自分は腹心の友と人生を楽しんでいた。



 糞バエとは全く無縁の「日刊ゲンダイ」。その「日刊ゲンダイ」の記事(8月15日)だから、記事そのものが流布されている糞バエ記事の批判となっている。
『存立危機事態なのは平和主義 安倍政権で暗黒の終戦記念日』
 後半の一部分を転載する。

日米同盟を守るために国土と国民を危険にさらす倒錯

 日本の存立が脅かされるような客観的危険がなくても、米国への攻撃があればミサイルを迎撃できるというのなら、それは、フルスペックの集団的自衛権行使そのものだ。グアム沖にミサイルが発射されたら存立危機という論法でいけば、米国がいさかいを起こせば、いつでもどこでも日本が集団的自衛権を行使することが可能になる。世界中のどこへでも、米国の戦争に付き合うことになってしまう。

「それこそが安保法の狙いなのでしょう。日米軍事同盟を最優先し、米国の戦争に付き合うことができるように憲法解釈を変えて、安保法を成立させた。そういう実態を存立危機などという用語で隠し、法的なウソで国民をだましたのです。存立危機と言えば、『国を守るため』『国民のため』という名目で、世界中に自衛隊を派遣して戦争ができる。そういう国になったということを国民は直視すべきです。安倍政権に安保法や共謀罪を与えたことで、戦後民主主義も平和主義も過去の遺物になろうとしているのです」(九大名誉教授:斎藤文男氏(憲法))

 防衛省の日報隠蔽問題の本質もここにある。戦闘地帯に自衛隊を派遣し、危険な任務を付与できるようにするため、不都合な事実は国民から隠そうとする。日米安保条約を守るために、日本を危険にさらす。そんな倒錯政権に国民は黙って従うのか。防衛相が「存立危機事態」と言えば、唯々諾々と受け入れるのか。

「米朝の挑発合戦を危惧し、主要国の首脳はこぞって米国に自制を求めているのに、米国追従しか頭にない安倍政権は、トランプ大統領をいさめるどころか、一緒になって危機をあおっている。唯一の被爆国であり、平和憲法を持つ日本の首相だからこそ『何があっても武力行使はダメだ』と言う資格があるのに、米国の言いなりです。それだけで首相失格ですが、国を危機にさらす首相など今すぐ引きずり降ろさなくてはいけない。戦争国家の戦争ごっこに加担するような真似をしている防衛相や安倍首相を批判しないメディアもどうかしています。野党も情けない。北朝鮮問題や日米安保を議論するための国会を開けとなぜ要求しないのか。17日に予定されている日米外務・防衛担当閣僚の2プラス2では、北朝鮮に対する軍事行動が具体的に話し合われる可能性がある。米国と一緒になって戦争をやる態勢は着々と整えられています。のっぴきならない状況にあるという現実に対し、政治家も世論もあまりに鈍感です。」(元外交官の天木直人氏)

(中略)

 安倍もトランプも政権運営が行き詰まり、国民の関心を国外に向けたいという思惑があるのだろう。それで、北のカリアゲ独裁者を挑発する。自国の危機をあおる。それに国民が乗せられてしまうポピュリズム政治では、戦争は不可避になる。

「毎年、終戦記念日にはメディアで戦争と平和を考える特集が組まれますが、ただノスタルジーにひたるのではなく、きっちり現状を検証すべきです。戦後、憲法によって守られてきた平和がなぜ脅かされているのか。日本を取り巻く状況が変わったのは、安倍政権の強硬姿勢が原因ではないのか。北朝鮮の危機だけでなく、今こそ政治の責任を追及すべきなのです。」(天木直人氏)

 チキンレースや挑発合戦は、いつしか取り返しのつかない惨禍を招く。戦争の始まりは、得てして偶発的なものだからだ。終戦の日に二度と過ちを繰り返さないと誓うのなら、「国民の命と安全を守る」と言って危機にさらそうとする錯乱政権を総辞職に追い込むしかない。存立危機にあるのは、この国の平和と民主主義なのである。

永遠の不服従のために(52)

糞バエ(3)

 前回の『海峡両岸論 第81号』転載の続きです。

「不作為」の責任は重い

 首相官邸が「真剣」に対応し始めたのは、「対抗措置」を予告した21日の温演説の後からである。国連総会出席のためニューヨーク入りする菅が「何でもたついているんだ」という態度をあらわにした(毎日)。仙谷の発言トーンもこのころから変化する。22日の記者会見で、事態打開に向け「あらゆる可能性を追求する」と、初めて外交の土俵で交渉する姿勢に転換した。

 仙谷は同日、外務省中国課長を那覇地検に急派。そして那覇地検は翌日、突然船長の処分保留と釈放を発表した。処分保留の理由は「わが国国民への影響と今後の日中関係を考えると、これ以上身柄を拘束して捜査を続けることは相当ではない」。処分理由に「日中関係を考えると」との“政治判断”を入れたのは、検察が官邸による「司法介入」に不快感を抱き、それが分かるよう表現したからであった。

 この経過から言えるのは次の2点である。
●菅内閣が04年の上陸事件の前例を踏襲せず、代表選挙に傾注して政治・外交判断を放棄したことが、日中双方の不信感を増幅し中国側の強硬姿勢を招いた。
●当初は「粛々と対応する」としていた政府が、結局は「司法介入」し船長を釈放させた。
 このちぐはぐな対応は「中国の圧力に屈した弱腰」を印象づけた。
 特に石原慎太郎都知事ら対中強硬派は反発を強めた。石原は12年4月、米ヘリテージ財団での講演で、東京都による尖閣購宣言をした。彼は「本当は国が買い上げればいい」と、国有化が筋と述べていた。野田政権は、結果的に石原挑発のワナにはまり「国有化」に道を開くのである。

泥酔暴走船長の偶発事件

 しかし最大の論点は、巡視船に衝突した中国船の意図であろう。外務省も海上保安庁も、船長が拘束当時泥酔状態だったことを認識していた。結論から言えば、酔っぱらい船長による暴走行為という「単純な偶発事件」だったのである。04年事件と比べよう。中国人活動家7人の上陸は「確信犯」である。一方漁船船長の「犯意」は薄く、前原元国交相が言うように「悪質」とは言えない。まして一部メディアによる「尖閣領有を目指す中国政府の意図」を担った「スパイ船」「工作船」という指摘は、脅威論を煽る「ためにする報道」だった。

ビデオ流出

 そこでまず取り上げねばならないのが衝突時のビデオ流出である。冒頭紹介したツイッター氏も「体当りの攻撃をしかけ、その映像が流出したことがきっかけ。中国からの軍事侵攻をリアルに感じた」と書く。ビデオは11月4日、「sengoku38」の名前で、動画サイト「ユーチューブ」に投稿・公開された。毎日のようにテレビで放映されたから、「軍事侵攻をリアルに感じた」印象を抱く人は少なからずいたかもしれない。ビデオを流出させたのは海上保安官で、守秘義務違反容疑で書類送検された上、懲戒処分を受けて依願退職した。

 ビデオに対し、中国外務省スポークスマンは「日本の巡視船が妨害行為を行って漁船を追い込み、回り込んで衝突に導いた」と反論した。つまり「衝突するように日本側が仕組んだ」とみるのである。これについて映画監督の森達也氏は、自著の中で「映像は、明らかに反中国の世相を加速し熱狂させた。ただしあの映像は、海上保安庁の巡視艇の側から撮られている。もしも漁船の側から撮られた映像を見たのなら、また違う印象が絶対にあるはずだ」と書いた。確かに映像を見ると「みずき」が漁船の行く手を阻み、「衝突に導いた」ようにも見える。ここは「水掛け論」になるから深く立ち入らない。

「スパイ船」「工作船」報道

 中国船の意図について日本メディアはどう報じたか。三例を挙げる。
第一。
 同年9月30日付けの「週刊文春」。「中国衝突漁船は「スパイ船」だった!」というタイトルの「スクープ」。記事は「日本巡視船に『仕組まれた突撃』。船員たちの『自供』は中国大使館員の面会で一変した」などの中見出しで「スパイ船」だったとするのである。
第二。
 「日刊ゲンダイ」(10年10月1日付け)は「中国漁船、実は「工作船」だった?」とする春名幹男氏のコラムを掲載した。コラムは「この船は特殊な任務を帯びて領海内で意図的に巡視船に衝突したのではないか。日本側が毅然と公務執行妨害で船長を逮捕、拘留すると、中国側は計算したかのように事態を段階的に深刻化させた」と書いた。「特殊な任務」とはどのような任務なのか、また船がなぜ「意図的に衝突した」のか、その理由と根拠は明らかにされないまま、主観的観測をおどろおどろしく描写するのである。
 第三
 「産経新聞」( 9月17日付 電子版)。同紙ワシントン電で「米政府は事件は偶発的なものではなく、中国政府黙認の下で起きた『組織的な事件』との見方を強め、中国の動向を警戒している」と書いた。記事は「米政府は、中国政府部内で尖閣諸島の実効支配が機関決定された可能性があり、『漁船を隠れみのに軍と一体となって、この方針を行動に移している』(日米関係筋)との見方を強めている」と結ぶ。この見方をするのは「米政府」なのか、それとも「日米関係筋」なのかはっきりしない欠陥記事である。「中国政府が実効支配を機関決定した」というなら、その後も中国公船は常時「領海侵犯」しなければならないが、2012年9月の国有化までそんな動きはない。これこそ「ためにする記事」の典型だ。

 繰り返すが、日本政府は「泥酔船長の暴走という偶発事件」だったことを当初から認識していた。にもかかわらず、それを公表しなかった結果、数多くの誤報が独り歩きし「中国は尖閣を奪おうとしている」との脅威論が作られていったのである。

 次の三点を改めて強調し、筆を置く。
(1)
 偶発事件なのだから、04年の前例を踏まえて刑事手続きをせずに送還すれば、日中関係をこれほどこじらせることはなかった
(2)
 菅政権が党代表選挙に追われ、政治・外交判断を放棄したのが一因
(3)
 メディアの責任は大きい。今も中国船を「スパイ船」と信じる人は多い。根拠なく「スパイ船」と断定した記者や識者は、自分の原稿に責任を負わねばならない。

 いままた、北朝鮮のミサイルをめぐって北朝鮮の脅威を煽る報道が続けられている。次回はこの問題を取り上げよう。
永遠の不服従のために(51)

糞バエ(2)

 政府が垂れ流す情報を検証抜きでそのまま垂れ流す糞バエの脅威を煽る情報を、疑わない圧倒的多数のお目出度い国民が根拠のない脅威論を共有してしまう。その一例として「中国脅威論」を今年の1月に取り上げている。『中国脅威論の信憑性』である。その中の『「尖閣紛争」の検討』は主として岡田充さんの『海峡両岸論 第70号』を用いて論述している。その岡田さんがこの8月11日に『海峡両岸論 第81号』(表題 偶発事件をこじらせた処理:全ては中国漁船衝突に始まる。)を発表していた。「第81号」は「第70号」以後の政治状況を俯瞰しながら「尖閣紛争」問題をまとめ直している。この論説でも糞バエの影響が取り上げられている。今回はこれを読むことにする(1部省略して転載します)。


 尖閣諸島(中国名:釣魚島)3島の「国有化」から9月で丸5年。領土問題は日中関係のトゲとなり国交正常化以来、最悪の状況が続いてきた。ここにきて「一帯一路」構想への協力を糸口に、ようやく改善に向け双方の呼吸が合い始めた。しかし日本人の中国への印象は「良くない」(「どちらかと言えば」を含む)がここ数年、9割を超える。「言論NPO」世論調査によると、その理由は「日本領海を侵犯」(64%)・「国際社会での強引な姿勢」(51%)が1,2位を占めた。安倍政権は、国民に浸透した「中国脅威論」を追い風に、集団的自衛権の行使を認める安保法制を急ぎ、改憲への道筋まで描く。軍事予算を毎年二けた増やして空母を保有、尖閣諸島の領海を侵犯する―。こうしたニュースに毎日接すれば「脅威感」はいやでも増幅する。隣国への感情や認識を形成するベースは、メディア報道であろう。我々が抱く「脅威感」は本当に実相を反映しているのか。

「軍事侵攻リアルに感じた」

 ネットメディア「ビジネスインサイダー」にこの5月、日本の「柔らかなナショナリズム」に関する文章を書いたところ、一読者がツイッターで次のように書いた。
「日本人が良くも悪くもナショナリズムを意識し始めたのは、2010年から。中国船が、尖閣諸島で海上保安庁に対し体当りの攻撃をしかけ、その映像が流出したことがきっかけ。中国からの軍事侵攻をリアルに感じたとき、国防に意識が行くのは当然だろう」。
 この読者のように「軍事侵攻をリアルに感じた」人が多かったかどうかは分からない。しかし「中国に親しみを感じる」が、内閣府の世論調査でも、38%から20%まで急落したことを考えると、「中国脅威論」を議論する上で事件と報道の検証は不可欠だろう。この事件がなければ、おそらく2012年の「国有化」もなかったし、日中関係が国交正常化以来最悪の状態に陥ることもなかったはずだ。

 一読者さんは「中国船が、尖閣諸島で海上保安庁に対し体当りの攻撃をしかけた」ことを鵜呑みにしているが、実際はどうだったのだろうか。


 結論から言うなら、事件は泥酔船長による暴走という偶発事件だった。筆者は複数の日本政府関係者から確認したが、政府も最初から偶発事件という認識を持っていた。にもかかわらず、それを公表しなかった結果、「漁船はスパイ船」などの誤報が独り歩きし「中国は尖閣を奪おうとしている」という脅威論が広がっていく。

 漁船衝突事件が発生した9月7日から、船長釈放(24日)に至る過程を振り返る。主として共同通信の報道を基にした。
 海上保安庁の発表によると、尖閣諸島久場島の領海付近で、巡視船「よなくに」が中国福建省のトロール漁船「?(環境依存文字)晋漁5179」を発見したのは同日午前10時ごろ。退去を命令すると、「よなくに」の船尾に接触し逃走。さらに巡視船「みずき」が停船命令を出したが、無視して逃げ続け11時前「みずき」の右舷に体当りした。巡視船が日本の排他的経済水域(EEZ)内で漁船を停船させ、船長と船員を拘束したのは午後1時前。船長を刑法の公務執行妨害の逮捕状を執行したのは、翌8日の午前2時過ぎ。拘束から13時間後だった。

中国の強硬対応

 外務省アジア大洋州局長は8日、程永華中国大使に電話で抗議した。石垣簡裁は10日、船長の10日間の拘置延長を認めた。これに対し中国の楊潔?外交部長は丹羽宇一郎大使を呼び、船長釈放と漁船返還を要求し抗議。中国は11日、東シナ海ガス田の条約締結交渉延期を発表した。18日は満州事変(柳条湖事件)79周年にあたり、北京、上海で抗議デモが行われた。那覇地検が19日、船長の10日間の拘置再延長を決定すると、中国外交部は「強烈な対抗措置」として
① 閣僚級以上の交流と航空機増便交渉の停止
② 石炭関係会議の延期
③ 民間のイベント中止・延期
を発表した。温家宝首相は21日、ニューヨークで日本の対応次第で「さらなる行動」と警告、23日には中国から日本へのレアアース(希土類)輸出停滞が発覚した。河北省石家荘で軍事管理区域に侵入したとして、建設会社「フジタ」の日本人社員ら4人が拘束されたことが判明した。

 ここで論点を絞ろう。
(1)
 船長の逮捕・送検という処理は、外交の「前例」を踏襲したのかどうか。中国側が日本の対応に意外感を抱き、強硬な対抗措置を引き出したのではないか
(2)
 漁船の体当りは意図的かそれとも偶発的か
の2点である。

前例無視の司法処理

 船長逮捕・送検については、当時の民主党、菅直人政権内に当初から「戸惑い」があった。7日、処理を話し合うため夕と夜の2回、国土、外務、法務など関係省庁会議が開かれた。前原誠司・国土交通相は「悪質。(逮捕の)意見を海上保安庁に伝えた」と述べる。当時ベルリン出張中の岡田克也外相は、「わが国の領海内の出来事。法に基づいて粛々と対応していく」と説明した。「毎日新聞」によれば、岡田は民主党幹事長就任後の9月29日、事件を振り返って「当初この問題が起きた時、私も小泉政権の時のやり方が頭の中に浮かんだ」と述べた。

 小泉のやり方とは何か。2004年3月24日、尖閣諸島に上陸した7人の中国人活動家を日本側が「入管難民法」で拘束した処理のことである。7人を送検せず、2日後に中国に強制送還した。小泉純一郎首相は釈放時の記者会見で「日中関係に悪影響を与えないように大局的に判断した」と述べ、送還が「政治判断」だったことを率直に認めるのである。

 岡田は「事を荒立てないなら、そういうやり方もあっただろう」と、「毎日」に語っている。また仙谷官房長官も7日夜の関係省庁協議でビデオを見た後「発生場所は中国が領有権を主張する尖閣諸島周辺。『逮捕するのか。日中関係に影響が出るなあ』とも漏らした」(共同通信)という。公務執行妨害による逮捕に対し、岡田が(強制送還という)やり方もあったと語ったことは、外交「前例」を認識していたことの傍証である。

 「共同」は04年事件の際、「政府は数年前に魚釣島に中国人が上陸したケースを想定し『対処マニュアル』を作成。マニュアルには原則として、刑事手続きに乗せずに速やかに強制送還する、つまり起訴しないという趣旨の内容が書かれているという」と報じた。
 事件が起きたのは、菅と小沢一郎による民主党代表選挙の最中だった。14日は民主党代表選挙で菅が勝利、17日に内閣改造が行われた。菅をはじめ民主党首脳は連日、選挙運動に追われていた。特に19日の拘留延長という節目に、菅内閣が対中関係を配慮した政治判断をきちんとしたかどうかは疑わしい。これが日中双方の不信感を増幅し、ねじれを決定的にしたのだと思う。当時の政府高官は
「あの時は、海上保安庁が存在を誇示しようとしているように感じた」
と証言していた。海保の“点数稼ぎ”が背景にあるともとれる発言である。

(次回に続く。)
永遠の不服従のために(50)

糞バエ(1)

 私が書いてきた記事を検索したら、私が辺見さんの造語「糞バエ」を初めて用いたのは10年前で、『今日の話題:日韓海底トンネル』でだった。

 「糞バエ」は権力に媚び諂ったジャーナリストへの痛烈な批判語である。日本ではこの糞バエ達の保護と増殖に一役買っているのが「日本記者グラブ」である。その実態と仕組みを分かり易く詳細に論じている記事を一つ紹介しておこう。高橋是清会さんが「阿修羅」に投稿された次の記事である。
『記者クラブ制度は「マスコミ」と「官僚」の癒着の温床』

 ところで参考までに、日本のジャーナリストが糞バエとなっていく歴史的経緯には国家権力による長きにわたる狡猾な脅しと懐柔の取り込み作戦があった。このことは<『《『羽仁五郎の大予言』を読む》(65):終末論の時代(1):ジャーナリズムの死(1)』~『《『羽仁五郎の大予言』を読む》(76):終末論の時代(12):ジャーナリズムの死(12):戦後の言論弾圧(6)』>で取り上げている。

 さて、『永遠の不服従のために』に戻り、その第6章を読むことにする。第6章は次の5節が収められている。
① 糞バエ
② チョムスキー
③ 有事法制
④ クーデター
⑤ Kよ

 辺見さんは『年若い死刑囚A君(4)』でサッチー保釈どきに東京拘置所に群がった記者達を「糞バエ」と呼んだ。これに対して「人格まで貶める暴言」という批難を受けた。これに対して辺見さんが再びマスゴミのていたらくぶりを再論した。それが「① 糞バエ」であり、次の文章が枕が置かれている。
ファシズムには、いかなる精髄もなく、単独の本質さえありません。
ファシズムは〈ファジー〉な全体主義だったのです。ファシズムは
一枚岩のイデオロギーではなく、むしろ多様な政治・哲学思想のコラージュであり、
矛盾の集合体でした。(ウンベルト・エーコ『永遠のファシズム』から 和田忠彦訳)

 本文を読んでみよう。

 前回、記者のことを「糞バエ」と書いたら、現役の古参記者から、「人格まで貶(おとし)める暴言」ではないかとねじこまれた。私としては「いや、猩々(しょうじょう)バエでもツェツェバエでもなく、糞バエはやはり糞バエだよ」と答えるほかなかった。絞首刑が執行された2001年末のあの日、同じ東京拘置所に蝟集(いしゅう)して、死刑などどこ吹く風とばかりに、保釈されたサッチーにたかりついた連中が、糞バエでないとしたら、いったい、なんだというのであろうか。ただし、糞バエには大別して二種類ある。すなわち、身すぎ世すぎでゴミネタに群がる、いかにも糞バエ然とした糞バエと、はたからはそうは見えず、本人もそうとは自覚していない、いわば上品な糞バエである。メディア・ヒエラルキーからいうと、前者は低位、後者は高位に属するとされ、その幻想もあって、上品な糞バエは糞バエ然とした糞バエをしばしば軽蔑しがちだが、なに、同じ糞バエであることに変わりないどころか、傲然としている分だけ、糞バエ然とした糞バエよりもよっぽど質(たち)がわるく、また危害の程度も大きいということを付言しなければならない。いいかえれば、労働条件の劣悪なフリーランスや契約記者がもっぱらたずき(ヽヽヽ)のためにサッチーのたぐいを追いかけてぶんぶん飛びまわるのにはいささかの哀愁も漂わぬではないが、賢しげにジャーナリズム論などをうんぬんする一方で、そのじつ、のべつことの軽重をとりちがえ、権力を下支えしている大新聞の政治部、社会部記者のほうが、言葉のもっとも正しい意味において、糞バエの名に値するということだ。そのことを紙幅の関係で前回は書けなかった。

 代議士の公設秘書給与の流用疑惑って、いったいなんなのだろうか。マスメディアはどうしてあんなにいきりたっているのだろうか。現下の内外情勢にあって、あれほど大がかりな特別企画や特別番組を組んで対処すべきほどの歴史的大事件なのであろうか。これ、よく見ていると、どこか不審船騒ぎというやつに似ていないか。つまり、政府権力にとってじつに都合のいいタイミングで、事件”が出来(しゅったい)し、マスコミがわいわい騒ぐなかで、人々が本来全力で指弾すべきことがらに煙幕が張られ、いつの間にか権力が専横をきわめていくという、危険な時代にはいくどとなく行使された手法であり、なりゆきなのではあるまいか。1931年の柳条湖事件はこの国を中国との15年戦争に誘導していった。後の歴史は、事件が関東束車の謀略であり、民衆の意思に逆らい、戦争へと導いていったのは、あたかもひとり軍部であったかのように教えている。だが、軍部のお先棒をかついで戦争を大いに煽りたてたのはマスコミなのであり、盛んに踊りを踊ったのは民衆なのであった。こうした動きに異を唱える者らには隠然たる国家テロがなされたが、これに対してもメディアはたんに無力だっただけでなくおおむね無批判でもあったのであり、権力によって次から次へと屠(ほふ)られる異議申し立て者について、民衆は一般に無知か無関心か冷淡であった。かくして、この国は権力・マスコミ・民衆が自然に三位一体となった、ナチスドイツもうらやむほどの協調的全体主義を形成していったのであった。じつのところ、この国では全体主義の実現のために強権の発動は必要なかったのである。なんとならば、戦前も戦中も、メディアにはおびただしい糞バエたちが棲息し、もっともらしい顔をして、権力と民衆のよき仲介役をこれ努めていたからだ。

 それといまがまったく同じだなどといいたいのではない。タレント気取りでテレビ・メディアとじゃれあったり、ネオリベラル派といちゃついてみたり、実際の話、一部自民党議員からなぜか一目置かれてもいたツジモトという前国会議員が、不抜の異議申し立て者だなんてさらさら思わない。ツジモトを内心疎(うと)みつつ、ツジモトのお力にすがり、かつ一部党員が彼女にとって不利なネタを内部から流しもしたといわれる社民党が、あの安保容認のムラヤマの例を見るまでもなく、権力と戦闘的にわたりあってでも平和憲法を守り抜こうという底力を備えた政党とも、正直、思えない。だがしかし、こうした不信とはまったく別に、このたびのツジモト追放劇および党首ドイヘの攻撃、さらには共産党への非難の本質的背景が、ただに秘書給与の流用やその指南にかかわることだけにあるかのように伝えている報道は根本的なまちがいであるといわざるをえない。政府自民党にとってはまことに時宜にかなったこれは、実相としてはある種の国家テロではないのか。メディアの糞バエたちを最大限に動員した、戦後ではまれにみる政治的テロ行為ではないのか。報道はそれを見とおす視力を欠き、明らかに事態の肯綮(こうけい)をはずして、もちだそうとするならいつでもそうできるであろう秘書給与流用疑惑ごときをことさらに騒ぎたて、問題の軽重をひっくり返すことにより権力に協調している。糞バエの末裔はやっぱり糞バエであるということだ。朝日も毎日も読売も、まさに見渡すかぎり大小の糞バエだらけである。

 それみたことか、見事に機先を制せられて、肝心要の有事法制論議がすっかり霞んでしまったではないか。秘書給与流用疑惑という入り組んだ罠の肯綮は、こちらにこそあったのだ。個人情報保護法に反対する動きの足を引っぱっているのも、主として大新聞の傲岸な糞バエたちである。私の糞バエ発言を暴言というのなら、権力の意を体してゴミネタにたかりつくのでなく、有事法制をなんとしても通そうとする者たちにこそぶんぶんと群がって、欺罔(ぎもう)のひとつでもいい、奇怪な意図のほんのひとかけらでもいい、死ぬ気で暴いてみてはどうか。もっとも、その呆けた頭と視力では、風景の多様なコラージュからファシズムの輪郭を見抜くなど、とてもではないが、できない相談であろう。エーコのいうファジーな全体主義の借景には、常に「私」のいないマスメディアがたんに権力的な集団としてひかえている。だから、この国のファシストにはファシズムを誇示する集会も行進も必要でない。マスコミが毎日、その紙面、その番組でやってくれているのだから。しかも、ときおり大いに民主的で平和的な顔をしてみせながら。

永遠の不服従のために(49)

アフガニスタンにおけるアメリカの戦争犯罪(5)

 『アメリカの5つの戦争犯罪…』序文に従って、本文の内容を5項目に分けて紹介したが[4]飢餓戦略と結合されて行われてきた空爆による全被害の実態」は[1]~[3]までに記載された事も含めて、箇条書きでまとめられている。そして、
「アメリカは空爆の形でできる残虐行為をすべて行った。」
と書き始めている。

 上の二つのどちらの文からも[5]「アフガニスタンを非人道的な新型兵器の実験場にしてきたという問題」は[4]の関連事項として扱うのが妥当と判断した。[4]と[5]をまとめて転載することにする。

破壊と殺戮

①10/7から爆撃による子どもの被害が報道され続けている。

②民生施設への爆撃。

 病院(たとえば10/17のカンダハル近郊の診療所2つ、10/21のヘラート西部の病院または高齢者施設では100名死亡、10/31のカンダハル近郊の診療所爆撃)
 図書館、学校(11/19 カンダハルでそれぞれ2施設)
 モスク(10/23 ヘラート西部、11/16 カンダハル)
神学校(11/16~17 カンダハル)

③村、インフラの破壊。

 村そのものの壊滅(10/10 カラム村壊滅。10/23 ヘラート西部チャカカラ村で半数の家が破壊、12/1 ジャララバード近郊の村壊滅等々)
 ダム(11/1 ヘルマンド州 決壊の危険)
 空港(11/4 ヘラート)

④国連施設への爆撃。

 地雷除去NGO(10/8)
 国際赤十字食糧倉庫(10/16、10/22には2回爆撃で3棟が崩壊)
 WFP食糧倉庫(11/19~20倉庫)。 ⑤アルジャジーラのカブール支局爆撃・崩壊。(11/13) 捕虜収容所への爆撃、虐殺、処刑。(11/13をはじめ、、11/25、28、30)

れわれがもっとも懸念する農地の破壊、畜産の破壊、放牧地の破壊はどうか、耕作や作付けは行われたのか等々――今後明らかになってくるだろう。
新兵器の使用、殺戮効果の実験場。  クラスター爆弾や、BLU82気化燃料爆弾などの非人道的・大量殺戮兵器を頻繁に使用した。クラスター爆弾の不発弾は、約5000発に上り、地雷化してばらまかれている。子どもがその不発弾にやられる事故が多発し、「効き目」を表している。このクラスター爆弾と、投下食料パッケージが同じ色で、同じ形であったことが被害を拡大した。地雷原への食糧投下も行った。10/29には、劣化ウランの使用の可能性が指摘された。大量に使った痕跡がないのは、劣化ウラン攻撃対象となる、重戦車、装甲車をタリバンが大量に保有していないだけであろう。さらに、イスラエルと共同開発した新型精密誘導ミサイルAGM-142を東部の洞窟攻撃に使用した。彼らは、アフガニスタンとタリバン兵を生きた新兵器実験場、軍事訓練場にしている。われわれは非人道的・大量殺戮兵器の使用を徹底糾弾する。

これまでの残虐行為とその後の状況をまとめてみる。

(1)
 10月7日以降、「誤爆」として報道されていた民生施設への破壊や人民の被害に関する報道が、10/31のじゅうたん爆撃やBLU-82の使用など無差別殺戮が前に出るにつれて徐々に後景に退き、「アフガン復興」「タリバン後」が前に出始めた。これらの兵器の使用によってどのような被害が出たのかは報道されていない。一方、11月13日のカブール陥落後は、タリバン捕虜の虐殺や処刑などタリバンへの残忍な殺害が前に出始める。しかし、民間施設への破壊や民間人の殺戮も決して少なくなっていない。むしろ、「誤爆」ではなく公然とやられるようになったのである。被害の写真等が我々の目に触れにくくなったのは、マスコミ統制とその一環としてアルジャジーラのカブール支局爆撃・破壊が大きく影響している。この点からもわれわれはアメリカの情報操作とそれに迎合するマスコミを糾弾しなければならない。

犠牲者の人数

 少なく見積もっても、犠牲者の数は民間人2000人、タリバン兵3000人おそらく一万人に上るだろう。われわれが作成した「被害報道日誌」の死者の数を単純に足しあわせただけでも、カブール崩壊後で民間人500人、タリバン兵3000人に上っている。10/31にタリバンが発表した一般市民1500人を加えればこれだけでも5000人に達する。
 おそらく、われわれが把握した、500人というのは氷山の一角であり、おそらく実数はこの数倍にのぼるだろう。そして、タリバン兵の死者6000人という別の報道(パキスタン英字紙フロンティアポスト)は誇張ではないだろう。あわせて一万人を下回ることはないだろう。
 もちろんこの中に、病死者、餓死者、凍死者は含まれない。12/7国際移住機構(IOM)によればクンドゥズ近くの避難民キャンプで過去4週間で飢えと寒さのため、177人が死亡したと報告している。犠牲者の大多数は子供である。このような記事の背後にどれだけの報道されない悲劇があるのか、明らかにしなければならない。

アフガニスタンにどれだけの爆弾の雨が降り注いだのか。

 「アフガニスタンは、何年もの間、空からは人々の頭上に爆弾が降り注ぎ、地にあっては人々の足もとに地雷が埋められてきた国です。……権力が人々の頭上に降らせていたのがミサイルではなく書物であったなら、無知や部族主義やテロリズムがこの地にはびこる余地はなかったでしょう。もしも人々の足下に埋められたのが地雷ではなく小麦の種であったなら、数百万のアフガン人が死と難民への道をたどらずにすんだでしょう」 (前掲書 マフマルバフ ユニセフ演説より)

 9・11まで、世界から見放されていた国アフガニスタンは、9・11以降テロリズムの撲滅の対象国として全世界から注目されることになったことを指摘した上で、マフマルバフは上のように語っている。

 本来、「人道援助」がもっともなされなければならない国に、「侵略戦争」開始後どれだけの爆弾の雨が降り注いだのかをわれわれはまず確認したい。そして、その巨額の軍費が仮に食料援助に使われた場合、飢餓に陥った人々に食糧を供給できたであろうことを確認する。同時に、帝国主義のやり方の試算ではあるが、破壊に使われた費用に比べて、復興費用がその数倍から数十倍にも上るということに怒りを禁じ得ない。

(1)
 費やされた軍事費20億ドル、2460億円。
 投下された爆弾8000発、出撃された爆撃機2000機等の数字が10月の末時点であるが、全体像はベールに包まれている。

(2)
 これに対して、カブールのナン一枚0.086ドル(約10円)
 羊肉一頭分 29ドル
 ペシャワール会の試算で、1家族(10人)が一ヶ月暮らすことができる額2000円(約16ドル)

 つまり、費やされた軍費20億ドルによって、ナンは246億枚。一日5枚食べるとして49.2億人が一日生きられる数。すなわち2700万人が6ヶ月、つまり、10月から3月までを過ごすことができた量となる。
 ペシャワール会の試算によっても、100万人が一ヶ月暮らす額は2億円。6ヶ月で12億円。

(3)
 「アフガン復興資金」は65億ドル、250億ドル、700億ドル、1000億ドル等様々な数字が出ている。日本円にして8000億円、2兆5000億円、8兆4000億円、12兆円という気の遠くなる額である。そのうち日本は2割を要求されるといわれている。

 アフガニスタンの飢餓を救うために必要な費用よりも、爆弾として消費された費用の方が大きく、さらにそれによって破壊された街を復興する費用の方が遙かに大きい。

 アフガニスタンは新兵器の殺戮効果の実験場だったという指摘がされているが、私は日本の敗北が明らかだったあの段階での広島・長崎への原爆投下も原発の殺傷・破壊力の実験だったことは明らかだと思っていた。10日にBS朝日「ザ・ドキュメイタリー」の「原発が奪った女学生315便の青春~米極秘文書に隠れた真実」という番組を見た。原発投下が殺戮効果の実験だったことが如実に語られていた。
永遠の不服従のために(48)

アフガニスタンにおけるアメリカの戦争犯罪(4)

 前回、飢餓に苦しむアフガニスタンに対して行なったアメリカによる残酷な飢餓戦略による攻撃の全貌を知ったが、実はこのアフガニスタンの飢餓を作り出したのもアメリカだったという。[3]は「アフガニスタンの飢餓は、未曾有の干ばつを利用してアメリカが作り出したと言っても過言ではない。」と書き始めている。
[3] 一般市民もろとも、タリバンを飢餓地獄に陥れる ―― 一貫した米の政策

 ここで改めてアフガニスタンの飢餓を深刻化させた米の「国連制裁」の意味を問題にしなければならない。

 アフガニスタンの飢餓は、9・11テロ事件以前も以後も、そしてタリバン政権後の現在も依然深刻なものとして存在している。しかし、その政治的意味は変化している。共通しているのは、アメリカ帝国主義が飢餓を生み出してきたという事実である。タリバン政権に対する兵糧責め、飢餓戦略、すなわち、タリバン政権を、一般市民もろとも飢餓地獄に陥れる追いつめるという戦略はアメリカの対タリバン政策として一貫していた。

 制裁がもたらした影響については、報復戦争当初では推測にすぎなかった事柄が、アフガニスタンに詳しい人たちのレポート、証言によって明らかにされている。それを紹介しよう。


 1998年8月のトマホーク爆撃、あるいは1999年11月国連制裁発動から、2001年1月まで。米が国連に恫喝をかけて、未曾有の干ばつのもとでアフガニスタンへの「人道援助」を縮小、停止させ、タリバン政権を崩壊させるために、飢餓を作り出した。その経緯を詳しく追ってみる。

 98年8月、アフガンへのトマホーク撃ち込み。その直前に、国連職員の退避勧告と8ヶ月間に及ぶ待避。「オサマビンラディンを引き渡すなら、人道援助する」との米によるアフガンへの恫喝。米の政治的「人道援助」に反発して多数の国連職員の辞職。
 さらに翌1999年年3月、米は国連への「事前通告なしの軍事行動をとる可能性がある」と国連に警告。すなわち、アフガンに人道援助を続けているならば、突然米の爆撃に曝される危険性があると恫喝。さらに99年11月に国連第一次制裁。米が執拗に国連の「人道援助」を妨害。国連職員さえ、米による「報復」の危険を犯すことなく人道援助を進めることは困難になった(以上、山本芳幸著(2001.11.)『カブール・ノート 戦争しか知らない子供たち』より)。


 2001年1月の国連追加制裁から、2001年9月11日まで、①の継続、強化として、歴史的な干ばつの被害が飢餓、餓死、凍死の拡大として顕在化していた厳冬時期に国連制裁を発動する。詳しくは次の通りである。

 2001年1月国連制裁が発動されるやいなや、アフガン市民、アフガン避難民支援を進めていた国連や国連系NGOなどが一斉にアフガン国内を脱出し、国外難民支援に移った。アフガンに残る人々は放置され、国連は「さあ出てこい、さあ出てこい」と難民を待ち受ける側に変わった。その政治的意義は計り知れない。同時にマスメディアから、「タリバン圧制で難民流出」の記事がながれはじめた(中村哲著(2001.10)『医者 井戸を掘る』より)。


 9・11から10/7までの、米の報復戦争準備によるパニックの引き起こし、及び10/7以降11/14迄の徹底した空爆と破壊による一般市民を巻き込んだ、飢餓、兵糧責め。


 撤退したタリバン支配地域への兵糧責めの拡大と、食料略奪、強奪。群雄割拠、無政府状態の出現による食糧供給の不能。

 もちろんわれわれは、国連援助が持っている限界や、政治的意義も確認しなければならない。また飢餓や難民を自己の組織の存続、メシの種にするという体質は、マフマルバフの映画『カンダハル』撮影をめぐるエピソードによく現れている。すなわち、彼が世界から見放されたアフガンの飢餓の危機を撮るために、「早ければ早いほどいい」と国連オフィスに相談したところ、「今はあまり餓死者はいませんから。来月、もっと寒くなればずっとたくさんの死者がでます。2月にいくことをお薦めしますよ。あなたの映画がもっと興味深くなるでしょう。」(モフセン・マフマルバフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』 現代企画室)

親米でない国の政府と国民は存在する権利がないのか

 アフガニスタンの干ばつが、先進工業諸国による産業活動に起因した地球温暖化がもたらしたものであるという点は置くとすれば、アフガニスタンの飢餓は、自然災害である。しかし、自然災害としての干ばつによっては、数十万、あるいは100万人もの人々が餓死し、また、数百万の人々が難民になるということはなかったであろう。中村哲氏とペシャワール会が繰り返した「一人も餓死者、凍死者をだすな」というよびかけは、単なる希望ではなく、援助によってそれが可能であるという確信に裏打ちされたものである。

 もちろん、タリバン政権でなければ、アメリカと「国際社会」の制裁はなかったとすれば飢餓はなかったし、タリバン政権によって死ぬはずのない大勢の人々が犠牲になったと言うことは可能である。しかしそのような形でタリバンを非難するのであれば、世界の国々の国家は、アメリカが許容する親米政権でなければ、国家としても、その国民も生きながらえる権利はないということになる。国と国民が餓死の危機に瀕しているとき、親米でないという理由だけで、援助の手をさしのべないどころか、逆に制裁を加えられ、爆撃が加えられるのだろうか。

 本人さえも半ばアフガニスタン人化していると認める中村哲氏のような人だけではなく、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のカブール事務所長の肩書きの人が、米の締め付けを批判し、飢餓回避のために「タリバンはよくやった」と賞賛するような、アフガニスタンで生じた事態をもっとリアルにとらえていきたい。彼はまた、ダボスの反グローバル運動への弾圧を「特権クラブが奴隷の反乱を鎮圧する」と比喩し、「テロに戦争が挑んでも勝ち目はない。なぜならテロにはルールがなく、戦争にはルールがあるからだ。戦争が勝つとしたら、それがテロに変質する時だ」と書いている。まさにアメリカのアフガニスタン戦争はテロに変質したのだった。

コントロールの効かない飢餓状態を作り出したアメリカの責任

 次回に詳述するが、次のことを指摘しておこう。
 冬を越すのに必要な2億ドル・6億ドル・10億ドルとアメリカが爆撃のために使った20億ドルを考えるとき、アフガニスタンの飢餓は政治的につくられたものであり、タリバン政権の徹底した配給体制のもとであれば援助によって餓死者を一人も出さないことは可能であったと言わざるを得ない。

 アメリカはおそらく、タリバンの崩壊と同時に食糧供給を加速し、米の人道援助と飢餓の緩和を宣伝しようと考えたに違いない。しかし、意に反して、内戦の危機が日程に上っている現在、本当のどうしようもない、コントロールのしようのない飢餓、餓死が迫っているのではないだろうか。そのような状態をアメリカの空爆は作り出してしまった。このアメリカの責任を徹底して追及しなければならない。

永遠の不服従のために(47)

アフガニスタンにおけるアメリカの戦争犯罪(3)

 論文『アメリカの5つの戦争犯罪…』はアフガニスタン戦争を「報復戦争」と呼んでいる。勿論これは9・11テロはアフガニスタンを本拠地とするビン・ラディンが率いるアルカイダの犯行であるとするアメリカの公式見解を踏まえたときの言い方である。これまでネットにアップされている9・11テロについての記事をいろいろと読んできた結果、私はアメリカによる内部犯行説が正しいと確信しているので、「報復戦争」を「侵略戦争」で置き換えることにする。
 なお、つい先日内部犯行説を説く新しい記事に出会ったので紹介しておこう。
『米政府トップ内部告発者:ビン・ラディンは2001年に死亡・9・11は内部犯行』

 では、[2]を読んでみよう。

[2]

飢餓に瀕する国への戦争

 すでに戦争が始まる前に、600万人、700万人が飢餓線上にいた。そして、戦争準備と空爆によって多数の難民が生じると予想されていた。しかし、意外にも多くの人々の予想したようには「大規模難民」は生み出されず、身よりのない人、金のない人、体力のない人、要するにもっとも弱く生活力のない人々がカブールに取り残された。このような状況の下でアメリカは、食糧戦略=飢餓戦略ともいえる戦略を採った。兵糧責め=飢餓戦略は地域への水や食糧補給を絶ち、食糧供給施設を破壊し(井戸に毒を入れる、穀倉を焼き討ちにする、田畑を焼き払う等)、孤立化させ、戦士を飢えさせ、戦意を喪失させ降伏、投降に追いやる残忍な戦略である。

・アメリカは、空爆2日目の10/8に地雷撤去の国連系NGO事務所にミサイルを撃ち込み、国連の食料援助活動を震え上がらせ、爆撃の危険なしに食料援助をできないことを国連とNGOに知らしめた。11/20には国際赤十字の食糧倉庫が爆撃された等々。

・米の食糧投下作戦は、食糧供給=味方、爆弾投下=敵という構図を破壊し、現地の食糧供給活動に大混乱をもたらした。クラスター爆弾と食糧パッケージの色が黄色で同じであったというオチまでついた。また、地雷原にこの食糧は大量にばらまかれ、子供たちへの地雷被害を拡大した。地雷被害は、侵略戦争開始前の4割も増加した。
・投下食糧が人々の頭を直撃し、死亡させた。
・タリバンがWFPの食糧倉庫を掌握した等と非難された。もちろん戦闘部隊が、食糧を優先的に配給、調達し戦争に動員するのは不可避である。

 総じてこれらは、タリバンを疲弊させ、破壊するために、一般市民を巻き込んで飢餓地獄へ陥れるという兵糧責めであった。タリバンがこもった洞窟には食べられた野ネズミの死骸があったとされている。圧倒的な物量によって行われた空爆による兵糧責めが、タリバンのカブール陥落を予想を超えた早さでもたらしたのは間違いない。

 スターリングラードが、ヒトラードイツの900日の包囲を耐え抜いた話は有名である。しかし、もともと食糧や生活物資を「援助」に頼らざるを最貧国に、包囲に耐えうる蓄えなどなかったということである。

 カブール陥落によって飢餓と戦火からの脱出に一縷の望みを見いだし多くの市民がそれを歓迎したとしても不思議ではない。にもかかわらず、カブールでは北部同盟の略奪・暴行の復活を危惧する声が聞かれたのである。

むき出しの飢餓戦略

 カブール陥落(11/13)後、米はオブラートで包んだ兵糧責めから、むき出しの兵糧責めへと転換した。カブール陥落後は、マザリシヤリフ虐殺も含め侵略戦争の局面の中でももっとも残虐で残忍な戦争が繰り広げられた。

 米はタリバンの最後の砦カンダハルへ通じる幹線道路を封鎖し、軍用、民生を問わず、動いている車体は何でも空爆するという形で、トラック、トラクター、食糧輸送車、タンクローリー、ランドクルーザー等々を爆撃した。もはや狙い撃ちしたことを公言した。食糧、燃料、日常品、医薬品等一切の補給路を絶ち、タリバンが干上がるのを待った。

無政府状態、内戦の危機のもとで拡大する餓死、凍死の危機

 現在、食料略奪がアフガン全土で起こり、飢餓は続いている。もっとも激しい戦闘が行われたカンダハルでは、食糧、燃料はじめ一切の補給が止まり、物価が高騰し、23万人の市民は餓死の危機に瀕している。一方、タリバン政権崩壊直後、飢餓の危機が去ったかに思われたカブールと北部地域においても、略奪、強奪、部分的内戦が勃発し、国連職員が引き上げ、食糧配給が滞り、大混乱が生じている。12/3には北部同盟内部の銃撃戦が始まり、国連職員の退去が命じられた。現在一時的な飢餓の危機が緩和されているとすれば、タリバン政権崩壊直後数日にカブールに運び込まれた備蓄があるからに他ならない。良心的なNGOやタリバンが協力することによってようやく維持されていた「食糧配給システム」が破壊され、一時的場当たり的な援助物資が各軍閥の思惑によってもてあそばれているのである。アメリカは「パンドラの箱をあけて」しまったのであり、アフガニスタンを20年以上にわたって荒廃させてきた内戦の再発の危機をもたらそうとしている。

 *ユニセフ(国連児童基金)は11月20日、冬を前に12万人のアフガン児童が飢えや病気、寒さに直面しており、援助をしなければ死亡すると語り、時間との戦いを強調した。
 *ペシャワール会は、「迫り来る飢餓と無政府状態」というレポートを、11月29日に発表した。それによれば、11月13日の北部同盟カブール進駐以来、カブールを除く全アフガニスタンで治安が急速に悪化し、各国の救援団体、WFP(世界食糧計画)、国連組織は、カブール市以外の地域で困難に直面している。厳冬を迎えてアフガニスタン全土が恐るべき状態に陥っている。東の最大の町ジャララバードでは、11月15日から「防衛隊長」ハザラット・アリの率いる北部同盟軍民が闊歩し、PMS(ペシャワール会医療サービス)とDACAAR(デンマーク救援会)以外の全ての外国団体、国連系の事務所が略奪された。11/21にはペシャワール会の事務所が略奪されている。
マラリア、ポリオの復活。空爆は医療機関、設備、医薬品供給を破壊してしまった

 アフガニスタンでは、ポリオワクチン接種のための3日間の空爆停止キャンペーンが進められてきたが、世界の他の地域ではほとんど見られなくなった致死率が高いポリオがアフガニスタンで再発している。WHO(世界保健機関)はラグマン州でポリオによる子供2人の死亡を確認した。今年に入って同国南部でポリオ患者9人が発見されたが、これが他の地域へと広がっている。

 また、熱帯(脳性)「マラリアによりラグマン州で子供20人を含む計24人が死亡した。病院への搬送が遅れたために治療できなかったと言われている。もちろん、空爆と医療施設の破壊、医療器具、医薬品の不足が状況を悪化させている。

 避難民キャンプでは、急性呼吸器疾患、下痢、結核、栄養失調が拡大しているといわれている。特に下痢は子供の場合危険である。埃、風、寒さも避難民の健康に大きな影響を与える。

永遠の不服従のために(46)

アフガニスタンにおけるアメリカの戦争犯罪(2)

 私はアフガニスタン戦争の詳しい実態を知らなかったが、私が注目した二つ目の論文『アメリカの5つの戦争犯罪:アメリカの対アフガニスタン戦争の被害について』を読んでそのおぞましさに慄然としてしまった。

 論文はまず序文で次の5点の戦争犯罪を指摘している(それぞれを丁寧に解説しているが、後ほど詳しい論考が行なわれているのでここでは簡単に列挙をしておく)。
[1]捕虜虐殺問題
[2]飢餓の国に対して行った生活基盤の破壊
[3]このアフガニスタンの飢餓は「国連制裁」によって作り出されたものであるという問題
[4]飢餓戦略と結合されて行われてきた空爆による全被害の実態。
[5]アフガニスタンを非人道的な新型兵器の実験場にしてきたという問題。

 そして序文を次のように締めくくっている。
『我々は、これらの米の戦争犯罪の責任を世界の反戦、反グローバリズムの闘いとともに追及していきたい。アフガンの本当の惨状がこれから始まるように、われわれの活動もこれから始まる。ここで紹介する被害と戦争犯罪の報告は全体のごくごく一部にすぎない。これからもフォローを続けていくとともに、この事実を多くの人たちに暴露・宣伝していく活動を続けていきたい。』

 では[1]から読み始めよう(行換えの変更や補足語の追記をしています)

[1]

 捕虜収容所丸ごと爆撃、殲滅する残虐行為

 マザリシャリフ西方カラハンギ要塞にある収容所で、11/25から始まった捕虜の「暴動」に対する鎮圧は、収容された捕虜を丸ごと空爆によって爆撃し一人残らず虐殺し、殲滅するという例をみない残虐行為である。これは捕虜への虐待を禁じたジュネーブ協定に明白に違反した正真正銘の戦争犯罪である。捕虜のほぼ全員の400人あるいは800人の捕虜が死亡した。アムネスティ・インターナショナルも緊急調査を要求し、事態の経過と責任の所在を明らかにするとことを決定した。

発端から、虐殺まで、すべてアメリカに責任がある

 この暴動の発端は、アメリカの責任であり、その虐殺もアメリカが遂行した、徹頭徹尾アメリカが行った暴挙である。ブッシュ政権が直接に責任を負わなければならない。
 北部同盟(アフガニスタン暫定政府)の捕虜収容所に、CIA工作員がおり、捕虜に尋問したことがきっかけだった。「何のためにきたんだ」との問いに「おまえを殺しにきたんだ」と答えた捕虜の一人をCIA工作員が射殺したことが、暴動の引き金となった。
 あるいはパキスタン・チェチェン人・アラブ人の外人部隊のタリバン兵の捕虜は、本国への強制送還をおそれたとも言われるが、また、11/13のカブール陥落時100人あるいは600人の少年兵が無条件に処刑されたことから、処刑をおそれ反乱をおこしたとも言われている。いずれにしても、首都制圧への米・CIA・特殊部隊の主導、タリバン兵・捕虜に対する残虐行為が引き金になった。

 この事件の直前にラムズフェルトは「捕虜をとるつもりはない」「外国兵は祖国に帰ることは望まない」と発言を繰り返し、捕虜の出国を拒否していた。母国への強制送還を主張する北部同盟とも対立する形で、事実上捕虜としての存在を否定し、捕虜殲滅を示唆していた。

繰り返された捕虜虐殺

 マザリシャリフは米の残虐行為の一端にすぎない。暴動と空爆ののち捕虜の逃げ込んだ地下室に水を流し込み、あるいは油を流して火をつけいぶりだし、死体の散乱する現場を戦車で踏みつぶして砲撃する等々最後の最後まで残忍な手口で虐殺した。

 マザリシャリフは、米マスコミでも「これまでのアフガニスタンの軍事作戦でもっとも血塗られた場面」というほど凄惨なものである。しかし、偶然起こったものではない。タリバン人捕虜や投降兵に対する残虐行為は、一貫して行われていた。先に指摘したとおり11/13のカブール陥落時には、戦闘意欲を喪失した17~18歳のタリバンの少年兵を100人あるいは600人を処刑した。また、アムネスティがマザリシャリフ事件を調査するよう指示した11/28日にもカンダハルにおいて、160人のタリバン兵が処刑された。さらに11/30、マザリシャリフの学校収容の捕虜67人が殺害されている。

 タリバンやアフガン人民、アラブ人民を家畜のように扱う許し難い事件である。これらの虐殺の責任を徹底して暴露、追及しなければならない。

永遠の不服従のために(45)

アフガニスタンにおけるアメリカの戦争犯罪(1)

 これまでに紹介してきたように、辺見さんはならず者国家アメリカのアフガニスタン侵略とイラク侵略に激しい批判を続けているが、アフガニスタンには実際に足を運んでいる。そのときの記録が第3章の奈落の次に置かれている「カブール(アフガニスタンの首都)」である。また、前回の文中にあったようにイラク侵略についてはノーム・チョムスキーと実際に会ってインタビューをしている。その時の記事は第6章に置かれている。第6章は「アフガニスタン…」が終わった後で読むことにする。

 「カブール」はカブールで見た奇っ怪な夢と、その夢に導かれるように登ったスマイル山で出会った人たちとのおかしな交流と、その過程で辺見さんの心や頭の中の動きを記録する形式で記述されている。従ってアフガニスタンにおけるアメリカ軍の犯罪の具体的な記述はない。そこでアフガニスタンでのアメリカ軍の犯罪を記述した論文を検索した結果二つの論文が目にとまった。

 なんと一つは辺見さんが2002年1月8日に朝日新聞に書き送った①『これは「戦争」ではない……カブールで考えたこと』という論文だった。これまで何度か利用させてもらったサイト「阿修羅」に「dembo」という方が投稿していてインターネットに残ったのだった。

 もう一つは②『アメリカの5つの戦争犯罪:アメリカの対アフガニスタン戦争の被害について』という論文だった。大変詳しく書かれていて、私は信頼できる記録だと確信している。どのような方が書かれたのか知りたい思ったら、文末に『copyright c 2001 アメリカの「報復戦争」と日本の参戦に反対する署名運動 事務局』とあった。その後に<Home>というクリックボタンがあったのでクリックしてみたが、このサイトはすでに閉鎖されているようで
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だった。

 まず①を読み、次回から②を読むことにする。

『これは「戦争」ではない……カブールで考えたこと』 辺見 庸

 この身で風景に分け入り、ありとある感官を総動員して紡ぐ言葉と、書斎で想像をたくましくして紡ぐ文言の「誤差」が、どうも気になってしかたがなかった。だから、私はカブールに行ってみた。果たして、誤差はどうだったのか。ほんの短期間の取材だったけれども、米軍に寄るアフガニスタン報復攻撃につよく反対する私の考え方には、毫も変化がなかった。この点、修正の必要はない。イヤ、アフガン取材後、非道な報復攻撃への憤りは、かえっていやましにつのった、といっておこう。ただ、もともとの想定を改めざるをえない点、そして、風景の細部なのだけれど私にとっては大きな発見が、いくつかあった。

 ターコイズブルーの絵の具を塗り、上薬をかけ、さらに布で丁寧に磨きあげたようなカブールの空に、私はいつも見愡れていた。市内のアスマイ山頂から見はるかす街並も、賢者たちの設計による中世の都市の遺跡に似て、何やら夢見心地になるほど美しい。そう、この街を見る時に、ふさぎこまないですむやり方を私は考え出そうとした。いわば、悲しみを避けるための遠近法だ。それは、空を見上げているか、もしくは、なるべく遠めに像を見ること。

 だが、そんな遠近法は、実際には、荒ぶる風景にたちまちにして壊されてしまう。国連機でカブールのバグラム空港に降り立ったその時から、怒り、悲嘆、疑問が、胸底でたぎりはじめるのだ。空港で私の荷物チェックをしたのは、アフガンの係官ではなく、米海兵隊員とその軍用犬であった。いかなる手続きをへて米国がそうした権限を得るにいたったか問うても、まともな答えは返ってこないであろう。武力で制圧した者が、ここでは「正義」なのである。

 遠目にしていようという心の声を振り切って、私の眼はたくさんの人の眼に吸い寄せられていった。例えば、米軍による誤爆現場で生き残った幼児のまなざし。ものすごい爆裂音で鼓膜も破れてしまったその子は、精神に変調をきたし、絶えず全身を痙攣させながら声を立てて笑っていた。他のショック死した多くの赤ん坊や老人にくらべれば、その子はラッキーだったと言えるだろうか。眼が、しかし、笑ってはいないのだ。血も凍るような光景を瞳に残したまま、これ以上はない恐怖のまなざしで、頬と声だけがへらへらと笑っているのである。ジョージ・W・ブッシュ氏のいう「文明対野蛮」の戦争の、まぎれもない実相がここにある。全体、だれが野蛮なのか。

 カブールが「解放」され、女性達がブルカを脱ぎはじめているというテレビ報道があった。しかし、この遠近法には狂いがある。ほとんどの女性はブルカを脱いではいない。やはりもっと近づいて見た方がいいのだ。ある時、私は煮染めたような色のブルカをきた物乞いの女性に近づいてみた。凍てついた路上に痩せこけた半裸の赤ん坊を転がして、同情を買おうとしていた。顔面中央を覆うメッシュごしに、彼女の眼光が煌めいた。案外に若い女性であった。これほど強い眼の光を私は見たことがない。その光は、哀願だけでない、譴責、糾弾、絶望の色をこもごも帯びて、私をぶすりと刺した。ブルカは脱ぐも脱がないもない、しばしば、生きんがための屈辱を隠してもいるのだと知った。

 夜の帳につつまれると、カブールではひどくたくさんの犬が遠吠えをする。何を訴えたいのか、ただ飢えているだけなのか、長い戦乱の果ての廃虚で、またタリバ-ン兵の死体が多数埋まっているという瓦礫の上で、犬達が臓腑を絞るような深い声で鳴き続ける。じっと聞いていると気がふれそうになるから、時々両手で耳を覆いつつ、私は考えた。戦争の定義が、武力による国家間の闘争であるなら、これは断じて「戦争」ではない、と。だれに訊ねても、激しい抗戦などほとんどなかったというのだ。それでは、米英両軍によってなされたこととは、いったいなんだったのだろう。それは、国際法も人倫の根源もすべて無視した、計画的かつ一方的「襲撃」だったのではないか。

 クラスター爆弾の不発弾が無数に散乱するカブール郊外の麦畑で、私はひとしきり想像した。まったく同じ条件下にあるならば、米軍はアフガンに対して行ったような理不尽きわまりない空爆を、ボンやリヨンやメルボルンに対し、やれるものであろうか、と。クラスター爆弾だけではない、戦術核なみの威力のある大型爆弾(デイジーカッター)を、アフガンより数百倍も生活の豊かなそれらの現代都市に投下することができるか。おそらく、やれはしないであろう。そこにも、アフガンへの報復攻撃の隠された犯罪性があるのではないか。このたびの報復攻撃の裏には、冷徹な国家の論理だけではない、だれもが公言をはばかる人種差別がある、と私は思う。それにあえて触れない報道や言説に、いったいどれほどの有効性があるのか――私は怪しむ。

 それにしても、米国の支援でタリバ-ン政権を倒した北部同盟軍の規律のなさはどうだろう。まるで清末の腐敗した軍閥である。幹部が昼日中から街のレストランに居座り、飢えた民衆を尻目に盛大に食事をしている。子細に見ると、それら幹部は、いまのところ形勢有利なタジク系のスンニ派であり、かつてタリバ-ンを形成していたパシュトゥン人らは肩を落とし、小さくなっている。だが、北部同盟軍の将兵らには何ヶ月も給料が支払らわれていないという。彼らは、かつてタリバーン兵がいた兵営で、なにするでもなく暮らしており、一部は夜盗化しているともいわれる。勝利の分け前を主張する北部同盟各派の内訌は必至であり、本当の和平と国家再建には、なおいまだしの感がある。

 ある日、米軍特殊部隊や北部同盟兵士らが、空爆で殺した兵士の遺体から、指を切り取って集めているという噂話しを耳にした。米側がDNA鑑定をして、オサマ・ビン・ラディンやその側近の者か、確かめるためだという。山岳部を中心に猛爆撃を加えては、死体の指を切り落とし収集するという、およそ文明とも文化ともいえない作業を想像して、私は身震いしたことだ。

 この冬、飢え死にしかかっている何万ものアフガン民衆のことなどまったく眼中にない、ひたすら無気味な報復の論理だけが、ここには、まかりとおっている。

 私はカブール滞在中に、日本でのいわゆる、「不審船」騒動を知った。冷静な分析を欠いた過剰かつ居丈高な反応が相次いだ。その時、脳裏をかすめたことがある。不審船の出所とみられる国への、有無をいわせぬ「米国方式」の軍事攻撃である。杞憂であろうか。いや、アフガンにおける米軍の傍若無人のふるまいを見るならば、この暴力方式の他地域への適用は、現実的といわなくてはならない。いまからつよい反対の声を挙げておくにしくはないのだ。

永遠の不服従のために(44)

年若い死刑囚A君(7)

 前回の記事によりA君が起こした事件のことが少し詳しく分かった。まとめてみよう。
 コバーンが自殺をしたのは1994年4月5日だから、A君が事件を起こしたのは1992年ということになる。また、『年若い死刑囚A君(2)』では一緒に食事をした少女の母と祖母が殺されたとなっていたが、実際には数人が殺されていたと書かれている。そして、相変わらず不可解なことに、その時その少女がA君の車に同乗していたようだ。辺見さんは「事件の鍵をにぎる少女」と書いているが裁判記録には全く登場しないという。(これまでに分かった事から「死刑確定囚リスト」の中に該当者らしい人が見つかったが、確定はできないのでこれ以上は深入りするのはよそう。)

 さて、③「夢の通い路」は日本の拘置所の非人道的しきたりを論じている。そして、その非人道的閉空間の中でも読書に打ち込むA君の心に、辺見さんは自分の心を寄せていく。
 ではこれを読んで「年若い死刑囚A君」を終わることにする。

咎人(とがにん)の首を打つ役人が、大刀を振りかざしつつなにを口にするものか、ずっと気になっていた。観念せよ、か。ちがうのだ。「まだ間があるぞ、まだ間があるぞ」というのだそうだ。まだ間があるぞと、咎人を油断させておいて、一気に首を斬り落とす。間なんかじつはないのだ。 (拙著『独航記』「刑場跡にて」から)

 運動不足ゆえに肥えに肥えてしまった私の年若い友人Aが医務官から痩せるようにいわれた、という話を以前書いたことがある(『いま、抗暴のときに』22頁)。いわゆる確定死刑囚のAはさぞやその指示に反発しているだろうと私は想像したのだった。時いたれば縊(くび)り殺すというのに、痩せろも太れもないだろう、と。まったくお上のやることときたら気が知れないが、拙文を読んだらしいAがごく最近、手紙で反応してきた。彼らはなぜ痩せろと命じるか。Aはいう。「それは(絞首刑執行後)重い私の死体を運ぶのが大変だからでしょう」。この期におよんでまだ恰好をつけて笑うに笑えないジョークを飛ばしてみせるAの性格を私は好んでいる。この手紙は直接私のもとに届いたのではない。彼が母堂にあてた手紙のなかで記していたのである。死刑が「確定」すると通常一定の親族としか手紙のやりとりも面会も許されなくなる。軍事独裁国家顔負けの非人道的制度である。母親に手紙をしたためるのも一通につき便せん七枚以下と決められている。私はしたがってもう一年半もAに会えず、手紙も交わしていない。その間に拘置所は四百億円以上かけて建て替えられ、彼は新しい監房に移された。建て替えられたそれは遠くから見るとホテルみたいに立派だが、なかは地獄という話がもっぱらだ。古い監房の窓からは外の植物や高速道路などがわずかに見えたが、いまは窓と居房の間に巡視路が故意に設けられ、草木一本眼にすることも移ろう四季を感じることもできなくなった。「なかから覗かれたくないとの要望が周辺住民からあったため」と役人は説明するが、外界との完全な遮断による心身の障害は増える一方だと聞く。運動場も変わった。いまはコンクリートの床と壁に囲まれて、見えるのは虚空のみ。国連の被拘禁者最低規準では「毎日少なくも一時間の戸外運動」が保障されているはずなのに、Aのいる拘置所ではコンクリートの狭い閉鎖空間で週に2、3回、たった30分の「運動」が許されているだけだ。Aは面会室で待つ母に会うのに施錠された4つの鉄のドアを通らなくてはならないのだという。監獄や拘置所といった公的閉域のありようは国家の貌をなにがしか象徴するものだ。Aのいるそこも見てくれは上等だが内実はとても非人間的という点で、この国の娑婆と相似形をなす。ともあれ、私はAから遠ざけられた。そう思っていたのだが、彼のほうはめげずに私との交信を求めているようだ。母堂あて(というより事実上私あて)の手紙によると、Aはこの連載も、これを単行本化した『永遠の不服従のために』も、ノーム・チョムスキーと私のやりとりも、端から端まで、(はっきりいって担当の編集者以上の集中力で)まるで舐めるようにして読んでいたのだった。私はなによりそのことを光栄に思う。このたびの手紙では、米英のイラク侵略以前に行った私のインタビューでチョムスキーが当時からどれほど的確に不当な軍事攻撃の実態と背景を見抜いていたかを、Aは現在のイラクの風景に照らし、いちいち発言個所を引用して証明しようと試みていた。それらのなかには、「ああ、そうだったか」とわれ知らず感嘆の声をあげてしまうほど見事な論証もあった。拘置所の入り口から数えればおそらく七つ前後の鉄の扉に隔てられているであろうこの世の最奥の絶対的閉域で、かつて複数の人間を酷い死にいたらしめた男により、こんなにまで深く静かな思念がなされているという事実に私は撃たれる。「意外」ということでは、それはないのだ。むしろ腑に落ちるのである。そして、いま書くということ、表現するということ、伝えるということ。じつのところ、それは、のっぴきならないことだ、抜き差しならないことなのだ、ぞっとするほど怖いことなのだ、と躯中の肝(きも)で感じたことだ。

 さて、そのAは以前の手紙で私の夢を見たとほのめかしてきたことがある。いい換えれば、私は彼の夢に入りこんだことがある。つまり、私の魂は私の躯からでて最奥の閉域を難なく侵し、そこで眠っていた彼の夢のなかでひとしきり遊んだのである。めったには明かしたことがないが、私にはそうした特技というか癖というか病気がある。六条御息所(ろくじょうのみやすどころ源氏物語に登場する女性)のような特定の対象への憑依(ひょうい)めいた話ではない。夜半に私の魂が、じゃ旦那、ちょいとばかり行ってきますねとかなんとかいって躯から抜けでて、まことに無遠慮なことには不特定の他人の夢に入りこんではさんざ遊びまくったすえ、朝まだきに私の躯に帰ってくる、離魂病に似た煩(わずら)い。魂は他人の夢のなかでどんな悪戯をしてきたのかいちいち私の躯に報告しはしない。ただ、薄汚く老いた獣の剥製のように寝床にじっと横たわり魂の帰還を待つ私には大体の察しがついている。私の躯に戻ってくるときの魂のあの襤褸綿(ぼろわた)のようになった疲れぐあい。あれは、他人様の夢のなかで、夢の主に対し、醒めては口にするのが憚られるようなひどく下卑た言葉を浴びせて糾弾しつづけた証拠である。逆に歯が浮くような気障(きざ)で偽善的な言葉で夢の主をほめそやしたりもしているようだ。あるいは、老若の別なく異性の夢に入りこんでは、人外(にんがい)ここにきわまるといった名状もできないほど淫らな行為におよんだこともあったようである。私の魂は夢の主とともにおおかたは「悪夢」をこしらえているようだ。その被害者はたぶんA一人にとどまるまい。たまにわけありげな面差しの人間に会うとき〈この人は羞ずかしくて口にこそしないが、俺をたっぷり夢のなかに入れてしまったことがあるな〉と私は確信に近く感じとることもある。というわけで、"夢侵犯"の被害は拙稿の読者たちにも広くおよんでいるとみるのが自然かもしれない。連載の最後にあたり、加害者としてこの点を一応お詫びしておきたい。でも、今後二度とこれを繰り返さないかといえば、なにしろ気侭(きまま)な魂の所業ゆえ、獄中のAにも獄外の読者たちにもまったく保障のかぎりではない。一方で私には読者と私をつなぐ夢の回廊を、それがどんなにふしだらで淫らで危うくていわゆる「反社会的」であるにせよ、スパッと断つのではなく、やめようとしてやめられない毒薬のように秘やかに保持していたいという思いもある。なにしろ、この夢の通い路をひとり行くならば、世界最奥の薄明で浅い眠りを眠るAにも会える。眼には視えない日常という監房にいらだち、ときに世界へのろくでもない破壊衝迫や殺意を感じて、よせばいいのに夜半にひとりうち震えたりしているあなたとも会えるのだから。夢の回廊は、より深く病み、微熱を帯びてぼうっと緑青色の光を闇に浮かべている魂の根っこと繋がっている。いつかまた、私の魂は蹌踉(そうろう)とそこに通うことになるだろう。あなた、待っててくださいね、すぐに着きますからね。猫なで声でそう呟き呟き私の魂は悪い夢へと赴く。金輪際、合唱しない、唱和しない、シュプレヒコールしない、朗読しない、読経しない。そう誓いたがっているあなたの夢に、いつかするりと入っていく。「まだ間があるぞ」なんていったって、もう間なんかないことを、私は首筋のあたりで感じている。ああ、駆け足になる。

 余分事ながら、六条御息所について知りたい方に次の記事をお薦めします。
『源氏物語と女性(四)憑依の女性 六条御息所』