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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(39)

年若い死刑囚A君(2)

 b節は三番ブースでのA君との面談の詳細な記録である。最後には、その動機は不明ながら、A君が行なった殺人事件の概略が語られている。A君はある少女の母と祖母を殺したようだ。その2遺体はそれぞれ別の部屋にあった。不可解なことに、それを放置したまま、別の一室でA君と少女とその少女の妹の三人で食事をしたというのだ。一体何があったのだろうか。私はさっぱり分からない。ともかく「奈落b節」を読んでみよう。


 青年の赤ら顔から、大きな千重咲きの牡丹を、私は連想した。無残な花。それがさも嬉しそうに笑っている。彼には眉毛がほとんどなかった。長期の拘禁からくる精神の失調のために自分で毛をむしってしまったのか、持病のアトピー性皮膚炎のためにそうなったのか、両方が原因なのか、私は問うたことがない。たしか、もう28歳になっているはずだが、眉毛が抜けているために、それより幼くも見えるし、また、角度によっては、とても老けた顔にもなった。

 私は青年の笑顔にわずかでも翳(かげ)りがないか探した。間もなく死刑が確定するなりゆきであることは、彼自身知っているはずである。表面いくら笑っていても、翳りがあるのがごく自然であろう。だが、うまく押し隠しているのだろうか、眉間にも眼にも暗鬱な色はなく、むしろ晴れ晴れとしているようにさえ見えた。その顔に私は無沙汰を詫び、元気だったかと無意味に問い、そして、最高裁への意見書を書いていないことのいいわけのように、もう少ししたらアフガニスタンに行かなくてはならない、とややぶっきらぼうにいった。

 そうしたら、彼の表情がはじめて曇った。真剣な眼になって、「大丈夫なんですか。危なくないのですか」と訊いてくる。曖昧に私は笑う。奇妙ではないか。死刑を案じなければいけない若者に、アフガン行きを心配してもらっている。この男は、いま、自分の立場をよく了解していない。あるいは、わかっていないふりをしている。ほんとうは私のほうがいいたいのだ。〈大丈夫か。判決を待つって、怖いだろう。最後の判決だものな。どうしたらいいんだろうな〉と。それは、むろん、いわない。いえはしない。

 青年は私の答えを待たずに、問いを重ねてきた。「行きたいから行くんですか。行きたくないのに行くんですか」。面白い設問だと私は思う。透明アクリル板の向こうに私と向きあって座っている男は、心から人を死に至らしめたいと願って、死に至らしめたのではない。主観的な願望と現実のなりゆきは、いつもひどく異なる。彼の場合、極端についていない。幸運に見放されている。その差がほとんどすべてだ、と私はいつも思う。私が逆にアクリル板の向こうに座ることだってありえた、と面会のたびに、ほんとうに何度考えたことか。

 「行きたくないけど、行くんだよ」と私は答える。「運命だよ」と、オーバーにつけ加える。たかがアフガン行きなのに。「運命」という言葉に、青年の眼が幽(かす)かに反応した。それに私は怯み、「運命」を口にしたことを恥じる。彼は聡(さと)いから、それを感じとっている。でも、私の頭は考えている。この男と私と、どちらが先に死ぬだろうか、と。ちがいは、死が法的に約束されているかどうかだ。彼の「死」は、国家が彼に対し執行する殺人によりもたらされるのであり、それまでは、彼という身体は法により生かしておかれる。法によって生かされている間、彼はかたときも死の想像から離れることを許されない。私の"自由な死"と彼の死とを比較してはならない。私は私に吐き気がしてくる。

 かつてもそうであったように、私たちは事件についても公判についても一言も触れはしなかった。ただ、彼はこれまでは一度も問うたことのないことを、妙に慎重な言葉づかいで問うてきた。「どんな本を読んでおけばいいんでしょうね。なにかおすすめはありますか」。そのいいまわしに、ああ、覚悟しようとしているのだと私は感じ入ったものの、不意のことゆえ、答えがでない。青年は、すると、前言を翻(ひるがえ)すようにして、私がこれまで読んだもののうち、もっとも感動した本を教えてくれというのであった。私は即答せず、本を手配して、彼の母を通じ、それを渡すようにすることを約した。

 「ご無事で……」と男は最後にいった。〈逆だよ。それは俺のあんたへの台詞だよ。ご無事どころじやないけど〉と、私は口のなかでいい、言葉をかみ殺して呑みこんだ。係官に退出するよう促されながら、青年はドア口で私に深々と一礼した。大ばかで、ときどき乱暴で、ときにとても優しい、大きな熊の縫いぐるみが私にそうしているように見えて、私はたじろぐしかなかった。左耳の耳鳴りがまたはじまった。耳垢が落ちてきそうだ。

 私は彼にかんするほとんどの法廷資料を読んだ。上申書にも眼をとおした。彼のことをなんらかの形で書き、発表しようと思ったこともある。しかし、会っているうちに、私は私のまなざしと声音が厭になったのだ。彼を"極上ネタ"として扱い、理解のありそうな眼つきをしてみせ、猫なで声で安心させて、"心の闇"とやらをうち明けさせ、話全体を増幅し、歪曲し、単純化して、売れ筋の本に仕立て上げようとするあざとさが、心底、厭になった。そうした心の動きを、殺そう殺そうとして、ここまできた。だから、本件については青年にろくに問うたことがない。

 でも、ひとつだけ知りたいことがあった。事件現場のマンションの一室で、少女に導かれるまま、彼、少女および少女の妹の三人で、テレビを観ながら食事をしたときの心もち。上申書によると、少女が「三人分の茶碗にご飯を盛り、その上に目玉焼きがのっかったものと味噌汁をテーブルに並べて、そして、食事が始まりました」とある。そのとき、彼に包丁で刺された少女の母親は別室で血だらけになって横だわっていた。少女の祖母も死体で別室に臥(ふ)していた。少女は「おいしくないの?」と彼に訊いたという。彼は「いや、そんなことないよ」と答えて「なんとか、出されたものは、ひととおり食べました」というのだ。この、世にも静謐な最後の晩餐に、彼はなにを見て、なにを感じていたのか。いつか喪(うしな)った一家団欒(だんらん)の幻だろうか。目玉焼きの味はどうだったのか。にしても、少女の役回りはなんだったのか。彼女は一方の"主役"ではなかったのか。私はそれらを、詰めはしなかった。法廷もそれを明らかにはしていない。

 拘置所からの帰路、南千住で電車を降り、「首切り地蔵」にお参りした。最高裁で原判決破棄・差し戻しの判決がでますように、と。カラスたちが、間延びした、なんだか淫らな声で鳴いていた。私はよろよろと、数ヵ月前まで私が住んでいた近くのアパートまで歩いていってみた。電柱の陰に隠れて、かつて私がいた五階の部屋の様子をうかがった。左耳が痒(かゆ)くてしようがない。私が寝室兼書斎にしていた部屋の窓に人影があった。鋳(い)つぶしたような黒い顔だ。その男も、耳を掻いているように見える。左耳に人差し指を突っこんでごそごそやっているようだ。私は私の過去を見上げている気がした。

 四日後、最高裁は上告を棄却した。

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