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今日の話題

2007年3月3日(土)
ありがたや、あなたもわたくしも「おほみたから」

 民衆のかまどに煙が立たないことを憂えた仁徳天皇を「国民の上に御仁慈をたれ給う」天皇の代表として取り上げる文章に今までに何度お目にかかっただろうか。耳にたこができそうだ。

 その仁徳天皇がメインテーマ『《吉本ファシズム論より》:庶民の戦争責任・第2部(3)』の中に登場していた。その部分を転載する。

叔父「英一や(息子の名前-註)、聞きなさい。わが国の御歴代の天皇は、国民の上に御仁慈をたれ給うて、われわれを赤子と仰せられる。恐れ多いことではないか。遠い話だが、神武天皇はひじような御苦労をなされて国内を御平定あそばされた。民のかまどの仁徳天皇のお話もよく習ったろう。明治の御代からこのかた、国運は隆々たるものだ。みな御稜威のいたすところだ。」

息子「おじさんは『日本書紀』もお読みになったでしょう。武烈天皇はどんなことをしましたか。人民の妊婦の腹をさいて胎児を引きずり出したり、人民を木に登らせて下から弓で射させたり、その他天皇たちの非行はたくさん挙げられているではありませんか。これが御仁慈というものですか。それで『大君の辺にこそ死なめ』か。」

 さて、ここで思い出したことがある。東京新聞(2007.02.24)「筆洗」の書き出しの文章だ。
『畏れ多いことながら、仁徳天皇の<高き屋に登りて見れば煙立つ…>の歌を見ると、いつも火の見やぐらを連想する』

 なぜ「畏れ多い」のか理解しがたく、しばし絶句してしまった。

 上記のメインテーマの中の陸軍中将閣下が「わが国の御歴代の天皇は、国民の上に御仁慈をたれ給うて、われわれを赤子と仰せられる。恐れ多いことではないか。」と恐れ入るのは、天皇教イデオロギーを身にまとうことで社会的地位を維持している人間の言として当然と納得できる。

 「筆洗」の「畏れ多いことながら」は、あるいは揶揄的に使っているのかなと、何度か読み直してみたがどう読んでも心から畏れ入っているようだ。「畏れ多いことながら」というマクラがなくとも文章全体に何の不都合もない。むしろそのマクラだけ浮いていて取って付けた感を否めない。このマクラを書き留めたとき、この筆者の心裏にどんな葛藤や屈折があったのかなかったのか知るよしもないが、もしかするとご本人も気づかずに巣食っている天皇に対するタブー意識がつい露呈してしまったというところだろうか。

 そういえば、私の高校時代の日本史の教師は授業で天皇の名を口にするとき、かかとをピッタリそろえて直立不動の姿勢をとっていた。わりと好きな先生の一人であったが、この奇異な行為には滑稽さと嫌悪感のまじったような感じをもった。

 ところで「御仁慈」とはなにか。
 古事記・日本書紀では「百姓」に「おほみたから」というルビを振っている。これを読んだとき、よくぞ振ったものだ、民衆=百姓があらゆる価値の源泉だということをキチンと認識していたのだなあと、へんに感心したものだった。かまどに煙が立たずに「おほみたから」が減少してはさぞ困ることだろう。

 庶民を「おほみたから」などといい紛らわすのではなく、はっきりと「機械」といってのける現在の支配層のリアリズムの方がましというべきか。
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