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今日の話題

2007年1月15日(月)
「労働ビッグバン」というマンガ的改革

 『「ホワイトカラー・エグゼンプション」って何だ?』で、「ホワイトカラー・エグゼンプション」の問題点を論じた冷泉彰彦さんの報告を紹介しました。その続きの報告(第285回)が一昨日配信されました。政・財・官が企んでいる負の変革(労働者奴隷化改革)を、冷泉さんは『「労働ビッグバン」というマンガ的』な改革と言っています。前回同様、あらゆる面から遺漏なく論じていて勉強になります。今調べたところ「JMM」のサイトにはまだアップされていないので、かなり長いのですが全文を紹介します。

(追記 2016年11月30日)
 この「政・財・官が企んでいる負の変革(労働者奴隷化改革)」は第1次安倍政権下の企みです。現在のアベコベ軽薄姑息うそつきオカルト政権もこの「労働者奴隷化改革」を引き継いで着々と推し進めている。度々指摘しているように、この政権の数々の悪政の源泉は全て第1次安倍政権時に培われていたのだった。


「雇用システムへの信頼」

 前回、日本の「ホワイトカラー・エグゼンプション」論議にあたって、アメリカの制度が正しく紹介されていないということをお話ししたところ、様々な反響がありました。また丁度、年末年始にかけて、この問題は色々な角度から議論されているようです。現時点では、厚生労働省は法案の提出に関しては、依然として強気であり上程は参院選後にするとか、最初は年収900万円以上にしてインパクトを小さくしようとか(後でお話ししますが、この900万という数字自体も大変に問題なのですが)、話の方向は法律を通すための方法論に向かっているようです。

 政府や財界としては、更に「労働ビッグバン」というマンガ的としか言いようのない名称の元に労働法制の大幅な改訂を目指しているようです。日本人の働き方が議論の対象になるのは素晴らしいことだと思いますが、改革の方向を間違えては大変です。下手をすると、日本経済の競争力も日本人の幸福度も吹っ飛んでしまうようなことになりかねないからです。

 ですから、厚生労働省並びに日本経団連が、アメリカの制度を「誤解」もしくは「曲解」して伝えていると言わざるを得ない、このことをもう一度掘り下げてお話しすることは、この時点で極めて重要だと思うのです。まず制度のネーミングですが、どうやら出所は「諸外国のホワイトカラー労働者に係る労働時間法制に関する調査研究」という「独立行政法人 労働政策研究・研修機構」が2005年3月に発行した報告書のようです。

 この報告書は「厚生労働省からの研究要請を受けて」取りまとめられたというのですから、この一連の制度改定のベースとなった資料とみなしても良いのでしょう。その報告書の38ページから39ページには、
「真正な管理職(executive)、運営職(administrative)、もしくは専門職(professional)の資格で雇用される被用者」は、一般に「ホワイトカラー・エグゼンプション」と呼ばれ、労働時間規制を受けない上級ホワイトカラーの代名詞になっている。
 という記述があります。まるでこの「ホワイトカラー・エグゼンプション」というのが制度の名前のような記述で、実際にこの部分の小見出しは「ホワイトカラー・エグゼンプション」となっているのです。ですが、実際にはアメリカでは社会問題として労働問題を議論する際にも、あるいは経営の立場から雇用条件を議論する際にも、あるいは日常生活の中で「あなたの仕事はどんな具合?」というような雑談をするときにも「ホワイトカラー・エグゼンプション」という言い方はしません。

 あくまでこの言葉は、労働法制に関する専門用語(術語)であって、「上級ホワイトカラーの代名詞」などというのは事実に反します。何故かというと「ホワイトカラー」という言葉自体が「ブルーカラーよりも偉い」というニュアンスがあって「ポリティカリー・インコレクト(平等思想に照らして不適切な表現)」な印象があるからです。では制度に何か名前があるかというと、特にそうではなく、どの国にもある「管理職と専門職は残業がつかない」という慣行がアメリカにもある、それだけだと思います。

 ただ、人材を採用する際などに、残業のつかない職種は「エグゼンプト」、残業のつく(したがって適用除外ではない)職種は「ノン・エグゼンプト」という言い方はします。それ以上でも、それ以下でもありません。また、今回ブッシュ政権の下で、所得要件の緩和などが行われていますが、そもそも「裁量権」や「部下の人事権(採用と解雇の権限)」あるいは「職歴や学歴の裏付け」などの厳密なチェックを伴って運用されているのは前回お話しした通りです。

 実はここにもう一つ重要な要素があります。それは、アメリカの職場における職務内容記述書(ジョブ・ディスクリプション)の存在です。その人は仕事として何をすればいいのか、誰の支持を仰げばいいのかということが文書化されたもので、採用の時点でも、毎年の年俸改訂の際にも、昇格や異動の際にも必ず見直して合意の上、本人がサインしなくてはなりません。

 このジョブ・ディスクリプションが非常に厳格に運営されている、それがアメリカの労働事情の背景にあるのです。厳格というのは正確に言うと「書いてあることはしなくてはならない」が「書いていないことはしてはならない」のです。特に「自分の職務として書いていないことで、他人の職務であることを勝手にやってはいけない」のです。

 つまり、職務内容が似通っている同僚の仕事を勝手に「カバー」するのは御法度なのです。日本からアメリカの企業(ないし日本企業の現地法人)に行くと、この点で非常に戸惑う人が多いのですが、「ジョブ・ディスクリプション」に書いていないことを命令することは基本的には難しいのです。例えば、秘書に仕事を頼もうと思ったら、出張の手配とか、ビジネスレターの清書などという項目を全て洗い出して、具体的に書いておかねばならないのです。

 上司は部下に対して「ジョブ・ディスクリプション」に書いていないことを命令するのは、どうして難しいのかというと、まず「約束していない成果は評価のしようがない」という思想があり、そして「自分の職務範囲の以外のことを行うというのは、他人の職務を侵すことになる」という発想があるからです。

 極端な例ですが、アメリカの学校では子供による掃除当番はありません。このことについて「どうして?」という子供の問いかけに対して大人達は「生徒が掃除をしてしまうと、掃除をする人の仕事がなくなってしまうから」という答え方をします。そして子供はそれに納得してしまう中で、知らず知らずのうちに「他人の職務を侵すな」という感覚を身につけていきます。

 更に言えば、こうした厳格な職務内容は、各人のキャリアに深く結びついています。日本でよく言う「ゼネラリスト」という名の「何でも一通り経験した人材」などというものはなく、マーケティングならマーケティングの、そしてその中でも数値分析を中心とした戦略家なのか、あるいは消費者向けのキャンペーンやメディア戦略が得意なのか、あるいは商品開発の中でマーケティングを行うアプローチなのか、そうした専門性が問われていくのです。

 その専門性は職歴だけでなく、学歴にも関係してきます。ですから日本では良くある「大学は文学部だが、数字が得意そうだから経理」であるとか「理系だがセンスが良いのでクリエイティブ」というような人事は絶対にあり得ません。そのような専門性が学歴職歴という事実によってサポートされている中で、労働市場における人材の価値が生まれ、人は職を得ていくのです。

 アメリカの雇用制度は、そのような専門性と、そして「エグゼンプト」の場合は裁量性ということが実際に機能していて、その延長で「残業のつかない管理職、専門職」が存在しているのです。そうした全体像を無視して「アメリカではホワイトカラー・エグゼンプションが機能している」というカタカナの報告書で世論を煙に巻くというのは、厚生労働省にしても日本経団連にしても不誠実だと思います。

 では、日本の雇用制度はこのままで良いのでしょうか。決してそんなことはないと思います。財界が言うように、国際的な競争力の問題は無視できませんし、時代の変化スピードに対応できるような人材の育て方も、配置の仕方も必要でしょう。終身雇用を前提としたゼネラリスト候補を中心として、これに研究開発の専門職を加える、どちらも配置転換を繰り返して長期的な人材育成を行う、そんな「のんびり」した人事では対応できない時代です。

 では、思い切ってアメリカ型にするのが良いのでしょうか。相当部分は良いように思います。ですが、日本企業の美点である「各人が隣接する他の業務に精通している」ことや「日程の正確さや工作精度の要求度が高い」こと、あるいは「全員がコスト感覚を共有している」ということなどは、100%捨てるべきではないと思います。

 では、どの部分を残して、どの部分を変えていくのか。実はこの点はほとんど議論されていないのではないでしょうか。また雇用制度が変わっていくことは、求める人材が変わっていくと言うことであり、結果的にこれは教育制度にも大きく関係してきます。また、人々の文化や価値観にも関係してくるのでしょう。

 例えば、アメリカの場合、終身雇用は崩壊してしまう中、職を得るためには学歴と職歴をコツコツと積み上げるしかないプレッシャーの高い社会になっています。一旦得た職も、経営環境の悪化などの結果として解雇されることも十分にあります。その結果として、失職した人間が残った同僚を恨んで銃を乱射して自分も自殺するような、やり切れない事件も多いのです。

 そうであっても、アメリカ人が何とかやってゆけるのには、無邪気なまでに楽観的な姿勢であるとか、結果はともかく「機会の平等」だけは信じられるという、システムへの信任があるからなのでしょう。丁度、この年末年始のシーズンに、この「雇用の不安定」と「それでもチャンスを信ずる楽天さ」というアメリカらしい問題を描いた映画が大ヒットしているので、こちらをご紹介することにしましょう。

 日本でのタイトルは『幸せのちから』ということに決定しているようですが、原題は "The Pursuit of Happyness" で直訳すると「幸福を追い求めて」とでもいうような意味、ちなみにハピネスの綴りが間違っているのがご愛敬です(どうしてかは作中のエピソードに関係があるので、ここでは省略します)。

 主役はウィル・スミスで、今回がデビューになる息子さんのジェイデン君との親子競演も話題を呼んでいます。ストーリーは、海軍OBで医療機器のセールスマンだった男(スミス)が、不運の重なる中で日本でいう「ワーキング・プア」の状況に陥ってしまいます。妻(サンディ・ニュートンがイヤな役を好演)にも去られた男は、アパートからも簡易モーテルからも追い出され、5歳の息子を連れて地下鉄に寝泊まりしたり、教会のホームレス用シェルターに駆け込んだりするのです。

 ただ、この男は「株のブローカー」になるという夢がありました。学歴も職歴もない彼は、無給のインターンを半年間務めることで、自分のキャリアを作ろうと必死で努力します。その貧しさと不運は目を覆うばかりなのに、常に前向きであり、息子を愛し、夢を捨てずに努力する、そんなウィル・スミスの何とも言えない演技は、口コミで広がっているようで、公開から一ヶ月近く経つのですが、まだまだ観客を集めるロングランになっています。現時点での興行収入は126ミリオン(約151億円)ですから堂々たる大ヒットです。

 この間のハリウッドでは、価値観の相対化や、格差の進行、あるいはリベラルと保守の対立疲れなどから「アメリカンドリーム」をここまで描いた作品はあまりありませんでした。ですが、この『幸せのちから』のヒットは、まだまだアメリカ人が「セカンド・チャンス」や「機会の平等」を信じているということを示しているように思 います。

 勿論、極貧の中での苦労の描写が共感を呼ぶ心理には、雇用の不安定な社会、格差の大きな社会への不満が渦巻いているとも言えます。ですが、どんなに過酷であってもシステムが信じられるというのは希望のある話です。希望とは、楽観的に夢を追いかける個人の資質だけでは持ち続けることはできません。無給のインターンを必死で勤めながら、資格試験に合格するために睡眠時間を惜しんで勉強する主人公の姿が感動を呼ぶのは、その希望にリアリティがあるからですし、その背景にはシステムへの信任があるということを、この映画は教えてくれています。

 翻って日本の「労働ビッグバン」や「ホワイトカラー・エグゼンプション」の提案はどうでしょうか。そこには人々のシステムへの信頼を高めるようなメッセージ性は感じられません。競争力の名において、労働の成果を勤労者に分配する率を更に切り下げようという意図しか見えないとしたら、個々人の成長や努力への動機付けにはならないのではないでしょうか。

 例えば、日本の雇用問題の中で非正規雇用の正規雇用化ということは重要なテーマだと思うのです。ただ、この問題が上手くいかないのは、現在非正規雇用に甘んじている人が「どうすれば正規雇用を得られるのか?」という道筋が見えていないことです。今は、「正社員経験のない30歳」が大企業の正社員として「ポン」と配属するようなことは、雇用側もその「30歳」の側もイメージとして描けない、そんな状況です。

 ここには補助金をいくら出しても問題は解決しません。「30歳」が何をしようとしているのか。そのためにはどんな努力をしようとしているのか。そしてその結果どういった可能性があるのか。そうしたシステムへの信頼から来る、人間としての自然な努力への動機付けの循環、これを確立しなくては「再チャレンジ」も何もあったものではありません。

 最後にその安倍政権が打ちだそうとしている「年収900万以上の残業カット」ですが、この900万という数字の対象になるのはどんな人なのでしょうか。残業込みで900万というのは「残業のつくヒラ社員」としては相当に上位に当たる収入です。中には、毎月の固定基本給50万、賞与が5ヶ月分で250万(ここまでで850万) 後の50万は残業で125%の割り増しを考えても残業単価が時間当たり3900円ぐらい、したがって年間の残業時間は120時間(一ヶ月10時間)程度というケースもあるでしょう。ですが、「ヒラ」で毎月の固定給が50万というのは非常にまれなケースです。

 あるとしたら「係長・主任」クラスで、管理職の一歩手前というグループでしょう。このグループは、多くの場合は管理職昇進を「人質に取られ」る中で高い忠誠心を要求され、恐らくは膨大なサービス残業をしているのではないでしょうか。だとすれば、管理職昇進を待たずして「残業カット」の対象になったとしたら「手取りは大して変 わらない。でも何だか空しい」という印象を抱くでしょう。まともな企業だったら、本人のモラルを考えると、こうした人を対象にわざわざ新制度を導入しないでしょう。

 そもそも多くの企業の場合は、管理職・専門職の年収は500万円台から700万円台がスタート地点であるはずで、900万円以上などという法制は何の影響も与えないはずです。厚生労働省も「対象者はごくわずかなので国民が心配する必要はない」という言い方をしていますが、対象が少ないのは間違いありません。ですが、このわずかな対象という人たちが問題なのです。

 そのわずかな中の多くのケースは、月間固定給が30万ぐらいではないでしょうか。そして賞与が5ヶ月出ていたとして、年収が900万になるとしたらどんな計算になるのでしょう。月給と賞与では510万、したがって年間の残業手当が390万、そして残業の時間当たり単価は2343円ですから、年間残業時間は1664時間、何と月平均で139時間という途方もない数字になるのです。仮にこうした人の残業をカットし、時間管理をやめるというのは、そのまま過労死を助長すると言われても仕方がありません。

 数字を高くして対象者を限定すれば国民が納得するだろう、「900万」の背景にはそんな発想が見て取れます。ですが、実際に残業込みで900万という人がいたとして、その人はどんな状況にあるのかを考えてみれば、その数字が全く別の意味を持ってくるのではないでしょうか。今回の「900万」にはそうした誠実さが全く感じられません。

 人事労政というのは、雇用側と労働側の利害の対立を調整する仕事です。両者にギリギリの利害があり、それがシャープに衝突する中で、誠実に実務を積み上げて相互の信頼を得、解決に導く仕事だと言って良いでしょう。その所轄官庁であるはずの厚生労働省も、その誠実さを見せて欲しいものです。制度設計に対する誠実さとは、生きた企業経営、生きた勤労者の生活の双方に当事者意識を持つことであり、両者がその将来展望を描けるためのシステムへの信頼を勝ち取ることだと思うのです。

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今日の話題

2007年1月12日(金)
戦後民主主義は決壊した。

 今日の話題も本テーマ『戦争と平和』のバイパス記事です。

 前回、1999年を時代の転換点だったとして問題にしました。辺見庸さんは、1999年を「戦後民主主義という堤防が完全に決壊」した年と言っています。『抵抗論・国家からの自由へ』から引用します。


 まず、1999年夏の第145通常国会で、ガイドライン関連法案、いわゆる「周辺事態法」ができました。

 それから「盗聴法」というのも通ったわけです。「盗聴法」というのは「通信傍受法」ともいわれましたけれども、これは憲法第21条第2項の「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」に明白に違反するわけで、とんでもない法律だと私は思っています。

 それから「国旗・国歌法」というものもできました。これもまた、憲法第19条の「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」に抵触するものではないかと思っています。99年のときには、まだ海のものとも山のものともわからないという高を括った気分も一般にありましたが、いまや大変強圧的法律として定着しつつある。この法律が、とりわけ教育界にもたらした悪影響は計り知れません。

 さらに、「改定住民基本台帳法」というものも通ってしまいました。この法律が施行され、皆さんのところにも、人間を10桁の番号で表す、いわゆる住民票コードというものが送られてきているはずです。

 また、「国会法」を改正して、「憲法調査会設置法」というものもできました。この法律は、2000年の通常国会から施行され、早くもこの間、「答申」のようなものが提出され、過半数の議員が「憲法」改定を考えているということがはっきりしてきました。これにともなって、戦後の日本ではかつてなかったことですが、「有事法制」というものをなにはばからずいえる雰囲気が、99年ころからでてきました。

 そして、これは95年に起こったオウムの地下鉄サリン事件がきっかけになっているのですが、「団体規制法」(「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」)というものも、同じく99年に成立したわけです。他の事件やたくさんの法案がありましたから見過ごされていますけれども、これも大変な法律です。つまり、捜査令状無しに、宗教団体その他に踏みこむことができる。しかも、警察ではなくて、公安調査庁にその権限があるという、いわば何でもできるという法律だと思います。これを拡大し、援用していくとどういうことになるのか、考えるだけでぞっとする法律です。

 こういう大きな流れを見て、99年のその時点で、私は戦後民主主義という堤防が完全に決壊し、反動の濁流が押し寄せてきている、これからはもっとひどくなるぞといろいろなところで申し上げてきました。当時の私の発言は悲観的過ぎるとかオーバーだとか、ずいぶん反発もされたわけですが、いまの事態は、皆さんよくご存知のとおり、99年の第145通常国会のころどころの騒ぎではないですね。いったん決壊した堤防は、土嚢を積み上げることすらできなくて、もう濁流に身をまかせるしかないような状態を生みだしてしまった。私の予言はまったく不幸にして当たったのです。

(2007年1月10日と1月11日の今日の話題は共通の話題なので、一緒に掲載します。)
今日の話題

2007年1月10日(水)
フォークシンガーからの「反戦」メッセジー

 東京新聞の「こちら特報部」はいま『私たちの「美しい国へ」』という連載を行っている。あまり熱心には読んでいない。しかし、今日の表題は「非国民の精神」。「非国民」は私の好きな言葉の一つ。今日はキチンと読みました。

 私は日ごろポップスとかフォークソングとかロックとかにはあまりなじみがない。大体その区別もできない。だけど唯一、子供の影響で忌野清志郎のテープを好んで聴くことがある。面白い。その反権威・反権力・反骨精神がなかなか心地よい。

 そんな私だから当然存じあげていない方だけど、「非国民の精神」はフォークシンガーの加川良さんという方の生き方を取り上げて、そのデビュー作「教訓1」を紹介している。

 加川さんのコメント
「私は政治のことなんかなーんにもわからない人間です。何が『美しい国』やら知らないし、安倍政権の安倍の字だって間違える。でも、ここ数年の間に日本は随分勇ましい国になったとは思います。国策だの愛国心だの、そんな言葉が軽く使われるようになった。あっという間にね。だから、あんな『非国民』の歌も歌った方がいいのかなと」

 その『非国民』の歌というのが「教訓1」。次のような歌詞です。


教訓1

 命はひとつ 人生は一回
 だから 命を すてないようにネ
 あわてると つい フラフラと
 御国のためなのと いわれるとネ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 御国はおれ達 死んだとて
 ずっと後まで 残りますヨネ
 失礼しましたで 終わるだけ
 命の スペアは ありませんヨ

 命をすてて 男になれと
 言われたときには ふるえましょうヨネ
 そうよ 私しゃ 女で結構
 男のくさったので かまいませんよ

 死んで神様と 言われるよりも
 生きてバカだと 言われましょうヨネ
 きれいごと ならべられた時も
 この命を すてないようにネ


 だからお国に無体なことをいわれれば「ちょっと失礼!」と走って逃げる。「逃げるって案外パワーがいる。攻めるより情熱が必要かもしれない」と。
 加川のいう「非国民」の精神とは、そういうことだ。肩ひじ張って逆らわず、しかし、まつろわず…。

と記事は続く。その言やよし.しかし、逃げるには「案外パワーがいる。」ばかりではない。逃げざるを得なくなった状況ではもう遅い。「神父」や「密告者」になるまいとすることと同様、やはり命を賭さなければできない。「大東亜戦争」下の非国民がつとに体験したことだ。


2007年1月11日(木)
長渕剛さんの「静かなるアフガン」

 いくら私でも「長渕剛」という名は知っている。しかし、どんなヒット曲があるのかは知らない。その程度の私が、昨日の記事から長渕さんを思い出したのは、佐高信著『許されざる者、筆刀両断』で「静かに排除された長渕剛のアフガン反戦歌」という記事を読んでいたからだった。言論・表現の自由も扼殺されかけている。

 放送界から「静かに排除」されている「静かなるアフガン」はどんな歌なのか。昨日の「教訓1」ともども聞いてみたいと思うが、その手立てがないので、せめてもと歌詞を調べてみた。



静かなるアフガン  海の向こうじゃ戦争がおっぱじまった  アメリカが育てたテロリスト  ビンラディンがモグラになっちまってる。  ブッシュはでっかい星条旗を背に  ハリウッド映画のシナリオをすげかえる  悪と戦うヒーロー  アフガンの空 黒いカラスに化けた  ほら また 戦争かい  ほら また 戦争かい  戦争に人道(みち)などありゃしねぇ  戦争に正義もくそもありゃしねぇ  黒いカラスにぶら下がる ニッポン人  僕らはTV(テレビ)で  銃弾に倒れる兵士を見てる  空爆に両足ふっ飛ばされた少女の  瞳から真っ赤な血液(ち)がしたたりおちる  日の丸と星条旗に 僕は尋ねてみたい  戦争と銭(かね)は どうしても必要ですか?  広島と長崎が吠えている  「もう嫌だ!」と 泣き叫んでいる  ほら また 戦争かい  ほら また 戦争かい  戦争に人道(みち)などありゃしねぇ  戦争に正義もくそもありゃしねぇ  あゝ 早く アフガンの大地に  平和と緑よ やどってくれ!  あの時の少女の瞳をこわさないで  僕は祈る 静かなるアフガンの大地  僕は祈る 静かなるアフガンの大地
 佐高さんは言う。
『ブッシュはビンラディンやフセインを狂気の人だとし、声高に非難する。しかし、ブッシュの方がよほど狂気の度は高いのではないか。それにしても、長渕剛だけでも、こうした歌を唄っていることに救われる。後に続く歌手は現れないのか。』

 反戦歌ではないけれど、国会前の教育基本法改悪反対集会でのzakiさんやヨッシーのプロテストソングはパンチがあってよかったなあ。
今日の話題

2007年1月9日(火)
「イタリア抵抗運動の遺書」から

 今日の話題も『戦争と平和』のバイパス記事です。

 昨日『戦争と平和(3) 私たちにはどんな抵抗が可能か』で紹介した『イタリア抵抗運動の遺書』を私は全部は読んでいない。私の脆弱な精神にはつらすぎて、途中でやめたと思う。20年ぶりに取り出して調べたら、しおりは54・55ページにあった。約400ページの本だから8分の1ほどしか読んでいない。

 この本に手紙という形で記録された死者たちは200名ほどですが、これはもちろん、レジスタンスでの死者のほんの一部でしかない。またさらにその中からのたった3人だけですが、私が読んだ範囲から、その魂を届けたいと思います。

アルマンド・アンプリーノ(アルマンド)
 二十歳。機械工。1925年5月24四日、コアッツェ村(トリーノ県)に生まれる。独立派師団《セルジョ・デ・ヴィティス》所属《ルッロ・モンガーダ》旅団のパルチザン。44年5月のスーザ谷における武力衝突や、アヴィリアーナ(トリーノ県)一帯における数々の襲撃に加わる。同年十二月、RAU(警察機動隊)のパトロール班によって、トリーノ市ミラーノ城塞で捕えられる。トリーノ市ヌオーヴェ刑務所に連行され、対ゲリラ法廷で裁判。十二月二十二日、CNR銃殺班により、トリーノ市マルティネット陸軍射撃演習場で、カンディド・ドヴィスとともに、処刑された。


1944年12月22日、獄中より

 最愛の両親、親戚の皆様、すべての友人たちへ悪い知らせをお伝えしなければなりません。僕とカンディドは、二人とも、死刑を宣告されました。元気を出してください。僕らは潔白です。パルチザンであるというだけで死刑を宣告されたのです。

 僕はいつもあなた方のそばにいます。

 山岳地帯での、長く厳しい暮らしのあとで、こんなふうに死ななければならないなんて……でも、天国では、兄さんのそばで、お祖母さんといっしょにいられるでしょう。そしてあなた方みなのために祈ります。僕はいつでもおそばにいます、お父さん、あなたのそばに、お母さん、あなたのそばに。

 もうすぐ、聖体を届けてくれる刑務所付きの神父様に立ち合ってもらい、落着いた気特で死にます。あとで神父様のところへ行ってください、埋められた場所を教えてくれるでしょう。

 僕のために祈ってください。もしも悲しませてしまったならば、許してください。
 僕の部屋の、聖母マリーアの絵の裏に、少しばかりお金があります。それで、僕のためにミサをあげてもらってください。僕の持物は、村の貧しい人たちにあげてください。

 〈教区司祭〉と〈神学生〉によろしく、そして僕のために祈ってくれるよう彼らに言ってください。勇気を出して。僕のために心を痛めないでください。天国で、あなた方のために祈ります。最後に、多くのキスとクリスマスの祝福を送ります。僕は天上でクリスマスを過ごすでしょう。
 天国でまた会いましょう。

 あなた方の息子 アルマンドより

 イタリア万歳! アルプス兵万歳!



 「いま在ることの恥」、「人間であるがゆえの恥辱」。辺見庸さんは「恥辱」という感性を失った人間の醜悪さを考えつめています。死刑される人に神の祝福をたれる神父に、私はやり切れぬ「恥辱」を感じる。

 闘ったのは若者だけではなかった。

ジュゼッぺ・アンセルミ(ピッポ)
 六十一歳。仕立屋。1883年2月12日、サンレーモ市(インぺーリア県)に生まれる。公然たる反ファシズム活動家。ファシスト幹部が公式訪問でサンレーモ市へ出向くたびに警察の措置によって検束を受ける。サンレーモCLN創設者の一人で、武器の調達、山中で離散した軍の兵士の補導、サンレーモ一帯の武装隊組織に活躍。サンレーモ周辺方面部隊を指揮、同隊は兵員の七割が戦死。1944年8月末、GNRおよびUPI隊員に捕えられ、度重なる拷問を受ける。同年11月6日、カステルヴェッキオ(インぺーリア市)にて、GNR隊員殺害への報復措置として、アルマンド・デンツァ、ルイージ・ノヴェッラとともに、銃殺された。


 いとしい子供たち、母上、兄弟姉妹へ

 今夜、処刑されることを、告げられた。

 私の一生がまったく誠実だったこと、ひたすら家族に尽した一生だったことは、誰よりもあなた方がよく知っている。

 アルマンドとアーニタ、いつも仲良くして、いつまでも愛しあうように。
 いいかい、私は無実であり、恥知らずな人が企んだ罠の犠牲になったのにすぎない。
 だから、おまえたちは前よりもっと胸を張っていいのだ。

 お母さん、気を落としてはなりません。私に罪はありませんが、お心を痛ませることをお赦しください。

 みなにロづけを。私は勇敢に死ぬことをみなに約束する。

 口づけを、口づけを、口づけを。

 アンセルミ・ジュゼッぺより



 闘ったのは男だけではなかった。

マリーア・ルイーザ・アレッシ(マリアルイーザ)
 三十三歳。女子事務員。1911年5月17日、ファリチエツト村(クーネオ県)に生まれる。43年9月8日以前は、サルッツォ町のイタリア共産党と連携し、地下活動を展開。44年、グァライタ谷方面第184旅団《モルビドゥッチ》のパルチザン伝令員として、数多くの使命を果たす。同年11月8日、クーネオ市の実家で療養中、黒シャツ第五旅団《リドンニチ》隊員に逮捕された。クーネオ司令部で繰り返し尋問を受ける。11月26日、クーネオ駅前広場で、黒シャツ第五旅団《リドンニチ》隊員によって、ビュートロ・フアントーネ、ニットレ・ガレッリ、ロッコ・レピーチュ、アントーニオ・トラモンターノとともに、銃殺された。


1944年11月14日、クーネオ

 もうご存じでしょうが、わたしは黒シャツ隊に拉致されてしまいました。いまはクーネオの学校にいます。元気で落着いています。

 どうぞわたしのために騒ぎたてることだけはしないでください。そしてわたしを獄中におとしいれたあの女たちを、おそばから遠ざけてください。
 そうして下さるだけでわたしは満足です。何よりも、これがわたしの定めだと思って諦めています。皆さんも心配なさらないでください。わたしのほうは大丈夫ですから。

 いつも皆さんのことを思い、おそばにいます。

 心から愛をこめて
      マリーア・ルイーザ



 この文面によると、この女性は密告をされたようだ。私はこの密告者にも限りない「恥辱」を感じる。

 私は自分の脆弱さ・卑怯さも深く恥る。しかしさして自慢にはならないけれど、少なくとも「神父」や「密告者」になるよりは死を選ぼうという覚悟はある。
今日の話題

2007年1月8日(月)
日韓海底トンネル

 辺見庸さんはマスゴミ記者を「糞バエ」と呼んでいる。それにならって、私は、腐れきって酷い臭気をはなっている国家権力を「糞」と呼び、それに隷属して媚を売るものを「糞バエ」と呼ぶことにする。

 さて、今朝の東京新聞国際面の小さな記事の見出しに、チョッとギョッとした。『公約に日韓海底トンネル? 韓国大統領選 元首相が検討』とあった。すぐ次の記憶がよみがえったからだ。

『新新宗教批判』の中で「統一教会」(「第543回 2006年7月5日」~「第548回 2006年7月12日」)を取り上げていたとき、統一教会のホームページで読んだ「糞」と「糞バエ」どもの文鮮明礼賛文集の中に「日韓海底トンネル」に触れているものがいくつかあった。

 日本の「糞」と「糞バエ」どもと同様に、韓国や北朝鮮の「糞」と「糞バエ」も統一教会に牛耳られているとは聞いてはいたが、それがいきなり表面化した観があった。

「カルトに祝電男が教基法変えて教育改革だって?(笑)」AbEnd+醜いし苦痛合体バナー 拉致ワンパターンの安倍君、ならば叩いてやろうじゃないのバナー

カルトに群がる「糞」と「糞バエ」

高田源清(九大名誉教授、元西日本短大学長、法学博士、法律学専攻)
 先にソウルで1981年に開催された第10回「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)の席上で文鮮明師の提唱された、東京からロンドン、モスクワを結ぶ国際ハイウェイ計画の最先端で、しかも最も困難な部分になる日韓トンネルの開設のため、先の青函トンネルの基礎調査を担当された北海道大学名誉教授の佐々保雄氏を会長とする日韓トンネル研究会が調査機関として東京に構成された。現地の九州にもその支部をおき、筆者はその現地調査の責任者をさせられているが、その本部の東京と福岡の支部に、専門調査の四部門をおいてその調査を分担して実行してきた。(中略)この日韓トンネルで、島国から脱却するという世紀のロマン、民族をあげての世界平和への寄与に挺身できる幸運をかみしめたいものである。

佐々保雄(北大名誉教授、理学博士、地質学専攻、「日韓トンネルプロジェクト」監修)
 どの国民も一人一人は、戦争なんか望んでいないのである。ところが、国家間政府間のレベルになると利害がもつれて、やがて戦争などが起こる。それはもう、個人の力ではどうにもならない。諸国民がお互いに訪問し合い、お互いに風土や民俗に触れ合い、友好を深め、「人類は一家族」(文鮮明師)という信頼が生まれた時、世界の平和は達成される。1986年10月1日という日は、その意味で21世紀の記念すべき日となるであろう。この日、やがてアジア=ヨーロッパを結ぶハイウェイの起点、日韓トンネルの日本側佐賀県鎮西町で斜坑起工式が行なわれたのである。(中略)シルクロードによって、かつてヨーロッパは東へ東へと進み、やがて中国の首都にまでたどり着いた。それから何百年かたった今、亜欧連絡のハイウェイはいわばその総仕上げとなる。<参考サイト>学生時代、東京で地質学を学ぶかたわら、内村鑑三先生の聖書講座に通ったことはよい思い出である。(中略)西堀さん(西堀栄三郎博士)の話を聞いた私は、不思議な神の導きを感じていた。(中略)さっそく私は古い仲間や教え子に呼びかけ、国際ハイウェイ・日韓トンネルの研究会を発足させた。松下正寿氏、福田信之氏をはじめ、日本からICUSに参加した多くの学者も参加したのは勿論のことである。やがて、研究機関としての『日韓トンネル研究会』、調査工事の推進母体としての『国際ハイウェイ建設事業団』が設立され、これまで約十年間、百億円余りを投入して、調査と研究が積み重ねられてきた。(中略)日韓トンネルは科学者と宗教家の夢が一致したところから始まった。21世紀は科学と宗教の理想が実現する世紀にしたいものだ。貧困と対立への挑戦はまだ始まったばかりである。私たちが夢をなくさない限り、必ずそれは実現する。私はそう信じている。<参考:日韓トンネル研究会名誉会長>

谷藤正三(元北海道開発庁事務次官、元建設省都市局長、日大教授、工学博士)  私は、国際ハイウェイ建設事業団において、中国ハイウェイ調査特別委員会の委員長として、中国ハイウェイの調査に携わっています。それに関連して(中略)、モスクワで開かれた第11回「世界言論人会議」に参加し、国際ハイウェイ構想についての発表を行なってきました。(中略)この言論人会議とは、「世界は一つ」という理念を持つ文鮮明師の提唱によって、毎年開催されるものです。(中略)世界を一つに結ぶのに、最も手っ取り早く具体的な手法として、私達は高速道路を選び、その計画を進めているわけです。(中略)日韓トンネルは、日本のため、世界のために、そして“世界は一つ”という目標に向けて、絶大な貢献をなしていくことは間違いありません(記念講演)。

江藤隆美(元総務庁長官、元建設大臣、元運輸大臣、勲一等旭日大綬章)
 日本と大陸を道路で結ぶため対馬海峡にトンネルを抜こうという壮大な計画(文鮮明師の日韓トンネル構想)は、最後に残る日本の巨大なプロジェクトです。(中略)政治は夢なのです。九州から対馬を通って、韓半島に道路を通そうとするのは、一つの夢です。政治が夢を失った時は、政治じゃない。だから、そういう事を何の補助ももらわず、自分たちでアジアの開発と平和のために計画してやろうと推進している。そういう事を考える団体というのは素晴らしいと思います。やらないで人のことを言うのはダメです。皆さんが頑張れば頑張るほど風当たりもひどい。値打ちがあればあるほど、人から外部から中傷も多いと思うが、一生懸命頑張ってほしいと思います。

加藤武徳(元自治大臣、弁護士、剣道範士・全剣連顧問、勲一等旭日大綬章)
 私は何回か、(文鮮明師が主催する)世界言論人会議や世界OBサミット、カウサ(CAUSA)セミナー、統一原理(統一教会の教義)の勉強会にも出席し、文鮮明師ご夫妻にも数回お目にかかり、文師の信念と烈々たる気魄をこめた演説を聞き感銘を覚えた。また、文師がオーナーの「ワシントン・タイムズ」の編集長にも会って意見交換を行なった。(中略)中・南米の政情は不安定で、ニカラグアが赤化された背後にはキューバがあり、さらにその背後には共産大国があることは世界の常識だが、中・南米隣国を共産化から護っているのはカウサであると私は信じており、文師の力の偉大であることをしみじみと思う。文師が提唱し、事業団(国際ハイウェイ建設事業団)が進めている壮大な計画に「日韓トンネル」がある。すでに佐賀や壱岐・対馬でボーリングが行なわれているが、それは単に日本と韓国の間をトンネルで結ぶだけではなく、韓国から北韓を縦走して中国に入り、シルクロードを経て欧州を結ぶ、実に壮大なものであり、半島の南北をも統一して「勝共」の思想と理念をも貫く大平和ロードを目指しており、その雄大さに驚かざるを得ない。

 「糞」と「糞バエ」の文鮮明礼賛文集を全部読みたい方のために。

文鮮明師と統一運動に賛同する方々

 ちなみに東京新聞の記事は次の通りです。

 【ソウル=中村清】韓国の通信社・聯合ニュースは七日、今年十二月の韓国大統領選に向け、有力候補である高建(コ・ゴン)元首相が、日韓間を海底トンネルで結ぶ構想を選挙公約にするか検討中だと報じた。高元首相の側近が同日、明らかにしたという。

 この構想は、韓国南部の慶尚両道・巨済島から対馬列島を経て、九州までの二百三十五㌔の区間を海底トンネルでつなぎ、鉄道と高速道路を建設する巨大プロジェクト。一九八〇年代に浮上し、過去の大統領選でも複数の候補が関心を示したとされるが、公約にはならなかった。

 高元首相側は、六十兆ウォン(約七兆二千億円)から二百兆ウォンの巨額の建設費がかかると試算する一方で「日韓両国間の往来が現在の十倍以上になり、年間五十四兆ウォンの産業波及効果がある」と分析。また、両国が車で二時間で結ばれるため地理的断絶を克服し、北東アジアの経済共同体としての基盤にもなると期待する。

 高元首相は、ソウル市長も務めた官僚出身の実務派で「行政の達人」と呼ばれる。世論調査で常に三位の支持率を得ており、日韓海底トンネル構想を正式に公約に掲げれば注目を集めそうだ。

 次期大統領選の公約をめぐっては、野党ハンナラ党の有力候補である李明博(イ・ミョンバク)前ソウル市長と朴槿恵(パク・クンへ)前党代表がそれぞれ、朝鮮半島を南北に貫く「内陸運河」建設構想と、日中韓を鉄道車両を載せたフェリーで結ぶ「列車フェリー」構想を既に発表。国民の支持獲得を目指し、動きだしている。

 なお、自民党では「夢実現21世紀会議(議長 麻生太郎)」というチームが実現に向けた政策提言を行なっているという。

(追記 2016年11月26日)
 「日韓トンネル」構想はその後どうなったのか。ネット検索すると実に沢山の記事がヒットする。利権に群がる「糞」と「糞バエ」たちが未だにあきらめずにうごめいているようだ。これまでに経緯を時系列で記録している『頓挫してなかった!(・・;) 着々と進行中だった「日韓海底トンネル構想」』という記事を紹介しておこう。また、その書き出し文を転載しておく。

 3年前、TBS【報道特集】の、統一教会の特集で、日韓トンネルを取材していたんですが、資金難で頓挫中との事だったのですっかり油断していました。

 ところが先日、「日韓トンネル推進鳥取大会」なるものが報じられ、超驚いた次第であります。安全保障上から考えても、空路・海路で十分。道路で繋がるなんて真っ平御免です。

今日の話題

2007年1月7日(火)
平和省プロジェクト

 今日の話題は、『戦争と平和(2)』で取り上げた「世界から戦争をなくす」という問題のバイパスです。

 世界から戦争をなくすための構想の一つとして「平和省プロジェクト」というのを立ち上げた人たちがいます。 平和省プロジェクト から抜粋します。

 私たちは4月29日に、暴力や戦争に代わるやり方を提案し、平和憲法を実行に移すために、「平和省プロジェクト」を立ち上げました。私たちの活動はこれまで一度も日本で報じられたことがありませんが、昨年は私たちの代表が全米平和省会議(2005年9月、ワシントン)と第1回国際平和省会議(2005年10月、ロンドン)に参加し、「全世界のすべての国に平和省を創り、戦争を時代遅れのものにしよう」という壮大なプロジェクトの誕生に立ち会いました。

 平和省運動が一番進んでいるのはアメリカです。デニスクシニッチ下院議員(2000年の民主党大統領候補の一人)の平和省構想に賛同したこの運動は、今や全米に支部を持つ大きな国民的運動に発展しており、平和省創設法案も上下両院議会に提出されております(最近9人加わり賛成議員が75人います)。同盟国のイギリスやカナダでも平和省法案が準備されています。

 防衛庁の防衛省への昇格を強行されてしまいましたが、日本の場合は「防衛省より平和省」をという運動として広がってきました。きくちゆみさんが精力的に活動しています。きくちゆみのブログの2006年12月21日の記事から抜粋します。

平和省が日本にできたら、と想像してみてください。
紛争解決の専門家が、ドンドン育ちます。
非暴力コミュニケーションや非暴力トレーニングを受けた人たちが活躍します。
紛争の解決に暴力(武力)を使わない、と誓った憲法9条を実践できます。
それを世界に広めて行くこともできます。

自衛隊は非武装の緊急災害救助隊として、世界中に派遣され、世界中から喜ばれ、感謝されます。
困っている人、泣いている人、苦しんでいる人がいたら、日本が真っ先に飛んでいって助けます。
これが本当の日本らしい国際貢献であり、これは平和省の仕事です。

日本のあらゆる政策に対して、非暴力の対案、政策を提案し、調整していくこと。これも平和省の仕事です。

今使っている軍事費のほんの一部で、これらは実現可能です。
平和省を創るのに、何千億もするミサイル防衛は必要ありません。
世界中を見渡せる広い視野と熱いハートが必要です。
相手の立場に立って行動できる温かい人間性が必要です。

平和省が世界中にできたら、と想像してみてください。
世界のどの国にも、紛争解決の専門家がいるのです。
どの国でも、非暴力コミュニケーションや非暴力トレーニングを受けた人たちが活躍しています。

やがて、紛争の解決に武力は不要になります。
紛争はそれぞれの国の平和大臣同士が大統領や首相と共に解決します。
憲法9条が世界の憲法になります。

そんな世界を創ってみませんか。
そんな世界に向かって、一歩一歩、歩みませんか?
そんな世界であなたらしく生きたくないですか。

アメリカでは平和省法案を提出したデニス・クシニッチ下院議員が2008年の大統領選挙に立候補しました。彼が大統領になる、というのは夢のまた夢、かもしれません。でも夢はあきらめたら終わり。夢がなかったら、生きていても意味がありません。彼がこの先の大統領予備選挙で遊説する先々で、平和省という考えが広くアメリカ人に支持されていくでしょう。それこそが希望であり、そのことに私も協力したいです。

2月3日から5日までワシントンで開催されるピースアライアンスの全米平和省会議に注目しています。もしワシントンDCまで行ける旅費が工面できたら、参加してくるつもりです。とりあえず、年明けには西海岸に飛びます。

今日の話題

2007年1月6日(火)
どうしようもないドウツブの「(ごう)

 兄が妹を殺害した上に死体を切断したというおぞましいニュースに接して私がまず思ったことは、この兄の心の病の深さ・怖さだった。が、次にすぐ、心を病んでいるといえば誰もが病んでいると言えるのではないか、正常と異常の境界は定められないのではないか、と思った。仏教の言葉でいえば「業」だろうか。あるいは私の常套語で言えば「人間は救いようもないドウツブだ」ということになる。もちろん、私も例外ではない。その心の闇の深さ・怖さを奥底に抱えているのだろう。

 例えば、人は死刑執行の判を押す法務大臣を異常とは言わない。戦争で見も知らずの人間を殺すことを異常とは言わない。では次の例はどうだろうか。

 日本人医師たちが外国で男性「患者」に手術をしようとした。ところが、「患者」はおびえていっかな手術台にあがろうとしない。そこで日本人看護婦が進みでて「患者」にむかって彼の母国語で「麻酔をするから痛くありません。寝なさい」と優しく囁きかけたところ、患者はうなずいて手術台にあおむいた。看護婦は医師をふりかえって〈どうです、うまいものでしょう〉といわんばかりに笑いかけ、ベロリと舌をだしてみせたのだという。

(中略)

 さて、医師らは「患者」に腰椎麻酔などをほどこしてから、虫垂切除、腸管縫合、四肢切断、気管切開などを事前の計画どおり次から次へと行なったという。虫垂炎でも大腸ガンでもない健常な男に、である。生きたままバラバラに切断され、ついに絶命した「患者」は衛生兵らにより運ばれ、他にも「患者」ら多数の屍が埋まっている穴に放りこまれた。1942年、中国山西省の陸軍病院でいつもどおり何気なく実行された生体手術演習のひとこまである。

(中略)

 ところで、前述の生体手術演習には軍医部長の大佐、病院長以下、野戦部隊軍医を中心に約20人が参加したという。解剖室に連行されてきた「患者」は二人で、投降者や敵への内通者とされていた。そのうち八路軍兵士ふうのがっちりとした体躯の男は覚悟をきめたのか、悠然と手術台の上にのったが、農民ふうの男は恐怖のあまり後ずさりしはじめた。看護婦たちが準備する手術刀、鉗子、メス、鉄の冷たい金属音が部屋に響く。軍医部長、病院長らはなごやかになにごとか談笑している。いつもどおり医師がルーティンをこなすときの沈着、平静、恬然とした空気が解剖室を支配していたようだ。

 ややあって農民ふうの男が、後に証言者となる新米軍医のすぐ眼の前までずるずると後じさってくる。おそらくは、歯の根もあわぬほど躰をふるわせながら。新米軍医はそこでなにをしたか。当時その場にいればだれもがやったであろうことをやったのである。逆にいえば、だれもやらないであろうことはやらなかったのだ。つまり、両の手で彼の背を手術台のほうに押しやったのである。看護婦による囁き、甘言、舌ベロリはそれにごく自然につづいた「機転」と「ユーモア」ないし「愛嬌」であったようだ。

 とまれ、医師らは生きたままの中国人を粛々と切り刻み、帝国日本の医学に資することのある種の達成感にひたったようである。

 この生きたままに人間を切り刻んだ人たちは正常なのか異常なのか。
 後日談がある。

 この演習に幾度も参加し戦犯として裁かれ帰国した元軍医が、演習から約半世紀後の1993年に開かれた「戦友会」で、ゆくりなくも舌ベロリの元看護婦に再会する。生体手術演習当時、二十代だったとすれば彼女はすでに齢七十を越えていたはずだ。元軍医が彼女になにを問い、元看護婦がどう答えたのかのディテールはつまびらかでない。元軍医によると、彼女は生体解剖というよくないことがあったくらいは漠然と覚えてはいたが、具体的な光景は(おそらく舌ベロリもふくめて)忘れていたのだという。

(以上引用文は辺見庸『いまここに在ることの恥』より)

 「戦友会」で、たぶん、生体実験をも昔話の一つとして談笑したであろう元軍医や「舌ベロリ」を忘れて余生を送っていられる元看護婦は、はたして正常なのか異常なのか。

 嘔吐感がこみあげるほど胸糞が悪くなる。しかし私(たち)は、これらの医者や看護婦は、はたして、「私」ではないと言い切れるだろうか。
今日の話題

2007年1月2日(火)
オテアライ・ビジョンの「キボウの国」

 1月1日、経団連が『今度は「希望の国、日本」だとよ。うんざりだ!』で取り上げた「希望の国」ビジョンをオテアライ・ビジョンと銘うって予定通り発表した。朝日新聞(1月1日)の記事は次のように報じている。


「国旗・国歌企業も尊重」

御手洗ビジョン提言発表

   日本経団連(御手洗冨士夫会長)は1日、今後10年間を見据えた将来構想「希望の国 日本」(御手洗ビジョン)を正式に発表した。

 産業競争力の強化策を求めるほか、企業や官公庁が日常的に日の丸を掲げ、君が代を斉唱することを初めて提言。憲法9条の改正も求めるなど政治色が極めて強く、安倍首相の主張に近い内容となった。

 御手洗ビジョンは約140㌻。「希望の国」の実現に向け、イノベーション(革新)の推進や経済連携協定の締結促進、税制改革、道州制の導入、労働市場改革など19の優先課題を提示した。19の課題ごとに国の10年後の姿を描いた。

 日の丸、.君が代については、19の課題のうち、教育再生、公徳心の涵養」(計7㌻)の項目に盛り込まれた。「新しい教育基本法の理念に基づき、日本の伝統や文化、歴史に関する教育を充実し、国を愛する心や国旗・国歌を大切に思う気持ちを育む」「教育現場のみならず、官公庁や企業、スポーツイベントなど、社会のさまざまな場面で日常的に国旗を掲げ、国歌を斉唱し、これを尊重する心を確立する」ことが明記された。

 「愛国心」の必要性も強調された。現在の教育には「公徳心の涵養という視点」が欠けていると指摘し、公徳心について「基本的な価値観を共有する共同体の一員という自覚を持つことにより育まれる」とした。

 憲法改正も課題の一つに位置つけ、「戦力不保持をうたった9条第2項を見直し、憲法上、自衛隊の保持を明確化する」と提言した。(永田稔)

 いままでに政・財・官・幇間知識人どもが合唱してきたことの繰り返しで、ことに目新しいものはなさそうだ。詳細を知らないが、要するに「政・財・官合作の負の変革」を網羅したものだろう。なるほど支配者どもにとっては確かに「希望の国」ビジョンだ。ますます「北朝鮮」に似てくる。「北朝鮮」とは60年前の日本にほかならない。俺たちにとっては「欺罔の国」でしかない。

 何年か前に自滅党が音頭をとって、「祭日に日の丸を掲揚しよう」という運動を展開したことがあった。全くそっぽを向かれていた。革新政党が失敗から何も学ばないのに対して、自滅党はよく失敗を生かそうとする。この点は感心する。

 ヤツラは日の丸・君が代は「隷属関係」を利用しなくては普及できないと思い知った。まず学校で「教育委員会―教員―生徒」という隷属関係を利用して、大いなる成果を挙げた。次は「資本―労働者」という隷属関係をフル稼働させようというわけだ。日本国中日の丸だらけで、大の大人まで口に指を三本入れられて大きな声で歌えと脅される。おぞましい光景だ。

 支配者どもは、労働力ばかりか、心まで売り渡せと言っている。屈服せよ、従順に黙々とただ安く働け、と言っている。これでもこの国の民は抗おうとしないのだろうか。

 「めでたさも 中くらいなり おらが春」
一茶の句だったかな?

 醜い国家が露出し初めてきて、おめでとうなどとはとても言えない心境だが、まあ、家族と平穏な正月を過ごしたのだから、中くらいはおめでたいとしておこう。

 「中くらいはおめでたい」という理由がもう一つある。元旦、約半年ぶりに『澤藤統一郎の憲法日記』が更新されていた。しかも話題として、私の2日の記事と同じ、あの薄汚れた「オテアライ・ビジョン」を取り上げていた。

 ということで、『澤藤統一郎の憲法日記』の該当記事を転載します。

 本日の朝日の報じるところでは、日本経団連が、今後10年を見据えた将来構想「希望の国、日本」(御手洗ビジョン)を発表した。「企業や官庁が日常的に日の丸を掲げ君が代を斉唱することを初めて提言した」と言う。恐るべきことではないか。愛国心の強制は、教室から企業、そして「スポーツイベントなど社会のさまざまな場所」に広がりつつある。権力にとっても資本にとっても、望ましきは牙も魂もない従順なだけの人材なのだ。政権与党や官僚だけでなく、財界までもが愛国心を煽り、「基本的な価値観を共有する共同体の一員という自覚」を唱え始めた。

 酷い時代となったものだ。どうしたらよいのやら。
 まずは、今後キャノンの製品を買うことは一切やめよう。これまで私が経済制裁の対象としてきたのは、①産経・扶桑社、②日の丸タクシー、③アメリカ産牛肉。これに続く、ささやかな抵抗手段としての個人的経済制裁‥。残念ながら、それ以外に有効な手立てを思いつかない。

 60年余生きてきて、自分には社会を動かす力量のないことを良く知っている。しかし、時流に抵抗する姿勢は頑固に堅持したい。「疾風に勁草を知る」とは気に入った言葉。疾風をとどめる力はなくとも、けっして風のまにまに靡くことはすまい。せめては、年の初めに、そのくらいの覚悟を決めよう。

 奇しくも『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む(23) 資本と対抗するため労働者の武器』
で取り上げたテーマは「不買運動(ボイコット)」だった。私もキャノン製品は買うまいと思っていた。一人や二人のボイコットではオテアライには痛くも痒くもない対抗だけど、これも「ハチドリのひとしずく」だ。澤藤さんの文章の最後の段落は『今日の話題「ハチドリのひとしずく」』と同じ主旨を述べていると思う。

 『澤藤統一郎の憲法日記』はいまのところ毎日更新されています。やはり、面白い。痛快だし勉強になる。まだ知らなかった方、お勧めします。

(追記 2016年11月23日)
 教育委員会に従順な者しか校長にならなくなった現在、学校での式典での「日の丸・君が代」はほとんどどの学校でも強行されているようだが、企業ではどうなっているのだろうか。私は全く知らないが、一般家庭での祭日の日の丸掲揚は私が住んでいる地域ではほとんど目にしない。「祭日に日の丸を掲揚しよう」に対しては、賢い人たちは全くそっぽを向き続けている。この心意気を頑固に堅持していこう。
今日の話題

2006年12月31日(日)
国家論不在の脳天気な言説

 新聞に登場するいわゆる識者の言説にあきれ返ることが度々ある。例えば最近では西修という幇間学者の次のような発言(12月23日付東京新聞シリーズ「試される憲法」)。

『平和維持のために、軍事力の保持を憲法に明記するのが世界の現状です。軍事力を民主的にコントロールしつつ、世界の平和維持にいかに貢献していくべきかを真摯に考えるのが、成熱した国家というものです。』

『国民と国家を対立軸にとらえてきた従来の憲法観から脱却し、国家と国民が一緒に国づくりをするという新しい憲法観が求められます。今の憲法には、明白な「押し付け性」が存在するのは事実です。偏狭なナショナリズムに陥ることなく、幅広い視野から、日本国民自身の頭と手で「世界に誇り得る」憲法をつくり上げていくことは当然の 作業だと思います。』

 「世界の平和維持にいかに貢献していくべきかを真摯に考える」とか「幅広い視野から」とか「世界に誇り得る憲法を」とかもっともらしい言説を並べ立てているが、それには空疎な響きしかない。なぜか。科学的な「国家論」が不在だからだ。自説に都合の良い恣意的な「国家観」を前提に議論をしている。いや恣意的な国家観しか持っていないから、このような脳天気な議論になってしまうというべきか。

 いったい「成熟した国家」ってどういう国家だ。「軍事力を保持する国家」のことらしい。それが世界の現状だという。確かにそれが現状だ。大方の国家は軍事力を背景に野合したりいがみ合ったりしている。それは国家が資本主義を基盤にした近代国民国家という枠組みから出られないでいるからだ。そういう意味で世界には未成熟な国家しかない。

 一体、世界の現状に合わせた憲法がどうして「世界に誇り得る」憲法なのだ。それじゃ世界はホコリだらけ息さえできまい。

 現在の日本国憲法は、第一章という瑕疵があるが、基本的には「国家と国民が一緒に国づくりをする」ことを謳っている憲法だ。国家権力がその憲法を遵守していない点に問題がある。つまり、現在のこの国の国家権力は経済的支配層とのみ国づくりを、いや国壊しを行っている点に問題があるのだ。問題は、断じて、憲法にあるのではない。

 もう2年も前に取り上げたものだけど、塩野七生の発言を取り上げた(『選挙について(1)』を思い出した。

『政治家に支配されているとか搾取されているとかの被害者意識は、いい加減に捨てることですね。』

 科学的な国家論を持たない識者の典型的な発想の一つで、西と同じ位相の脳天気ぶりだ。

今日の話題

2006年12月30日(土)
糾弾!!権力の幇間学者・八代尚弘

 昨日の朝日新聞に『新社会のデザイン 対論・幸せ呼ぶ? 労働ビックバン』という企画記事があった。ヤシロ(国際基督教大教授)とかいう幇間学者と弁護士の中野麻美さんの対論だ。中野さんは一貫して労働者を人間として見る立場から論じている(今日の東京新聞でも「改正男女雇用機会均等法」について労働者の立場からの解説をしている)。一方ヤシロは労働者を搾取の対象としてしか見ない財団の代弁に始終している。現状把握においても理論においても全く中野さんの敵ではない。読んでいてムカムカしてくる。よくもまあこんなヤツが学者でございと大きな顔でいられるものだ。

 はて、その名前もそのとんでも主張も、最近何かで読んだぞ。

 探し出しました。五十嵐仁の転成仁語 の12月19日の記事「八代経済財政諮問会議民間議員のトンデモ発言の数々」でした。五十嵐さんが取り上げているヤシロの発言と新聞紙上のヤシロの発言を一々対比する労はとらないが、多分、項目も内容もほとんど一致していると思う。ここでは五十嵐さんの批判を掲載します。

 この労働時間規制の除外(日本版エグゼンプション)の導入を強く主張している経済財政諮問会議民間議員の八代尚宏国際基督教大学教授は、昨日、内閣府の労働市場改革などに関するシンポジウムでとんでもない発言をしています。『毎日新聞』の報道によれば、八代さんは、
「低成長のうえ、国際競争にさらされた企業が総人件費を抑制している中、非正規社員の待遇を正社員に合わせるだけでは、『同一労働・同一賃金』の達成は困難と指摘。正規、非正規の待遇を双方からすり寄せることが必要との考えを示した」
といいます。「双方からすり寄せる」ということは、正社員の待遇を下げろというわけです。

 また、八代さんは
「現在の格差問題が規制緩和の結果生じた、との見方を否定し『既得権を持っている大企業の労働者が、(下請け企業の労働者や非正規社員など) 弱者をだしにしている面がかなりある』と述べた」
そうです。格差は「大企業の労働者」が「既得権を持っている」から生じたのであって、この「既得権」を放棄して皆が貧しくなれば格差はなくなるとでも言いたいのでしょうか。

 実は、この八代さんは『朝日新聞』11月15日付のインタビュー記事でも、次のように語っていました。こちらの方が、本音がはっきり出ていると言えるかもしれません。

「いまの労働時間規制は時間と賃金が結びついている工場での働き方が前提だ。だらだら働いて残業代をもらうひとがいる一方、子供を抱える母親が効率的に働き、早く帰宅しても残業代がない。労働時間規制がなくなれば過労死につながるという批判もあるが、過労死するほど働かせる会社はやめられるよう、労働市場の流動性を高めることが必要だ。」

 八代さんは「だらだら働いて残業代をもらうひとがいる」と言っていますが、“ばりばり働いても残業代をもらえないひとがいる”現実については、ご存じないようです。これほど社会的な問題になっている「サービス残業」について知らないのでしょうか。

 景気回復もあって、サービス残業は5年前の1.4倍にまで急増しており、昨年は初めて2万902事業所と、2万を超えました。なかには、22億円も支払わなかった大企業があったそうです。「だらだら働いて残業代をもらうひと」は、いくらもらったというのでしょう。払うべき残業代を払わなかった企業は、22億円もちょろまかしたのですよ。

 また、「子供を抱える母親が効率的に働き、早く帰宅しても残業代がない」と言っていますが、この労働時間規制の除外(日本版エグゼンプション)が導入されれば、「残業代」がもらえるようになるとでもいうのでしょうか。

 一方はもらえず、他方はもらえない。不公平だから、もらえないように揃えようというのが、八代さんの主張です。よくもまあ、しゃーしゃーと、こんなことが言えるものです。

 まだあります。「労働時間規制がなくなれば過労死につながるという批判もあるが、過労死するほど働かせる会社はやめられるよう、労働市場の流動性を高めることが必要だ」と言っている点です。

 この全段部分「労働時間規制がなくなれば過労死につながるという批判」について、八代さんが正面から反論していないということに注目すべきでしょう。「労働時間規制がなくなれば過労死につながる」可能性は否定できないからです。
 その代わりに主張しているのが、「過労死するほど働かせる会社はやめられるよう、労働市場の流動性を高めること」です。危ない会社は辞めろということは、やはり、辞めなければ過労死する可能性があることを認めているからです。

 しかし、ここでも八代さんは日本の実情を無視しています。確かに、過労死の可能性があるなら、会社を辞めればいいでしょう。でも、辞めた後、再就職できるのでしょうか。しかも、同じような条件で。
 実は、それが不可能なことを、八代さんは十分にご存じなのです。「やめられるよう、労働市場の流動性を高めることが必要だ」と言っているのですから。
 「労働市場の流動性を高めることが必要だ」ということは、現状はそうなっていないということです。したがって、今のままでは、たとえ過労死の可能性があったにしても会社を辞めることは不可能です。やはり、過労死や過労自殺はますます深刻になるにちがいありません。

 さらに、八代さんは、労働者派遣法によって定められている「企業が派遣労働者を3年雇用すると正社員にしなければいけない義務」についても、次のように攻撃しています。

「労働法制上、何が障害になっているのか。
 派遣労働の規制だ。労働者派遣法では派遣社員は正社員になるための前段階と位置づけているが、間違いだ。派遣法は契約期間を3年などと制限し、引き続き働いてもらうには正社員としての雇用申し込み義務を企業に課している。だが、企業は規制から逃れるために3年で辞めさせている。
 派遣を含めた非正社員は1600万人おり、全員を正社員化できるはずがない。非正社員なりに雇用を安定させることが大事だ。対象業務の制限、事前面接の禁止など非現実的な規制をなくすなど、派遣法を抜本改正し、純粋な派遣労働者保護法にしたい。」

 この人が、どれほどとんでもない人かは、この発言からも明瞭です。3年で正社員にするのが嫌で企業が辞めさせているから、その期限をとり払えばよいというのです。
 そうすれば、ずっと働き続けられることになるでしょう。もちろん、正社員ではなく派遣社員として。
 「全員を正社員化できるはずがない」から、「非正社員なりに雇用を安定させる」というのも、つまり「非正社員」として働き続けられるようにするということでしょう。これらを派遣社員、非正社員の固定化と言わずして、なんと言ったらよいのでしょうか。

 八代さんは、「派遣を含めた非正社員は1600万人」もいると言っています。ここまで増やしてきたのは、いったい誰なんですか。それは、派遣労働に対する規制を次々と緩和してきたからではありませんか。
 「対象業種の制限」についても、なくすことを提言しています。派遣を全面的に解禁せよということですが、そうすればさらに派遣労働者が増えることは明らかではありませんか。
 「事前面接の禁止」などを「非現実的な規制」だと非難しています。これを守ろうとせず、「非現実」化させた使用者を問題にするどころか、派遣労働者を守るための規制を取り払おうというのですから、方向が全く逆です。

 先の発言に続けて、八代さんは次のように主張しています。

「正社員の雇用保障も見直すべきだと主張されているが、低成長で正社員の雇用を守るために、非正社員がより多く必要になった。正社員の過度の雇用保障が若者や主婦の参入を妨げている。判例上、正社員を解雇できるのは、パートや派遣を解雇してからといった解雇規制も法律で修正すべきだと思う。解雇の金銭解決を認めるのは当然で、やめてほしいと言われた会社で無理に働くより、手切れ金をもらって新しい仕事を探した方がいい。」

 ここでも、八代さんは嘘を言っています。「非正社員がより多く必要になった」のは、「正社員の雇用を守るため」ではありません。実際には、正社員を非正社員で置き換えたためです。

 労働者派遣法が施行された1986年に、正規職員は83.4%、パート・アルバイトは12.9%、派遣社員、契約社員・嘱託、その他は3.7%という割合でした。それから20年経った2006年には、この割合は66.8%、22.4%、10.8%と変化しています。

 このような変化は、94年以降、さらにはっきりしてきます。割合だけでなく実数としても正規職員は減少し、非正規職員は増大し続けているからです。
 94年に正規職員は3805万人でしたが、06年には3340万人と465万人減っています。これに対して、94年に971万人だった非正規職員は、06年には1663万人と682万人も増えているのです。

 研究室にこもっていた八代さんには、「リストラの嵐」によって正社員の人員整理が進み、社会問題となるほどに非正規雇用が増え続けている日本の現状が目に入らないのでしょう。現実を知らない人が、現実政策の策定にかかわってはなりません。とっとと、研究室に帰るべきです。

 このように、実際に増えたのは正規ではなく非正規です。これでどうして、「正社員の雇用を守るために、非正社員がより多く必要になった」などと言えるのでしょうか。
 八代さんの発言は、真っ赤な嘘です。したがって、その次の発言「正社員の過度の雇用保障が若者や主婦の参入を妨げている」というのも嘘です。
 正社員に対する「過度の雇用保障」などはなく、「若者や主婦の参入を妨げている」わけでもありません。「参入を妨げている」のであれば、どうしてこんなに増えたのでしょう。八代さんには、説明できるのでしょうか。

 なお、ここで、八代さんが「解雇の金銭解決」について触れているのは重要です。それは「正社員を解雇できる」ようにするためだということが、はっきりと分かるからです。
 この制度が導入されれば、正社員の首が切られやすくなるに違いないという労働側の杞憂は、「杞憂」ではなく、まさにその通りの狙いに基づくものだというわけです。
 これを正当化するために、八代さんは「やめてほしいと言われた会社で無理に働くより、手切れ金をもらって新しい仕事を探した方がいい」と述べていますが、今の日本で「新しい仕事」がすぐに見つかるような状況にあると考えているのでしょうか。
 そもそも、「手切れ金をもらって新しい仕事を探した方がいい」かどうかは労働者自身が判断すべきことで、他人がとやかく言うようなことではないでしょう。
 ただし、この「解雇紛争の金銭解決制度は労使合意のメドが立たず、導入の見送りを決めた」(『日経新聞』12月16日付)そうです。

 非正規雇用労働者の固定化と正規雇用労働者の待遇・労働条件の低下によって、日本の労働者全体を低位平準化させようというのが、八代さんの主張です。誰が見てもとんでもない、このような主張が堂々と唱えられるようになっているのが、今の日本なのです。
 こんな人が経済財政諮問会議の労働市場改革の専門調査会の会長に就任する予定で、「労働ビッグバン」の旗を振っていることに驚いてしまいます。「実情を知らない」のではありません。知っているのに、それを無視して無理矢理、制度を変えようとしているのです。
 日本の労働者を疲弊させ、産業基盤を堀崩そうとしているアメリカ産業界の走狗としか言いようがありません。とっとと委員を辞めるべきでしょう。

 それにしても、ひどいものです。この日本はどうなってしまったのかという思いがします。
 政府の責任ある政策形成機関のメンバーが堂々と嘘を言い、それを日本を代表する新聞がそのまま掲載しています。実情を知らない人が見れば、八代さんの言っていることは本当だと誤解するでしょう。
 このようなデタラメな人間が経済財諮問会議などに起用され、その虚言が堂々とまかり通ってしまうところにこそ、日本の真の危機が存在しているのだと言うべきかもしれません。しかし、まあ、政府税制調査会の責任者も、「ホンマかいな?」と言いたくなるような、あんな人なんですからネー。

今日の話題

2006年12月29日(金)
「ホワイトカラー・エグゼンプション」って何だ?

 資本の意志を押し戴いて支配者どもはホワイトカラー・エグゼンプションの早期導入に執念を燃やしている。ヤツラにはとんでもなく甘い制度なのだろう。ということは労働者にはとんでもなく 過酷な制度ということだ。

 27日、厚生労働相の諮問機関「労働政策審議会分科会」がホワイトカラー・エグゼンプションの導入を求める報告書をまとめた。

 これを詳しく報道した東京新聞の記事<ホワイトカラー残業代ゼロに?『労働時間規制撤廃を』>の<メモ>が、ホワイトカラー・エグゼンプション(適用除外)の意味とその導入に向けての経過の概略をまとめている。

『1日8時間、週40時間の労働時間規制が適用されず、働く時間の自己裁量が広がる代わりに、残業代が支払われない制度。もともとは米国の労働時間制度の一つで「管理や運営、企画の仕事をする労働者を対象とした適用除外」との意味。「制度導入の検討を進め、2006年度中に結論を出す」とした規制改革・民間開放推進会議の3カ年計画が3月に閣議決定されたことを受け厚生労働省が導入を検討していた。』

 規制改革・民間開放推進会議。昨日取り上げた醜悪クサカリが議長だ。そして、またしてもアメリカの真似事だ。

 この制度には労働基準監督官の6割が反対しているという。また東京新聞(12月18日付夕刊)のアンケート調査によると会社員(20~40代)の73%がこれについて全く知らないという。こんな労働者の死命に関わるような重大な悪法が、労働者を蚊帳の外に置いたまま、着々と推し進められている。会議には労働側の委員もいるはずだが、一体何をしているのか、いや、していないのか。

 この残業代なしでただ働きさせる制度は、初めは年収の多いホワイトカラーに制限していても、いずれ全労働者に波及されるだろう。このような詐術はこの国の国家権力の常套手段だ。

 さらにアメリカの制度を真似ながら、政府・経団連はその制度の肝心なことを隠蔽している。このことをアメリカ在住の作家・冷泉彰彦さんが丁寧に分かりやすく論述している。(JMM [Japan Mail Media] 2006年11月25日第278回配信「アメリカの制度をマネするな」)これを読むと、いま国家権力がやろうとしていることがとんでもない暴挙・愚行であることがよく分かる。

 資本主義体制という条件下では人間の真の開放はあり得ないが、その過程として、せめて労働者がもっと人間らしく生きられるような雇用関係を創り出す志向は重要だ。冷泉さんの論考はその問題を考える上での良い参考資料になると思う。ホワイトカラー・エグゼンプションについて述べている部分を掲載しておく。 (ちょっと長いです。)

(追記 2016年11月20日)
 アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト政権は、この時は「残業代ゼロ法案」あるいは長時間労働を助長する「過労死促進法案」との指摘などがあって断念したが、今また「ホワイトカラーエグゼンプション」の導入を柱とした労働基準法改正案を閣議決定(2014年4月3日)している。宮武嶺さんのブログ「Everyone says I love you!」の記事『残業代ゼロの労働基準法「改正」法案 先ほど閣議決定 地獄の窯の蓋がいま開く』を紹介しておこう。
(では、ちょっと長い冷泉さんの論考をどうぞ)

 さてアメリカの模倣が正しいかどうかということでは、もう一つ、大きな制度変更として、厚生労働省と日本経団連が積極的に導入を目指している「ホワイトカラーエグゼンプション」(自律的労働制度)の問題があります。一定の年収を保障した上で、時間外手当(残業代)の支払いを対象外とするこの制度は、提案者側からは「アメリカで既に導入されている」というのですが、この問題は裁判員制度どころではない大変な問題を抱えていると思います。

 というのは、政府ならびに日本経団連は、恐らくは半ば意図的にアメリカの実態を歪曲して伝えているからです。その第一点は、アメリカでのこの制度は「管理職・基幹事務職・専門職」への「残業手当の適用除外」を定義したものであって、「ホワイトカラー・エグゼンプション」とはいっても、全てのホワイトカラーが対象ではないという点です。

 とにかく管理職・基幹事務職・専門職の必要要件を満たしたケースだけに適用されるのです。確かに金額で示されている規準だけを見ると、週給455ドルというのは年収換算で23660ドル(約279万円)と低いのですが、この金額というのはあくまで一つの要素に過ぎません。その前に、厳しい規準に示された実態を満たしていなくてはならないのです。

 例えば、アメリカの管理職の場合は「二人以上の部下に関する、採用権限を含む管理監督」を行っているかどうかがポイントになります。また基幹事務職(総務、経理など)では「非定型業務、自由裁量、自主的な判断」が主要な業務であるか、更に専門職の場合ですと「明らかな専門的教育に裏付けられた専門性、もしくは独創的な技能の発揮」という要件があります。

 こうした要件について、例えば厚生労働省の労働政策審議会の議論などを見ていますと「アメリカでは金額で切っている」という前提で話が進んでいるようなのですが、これは事実の半分も語っていません。管理職であるか、専門職であるかの「要件」は非常に重視されていて、この要件を満たしていない場合に「お前はホワイトカラーだから」ということで残業代の支払いをしないということになると、これは訴訟などで大変なダメージを受けるようになっているのです。

 第二点は、この「要件」を受けて「エグゼンプト」の労働市場というものが確立しているという点です。管理職・専門職で残業のつかない職種の場合は、業種職種によって異なりますが、全国的に見て5万ドル弱あたりが最低だと思います。勿論例外はありますが、管理職の場合でもいわゆるマネージャー(課長さん)がその最低クラスになるのですが、基本的にはMBA(経営学修士)を取って(管理職にはMBAが要求されることが多いのです)の初任給はやはり6万から7万(あるいはそれ以上)です。結果で判断される、だから労働は自己裁量という分、まあ納得のできる給与水準が労働市場として存在しているのです。

 第三は、アメリカの労働省のガイドラインにもあるように「専門的な教育を受けた」という事実などの客観的な根拠が求められているということです。管理職にはMBA、経理専門職にはCPA(公認会計士資格)、法務部門の管理職にはバー(司法試験)などの公的な学位ないし資格が要求されますし、資格がない場合はそれ相応の職歴など、そして専門技術者の場合はそうした教育を受けたという事実が要求されます。逆に言えば、履歴書にはなんの根拠もない人間に「権限を与えているから」という理由で時間外手当を払わないのはダメということです。

 第四は、「エグゼンプトでない」つまり日本流に言うと「一般職社員」の労働市場が確立しているという点も重要です。この一般職は契約上「残業手当がつく」のですが、その代わり「まずほとんど残業をしない」し「出張も命じない」ことになっています。命令を受けて定型的業務はするが、その代わり家庭や地域活動との両立など「9時から5時まで」の人間的な生活が保障されているのです。年収としては2万ドルから5万ドルぐらいでしょう。この人達は組合と法律によって厳しく保護されており、本人の同意なく残業を強制することも不可能ですし、まして残業代を払わないということも不可能です。

 勿論、アメリカの労働事情にも深刻な問題があります。一般職の生産性が国際競争力を失う中で、現時点で言えば自動車産業などを中心にリストラが進み、実質的に落ち着いた一般職の雇用が減りつつあるという問題がまず第一点、逆に管理職の場合は成果要求が厳しくなっているために労働時間がどんどん長くなるという問題があります。この二番目の問題も深刻で、通勤電車の中でパソコンで仕事をしたり、休日でもメール端末(「ブラックベリー」など)をピコピコする風景、更にラッシュ時間が夜の九時台まで続くと、まるで日本のような様相を呈しているのです。

 ですが、さすがに残業のつく人と、つかない人のケジメは崩れてはいません。そして、それは単純な給与ベースでの規準ではないのです。もっと実態のある裁量性の問題なのです。こうしたアメリカの労働事情をほとんど伝えないままに、「アメリカで行われているホワイトカラーエグゼンプション」などとカタカナ言葉で煙に巻くのは不誠実な議論だと思うのです。

 日本の場合は、アメリカで厳格に運用されている「要件」について、そもそも確認のしようがありません。例えば、個別の管理職に採用権限はありませんし、そもそもホワイトカラーの場合は企業が大学教育における専門性を評価していないのですから、教育や資格によって人材の客観的な要件が把握できない体質にあります。また専門性と責任と職位もバラバラだったり、厳格に管理職や専門職は定義できないということになります。

 最大の問題は裁量性の問題です。日本経団連の資料によれば、日本のホワイトカラーは「頭脳労働」だから裁量性がある、とまあもっともらしいことが書いてあり、実際にこれまでの裁量労働制などもかなり拡大解釈して運用されてきています。ですが、日本のホワイトカラーで現在は残業手当の対象になっている人々の勤務実態には本当の裁量性はないのです。

 顧客からは名指しで問い合わせが来て不在だとクレームになる、突発的に資料作成を求める指示が入り自分の本来の仕事は後回しになる、他の同僚が忙しそうにしているので子供の病気でも早退できない・・・更に言えば、辞令一つで国内どころか海外にまで転勤を強制される、それを拒めば出世街道から「下りた」とみなされる。こうした非裁量性、それも激しいまでの「自己決定権の否定」があるのが日本の「ホワイトカラー」です。

 とにかく会社にいなくてはいけないし、そうでなくても携帯やメールが追いかけてくる、しかもほとんどのケースでは即答を求められます。人間関係を維持しないと仕事が回らない独特の文化のために、そしてやや過度なまでに即対応の求められる文化のために、一人一人の日本のホワイトカラーは一日のほとんどの時間に関して裁量権のない息苦しさの中におり、しかも組織の心理的・政治的な「空気」を維持するための儀礼的・儀式的な会議や出張を強制される中で、絶望的なまでの生産性の低さに甘んじているのです。

 そう申し上げると課長クラスなどの中間管理職も同じではないか、そんな声も聞こえてきそうです。ですが中間管理職と「ヒラ」では意識の上で違いがあります。部下のいる人間は、その部下に対して多少なりとも裁量権を行使することができるのです。ですが、そうした息苦しいヒエラルキーの最下層の人々には、少なくとも時間外の業務命令に対しては割り増し手当を受け取ることが人間の尊厳になっているのです。実質的に裁量権のない人間の時間外手当を奪うというのは、その人間の尊厳を奪う、つまり他人の命令に翻弄されながら何の見返りもない、惨めな存在に貶めることになると言わざるを得ません。

 もっと具体的に申し上げましょう。日本のほとんどの「ホワイトカラー」は退社時刻の5時ないし5時半、(いや職場によっては夜の7時とか8時ということもあるでしょう)に上司に「この資料をまとめてくれよ。今日中に頼む」と言われても、断れないのです。そうしたケースにおいても時間外手当が契約上ないし制度上全く払われないとしたら、その業務命令は代償のない一方的な暴力であり、その暴力に対する支配は隷従にほかなりません。そんな社会は文明的な社会ではないのです。

 そう申し上げると、そのような「突発的な命令」にも従うような「モラルの高い」人間を日本経済は必要としているし、本人も「仕事のやりがい」を感じていればハッピーなはずだ、そんな声が聞こえてきそうです。ですが、本当にモラルも能力も高いのなら二十代でもどんどんホンモノの管理職にして600万とか700万を払うべきですし、モラルだけ高くて能力の低い人間を命令とマニュアルで管理した上での「生産性」ということでは全く国際競争力はないと思います。

 いや「裁量労働」なのだから、時間外労働の埋め合わせとして代休ないし、遅出を認めるから大丈夫・・・これも非現実的です。例えば顧客対応の仕事、会議が重要な要素を占めるチームワークの仕事など「相手のある仕事」ではフレキシブルな勤務はそうは簡単ではありません。確かに、現在でも時間外労働に関する支払いは相当の部分があいまいになっています。いわゆる「サービス残業」でも発覚するのは氷山の一角でしょう。ですが、実態が払わない方向になっているとしたら、その実態が問題なのです。

 いずれにしても、出生率が下降を辿る中、長時間労働の問題と対決することこそ、日本社会の緊急課題ではないでしょうか。とにかく日本人は働き方を変えなくてはならないのです。労働時間を短縮し、生産性を向上するだけでなく、宴会や出張など広い意味での拘束時間も見直してゆくべきです。地方公共団体の裏金が問題になっていますが、そもそも組織の内部での飲食による親睦などというのはライフスタイルの問題として最低限にする必要があるはずです。自腹を切らせれば良いのではありません。徹底的に減らすべきでしょう。

 時短をしなくては少子化が進むだけではありません。そのような総合的時短の中で徹底的に生産性を上げて行かなくては、最終的にどんどん国際化してゆく労働市場の中で日本のホワイトカラーは戦って行けないことになるのです。現在提案されている「エグゼンプション」は労働者個々人だけでなく、日本の競争力という面からも問題です。ここでいう生産性というのは、企業としての業務効率だけではありません。個々人が努力に見合う幸福感を得て、次世代を育むという意味での生産性も考慮しなくては社会は続いていきません。この点に関しても、労働時間管理を外したら、より悪い方向へと歯止めがなくなる危険の方が大きいのです。

 例えば「同一賃金同一労働」が叫ばれる背景に、正社員と非正社員の線引きがあいまいという問題があります。ですが、これが各職場レベルでは大きな問題になっていない背景には、暗黙のルールがあるのです。それは「正社員は宴会や儀礼的会議への出席が義務」であり「社内政治のコマとしての役割を期待される代わりに将来の管理職候補とされる」という「お約束」です。こうした企業文化こそ日本のホワイトカラーの生産性を先進国中恐らく最低の水準に低迷させているのですが、例えば「年収400万円以上は残業手当なし」というような制度ができれば、この状況を更に固定化するようなことにもなりかねません。

 この問題の大きな背景には「再チャレンジ」政策の一環としての「パートの正社員化」が絡んでいるようです。雇用の不安定なパート労働者が増えれば社会が落ち着かなくなる、だから正社員化をしよう、そこまでは結構な話です。ですが、その結果として人件費が高騰するのは何としても避けたい、それが産業界のホンネでしょう。そこをクリアするために、400万以上は残業手当なし、突発命令による時間外労働にも報酬なし、という制度で埋め合わせをしようとしている、そんな構図が見て取れます。

 何が最大の問題なのでしょう。第二次大戦で焼け野原になった日本経済が奇跡的な復興をしたのは、将来に希望があったからです。忙しくても一生懸命やれば自分も会社も社会も良くなる、そうした右肩上がりの希望が社会にあったからです。確かに現在の日本社会は、全体としての量的な希望については大きくは望めなくなりました。ですが、個々人の質的な希望はまだ残っています。努力をすれば何かが報われる、長生きをすれば少しでも幸福な社会を実感できる、そんな質的な希望があるから人々は真剣に仕事をし、製造業を中心にまだまだ競争力を保っているのです。

 考えてみれば20代から30代という「400万」の世代は、社会人としての経験と知識を学びながら、パートナーを探して家庭を育んでゆく重要な時期を生きているのです。そんな人生の時期に、歯止めのない労働時間、しかも時間管理のない中での一方的な服従の連続に心身を蝕まれてしまえば、人間としての質的な希望は吹っ飛んでしまいます。

 本当の裁量性のない、したがって自分で時間をコントロールできないポジションにある人々には、時間外手当という金銭でそのプライドを埋める、また会社側には歯止めをかける、そんな形で人間の尊厳を認めてゆくべきです。そうでなくては、質的な希望を抱いた人材が実現してきた高い生産性の神話は雲散霧消してしまうでしょう。このままカタカナの「エグゼンプション」という言葉に乗っかり、長時間労働という今日本が抱えている最も深刻な社会問題について逆行させるような制度導入がされるのは大変な問題だと思います。

 もう一度申し上げますが、アメリカの「ホワイトカラー・エグゼンプション」は日本で現在検討されている内容とは全く異なる制度です。「残業のつく人」と「残業のつかない人」を明確に区別するだけでなく、「残業のつく人」には残業をさせない、「残業のつかない人」には成果を求める代わりに裁量権を与える、これがアメリカの制度です。ブッシュ政権によって、経営側に有利な変更はされています。ですが、だからといって実質的な裁量権を与えず、時間のケジメもなく人を使っておいて残業手当も与えない、そんなムチャクチャはそこにはありません。

 小泉政権以来の日本には、アメリカ社会の模倣をすることが改革なのだという雰囲気が濃厚にあるようです。裁判員も、ホワイトカラーエグゼンプションもその流れに乗っていると思います。ですが、裁判員制度は判例の重視による判決の一貫性を(悪い意味で)破壊する危険がありますし、ホワイトカラーエグゼンプションの問題に至っては、アメリカの労働慣行や制度を歪曲した挙げ句に、まったく別の非人間的な提案に変えてしまっていると言えるでしょう。思えば、この二つの例が実に粗雑な提案であるのは、国会での党議拘束が多様な選択肢をオープンかつ実務的に協議する環境を奪っているからだとも言えるのです。一党支配と官僚制度の中から常に最適解が出てくる時代は終っているのです。

今日の話題

2006年12月28日(木)
この世でもっとも醜悪な顔

 長い間、心の底に鬱積していた憤怒をを一気に吐き出す。

草刈隆郎

 このふんぞり返った写真を一目見たとたんに腹のそこから強烈な虫酸が湧き上がってきた。これほど醜悪な顔にはめったにお目にかかれない。コイズミ・イシハラ・アベに勝るとも劣らない。この国の支配階層の腐れぶりを象徴している。この目つき・この表情を的確に言い表す言葉を私は知らない。

 恥辱まみれの存在でありながら、恥辱を感じることのできない無表情という表情。富の収奪にしか関心を持たないシニシストの目。他者への想像力を欠いたふてぶてしさ。体の内部から否応なくにじみ出てくる精神の貧困さ。どういい重ねても言い尽くせない醜悪さ。

 この男の名前は草刈隆郎、日本郵船会長・経団連副会長・「規制改革・民間開放推進会議」議長。

 朝日新聞が、経団連会長のあの手前勝手な『御手洗ビジョン』を報道した翌日のことだった。
 東京新聞12月12日「規制改革・民間開放推進会議草刈隆部議長に聞く」から。

―安倍首相のカラーを最終答申にどう反映させるのか。
「例えば再チャレンジ。(今の労働者派遣法では)企業が派遣労働者を三年雇用すると正社員にしなければいけない義務があるが、本当にみんなが正社員になりたがっているのだろうか。多様な生き方を求める人がいる中で、かえって雇用機会を奪うことになる」

―派遣労働者の固定化につながらないか。
「正社員になることがハッピーかどうか分からない。正社員にすればいいというのは乱暴だ」

 正社員でさえ奴隷のように搾取されている現状をますますひどいものにしようとたくらんでいるヤツが何をぬかすか。そんな状況におかれた正社員になることがパッピーだなんて、誰が思うか。お前の言い草は、正社員であろうとなかろうと全ての人が生きがいをもって協働し共生できる社会になって始めて言いえるセリフだ。

 臆面もなく得意げに人の存在を貶めて恥じないこの発言とともに、この破廉恥漢の顔を、私は記憶にしっかりと刻み込んでおこう。

(追記 2016年11月19日)
 『企業経営の社会主義化・日本編(9)』の末尾で、規制改革会議などが何をやってきたのかを書いている。その部分を転載しておこう。

(社長が代わって社長も社員も全員がハッピ-は会社を紹介する記事に続けて)
 「人を大切にする」経営理念をもつ社長を得て、社員たちは生き返ったようだ。それにしてもそれ以前の労働条件のひどいこと。1%の貪欲を満たすために奴隷並みの扱いを受けている99%を象徴するような有様だった。

 これは他人事ではない。小泉・竹中が導入したアメリカ式新自由主義が日本の労働者をもとんでもない状況に追い込んでいる。厚生労働省の発表(2011年)によると、1800万人(全労働者の3割)が有期契約労働者だという。そして、彼らの74%は年収200万円以下なのだ。

 言うことやること全てアベコベミクス政権はこのような悪政を改めるどころか、産業競争力会議とか規制改革会議などという経団連の代弁者で構成される会議が労働者搾取をさらに過酷にするようなことを議論しているという。日刊ゲンダイが「サラリーマンは全員アルバイトになる 首切り法案 戦慄の中身と進行状況」という記事(4月16日付)で取り上げている。その中から、山井和則衆院議員(民主党)のコメントを転載しておこう。

「結局、この内閣は大企業のための内閣なのですよ。産業競争力会議に入っているのは経営者だけですからね。甘利大臣は労働問題を話し合うときは労働者の代表を入れるべきだ、と言っていましたが、だったら、すぐにやって欲しい。それをやらずに解雇のルールづくりを話し合っている。いまは慎重答弁ですが、参院選が終わったら、首切り自由な国になってしまう可能性があります」
今日の話題

2006年12月26日(火)
「陰惨な謀略国家」へと暴走する日本

 マッド・アマノさん主宰の「THE PARODY TIMES」に本音のコラ!ムというアマノさん執筆のコーナーがあります。その12月25日の記事を紹介します。


りそなスキャンダル追及は危険だ

 痴漢容疑で東京拘置所に3ヶ月以上も勾留され現在係争中の植草一秀氏の逮捕の理由はりそなに関する疑惑について触れたからだ、と書いたけれどいよいよもってこれは推測の域を出て当たらずとも遠からずのようだ。そして、非常に恐ろしい状況に突入していると断言していいだろう。

 「りそな銀行、自民党への融資残高3年で10倍」という見出しの朝日新聞12月18日のスクープ記事を書いた記者が記事の掲載の前日に不審な死を遂げている。表向きは「自殺」だが果たしてそうだろうか?日刊ゲンダイが「朝日新聞 敏腕記者が自殺」という見出しに続いて次のように伝えている。

 「朝日新聞の48歳の論説委員がさる17日に自殺した。海に飛び込んで亡くなったというが、この人、かつて敏腕記者として鳴らした。80年代後半に起きたリクルート事件の発端となった疑惑をつかんだことで、戦後最大級の疑獄事件の実態が明るみになった。日ごろはボサッとした髪に黒縁眼鏡をかけ冴えない感じだが、いずれは朝日名物の天声人語を担当するとも目されていた。そんな人物がなぜに自殺したのか、朝日社内は大揺れだ。」

 朝日新聞は大揺れだそうだ。朝日はこの記者の自殺を報じたのだろうか。恐らく報じていないと思う。もしそうだとすれば何か大きな圧力があったのではないか、と推測できる。

 亡くなった記者はスクープ記事以外にも何か重要なことを掴んでいたのかも知れない。それが記事になっては困る人・組織があるのかも知れない。

 いずれにしても「りそな問題」は鬼門だ。

   植草氏がブログなどで「りそな救済劇の小泉・竹中インサイダー疑惑」を追及せよ、と書いたことが逮捕への引き金になったのではないかという推測が成り立つかも知れない。

   植草氏の痴漢容疑不当逮捕は単なる冤罪ではなくあらかじめ用意周到に計画されたデッチアゲではないか、という疑問はぬぐい去ることができない。

★参考までに「怒りの投稿」のYさんのコメントを紹介します。

(引用、ここから)

[6823] no subject 投稿者:Y 投稿日:2006/12/22(Fri) 11:42

 阿修羅で、17日に海に「飛び込み自殺」したとされる朝日新聞論説委員の鈴木啓一さんは、横浜支局にいた1988年に、リクルート事件の発端となった川崎市助役の疑惑をつかんだ(川崎市の助役がリクルートコスモスの未公開株を上場後に売り抜け、1億円の売却益を得ていたとの情報を入手した)実績があるそうです。

 鈴木さんが「飛び降り自殺」をした翌日、朝日新聞に大スクープ「りそな銀行、自民党への融資残高3年で10倍」が掲載されたそうです。この記事に鈴木氏が関与していたとの噂があるそうです。

 あくまで噂にすぎず、今のところなんの証拠もないそうですが、りそな銀行が自民党への融資を10倍に増やしたという記事を読んで思ったのは、りそな銀行の国有化は自民党がりそな銀行を私物化するために、故意に債務超過に陥らせて税金を投入したのではないか、という疑念です。

 あたかも銀行を救済するようなイメージを取り繕いながら、実は政権政党によるとんでもない犯罪が行われていたのではないか、そのことをこの記事は伝えてようとしていたのではないか。もしこの記事に鈴木さんが関与していて、これからその事実を書こうと取材を進めていたのであれば、あるいはすでに証拠を入手し、記事に書こうとしていたのであれば、なぜ鈴木さんが「飛び込み自殺」をしたのか、その理由がわかるような気がするのです。

 鈴木さんは48歳。論説委員で、将来「天声人語」を書くことが期待されていた辣腕記者だったそうです。そのような記者が、この寒空の下、海に飛び込んで自殺をするようなことをするでしょうか。そもそも自殺だと断定する根拠はあったのか、誤って海に落ちたのかもしれないし、だれかに突き落とされたのかもしれない。自殺と断定した警察発表をまず疑ってかかるべきですが、鈴木さんの死因に関する続報はいまのところまだ聞こえてこないようです。

 朝日新聞では藤田さんを支え、ともに耐震偽装の追求をしていた記者も亡くなっています。この記者の死因については「自殺」「他殺」「病死」説いろいろあるようですが、植草さんの事件についてもわかるように、政権の根幹を揺るがすような犯罪の告発をしようとする人たちが不可解な死や事件に巻き込まれていることを考えると、国民の知らないところで権力によるとんでもない犯罪行為が行われているのではないか、との疑念がわいてきます。問題は警察や検察や裁判所がその仲間であるために、犯罪を裁くことができないということです。

 なにかと批判されることの多い朝日新聞ですが、NHKへの政治介入を告発した記事や、今回のりそな銀行の自民党への融資額10倍をスクープした記事など、朝日の記者の中には権力に毅然と戦いを挑む勇気と正義感のある記者たちがいて、その人たちを国民は応援しなければならない、ということです。

 自民党に対するりそな銀行融資10倍の記事は、朝日のスクープのあと、東京新聞や日刊ゲンダイでも報道されました。日刊ゲンダイは、りそなが自民党への融資を増やしたのは、公的資金を投入してもらい、助けてもらったのでそのお礼をした、というような論調で、融資はあたかもりそなの意志であるかのように報じていましたが、国有化されたりそなが自分の判断で融資ができないことは自明の理であり、これも追求の矛先をそらすための情報操作の一種だとの印象を持ちました。

 朝日新聞頑張れ、と言いたい。

(引用、ここまで)

今日の話題

2006年12月23日(土)
国会の「欺」事から見えてくる「ブルジョア民主主義」の正体(3)

「1998年~2003年」

1998/01/14
参議院本会議で、初の押しボタンによる電子式投票・採決が行われる。

1998/06/12
民主・自由・共産の野党3党が橋本龍太郎内閣の「経済政策の失敗」などを理由に提出した内閣不信任決議案、自民、社民、さきがけなどの反対多数で否決(反対は273、賛成207)。社民党の辻元清美ら3氏、議席に着席したまま採決に加わらず。

1999/02/18
共産党、国旗及び国歌に関する法案で新見解。「法律によって国旗・国歌の根拠を定める」ことを呼びかけ、法制化論議に積極参加の意向。

1999/03/02
小渕恵三首相、野中広務官房長官に日の丸・君が代を国旗・国歌とする法律の制定について検討を指示。広島県立世羅高校の校長が卒業式での日の丸掲揚、君が代斉唱をめぐり県教育委員会と教師らの間で板挟みになったことが原因で自殺したとみられることから、国旗・国歌の法制化を図り公立学校での日の丸掲揚などに法的根拠を与えるのが目的。民主、公明両党は前向きであるのに対し、社民党は疑問視、共産党は反対の立場を表明。

1999/03/09
野中広務官房長官、参議院総務委員会で、日の丸を国旗、君が代を国歌として定める法案について「できれば今国会中にでも提示するような運びにしたい」と述べる。

1999/05/17
政府・与党は、日の丸・君が代を国旗・国歌とする法案を国会に提出、成立をめざす方針を決定。公明党は一時、執行部が前向きな姿勢を示したが、党内から慎重論が高まり、中央幹事会で成立を見送るべきだとの方針を確認(-20)。

1999/05/20
公明、国旗及び国歌に関する法案に反対。党内の慎重論を背景に中央幹事会が「今国会成立には」。

1999/06/11
政府、国旗及び国歌に関する法案を閣議決定し衆議院に提出。法案は(1)国旗は日章旗とする(2)国歌は君が代とする、の2条からなる。君が代の「君」は「日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当」と統一見解。教育現場などでの尊重規定や義務規定は盛り込まず。29日 小渕首相、衆議院本会議の答弁で「国民の総意に基づく天皇」と追加。

1999/06/29
衆参両院議員団会議と中央幹事会で公明党、国旗及び国歌に関する法案賛成。

1999/06/29
日の丸・君が代を国旗・国歌とする法案、審議入り。小渕恵三首相、衆院本会議の答弁で「君が代の『君』は、日本国および日本国民の統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す」などとする新見解を提示。

1999/06/30
朝日新聞社の全国世論調査によると、君が代について「国歌として法律で定める必要がある」と答えた人は47%、「必要はない」は45%と意見が二分。

1999/07/07
日の丸を国旗、君が代を国歌とする国旗及び国歌に関する法案に関する衆議院内閣委員会の地方公聴会は、札幌、那覇の両市で開催。

1999/07/22
国旗及び国歌に関する法案、衆院本会議で賛成403票、反対86票で可決。自民、自由、公明3党が賛成、共産、社民両党は反対。党議拘束をせずに自主投票で臨んだ民主党は45人が賛成、46人が反対と対応は二つに分かれる。

1999/07/26
次の国会から2001年にかけて政府委員制度の廃止や副大臣(22人)の導入、党首定例討論(クェスチョンタイム)を行う委員会設置などを進める国会改革関連法、参院本会議で採決され、自民、自由、民主、公明各党などの賛成多数で可決、成立。

1999/07/29
憲法調査会を国会に設置するための改正国会法、衆議院本会議で採決、自民、民主、公明各党などの賛成多数で可決、成立。

1999/08/09
自民・自由・公明の3党、参議院法務委員会で通信傍受法案強行採決。11日 民主党、衆議院に内閣不信任案を提出するが否決。12日 参議院本会議で可決・成立。

1999/08/09
日の丸を国旗、君が代を国家とする「国旗及び国家に関する法律」、参議院本会議で自民・自由・公明3党と民主党・新緑風会の一部の賛成で可決、成立。賛成166、反対71。13日 施行。

1999/08/10
野中広務官房長官、閣議で、国の機関の施設での国旗の掲揚と自治体各省庁の所管団体への協力を要請。

1999/08/11
捜査機関に電話傍受などを認める組織犯罪対策3法案を採択する参議院本会議開会。民主、共産、社民の野党3党は各種決議案を次々提出、長時間演説と牛歩で採択を遅らせる作戦に出て徹夜の攻防。12日 採決が行われ、可決、成立。

1999/08/13
「国旗及び国家に関する法律」施行。

1999/08/15
54回目の終戦記念日。政府主催の「全国戦没者追悼式」開催され、小渕恵三首相はアジアなどの犠牲者に反省と哀悼の意を表明、君が代を初めて国歌として斉唱。

1999/09/30
岐阜県知事、「国籍返上」発言。「国旗・国歌を尊敬できない人は、日本人国籍を返上していただきたい」と県議会で。10月7日、発言取り消し。

1999/11/26
年金の給付水準抑制を柱とする年金制度改正関連法案、衆議院厚生委員会で野党が抵抗する中、自民、自由、公明の与党3 党の賛成多数で可決。民主、共産、社民の野党が採決を阻もうと委員長席を取り囲むなど紛糾、「強行採決は認められない」として撤回を求めて連携。衆参両院の本会議をはじめ、29日以降の国会審議を野党側はすべて拒否する構え。30日 議長裁定で正常化。12月14日 継続審議に。

1999/12/14
衆議院政治倫理確立・公職選挙法改正特別委員会、衆院比例定数を20削減する公職選挙法改正案を自民、公明両党の賛成多数で可決。野党側は採決に強く反発し、委員会は混乱したが、伊藤衆議院議長が同法案を継続審議とする裁定案を示し、収拾。自由党は、同法案の成立見送りを不満として採決に加わらなかった。

1999/12/14
衆議院政治倫理確立・公職選拳法改正特別委員会で自公2党、定数削減法案の採決強行。野党、無効と主張。衆議院議長、預かりの裁定。継続審議に。

2000/10/13
参議院の選挙制度特別委員会、参院選比例区への非拘束名簿式導入などを盛り込んだ公職選挙法改正案を野党委員欠席のまま採決。与党3党の賛成多数で可決。

2000/11/10
自民党加藤派会長の加藤紘一元幹事長、森喜朗首相の退陣を求め、受け入れられない場合は民主党など野党4党が提出を予定している内閣不信任決議案を採決する衆院本会議を欠席する可能性を示唆。11日 自民党山崎派会長の山崎拓元政調会長、加藤に同調する考えを表明。16 日 加藤、山崎、不信任案に「賛成する」と表明。17日 自民党執行部、話し合いによる事態収拾を断念、不信任案否決に全力を挙げることになった。

2001/03/05
民主・自由・共産・社民の野党4党が共同提出した森内閣不信任決議案、衆議院本会議で自民・公明・保守の与党3党などの反対多数で否決。自民党の加藤紘一元幹事長、昨年秋に続いて不信任案採決を欠席。加藤派所属議員7人も欠席。

2001/12/04
民主党、テロ対策特別措置法(特措法)に基づく自衛隊派遣の国会承認案の採決で党の方針に従わず反対した横路孝弘副代表を3ヵ月間の党役職停止処分。

2002/03/20
衆議院議院運営委員会(委員長 鳩山邦夫)、野党4党が提出した鈴木宗男衆議院議員に対する議員辞職勧告決議案について、自民など与党3党の反対多数により、本会議で採決しないことを決定。

2002/04/03
小泉純一郎首相、BSE(牛海綿状脳症=狂牛病)問題をめぐり公明党が引責辞任を求めていた武部勤農相の続投を決定、自公保3党首脳に伝え、各党ともそれを受理。5日 野党4会派が共同提出した武部農相問責決議案は参議院本会議で採決、自民・保守両党などの反対多数で否決。公明党は採決を欠席。

2002/04/23
自民党、郵便事業への民間参入を認める「信書便法案」など郵政公社関連2法案を、法案の賛否は引続き審議し、党の事前承認抜き(委員会採決前に党の承認を得るとの条件付き)で、政府が国会に提出することを了承。26日 政府、同法案を閣議決定し国会に提出。

2002/09/04
海上自衛隊のP3-C哨戒機、石川県能登半島沖の日本海で北朝鮮船籍とみられる不審船を発見。海上保安庁の巡視船計 15隻出動。5日 防衛庁、煙突に北朝鮮国旗が描かれた同船の写真を公表。小泉純一郎首相、17日に行う日朝首脳会談で、不審船問題への対応を求める方針を表明。

2002/12/06
政府の道路関係4公団民営化推進委員会で、多数決採決に反対する今井敬委員長、辞任。残る6人、多数決で松田昌士委員を中心にまとめた案を採択(賛成5、反対1)。石原行革担当相、小泉純一郎首相に最終意見書を提出。

2003/07/16 民主党が提出した竹中経済財政・金融相に対する問責決議案、参議院本会議で採決され、自民、公明、保守新の与党3党などの反対多数で否決。

今日の話題

2006年12月22日(金)
国会の「欺」事から見えてくる「ブルジョア民主主義」の正体(2)

「1977年~1997年」

1977/04/27
衆議院外務委員会で自民党、日韓大陸棚協定批准承認案件を、民社党以外の野党4党欠席のまま強行採決

1977/06/10
閣議で、君が代を国歌扱いにすることを了承。

1977/07/23
文部省、小中学校の新学習指導要領告示。原案通り、「君が代」が国歌と明記、「公害」「核」問題の取り扱いを明確化。漢字の字体統一など。

1977/10/17
公明党、衆議院本会議で、1977年度補正予算の政府案の採決で賛成。政府案に初の賛成。

1977/10/21
三原朝雄防衛庁長官、文部大臣に「君が代」国歌化を直接働きかけたと言明。

1979/05/09
衆議院航空機輸入調査特別委員会、ダグラス・グラマン事件で野党5党が岸信介元首相・松野頼三元防衛庁長官の証人喚問の緊急動議を提出。永田委員長、採決を拒否。国会審議停止。

1980/07/18
衆議院運営委員会、航空機輸入調査特別委員会廃止を異例の採決決定。自民党、衆議院の18常任委員長独占。

1980/11/06
民社党、衆議院本会議で防衛庁設置法等改正案(自衛官定員2,300人増など)の採決で初めて賛成投票。

1981/03/04
5野党の共同予算修正案をめぐる与野党の対立で国会審議中断。5日 委員長職権で全野党欠席のまま衆議院予算委員会開会。自民党、29年ぶりに単独で1981年度予算案を強行採決。共産党を除く5野党、「かつてない暴挙」と共同声明。6日 衆議院議長裁定案(減税・武器輸出・改憲問題で各党協議)で事態収拾。7日 補充質問、衆議院本会議で予算案可決。

1981/06/05
衆議院内閣委員会で金鵄勲章復権請願を自民党、公明党、民社党の賛成多数で採決。

1982/04/01
「駐留軍用地特別措置法」に基づく沖縄所在施設・区域内の一部土地の使用について、沖縄県収用委員会の採決。

1982/04/28
参議院全国区改革法案を審議中の参議院公職選挙法改正特別委員会で、自民党が質疑を打ち切り強行採決

1982/07/09
参議院(特別)で自民党、公職選挙法改正案を単独で強行採決。野党の反発で審議空転。

1983/03/04
衆議院議員運営委員会で田中角栄元首相に対する議員辞職勧告決議案(全野党共同提出)の審議開始。自民党、野党側の採決要求を拒否。

1983/05/12
田中角栄元首相に対する議員辞職勧告決議案につき、衆議院議員運営委員会が2回目の一般質疑を行ったが、採決は持ち越し。

1985/12/09
自民党最高顧問、6・6案の強行採決に反対する姿勢を確認。

1985/12/20
沖縄県議会、国旗掲揚・国歌斉唱に関する決議を可決。

1987/02/27
矢野絢也公明党委員長、「予算案採決で自民党が強行すれば、地方選挙の首長推薦を見直す」と言明。

1987/03/05
矢野絢也公明党委員長、自民党が予算案を強行採決すれば地方選挙での共闘解消があり得ると語る。3.07 塚本三郎民社党委員長も同旨。

1987/04/15
衆議院予算委員会で自民党が62年度予算案を強行採決。野党、原状回復を要求し紛糾。

1987/08/07
臨時教育審議会、最終答申を文部大臣に提出(秋季入学への移行や国旗・国歌を尊重する教育を提唱)。

1988/10/28
衆議院議会運営委員会でも公聴会の日程を自民党が強行採決。野党、強く反発して議会運営ストップ。

1988/11/10
自民党、衆議院特別委員会で、税制改革関連6法案と、江副リクルートコスモス前会長他3人の参考人招致を単独強行採決。野党、反発して国会審議ストップ。

1988/12/21
参議院特別委員会で自民党、税制改革関連6法案を強行採決

1989/04/27
自民党、1989年度予算案を衆議院予算委員会で単独強行採決で可決。

1989/04/28
自民党、1989年度予算案を全野党欠席のまま衆議院本会議で単独可決。本予算案の単独強行採決は憲政史上これまでで初めて。社会党出身の多賀谷真稔衆議院副議長が抗議の辞表提出。青島幸男参議院議員、議員辞職届を提出。

1989/06/01
野党から「予算案の自民党単独採決に際し本会議を開会した」と不信任決議案がでていた原健三郎衆議院議長、辞任。

1990/07/16
文部省の全国調査で今春の公立小・中・高校の入学式で国旗掲揚は9割を超え、国歌斉唱は平均6~7割。

1991/11/27
自民・公明両党、衆議院国際平和協力特別委員会でPKO(国連平和維持活動)協力法案を「2年後に派遣続行の適否について国会承認が必要」と修正して強行採決。 自民・公明・民社3党の協議は民社党が承認時期を「6ヵ月以内」と主張して決裂。社共両党、本会議開会に抵抗。

1991/11/28
PKO(国連平和維持活動)協力法案、党大会で強行採決に批判が続出した公明党の要請で、衆議院本会議に見送り。

1991/12/02
衆議院国際平和協力特別委員会、PKO(国連平和維持活動)協力法案と国際緊急援助隊派遣法改正案について補充質疑をして採決を確認。

1992/05/28
宮澤喜一首相、社会、公明、共産、民社各党の党首と個別に会談して、PKO(国連平和維持活動)協力法案採決について決意を表明。29日 自民・公明・民社3党が再修正案をまとめ、「92年国会で必ず成立を」との合意文書を交換した。

1992/06/05
参議院国際平和協力特別委員会でPKO(国連平和維持活動)協力法案が自民・公明・民社3党の多数で押し切って修正可決。異例の未明審議で午前3時41分に採決。社会、共産両党、連合参議院、社民連は「強行採決で暴挙」と反発。

1992/11/12
環境庁の公害健康被害補償不服審査会、イタイイタイ病認定申請を棄却した富山県の処分(4人)取り消しを採決。

1993/03/23
1987年の沖縄国体会場に掲揚中の「日の丸」焼き捨て事件で、那覇地裁は「国旗は日の丸旗を指すと理解できる」と初の司法判断を示した上で、被告のスーパー経営者に執行猶予付きの有罪判決を言い渡す。

1993/11/16
政治改革法案修正会議で、細川護煕首相と河野洋平自民党総裁のトップ会談決裂。衆議院政治改革特別委員会は、小選挙区比例代表制導入を軸とした政府提出の政治改革関連4法案を一部修正のうえ、自民党も出席して賛成多数で可決。18日 4法案を衆議院で可決、参議院に送付、採決で自民党13人、社会5人が、党議と異なる投票を行う。

1994/03/31 国会は細川護煕首相の「1億円借入問題」などに関する参議院予算委員会の集中審議が首相のNTT株購入問題についての参考人招致を巡る与野党の対立で中断。結局1994年度暫定予算の採決、成立は4月以降に持ち越される。

1995/12/01
参議院本会議で全会一致で人種差別撤廃条約を承認。国連総会での採決から30年経て批准。

1996/03/25
土井衆議院議長の呼びかけによる与野党5党首会談。新年度予算案は衆議院予算委員会、本会議で強引な採決はしない、証人喚問は予算委で協議、対応するなどで合意、新進党はピケを解除。26日、23日ぶりに国会正常化。

1996/04/11
衆議院本会議で住専予算などを含む総額75兆1,049億円の1996年度一般会計予算案の予算書総則に「緊急金融安定化資金については、制度を整備した上で措置する」との項目を追加した与党修正案など予算3案を与党などの賛成多数で可決、参議院に送付。予算書の修正などで与党と合意していた新進党は採決では反対。

1997/09/02
政府の地方分権推進委員会、米軍用地強制使用問題で第3次勧告を橋本龍太郎首相に提出。駐留軍用地特別措置法に基づく米軍施設用地の使用手続きの事務を基本的に国の直接執行事務とする、都道府県収用委員会の審理を途中で打ち切って首相が代行採決できるなど、都道府県収用委員会の権限を大幅に縮小することなどを盛り込む。

1997/12/09
衆議院本会議で介護保険法が新進党、民主党、太陽党の野党3党欠席のまま採決され、自民党、社民党、さきがけなどの賛成多数で可決、成立。新進、民主、太陽の3党、本会議を欠席。

今日の話題

2006年12月21日(木)
国会の「欺」事から見えてくる「ブルジョア民主主義」の正体(1)

詩をどうぞ(29):私(たち)は本当の自由を持ったことがあるのか。


 さんたんたる鮟鱇  村野四郎
    へんな運命が私をみつめている ― リルケ

逆さに吊りさげられた
うすい膜の中の
くつたりした死
これは いかなるもののなれの果だ

見なれない手が寄ってきて
切りさいなみ 削りとり
だんだん稀薄になっていく この実在
しまいには うすい膜も切りさられ
もう 鮟鱇はどこにも無い
惨劇は終っている

なんにも残らない廂から
まだ ぶら下っているのは
大きく曲った鉄の鉤だけだ



 大日本帝国の敗戦により日本人民は初めて掛け値なしの自由を得たかに見えた。しかし自らが闘いとったものではなかった。脆弱な自由だった。それを強靭なものに鍛える間も与えられずに宙吊りにされてしまった。そうそれは1947年1月31日、GHQ(マッカーサー)の「2.1ゼネスト」中止命令の日だった。以来、人民の自由は国会「欺」事堂に吊るされて削られ続けてきた。革新政党は、小さな譲歩やわずかな遅延を「勝利」だと、何度いい紛らわしてきただろうか。明らかに「敗北」の歴史だった。事実をしっかりと見据えることからしか、新たな闘いのスタートはありえない。惨憺たる敗北の歴史を年表でたどってみる。

 国会で何が行われてきたか。年表で概観してみました。『新たなる闘いのスタート』で、私は「戦後の国会史は一貫して強行採決の連続だった。」と書きました。それを実証しておく意味もあります。「強行採決」は強調文字(赤字)にしておきます。また、「日の丸・君が代」関連の事項については、国会外の事件も選びました。長いので「1945年~1975年」・「1976年~1997年」・「1998年~2003年」の3回に分けて掲載します。

 なお年表のソースデータとしてデータベース20世紀・21世紀年表を利用しました。


「1945年~1975年」

1946/06/03
枢密院本会議において憲法改正政府原案の諮詢採決に際し、美濃部達吉顧問官、ただ一人起立せず、反対。

1947/09/03
片山哲首相、マッカーサー連合国最高司令官に警察制度改革計画を提出、同計画及び分権・集権の考え方につき採決を懇請。

1947/09/25
臨時石炭鉱業管理法案(炭鉱国管法案)、衆議院に提出。審議難航し、両院の鉱工業委員会で否決。本会議での採決により成立(12.8)。

1949/01/06
GHQ(連合軍総司令部)、国旗の無制限掲揚を許可。

1949/05/23
会期2日延長、参議院議場混乱し、議長の登壇阻止されるにいたる。松島副議長、職権によって会期延長を採決。

1949/12/03
参議院本会議、「食糧確保臨時措置法の一部を改正する法律案」難行し、農林委員長の中間報告を求める動議について記名採決中、時間切れで国会閉会。

1952/12/17
琉球米民政府、政治集会を除き新年に日本国旗掲揚を許可。

1953/04/29
琉球米民政府、祝祭日に限り学校での日本国旗掲揚を許可。

1956/03/23
衆議院内閣委員会、社会党委員の出席前にわずか4分で討論採決をし、憲法調査会法案を可決(3.29 衆議院通過)。

1956/04/29
益谷秀次衆議院議長、「5.4の本会議で小選挙区法案の採決を行なう」とのあっせん案成功せず。

1958/04/18
自民党の岸信介総裁と社会党の鈴木委員長、会談。解散の日取りや重要法案審議の段取りなどについて話し合う。「25日、社会党の不信任案上程、採決直前の26日解散、5月1日選挙告示、22日選挙実施」をもうしあわす。

1958/04/25
社会党、衆議院本会議において内閣不信任案を提出。反対討論直後、採決に入らず解散。

1960/05/19
衆議院本会議、日米安保条約・新協定・関係法令の一括採決。自民党単独審議、警官隊の国会への導入による強行採決。 1960/05/20
未明(0時5分)衆議院本会議。自民党、日米安保条約を単独強硬採決。社会・民社・共産各党議決の無効を声明。

1960/06/20
参議院において自民党、単独採決により、日米安保関係国内法などを可決。

1961/06/05
米国防総省、沖縄問題に関する共同通信の質問に対し(1)個人の国旗掲揚は自由(2)国防省のビザなしで海外旅行できる(3)中距離弾道弾は1年前決定基地建設指令済みと回答。

1961/06/24
キャラウェイ米琉球高等弁務官、日本・沖縄の祝祭日に公共建物に日本国旗の掲揚を許可。

1963/06/18
自民党、衆議院社会労働委員会で、職業安定法及び緊急失業対策法改正案を強行採決。本会議では社会党が牛歩戦術で対抗。6.23 衆議院通過。7.1 参議院通過。7.3自民・社会両党間に国会正常化の申し合わせ成立。

1964/06/17
自民党、参議院法務委員会で暴力行為処罰法改正案を強行採決

1965/01/08
琉球立法院、米兵の国旗損壊に対する米高等弁務官の人事承認権を廃止。

1965/01/14
ワトソン米高等弁務官、米軍に日の丸尊重の特別布告(占領意識を持つべからず、日本国旗の損傷は同盟国悔辱の罪とする)。

1965/04/15
自民党、衆議院ILO(国際労働機関)特別委員会で、87号条約承認と関係国内4法案の一括採決を強行。野党側は無効を主張。

1965/04/21
衆議院ILO(国際労働機関)特別委員会で強行採決(15日)された87号条約承認等をめぐって紛糾が続いていた問題で、船田中議長斡旋により、自民・社会・民社共同修正案を衆議院本会議で可決。5月17日 参議院本会議でも可決。6月14日 ILO(国際労働機関)に批准書を寄託。

1965/05/13
地主報償法案(農地報償法案)、衆議院内閣委員会で自民党により強行採決。5.14 本会議で可決。

1965/05/14
衆議院内閣委員会で自民党により強行採決(5.13)された地主報償法案(農地報償法案)、本会議で可決。

1965/06/25
立法院、慰霊の日の米兵による日の丸盗難事件で抗議決議(米軍の日本国民に対する正式謝罪、犯人捜査と処罰公表、従来の国旗損壊事件の処理結果公表などを要求)。

1965/11/06
自民党、衆議院日韓特別委員会で日韓条約案件を強行採決。これに対して野党各派は無効を主張。

1965/12/04
自民党、衆議院日韓特別委員会で日韓条約案件を強行採決

1966/08/19
森清総理府総務長官、ワトソン米高等弁務官と日本政府の沖縄援助増額、自治権拡大、沖縄船舶の日本国旗掲揚の検討などを共同声明。ワトソン高等弁務官、裁判移送命令の合法性を主張。

1967/01/25
琉球立法院文教社会委員会で与党民主党、「教公二法」案(1966.5.31 立法院へ送付)を単独採決。警官隊導入で沖縄教職員などの反対派に対処。

1969/04/24
自民党、衆議院運輸委員会で国鉄運賃の値上げ法案を強行採決

1969/07/10
自民党、健康保険特例法修正案を衆議院社会労働委員会で強行採決

1969/07/14
衆議院本会議、健康保険特例法修正案を異例の起立採決で可決。社会党要求の投票採決を退けたため、議場混乱。15日 石井光次郎衆議院議長・小平久雄衆議院副議長、辞任。

1969/07/17
自民党、自衛隊法・防衛庁設置法改正案を参議院内閣委員会で強行採決

1969/07/24
自民党、大学臨時措置法案を衆議院文教委員会で強行採決

1969/08/03
参議院本会議、重宗雄三参議院議長の国会法19条発議により、大学臨時措置法案を審議省略し、抜打ち2分間で採決、成立。

1971/11/17
自民党、衆議院沖縄返還協定特別委員会で沖縄案件を強行採決。野党、採決無効として委員会差戻しを要求、国会空転。

1973/05/25
中村梅吉衆議院議長、国会混乱収拾のいきさつについて「野党から強行採決をするなと言われて、慎重に処理すると言ってごまかしておいた」と問題発言。5.28 辞任表明。

1973/06/22
自民党、国立学校設置法等改正法案と防衛庁設置法・自衛隊法改正法案を強行採決

1974/03/14
田中角栄首相、日の丸・君が代を国旗・国歌として法制化を示唆。

1975/07/04
公職選挙法改正案が参議院本会議で可決成立。選挙資金規制法改正案が可否同決。議長採決で可決成立。

今日の話題

2006年12月20日(水)
朝日新聞問題:こころある記者は苦しんでいる。

 『朝日新聞の欺瞞』で朝日新聞の怪しい状況を、教育基本法改悪に対する記事を根拠に取り上げました。私の指摘が正しかったことを、藤原新也さんのホームページの「Sinya Talk」というコーナーの11月2日の記事が教えてくれました。

 藤原さんはトーク「朝日の様子がどうもおかしい」をめぐって行われたメール交換を公開しています。相手の方は朝日新聞の一記者です。その記者のメールから、その記者が社内の組織的な腐食状況の中で苦渋しているさまが伺えます。以下にそのやり取りを全文紹介しておきます。

悪臭漂う根腐れた保身オヤジどもが世の中を廃墟にしつつある



「朝日の様子がどうもおかしい」のトークでいろいろな意見が寄せられた。私の真意は水面下のネット社会において果断に切り込む(多くは独りよがりの過剰なものが多いが)言論が見られるのに反し、ここのところ表のジャーナリズムに腰引け現象が起きており、このことを憂うとともに橋頭堡としての「活字媒体」の再生を願うというところにある。

 昨今、上からの管理システムが世の中を根腐れ状態に追い込んでいる。

 ここのところ世間を騒がせている「いじめ問題」にしても現場で働く教職のお目付役である「教育委員会」という不思議な団体が教育に根腐れを起こす大きな病根となっている。

 またこれは1年ほど前聞いて驚いたのだが私もたまに出るNHKの「新日曜美術館」においても、とつぜん外部の識者からなる評議委員制度が出来、現場の記者やディレクターの考えや企画の審査を通さねばならないというくだらないことが起こっている。

 こういった傾向はさまざまなところに出ていて件の朝日新聞においても外部の識者からなる紙面審議委員なるものが存在し、何年か前に私も依頼されたが(1ヶ月に1度出るだけで年間500万、そして黒塗りでの送り迎えという好条件)、紙面作りは現場が行うべきものであり、上から管理するという体制の強化はジャーナリズムというものをダメにするという考えでお断りした。

 こういった話が来るたびに自分も世の中の管理に回る側の年齢になったのかといやな思いをするのだが、しかし思うに、逆にそのことをいとわず、いやなことであっても、管理する側に入って改革をするという方法もあるのではないかと最近思い始めたのが、ちょっと前、大学の外部評議委員なるものの依頼があった時のことである。

 くだらないことに多分例の文部科学省あたりの案かも知れぬが、外部に評議委員を置き、その査定によって予算の配分を行うという制度が最近出来たらしい。これはあきらかに配金による管理システムの強化であり、今世の中では水面下においてこういったさまざまな投網がかけられているのである。

 私はその評議委員(こちらの方はボランティアに近いものだが)を受けることにした。異物が入ることによって少しでも根腐れを改善できるかも知れないという思いがあるからだ。

 朝日に関するトークに寄せられた現場からの貴重な意見があったので、上記の管理化に突き進む世の中の具体例として、このトークに転載させていただくことにした。


前略
 いつも貴著や当HPを読むのを楽しみにしています。「朝日の様子がどうもおかしい」の感想を・・・

 私も朝日新聞で記者として働いています。朝日がおかしい、というのは、社内の心ある多くの記者が感じていることではないでしょうか。異常なほどの自己規制、減点主義に、必然性があるとは思えない「社内改革」の数々。20年ほど前に入社したころの空気と、今の空気はまったく別物です。新聞記者が書くことで喜びを感じるのは、おかしい、と思ったことを追求する。おもしろい、と感じたことにとびつく、世の中の空気の変化を敏感に感じ取る・・・そういったことでしょう。けれども、こうした前向きな行動の結果、訂正でも出そうものならよってたかって袋だたきにされるのが現状です。政治家や大企業、そんなところから抗議が寄せられそうな記事も、徹底的に薄められます。「訴えられたらどうするんだ」という口癖の幹部はひとりやふたりじゃありません。結局、上昇志向のある記者は、世の中の空気より、社内の空気を真っ先に感じ取るために嗅覚を働かせ、ろくな記事も書けなくなります。

 先日の、田中・前長野県知事に関する「虚偽メモ」事件をきっかけに、「解体的出直し」のかけ声のもと、「ジャーナリスト学校」ができ、組織改革が進んでいます。いまの幹部に、本当の意味の解体的出直しなんて無理でしょう。解体に向けてつき進んでいるという方が正しい状況です。現場でものを感じ取ることが何よりも大切な新聞記者にジャーナリスト学校と称して空論ばかり詰め込んでも逆効果なのは、少し考えればわかることだと思います。

 かくいう私も、このまま社内の「体制側」で記者たちを締め付ける側に居続けるのか、一記者としてせめてもの抵抗を続けるのか、それとも、もう会社に別れを告げるのか、日々考えています。こんな空気を一掃しないとだめだ、と声をあげ、朝日新聞を、もっと心ある新聞へと立て直そう、という選択肢も当然ありますが、そんなことをしても無駄だという気持ちになるし、そこまでこの新聞に愛着を感じない、という、もはやそんな状況です。

 社内には、朝日新聞を愛している人はまだまだたくさんいますが、そういう人たちはだいたいが、今の空気がおかしいということにも気づいていないでしょう。

上記のメールに対する返事
 ここ数年、朝日の人に会うたびに妙に萎縮した雰囲気を感じ、私が朝日に関わりはじめたのは35年前くらいからですが、あの自由奔放な雰囲気のことを思うと、何かこれが同じ会社だったのかという驚きの感すらあります。数年前、紙面審議委員なるものを依頼され、私は紙面作りは現場の人間の意思によってやるべきであり、トップダウンのようなものがジャーナリズムにはびこることはよろしくないという理由でお断りしました。教育委員会にしてもそうですが上から管理して行く体制がここのところ世の中を覆っています。朝日もその例に漏れないということでしょう。こういった傾向には私ももの書きの端くれとして異議を申し立てなくてはならいと思っております。ネットにおける言論がどの程度功を奏すかは別として、今回の貴方のメールをトークに反映させたいと考えておりますが、いかがでしょう。匿名でのメールであり、トークにおいても当然そのようになりますが、かりに匿名であってもこの部分はカットしてほしいというところがあれば、受諾か否かのご意思とともにお教えください。
 藤原新也

私のメールに対する返事

 メールお読みしました。このような連絡をいただくとは思っていませんでしたので驚きました。最初のメールは匿名で失礼いたしました。メールの引用の件は、匿名であればそのまま使っていただいていっこうにかまいません。HPのトークを読んで、反射的に書いたものですから、私の本音そのものです。

 メールをいただいて、すぐにでも返事したかったのですが、職場にいる間は社内のLAN回線経由になってしまい、こうした文面が覗かれるのもいやですから、自宅に戻って書いています。というのも、1年ほど前でしょうか、社内の議論の様子や、限られた人間しか見ることのできない資料が外部に漏れて、雑誌に掲載されることが相次ぎ(そんなことはもっと前からありましたが)「必要とあらば社員のメールやHPの閲覧履歴を調査することもあり得る」と幹部が宣言しました。情報が命の職場にあって、その情報を検閲するという行為に、社内のあちこちからため息が漏れていました。度量が小さくなったものです。そのころからでしょうか、危機管理、という言葉がことあるごとに持ち出されます。いまや、編集幹部の最重要課題は危機管理なのです。新聞記者に危機管理?? 喜劇的ですらあります。

今日、仕事を終えて帰る道すがら、ふと浮かんだことがあります。「種が絶滅する時はDNAの多様性が失われる」ということです。この会社の10年前を思い出して、目に見えて変わったことは何か。それは、異物がなくなったことです。10年前の社内には、異物がごろごろしていました。普段から何をしているのか全くわからないけれど、得意分野に関してはだれも真似できない知識のある記者。会社に住み着いた浮浪者風情。上司に食ってかかるのが生き甲斐のようなひと。そんな「異物」が、見事に一掃されてしまいました。後輩記者とメシを食った時、こんな話をすることがあります。ただ、こうした話をまともに受け止めようとする若い記者は10人にひとりぐらいです。

 いま、仕事をしながら感じる違和感は相当なものです。先日のメールにも書きましたが、これからどうするのか、と自分に問うた時、悲しいかな、この会社を建て直そう、という気持ちにはなかなかなれません。手遅れかもしれない、とさえ思うからです。これは、私のひとりよがりな感想であって、実態はそんなにひどくないのかもしれません。しかし、朝日新聞を外側から見ている、他の企業のひとたちなどと話をしていても、朝日新聞、朝日新聞記者への違和感を聞く機会が本当に多くなっているのです。


今日の話題

2006年12月18日(月)
「右」や「左」のご主人様は誰?

 私は映画とドラマ以外でテレビを見ることはほとんどないが、教育基本法改悪反対の大衆闘争がどの様に扱われてきたかはおおよそ見当がつく。[anti-hkm]MLに筑紫哲也の欺瞞ぶりを指弾した投稿(投稿者petrof)があり、私の見当が間違いでないことを教えてくれた。「朝日新聞の欺瞞」のテレビ版といったところか。

 教基法改悪の功労者たちには表彰状をさしあげたい気分。その第一の功労者はマスコミでしょう。

 報道管制があるわけではない。報道したら逮捕投獄されて、拷問で殺害されるような状況では、まだない。それなのに、故意に報道しなかった。とにかく、成立するのをじっと待っていたのだ。

 教育基本法改正で現場はどう変わるか? なんていうことをいう。そういうことは国会通過後に語ることではない。

 筑紫哲也ときたら、N23で「ほんと議論が深まらないままあっさり成立しちゃったわけですけどねぇ」なんて!! ことを言う。このオッサン、どういう神経をしているのだ?もうおひきとりねがわねばなりませんな。

 テレビを見ているかぎり、何が問題点かわからなかったし、反対運動が展開されていたことも、マスコミからはまったく知りようもなかった。

 アフガニスタンやイラクでたくさんの人を殺したのも、日本のマスコミ。これからたくさんの人が殺されることを許したのも、日本のマスコミ。

 筑紫哲也、アンタは殺人者なんだよ。

 マスゴミの「ご主人様」について、個人的な体験を通して、「カマヤン」が次のように断じている。一考に値するかも。以下はカマヤンの虚業日記 からの転載です。

 なぜ新聞やテレビが国会の基本事項を絶対に説明しないのかについて、以下、私の体験を書く。

 「イラク人質事件」というのがあった。この時、2chを中心にしてデマが目いっぱい錯綜した。官邸はデマを元に方針決定しさらにデマを拡大した。官邸と警察と外務省がデマを拡大していたとき、市民団体MLはイラクやフランスの市民団体と直接交信し、本来の「報道」の役割を果たした。「イラク人質事件」は、当時、米軍によるイラク・ファルージャ虐殺がなされ、在イラク日本軍は米軍の輜重部隊として米兵の運送を加担していた。だから「日本人」がイラク人により「人質」になった。

 この時、新聞社は事実を知っていた。だが新聞社やテレビは事実を決して報道しなかった。

 当時、私は色んな伝手を持っていて、その一つから、「なぜマスコミは事実を報道しないのか」話し合いたい、という誘いがあった。その誘いは上智大学文学部新聞学科教授・田島泰彦からだった。田島泰彦は「メディア(新聞とテレビ)」にあまたの学生を輩出し、メディア政策では「《表現の自由》専門家」「憲法学者」としてあちこちに顔を出していた人物だ。

 で、その会合に行った。新聞労連やら民放連やら色んな人がいた。真ん中に田島泰彦が座っていた。田島泰彦の後ろで物凄く人相の悪い男が会場全体に睨みを効かせていた。この人相の悪い男が誰であるのかについての説明は最後までなかった。

 初対面ばかりの人びとだったので、出席者達の口は重かった。「九条問題とイラク人質事件問題は絡めるべきではない」というよく判らない「方針」が田島泰彦からは示された。「質問するな」「考えるな」という威圧を与えたい、という意思だけは伝わった。田島泰彦の席の後ろで会場全体に睨みを効かせていた人物は、おそらく公安だろうと想像する。

 以前からなぜ「表現の自由」「報道言論の自由」関連の言説や既存団体は実効的なことを故意に避けるような動きしかしないのか、アリバイ作り以上のことをしようとしないのか不思議だったが、つまるところ、それらの…ネット右翼ならば「左翼」と呼ぶであろう諸団体は、究極のところで公安に牛耳られているのだな、ということを私はこの時の会合で知った。

 その会合の後だったか別の日だったか、田島泰彦とあと一人とだけで飯を食う機会があった。全然面識のない私と飯を食っていて田島泰彦も居心地が悪かっただろうが、田島泰彦という人間を知る貴重な機会だと思い、私も不味い飯を田島泰彦と食い、多少の話を田島泰彦とした。そこで彼が語った内容を元に立てたスレが以下である。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1081957958/l50
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/535/1039730401/99


99 名前: [,@∇@]ノ 投稿日: 2004/04/15(木) 03:05

 「憲法21条・表現の自由」の「専門家」にして、上智大学新聞学科教授である【田島泰彦】は、「なんちゃって《メディア擁護論》者」で、労組系の集会にはしょっちゅう主賓として登壇するが、彼は日常においては「メディアが悪い」「メディアはバカだ」と吹聴している。その「メディア」に学生を送り込んでいるのは、【田島泰彦】であるにも関わらず。

 彼の言う「メディア」はマジック・ワードであり、「大手マスコミ」「資本」といった意味で本来語るべきところを、「言葉の攪乱」のために論を張っている。

 【田島泰彦】が「メディア」を語るのを読む際は、「何を《メディア》の語で隠蔽しているのか」に、感度を尖らせよ。彼の「メディア」言説を、最大級に、警戒せよ。


 「言論の自由」専門家にして上智大学文学部新聞学科教授である田島泰彦は、公安の犬である。そして日本のマスコミの「左」側は田島泰彦が統括し、「右」側は電通や官邸が統括している。日本のマスコミはそのような形で、だいぶ前から自作自演マシンであり、死んでいないふりをしているだけであり、死んでいる。だから、新聞やテレビは何も分析せず、基礎情報を故意に欠落させ、読者の誤読を喚起するように書かれ、放送されている。

(腑抜けになっているのはマスゴミや御用学者だけではない。労働組合も腑抜けを争っている。その代表が日教組である。2006年12月19日の今日の話題を併載することにした。)

2006年12月19日(火)
森越日教組委員長の無様な裏切り

 教育基本法改悪反対の国会前集会で受け取ったビラの多くが、森越日教組委員長の「朝まで生テレビ」で見せた見苦しい失態を取り上げていた。 日教組が闘わない労組になって久しい。しかしここまで腐ってしまっていたとは知らなかった。これもしっかりと記録しておきたいと思う。一番詳しく書いていた中核派のビラの該当部分を転載する。

 とりわけ許し難いことに森越は、11月25日のテレビ朝日「朝まで生テレビ」に出演し、決戦のまっ最中に屈服と闘争放棄の恥ずべき姿をさらした。

 「つくる会」元会長で「日本教育再生機構」理事長の極右ファシスト・八木秀次らが、教育労働者の国会前での座り込みを非難し、「みっともない話」「教室に戻ってもらいたい」などと責め立てたことに対し、森越はなんと「すみません、先週で(座り込みは)やめました」と謝罪したのだ。さらに「でも今も毎日やっている」と畳み掛けられ、「あれはうちの人たちではないんです。」と弁明したのだ。

 極右やファシストどもへのこのぶざまな屈服と士下座。こんなことがいったい許せるか。こんな人物に日教組の指導と組合員の運命を任せられるか。断じて否だ。

 直ちに辞任・解任を要求し、新たな闘う執行部を選出し、教基法決戦を闘う体制をつくる必要がある。職場から、分会・支部・単組から、森越発言弾劾、辞任・解任要求をあげ、日教組本部に突きつけよう。

 密室で首相になったあのモリが「日教組、自治労を壊滅できるかどうかということが次の参院選の争点だ」などと、臆面もなく不当労働行為(憲法違反)にあたる発言をほしいままにしている。森越のような腑抜けが委員長では日教組は本当に 壊滅しかねない。
今日の話題

2006年12月17日(日)
朝日新聞の欺瞞

 今回の「教育基本法改悪」の攻防でいよいよ明らかになってきたことがいくつかある。それを書き留めておきたい。その一つはマスゴミの体たらくぶりである。

 今年から東京新聞と朝日新聞を取っている。この2紙の報道姿勢の歴然とした差を見せつけられてきたが、「教育基本法改悪」に対する報道姿勢にそれが象徴的に表われていた。参院特別委員会での強行採決が行われた14日前後の両紙を比べてみる。

12日夕刊:参考人質疑や公聴会で意見を述べた人たちが異例の記者会見を行う。

東京新聞
 写真入でかなり大きく報道。

朝日新聞
 完全に無視

14日朝刊:参院特別委員会での強行採決が危惧されていた日。

東京新聞
 「こちら特報部」でやらせタウンミーティングと教育基本法改悪を関連させて特集を組む。国会前の抗議集会の写真を掲載している。

朝日新聞
 『教育基本法「慎重に」・東大教員らが声明』という17行のベタ記事のみ。社説でやらせタウンミーティングを取り上げてるが、基本法の「基」の字もない。

15日朝刊:参院本会議で強行採決をめぐっての攻防が必定の日。

東京新聞
 昨夜の強行採決を大きく報道するほかに、国会前の抗議集会を写真入で大きく報道。また「こちら特報部」でも5人の識者の批判の談話を掲載。

朝日新聞
 「教育基本法成立へ・四野党は不信任案」というありきたりのたった44行の記事を掲載した。「38面に関連記事」とあったので38面を目をさらにして探してみたら、「日教組、採決に抗議」という9行のべた記事だった。
 一方、「声」欄では「教育基本法の多角的報道を」という一読者からの穏やかながら朝日新聞の恥部を鋭く指摘している抗議の投書を他人ごとのように、いけしゃあしゃあと載せて一向に恥じない。

16日朝刊:昨夕、改悪教育基本法が参院本会議で強行採決された。

東京新聞
 改悪基本法成立が一面トップ記事。
 総合面・「核心」で『「美しい国」へ学校一変?』、社説で『行く先は未来か過去か』、社会面で『「分権に逆行」「改憲加速」』といずれも未来を懸念する批判的見解。

朝日新聞
 今までがウソのように急に饒舌になる。まるで急いでアリバイ作りをしているようだ。
 一面トップの扱いは東京新聞の3倍ぐらいの量。
 「天声人語」はいまさらのように「審議不充分」との意見を開陳。
 2面でも「管理・指導なお懸念」と危惧してみせる。社説でも取り上げているが、「防衛省」と抱き合わせでありきたりの論評。
 4面にも関連記事
 5面に改悪基本法を全文掲載。
 35(東京)面にも「都教委方針を先取り」と一応は批判的な記事。
 さらに39(社会)面で「子どもの明日はどうなる」という未来を懸念する記事を掲載。ここで初めて国会前抗議集会を報道し、その写真も掲載した。

 ご主人様から「おとなしくしておれ」ときつく脅かされたイヌが一匹、シッポをまたの中に巻き込んで隅のほうで震えながら成り行きを盗み見している。ご主人様の思い通りにことが運んで、ご主人様からもう好きなように吠えてよろしいとのお許しがでる。急に偉そうに走り回り吠えまくっている。そんな怯懦なイヌの姿が髣髴と浮かんでくる。

 朝日新聞に限らない。日本の新聞は戦時に大政翼賛新聞に成り下がってしまったことを深く反省して戦後を生き延びてきたのではないのか。また同じ轍を踏んでいる。チャート式優等生集団の成れの果てだ。

 ところで、このイヌのご主人様はだれだ?多額の聖教新聞印刷代を恵んでくれている創価学会か、それとも膨大な広告代を割り振ってもらっている電通か、それとももっと大きな政治勢力か。だれか解明してくれませんか。
今日の話題

2006年12月16日(土)
新たなる闘いのスタート

 教育基本法改悪案は自滅・不明党によって強行採決されてしまった。<公法>においては被支配階級の意志は反映されることはありえないという原則を、今回も打ち破ることができなかった。思えば、戦後の国会史は一貫して強行採決の連続だった。

 昨日の国会前座り込みのリレートークで、連日ハンストを行ってきたHさんの発言が心に残った。闘争を通してむなしさを感じてきたという。そのむなしさのよってくる源は「やらせタウンミーティング」による初めから偽装された世論操作であり、手続きを形式的に踏むだけのための公述人をコケにした公聴会であり、さらには改悪案そのものが本来は審議にかけることすらできないはずの憲法違反の法案であることにある。私たちが民意を届けようとしていた国会議事堂は初めからまともな審議をする気など皆無の議決堂でしかなかった。詐欺と欺瞞で成り立っている欺偽事堂だった。そういう意味でむなしいと言っていたと思う。

 教育基本法改悪は共謀罪新設、改憲国民投票法と連動しており、敵の最終目標は憲法改悪にある。その意味で新たな闘いのスタートなのだ。
 教育基本法の改悪のため教育労働者はますます過酷な状況に追い込まれるだろう。しかし、教育労働者にとっては改悪基本法の悪意を教育現場から拒む新たな闘がスタートする。それを力強く支え共闘するための被支配階級の新たなる結束が創り出されなければならない。

 いつも隊列の後の方でうろちょろするばかりの私がこれ以上口幅ったいことを言うのは控えよう。最前線で闘いを主導してきた方々に敬意を込めて、その方々の新たなる決意に耳を傾けたいと思う。

 以下は「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」のメールからの転載です。

①<呼びかけ人の大内さん>
 民主主義のルールを無視した強行採決だ。彼らには教育を語る資格はない。
 伊吹文科大臣は、「改正案は自民党の新憲法草案と整合性をもって作られた」と言った。
 今後改憲攻撃が来る。戦後学校教育が最大の歯止めを担ってきた。しかし、政府が学校に直接介入するようになる。学校現場への攻撃が強まる。しかし、私は絶望していない。教育基本法改悪を認めない闘いを今日からやって行く。
 この4年間、改悪阻止のために全力でやってきた。私たちは強くなってきた。きっと勝利できる。

②<埼玉の学生>
 自分は最近まで関心がなかった。しかし、おかしいことが分かるようになってきた。改悪法案は認められない。

③<京都の学生>
 改悪法案を守るべきではない。私たちがいつか新しい教育基本法を書き直す。

④<スタンディングを続けておられたMさん>
 戦争中沖縄や広島・長崎の子どもたちは、「国体護持」の犠牲になった。それと同じ事になる。具体化を阻止しなければならない。

⑤<自由法曹団のTさん>
 自分たち1700名はもとより、2万人の日弁連も反対するようになった。憲法が変えられていないのに、「自民党の憲法草案と整合性をもって作った案」という。憲法違反だ。直ちに「改正」を取りやめる闘いに取り組む。

⑥<社民党の保坂議員>
 不信任を提出して闘った。これからも闘いを続けて行く。(発言者の調整などをしていて、不十分にしか記録できませんでした)

⑦<北教組のNさん>
 この間8派1500人が国会前座り込みに参加した。自分たちの目で見、地元に伝えながら運動を続けてきた。この改悪を阻止する流れを覆すことはできない。子ども達の未来のためにも負けるわけに行かない。闘い続ける。

⑧<社民党の辻本議員>
 情けない。歴史の曲がり角にいると思う。国会では私たちの発言に対し、せせら笑う野次もあった。彼らに「いじめ」や教育基本法を語る資格はない。今後は、この間作られてきたネットワークを生かし、改悪をはね返す闘いをやっていきましょう。

⑨<全教(日高教)のKさん>
 多数決で決められるような問題ではないものを強行採決する。全く許せない。ここに彼らの中身が現れている。しかし、この間の闘いで連帯して闘うという共同財産が出来た。

⑩<リレーハンスト者で千葉の高校退職教員のSさん>
 ペテン・欺瞞の法案の強行採決は許せない。国民の声を聞く耳がない。現場の校長たちも改悪反対が64%だった。ファッショ的な手法は許されない。祖父の岸も60年安保の時同じ事をやった。しかし、岸内閣はその後倒れた。その時も自分は国会前にいた。今も自分はこうして国会前で闘っている。

  ⑪<社民党の福島党首>
 阻止するために不信任決議他をやってきた。安倍こそ問責決議に値する。しかし、それはうまく行かなかった。悔しい!民主党は「愛国心」、だからできなかった。私たちを励ましてくれたのはこうして毎日国会前に来てくれた人々だった。今日からまた新しい闘いが始まる。

⑫<共産党の仁比議員>
 こんなことが許されるか!共産党や社民党には、少数会派だというので討論の機会も与えない。しかも賛否はボタン式だ。国会議員の役割についてはきちがえている。多数派による教育の支配を許してはならない。自分は改悪を認めない!今後政府・文科省は33の法律案に手をつける。また「教育振興基本計画」で、子ども達を振り分けようとしている。こうしたことに反対して行く!

⑬<ザキさんの教育基本法改悪反対の歌>
 この歌は、この闘いの中で生まれたもので、教育基本法の改悪の中身が良く分かる、ラップ調で、パワー溢れる歌です。(ザキさんの作詞、作曲)

⑭<被処分者の会事務局長のKさん>
 私は絶望していない。私たちは12月23日160人の原告団を結成し、来年1月に東京地裁に提訴する。闘いはこれからだ。

⑮<呼びかけ人の三宅さん>
 私たちが阻止するのは何のためか。人権を守り、強めるためだ。この闘いには終わりはない。この間の闘いで陣形を大きく獲得してきた。若い人、年配の人、健常者、「障害」者、教員、労働者などなど。この連帯は崩れることはない。この運動は日本国籍以外の人々にも伝わっている。強行採決を「希望の前夜」に変えていこう。もっともっと広いフィールドで闘おう!

(追記 2016年11月11日)
 安倍は教育基本法改悪を強行採決でごり押ししたが、翌年の参議院議員選挙で大敗した。多分そのショックが引き起こしたのだろう、その後潰瘍性大腸炎で体調を崩し、内閣総理大臣を辞任している。しかし今また返り咲いて、相変わらず悪政の限りを押し通している。その悪政実績をざっと挙げてみよう。
特定秘密保護法制定・靖國神社公式参拝・従軍慰安婦の強制性否定・NHK支配をはじめマスコミへの言論弾圧・内閣法制局人事介入・武器輸出三原則の撤廃・集団的自衛権行使容認・安保法制強行採決・沖縄辺野古新基地と東村高江ヘリパットの建設強行・消費税増税・法人税減税・年金積立金の大損隠し・総じてアベノミクスという稚拙経済政策の失敗・公約違反のTPP批准推進(昨日10日 強行採択をした)・甘利不起訴・タックスヘイブン容認・原発再稼働・派遣法改悪・軍事産業振興・武器輸出・海外派兵……。
 まさにアベコベ軽薄姑息うそつきオカルト政権の悪政オンパレード。
(2006年12月12日と12月13日の「今日の話題」は教育基本法改悪阻止闘争関連の記事なのでまとめて掲載します。)

今日の話題

2006年12月12日(火)
第4波ヒュ-マンチェーン、目指すは一万人

 以下は俵義文さんの情勢分析と呼びかけです。

 いよいよ正念場を迎えました。
 国会の日程で今決まっているのは明日(12日)の中央公聴会です。
 与党は、13日の締めくくり質疑、採決を提案していますが、野党側は拒否しています。

 明日(13日)10時から衆議院の特別委員会理事懇談会があります。そこで、衆院特別委の補充質問について協議される予定です。おそらく、13日午前に衆院の特別委が開催され補充質問が行われます。そうすると、参院の特別委は13日は午後だけになります。そこで、与党側は締めくくり質疑、採決を提案してくると思われますが、野党は応じないでしょう。

 与党としても、そこで強行すれば、「防衛省」法案などが危うくなるので、強行は避けてるなら、14日に締めくくり質疑、採決をやってくる可能性が大きいと思われます。14日には、参院の文教科学委員会が2時間もあり、さらに、インドから要人が来て、衆院本会議で演説が予定されています。その間隙を縫いながら特別委を開催することになります。与党側としてもかなり苦しい日程になってきています。その意味で、明日から15日までは息の抜けない毎日になります。

 明日の公聴会の公述人公募者は17名でしたが、全員反対の意見でした。野党側は賛成、反対各2名にすべきと要求していましたが、公募者が全員反対意見だったため、与党側が押し切って、公募の公述人は1名だけになり、埼玉大学の浅野大志さんになりました。浅野さんからは今日相談があって、明日、国会議員会館での参考人・公述人アピールの記者会見会場に来てくれて、サポートについて打ち合わせをします。廣田照幸日大教授が浅野さんの付添い人になってくれました。

 残された時間、あらゆる活動をやりきり必ず採決を阻止して廃案に追い込みましょう。

 そのために、もっともっとFAXを送りましょう。自民党議員はFAXの多さにかなりまいっている、という情報があります。短い文でいいのです。「自民党支持者で今国会での成立を支持しているのは25%です。60%が反対しています。教育基本法案を採決すれば、必ず、選挙で負けますよ」などと書いて送りましょう。民主党議員にも最後まで頑張れと書いて送りましょう。

 12日、教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会の16時30分からの院内集会、18時00分から国会前集会に参加しましょう。

13日、17時00分、第4波ヒュ-マンチェーン参加しましょう。

 今日は、日弁連の院内集会に出ていました。そこで、伊藤日弁連福会長が、これからは1日、1日が今後何十年もの日本のあり方を決めることになる、というような趣旨の発言をしていました。

悔いを残さないよう、一人一人ができることをやり遂げましょう。


2006年12月13日(金)
国会周辺はますます元気でした。

 久しぶりに都合がついて、「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」主催の国会前集会に参加してきました。

 さまざまな人たちの発言から、かなり衰えてきた頭なので心もとないのですが、頭に残ったことを拾ってみます。

   国会内では中央公聴会が開かれた。呼びかけ人の大内裕和さんが公述人として「廃案すべき欠陥法案」というような意見を強く主張したそうです。また前例のないことですが、埼玉大学の学生が公述人に選ばれました。教育学部の学生さんで将来教師になる立場から反対のとても良い意見を堂々と述べたということです。与党の委員も何人かがあいづちを打っていたと言うことです。その学生さんの挨拶もありました。また、与党選出の公述人も、賛成意見を述べながらも、慎重な審議をという注文を付けていたということです。

 また、これも異例なことですが、今までに衆参院で参考人・公述人として意見を述べてきた人た ちが記者会見をして、審議が不充分であることを訴える声明を発表したという情報もありました。帰宅して早速夕刊を調べたら東京新聞が写真入で報道していました。朝日新聞は全くなし。

 余談になりますが、今年初めに30年来購読してきた朝日新聞を見限り東京新聞に変えようと思いましたが、家族が愛読してる記事もあったし、私もいくつかのコラムに未練があってずるずると東京・朝日を併読してきました。しかし、朝日とはいよいよ今月で縁を切ります。(心を入れ替えてまともなマスコミになったら再読を考えてもよいぞ。)

 今日の東京新聞朝刊に『教育基本法「改正」法案は憲法違反!』という意見広告が掲載されていました。

意見広告

 これをデザインした方の発言がありました。その広告のイラストで、教育基本法を踏みにじっているピエロ?の顔に「政府」と書いてありますが、実はこれ、原案では狆ゾウの似顔絵だったそうです。「広告に似顔絵はダメ」(どんな法的根拠があるのかな。なんだかへんだな。)というのでこのように変えたという裏話がありました。

 思い出すまま、気ままのいい加減な報告ですが、終わります。

(2006年12月11日と12日の「今日の話題」は同じ話題を取り上げているので一緒に再録します。)

今日の話題

2006年12月11日(月)
「御手洗ビジョン」:今度は「希望の国、日本」だとよ。うんざりだ!

 本日(12月11日)付朝日新聞夕刊一面に「経団連・御手洗ビジョン原案判明」という記事があった。来年1月1日に発表する予定のものというから、これはスクープなのかあるいは被支配層の反応を見るための観測気球なのか定かではないが、このなんともあつかましくも手前勝手な提案を見て、私(たち)は支配階層に完全に舐められ切っていると、改めて肝にめいじて思い知らされた思いだ。

 この提言の表題は「希望の国、日本」だとよ。「美しい日本」でうんざりしきっているところによく言ってくれるぜ。ますます絶望的な日本を目指しての提案の主な内容は次の通りだ。

・イノベーション(技術革新)の推進
・法人税実効税率の10%引き下げ
・11年度までに消費税率2%引き上げ
・10年代初頭までに憲法改正
・業績などに応じた人事・報酬制度の整備
・愛国心に根ざす公徳心の涵養
・政治寄付を拡大するための法改正
・東アジア全域での経済連携協定促進
・15年度をめどに道州制を導入

 いま、オコチャマランチ・狆ゾウが青洟たらしておねだりしていることとピッタリ口裏を合わせているような内容だ。

 こういうような経済的支配層の意思表示を、私(たち)はどうとらえたらよいのか。内容の具体的な批判は、いずれ識者たちが行うだろうから、その人たちにまかせよう。私(たち)は、ブルジョア民主主義国家の支配形態の問題として、原理的に考えることにする。といっても、滝村さんの論述に教えを請うことになるわけだが、今日はもうまぶたがくっつきそうなので、また明日。

2006年12月12日(火)
「今日の話題」+「滝村国家論」

 今朝日課のインターネット散歩をしていたら、「きっこの日記」(12月11日)が「御手洗ビジョン」を取り上げていた。

経団連は売国連

 情報源は私の(新聞記事)とは異なるようだ。そのなかできっこさんは、政・官・財合作の「輸出戻し税」というペテンを厳しく糾弾している。私はこんなふさげた「税」があるのを知らなかった。

 またきっこさんは
『あたしは不思議なんだけど、なんで経団連が、「憲法改正」だとか「愛国教育」だとかって言い出すの? 百歩ゆずって「消費税の大増税」だけなら、とりあえずは「経済」に関係することだから分かるけど、憲法問題や教育問題なんか、お前らが口出しすることじゃないだろ?‥‥』
と疑問・異議を投げかけている。昨日私が「経済的支配層の意思表示を…原理的に考える」と言ったことは、まさしくこの疑問へのアプローチということになる。しかし、この問題も、既に今までの「滝村国家論」を紹介した記事の中で再三触れていることだった。特に次の記事が直接それを取り上げている。

『滝村隆一の国家論』
『統治形態論・「民主主義」とは何か(4)議会制民主主義とブルジョア独裁の仕組み』

 これらの記事と重複することになるし、さらなる横道に入って議論が錯綜することにもなるが、「唯物史観と国家論の方法」からはしばらく離れます。

 以下は『国家論をめぐる論戦』所収の「Ⅰ/四/3「国家論の宇野経済学的構成によせて」による。
 この論文は『滝村国家論に学ぶ』(鎌倉孝夫・中村健三)という論稿で提示された疑問やその中に見られる理論的謬見に答える形で書かれている。その謬見は通常よく見られるもので、白状すると私も共有している。これら謬見に対する滝村さんの補正意見は「滝村国家論」への理解深化に資するところ大だと思う。

 鎌倉・中村2氏によっ提出された疑問は2点ある。

疑問1
 国家意志形成において被支配階級の意志ははたして反映されるのだろうか。

 この問題は第668回(11月26日)の今日の話題『世論と国家意志』で提出した問題でもあり、そこで滝村さんの文章を一部引用しておいた。今回はそれをより詳しく読むことにする。

疑問2
 総資本的意志とは何であり、それは何故どのようにして国家意志として押し出されてくるのか。

 これが今回の直接の問題である経団連など財界の意思表示と国家意志との関連の問題ということになる。

 この二つの疑問点と、それに関連する論理的な謬見に対するの滝村さんの論述を次回から読んでいくことにする。

(追記 2016年11月9日)
 滝村さんの論述は 「『国家意志』とは何か」という表題でまとめて掲載しました。
今日の話題

2006年12月10日(日)
狆ゾウよ、チャベス大統領の爪の垢でも煎じて飲め!

 東京新聞「こちら特報部」が、今日もいい記事を書いている。

特報「ベネズエラ・チャベス大統領 人気の真相圧倒的貧困層トコトン支援」

 私が特に目を引かれた部分を抜粋しておこう。

(貧困対策)
▽キューバ人医師約二万五千人を受け入れ、全国の貧民地区で無料医療活動
▽百五十万人の非識字者を対象にした識字教育
▽大学教育希望者や中学課程未就学者への支援(夜間学校など)
▽小学校の無料給食
▽全国二千カ所に市価の約半額で生活必需品を売る「メルカル」開設
▽女性グループに起業資金を低利で融資する「女性銀行」制度の新設-など

「石油輸出の代わりにキューバから医療・識字教育の支援を受けるなど、相互扶助、相互補完に貫かれた国家戦略は世界経済に弱肉強食ではない、もう一つの道があることを示している」(「現代企画室」編集長の太田昌国氏)

「単なる富の再分配ではなく、共同体づくりなど貧困地区の住民にやる気を起こさせる狙いで、分配しようとしている」(龍谷大講師・広瀬純氏)

 米国が主導する新自由主義政策の導入結果、公共料金は大幅に上がり、アジア・アフリカより悪かった南米の貧富の格差はさらに拡大。
「中道や中道左派政権が誕生した選挙では、すべて新自由主義が争点となった。小泉改革で格差が広がる日本も決して無縁の話ではない」(明治大非常勤講師・新藤通弘氏)

 そして最後の「デスクメモ」がいい。

「世界の潮目は明らかに変わりつつある。中南米で米国がこけた背景には中東での泥沼がある。潮目が読めないわが国の官僚たちは、イランでの自主開発油田も事実上中国に売り渡した。激動が読めないと、為政者たちは稚拙なナショナリズムに走りたがる。その無残な結末は六十余年前に体験したはずなのだが。(牧)」
(2006年12月6日と7日の「今日の話題」は沖縄独立論を取り上げているので、一つのまとめて再掲載します。)

今日の話題

2006年12月6日(水)
もう一つの可能性、沖縄独立を考える人たち

 『街から』という隔月発行の小冊子がある。たまたま読む機会を得た冊子ですが、この冊子を応援したくなったので、ホームページを紹介しておきます。

街からホームページ

 その『街から』85号(11・12月号)が「インディペンデント書店店長 おすすめ本」という特集をしている。その中で新宿「模索舎」の綿貫真木子さんが「うるまネシア第8号」(21世紀同人会発行)という雑誌を紹介している。

 「模索舎」は普通の書店では入手しがたいミニコミや少流通出版物を扱っている貴重な書店です。「模索舎」も「うるまネシア」も応援したくなる。綿貫さんのエッセイ『地に足のついた夢を描く琉球独立談義』を紹介します。


 東京中野の駅前公園で毎年秋に行われる沖縄のお祭り「アシバ祭」。そこへ出店していた折、出会ったのが隣のブースで売られていた、このミニコミでした。

 『うるまネシア』副タイトルに「琉球弧の自立・独立論争誌」とある。うー難しいのか? ふんふん、特集は「琉球救国運動130年」? え、何、救国? 130年前って??? 

 表紙を眺め、わけがわからず固まっているところへ売り子が話しかけてきました。「沖縄独立っていったら本土復帰をすぐ思うでしょ。でもその100年前の琉球処分から歴史を読み直そうっていう特集なのよ、これは。」

 「琉球救国運動」というのは1872年、琉球国が明治政府により日本国家に併合されたことへの抵抗運動を指すという。国挙げての抵抗は、以前から貿易などで交流のあった中国(当時の清)に助けを求め、密使を送ったこともあった。「脱清人」と呼ばれたその密使は、運動が成功せず失敗に終わっていく中で、どうもよろしくない評価に落ち着いたらしい。この特集では、この「脱清人」にまつわる資料や写真を読み直し、その意味を捉え直すことで今につながる抵抗運動を生み出そうとする試みがなされている。

 全体のベースにあるのは、中国、台湾、朝鮮、日本にならび、琉球を一つの独立国とみなす目線。そこから見えてくるのは、日本の南端としての沖縄ではなく、貿易などで近隣国と交流する東アジアの一国としての琉球だ。

 また、沖縄における「靖国問題」と、この抵抗運動をからめて考えた時、琉球処分こそが、現在沖縄が抱える米軍基地などの問題の起源ではないかという論考もあった。(その100年、200年単位で計る歴史観にははっとさせられた。)

 『うるまネシア』は2000年に創刊された沖縄独立を目指すための論争誌だという。「我々は従来の反対運動だけではなく、主体的に沖縄独立の構想を研究していきたい」とは編集委員の弁。「居酒屋独立談義」と揶揄されることも多々あるそうだが、地に足のついた夢を描く雑誌として応援していきたい。

 はたして「琉球独立論」は揶揄されるべき「居酒屋独立談義」だろうか。もちろん、琉球から土地も労働力も心も文化も収奪してうまみをしゃぶり続けてきたヤマトの支配階級が、そうやすやすと独立を認めるわけがない。しかし、政治的問題はおいて、独立のための大前提となる社会経済的な基盤を確固としたものとする素地はある。

2006年12月7日(木)
沖縄知事選・もう一人の候補者

 東京新聞(11月24日)の「本音のコラム」で吉田司さんが「琉球独立」と題して今回の沖縄知事選挙を取り上げていた。「<経済>か<基地>か」という一般の論調を突き破って、三人目の候補者「琉球独立党」の屋良朝助氏に焦点を当てている。

 沖縄県知事選は沖縄電力会長などを務めた元副知事の仲井真弘多氏が、<米軍基地反対>の糸数慶子氏を制した。完全失業率7・8%もの経済閉塞の中で「経済の自立なくして沖縄の自立なし」という仲井真氏の訴えが受け入れられたとのメディア評が一般的だ。

 しかし<経済>が<基地>に勝つのは最近の沖縄ではおなじみの政治図式で珍しくもない。問題は<経済>の中身だ―それが基地に伴う収入やその見返りの経済振興策への依存という本土パラサイト体制が変わらぬ限り、<経済>は逆に沖縄の精神を蚕食するだろう。事実、敗軍の将・糸数氏はこう語っている。

「長いものに巻かれろみたいな生き方にウチナーンチュ(沖縄の人)は慣らされてしまった」

 そこで興味深いのが、<経済><基地>のワンパターン図式を破り《沖縄独立》を訴えて数は少ないが6200票余を獲得した第三の候補者「琉球独立党」の屋良朝助氏だ。

 屋良氏とは今夏、新宿のトーク・ライブで対論した。沖縄と日本は利害対立だと主張する。

「東シナ海の石油、天然ガスは沖縄が独立すれば沖縄国民一人当たり四億円の財産で、日本本土に所有権はない。逆に沖縄県のままだと石油は日本全体のもの、沖縄人にはほとんど利益がない」

 そう、これは資源ナショナリズムを武器にした、新たな沖縄メンタル・ムーブメントの登場なのである。

 南国と島嶼の利点を生かした農業と漁業の新興をはかり、『沖縄国民一人当たり四億円の財産』を奪い返し、『岡留式「脱基地・産業振興プラン」』を組み込んでいく。沖縄は社会・経済的に充分に自立できるじゃないか。
今日の話題

2006年12月5日(火)
岡留式「脱基地・産業振興プラン」

 沖縄が基地に依存しないで経済的に自立する可能性を、岡留安則さんと天木直人さんが対談で論じている(『討論外伝 「外交の裏側を知りつくす男が語る「日米同盟破棄のススメ」』)。その対談から沖縄関係の部分を転載します。なお、この対談は今回の沖縄知事選挙以前(昨年11月ごろ)のものです。


岡留
 今、僕は沖縄にいるので、それなりに考えていることはあるんですよ、沖縄限定ですが。ただ、沖縄県知事がいくらいろいろ言ったところで、県知事が直接的に対米交渉をするわけではありませんからね。結局、日本の政権党、外務省、防衛庁がやるわけじゃないですか。米軍基地の75%が集中する、沖縄県民の意向が反映されるシステムに全くなっていない。

天木
 県知事がカリスマ的でリベラルな人間だったら、ずいぶん違うと思うんです。大田(昌秀・前沖縄県知事)さんはそれなりにやってましたけど、もっと若い人、もっと大衆受けするような人が、たとえば、沖縄国際大学にヘリが落ちた時に、基地の返還を強く訴えていた市長(伊波洋一・宜野湾市長)、彼なんかが知事になって、もっと積極的に訴えるとかすれば、少しは違ってくると思う。米国は、なんだかんだ言ったって、英語がしゃべれてまともに議論できる人間には耳を傾けますから。「国しか相手にしない」なんてバカなことは言いませんよ。言葉をしっかりしゃべり、米国に行って、国民の前で、ハーバード大学かなんかで、演説するような人。それぐらいの人間が沖縄の知事になって、どんどん発信していくようになると面白い。

岡留
 結局、沖縄は戦後一貫して米国の支配下にあり、今も基地に支配されていますから、自立という点では、いくら頑張っても、何をやっても展望が切り開けないという無力感が漂っているんですよ。

天木
 沖縄の悲劇は、というより日本政府の卑劣さは、沖縄住民が分割統治(デバイド・アンド・ルール)されているということです。基地と引き換えに地域振興費をばら撒くことで、日米同盟に関する県民世論が二分されてきたでしょう。実際、基地によって産業も成り立っている。現状では、放っておいてもお金がもらえるんだから、「基地を追い出すことによって、米国や日本政府から意地悪されたらどうするんだ」「自立した産業を興せるのか」という不安が生じてくるわけですよ。それに対して、「基地がなくなれば、無限の可能性があるんだ。畑を耕したって、20年後には立派な産業になるんだ」と言える人間が出てくる、そして沖縄県民の多くを「その通りだ」と納得させる魅力を持っている、そういう人間が出てこないと、分割統治から脱し切れないと思う。

岡留
 僕が前から言っているのは、沖縄の自立経済のための観光事業強化策のひとつとしてのカジノ誘致です。実際に、糸満市がオーストリアの大手カジノ企業と交渉していたのは事実ですが、そのためには、まず刑法の改正や議員立法が前提になる。仮に基地によって2000億円だかの経済効果があるとするなら、それくらいは観光やカジノ、自由貿易や経済特区の収益で十分にカバーできるし、基地がなくなっても経済的損失の穴埋めはできるはず。あるいは、カジノだけでなく、地理的にも有利なので、国連のアジア支部を誘致するとかね。そうすれば、各国のメディアが常駐するから、沖縄の米軍基地による日米地位協定の不平等な現状や、米兵が起こす事件などが世界中に発信されるでしょう。今のままでは、沖縄県民自身が、「基地がなくなるなんて、無理だ」と、はなっから思い込んで基地振興費に漬かり切っている人々も見受けられる。それでは絶望的気分が蔓延し、享楽的になるしかない。

天木
 カジノ誘致はいい考えだと思います。それにはやはり、県知事が本気で日本政府と交渉するしかないと思うんです。カジノにしたって、国連支部にしたって、すべて政府の決定ですから、いかにそれを実現させるか。私はそれは強力な政治力があって、小泉の郵政改革のように、毎日毎日、沖縄のために偏執狂的に言い続けられるような、カリスマ性のある人間が出てきて初めて可能になると思いますね。

 カジノには色々な問題点があり、私は賛成しがたいが、それを除いて岡留さんの提言(赤字部分)は一考の価値があると思う。

<追記 2016年11月6日>
 小池都知事は豊洲への市場移転をご破算にして、その跡地にカジノを設置することを企んでいるらしい。折しも『週間金曜日(11月4日号)』が「小池都政 人気の裏側」を特集している。その中の横田一(ジャーナリスト)さんの記事「小池都政は 手法・人的・政治志向的に "維新東京版"」が、最後でカジノ問題を取り上げている。その部分を紹介しておこう。

豊洲後にちらつく「カジノ解禁」

 しかも小池知事は維新や安倍政権と足並みを揃えて、さらなる工事ラッシュを招く「カジノ(IR=統合型リゾート)」推進の立場も表明。9月2日の会見で問題発言が飛び出した。

「IRはただカジノだけではない。私はむしろカジノが真っ先に語られることによって『教育的に どうだ』『中毒になってしまう問題があるのではないだろうか』、あと社会的な問題、いろいろな議論があって、思考停止に陥る。だからIRに変えたのだと思う。私自身はエンターテインメントを考えるという意味でのIRは積極的ですが、カジノだけ特筆して引っ張ってくるということで国内を二分するような議論をしているのはプラスではないのではないだろうかなと思うところです」

 カジノとIRがまったくの別物であるかのように印象づける詐欺的発言だ。IRでカジノが占める面積は5%未満にすぎないが、売上高では8割以上の"稼ぎ頭"。格安のディズニーランドを用意して家族連れを呼び込み、母親と子どもが楽しむ一方で父親がカジノで大損するという仕掛けになっているのだ。IRでもギャンブル依存症問題が消え去るわけでもなく、深刻化する恐れさえある。しかも上客確保のために宿泊や食事代の値引きをするIRは、周辺のホテルやレストランなどを衰退させる悪影響を及ぼす。「都民ファースト」どころか、「ギャンブル業界やゼネコンなど大企業ファースト」というのが小池知事の実態なのだ。

 小池知事は衆院議員時代、「IR議連(国際観光産業振興議員連盟)」のメンバー。「外国人観光客を2020年までに年2000万人へ倍増させたい。IRは(外国人観光客を呼び込む)成長戦略の目玉」と意気込む安倍首相は、小池知事や維新と連携してIRを推進しようとしているのだ。

 宮城のボート会場を視察する暇があるなら、IR誘致発言を撤回、東京五輪関連事業をできるだけ抑制すると同時に、安倍首相にも「IR推進を中止し、全国的な公共事業抑制もしましょう」と進言しないとおかしい。

 カジノ(IR)推進の業界関連企業や大手ゼネコンですら、オリンピック工事が集中する東京への誘致を問題視する。巨大なハコモノ建設を伴うIR施設整備によって、人手不足や資材不足に拍車をかけてしまうからだ。

 「大阪万博やカジノ推進と憲法改正が交換条件になる」という維新の国会議員の発言が報じられたが、小池知事と維新と安倍自民党が連携してカジノ推進をする可能性は十分にある。

 維新のように安倍政権に同調(補完勢力化)するのか、それともIR蔓延や原発問題で対峙するのかが注目される。

(すっかり忘れていましたが、今回から5回連続で沖縄問題を取り上げていました。今年(2016年)の1月6日から5月28日まで「沖縄に学ぶ」というタイトルで、沖縄問題を詳しく取り上げていて、それと重複する事項もありますが、10年前の記事もそのまま再録しておくことにしました。)

今日の話題

2006年12月4日(月)
沖縄が経済的に自立することは可能か。

 11月2日に沖縄県知事選挙を取り上げましたが、沖縄の問題に戻ります。

 沖縄が返還される2年ほど前(1970年ごろ)に、吉本隆明さんは次のように喝破していた。

 琉球・沖縄が保存している弥生式文化成立以前の古層を掘り起こすことによって、『弥生式文化=稲作農耕社会=その支配者としての天皇(制)勢カ=その支配する<国家>としての統一部族国家、といった本土の天皇制国家の優位性を誇示す るのに役立ってきた連鎖的な等式を、寸断すること』、つまり琉球・沖縄の存在の重みによって『弥生式文化の成立期から古墳時代にかけて、統一的な部族国家を成立させた大和王権を中心とした本土の歴史を、相対化すること』によって、琉球・沖縄が思想的に自立することの重要性を述べた上で、吉本さんは次のように述べている。 (『情況』所収「異族の論理」より)

 政治的にみれば、島全体のアメリカの軍事基地化、東南アジアや中国大陸をうかがうアメリカの戦略拠点化、それにともなう住民の不断の脅威と生活の畸型化という切実な課題にくらべれば、そんなことは迂遠な問題にしかすぎないとみなされるかもしれない。しかし思想的には、この問題の提起とねばり強い探究なしには、本土に復帰しようと、米軍を追い出そうと、琉球・沖縄はたんなる本土の場末、辺境の貧しいひとつの行政区として無視されつづけるほかはないのである。

 そして、わたしには、本土中心の国家の歴史を覆滅するだけの起爆力と伝統を抱えこんでいながら、それをみずから発掘しようともしないで、たんに辺境の一つの県として本土に復帰しようなどとかんがえるのは、このうえもない愚行としかおもえない。琉球・沖縄は現状のままでも地獄、本土復帰しても、米軍基地をとりはらっても、地獄にきまっている。ただ、本土の弥生式以後の国家の歴史的な根拠を、みずからの存在理由によって根底から覆えしえたとき、はじめていくばくかの曙光が琉球・沖縄をおとずれるにすぎない。


 もちろんその後、「沖縄の存在理由」の掘り起こしという思想的営為は、吉本さんによっても、沖縄の人たち自身によっても続けられてきている。一例をあげれば、1988年12月に那覇で吉本さんを迎えて『琉球弧の喚起力と「南島論」の可能性』というシンポジュームが開かれている。

 しかし、沖縄は日本に復帰し、三十数年が経過した。現在の時点での政治的経済的な問題の解決がやはり切実である。沖縄の人たちが政治的経済的な曙光を強く求めていることを私は疑わない。

 沖縄が基地に依存しないで経済的に自立する可能性はあるのか、ないのか。(明日に続く。)

 なお、私が古田さんによる古代史の一連の解明を『天皇制の基盤を撃つ』ものとして取り上げたのも、「古田古代史」が『弥生式文化の成立期から古墳時代にかけて、統一的な部族国家を成立させた大和王権を中心とした本土の歴史を、相対化する』起爆力を持つと考えたからにほかならない。
今日の話題

2006年12月2日(金)
国家権力による言葉の剽窃と詐術

 11月26日の『今日の話題 世論と国家意志』で、「アンケート回答者の50%が教育基本法を読んだことがない」ということを危惧し、「こういう人はたぶん、政府案も民主党案も読んでいない」と推測したが、私もこういう人たちとほとんど違わないのではないかと、いま反省している。つまり読めばいいということではない、という反省です。私の読みはただ通り一遍に目を通しただけだった。

 五十嵐仁の転成仁語で五十嵐さんが、『防衛庁の「省」昇格関連法案』の問題点を論じている。その中で、自民党の憲法改悪草案・教育基本法改悪案・自衛隊法一部改悪案などを分析して、その底流に流れている国家意志を見事に抉り出している。一部紹介します。

 五十嵐さんは次の四つの文章を抽出している。

①国際社会の平和と発展に寄与する態度を涵養する
 自民党憲法改正草案大綱(たたき台)(04年11月17日)より

②国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う
 教育基本法「改正」案より

③国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動
 自民党新憲法草案(05年11月22日)の第9条に3項

④国際社会の平和及び安全の維持に資する活動
 自衛隊法の一部「改正」案より

 そして次のように述べている。

 どうして、このように似通った文章になるのでしょうか。それは、目的が似通っているからです。いや、これらの文章が目指すところのものは、ただ一つでしかありません。それは、「国際社会の平和」のために自衛隊を海外に派兵することです。この「国際社会の平和」が米軍の戦争によってもたらされると認められれば、「国際社会の平和及び安全の維持に資する活動」とは、米軍とともに戦争することを意味することになります。そのために自衛隊を海外に派兵すること、そのような自衛隊の活動に国民こぞって「寄与する」ことが、これらの文章が目指しているところのものにほかなりません。

 また、4つの文章の比較から分かることが、もう一つあります。それは、最初の二つの文章の「国際社会の平和と発展に寄与する態度」が同文であること、後の二つの文章の「国際社会の平和と安全を確保」と「国際社会の平和及び安全の維持」という文章が極めて似通っていることです。つまり、教育基本法「改正」案のなかには、自民党憲法改正草案大綱(たたき台)(04年11月17日)の文章がそのまま組み込まれ、自衛隊の「省」昇格関連法案のなかには、自民党新憲法草案(05年11月22日)とほとんど同じ文章が入り込んでいるということになります。

 この事実は極めて重大です。もともと自民党が憲法を変えることで実現しようとしていた内容が、憲法が変わっていないにもかかわらず、個別法のなかにはめ込まれているからです。つまり、個別法によって憲法が踏み越えられているということを意味します。

 『教育基本法改悪案』や『自衛隊の「省」昇格関連法案』など、明らかに憲法に違反する法案を臆面もなく強引に押し通そうとしている。これを五十嵐さんは『法的「下克上」』と言っている。

 この明らかに憲法違反の諸法案を支持してしまう単純で従順な人たちをだましている言葉が『国際社会の平和』だ。『国際社会の平和』のためなのに何故反対するの?

 ポチ・コイズミが憲法前文を引用してイラクへの自衛隊派遣を正当化したときと同じ言葉の剽窃と詐術が相変わらずまかり通っている。国民はバカにされきっている。このようにバカにされていながら、相変わらず不自由非民主党を支持している人たちにただただ呆れるばかりである。
今日の話題

2006年11月30日(水)
外務省機密漏洩事件

 沖縄返還を目前に控えた72年3月、返還協定を巡り、米国が支払うはずの軍用地の原状回復費400万ドル(当時のレートで約14億円)を、日本が肩代わりすることを示す外務省極秘電信を、横路孝弘・社会党議員(当時)が衆議院予算委員会の場で暴露した。

 この外務省機密電信は、西山太吉・毎日新聞政治部記者(当時)が入手し、横路議員に手渡したもので、そこで明らかになったのは、沖縄返還において、米側が
(1)沖縄を返還しても、米軍基地の機能を低下させない。
(2)在日米軍基地の費用はすべて日本が負担する。

を日本に要求していることだった。現在沖縄が強いられている状況はここから始まっている。

 この密約を政府は強く否定したが、この発覚により佐藤内閣は窮地に追い込まれた。

 しかしやがて、西山さんが機密電信を入手した先が外務省の女性事務官であることが明らかになると、東京地検特捜部は、女性事務官を国家公務員法100条(秘密を守る義務)違反で、西山さんを同111条(秘密漏洩をそそのかす罪)で逮捕・起訴した。政府が「密約はなかった」と言っているのに、「機密漏洩」で裁かれる? 非論理を恥としない破廉恥は権力の得意とするところだ。

 これに対し、毎日新聞をはじめマスコミは、「国民の知る権利」を掲げて、取材活動の正当性を主張し、当局の対応を批判した。

 ところが起訴状に、西山さんが「女性事務官をホテルに誘って秘かに情を通じ、これを利用して」機密を入手したとの一文があり事態は一転した。世間の注目が、密約から西山さんと女性事務官の男女関係へと矮小化され、毎日新聞に抗議が殺到した。世論の反発の大きさから、同社は編集局長を解任、西山さんを休職処分とした。

 テレビ・ドキュメンタリー「メディアの敗北/沖縄返還を巡る密約と12日間の闘い」(琉球朝日放送2002年)で、インタビューに応じた政府や検察関係者が「まんまとメディアがのてっくれた」というような発言をしているという。

 その後、密約を巡る裁判は、最高裁まで争われたが、結局、「正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びる」として、西山さんの上告は棄却され、有罪が確定した。

 一貫して政府は虚偽と隠蔽の姿勢を貫いて、この「密約」を否定し続けてきた。ところが事件から30年後、アメリカで公開された外交文書に「密約」の存在が明記されていた。また元外務省アメリカ局長・吉野文六さんの「密約」があったという証言もでた。それでもなお政府は「密約」を否定している。

 アメリカ政府との「密約」はほかにも多数存在しており、虚偽公文書作成・同行使、偽計業務妨害、背任・詐欺という権力中枢による国家の組織犯罪すべてが明らかになるため、これをかたくなに認めないのだとの説もある。

 いま、西山さんは三十数年間の沈黙を破って、国家賠償請求裁判を起こしている。11月7日に口頭弁論が行われたが、これを報道したのは東京新聞と毎日新聞だけだったという。その口頭弁論で西山さんは「密約を否定し続ける政府を許容しているのはメディアだ」とマスゴミを激しく批判した。

(『討論外伝』所収「在日米軍再編で、日米両政府は国民を二度欺く」と森達也さんの「新聞を読んで/密約事件の手痛い教え」(11月19日付・東京新聞)を利用しました。)
今日の話題

2006年11月28日(火)
沖縄県知事選挙から見えてきたもの

 今回の選挙結果についてのマスゴミに登場した大方の論評は「沖縄県民は基地問題よりも経済問題を優先して選択した。」というようなものだった。

 しかしまともな感性と判断力があれば、沖縄県民にとってはどちらの問題も切実であり、どちらの問題も解決したいという思いが根底にあるだろうことは容易に想像できる。

 目取真俊(作家)さんの『「基地か経済か」でかたるな』(11月25日「朝日新聞」)がそのような観点から「沖縄県知事選挙」を論じている。

 沖縄県民にとってどちらの問題の解決も重要であり、同時並行して進めてほしいという人が大半だろう。爆音被害や事件・事故の危険性に日々脅かされている基地問題も、失業率が全国平均の2倍という水準が恒常化している経済問題も、どちらも切実な課題としてあり続けているのだから。

 それを二者択一の選択として描くのは、分かりやすい構図に単純化して読者に示すマスコミの恣意であり、それはまた、そのような選択を強制するヤマトゥ(日本本土) の沖縄に対する権力(支配)構造を隠蔽するものだ。全国に47ある都道府県の知事選挙で、基地問題か経済問題かという二者択一の選択が強いられる選挙が、沖縄以外のどこにあるというのか。

 それを強いているのは、厚木や横田、岩国、三沢などの一部の地域を除いて、米軍専用施設の大半を沖縄に集中させている日本人の多数意思に他ならない。そのことを自覚しないですますために、沖縄の「苦悩」や「苦渋の選択」が強調され、県外や国外という選択肢は考えられず、沖縄県内での基地「移設」しかないかのようにヤマトゥのマスコミは描き出す。

 そしてあたかも、沖縄で米軍基地の「整理・縮小」が進まないのは、「15年使用期限」や「軍民共用」を持ち出した稲嶺知事のせいであり、県内で反対運動が起こったから、つまり、沖縄県民自身の責任であるかのように描き出す。

 日米安保体制の必要性を言いながら、自らはその軍事的負担をになおうとしない虫のよさをごまかすために、問題をすべて沖縄という枠の中に押し込めようというのだ。そうやって、社会学者・野村浩也氏のいう「無意識の植民地主義」は再生産されていく。

 だが、そういう欺瞞的なやり方で基地問題が解決するはずはない。今回の選挙も少し注意深く見れば、仲井真氏が当選したからといって普天間基地の辺野古沿岸への「移設」が容易でないことは分かるはずだ。

 仲井真氏にしても、Ⅴ字形滑走路をもつ政府案を肯定しては当選できないのが自明だったから、「県内移設」容認をにおわせながら政府案には反対するという曖昧な立場を取らざるを得なかった。

 稲嶺知事がよく「マグマ」という言葉を使っていたように、基地問題への怒りや不満、苛立ちは沖縄の中に絶えず潜在している。これから政府との協議で自らの選挙公約をなし崩しに転換しようとするなら、中井真氏もまたその「マグマ」に脅かされるだろう。

 それは日本政府に対しても言える。沖縄に対して高圧的・強権的に基地政策を進めるなら、いずれ窮地に陥るのは政府の方だろう。反基地感情と反ヤマトゥ感情が合わさって「マグマ」の圧力が高まるとき、それがどういう形で噴き出すか分からない。

今日の話題

2006年11月26日(火)
世論と国家意志

 次のグラフは、朝日新聞beモニターを対象としたインターネットによるアンケートの集計結果です。(11月25日付土曜版be)

朝日新聞beモニター対象のアンケート

 記事本文は次の通りです。

 「政府案のように教育基本法を変えると日本の教育はよくなると思いますか」。beモニターのみなさんにこう尋ねると、「よくなる」と答えた人はわずか4%でした。

 教育基本法の改正案が衆議院を通過しました。その一方で、いじめ自殺や、先週この欄で取り上げた必修科目の履修漏れなど学校を舞台にした問題が噴出しています。9月には東京地裁が、日の丸に向かっての起立や君が代斉唱の強要は教育基本法10条に違反するとの判決を下しました。この条文も大幅に改変されようとしています。

 安倍内閣は教育基本法改正案を今国会の最重要法案と位置づけています。しかし、ほとんどの人が改正による効果を期待していません。冒頭の問いの回答は「変わらない」が半数近く、「悪くなる」が約3割に達しました。なぜ最重要になるのでしょう。

 「わからない」と答えた人は22%でしたが、男女別に見ると大きな開きがありました。男性では17%ですが、女性では27%にのぼり、「悪くなる」を2ポイント上回りました。

 愛国心の規定については、回答者全体の61%が政府案の「我が国と郷土を愛する……態度を養う」を、60%が民主党案の「日本を愛する心を涵養し」を法律に掲げることは「不要」と答えました。「愛国心を自然に感じられるような社会にしないといけない」(埼玉、48歳女性)という指摘がありました。

 そもそも現行の教育基本法に不満かどうか尋ねると、不満はないという人が過半数の55%を占めました。不満という人は45%です。

 もっとも、現行の教育基本法を「読んだことがない」と答えた人が50%にのぼり、その比率は不満派も満足派もほぼ同じでした。「ざっと読んだ」という人が38%で、「読んだことがある」と答えた人は12%に過ぎません。

 「読んだことがある」と答えた人に限ると、冒頭の問いに57%が「悪くなる」と答えています。現行法はわずか11条、政府案は18条、民主党案は21条です。じっくり読み比べてみませんか。
(担当 高谷秀男)

 このアンケート結果を、狆ゾウ政権がやろうとしていることを一般国民(=被支配階級)は支持していないことを示していると、手放しで喜ぶことはできない。私は回答者の50%が教育基本法を読んだことがないという点を怖いと思う。こういう人はたぶん、政府案も民主党案も読んでいない。それでは何を基準にアンケートに回答しているのか。マスゴミの論調にシンクロナイズした回答なのだろう。世論調査の結果とはマスゴミの論調の ことなのではないか?

 こうした世論なるものが、マスゴミの影響を受けない自立した一般国民の意志を正しく反映していると仮定しよう。ではこの一般国民の意志を国家は汲み取るだろうか。

 教科書民主主義を信奉している人たちはそれを期待する。しかし残念ながらブルジョア独裁下の議会制民主主義では、『被支配階級の意志が、国家意志形成において部分的にでも反映されるとすれば、それは原則上、各種公共土木事業や社会福祉また国民的諸階級・階層への各種経済的保護・育成等の、社会・経済政策に関わる経済的国家意志に限定される』(滝村隆一『国家論をめぐる論戦』より)ほかない。

 この問題はまもなく、『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む』で取り上げることになる。